社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
翌朝、誠一は伊勢崎市内にある取引先を訪ねていた。
太陽リサイクル――中堅規模の会社だが、誠一の取引先としては上位に入る。会うのは専務――現社長の一人息子、坂上竜也だ。年齢は三十後半で、いずれこの会社を継ぐことが決まっている、いわゆる次期社長。
「一族経営のボンボン」という立場だが、坂上は常識をわきまえた頭の回転の速い人物だった。下請けの誠一にも、丁寧に対応してくれる相手で、礼を充分に尽くして悪い相手ではない。
応接室に通されると、坂上はすでにソファに座って待っていた。革張りのソファに窓からの光が反射して、埃ひとつない応接室の清潔さが際立っている。会社の羽振りの良さは、こういう細部にこそ表れる。
「黒田さん、おはようございます」
「おはようございます。先月分の報告書と、請求書をお持ちしました」
誠一は書類を差し出しながら、いつも通りの営業スマイルを作った。
坂上はいつものように書類にさっと目を通しただけで頷いた。向こうも本題が報告書の提出だけで無いことは分かっている。ルート営業は、関係性構築のための雑談という名の情報収集こそが、最も重要な業務となる。
報告書の確認が終わったタイミングで誠一は話を切り出した。
「会社の景気はいかがですか?」
「売れ行き自体は堅調なんですけど、仕入れや固定費が上がってるので、そこまで喜べないですね」
答えとは裏腹に坂上の表情には余裕が見て取れた。
「でも、今年は社員のボーナスを増やすって話を聞きましたよ。私からしたら羨ましいですよ」
誠一が苦笑しながら言うと、坂上はくすりと笑った。
「黒田さんなら、うちはいつでも歓迎ですよ」
「はは、ありがとうございます。もしもの時は相談させてください」
軽口を交わしながらも、誠一は頭の中の会社の情報に追加していく。まだ話題があったかなと――考えていた矢先、今日、初めて坂上から話を切り出してきた。
「黒田さんって、大学時代に冒険者やってたって言ってませんでしたか?」
不意打ちだったが、嘘がない程度に意識して答える。
「今もたまに潜りますけど、趣味程度ですよ」
「やっぱり黒田さんも女の子カードには、興味ありますか?」
坂上は、冗談を言うような軽い調子で聞いてきた。
「ないと言ったら嘘になりますね」
笑いながら答える。せっかく坂上の方から提供してくれた話題だ。距離を縮めることを意識して、いつもより親し気に答えると坂上は満足げに頷いた。そして、鞄に手を入れる。
「実は私も、先日知り合いの札商から格安で譲ってもらったカードがあるんです」
取り出されたのは、一枚のカード。マイナススキルのない、Cランクモンスターのサキュバスだった。
誠一の呼吸が、一瞬止まった。
【種族】サキュバス
【戦闘力】550
【先天技能】
・巫山の夢:対象へと強力な眠りの呪いを掛け、夢の中へと入りこみ、精気を吸収する。相手が男性であった場合、初撃に限ってありとあらゆる耐性を貫通する。
・胡蝶の夢:対象に現実と見分けがつかないほどの精巧な幻影を見せる。その精巧さは、脳の錯覚によるダメージが生じるほど。対象が男性であった場合、相手の理想とする姿へと変身し、強力な魅了の呪いを掛けることができる。
・淫魔の肌:肌の触れた相手に快感を与えるとともに精気を吸収する。フェロモン、娼婦スキルを内包。
【後天技能】
・中等状態異常魔法
手に入れるには、以前、ギルドの相場情報で見た時は、一億円以上は資金が必要だとあった。まさか現物を目にすることになるとは、思ってもみなかった。
坂上は、そんな誠一の反応など気にも留めず、上機嫌に語り続けた。
「私は結婚して子供もいますけど、女の子カードに夢中になる人の気持ち、よく分かります。既婚男性の味方ですね、女の子モンスターカードって」
熱っぽく語る坂上の言葉が、誠一の耳をすり抜けていく。頭の中では別の計算が回っていた。一億円。今の自分の年収の、何年分だ。
「私はまだ結婚してないので、そのあたりは分からないんですけど……そうなんですか?」
自分でも情けなくなるような切り返しだった。坂上のマウントに対抗できる材料が、独身で自由だということくらいしか自分にはない。
「黒田さんも、結婚したら分かりますよ」
坂上はさらに会話の熱を高めていったが、誠一の心はどこか冷めていた。カードをしまう坂上の指先をただぼんやりと目で追う。
ひとしきりマウントを取られて、坂上のストレス発散に付き合っていたら、雑談も終わりに近づいた。誠一が資料を鞄に収めようとしたところで、坂上が思い出したように仕事の話を切り出した。
「そういえば、隣の会社さんが、既存の産廃業者に不満があるって言ってたんですよ。俺から紹介の電話入れておくので、よかったら黒田さん、営業してあげてもらえませんか」
思わぬ提案に、誠一は先ほどまでの重苦しい気持ちも少し晴れた。
「はい、ありがとうございます!」
快く了承すると、坂上は満足げに頷いて、後日改めて連絡すると約束してくれた。
誠一の務める武蔵野クリーンテックをはじめ、工場などから発生する廃棄物を処理する会社。産業廃棄物処理業界はパイの取り合いで、新規案件を広げること自体が稀だ。それだけに、坂上からの紹介は願ってもない話だった。
取引先を出て、誠一は車に乗り込んだ。エンジンをかける前に、しばらくハンドルに手を置いたまま動かなかった。
一億円のサキュバス。
仕事の話と恵まれた立場にいる坂上への嫉みに気持ちは混乱していた。結婚してる身でありながら誠一の現実逃避先でもある女の子モンスターカードまで誠一よりも充実している様子だった。
「……これは、今日もシルキーと話をしないとな」
誰にともなく心の拠り所となる存在を意識しながら、誠一はエンジンをかけた。
最近、誠一が車の運転中に決まって考えることはシルキーの名付けだった。名付けをすると資産としての価値は無くなってしまう。Dランクカードのギルドの買取価格は売値の1/10程度だが、それでも同業者や坂上のような女の子カードを集めているものからすると誠一の持つシルキーは魅力的であるはずだ。
でも、誠一は絶対にこのシルキーを手放さない自信がある。それは、シルキーが他の誰かの手に渡り、自分以外の誰かの前で微笑む姿を想像するだけで、胸の奥が締め付けられるように苦しくなるのだ。
そんなことを考えながら、今日あったことをどう話せば、シルキーが慰めてくれるだろうかと考えていた。