社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
翌週の月曜、誠一は事務所のデスクで、坂上から紹介された新規案件の提案書を作っていた。パソコンの画面には、先月分の請求書のフォーマットも並んで開いている。
「あ、あの、はい、武蔵野クリーンテックの田村です!」
隣のデスクから、上ずった声が聞こえてくる。新人の田村が、電話の相手に必死で対応している様子だった。
「え、はい、あの、その件はちょっと、確認しないと……はい、少々お待ちください」
保留ボタンを押した田村は、真っ青な顔をしていた。誠一は席を立ち、田村の肩越しに画面を覗き込んだ。
「相手、どこの会社?」
「あ、黒田さん! えっと、丸善産業さんで、先月の請求金額が違うって……」
「ああ、それ、先方の担当が変わったばかりだから、計算基準が古いフォーマットのままなんだよ。こっちの新しい単価表、送ってあげて。あと、電話じゃなくてメールで送った方が、証拠も残るし親切」
「な、なるほど……ありがとうございます!」
田村が慌てて保留を解除し、誠一の教えた通りに対応を始める。誠一は自分のデスクに戻りながら、小さく息をついた。
こういうやり取りは、月に何度も発生する。誠一にとっては慣れたものだが、田村のような新人にとっては、まだまだ一つ一つが試練なのだろう。
「黒田、相変わらず面倒見いいな」
声をかけてきたのは、営業所長である課長の中野だった。誠一より一回りほど年上の、恰幅の良い男。
「いえ、大したことじゃないですよ」
「お前がいるとほんと助かるわ。うちのエースだからな」
軽い調子で言われて、誠一は曖昧に笑った。エースと言われても、給料に反映されるわけではない。固定残業代のシステムの下では、どれだけ働いても数字は変わらない。周りの同僚たちがどこか覇気なく仕事をこなしているのも、無理はないと誠一は内心で思っていた。
「そういえば、今日は太陽リサイクルの接待だったな」
中野が思い出したように言う。
「はい、十九時からです」
「事前に経費の申請、しておけよ」
「分かってます」
***
事前に予約していたのは、伊勢崎市内にある誠一がよく使うお店だった。小料理屋だが、料理が美味しく、さまざまな日本酒も揃っている。接待にも使いやすく、取引先からの評判もいい店だった。
誠一が先にお店に入った後、十五分程したら坂上が到着した。2人が揃うと店員がすぐに飲み物を運んできた。乾杯を交わし、料理の注文を終えたところで、坂上がふと入り口の方に視線をやった。
「あ、来ましたね」
襖が再び開き、恰幅の良い体に、ブランド物のセカンドバッグ。袖口からは、一目で高級品と分かる腕時計が覗いている。
「遅くなりました」
「ああ、蒲生さん。こちらへどうぞ」
坂上に促され、蒲生が誠一の対面に腰を下ろす。
「紹介します。こちら、蒲生さん」
「蒲生です。先日はどうも」
「黒田です。蒲生さんは札商の……」
言いかけた誠一を遮るように、坂上が笑いながら割って入った。
「まあまあ、堅苦しいのは無しで。今日はただの飲み会ですよ」
料理が運ばれてくる間、話題は取引先の近況や業界の噂話から始まった。だが、酒が進むにつれ、坂上が思い出したように切り出した。
「そういえば黒田さん、罠解除スキルを持ったカード探してるって言ってましたよね」
「ああ、はい。まだ手に入れられてないんですけど」
「蒲生さんなら、その辺も詳しいですよ」
促されて、蒲生が誠一の方に向き直った。
「罠解除ね。専門で持ってるカードは、そこそこ値が張るよ。まともな種族狙うなら、最低でも四百万は見といた方がいい」
想像していたよりも高い数字に、誠一は思わず眉をひそめた。
「そんなにするんですか……」
「まあ、罠解除は初心者が最初に欲しがるスキルだからな。需要が高い分、値も落ちない」
蒲生はグラスを傾けながら、他人事のように続けた。
「ギルドを回れば見つかることもあるけど、時間はかかるよ。急いでるなら、俺のところで探すこともできるけど、値段は覚悟してくれ」
「……そうですか」
誠一は曖昧に相槌を打った。四百万という数字が、頭の中で重くのしかかる。今の貯金では、到底手が届かない額だった。
「ちなみに、黒田さんの手持ちの資金って、どのくらい?」
蒲生が、値踏みするような目で聞いてくる。
「……そんなにたくさんは。会社員なので」
「まあ、そうだろうね。あんたの見た感じだと、そんな持ってるとは思えない。」
軽く笑いながら言う蒲生の言葉に、誠一は少しムッとしたが、顔には出さなかった。実際に誠一の銀行残高は百万円にも満たない。昨年、シルキーを五百万で購入してから余裕がなかった。
その後は、サキュバスの体験談や人気の女の子モンスターカード、業界の景気、他の取引先の噂話など、取り留めのない会話が続いた。
誠一は所々、その場が盛り上がるように2人の調子に合わせていたが、頭の片隅では、この2人が生きている世界が、自分とはまるで違う場所にあるように感じていた。
***
会が終わり、店を出た誠一は、坂上と蒲生に挨拶をしてから一人で駅へと向かった。
夜の街を歩きながら、誠一はぼんやりと考えていた。
四百万。決して手の届かない額ではないが、簡単に用意できる額でもない。
美咲さんのヒッポグリフが脳裏に浮かんだ。偉そうに先輩面して、美咲さんの方が圧倒的に冒険者としての実力は上だった。
今まで、強いカードを手に入れてまで迷宮を攻略しようという気持ちは、あまり持っていなかった。同時に、会社の給料だけでは、とても追いつけそうにない現実があった。
(どうしたもんかな)
答えの出ないまま、誠一は憂鬱な気持ちで電車に揺られて練馬の自宅へと帰った。