社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
待ち合わせの喫茶店に、誠一は約束の時間より二十分も早く着いてしまっていた。
(早すぎたな……)
緊張していたのだと、自分でも分かっていた。窓際の席に座り、何度もスマホの時計を確認しながら、誠一は運ばれてきたアイスコーヒーに手をつけることもできずにいた。
十分もすると、グラスの表面には結露がびっしりと浮かび、氷はすっかり形を失って、透明な水の層と混ざり合っていた。高梨さんのこととなると些細なことでも気になってしまう。
朝、セットした髪型が崩れていないか気になり、トイレで確認したくなったが、入れ違いになるかもしれないと思うと席も立てないでいた。
それからもしばらく待つと、約束の時間ちょうどに、美咲が姿を現した。
「お待たせしました」
「いえ、俺も今来たところです」
アイスコーヒーの氷はすっかり溶けてしまっている。見え透いた嘘だったが、美咲は特に気にした様子もなく席についたが、美咲の表情を見て、誠一は、事前にメッセージで用件を伝えていなかったことを、少し悔やんだ。
「今日、改まってお話って何ですか?」
美咲の声には、どこか探るような響きがあった。誠一には気づけなかったが、その裏には小さな警戒心があった。こういう場面で、こういう切り出し方をされることが、美咲にとっては初めてではないのかもしれない。
「実は、俺のハイコボルトに罠解除を覚えさせて、それを美咲さ……高梨さんに、譲るのはどうかと考えたんですが」
誠一が言い終わると、美咲の表情がわずかに緩んだ。張り詰めていた何かが、すっと解けていくような変化だった。
「え、せっかく成長させたカードなのに、良いんですか?」
問いかけの声のトーンが、先ほどより一段明るくなっている。誠一はそれに気づかないまま、言葉を続けた。
「もし売っても、大した価格にはならないと思うので。それに、美咲さんの熱意を見てると、俺も協力したくなって」
「私のことは、美咲で良いですよ」
その一言に、誠一は一瞬、頭の中が真っ白になった。
いつのまにか、シルキーに引っ張られて美咲、と呼んでいることに気がついたが、後の祭りだった。それより今言われたことに心臓が信じられない速さで脈打ち始めていた。
今まで、誠一の人生でこんな風に女性から距離を詰められたことなど、一度もなかった。
「じゃあ……美咲さん、って呼びますね」
声が、自分でも分かるくらいに上ずっていた。
「はい。私も、誠一さんと呼びますね」
そう言って美咲が浮かべた笑顔は、誠一がこれまで見てきた中で、一番柔らかいものだった。目元が緩み、口角が自然に上がり、そこに作り物めいた愛想笑いの気配は一切なかった。
***
それから、二週間前に七割ほど進んで撤退した迷宮の続きへ、二人は向かった。
前回撤退した地点からの再開だったが、勝手知ったる道のりのおかげか、探索のペースは思いのほか順調だった。
木々の隙間から差し込む光が、細かい模様を地面に落としている。迷宮の最下層まではもう遠くない、そう感じた矢先だった。
「……多いですね」
慎重に足を進めていた誠一は眉をひそめた。木立の奥、開けた窪地に、体格の良いオークの群れが屯していた。数えるだけで十五体はいる。
「これは、まともにぶつかると時間かかりますね」
「私のカードで数を減らします」
美咲がそう言うと、クーシーとヒッポグリフ、ケットシーを横並びに展開した。誠一はボアオーク前衛を任せ、その巨体を壁にしつつ前へ出た。
「妖狐、相手の気を散らして」
美咲の妖狐の詠唱が響くと、オークの群れの動きに、目に見えて精彩を欠くものが混じり始めた。足元に青い炎が薄く立ち上がり、群れ全体に薄く広がっていく。
「ハイコボルト、召喚して待機」
「任せろ!」
ハイコボルトが元気よく手を上げ、眷属のコボルトを召喚する。数の多さで押し寄せるオークの前に、小柄なコボルトたちが壁のように立ち塞がった。
勢いよくオークの群れに飛びかかった二人のカードたちだが、戦闘は想像以上に長引いた。一体一体の体力が高く、なかなか数が減らない。ボアオークが斧で攻撃を受け止め、美咲の獣たちが側面から削っていくものの、十五体という数の暴力の前では、思うようにペースが上がらなかった。
「……思ったより硬いですね」
美咲の声にも、僅かな焦りが滲む。
その時だった。
〈誠一、後ろ!〉
後衛で背後を警戒していたシルキーから鋭い声が頭に響いた。振り返ると、木々の合間を縫うようにして、灰色の毛並みをした狼の群れが猛烈な速度で迫ってきていた。
ハイウルフ。オークの集団戦に気を取られている隙を、まんまと突かれた形だった。
「しまった……!」
誠一は舌打ちした。前方のオークに集中するあまり、後方への警戒が完全に疎かになっていた。
「美咲さんはそのまま前を抑えてください!」
反転してすでに駆け出していた誠一は通り過ぎざまに美咲に声をかけつつ、コボルトたちを連れて背後回った。
「ハイコボルト、眷属を使って時間を稼いでくれ」
「わ、分かった!」
ハイコボルトが慌てて眷属のコボルトを追加召喚するなか、リビングアーマーを纏った誠一が、迫るハイウルフの群れへと突撃する。
飛びかかってきた先頭の一体を中段蹴りの一撃で息の根を止めた。軸足はそのまま回転し、体勢を立て直したところに左右から同時にハイウルフが襲いかかってくる。
リビングアーマーを装備した誠一はカードの持つ本来の戦闘力を発揮することができる。軽い動きで繰り出した拳と蹴りを受けるだけで、戦闘力の劣るハイウルフは弾き飛ばされて瀕死の状態だった。
さらに追い打ちをかけるようにシルキーのバフが誠一を包みさらに殲滅スピードが上げていく。
前方では、美咲がカードたちを巧みに操りながら、オークの群れを着実に減らしていた。
最後に誠一の撃ち漏らしを抑えていたコボルトに噛み付いていた個体を踏みつけて仕留めた。
十数分の激しい応酬の末、ようやくオークとハイウルフの両方を殲滅し終えると、誠一と美咲はため息を吐いた。
「……少しびっくりしましたね」
「はい……正直、俺一人だとちょっと危なかったかもしれないです」
誠一は肩で息をしながら、苦笑した。
「気配察知とか、警戒役がいないのは少し恐いかも」
「私も妖狐の直感だけじゃ、限界があります」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑いを浮かべた。
「これは、次からの課題ですね」
「はい。……でも」
誠一は周囲のカードたちを見渡して、主部屋へと続く道の先を見据えた。
「二人だったら大抵の危険は大丈夫だと思います」
「はい。私もいつも一人だったので誠一さんがいてくれると心強いです」
美咲が力強く頷き、二人は改めて気を引き締めた。
***
主部屋は木々が生い茂った森の中だった。森の最奥、開けた岩場に辿り着くと、待ち受けていたのはDランクモンスターで戦闘力だけで言えば最上位のモンスター――ドラゴネットだった。全身を覆う硬質な鱗が、鈍く光を反射している。
「ボアオーク、動きを止めてくれ」
ボアオークにリビングアーマーを装備させて、盾を構えさせる。ドラゴネットが低く唸り、地面を蹴って距離を詰めてきた。
「来る!」
美咲の声と同時に、竜の尾が横薙ぎに振るわれた。ボアオークが盾を斜めに構えて受け止めると、金属と鱗がぶつかり合う重い音が、岩場に響き渡った。衝撃で足元の地面が軽く抉れる。
「クーシー、ケットシー、右から! ヒッポグリフは上空を抑えて!」
美咲の指示が矢継ぎ早に飛ぶ。獣たちが素早く展開し、ドラゴネットの側面を取り囲んでいく。ヒッポグリフが翼を広げて舞い上がり、竜の頭上をぐるりと旋回し始めた。
上空からの奇襲を警戒してか、ドラゴネットの視線が時折、苛立たしげに上へと向く。空を塞がれたことで、逃げ場を失ったドラゴネットは、必然的に地上の敵と正面から向き合わざるを得なくなっていた。
地上では、美咲の犬猫コンビが左右に大きく展開し、ドラゴネットを扇状に囲んでいく。上を抑えられ、左右を固められ、正面にはボアオークの壁――誠一たちの陣形は、着実にドラゴネットの逃げ道を塗り潰していた。
「シルキー、回復とバフを」
「はい」
詠唱に合わせて、淡い光がボアオークを包んだ。成長限界に達しているボアオークは、リビングアーマーを装備することで戦闘力だけで言えばドラゴネットと互角だと思うが、見たところ一撃でHPを削られたように見える。迷宮主として攻撃力がかなり加算されているようだ
戦闘力差で壁にもならないハイコボルトは誠一と美咲の近くに待機させて、眷属のコボルトを誠一と美咲の周囲に配置していく。
ドラゴネットの尾が再びボアオークの盾を打ち据える。装備化スキルで底上げされたボアオークの防御は、その一撃をしっかりと受け止めていたが、二撃、三撃と続くうちに、少しずつ後方へと押し込まれ始めていた。
「妖狐、援護を!」
美咲の声に応え、亜麻色の狐が短く鳴くと、竜の足元に淡い炎が渦を巻いて立ち上った。ドラゴネットが意識を逸らし、僅かに動きが止まる。上空のヒッポグリフが、その隙を見逃さなかった。
「今!」
ヒッポグリフが急降下し、鉤爪でドラゴネットの首筋を切り裂いた。返り血が飛び散る中、地上に控えていたケットシーが素早く懐に潜り込み、追撃を加える。空と地上、双方からの連携に、ドラゴネットの動きは目に見えて鈍り始めていた。
「みんないい感じ!そのペースで慎重に」
シルキーの回復魔法が、消耗し始めていた前衛の生命力を補い続ける。誠一は息を詰めながら、状況を見極めていた。ドラゴネットの動きが、明らかに精彩を欠いていた。
〈押し込め!〉
誠一の念話に、ボアオークが反応してくれた。ドラゴネットの一瞬の隙をついて、盾を前面に構え直し、体ごとぶつかるようにドラゴネットへと突進した。鈍い衝撃音と共に、竜の巨体が大きく後方へと吹き飛ばされる。
そこに、上空で待ち構えていたヒッポグリフが、真上から急降下した。翼を畳んだその姿は、まるで一本の矢のようだった。
鋭い鉤爪が、無防備になったドラゴネットの背中へと突き刺さる。
「終わりです!」
竜の巨体が、光の粒となって空気に溶けていく。後に残ったのは、宝箱と一枚のカードがあった。二人はほぼ同時に、大きな声を上げていた。
***
美咲が先にカードを拾い上げ、誠一に差し出した。
「これ、誠一さんのカードにしましょう」
「え!」
誠一が驚いて聞き返す。
「ハイコボルトの件もありますし、誠一さん、まだDランクカード三枚ですよね。私が持つより、誠一さんが持った方が効率が良いと思います」
「あ、ありがとうございます。……じゃあ、代わりに、他の報酬は美咲さんのものにしてください」
「いえいえ、ドラゴネットはハイコボルトのお礼なので、他の報酬は約束通り分割しましょう」
「いや、それだと釣り合ってないので、お願いだから美咲さんのものにしてください」
「いえ、そういうわけには」
「本当に、大した価値のあるカードじゃないので」
「そんなことないですよ。誠一さんのために倒したカードなんですから」
「いや、でも」
真剣な押し付け合いは、傍から見ればどちらも一歩も引かない様子で、しばらく続いた。誠一は本気で困っていた。譲るべきだと分かっていながら、なぜか意地になっている自分にも気づいていた。
不意に、美咲が声を上げて笑い出した。
「ふふっ……あはは」
「え……?」
誠一が困惑していると、美咲はお腹を抱えるようにして、しばらく笑いを止められない様子だった。
「ご、ごめんなさい。誠一さんが、あんまりにも必死だから」
「そんな、真剣な話を……」
言いかけたところで、頭の中に綾の声が響いた。
《誠一のこと、可愛いと思ったんじゃないかな。好印象ってことだと思うよ》
その言葉に、誠一の顔が一気に熱くなった。褒められているのか、笑われているのか、自分ではもう判断がつかなくなっていた。
「わ、笑わないでくださいよ」
思わず拗ねたような口調で言うと、美咲はさらにおかしそうに肩を震わせながら謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
言葉とは裏腹に、まだ笑いは収まっていなかった。目の端に、笑いすぎて滲んだ涙が光っている。それでも懸命に呼吸を整えながら、美咲は続けた。
「誠一さんって、面白いですね」
「それ、褒められてるんですかね……」
誠一は釈然としないまま、頭を掻いた。だが、その困惑した表情を見て、美咲はまた小さく吹き出していた。
しばらくして、ようやく笑いが収まった美咲は、目元を軽く拭いながら、まだ少し赤らんだ頬のまま息を吐いた。
「久しぶりに、こんなに笑いました」
その一言に、誠一は少しだけ誇らしいような、それでいて未だに何が正解だったのか分からないような、複雑な気持ちを抱えたままだった。