社会人だってリア充になりたい 作:アンドレアス
迷宮を出ると、辺りの空気はすっかり冷え込んでいた。
秋の終わりの気配は、もうほとんど消えかかっている。木々の梢を撫でる風には、冬の始まりを予感させる冷たさが混じっていた。吐く息が、うっすらと白く色づいている。
誠一はタクティカルベストを隠すように着ているコートの襟を軽く立てながら、隣を歩く美咲の横顔を、そっと盗み見た。
(今日、いつもより、仲良くなれた気がするな)
具体的に何が変わったわけではない。それでも、名前で呼び合うようになったこと、カードを巡って本気で言い合ったこと、そして美咲があんなふうに屈託なく笑ってくれたこと――そのどれもが、誠一の中で記憶に焼き付いていた。
***
「ギルド、寄っていきましょう」
美咲がそう言って、Eランク迷宮の近くにある船橋駅前のギルド支部へと足を向けた。誠一も後に続く。
ギルドの中は、平日の夕方ということもあり、それなりに人の出入りがあった。カウンターでは冒険者登録の手続きをする学生らしき青年の姿があり、奥のカードショップコーナーでは、何人かの利用客が端末を覗き込んでいる。壁際のモニターには、学生限定のモンスターコロシアム。学生トーナメントのテレビ放送の広告が流れていた。
二人は端末の前に並んで立ち、コボルト系のランクアップ先であるDランクカードを検索した。条件を指定して検索した結果、画面に表示されたのは、ローグコボルト、送り狼、クーシー、ライラプスの四種類だった。
「誠一さん!これ、良くないですか?」
美咲が指差したのは、送り狼のカードだった。
【種族】送り狼
【戦闘力】160
【先天技能】
・送り狼:主人に付き従い、周囲の危険を察知する。主人が危険に晒された場合、通常以上の速度と戦闘力を発揮する。
・夜目:暗闇の中でも昼間と変わらない視力を持つ。
・追跡:一度覚えた対象の匂いを辿り、長距離を追跡することができる。
【後天技能】
「もし、誠一さんのハイコボルトが罠解除のスキルを覚えたらこの送り狼にランクアップさせることにします。」
「いいですね!罠解除と合わせて今回、課題になったバックアタックの解決にもなりますし」
端末で相場を確認すると、250万円だった。今回のEランク迷宮の収入が60万円程度の折半だったが、美咲には資金的な余裕があるのだろうか。
誠一は仲良くなれたと意識する一方で、坂上や蒲生に感じた住む世界の違いが美咲との間にもあるのかもしれないと不意に不安になった。
その後、カードショップの棚に並んだ他のカードや掘り出し物のカードがあるか何気なく眺めていた。するとシルキーのランクアップ先としてCランクモンスター、アマルティアが売りに出されていた。
しかもそのカードは、マイナススキルである零落せしものを持っていることから、相場よりも安い五千万円で売りに出ていた。
誠一には一生かかっても手が届かないであろう金額に検討する余地もなくすぐに諦めて、別の不人気のDランクモンスターを探した。
美咲のデッキと比べて明らかに劣っている自分の戦力に焦りを感じていたが、貯金が百万円程度しかない誠一には手が出るカードがあるはずもなかった。
時刻を確認すると、いつの間にか十八時を回っていた。ちょうど夕食にいい時間だった。
「よかったら、装備をギルドに預けて、この後、ご飯にしませんか?」
美咲の提案に、誠一は思わず表情を明るくした。
「ぜひ、俺も行きたいです」
「迷宮帰りだと服装、あんまりお洒落じゃないから食事に行きにくいですよね。でも、今日はギルドで荷物を預けてから行きましょう」
さりげない一言だったが、誠一は胸の内側が温かくなるのを感じていた。以前、自分から誘った時に抱えていた後ろめたさを、美咲が覚えていて、それをこうしてフォローしてくれている。
「はい、行きましょう」
誠一は、また、美咲との距離の感覚に悩みが頭をよぎるがリア充してるという実感が湧いて心の中はどうしようもなくうきうきとしていた。
荷物を預けてからギルドから歩いて数分の場所にある、個室のある居酒屋に、二人は落ち着いた。
通路を挟んで並ぶ個室は、木目調の壁と格子戸で仕切られている。照明は少し落とされていて、天井から吊るされた小さなペンダントライトが、各テーブルを柔らかく照らしていた。
洒落た雰囲気ではあるものの、肩肘張るほどではない。学生や仕事帰りの会社員でも気軽に入れる、そんな絶妙な気安さがあった。
誠一は座布団に腰を下ろしながら、こういう店に女性と2人で来るのは初めてだと、場違いなことを考えていた。
「乾杯しましょうか」
美咲がグラスを掲げる。誠一もそれに合わせた。
「「お疲れ様でした!」」
二人の声が重なり、軽く触れ合ったグラスの音が、狭い個室に小さく響いた。
「今日、ドラゴネット手に入ったの、幸運でしたよね」
ビールグラスを机に置くと、美咲が思い出したように言った。
「俺もびっくりしましたよ」
「Dランクってドロップ率一割くらいですよね。それでDランクカードでも最上位のモンスターが手に入るなんて」
「全部美咲さんのおかげです」
誠一は改めて、今日という幸せな日に感謝の念を抱いた。
料理が運ばれてくるまでの間、誠一はふと、これまであまり聞いてこなかったことを尋ねてみようと思い立った。今日、名前で呼び合うようになったことが、そんな踏み込んだ会話への後押しになっていた。
「そういえば、美咲さんって、なんで冒険者になったんですか?」
以前にも同じ質問をしたことがあったが、あの時は「身内に勧められて」という、あっさりとした答えしか返ってこなかった。今なら、もう少し深いところまで聞けるかもしれない。そんな予感があった。
美咲は、少しの間考えた様子で視線を一度、手元のグラスに落とす。氷が溶けて、透明な水滴が表面をゆっくりと滑り落ちていった。
「……ちゃんと話したこと、なかったですね」
「無理にとは言わないです」
「ううん、話します。誠一さんには」
美咲は水を一口飲んで、話し始めた。
「私の両親、星母の会に入ってるんです」
「え……」
誠一が息を呑む。冒険者になってから、その名前は何度か耳にしていた。カードやモンスターに対して、独特の思想を持つ団体だという程度の知識しかなかったが、そこに美咲の両親が関わっているとは思わなかった。
「もともと、真面目な人たちだったんです。父は普通の会社員で、母も専業主婦で。仕事引退してから、少しずつ、様子がおかしくなっていって」
美咲の声は、淡々としていたが、その裏にある重さは、誠一にも伝わってきた。
「モンスターカードとか、迷宮のこととか、以前は全然興味なかったのに、急に熱心に語るようになって。……星母の会の集まりにも、頻繁に顔を出すようになりました」
「それって……」
「多分、徐々に洗脳されたんだと思います。世界が終わるかもしれないっていう話に、それで、カードに縋りたくなる気持ちも、分からなくはないんです。でも」
美咲は一度言葉を切って、少し苦しそうな表情を見せた。
「私から見ると、なんだか、カードそのものに、魅入られてるみたいで。会話の中に、やたらカードの話ばっかり出てくるようになって。両親らしくない感じが、ずっと引っかかってて」
誠一は、何と言葉を返せばいいか分からず、ただ黙って耳を傾けていた。店員が新しい皿を運んでくる足音が、遠くから近づいて、また遠ざかっていった。
「それで、私も、自分の目でちゃんと確かめたいと思ったんです。アンゴルモアが本当に起きるかもしれないなら、自分でも備えておきたいって。両親を見てると、他人事とは思えなくなって」
「それで、冒険者に」
「はい。……重い話しちゃってすみません」
「いえ、全然」
誠一は首を振った。ずっと気になっていたことの答えを、ようやく聞けた気がした。
「じゃあ、誠一さんは?」
今度は美咲が聞き返してくる番だった。誠一は少し考えてから、口を開いた。
「俺は、凄く単純な理由です。大学の時、なんとなく友達ができたら良いなと冒険者サークルに入って、先輩からボアオークのカードをレンタルして、最初にドロップしたEランクカード――ブラウニーだった頃のシルキーが、俺の初めて自分で手に入れたカードで」
「大学時代からの付き合いなんですね」
「はい。もう、けっこう長いです」
誠一は、少し照れくさそうに続けた。
「実家は、岩手なんです。兄貴が一人いて、地元で働いてます。家族は堅実なんですけど、俺だけ東京の方に出てきて、こんな仕事してますけど」
「岩手……遠いですね」
「はい。年に一、二回帰るくらいです。両親とは、そんなに頻繁に連絡取ってるわけじゃないんですけど、たまに電話すると、普通に近況報告し合う感じで」
「仲は悪くないんですね」
「悪くはないです。ただ、近くもない、みたいな。適度な距離感で」
美咲は小さく頷いた。頬は、注いだ酒のせいか、ほんのりと赤みを帯びている。その色づいた頬と、少しとろんとした目元が、誠一の目には無性に可愛らしく映った。
(可愛いなぁ……)
改めて見ると、美咲は誠一よりも頭半分ほど背が低い。百六十センチ前後だろうか。胸元は控えめだが、すらりと伸びた首から肩のラインが、綺麗な曲線を描いている。誠一はもともと、そういう部分より、丸みのある腰回りの方に目が行くタイプだった。迷宮探索の時のパンツスタイルも嫌いではないが、今日のようにスカートに着替えた美咲を見ると、また違う魅力があるのだと気づかされた。
「誠一さん?」
「あ、いえ、何でもないです」
見惚れていたことに気づかれないよう、誠一は慌てて視線を逸らした。
「私の家族とは、また違う感じですね」
「そうかもしれないです」
会話が一段落したところで、追加の料理が運ばれてきた。湯気の立つ煮物と、揚げたての唐揚げ。誠一は箸を伸ばしながら、ふと、もう一つ聞いておきたいことを思い出した。
「あの、仕事の話なんですけど、美咲さんはどんな仕事をされてるんですか?」
「ミツバ商事の子会社なんです。冒険者向けの人工魔道具の販売とか、流通とか、そのあたりを扱ってて」
「へー。迷宮に関わるお仕事なんですね」
「はい。大学のゼミで迷宮の研究してたので自然と。私は事務方なので、直接商品を扱うわけじゃないんですけど、業界の動きは自然と耳に入ってきます」
「大手企業で自分のやりたい仕事ができてるの素敵ですよ」
「ありがとうございます。誠一さんは何のお仕事をされてるんですか」
恥ずかしいのか、美咲は話を逸らすように誠一に話題をふった。
「俺は営業の仕事です。工場とかのルート営業が主な仕事です。色んなところに出かけられるのは楽しいですけど、固定残業代の制度で、頑張っても頑張らなくても、給料あんまり変わらないんですよね」
「それは、モチベーション下がりそうですね」
「下がりますね。……でも、お客さんの話を聞いてると世間ではよくあるブラック企業なのかなって諦めました」
誠一が苦笑すると、美咲もつられて笑った。
***
酒が進むにつれ、美咲の言葉づかいが少しずつ砕けたものになっていった。誠一は緊張からかそこまで酔ってはいなかったので、そのことに気がついていたが、美咲に合わせて意識的に敬語をやめるようにしていた。でも、その変化が心地よく、誠一は不思議なほど自然体で喋れている自分を感じていた。
「そういえば、誠一さんにとってシルキーさんって、どういう存在なの?」
不意に、美咲がそう聞いてきた。誠一は一瞬、答えに詰まった。
「……正直に、話してもいい?」
「うん」
「シルキーは、俺にとって、モンスターカードっていうより……家族みたいな存在なんだ」
言い切ってから、誠一は美咲の反応を窺った。嘘ではないが本当でもない。シルキーとは恋人みたいな関係であると思っていたが、美咲の両親がカードに傾倒していることを知った今、それを軽々しく口にする気にはなれなかった。
「男子校出身で、女性と話すの、昔から苦手で。会社では気を張ってばかりで、休日も、誰かと過ごすことなんてなくて。……寂しかったんだと思う。それで、シルキーに、彼女みたいな役割を、求めてしまったところがあって」
「……そうだったんだ」
「引くよね、こんな話」
誠一が自嘲気味に言うと、美咲は静かに首を振った。
「引かないよ。人それぞれ、寂しさの埋め方って、違うと思うから」
その言葉に、誠一はどこか救われたような気持ちになった。
「今は、どうなの?」
美咲がふと聞いてくる。
「今は……」
誠一は言葉を選びながら、正直に答えた。
「今は、美咲さんと出会って、自分でも現実の方をちゃんと大事にしなきゃなって、気持ちが傾いてる」
言い終えた瞬間、誠一の心臓が大きく跳ねた。誤魔化さずに、そのまま口にしてしまった。
美咲は少しの間、黙って誠一を見つめていた。その表情の変化を、誠一は読み取ることができなかった。
「……そっか」
短い相槌だけが返ってきた。誠一はその一言の裏に、何が隠れているのか分からないまま、それ以上踏み込むことができなかった。
***
食事を終え、店を出ると、外はすっかり夜になっていた。冷たい風が、二人の間を通り抜けていく。街灯の光が、道路に長く伸びた二人の影を照らしていた。
「今日、色々話せて良かったです」
美咲がそう言って、微笑んだ。敬語に戻ったその声に、誠一はほんの少しだけ寂しさを覚えたが、口には出さなかった。
「俺もです。……美咲さんのこと、前よりだいぶ、分かった気がします」
「誠一さんのことも」
駅までの道を、二人はゆっくりと並んで歩いた。誠一の頭の中には、先ほどまでの会話が、まだ鮮明に残っていた。
美咲の抱える不安。星母の会に呑まれていく両親を見て、それでも自分は自分の足で立とうとしている強さ。誠一自身が晒け出した、シルキーとの関係。
そのすべてを共有し合った後、誠一の中に残っていた、どこかぼんやりとした不安――美咲との間に、越えられない何かがあるのではないかという気持ちが、少しなくなっていた。
代わりにあったのは、もっとはっきりとした感情だった。
(好きだ、この人のこと)
自覚した瞬間、誠一の心臓が大きく跳ねた。今すぐにでも、その気持ちを言葉にしてしまいたい衝動に駆られた。
改札の前で、美咲が足を止めた。
「今日、ありがとうございました」
「……こちらこそ」
言葉が、喉の奥で止まっていた。今なら言える。今しかないかもしれない。そう思うのに、誠一の口からは、それ以上の言葉が出てこなかった。
「じゃあ、また」
美咲が軽く手を振って、改札の向こうへと歩き出す。
「……美咲さん」
誠一は思わず声をかけた。だが、その言葉は、ホームに流れる電車到着の音楽にかき消されたのか、美咲の耳には届かなかった。
振り向くこともなく、美咲の背中は人混みの中に消えていった。
誠一はその場に立ち尽くしたまま、小さくため息をついた。
「……シルキーに、また怒られるな」
誰にともなく呟いた声が、駅の喧騒に静かに紛れて消えていった。