永劫の探索者 ~如何にして私は邪神と戦う事を決意したか~   作:名無しのレイ

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HPに乗せていた小説をこちらに移行することにしました。
よろしくお願いいたします。


第一話-アンドルー・フェランの遭遇-

―――邪悪は撃ち破られる。何度でも何度でも。永遠に永遠にだ

そして人々は想うのだ。ああ、これが正しい物語なのだと。

                          機神飛翔デモンベイン

  

「……はあ。」

 

安アパートの中、一人の青年が深いため息をついていた。

何故ため息をつくのかというと、今の彼は今困り果てていたのだ。

その悩みとは、今月の家賃や食費をどうやって払おうかという事だ。

彼の名前はアンドルー・フェラン。

ただの何の変哲もないごくごく平凡な青年である。

彼は気晴らしにベットの上に寝転がりペラペラと『サタデイ・レヴュー』をめくっていたが、ふとその中にある一つの広告に目がとまる。

何故か解らないが妙に心引かれるものがあったからだ。

 

『腕力あり有能かつ想像力に乏しい青年を求める。

これらに加えて秘書の仕事を果たせるものは以下の住所にこられたし。

金銭的利益になるやもしれない』

 

そして、その下には掲載人の名前がこう書いてあった。

 

「ラバン・シュリュズベリイ博士……?」

 

疑問はあったが、何よりその提示されていた金額は、金の無い彼にとっては極めて魅力的だった。

そして、この一文が気になった彼は指定された街へと向かっていった。

そこは魔都上海、霧と魔術の都ロンドンに次ぐ都市。

騒乱と絢爛、腐敗と煌びやかが同居する街、妖都アーカムシティ。

その街の外れにある小さな家だった。

時間はもはや薄闇が支配する時間。

何故か、異界のものの気配に敏感な夜鷹、ウィップアーウィルの泣き声が不気味に聞こえる場所だった。

何処と無く不気味に感じながらも、彼はそのこじんまりとした家のドアをノックしようとした時、

まるであらかじめ知っていたかのようにドアが内部から開かれる。

 

「あ、あなたは……。」

 

そこから姿を現したのは長身で筋肉質、壮年の雰囲気を纏わせたサングラスの紳士だった。

老年ではあるのだろうが、まったくそんな事を感じさせない若々しい雰囲気がその紳士にはあった。

その彼はフェランを見ると口元を笑いの形に作ると言葉を放つ。

 

「ああ。あの広告を見てきてくれた者かね。

ふむ、素質はありそうだが……。

始めまして、よろしく。私がラバン・シュリュズベリイだ。」

 

何やら謎めいた言葉を口にしながらも、極めて紳士的な対応で博士はフェランを招き入れる。

そこはほとんど何もないといっていいほどの部屋だった。

暮らしていると必ずあるはずの生活臭がほとんど感じられない。

恐らくは時々一人になりたい時や研究に浸るだけの時に来るだけの家なのであろう。

あるのはベットと机。そして何より目立つのは机の上にある大量の本と何やら書き込まれた紙。

そして、机の中央にある一冊の『書』だった。

ほかの人より勘が鋭いフェランは、その比較的新しい書から発せられるただならぬ雰囲気に圧倒されていた。

その書の表面には『セラエノ断章』と書き込まれていた。

博士はフェランの名前だけを聞いて、自己紹介を簡単にすませると彼を家の中に招きいれ、

コツコツと奥に進みながら自らもイスに座り、フェランもイスを座るように言いながらさらに言葉を続ける。

 

「あの広告が見えるのは『素質のある者』だけでね。

ほかの人間には何のたわいもない広告にしか見えぬはずだ。

すなわち、君には素質があるという事だよ。」

 

「な、何の……ですか?」

 

奇妙なラバン博士の言葉に思わずフェランは疑問を抱く。

素質とは何のことだろうか?

そんな疑問を持っているフェランに対して、ラバンはさらに言葉を続ける。

 

「魔術だよ。君にはある程度の魔術の素質があるという事だ。」

 

フェランは己の耳を疑った。

魔術?そんな物の素質が自分にあるというのだろうか?

何を言っているか理解できなかったフェランはなおもラバン博士に向かって問いかけを続ける。

 

「魔術って……手品の事ですか?」

 

「まあ、それはおいおい話していこう。

君は何かの格闘術の経験があるのかね?足運びや体裁きからそのように感じるのだが。」

 

ほんの少し会っただけでそこまで感じ取れるとは。

ラバン博士の卓越した眼力に関心しながらもフェランは博士の問いに答える。

 

「は、はい。ボクシングと柔道の心得なら。

特にボクシングはウィンフィールドという人から習っているので多少は自信があります。」

 

ちなみに、このウィンフィールドというのは覇道財閥という大富豪の執事を勤める人物の事である。

彼自身はブラックロッジの《小達人(アテプタス・マイナー》クラスの魔術師と対等に戦えるほどの超人的な戦闘能力を持ち合わせているが、

フェラン自身はウィンフィールドほど超人的な戦闘能力は持ち合わせてはいない。

せいぜい、『人間の範囲内での』熟練者という程度の腕前である。

まあ、何故彼がウィンフィールドに弟子入りするのかはこれで一つのドラマが出来上がるのでこれはとりあえず置いておこう。

それを聞いてラバン博士は興味深そうに一つうなづく。

 

「ほう、それは実に頼もしい。ちなみに言語の方は?」

 

「ラテン語とフランス語ならば大丈夫です。」

 

「ふむ、それならば実に好ましい。もちろん秘書としての仕事もあるが、それだけではなく実際に現場についてきてもらう事もあるが。」

 

そのラバン博士の言葉にフェランは疑問を抱く。

そう、単なる秘書や語学だけの仕事ならば腕力や格闘術は必要とはされまい。

格闘術が必要とされる場所とはどこなのだろうか?

 

「行くとは、どこにですか?」

 

「ペルー近く。空中都市マチュピチュの近く、かつて放棄されたと伝えられるサラブンコ要塞近くの古代遺跡だよ。」

 

それを聞いていぶかしげにフェランは応える。

確か博士は老古学の権威でもある。それならば遺跡探索を行うのも不思議ではないが、

何故自分がという疑問も浮かび上がる。

遺跡探索なら専門の人数をもっと大規模に連れていくはずだ。

多少格闘術と語学を学んでいるだけの自分を、それも一人だけ連れていくという事に何の意味があるのだろうか。

 

「あの、博士。聞きたい事があるのですが……。」

 

ぴくり、と何かに反応したかのように博士はドアへと顔を向ける。

そして、僅かに眉をしかめるとフェランに向かって異論を挟ませない力強い口調で話しかける。

 

「フェラン君。私はしばらく隠れている。

何者かがノックをし、私がここにいるか尋ねると思うので応える必要はない。

そのまま追い返してくれたまえ。」

 

それだけを言うと、彼はそのままスタスタと奥に入っていき、バタンとドアを閉める。

ぽつんと一人になってしまったフェランはしばし呆然としていたが、

やむをえず、よくわからないままに逆の玄関のドアを開ける。

その玄関の外にいたのは、とても人間とは思えぬ異様な存在だった。

コートとつばのついた帽子で全身を覆い隠した異様な人間。そして爛々と輝く瞳。

それだけでもうフェランの腰が引けてきてしまう。

 

「コ……ここニ……ラばん博士ハ……オラレますかナ……?」

 

擦れたような異質な声。

それは人間以外の生物が無理矢理人間の言葉を話しているような感じだ。

そして何より耐え難いのがその生臭い匂い。そして深い海の匂いだ。

海岸の匂いではなく、まるで深海からそのまま上がってきたかのような強い海の匂いである。

 

「う……嘘ダッ!いルはずだ……、ヤツは、ここニイルはずだッ!!」

 

ばさり、と彼の身を纏っていたコートが床へと落ちる。

その姿は異様なモノだった。

人間と魚が融合したような半人半魚。

容貌は奇怪なまでに両生類を連想させ、全身は硬く滑らかな鱗によって覆われている。

そして、その指は水掻きがあり、爪はまるで鋭いナイフのように鋭く尖っている。

―――深きものども。

邪神クトゥルーとその眷属ダゴンとヒュドラに仕える奉仕眷属。

彼らは人間の交配を好み、その血を受けた子孫はいかに血が薄かろうが少しづつ己も深きものどもへと変貌してゆく。

故に、彼らは人間社会に潜伏し、邪神のために人間の生贄をさらってきたりしているのだ。

 

「ギシャアアアアアッ!!」

 

思わずフェランの思考が停止する。

こんな生き物などいるはずがない。こんな化物などいていいはずがない。

そう、彼の中の常識は今壊されてしまったのだ。

そんな呆然としているフェランに対して、奇怪な咆哮を上げながら、その生き物は腕を振り上げ、その爪でフェランを引き裂こうとする。

いかにボクシングを習っているとは言え、ただの人間であり、しかもこんな化物を目の前にして冷静に対応できるはずはない。

呆然としているフェランに深きものどもは爪を振り下ろす―――。

 

「ヌ……ぐうううっ!!」

 

その時、奥の部屋のドアを叩き破り、ひゅおん、と空を切り裂きながら黄色いボロ布が飛び出し、

爪を振り下ろそうとした深きものどもへと巻きついてゆく。

その布は、奥から姿を現した老賢者、ラバン・シュルズベリイの服の裾から飛び出していた物だった。

 

「下がっていたまえ。フェラン君。」

 

呆然としているフェランにそう声をかけると、ラバンはさらにその布を強く引き寄せる。

魚じみた容貌の人間……いや、人間と蛙の融合の背徳的な存在は黄色いボロ布に拘束されていく。

顔のみならず胴体や腕までもが完全に拘束されていく。

ギリギリとさらに布が束縛する力が強まり、万力のようにその異形の生物を縛り上げる。

 

「ヒギャアアアッ!」

 

《岸辺に沿って雲の波の破れ

ふたつなる太陽が湖の彼方に没し

陰翳が長く尾をひくはカルコサの地……!》

 

老賢者の詠唱に応えるように、その黄色い布はさらに拘束力を増し、硬いはずの鱗に覆われているはずの表面に容易く食い込んでいく。

ブチリブチリと肉を引き裂く嫌な音が木霊し、ついにその黄色いボロ布は半漁人を容易く輪切りにする。

胴体や顔や足を輪切りにされたディープ・ワンズは汚い体液を床へとブチまけながら床へと転がり落ちる。

 

「やはりか。下がりたまえ。フェラン君。

上手くやり過ごせたらと思ったが、そうはいかぬようだ。」

 

「は、博士。これは……?」

 

ようやく精神的衝撃から立ち直ったフェランは何とか言葉を口にしながら、言われた通り後ろへと下がっていく。

それに応えるように、博士は前に進みながらもフェランに向かって応える。

 

「これが、我々の、いや、人類の戦わなければならぬ相手だよ。」

 

まるで闇を見透かすように、ラバン博士はそちらの方に顔を向ける。

そう、その怪物は一匹だけではなかったのだ。

暗闇の中、爛々と禍々しく光る瞳。

それらは数体の深きものどもの瞳である。

 

「ギ。キイェアアアアッ!!」

 

意外に俊敏な動きで家のドアから内部へと進入してくる深きものども。

彼らは不老だけでなく、手には鋭い爪も持っている。

その爪はまるで小型の鋭利なナイフそのものだ。

こんなモノで襲い掛かられたら並みの人間ならばひとたまりもなくズタズタの肉塊にされるだろう。 ……そう、相手が並みの人間ならばの話だ。

 

「吹き荒べ、究極の風よ!恐るべきハスターの声を聴くがいい!!」

 

吹き荒ぶ真空の刃。

空間自体を切り裂くその刃を防げるモノなどない。

硬い鱗に覆われた深きものどもと言えど、それは例外ではない。

凄まじい勢いで深きものどもの肉体を切り裂き、殲滅していく。

「ギ、ヒャアアッ!」

 

だが、それでも彼らは退かない。

数匹が真空刃に引き裂かれている間にも、他の数体が呪文を唱えた博士の隙を見計らって彼へと肉薄する―――。

 

「ふんぐるい、ふだぐんっ!!」

 

振るわれる鋭い爪。それは確かに博士を深々と引き裂く―――。

 

「ふむ、まだまだ甘いな。」

 

響き渡る博士の声。それと同時に深きものどもの顔面に博士のパンチが飛び、その顔面を砕き、眼球をブチ破る。

 

「ヒギャアアッ……。」

 

よくよく見ると引き裂かれたのは博士のコートだけだ。

彼の肉体には傷はついてはいない。

次の深きものどもの博士は鋭い体重の乗った回し蹴りで側頭部を蹴り砕く。

そして、深きものどもは全て倒れ付し、ぴくぴくと蠢く死体へと化す。

ズタズタに引き裂かれた深きものどもの死体の中。だがそれだけではなく家の床が小刻みに振動していく。

 

「む!これは……!!」

 

ズズズ、と床が小刻みに振動していく。

地震か、いやこんなタイミングでそれはない。

何かが地面を這いずりながらこちらへと進んでくるのだ。

その時に「てけり・り」「てけり・り」と何かの泣き声のような声がしたのは気のせいだろうか。

 

「なるほど、ショゴスとはな。

奴等もどうやら本腰を入れてこちらと戦う気になってきたようだ。

相手をするだけならば大した事はないが、また援軍がこられては厄介だ。引くとするか。」

 

「フェラン君。それを飲みたまえ。」

 

そういいながら、ラバン博士は手にした瓶をフェランに向けて投げつける。

そのガラス瓶の中の入っているのは自身が光を放っていると思えるほど眩い黄金の液体だった。

恐る恐ると、フェランは試験管のコルクを抜くと、口をつけてほんの少しだけ飲む。

それは蜂蜜酒だった。だが、ただの蜂蜜酒ではない。黄金の蜂蜜酒だ。

どんな美酒も年代物のいかなるワインも及ばぬほどの素晴らしい味だった。

焼けるような辛い味と極めて芳醇な香り。

だが、それを楽しんでいる余裕はない。

博士は手早く、何かの書類が入っている大きなカバンと、奇妙な感じを受ける一冊の書物を脇に抱えていた。

その書の名前は先ほども見た『セラエノ断章』と銘打たれている本である。

 

「……え?」

 

一瞬、フェランは己が目を疑う。

うっすらとだが、その本に重なるようにして、半透明な神秘的な美少女がいるように見えたのだ。

『彼女』は目を閉じてまるで眠り姫のように深い眠りについているように見える。

だがそんな事にも構わず、ラバン博士は小屋の外に出ると、自らも蜂蜜酒を口にし、

懐から奇妙な石笛を取り出して吹きながら異界の呪文を唱える。

 

「イア!イア!ハスター! ハスター クフアヤク ブルグトン

ブルクトム ブグトラグルン ブルグトム アイ! アイ! ハスター!」

 

瞬間、彼の手にしていた『書』が変形を起こす。

パラパラと自動的にページが捲りあがり、それがしだいに巨大化していく。

それのみでなく表面が金属化し、ガシン、ガシンと未知の金属で出来た部品が組合わさっていき、

まるで金属でできた巨大なエイのような機体が完成する。

それは魔と機械の融合体、魔翼機バイアクヘーである。

 

「乗りたまえ。ここから早く立ち去るぞ。」

 

その奇妙な物体の上に乗りながら、博士はフェランを手招きする。

あまりの異常自体の連続についていけず、放心状態のフェランはそれでも何とか博士に対して質問をする。

 

「ど、何処にいくんですか?」

 

その問いかけに、博士はニヤリと笑うと言葉を続ける。

 

「決まっているだろう。ミスカトニック大学だ。」

 

―――そうして、バイアクヘーは空中を飛翔していった。

 

 

―――ミスカトニック大学。

アメリカ合衆国マサチューセッツ州アーカムシティに存在するその大学は、

表面上は普通の大学であるが、その裏では魔術師を養成する隠秘学科が存在し、

その内部では様々な禁忌の魔導書を収める秘密図書館も存在する。

何を隠そう、ラバン博士もここで魔術師としての教鞭を取っていたりしていたのだ。

バイアクヘーから降りたフェランとラバン教授は、その大学のシンボルである巨大な時計塔を目指して足を進めていた。

 

「ラバン博士。一体ここで何をするんですか……?」

 

「何、これから我々が行く所に対する準備だよ。

これから我々が行く場所は極めて堅固な要塞なのでね。

こちらも無防備という訳には行かないのだ。

それなりの準備が必要だ。」

 

そう話している間に大学の入り口へと到達する彼ら。

そんな彼らを待ち受けているかのように、入り口には一人の老紳士の姿があった。

老年の彼こそがアーミティッジ博士。

かつてダンウィッチの怪の際、ヨグ=ソトースの血を引くウェイトリー兄弟を神秘的な手段で葬り去った老魔術師である。

彼は手にしたラグビーボールほどの大きさで、表面に奇妙な魔術的文様が施された円筒をラバン博士に渡す。

 

「いつもすまんなラバン博士。

これがイブン・ガズイ粉薬の納められた魔導器じゃよ。

魔導理論も組み込んであるため、こいつから放たれる衝撃波であればいかに堅固な《門》であろうが一撃で閉じる事ができるじゃろう。」

 

「なに、それが仕事さ。

これはありがたく受け取っておくとするさ。」

 

それを受け取りながら、ラバン博士は今度はフェランの方に向かってこう呟く。

 

「さて、これだけでは準備が足りないのでね。

次の準備は君に色々教えねばならぬのでね。 一応言っておくが、逃げるのなら今のうちだが、どうするかね?」

 

長い沈黙。正直、すぐにでもこの場から逃げだしたい気持ちだった。

あの怪物どもと係わり合いになるなどごめんだ。

……だが、同時にフェランは悟っていた。

知ってしまった以上、アレから完全に逃げる事などできないのだと。

果てしなく長い沈黙の中、意を決したかのようにフェランは言った。

 

「―――教えてください、博士。あなたの知っている全ての事を。」

 

「そうか。ならば、授業を始めるとしよう。」

 

―――それからしばらく、ラバン博士による魔術の授業が始まった。

それはあまりにも慄然たる知識。絶対的宇宙の恐怖。忌まわしき邪神の存在。

それらの前では人類など塵芥にすぎぬという事。

だが、それでもフェランは発狂したり逃げ出したりはしなかった。

あの邪悪。あの忌まわしい邪悪はすでにフェランの脳髄に焼きついてしまったのだ。

 

博士は様々な先行人類の言語や、異界の邪悪な知識を書きとめた様々な魔導書『ネクロノミコン』や

ダレット伯爵の『屍食教典儀』『ナコト写本』『エイボンの書』

フォン・ユンツトの『無名祭祀書』などの引用を利用し旧支配者について言及した。

特に博士がフェランに対して教えたのはネクロノミコンの177ページの一文だった。

 

『魔女、悪鬼に対して身の護りとなるもの、深きものども、ドール、ヴーアミ、トゥチョ=トゥチョ人、

忌まわしきミ=ゴ、ショゴス、ガースト、ヴァルーシア人、並びに旧支配者及びその落とし子に仕える同様の人種、

はたまた生物に対して身を護るものは、古代ムナールの灰白色の石より刻まれたる五芒星形の内にあるも、

こは旧支配者に対しては力足らざり。

この五芒星形の石を所有する者、戻る道なき源にまで飛び、歩み、這い、泳ぎ、忍びゆくなべての生物を意のままにすることを得ん。

ルルイエにてもイヘエにても、ヨスにてもイハ=ントレイにても、ゾティークにてもユゴスにても、クン=ヤンにてもンカイにても、

ハリの湖にても凍てつく荒野のカダスにても、イブにてもカルコサにても、五芒星形その力を発揮したり。

しかれども星が弱まり冷え込みし時、太陽が消え星の空間広がりし時、なべての力も弱まらん。

五芒星形の力も、恵み深き旧神によりて旧支配者に課されし呪文の力もこの例にもれず。

かかる時、かつての時と同じ時訪れ、次の聯句が立証されん。

 

そは永久に横たわる死者にあらねど

測り知れざる永劫のもとに死を越ゆるもの』

 

この一文である。

何でも、これは旧支配者の眷属から己の身を護るムナールの五芳星石の事を意味し、

この呪文と併用する事により防御呪法『旧き印』が発動できるらしい。

特に博士はフェランに対してこの呪文を徹底的に覚えこませた。

何でも、彼の属性はこの呪文に向いているのだとか。

 

しかし、博士の指導はそれだけではない。

魔術だけではなく、格闘術も徹底的に叩き込まれた。

元々ウィンフィールドに指導を受けている彼は良い素質を持っていたが、それでも博士の格闘術の指導についていくのは骨だった。

精神的にも肉体的にも厳しく指導される毎日。

そして、それだけではなく、バイアクヘーであちこちに飛んでいって、様々な人々に話を聞いたり魔導書を読んだりしてちゃくちゃくと準備を整えつつあった。

ここではフェランの身に着けた語学が役に立つことになった。

―――そして、数週間がたった。

 

「……ふむ、やはり君は筋がいい。

基礎は一通り叩き込んだ。後は君次第だ。

同じ魔術とはいえ、それを扱うもの属性(タイプ)、位階(レベル)能力(アビリティー)により、魔術はそれぞれ変化が生じるものなのだ。

後は君自身が自分自身のやりやすいように魔術を行えばいい。」

 

そういいながら、博士はフェランに対して小さい五芳星と炎に燃える塔が刻まれた丸い石を手渡しする。

 

「後は君にはこれを渡しておこう。これはムナールの灰白石だ。

これをかざしてある呪文を唱えれば自らの身を守る結界を構築できるはずだ。

『魔女、悪鬼に対して身の護りとなるもの、深きもの、ドール、ヴーアミ、トゥチョ=トゥチョ人、

忌まわしきミ=ゴ、ショゴス、ガースト、ヴァルーシア人、並びに旧支配者及びその落し子に使える同種の人種、

はたまた生物に対して身を護るものは古代ムナールの灰白色の石より刻まれたる五芳星の内にあり!!』とね。

そうすれば自分の身を護る事ができるはずだ。後はこれも渡しておこう」

 

さらに手渡したのはバイアクヘー召喚に必要な石笛と試験管に入れられた黄金の蜂蜜酒だった。

おそらくは、何かあった時の逃走用としての手段としてだろう。

 

「はい、博士。それで行くべき場所は?」

 

「目指すべき場所はここだ。ペルーのマチュ・ピチュの近くだよ。

……サラブンコ古代要塞。忌まわしき者どもが住まい、魔術による結界と分厚い岩壁によって堅固に護られた要塞。

そして今回行くのはその前哨地。邪悪なる物達が人々に危害を与えんと企む前哨基地だよ。」

 

「さて、行くとするかフェラン君。邪悪を滅ぼしにね。」

 

 

―――ペルー、サラプンコ要塞とマチュマピュのちょうど間。

そこには遥か以前、巨大な花崗岩が積み上げられた巨大石の立ち並ぶ巨大な建造物だった。

遥か昔に建てられたその建物には、人間の姿はない。

それはそうだ。ここは人外達の本拠。

邪神クトゥルーを崇める邪神崇拝者達の邪悪が支配する前哨地へと変貌していたのだ。

 

今は深夜。

夜闇に紛れてその建物内へと進入していくのは、ラバン博士とフェランである。

警備は厳重ではない……というよりもまったくない。

当たり前だ。こんな所にわざわざ好んでくる人間などいない。

もしもいたとしても、邪神の生贄にされるだけの話である。

 

「ふむ、特に結界などは張られていないようだ。

よし、行こうか。フェラン君。」

 

それでも、フェランと博士は細心の注意を払いながら建造物へと進入していく。

この内部は人智を超えた奇妙なデザインの彫刻や、見るだけで吐き気と寒気を催す不気味な壁画に覆われていた。

 

「あまり見ない方がいい。狂気に囚われてしまうからね。」

 

そう忠告しながらも、フェランと博士は奇怪な彫刻と壁画に囲まれながらもさらに先に進む。

前へ、右へ、左へ、下へ、上へ。

斜めへ、真下へ、螺旋へ、異常な角度へ。

非ユークリット的な異界の方式で構成されたその建造物は、人間の感覚などいとも容易く捻じ曲げる。

このまま永遠にこの回廊をさまようのではないか。

フェランがそう危惧した時に、ようやく博士が声をあげる。

 

「どうやら着いたようだぞ。フェラン君。」

 

ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん

 

ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん

 

ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん

 

奇妙な言語の祈りが奥から響き渡ってきた。あれこそクトゥルーに祈る際の言葉。

意味は『ルルイエの館にて死せるクトゥルー夢見るままに待ちいたり』

ラバン博士から教えを受けたフェランは、その言葉の内容が理解できた。

そっと博士たち二人は奥を覗き込む。

そこで見たのは異様極まりない光景だった。

 

大きな五芳星『旧き印』が刻まれた大きな50mにもわたる《門》の前。

その前で、深きものども達が踊り狂い、あるいはひれ伏しながら一斉に異界の祝詞を捧げている姿だ。

そして、その中央には本を持った男の姿。立ち振る舞いからすると、彼がどうやらリーダーらしい。

巨大な門は、ほんの少しだけ開いており、そこからは異常な色彩の異界の光景が垣間見える。

これこそが、異界と現界を繋ぐ『門』である。

本来は『旧き印』によって封印されていた物が、恐らくは邪神崇拝者の手によって開封されてしまったのだろう。

そして、その門の隙間からは異常な触手の生えた巨大な肉塊がこちら側へと姿を現していた。

まだ完全には姿を現しきっていないが、もしあれが現れたらとんでもない事になるだろう。

 

「博士……。」

 

「うむ、このままにしてはおけんな……。

フェラン君。私がバックアップするので、君はその魔導器を門にセットしたまえ。」

 

フェランの手にあるのは、アーミティッジ博士から渡された特別製の円筒状の魔導器。

だが、問題はそれを妨害するように祈りを捧げている深きものどもだ。

 

「突っ切るしかあるまいな。

私が突破口を開こう。君はただ前に走りたまえ。

幸い、やつらにはまだ気づかれていないようだからな。」

 

そういいながらも、博士は小声で呪文を唱えながら、不意打ちをかけるため魔術を構成していく。

 

「発動せよ。我が魔導書『セラエノ断章』よ。」

 

ラバン博士が持っていた書がひとりでにぺらぺらとページがめくられ、表面や周囲に光り輝く魔術文字の列を形成する。

その書に眠る半透明の少女の姿が見えたのは気のせいだろうか。

 

「恐るべきハスターの声を聴き、狂おしい吹き荒びに耳を傾けよ―――。

吹き荒べ、究極の風!!」

 

魔風が吹き荒れる。それは全てのモノを滅ぼす邪神の爪。

今回は真空刃が捻じ曲がり、ドリルのような形になる。

そのドリル状の真空刃は回転しながら深きものどもを抉り、弾き、微塵へと返していく。

 

その隙に、フェランは爆薬を持ちながらただひたすら前に駆け出す。

目指すは門の端っこ。そこに彼は爆薬をセットするつもりだ。

そうはさせじと立ちふさがる深きものども。だが―――。

 

「邪魔だ!!」

 

フェランの魔力のこもった拳の右ストレートで一撃で頭部を粉砕される。

彼とて無為に過ごしていたのではない。

ラバン博士の薫陶を受けた彼は、未熟ながらも最早立派な邪神狩人なのだ。

今度は、片腕が無数の触手の深きものどもの一匹が、その無数の触手でフェランに対して攻撃を仕掛けてくる。

それに絡まれば人体など容易く引きちぎる威力を持った触手だ。

だが、フェランは、華麗なステップでそれを回避すると、左拳で相手にボティブローを叩き込み、さらに顎を下から上への鋭いアッパーで殴り飛ばす。

顎を吹き飛ばされながら、倒れる深きものども。

それにも関わらず、フェランはただ《門》へと疾走する。

そして、《門》にたどり着いたフェランは、魔導器を門へとセットすると、

そのまま走りながら手早く其の場所から離れる。

後はフェランの手にあるスイッチを押すだけで魔導器は発動する。

 

「フェラン君!早く魔導器を発動させたまえ!」

 

「おおっと、神聖な儀式を邪魔するのはそこまでにしておいてもらいたいものですなぁ……。ラバン博士。」

 

それは本を小脇に抱えた男の姿だった。

全身を黒に包んだ、闇夜に紛れるような感じのやせ細った男。

だが、その目にはどことなくいやらしい粘りつくような狂気の光を宿していた。

ラバン博士は一目で彼の正体を看破した。

魔術師。恐らくはそれが彼の正体なのだろう。

 

「始めましてですなぁ……。ラバン博士。

お目にかかれて実に光栄ですなぁ……。」

 

彼が手にする本は椰子の葉の太い繊維でできたパーチメントに書かれている本。

その本に宿されている異常な魔力は、これもセラエノ断章と同じく魔導書である証だ。

 

「む!その水妖の気……ルルイエ異本、いや、ポナペ島経典か!!」

 

ちなみに、ポナペ書経典とはA・E・ホーエイグという船長が

1734年頃南太平洋の探検中にポナペ島で発見し、アーカムに持ち帰った経典である。

ヤシの葉でできたパーチメントに書かれているらしく、ムー大陸に関する秘密が多く書かれているという。

これもれっきとした魔導書だが、ポナペと深きものどもとは密接な関係がある。

故に、この魔導書が水気を帯びても不思議ではあるまい。

 

「くくく、その通りですよ。博士。

私はA.E.ホーエイグという名なのですが……そうですなぁ……

『ドミティアヌス』とでも名乗っておきましょうかなぁ……。」

 

粘りつくようないやらしい声。

その奇妙に響き渡る声は人を不愉快にさせる不可思議な効果があったが、それにも関わらず博士は彼に問いかける。

 

「ふむ、ドミティアヌスとはな。ローマ皇帝でも気取っているつもりかね?

察する所、ダゴン秘密結社……いや、クトゥルー教団の魔術師といった所かね。」

 

「くくく……さすがは博士。敵いませんなあ……。

その通り、私はクトゥルー教団の内陣、いえ、《予備門(ポータル》の一員です。

私とこの魔道書には残念ながら、神の模造品、鬼械神を召喚する力はありませんなぁ……。

しかし!しかし!しかぁああしっ!

それでも!この私にでも!神と合一する手段はあるのですよ!

実に!実に素晴らしい手段が!!」

 

そんな風に恍惚と叫ぶ彼の背後から、門からはみ出していた肉塊が完全な形で姿を表す。

それは50mにも及ぶ巨大な無定形の粘質状の塊だった。

ぐちゃぐちゃと生理的嫌悪感を催す不快な音を出しながら、その肉塊はまるで巨大なタコのような形へと変貌していく。

その表面に一本の筋が浮かび上がり、そしてそれが左右に開く。

それは宇宙的悪意と忌まわしい嘲笑に満ちた一つの瞳だった。

一つ、二つ、三つ……百、千、億、兆、億、無数に分裂していく。

瘴気と神気が一気に膨れ上がる。

 

「まさか、これは……!!」

 

この存在こそ『クトゥルーの落とし子』

クトゥルーに使える奉仕眷族の中でも強大な力を誇る存在である。

その名の通り、クトゥルーから産み落とされた子供であり、いわば小さななクトゥルーそのものといえる存在である。

その力は、他のダゴンやヒュドラなどといった奉仕眷属などとは比較にならない。

 

「くっ……!吹き荒べ!究極の風よ!!」

 

再び空間自体を切り裂く、オリオン座から直接召喚される真空の刃。

ハスターの爪そのものであるその刃は確かに邪神の肉体を豆腐のように易々と切り裂く。

だが―――。

 

「くっ……。通じんか。」

 

   いかに全てを切り裂く邪神の爪とは言え、あまりにサイズが違いすぎる。

せいぜい、表面を深々と傷つけるだけにすぎない。

その有様を見て、ドミティアヌスはラバン博士を嘲笑する。

 

「はははは!無駄ですなぁ!哀れですなぁ!

実に!実に哀れですなあ!!

そう、人間など実に哀れで脆弱な生物なのですよ……。

だが!だがしかし!今こそ私は人間を超越する!

そう!模造の神を呼ぶのではなく、神と合一することによって!!」

 

  よくよく見ると、ドミティアヌスの両足は最早ゼラチン状の肉塊と融合している。

否、『食い尽くされて』いるのだ。

クトゥルーの異界の細胞自体が、ドミティアヌスの人間としての細胞を融合して食らい尽くしているのである。

己の肉体がクトゥルーの落とし子の細胞に食われながらも、

ドミティアヌスは恍惚とした表情を浮かべながら、魔導書を天空に掲げ、クトゥルーへの賛歌を詠う。

それを見て、彼の真意を知ったラバン博士は叫ぶ。

 

「まさか!『クトゥルーの落とし子』と一体化するつもりか!」

 

そうはさせじと真空刃を放つ博士。

だが、その刃はドミティアヌスをかばうように現れたクトゥルーの落とし子 の肉の壁によって遮られてしまう。

もはや胴体のみらず、首まで落とし子と融合したドミティアヌスは人間とは思えない言語で、恍惚とした表情を浮かべながら叫びだす。

 

「はha葉歯HAはは刃波!!!

実NI!!じツに!!素晴羅siいいいいいいっ!!」

 

その首すらもずぷずぷと完全に落とし子の肉体へと食い荒らされていく。

そして、その瞬間、落とし子の表面に異常な変化が現れた。

無数の目だけではなく、あちこちから一本の線が現れ、それが無数の口へと変化しだしたのだ。

 

「ルル衣江……。ルルいエ、フ他ぐン!!」

 

その無数の異常な口は一斉にクトゥルーへの祈願と唱えだす。

 

「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん!!」

 

そのあまりの異常で宇宙的恐怖と神気に遠くまで避難していたフェランまでもが、恐怖の叫び声をあげる。

 

「あ、ああっ……あああああああっ!!」

 

迸る絶叫。あまりの恐怖に魂が打ち砕かれる前に、

自分自身を護るために無意識に懐からムナールの灰白石を取り出し、ラバン博士から叩き込まれた魔術を彼は発動させる。

 

『魔女、悪鬼に対して身の護りとなるもの、深きもの、ドール、ヴーアミ、トゥチョ=トゥチョ人、

忌まわしきミ=ゴ、ショゴス、ガースト、ヴァルーシア人、並びに旧支配者及びその落し子に使える同種の人種、

はたまた生物に対して身を護るものは古代ムナールの灰白色の石より刻まれたる五芳星の内にあり!!』

 

彼の前に現れる光り輝く五芳星、防御結界《旧き印》

その結界は一時的にだが落とし子の神気を緩め、フェランの肉体と精神を防御する。

荒い息をつきながら結界を張る彼の姿を見て、ラバン博士はほう、と関心した声をあげる。

 

「ふむ、やはり私の目に狂いは無かったようだ。

多少手ほどきをした程度でもう防御陣が形成できるとは。

さて、問題はこちらだな。」

 

それは神が作り出した造型を完全に背徳している存在だった。

例えていうなれば、巨大なタコのような肉塊の表面に無数の瞳や口などが無秩序に存在し、

そして巨大な鬼械神の鉤爪のついた腕がこれも無秩序に四本生えているという例えようもない存在だった。

それが下半身から無数の触手を蠢かせているのだ。

並みの人間ならばその姿を見ただけで、その神気に当てられただけで発狂するに違いない。

だが、ラバン博士はいたって冷静に一つ呟く。

 

「仕方あるまい。生まれたて故、あまり「この子」の力は使いたくなかったが……。」

 

「覚醒せよ!我が魔道書、セラエノ断章!」

 

ぽう、とラバンが手にする一冊の書が光を放ち、パラパラパラと音を立てながらページが捲くれ、無数のページへと分解されていく。

空中に散らばる無数のページ。

それが一所に纏まり、瞬間、光が放たれる。

そこにいたのは一人のクールそうな美少女だった。

ただ、普通の人間と違うのはその背に光り輝く透明な羽が生えているという事。

そう、この少女は普通の人間ではない。

―――魔導書の精霊。

それこそがこの少女の正体である。

 

「―――イエス、ダティ」

 

そして、顕現したのは神秘的な美しい少女だった。

美しい肌に人間はなれした神秘的な容貌。

そしてクールな瞳。街に出れば全ての人が振り返りそうな綺麗な女の子だった。

その少女を見て、ラバン博士はまるで自らの愛娘に話しかけるように優しい口調で話しかける。

 

「ふむ、そうだね。君の名前は葉月、そうハヅキと命名しよう。

名前は存在を現す大切なモノだからね。

 

「……ありがとう、ダディ。」

 

生まれたばかりの少女は、ラバンの呼びかけに応じ、ほんの僅かだが、笑みを浮かべる。

その透き通るような笑みは、見るもの全てを魅了するような笑みだった。

だが、それにも関わらず、落とし子は無数の口から耳さわりな声を発しながらのた打ち回る。

 

「実に!実に素晴らしいですぞおおおっ!

神と合一する事がこのように素晴らしいとは!! 

幸いなるかな神よ!ハレルヤ!ハレルヤ!ルルイエフグタン!イア!イア!クトゥルー!」

 

それは正確にいうと念話であった。

膨大な念話の力があたり一面に響き渡る。

どうやら、ドミティアヌスは落とし子と融合しても己の自意識は失わなかったらしい。

もっとも、それが正気であるとは到底いい言いがたい。

いや、最早すでに完全に発狂しているのだろう。

そうでなければあんな姿には耐え切れまい。

魔導書と術者とそして神の眷属。実に歪な形であるが、これも三位一体といえるだろう。

 

「……愚かな。」

 

ぽつりと哀れむような口調でラバン博士は呟いた。

魔術師とは外道の知識を駆る者。

一歩間違えればいつあのような姿になっても不思議ではないのだ。

だが、今はそんな感傷に浸っているときではない。

強大な力を持つ魔導書は神の模造品すら召喚できる。

その名を鬼械神《デウス・マギナ》

この神の模造した偽神は、神の眷属や神自体をも敵に回す事ができるのだ。

そして、当然強大な魔導書であるセラエノ断章にも鬼械神を召喚する力は備わっている。

 

「初めて精霊化した状態で鬼械神を使うのは負担かもしれんが……行くぞ!レディ!」

 

「イエス、ダディ。私の事は気にしなくていい。思いっきりやって。」

 

クールに応えるセラエノ断章、いや、ハヅキ。

それに応えるようにラバン博士と彼女は同時に鬼械神を、人類守護の刃金を召喚するための聖句の詠唱に入る。

 

『我は勝利を誓う刃金。我は禍風に挑む翼。』

 

『無窮の空を超え、霊子(アエテュル)の海を渡り、翔けよ、刃金の翼!』

 

『『舞い降りよ―――アンブロシウス!』』

 

 

「あ、あれは―――!!」

 

その瞬間、避難していたフェランは驚愕の声を上げた。

多少なりと魔術を学んだ彼にはわかる。極めて膨大な字祷子(アザトース)の乱れ。

それは強大な何かが顕現しようとしている証だ。

そして、落とし子の上空に巨大な人型の鋼鉄の塊が顕現する。

それは痩せた猛禽のようであり、鋼鉄で組まれた骸骨のようでもあった。

それは強力にして強大な神の模造品。

全長50mの巨大な人型の魔術的なロボット。

だが、正確に人体を模しているわけではない。

大体のシルエットは人間に似ているが、二本ではなく四本の腕。

そして、まるで痩せた猛禽のような相貌と、鋭い鋼鉄の翼。

これが魔導書『セラエノ断章』から召喚される鬼械神(デウス・マギナ)である。

そして両手に握られた一振りの巨大な鎌。

四本腕のその機体は、どこか禍々しいものを連想させた。

例えて言うなれば、死神の鎌を持つ巨大な凶鳥。

 

これこそが鬼械神、アンブロシウス。

セラエノ断章から召喚され、ラバン博士が駆る強大な鬼械神である。

 

そして、それと対面するのは異形の姿と化したクトゥルーの落とし子。

その姿はあえていえばゼラチン状の肉体で作られた蛸に似ていたが、異質なのは、その表面を覆いつくす無数の目と無数の口。

そして、数限りない触手の存在と巨大な金属、オリハルコンで作られた四本の腕の存在だった。

怪物と鬼械神と半融合させたような奇怪な存在。

恐らくは魔術師と魔導書を融合してしまったせいで不完全な機神召喚が行われ、それと落とし子が融合したにちがいない。

 

睨み合う両者。その二体の放つ闘気は物理的圧力となり、あたり一面の物体をなぎ払っていく。

だが、そんな中でも飄々としたラバン博士の声がアンブロシウスから響き渡る。

 

「フェラン君。魔導器を起動し、バイアクヘーを召喚して避難したまえ。」

 

「は、はい。博士も御武運を」

 

それと同時に、フェランは黄金の蜂蜜酒を口にすると、避難用のバイアクヘー召喚の呪文を唱え始める。

 

「イア!イア!ハスター! ハスター クフアヤク ブルグトン

ブルクトム ブグトラグルン ブルグトム アイ! アイ! ハスター!」

 

現れる半生物半機械の魔翼機バイアクヘー。

バイアクヘーにまたがり、フェランは手にした魔導器の起動スイッチを押し、同時にその場からバイアクヘーにまたがり離脱していく。

凄まじい勢いの衝撃波により粉砕される異世界の門。

魔導器には霊質と物質を結びつけ、霊質を顕現化させるイブン・ガズイの粉薬が混ぜられている。

その凄まじい衝撃波は物理的のみならず、霊的にも敵に大ダメージを与え、あらゆる物を打ち砕くのだ。

あまりの破壊力に同時に周囲の岩壁や天井も破壊され、残骸を埋め尽くしていく。

 

  だが、それでも最早完全に現実世界に顕現した落とし子にとっては問題はない。

あの衝撃波でさえ、あの怪物には傷を負わすことすらできなかったのだ。

しかし、逆を言えば門を破壊したのだから、これ以上のクトゥルー達の侵攻を抑えられたという事でもある。

後の問題は目の前の異界の怪物だけである。

そして、それを何とかする役目を負う存在こそが、模造の神、鬼械神(デウス・マギナ)の役割である。

 

アンブロシウスは穴の開いた天井から一気に天空へと上昇していく。

機動性を生かした一撃離脱戦法。

それこそがアンブロシウスの最も得意とする戦法である。

 

「アルデバランより吹き荒れよ!」

 

そう博士の言葉が響くと同時にアンブロシウスは手にした賢者の鎌を横なぎに一閃する。

空間が引き裂かれ、全てを切り裂く横なぎの真空刃が落とし子へと襲い掛かる。

落とし子の緑色のゼラチン状の鱗に覆われた肉体が横一文字に切り裂かれる。

 

「ギィエエエエエエッ!!」

 

さらに猛スピードで上空から獲物を狙う猛禽のように急下降すると、さらに賢者の鎌で斜め下に落とし子を切り裂く。

それのみならずさらに地面に着地すると同時に数度落とし子の表面を瞬時に切り裂く。

その傷痕は五芳星―――《旧き印(エルダーサイン)》を描いていた。

 

「グォアアアアア!」

 

その傷痕によって形成された旧き印によってさらにダメージを受ける落とし子。

だが、そこは腐っても上位の邪神の奉仕眷属。

ただやられ続けるだけのはずがない。

落とし子は、無数に生えている触手を瞬時にアンブロシウスへと巻きつけて、アンブロシウスを束縛する。

 

「ぬうっ!!」

 

当然、ただの触手ではアンブロシウスの出力に耐え切れずに引きちぎられるのが落ちだ。

クトゥルーの落とし子はその金属で覆われた四本の腕で、アンブロシウスの四本の腕を掴み拘束していく。

あまりの落とし子の腕力に鉤爪がアンブロシウスの表面装甲がバキバキと音を立てながら歪み、罅が入っていく。

その罅からは鬼械神の血である水銀(アゾート)が噴出し始める。

アンブロシウスは元々高機動戦闘を得意とする機体だ。装甲自体はそれほど厚くはない。

バキバキと音を立てながら、さらにオリハルコンの装甲は歪み、罅が大きくなっていく。

 

「ぬ……ぐ!」

 

「わわわ、まずい、まずいよダディ。」

 

それと同時に、落とし子の表面に生えている無数の口から奇妙な異界の言語が放たれる。

 

「「「ルルイエの館にて死せるクトゥルーの夢見るままに待ちいたり、されどクトゥルー甦り、その王国が地球を支配せん。

ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん!」」」」

 

それは呪文だ。己の親であるクトゥルーに対する嘆願である。

その詠唱はさらに大きくなり禍々しく響いていく。

大気中の字祷子(アザトース)がさらに乱れ狂い、それらが落とし子の体の中心へと収束されていく。

そして現れたのは無数の氷の槍、否、それは散弾だ。

強大な魔力によって氷で作成された無数の散弾。

一撃一撃には必殺の威力はないが、それでも高い威力を誇るソレはまともに当たれば例え鬼械神の装甲すらも貫くだろう。

そして、何より厄介のなのは、それは一発ではなくて散弾である事。

一撃ならば回避する事も可能だが、それが無数の散弾ならば回避する事すらできまい。

さすがにこんな至近距離で大威力の魔術を食らってしまえばアンブロシウスといえど大ダメージはまぬがれない。

 

アンブロシウスは手にした賢者の鎌を離す。

それは重力に従い地面に落ちようとするが、完全に地面に落ちる前に、アンブロシウスは賢者の鎌の下部分に横に蹴りを入れる。

当然、横になぎ払われた鎌はくるりと空中を横に回転し、落とし子の腕に突き刺さると、そのまま回転した勢いで腕をあっさりと切り落とす。

 

「ギ、ヒシャアアアアっ!」

 

切り落とされた腕から奇怪な青い体液を噴出する落とし子。

それに構わずアンブロシウスは空いた腕で死鎌を掴むとそのまま鎌を振るう。

三度大気が断ち切られ、アンブロシウスの腕を束縛していた落とし子の腕が断ち切られる。

だがそれも遅い。落とし子の魔術を回避する事はできない。

 

無数の氷の散弾が牙を向いてアンブロシウスへと襲い掛かる。

 

「きゃああああっ!」

 

がくり、とアンブロシウスは地面に膝をつく。

その表面装甲には何十本もの氷の散弾が突き刺さり、水銀の血を流す。

蓄積されたダメージと落とし子の神気に発狂していく無数の魔術回路。

状況はこちらに不利だ。

だが、それでも決して屈する事などできはしない。

そう、絶対的な恐怖に対する抵抗。それこそが邪神狩人である事の証なのだから。

ラバン博士は血を叫ぶような想いで、絶叫する。

 

「動け……。アンブロシウス!我が翼よ!!」

 

その博士の声に反応するかのように、ギン、とアンブロシウスの瞳に光が戻る。

ギギギ、と軋む己の機体を無理矢理立たせながら、アンブロシウスはなお燦然と輝いているようだった。

それは、いかに傷だらけになろうとも再び立ち上がり、なおも戦い続ける邪神狩人の精神そのものだ。

だが、実際の所、アンブロシウスのダメージは深い。

少しづつアンブロシウスに備わっている自己修復機能が発動し、

傷口の装甲を再生しているが早めに決着をつけないと、もう一撃食らったらやられてしまう可能性もある。

そう決断したラバン博士はハヅキ――セラエノ断章に向かって叫ぶ。

 

「レディ!戦闘機形態(モード・エーテルライダー)!」

 

「イエス!ダディ!」

 

その言葉と同時に水銀の血をキラキラと迸らせながらも、上空へ大きく跳躍する。

上空高く飛翔したアンブロシウスはガシンガシンと音を立てながら、一瞬の内に滑らかに『変形』をする。

―――そこに現れたのは、巨大な戦闘機だった。

あえて現代の戦闘機で例えるならば、ロシアの戦闘機、Su-47ベルクートに似た鋭いイメージの機能美を誇る機体。

大気を切り裂くための鋭角な機体。

そして前に対して角度がつけられており、格闘戦闘で無類の強さを発揮する研ぎ澄まされたイメージの前進翼。

これこそが、アンブロシウスの戦闘機形態、モード・エーテルライダーである。

戦闘機と化したアンブロシウスはさらに上空へと舞い上がり、一瞬の内に音速の壁を突き破り、超音速の世界へと突入する。

そして、くるりと方向転換をし、機体の先を下に向けると、一気に地面に向かって急降下する。

 

「フーン機関オーバードライブ!燃料残量、残り僅か!」

 

「このままぶつけるぞ!」

 

戦闘機形態のアンブロシウスは大きく弧を描きながら地面すれすれでさらに方向を変え急加速。

霊子の吸引→魔術的定義の圧縮→魔力燃焼→排気/爆発=物理的/概念的に

―――加速。

速度と魔力の結界を纏い、アンブロシウスは光と化した。

クトゥルーの落とし子に対して異様な起動を描きながら、超音速をも突破した超速度でそのまま真正面から落とし子へと突っ込んでいく。

アンブロシウス特攻形態。

光は物理法則を無視した異常極まる機動でクトゥルーの落とし子と鬼械神、そして魔術師が融合した奇怪な化物へと迫りくる。

吹き荒れる爆風。乱れ狂う字祷子(アザトース)の咆哮。

物質と霊質の軋みが断絶魔の軋みを上げる。

破城槌と化したアンブロシウス飛行形態の突撃。

超速で振り下ろされる巨大質量の鉄塊、超高密度の魔素の塊。

触れるもの全てを跡形も無く粉砕する必壊の一撃。 光が邪神の眷属を貫く。

 

僅かな抵抗。だがそれは―――。

 

「ア、グァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!」

 

いとも容易く突破される。

残されたのはアンブロシウスの特攻と衝撃波により、胴体のみならず、体全体をほぼ吹き飛ばされた落とし子の姿。

その落とし子からは信じられないといったドミティアヌスの途切れ途切れの念波が響き渡る。

 

「そ、そんな……!私が、クトゥルーの落とし子の力を得たこの私が滅びるなどとは……!!」

 

「滅びるがいい、邪神に魂を売った哀れな道化師よ。」

 

「ガ、ガァヒィイイアアアアア……ッツツツ。」

 

その最早意味をなさない念波と共に、落とし子の肉体は崩れ去り、単なる緑色の腐臭を漂わせる汚液へと姿を変えていく。

汚液は最早ぴくりとも動かない。完全に落とし子は滅んだのだ。

それと共にアンブロシウスも光と共に姿を消し、

残っているのは魔翼機バイアクヘーに乗っているラバン博士と、バイアクヘーに姿を変えたハヅキだけになる。

 

「初勝利……!だね、ダディ。」

 

「うむ、実に頼もしい。レディ。これからもよろしく頼むぞ。」

 

「イエス!ダディ」

 

何処と無く嬉しそうなハヅキの声。

自分の父親に褒められて嬉しいのだろうか、クールな声は普段よりも弾んでいる。

その時、ちょうど地平線から朝日が昇り、二人を祝福するかのように光で包み込む。

そう、いかにこの世界が邪悪に侵させようとも、光を信じて戦い続ける者達は存在するのだ。

 

「では、帰ろうか。レディ。我等の本拠地、ミスカトニック大学へ。」

 

全てが光に祝福される中、朝日に包まれながら、バイアクヘーは大気を切り裂きながら飛翔していった。

これが、ラバン博士がクトゥルー教団に対して劇的な勝利を収めた最初の戦いだった。

 

 




なお、これらの小説は全てフィクションであり
実在の人物、団体、法人、国家、宗教等とは一切関係有りません。

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