かぐや様は告らせたい if ~伊井野ミコは勝ち取りたい~ 作:つねこう
2月の風は、あまりに鋭利で、肌を刺すというよりは切り裂くように冷たかった。後輩達がまだ学業に励んでいる16時の生徒会室を使えることはありがたい。
早くに沈み始めた西日は、寒さに呑み込まれたかのように赤黒く変色し、窓から斜めに差し込んでいた。その不気味なほどに鮮やかな光が、私の心を激しくざわつかせる。かつて毎日のように交わされていた、賑やかで騒がしかった雑談の残響すら、この容赦のない冷気の中に凍りついてしまったかのよう……。
部屋はがらんとして静まり返っている。元生徒会長特権という、少しばかり職権乱用めいた手続きを経て連日鍵を借り受けている私は、ただ一人、背筋を伸ばして立っていた。これまで自分を守り、同時に周囲を遠ざけてきた「風紀やプライドの盾」を、今日のこの場所にすべて置いていく覚悟だ。盾と正論を振りかざして空回りしていた、あの頃の意固地な自分からすると随分と穏やかにはなっているはずだ。ただ、説明できない臆病な心からの『卒業』。高校『卒業』前にそれを果たすために、私は今ここにいる。
ザッ、ザッ、シュッ。スリッパを履いているとは思えない静かな、しかし確かで綺麗な足音が廊下から近づき、ガチャリと生徒会室の重い扉が静かに開いた。
「お待たせ、ミコちゃん」
現れたのは、ピンクの髪の快活な美人。子安つばめ先輩だ。
ハタチを迎え、高校生の頃の快活なマドンナの雰囲気はそのままに、どこか大人の洗練された色気と余裕を纏っている。先輩が歩くたびに、冬の乾燥した空気に、ほんのりと甘く優しい香水の匂いが混ざり合った。
「まずはお忙しいところ、私の我儘に付き合って、ここまでお越しいただいたことに感謝します」
私は一歩前へ出ると、深く、綺麗に頭を下げた。指先まで完璧に揃えたその姿勢に、私の背負う「命懸けの誠意」のすべてを込めて。
子安先輩は、いつもの神対応のように「いいよいいよー!」と軽く応えてくれたが、大げさに笑いはしなかった。先輩は少しだけ伏し目になり、くるりと円を描くようにゆっくりと歩きながら、部屋の調度品を見渡し始めた。壁の掲示物、精度高く磨かれた歴代の盾、器具、そして……彼が、いつもノートPCを広げて気怠げに作業をこなしたソファの定位置とテーブル。
私は、その姿から目を離すことができなかった。
先輩の白い指先が、テーブルの端をそっとなぞる。その表情からは、今何を考えているのかは分からない。けれど、彼の形跡を辿るように美しく動くその仕草、そして、最後にテーブルを愛おしそうに、同時にひどく切なそうに見つめるその瞳が、あまりにも綺麗で、私は息を呑まざるを得なかった。
私には、そんな風に彼を慈しむような、大人の余裕なんてない。決意を固めた今ですら余裕がなくて、必死で、惨めで、心が千切れそうなだけなのに……。
赤黒く変色した西日が、私たち二人の間に長い影を落としている。先輩が歩みを止め、ゆっくりと私の方を振り返った。正面から、その真っ直ぐな視線が私を捉える。胸の奥が、痛いほどに鐘を鳴らしている。圧倒的な美しさを前にして、これ以上足がすくんでしまう前に。
……。言わなきゃ
私は喉の奥で、乾いた音を立てて固まりそうになる言葉を、必死に絞り出しようとしていた。
「……優くんのことでしょ?」
私が口籠っている内に先輩から確信に満ちた静かな問いが飛んできた。凛とした声は赤黒い光の中に響いている。
もう私は逃げられない。逃げない。
先輩の瞳を真っ向から射すように見据え、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。
「言いますね」
「うん」
一拍。
「私、伊井野ミコは、石上優を……本気で愛しています」
生徒会室の冷たい空気の幕が裂けたような気がした。
『愛しています』
あえてそう言ったのだ。『本気で好き』という、誰もが安易に使う手垢のついた言葉ではない。『愛している』という、重く、二度と引き返せない究極の定義。恥ずかしいかと思ったが、思った以上に素直に口から出たことは、私が彼を本気でそう思っているからだと確信できた瞬間だった。
そして、これこそがかつて生徒会長選挙で白銀先輩に救われ、絶望の淵から「折れない心」を手に入れた私だからこそ放てる、数少ない武器。純粋な言葉という弾丸。
先輩の表情が少しだけ揺らいだ気がしたのを見て追撃する。
「子安先輩」
「ん?」
「先輩どうなんですか?彼を愛していますか?愛しているからこそ、納得できるまで、あの『友達以上恋人未満』なんて曖昧な線を引いて、彼を縛り付けているんですか? 私は先輩を一人の女性として深く尊敬していますが、この件についてだけは、徹底的に白黒つけさせていただきます」
何も言わせないように捲し立てて、突き刺すような私の言葉に、先輩の瞳が、驚きにわずかばかり大きく見開かれた。
『友達以上恋人未満』
彼と先輩が何か月も泥沼のように悩み、傷つきながら、2人がようやく優くんのために手繰り寄せた結論にして『最も美しい境界線』。
それを、この生意気な私が、色恋に決して強みのない私が、『愛している』という質量だけで叩き壊しにいくのだから。
先輩の喉が、ゴクリと小さく鳴る。
だが、先輩はすぐにフッと大人の余裕を取り戻すように、私を試すような、妖艶な微笑みを浮かべた。
「好きだよ。じゃあさ、私が今から優くんを『私の恋人にする』って言ったら、ミコちゃんは身を引いてくれるの?」
「……っ!!」
心臓が、冷たい手で掴まれたように縮み上がった。勝てないかもしれない。いや、勝てない……。それが冷酷な現実として脳裏をよぎる。
彼から先輩へ告白したという事実。それは彼の心が100%先輩に向いていたことを示す。私が欲しいその事実を先輩が持っているあまりにも残酷なアドバンテージ。このままだとボロボロと溢れそうになる涙を、私は奥歯と舌を噛み締め、痛みで強引に堰き止めた。握りしめた拳が、爪が手のひらに食い込むほどに震える。理屈も、勝率も、すべての計算が吹き飛んだ。ただの『祈り』のような、けれど決して譲れない『誓い』の言葉が、私の喉を突いて出た。
「……勝ちます。根拠はありません。でも、私、勝ちますから」
泣き出しそうなのに、一歩も退かない。自分でも呆れるほど泥臭くて、けれど純度の高すぎる感情の放出。
先輩は、一瞬呆気に取られたように私を見つめ、それから、ふっと力を抜いたように見えた。
観念したように、いつもの、あの眩しい爽やかな笑顔を浮かべる。商売道具の笑顔ではなく、重荷をすべて下ろした、心からの爽快感。そして、親指を立ててサムズアップを掲げた。
「わかった……。だったら、私ももう逃げないね? いい? 恨み言はなしだからね。私だって……手加減、できないからね?」
「は、はい!! わ、わかりましたっ!!」
それまで部屋を満たしていた戦闘オーラが一瞬で霧散する。
先輩はそんな私をどこか愛おしそうに見つめた後、ひるがえるスカートの裾と共に、足早に生徒会室を後にした。バタン、と静かに扉が閉まる。一人残された私は、しばらくその場に立ち尽くしていた。夕闇が部屋を包み込み、張り詰めていた緊張の糸が、プツンと切れた。
「……な、何言っちゃったのよ、私いぃ……!!」
言い切ったあまりの恐ろしさと、大好きな先輩にこれでもかと啖呵を切ってしまった申し訳なさが、時間差で一気に押し寄せてくる。頭を抱えてしゃがみ込みたいのを必死に耐え、フラフラと校門を出た。帰り道、冬の夕暮れの下。私はポロポロと大粒の涙を流しながら、「ふえっ、うう……」と子供のようにしゃくり上げて、一人寂しく家路を急ぐのだった。