かぐや様は告らせたい if ~伊井野ミコは勝ち取りたい~ 作:つねこう
結局泣き止むことが出来ず、目を腫らして帰宅して早々に、自室にあるくまのぬいぐるみにボフッと勢いよく倒れ込んだミコは、涙の溢れる目を何度もブレザーの袖で手荒に拭うと、ガバッと跳ね起きて学習机に向かった。
泣いている場合ではない。私は今日、かつて学園で光り輝いていた、あの伝説的で完璧なマドンナに、あろうことか真っ向から宣戦布告をしてしまったのだから。
「落ち着いて、伊井野ミコ。冷静に、状況を整理しなさい……!」
伊井野ミコは恋愛に関しては戦闘力5のザコ。完全にポンコツなのだが、状況を分析し、それを言語化できる知性に関しては秀才軍団の中でもトップクラスである。
キャンパスノートを開き、握りしめたクルトガに恐ろしいほどの力を込める。カチカチ、とノックする音が、静かな部屋に焦燥感を刻む。
子安先輩の、あの本気のトーン。あれは嘘偽りなく、私の宣戦布告に対する、最強の捕食者としての宣戦布告の返答だ。
高校卒業を間近に控えた今、長い時間を過ごしてきた彼の心の指針が自分に向いていることは、『優くん』『ミコちゃん』と名前で呼び合うほどとなっていて、日々を共にする自分自身が肌で十分自覚している。
だけど、今の私と彼の関係は、どちらにも白黒がついていない。灰色……しかも『危うさのある灰色』なのだと思う。
今度は子安先輩の方から本気で彼に手を伸ばしたら……。
彼の中に封印された、先輩と紡いできた美しく切ない思い出の残像が蘇ってしまい、一気にそちらへ引き寄せられてしまうだろう。
とはいえ、あちらはあちらで、白黒のついていない、例えていうなら『残酷で美しい灰色』。でも、この均衡だからこそ、先輩という絶対的な天体の引力がほんの少し動いただけで、彼の心の指針は、一瞬で持っていかれてしまう。色は一気に白になってしまうのだと思う。
「……先輩が本格的に動いたら、私なんて、簡単に吹き飛ぶ!」
文字を書き殴る手が止まる。負の予感。
ジワっと込み上げる涙が眼前の紙をゆがめる。それを拭い去り思い返す。
自分がどれほど長い間、恥ずかしさを盾にチキンレースを続けていたのか。
「もし彼の気持ちが思わせぶりで、フラれでもしたら……。でも高校卒業したら会わなくて済むし……」
そんな風に、最悪の結果から逃げる言い訳を考えて、これまでの日々に理屈をつけようとしていた。そんな臆病な姿勢こそが、このモヤモヤをこんな時期まで引っ張ってきた原因じゃないか。
そうこれまでの日々に理屈をつけようとした。そして、理屈の中にあるフラれるという『最悪の結末』を想像してしまい、背中に冷たい汗が伝った。
先輩は言葉で説明し尽くせないほど圧倒的な恋愛強者だ。きっとその洗練された優雅さで、彼の心をあっという間に、それも綺麗に掻らっていくだろう。そうなったら……。
「私は本当に終わっちゃうよぉ……」
この戦いの敗北は、失恋。つまり石上優を失うことを意味する。 そしてそれだけでは済まない予感さえ感じた。
「相手の方から告らせたい」なんて意味不明なルールにこだわって、チキンレースを続けている猶予など、もはや一秒たりとも残されていないんだ。
そもそも私たちは冷静に第三者の目から見れば、「早くどっちかが告白しろよ」と笑いたくなるほど馬鹿げた状況だっただろうと思うぐらいには、十分出来上がった関係だ。でも、子安先輩……。相手が相手だけにその関係にすら甘えてはいられない。
「はぁ……。あれは、白銀先輩と四宮先輩の二人が、最初からお互いだけが好きで、誰も入り込まないからできてたんだ……」
かつて生徒会室で繰り広げられていた、あの尊かった世界の認識を、ミコは今さらになって血を吐くような思いで改める。
最初から最後まで常にプレイヤーが自分たちだけという、両片想いの天才たちが遊んでいた贅沢なゲームを、他のプレイヤーがいる私が興じる資格なんて最初からなかったのだ。
子安先輩のように、無意識に男心を狂わせる「曖昧で、最高に美しい線」なんて、色気も可愛げもない意地っ張りな私には逆立ちしても引けない。
なら、私に取れる戦略は何か……。
明日。
彼は登校予定だ。私は卒業式で卒業生代表として答辞を読む。それ以外にも卒業式のために打ち合わせをしたいし、現生徒会も助けたいという私の我儘と、それをフォローする前生徒会副会長という最高の名目での登校をお願いすることもある。そして彼もそれに応えてくれている。
毎日会いたいという私利私欲に満ちた密かな我儘とはいえ、元役員の私たちは、自由登校の期間中とはいえ、なんだかんだでやることができて、ほぼ毎日の登校に不自然がなかったりもするのだ。
同じ学校に通い、顔を合わせる理由がある。二人きりになる機会がある。これこそが、卒業してしまって物理的距離がある先輩に対して、私が有する唯一にして最大のアドバンテージ「同級生の特権」だ。
これを使って、先輩が具体的な行動を起こす前に、彼の懐に電光石火で潜り込む。そして、彼に告白して、私のものにする。
電光石火、疾風迅雷の一点突破。これしかない。
明日の夕方。二人だけの時間が十分ある生徒会室で勝負を決めてやる!!
「…………」
「んーーっ!! なんて言ったらいいんだろう?」
戦略の方向性は決まった。だが、戦術に行き詰まる。
ここからが恋愛ポンコツの秀才・伊井野ミコ特有の、大いなる迷走の始まりだった。
感情に任せてただ「好き」なんて言うだけじゃ絶対にだめだ。あのひねくれていて、自己評価が底辺の石上優という男の強固なガードをぶち抜くには、国語的に、論理的に、私のこの感情の正当性を正確に定義して叩きつけなければだめだ。
ミコは、まるで国家レベルの論文でも執筆するかのような真顔になり、キャンパスノートに凄まじい勢いで言葉を書き殴り始めた。
「『好き』という言葉は、私の主観的な感情の消費でしかない。それは私の都合で相手を求めている状態(Like/Love)の混同に過ぎない。でも、私が優くんに対して抱いているのは、そのすべてを受け入れ、彼を大切にしたいという義務と責任を伴う感情……。つまり、国語的な厳密な定義に当てはめるなら、これは『愛』、『愛情』でしか説明がつかない……!」
ガガガ、ザザザとペンが動く。
「よし、これで行こう!!」
夜が更けるのも忘れ、大真面目な顔で「好意と愛情の境界線」のロジックをガッチガチに組み立てたミコ。ベッドの上で枕を抱きしめ、シャーペンを指揮者のように振り回しながら、「これで、優くんの羞恥心を完膚なきまでに潰す……!」と鼻息を荒くする。その健気で、あまりにも明後日の方向にズレきった思考で、彼女の脳内作戦会議は完璧な勝利の戦術を描ききっていた。
「……あそこまで言った以上、告らせるなんて悠長なことは言えないもんね。子安先輩は優くんに告らせてた。私はしてもらえない……。してくれてたらとっくに付き合ってるもん…。だったら、私から、行くしかない……っ!!」
ガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
ミコの瞳から、恐怖の涙は完全に消えていた。代わりに宿るのは、退路を断った同級生だけの、狂おしいまでの閃光。
そして、運命の翌日。寒さに押し潰されたようなオレンジ色の夕陽が差し込む生徒会室で、2月の聖戦の舞台が訪れる――。