かぐや様は告らせたい if ~伊井野ミコは勝ち取りたい~ 作:つねこう
時刻は17時を回ったところ。場所は生徒会室。
窓の外には、2月の凍てつく空をオレンジ色に染める夕陽が、完全なる黒い闇に落ちはじめていた。卒業式の打ち合わせを終えた生徒会役員たちが帰っていった。ミコは、『もう少し答辞の内容を整理したら、完全下校までに鍵は私たちが閉めます』と教師に告げて、石上優を抑留することで、特別な空間を作り出すことに成功した。
灯のついたその静まり返った室内で、あのソファに腰掛けて隣同士。かつては冷徹だった本革のソファも、今はミコの昂る気持ちを反映するかのように、隣り合う二人の肌の温もりをじんわりと湛えている。石上とのその距離はわずか数十センチ。
何か普段と違うただならぬ気配を察した石上が、立ち上がろうとする。
「よ、よし!! 帰るか」
「に、逃げるな……っ!!」
立ち上がりながら放たれた、ミコの刺すような声が、コンクリートの壁に反射して鋭く響いた。それは、昨夜彼女が自室で涙を拭って決意した、あの完璧なマドンナに先んじるための電光石火、疾風迅雷ともいうべき「最速の特攻」だった。
「な、何言って……ネクタ……え? ミコちゃん? 急に何を……」
石上の顔は、一瞬で耳の裏まで真っ赤に染まっていた。
いつもなら、ミコの素っ頓狂な言葉をどんなにぶつけられても、気怠げな皮肉や正当な屁理屈でガードを固めるはずの彼が、完全にキャパオーバーを起こして黒い目を泳がせている。ミコにいきなりネクタイを掴まれた逃げ場のない空間で、彼の優秀なガードは完全に床へ投げ落されていた。
その動揺を見逃さない。ミコは昨夜、自室 でノートにガチガチに組み立てた戦術ロジックを脳内で展開しようとした。
――はずだった。
「(えっと、まずは『好き』という主観的感情の消費と、義務を伴う『愛』の国語的定義の違いを順序立てて説明して、あなたの不誠実な退路を断って……!)」
しかし、目の前で熱したトマトのように真っ赤になっている石上の顔、ネクタイを引っ張る手を引き離そうか迷っているような大きな手、動揺しながら、それでもなお自分を真っ直ぐに見つめる瞳を至近距離で捉えたその瞬間……ミコの優秀な脳細胞は一瞬でオーバーヒートを起こし、白い煙を上げてショートした。
構築したはずの論理的なプロセスなど、すべて火花を散らして吹き飛ぶ。
これまでなら、この衝動的に見える行為を適当な理由で、何かと取り繕ってきた。しかし、今日の伊井野ミコは、ここで絶対に退かないと決めていた。
「優くん!!」
「ん、ん?」
驚いてしまったのか、いつものちょっと間の抜けた応答。
長い、本当に長い付き合いだ。石上も、ミコのいつもと違う声色、その瞳に宿る尋常ならざる「折れない意志」に、茶化すことすら許されない何かを本能で感じ取っているようだった。
ミコは、胸元のネクタイを掴む手にさらに力を込め、魂の叫びだけを、口の端から力任せに飛び出させた。
「好きっ!!」
「……え?」
「あっ、ち、違った!! ずっと好きで、ずっと好きで……えっと、えっとぉ……愛させてほしくなった!!」
「……!?」
石上の思考が、完全にフリーズしているようだった。
「愛させてほしくなった」――それは世界で伊井野ミコにしか紡げないであろう、知性100の秀才にして恋愛戦闘力5のザコという恋愛ドポンコツによる、歴史的な迷言だった。
常人なら恥ずかしくて口が裂けても言えないようなド直球なのに、ちょっと真ん中が外れてしまうような言い間違えたフレーズ。
その真剣な眼差しと声色が、告白の言葉としてあまりにも不器用なその言葉を、相手の羞恥心ごとすべてを力任せに砕け散らせるような、圧倒的な破壊力を持った一撃に変えていた。
当のミコ自身は、自分の言葉の破壊力に気づく余裕すらない。思った通りのセリフが出なかった焦りから、さらに自分の論理を補強しようと、真っ赤な顔のまま涙目になって捲し立てはじめる。
知性の中にあるポンコツさが必死に国語的定義を回収しようと暴走を始める。
「す、好きじゃ曖昧……っ! それは私の主観的な感情の消費でしかない! というか言葉が足りないのよ! 私のこの感情は、その……あなたのすべてを受け入れるという『愛』だから!! 私はあなたを愛してるから!!……ハァハァハァ……っ」
思いの丈を言い切って、肩で激しく息をするミコ。
その目尻には、先ほどより膨らんで、今にも零れ落ちそうな大粒の涙がたまっている。しかし、照明に照らされたその光は、絶対にここから一歩も退かないという、狂おしいほど純粋な「烈火」だった。
あまりに突然の出来事の連発に、石上は完全に言葉を失っていた。
時間にして、たった十数秒。
しかし、一世一代の大仕事をやり遂げて、張り詰めた空気の中に置かれたミコにとっては、数時間にも感じられるほどの長い時間だった。
ミコは心臓が、耳の奥でうるさいほどに警鐘を鳴らしているのを感じていた。
「……ったく」
突如、石上は頭をガシガシと派手に掻きむしり、肺の底から「ふぅ」と大きく息を吐き出した。
「ふえ?」
張り詰めていた口から、思わず間抜けな声が漏れてしまう。涙目のまま石上を上目遣いで見つめたミコの視線の先で、石上は真っ赤になった顔をこれ見よがしに背けた。
間違いなく届いた。届けきったのだ。
石上は、いつも自分を守っていた「どうせ俺なんて」という斜に構えたガードを、完全に床へと投げ捨てるように、耳の裏まで真っ赤に染めながら、自分の胸元を掴んでいたミコの小さな手を、彼の大きな手で、まるで壊れ物を扱うようにそっと、ぎゅっと包み込んだ。
「何だよそれ、意味分かんねえよ……」
石上は、その手を握りしめたまま、照れ隠しの苦笑いを完全に消し去った。
そして、男としての100%の本音を宿した瞳を、真っ直ぐにミコへと向けて言う。
「……そんなの、言われなくても分かってるって……。オレだって、好きだし、その……その……あ、愛してるに決まってるじゃん」
「……っ!?」
その瞬間、ミコの頭の中にある恋愛フィルターが凄まじい暴走を開始した。耳の裏まで真っ赤にしながらも、照れ隠しの皮肉をすべて捨てて、男としての本気で逃げずに返してくれた、目の前の石上優。
「(……あ、やっぱり優くん、カッコよかったんだ……。こんなにも……)」
かつて自分が絶望の底で落ち込んでいたとき、誰にも知られずにそっと寄り添い、一本の『ステラの花のしおり』を置いていってくれた、自分だけのヒーロー。
目の前の石上が、ミコのその心のヒーローと重なっていく。
そんな彼が、世界で一番真っ直ぐな目で、自分の手を握り締め、愛してると返してくれたのだ。
そのあまりの格好良さに、ミコのピュアな心臓は完全に許容量(キャパシティ)を超えて大爆発を起こした。脳内でチキンレースの終了を告げる鐘が鳴り響くと同時に、彼女の恋愛のブレーキは跡形もなく木っ端微塵に粉砕される。
お互いへの想いに誰よりも不器用で、だからこそ告白の瞬間に両者同時に『恋人フィルター』を大爆発させていたのはいうまでもない。ピュアな少女と少年は、最高の恋のスタートラインに立つのだった。