かぐや様は告らせたい if ~伊井野ミコは勝ち取りたい~ 作:つねこう
電光石火、疾風迅雷の一点突破。
伊井野ミコが仕掛けた「聖戦」は、本格的な戦いが始まる前に、彼女自身が穿った鋭い刺突によって幕を閉じた。ミコ自身すら全貌を知らないすべての関係性や心理にまで、あまりにも鮮やかな終止符を打ち込んで終わったのだ。
この日、ミコはどうやって家に帰ったのかまるで覚えていない。ただ、気持ちが高揚したまま二人で過ごしていると、その勢いのまま一線を超えてしまいそうだったため、お互いに必死に理性を保って自重したことだけは、鮮明に記憶に焼き付いていた。
家に帰って部屋に入るなり、床にへたり込んだミコは震える指先でスマートフォンを叩き、子安先輩へメッセージを送っていた。
【子安先輩。お忙しいところ、度々の御連絡となり申し訳ありません。昨日の今日で大変恐縮なのですが、大切なご報告がありメッセージを送らせていただきました。本日、放課後の生徒会室にて石上優に気持ちを伝えたところ、交際する運びとなりました。先輩が準備をする時間すら与えず、同級生のアドバンテージを盾にかっ攫うような卑怯な真似をしてしまい、本当に、本当に申し訳ありませんでした。直接お詫びを申し上げたく存じますので、またお時間をいただけますでしょうか】
「……なんてことしちゃったんだろぉ……っ!!」
いつの間にか正座になり、真っ青な顔でガタガタと震えながら返信を待つ。すると、間もなくしてスマートフォンが震えた。
画面に表示されたのは、悪戯っぽく親指を立てたつばめの、フランクな自撮りスタンプ。
【はやっ!! でも、おめでとうミコちゃん! 謝ることなんて一ミリもないよ!! でもちゃんと話はしたいから、明日ここに来てくれる?】
「ちゃんとお話ししたい……? ふぇ? やっぱり、裏ではものすごく怒ってるのかなぁ……」
「お話」という言葉をあまりにも深読みしすぎたミコは、勝手に致命傷レベルのダメージを受けてシュンと萎んでしまう。
伊井野ミコは、石上優を彼氏にしたという人生最大の喜びを完全に置き去りにしたまま、罪悪感と恐怖に満ちた陰惨な心で、一睡もできない夜を迎えるのだった。
翌日。
昨日晴れて交際開始となった石上優とは、朝から当たり障りのないメッセージのやり取りを行いつつ、今日の自由登校は所用ができて行くことができない旨を伝えていた。石上は「せっかくだから少しでも会いたい」と珍しく食い下がったが、今のこの心理状態で石上の顔を見ることをミコの中の正義が許さず、「今日はどうしても行ってきたい場所がある」と念押しした。石上の引き止めをどうにか振り切って、ミコは今――。
ミコは今、つばめに実家近くにある、落ち着いた雰囲気のカフェで彼女と向き合おうとしていた。
そこに辿り着くまでのミコの足取りが、まるでギロチン台へと向かう死刑囚のようだったのは言うまでもない。
「お、ミコちゃんやっほー! 待ってたよー!」
「こ、子安先輩……っ!! 昨日は本当に、本当にすみませんでしたぁぁ!!」
カフェの入り口前で自分に向けて手を振るつばめを見つけた瞬間、ミコはパタパタと駆け出し、今にも往来でスライディング土下座をしそうな勢いで深く頭を下げた。
「ぶっ……! あはははは! だから何に謝ってるの、ミコちゃん最高すぎる!! ここじゃ何だし、さぁ中入ろうか?」
目の前の完璧で美しいマドンナは、ミコの脳内妄想よりも遥かにいつも通りで、大爆笑しながら自分を店内に連れていってくれた。
お洒落すぎるカフェのメニューを前にして何を頼んで良いか分からず、結局「頼んでもらっていいですか?」と縋ると、注文はすべてつばめのおすすめの同じワンプレートプレートに任されることになった。
料理が運ばれてきてからは、つばめの大学生活の話や、最近の秀知院の様子といった他愛のない世間話が続いた。つばめの気さくなエスコートのおかげで、ミコは自分の緊張がみるみる解れていくのを感じ、美味しい料理を口にするたびに少しずつ表情を明るくさせていく。
ふっと会話が途切れ、お皿とフォークが触れ合う小さな音だけが残る。窓の外へと視線を向けると、ちょうどそこには、冬だけではない「何かの終わり」を告げるような、いつになく穏やかなオレンジの夕陽が広がりはじめていた。
空間が、しっとりとしたオレンジ色に染まっていく。
そして、お互いのプレートが半分以上きれいに進んだ頃だった。
つばめがトントン、と指先でガラスの縁を叩き、小首を傾げてにっこりと微笑んだ。敵意なんて一ミリもない、優しいお姉さんの目でミコを見つめる。
「さぁ、何かな?」
その真っ直ぐな優しさに触れたことで、かえって申し訳なさが胸に込み上げ、ミコは恐る恐る口を開いた。
「……私、勝ちました。でも……」
後が続いてこない。ミコは、自らつばめを呼び出して宣戦布告しておきながら、相手に機先を制する準備の時間すら与えなかった己の「電光石火」のやり方に、幾ばくかのモヤモヤを抱えていたのだ。
つばめにも、石上のために伝えたかった言葉や、用意していたデートプランがあったのではないか……。
そんな真面目すぎるミコの申し訳なさからくる推察が、勝ったはずの彼女の心を曇らせていた。だから、恐る恐るつばめの顔を覗き込む。
しかし、つばめは、そんなミコを見てふんわりと、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「うん!! おめでとう!! ミコちゃんらしいよ。いきなりすぎて流石にビックリしたけど……優くんが即答したんなら、私がこれから何をしても、いつの時点であっても、ミコちゃんの勝ちだったと思うよ」
「え……?」
ミコは目を丸くした。つばめの言葉には、一切の恨み言も、負け惜しみもなかったからだ。
――直後、つばめは何か遠い過去を愛おしむように、ふっと視線を落として静かに沈黙した。
窓から差し込む夕暮れのオレンジ色の光に照らされ、すべてを吹っ切ったつばめ先輩の横顔は、あまりにも美しく、そして聖母のように晴れやかだった。
その神聖さすら感じさせる圧倒的な美しさに、ミコは完全に気圧されてしまい、直視することができなくなって、思わずそっと目を背けてしまう。
「(私、本当に……このすごい人に勝っちゃったんだ……)」
つばめは何かを考えるように押し黙る。
ミコには、つばめが押し黙った理由までは分からなかった。だが、今の彼女に声をかけてはいけないということだけは、本能で理解していた。胸を震わせながら視線を落とし、再びつばめが話してくれるのを待つ間、ミコはその憂いのこもった横顔を、ただ横目でチラチラと見つめることしかできなくなっていた。
やがて、つばめがふっと我に返ったように悪戯っぽく笑い、いつものように「ニヒヒッ」と八重歯を覗かせて、目を背けていたミコへと優しく声をかける。
「ありがとうミコちゃん。私、すっきりしたよ。でも、優くんともミコちゃんとも、『友達』はやめないからね?」
「は、はい!! ありがとうございます!! それを止める理由は、私にはありません。これからも、私たちをよろしくお願いします。……でも、嬉しいです。子安先輩に、一つだけでも勝てたこと」
「……!? そっか。でもねー」
つばめのその笑顔は、ミコにはわからない胸の内のすべての重荷を下ろしたかのような、心からの爽快感に満ちていた。
「二人が幸せなら、私、自分も勝った気がするんだよ」
立ち上がりながらそう言った時のつばめの表情は、ちょうど夕暮れの日差しに邪魔されて、ミコにはよく見えなかった。だが、その言葉に、ミコは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じ、同時に、背筋がピンと伸びるような気がした。
「(……きっとこういうところだ。優くんがこの人を好きになった理由。この人があらゆる人から愛される理由。私にも理解できた。だから、これから頑張らないと)」
子安つばめという、巨大な壁。自分の暴発とも言える聖戦に付き合わせてしまったことで、その大きさ、優しさ、そしてどこか漂う儚さを知った。
ミコは心の中で、不器用で優しい石上優を、この人の分まで世界一幸せにすることを――静かに、だけど固く誓うのだった。