ぼやけた視界の向こうで、銃撃音が鳴り続けていた。乾いた発砲音が、何度も何度も街中に響き渡る。
僕を撃った連中は、まだそこにいる。
そして――Echikoさんにも攻撃を仕掛けているのかもしれない。
身体はもう動かなかった。
指一本さえ、まともに動かせる気がしない。
それでも、頭の中にはひとつの願いだけが浮かんでいた。
――Echikoさんだけは、無事に逃げてほしい。
彼女は僕を助けてくれた。
右も左も分からない僕に、この世界のことを教えてくれた。服まで選んでくれた。
ちょっとミステリアスで、何を考えているのか分からないところはあるけれど……それでも、悪い人ではない。
少なくとも、僕にとってはそうだった。
そんな人が、僕と同じように蜂の巣にされて死んでしまう。
――そんな光景だけは、見たくなかった。
やがて、銃撃音が途切れた。
静寂。
……と思った直後、
カチッ。カチッ。
乾いた音が聞こえた。弾切れ――だろうか。
全弾を撃ち切ったのか……?
いったい、誰だったんだ。
薄れゆく意識の中で、そんな疑問を抱いた、そのときだった。
「くっ……お前……これだけ撃って無傷かよ!?」
男の声が響いた。
……無傷?Echikoさんのことか?
何を言っているんだ。
僕はこんなにボロボロなのに。
そんなことを考えていると、別の声が聞こえた。
Echikoさんだ。
しかし、先ほどまでの彼女とは明らかにテンションが違っていた。
「あなたたちは……ただの無差別バンディッドプレイヤー、ってことでいいかしら?」
冷たい。
ぞっとするほど、感情の温度がない。
だが、その奥には明らかな怒りが滲んでいた。
「どうだろう……な!」
男が手を掲げながら吐き捨てるように叫んだ。
直後――
ズガアアアアン!
再び銃声が轟いた。
そして弾いたような音が聞こえる。
ギィィィン!!
「⋯⋯っ!なんでだ!!さっきは効いたのに!!」
「不意打ちだったからよ」
Echikoさんの声は、淡々としていた。
「分かっていたら、私には効かない」
「う……あ……」
男の声から、明らかに余裕が消えていく。
「仲間は向こうにいる芋スナだけ?」
コツコツと等間隔でブーツの足音が聞こえる。Echikoさんが歩いて近づいているのか?
「わ、悪かった!もう、
男が必死に叫ぶ。
「だから……見逃してくれ!」
少しの沈黙。
そして――Echikoさんが口を開いた。
「服装からして⋯⋯FPS勢か。相手が格下だったら楽に狩れる系統ね」
静かな声だった。
「ただ、自分たちが狩られる覚悟もしておくべきだったわね」
「た、助けてくれ……!」
男の声が震える。
「せっかくここまで溜め込んだのに!全部、失いたくない……!」
「略奪は効率的で、手っ取り早く稼げたでしょう」
Echikoさんの声に、ためらいはなかった。
「――でも、その代償を払うときが来ただけよ」
「待――」
一発。鈍い音が聞こえてきた。
戦闘が終わったのだろうか。
それきり、声は聞こえなくなったが、内容を聞く限りEchikoさんが勝ったのかもしれない。相当強い人だったんだ。
街中に、静寂が戻る。
僕のほうは⋯⋯もう人知れず死ぬのだろう。
……死んだら、生き返るのだろうか。
もし生き返ったとしても――
せっかくEchikoさんと出会えた、この記憶まで消えてしまうのだろうか。
そんなことを考えているうちに、意識が少しずつ遠のいていった。
もう、何も考えられない。
ただ暗闇だけが、ゆっくりと僕を包んでいく。
――――。
どれくらい時間が経ったのだろう。
気がつけば、街には再び人々の話し声が戻っていた。
誰かが笑っている。
遠くでは店の呼び込みらしき声も聞こえる。
さっきまで銃声が飛び交っていたとは思えないほど、穏やかな日常だった。
……まだか。
僕は、いつ死ぬんだ?
もしかして――もう死んでいるのか?
恐る恐る、目を開こうとした。
そのとき。
コツ……コツ……。
誰かが歩いてくる。
足音はゆっくりと近づいてきて――
やがて、僕の目の前で止まった。
「ピーマンさん……」
聞き覚えのある声。
「無理しちゃって……」
Echikoさんだ。
先ほどまでの冷たく鋭い声とは違う。
どこか落ち込んでいて、悲しそうな声だった。
そして――
「君のこと、忘れないよ」
……え?
今、なんて?
僕の意識が一瞬で覚醒した。
「それは……告白ということでしょうか!?」
ガバッ!
勢いよく身体を起こした。
「え!?」
Echikoさんが目を丸くする。
「な、なんで?死んでないの!?」
「いや、僕も死んだかと思いました!」
慌てて自分の身体を見回す。
胸。腹。腕。脚。
どこにも銃弾を受けた痕跡がない。
服にすら穴が開いていなかった。
「……」
Echikoさんの目が細くなる。
「……やっぱり、嘘をついていたのね」
「いやいやいや!違いますよ!」
嫌な汗が背中を伝う。
「本当に撃たれたんですって!」
「じゃあ、今の本当のレベルはいくつ?」
「レベル……?」
メニューを開く。
「えーっと……あ」
そこに表示されていた数字を見て、僕自身が固まった。
「今は……59になりました」
「……は?」
「59です」
「59!?」
Echikoさんの声が跳ね上がった。
「嘘でしょ!?」
「いや、僕もびっくりしてますよ!」
「私が知っている一線級のRPG系統プレイヤーでも、レベル52よ……」
「え……」
今度は僕が絶句する。
「いったい、どこに籠もってたらそんなにレベルが上がるわけ?」
「籠もってませんけど……」
「ランキングにも載ってないし……」
「ランキング?」
「とぼけないで。そういうのいいから」
Echikoさんの目が鋭くなる。
「何が目的なの?私に近づくため?」
「違いますって!」
「スパイ?」
「違います!」
「じゃあ何者なのよ、あなた」
「それは僕が聞きたいです!」
思わず叫んでしまった。
Echikoさんは黙った。そして、じっと僕を見る。
「……」
「……」
まずい。凄まじい殺気だ。
どうすれば、この人に信じてもらえるんだ。
「中堅程度のバンディッドプレイヤーと交戦したくらいで、こんなにレベルが上がるわけないわ」
「そうなんですか?」
「しかも、あなたは撃たれていただけでしょう」
「……本来は、どんな感じなんですか?」
「白々しい」
「いや、本当に知らないんですって!」
「スパイしようっていうなら――」
Echikoさんが、一歩こちらへ近づく。
「今ここで倒す」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
僕は慌てて両手を上げた。
「どうすれば分かってもらえるんですか!?」
「さあ?」
「僕のメニューって、他の人から見られないんですか!?」
「見られないわよ」
「じゃあ、どうやって証明すれば……」
「どうせアイテムもカードホルダーも念入りに空にしてるんでしょう?」
「~~~~っ!」
完全に詰んでいる。僕は額を押さえた。
仮想世界。
ゲーム。
だったら――
「……ギルド」
「え?」
「この世界に、ギルドみたいなシステムはありますか!?」
「それが何?」
「そこで……その……ランクとか、登録情報とかを確認できたりしませんか?」
「……」
Echikoさんが考え込む。
「確かに」
やがて、小さく頷いた。
「ギルドの依頼は、RPG系統のプレイヤーがレベルを上げるうえでも必要不可欠ね」
「本当ですか!?」
希望が見えた。
「じゃあ、そこで確認してもらえれば――」
「分かった」
Echikoさんが踵を返す。
「確認するわ」
「ありがとうございます!」
「前を歩いて」
「あ……」
なるほど。
確かに、そこまで疑っているのか。
「分かりました……」
僕は言われるまま歩き始めた。
「……ところで」
「何?」
「この街にギルドがあるんですか?」
「……」
Echikoさんが黙った。
「後ろから案内する」
そんなやり取りをしながら、僕たちは街の中心部へ向かった。しばらく歩いた先に、それらしい建物が見えてきた。
大きな看板。
その下には、いかにもゲームに出てきそうな文字で――
冒険者ギルド
と書かれていた。
「新規様ですかー!?」
扉を開けた瞬間、明るい声が飛んできた。
「ご登録から始めますね!」
緊迫した空気とはあまりにも不釣り合いな、受付嬢の元気な声だった。
「えっと……」
僕は恐る恐るEchikoさんを見る。
「ど、どうですか?」
「……」
「これ、登録しちゃっていいですか?」
「うん」
Echikoさんは腕を組んだまま頷いた。
「取りあえず」
受付で手続きを済ませる。
そして発行されたギルドカードに表示された情報は――
ギルドランク:F
登録日:本日
依頼達成数:0
討伐数:0
見事なまでに、何もない。
僕からすれば当然の結果だった。
「こ、これで……」
カードをEchikoさん見せる。
「証明できましたかね……?」
「……」
彼女はカードをじっと眺めた。
「完全に、とはいかないわ」
「ええ……」
やっぱりか。
「裏技を使って、ギルドを利用せずに活動してきたプレイヤーかもしれない」
「そんな疑い方あります?」
「この世界では何でも出来るのよ」
Echikoさんはカードを返した。
「でも……」
彼女の視線が、僕の顔へ移る。
「少なくとも、あなたが言っていることが全部嘘ってわけではなさそうね」
「じゃあ……」
「まだ、レベル59の説明がついてない」
「……ですよね」
僕は頭を掻いた。
そこで、ふと気づく。
「あー……」
「何?」
「もしかして……」
頭の中に、あのタイトルが浮かんだ。
僕のベースタイトル。
『マンピース ―風俗王に俺はなるー』
あのゲームには、とにかくレベルだけは異常な速度で上がっていく仕様があった。
「僕のベースタイトルのゲームって……すごい速さでレベルが上がっていくんですよ。最初のドラゴンでレベル56に上がりました」
「……」
「しかも、ゲームオーバーになりにくい設定で……」
「それが?」
「だから、この世界でも同じ仕様が適用されてるんじゃないかなって」
Echikoさんの表情が少し変わった。
「……なんていうゲーム?」
「え?」
「ゲームの名前よ」
「あー……」
言いにくい。
めちゃくちゃ言いにくい。
でも、ここで誤魔化したら本当に殺されかねない。
「……マンピース、っていう名前です」
「……知らないわね」
即答だった。
「設定を聞く限り、あまり売れてなさそうなゲームだけど」
「ですよね……」
一般的に知れ渡っているようなタイトルではない。
むしろ、知られていないほうが僕としてはありがたかった。
しかしEchikoさんは、しばらく考え込むと――
「ただ……」
「?」
「それが本当なら……」
彼女の目が、ほんの少しだけ鋭くなった。
「――
「あいつ?」
「……なんでもない」
「いや、今の気になりますけど」
「気にしなくていい」
Echikoさんは僕を見た。
「君、やっぱりマスターに会ってもらうわ」
「分かりました」
マスターが『マンピース』を知っていれば、僕の説明を信じてもらえるかもしれない。
何より――
この世界について、もっと詳しいことを知っている人物なら。
僕がなぜここにいるのか、その手がかりが見つかる可能性もある。
そんなことを考えていると、Echikoさんが小さく息を吐いた。
「……ごめんね」
「はい?」
「君は私を助けようとした」
突然の謝罪に、僕は戸惑った。
「それに、レベルのことも正直に答えた。動きも初心者級に悪いし……」
少しだけ口元を緩める。
「本当に初心者なんだろうとは思えるのだけど」
「は……はは」
苦笑するしかない。
「気にしないでください」
「この世界じゃ、裏切りも詐欺も横行してる」
Echikoさんは静かに言った。
「これくらい疑ってかからないと、生きていけないのよ」
「……そうなんですか」
少しだけ、彼女のことが分かった気がした。
冷たい人なのではない。
この世界で生き残るために、冷たくならざるを得なかったのかもしれない。
「でも――」
Echikoさんが、ふっと表情を和らげた。
「良かったー……」
「……」
笑顔。
さっきまでの鋭さが嘘みたいに消えている。
その表情を見た瞬間――
心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
……か、かわいい。
こんな一面があるのか。
まずい。
こんなことをされたら――
ゲロを吐いてしまいそうだ。
「うぷ⋯⋯きゅ、急にどうしたんですか?」
僕が尋ねると、Echikoさんはにこりと笑った。
「もう少しで、本当に殺してしまうところだったのよ」
「…………」
笑顔のまま言うことじゃない
と僕は心の中で思った。