「そういえば、Echikoさんが敵を全員倒したんですか?」
「スナイパーは取り逃がしたけどね」
「つ、強いんですね。ただ、大丈夫ですか?服が所々破けているようですが……」
先ほどの襲撃を思い出し、僕は改めて彼女の姿を見た。
黒いパンツスーツにはいくつか裂け目があり、白いシャツにも汚れが付いている。激しい攻撃を受けていたのだとしたら、無傷ということはないだろう。
そう思っていたのだが――。
「え?ああ、大丈夫よ。傷はないわ」
Echikoさんは、何でもないことのように答えた。
確かに服が破れているだけで、白いすべすべの素肌が所々見えていて妙に艶めかしい。
「僕も結局、外傷はないようなのですが……これ、どういう原理なんですかね?」
身体を確認してみても、目立った傷はない。
ただ、さっきから身体の奥に残っている鈍い痛みだけは消えていなかった。
「HPとか防御力などの隠れパラメータがあるわ。それらが身体を強化しているんだけど、攻撃を受けると、数値が減っていくの。痛みはちゃんとあるから、それで何となく残量は測れると思う」
「そうなんですか……」
ゲームでは当たり前のように存在していたHP。
それが、今は自分自身の命を表す数値として存在しているらしい。
「確かに、若干痛いです……。ということは、これってHPが減っている間はずっと痛いままですか?」
「RPG系統なら、回復しない限り続くかもね。自然回復はあると思うけど⋯⋯」
「えっ」
思わず顔が引きつる。
「あ、ごめん。私の系統は一定時間が経つと全快するから、薬草とか回復アイテムは持ってないんだ」
「Echikoさんの系統って、何なんですか?」
「『格闘ゲーム』よ」
「格闘ゲーム?」
「ストリートファイターとか、分かる?」
「あ、分かります!」
思わず声が弾んだ。
「なるほど……。一定時間でHPが全快するのは、格闘ゲームが一試合ごとにHP満タンの状態から始まる仕様だからですかね?」
「たぶん、そういうことなんじゃない?」
Echikoさんは肩をすくめる。
そのあまりにあっさりした態度に、僕は少しだけ首を傾げた。
「でも……なんで格闘ゲームなんですか?好きなんですか?春麗とか」
「あー……」
Echikoさんの返事が、妙に歯切れ悪くなる。
「好きってほどじゃ……ないかも」
「……え?」
なんだか釈然としない。
ゲームの系統が本人の好みで決まるのだと思っていた僕にとって、その答えは予想外だった。
「それじゃあ、系統ってどうやって決まるんでしょう?僕はてっきり、自分の好きなゲームとか、思い入れのあるゲームが選ばれるものだと思ってました」
「他のプレイヤーを見る限り、大抵はそうだと思うわ」
Echikoさんは少し考えるように視線を上げた。
「好きなゲームだったり、昔からやり込んでいたタイトルだったり。あとは……性格なんかも反映されているのかもしれないけど」
「性格まで?」
「今のところ、確かなことは何も言えないけどね」
「なるほど……」
僕は腕を組みながら考え込む。
Echikoさんは喧嘩が好きだったりするのだろうか。
そんなことを考えていると、身体を動かした拍子に脇腹へ鈍い痛みが走った。やはり先ほどの襲撃の傷は癒えていないようだ。
「痛っ……!」
思わず顔をしかめる。
「でも、いいなぁ……」
「何が?」
「僕も格闘ゲーム系統だったら、HPのことをそんなに気にしなくてよかったのに」
するとEchikoさんが、少し意外そうな顔をした。
「いや。でも、RPG系統のレベル59って、この世界のプレイヤーとしてはかなり上位よ」
「ええ!?」
思わず声が裏返った。
「そんなに高いんですか?」
「うん。本来だと長時間かけてたどり着くレベルよ少なくとも、そこら辺を歩いているプレイヤーが簡単に到達できるレベルじゃない」
「全然実感ないんですけど……」
「まぁ私みたいな近接タイプが不意打ちで先制を仕掛けたら、命を落とすことはあるかもしれないけどね」
「そ、そうなんですか……」
「さっきの襲撃者はたぶんFPS系統なんだけど、序盤から高火力を出せるのが長所なの。武器さえ揃えば、高レベルでもかなり危険」
Echikoさんが先ほどまで戦っていた方向へ視線を向ける。
「でも、君は攻撃をまともに受けても大丈夫だったでしょ?」
「……確かに」
思い返してみる。
銃撃を受けた。確かに痛かった。
けれど、結局、致命傷にはならなかった。
「RPG系統は、コツコツとゆっくりレベルを上げていくタイプ。だから、大器晩成型と言っても過言じゃないわ」
「大器晩成……」
「レベルが上がるほど覚える技も増えるし、装備やステータスも充実する。戦術の幅もどんどん広がっていく」
「おお……」
思わず目が輝いた。
「なんか、急にRPG系統が当たりに思えてきました」
「ただし」
Echikoさんが、人差し指を立てる。
「敵対プレイヤーからは、低レベルのうちに優先して叩かれるけどね」
「叩かれる……?」
嫌な予感がした。
「……殺されるんですか?」
「そう」
即答だった。
「だから、系統とかベースタイトル、それからレベルは、基本的に誰にも言わないほうがいいかもね」
「…………」
急に、この世界が怖くなった。
さっきまでゲームの攻略情報を聞いているような気分だったのに。
一歩間違えれば、それがそのまま生死に直結する。
「……思ったんですけど」
僕は周囲を見渡した。
武器を持った人間。
奇妙な装備を身につけた人間。
見たこともない乗り物。
そして、まるで現実の街と変わらない生活を送っているNPCたち。
「この世界って……大分、殺伐としてません?」
「世界というより、プレイヤーがね」
Echikoさんは苦笑した。
「何でもできちゃうから、私利私欲にまみれているのよ」
「……何でもできる」
その言葉が、妙に重く聞こえた。
「現実世界と同じよ」
「そう……なんですか」
「むしろ、明確な法がない分、こっちのほうが厄介かもね」
そう言って、Echikoさんは歩き出した。
僕も慌てて、その後を追う。
しばらく歩くと、街の喧騒が少しずつ遠ざかっていった。
そこで、Echikoさんがふと立ち止まる。
「さて。邪魔が入ったけど、帰る準備はできているわ」
そして、こちらを振り返った。
「ホームに戻るよ」
「ホーム……自分の家ですか?」
「そ。私ん
「…………」
一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。
私ん家。
Echikoさんの家。
「…………え?」
Echikoさんの家!?
その言葉を認識した瞬間、僕の思考が一瞬だけ停止した。
――家。
Echikoさんの。
つまり、これから僕は……Echikoさんの家に行く。
そう理解した途端、胸の奥が妙に騒がしくなった。
(いや、待て。落ち着け)
ただの家だ。
家に行くだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
……なのに。
頭の中には、勝手に余計な想像が浮かび始める。
Echikoさんは普段、どんな部屋で暮らしているのだろう。
どんな家具を置いているのだろう。
家ではどんな服を着ているのだろう。
服装からしてパンク系なのだろうか。
あの凛とした雰囲気も、家の中では少しくらい崩れるのだろうか。
そして――。
(……いやいやいや! 何を考えてるんだ、僕は!)
慌てて思考を振り払う。
しかし、一度意識してしまうと止まらない。
もし家で二人きりになったら。
もし、いつもより近い距離で話すことになったら。
もし、普段とは違う無防備な姿を見ることになったら――。
(駄目だ。考えるな。絶対に考えるな)
そう言い聞かせるほど、想像力だけが妙に働く。
「……?」
不意に、Echikoさんがこちらを見た。
「どうしたの?顔、赤くない?」
「っ!?」
僕は反射的に顔を背けた。
「い、いや! 何でもないです!」
「ふーん?」
Echikoさんが目を細める。
その視線が妙に鋭い。
まるで、こちらの考えていることまで見透かされているような気がした。
「……まあいいけど」
彼女はそれ以上追及せず、再び歩き始める。
僕は少し遅れて、その背中を追った。
(……危ない)
何が危ないのか、自分でもよく分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
Echikoさんの家に行く。
その事実だけで、僕の心は期待と不安ですでに少し浮ついていた。
「ただ、あなたはブックマークがないから、最寄りの町から徒歩になるわ」
「遠いんですか?」
「歩くとね。馬車も通っているけど、時間がかかるし」
Echikoさんは歩きながら説明を続ける。
「町から町へテレポートする運送屋があるから、それを使えばそれほどでもないわ」
「おお……」
思わず周囲を見渡す。
「なんか、本当にゲームの世界っぽいですね」
街には現実世界では見かけない店がいくつも並んでいた。
武器屋。防具屋。鍛冶屋。魔法道具らしきものを扱う店。何の店なのか一目では分からない奇妙な看板まである。さらに飲み屋が集まる一角まで来ると、少し雰囲気が変わった。
通りの端では、若い女性たちが客に声をかけている。
「……あれは?」
僕が指差すと、Echikoさんはそちらを見た。
「へぇ〜興味あるの?娼館よ」
「えっ!?」
あまりにあっさり答えられ、思わず声が大きくなる。
「相手はNPCだけど、最後まで出来るみたいね」
最後まで。その言葉を聞いた瞬間、思考が止まった。
この世界には、こんな場所まで存在するのか。
しかも、ただ見学するだけではない。
NPCと親密な関係になることもできる――
「…………」
胸の奥が、ざわついた。
――女性恐怖症。
女性とまともに目を合わせられない。
近くにいるだけで緊張する。
少し距離を詰められただけで、頭の中が真っ白になる。
もし、この世界のNPCが人間と同じように自然な会話をしてくれるのなら。相手がNPCだからこそ、現実の女性よりも緊張せずに接することができるのなら。
ーーこの無意識の悪癖を克服する練習になるんじゃないか?
そうだ。
これは遊びではない。
訓練だ。
女性と会話する。
目を見る。
同じ空間にいることに慣れる。
それを繰り返していけば、少しずつ恐怖心を克服できるかもしれない。
「……うん。そうだ」
自分に言い聞かせる。
「別に変な目的じゃない。治療……いや、訓練だ」
そこまで考えて――ふと我に返った。
「……そんなに行きたいの?」
Echikoさんが目を細くしてこちらを見ていた。
「え?」
振り向くと、Echikoさんがじっと僕を見ていた。
細められた目。わずかに上がった口元。
「さっきから、すごく気にしてるように見えるけど?」
「えっ!? 違います!」
「ふーん。じゃあ、後で勝手に行ってもらっていいけど」
「いや、だから違いますって!」
即座に否定したものの、自分でも声が少し上ずっているのが分かった。
Echikoさんは、そんな僕を見て冷たく笑った。
「今日は我慢して。まずはホームに帰るわよ」
完全に見透かされている。
そんな気がした。
そもそも、こんなに綺麗な女性が、男性のこういう視線に気づかないはずがない。言い寄ってくる男も沢山いて慣れているはずだ。
ほんの少しの間。視線の動き。声の調子。
そういう些細な変化だけで、こちらが何を考えているのかバレてしまっているのかもしれない。
(……恥ずかしすぎる)
僕は俯きながら歩いた。
「ほら、急ぐわよ」
「は、はい!」
Echikoさんに急かされ、僕は慌ててその後を追う。
向かう先は、テレポート屋。
その先にあるのは――Echikoさんの家。
それだけのことなのに。
なぜだろう。
僕の心臓は、さっきの銃撃戦よりもずっと忙しく動いていた。