翌朝の出立に備え、今夜は早めに休むことになった。
風呂を借り、さっぱりしたところで寝室へ戻る。
ベッドに身体を横たえ、ぼんやりと天井を見上げた。
普段とは違う寝床にいるせいだろうか。
どこか出張先のビジネスホテルに泊まったときのような、不思議な感覚があった。
ただ、あのときとは決定的に違う。
ここは異国の地ですらない。異世界だ。
そもそも、自分が現実世界へ戻れるという保証すらない。
どうしてこんな場所にいるのか。
なぜ自分が、こんなゲームのような世界に放り込まれたのか。
考えても考えても、答えは出てこない。
それに先ほど見たEchikoさんの入浴姿も頭にこびりついて離れない。
このムラムラを抑える手段はただ一つ。
自分で自分の息子をどうにかすることだ。
しかし、アサクラさんに作ってもらったこの家でやるにはどうにも気が引ける。
(風呂場なら⋯⋯)
そう思って移動しかけた時。
ふと考える。
Echikoさんやアサクラさんは性事情をどのように対処しているのだろうか!?と。
この島には男性(人)がいない。
となると、自分でせざるを得ない。
Echikoさんなんて久しぶりに落ち着ける場所に帰ってきたのだ。今頃、1人でいそしんでいるかもしれない。
⋯⋯透視を使って見にいきたい。
(いかん、いかん!)
頭を振って、邪心が芽生えるのを抑える。
そんな盗撮みたいなこと、犯罪するようなものだ。
ただ、でもこの世界にはそもそも法律がない。
警察もいない。
盗みを働けば逮捕される。
人を殴れば警察に捕まる。
他人の家に勝手に入れば不法侵入になる。
そんな当たり前のルールが、この世界ではどこにもない。
ならば良いのではないか?
(ちっがーう!!)
法律がないからといって、何をしてもいいわけではない。
そもそも、僕が誰かを殴ったら、その人は痛いだろう。持ち物を盗まれたら困るだろう。大切なものを壊されたら悲しむだろう。
それは、この世界がゲームであろうとなかろうと、変わらない。
僕はただの会社員であり聖人君子とは程遠いけれど、それでも、越えてはいけない一線というものは知っているつもりだ。たぶん。
当たり前すぎて、普段は意識すらしていなかった。
だが、ここでは違う。
誰も見ていなければ、盗んでも捕まらないかもしれない。
相手が弱ければ、力ずくで奪うこともできるかもしれない。
相手がNPCなら、多少ひどいことをしても、ゲームのイベントの一つだと言い訳できるかもしれない。
そして何より、僕自身がその誘惑に負ける可能性だってある。何しろ、僕は特別に正義感が強い人間ではないのだから。
むしろ、面倒ごとは避けたいし、損もしたくない。できることなら安全な場所でのんびり暮らしたいし、危険な相手には関わりたくない。
そんな人間が、法も秩序も曖昧な世界に放り込まれたのだ。
自分が思っている以上に、簡単に道を踏み外すのかもしれない。
……怖いな。
モンスターに襲われることよりも、よほど怖い。
自分の中にある、都合のいい言い訳が。
僕は小さく息を吐いた。
「……眠れないな」
何度目かの寝返りを打った、そのときだった。
――ピンポーン。
「……ん?」
静かな家の中に、場違いな電子音が響いた。
(これ……インターホン?)
僕は慌ててベッドから起き上がり、玄関へ向かいドアを開ける。
そこに立っていたのは――アサクラさんだった。
寝間着姿の彼女は、少し申し訳なさそうに微笑んでいる。
「疲れているところ、夜遅くにごめんなさい」
「えっ!?あ、いえ!どうされたんですか?」
「あの……不足しているものはないかなと思って」
「不足しているもの、ですか?」
彼女の姿と急な来訪に動揺しつつも考えてみる。
風呂場もある。洗面台もある。ベッドも用意してもらった。このあと眠るだけなのだから、特に困っていることはなかった。
「私、あつ森だけをずっとやってきたから、物資だけはたくさん持っているんです。だから、遠慮しないで言ってください」
「ああ……お気遣いいただいて、ありがとうございます」
僕は少し考えた。
「そうですね……生活する上で困っていることは、今のところ特には――」
そこで、ふと彼女の仕草に目が留まった。
夜の冷気が入り込んでいるのか、アサクラさんは両腕をさすっている。
「あっ、すみません! どうぞ、中へ入ってください」
反射的に招き入れてしまった。
「お邪魔します」
アサクラさんが僕の横を通り過ぎる。
その瞬間、ふわりと甘い香りが漂った。
バニラのような甘さに、どこか大人びた香りが混ざっている。
(……近い)
それだけで、心臓が妙に騒がしくなる。
「急いで用意したので、思いつく生活用品しか置けなかったんですけど……本や雑誌、それにテレビなんかも置きましょうか?」
「え? いや、そこまでしてもらわなくても――」
言い終わる前に、アサクラさんが居間へ歩いていく。
すると――
「これでどうかしら」
まるで魔法でも使ったかのように、テレビとソファが忽然と姿を現した。
「……出た」
「ふふ。これくらいなら簡単ですよ」
「ああ……いえ、お構いなく!どうせ僕は明日には出ていく予定ですし」
「用事が終わったら、また戻ってくればいいじゃないですか」
アサクラさんは何気ない調子で言った。
「心ゆくまで、ここにいてください」
「……できれば、そうしたいんですけど」
僕は苦笑した。
「Echikoさんが何て言うか……。ほら、僕、男ですし」
「男性がいらしても、私は気にしませんよ」
アサクラさんは柔らかく笑った。
「ピーマンさんなら、むしろ大歓迎です。優しそうですし」
「そ、そうですか……」
真正面からそう言われると、どう反応していいのか分からない。
「それより、ベッドはどうですか?寝心地。もう少し固いほうがよかったかしら?」
「いえ!ふかふかで最高です!」
「それならよかった」
アサクラさんは寝室へ向かう。
「ふふ。ダブルだと、ちょっと広すぎたかしら」
「……え?」
彼女がベッドの端に腰を下ろす。
ギシ、とマットレスが小さく沈んだ。
そして、僕を見上げる。
「少し、お話しませんか?」
「……お話、ですか」
「ええ。今日ここへ来るまでのこと。外の様子を、もう少し伺いたいんです」
そう言って、隣の場所をぽんぽんと軽く叩いた。
「こちらへどうぞ」
「……はい」
少し距離を置いて恐る恐るベッドに腰を下ろす。
でも近い。近すぎる。
それだけで僕の身体は警報を鳴らし始めていた。
アサクラさんが足を組み直した拍子に、ランジェリーの隙間から白い肌がちらりとのぞく。
よく見るとアサクラさんのランジェリーは生地が薄く、素肌の色が見えている。
さらに⋯⋯上着がはだけると胸の部分がさらに薄くなっていて、突起の部分が薄く見えている事が分かった。
(見ない。絶対に見ない)
僕は必死に視線を逸らした。
しかし、そんな僕の反応が面白かったのか、アサクラさんは少しだけ首を傾げる。
「どうなさったの?」
「……い、いえ」
「長旅で疲れているんでしょう?」
彼女は優しく微笑んだ。
「ゆっくり癒やして……ね」
「…………」
距離を置いてベッドに座った僕に対して、彼女はさらに近づいて肩を優しく触ってきた。
びくっ。
電流が流れたような衝撃が、全身を駆け抜ける。
(こ、これは……!?)
指先が肩からゆっくりと下へ移動していく。
くすぐったさと緊張が入り混じり、背筋がぞくりとした。
(誘われているのか!?)
いや。
(……試されている?)
僕が本当に危険な人間ではないのか、それを確かめるために、わざと距離を詰めている可能性もある。
もし僕が狼のように飛びつけば――。
その瞬間、Echikoさんが現れて僕を取り押さえる。
そんな手筈なのかもしれない。
……いや。
そもそも、僕には女性に飛びつく度胸なんてない。
HPだって、とっくに瀕死だ。
「私ね……」
アサクラさんが、ぽつりと呟いた。
「ずっと、この村に一人でいるんです」
「……そうなんですか」
「だから……」
少しだけ間があった。
「いつも、寂しくて」
その言葉とともに、彼女がそっと僕の肩へ頭を預ける。
(……まずい)
心臓の音が、自分でも分かるほど大きくなった。
汗が滲む。
思考がうまく働かない。
「……緊張してるの?」
耳元で優しい声がした。
「大丈夫ですよ」
アサクラさんの細くてキレイな手が僕のシャツの中に入ってきた時であった。
頭の奥で、突然――声が響いた。
『あなたは、まだ女性を知らなくていい』
「……え?」
聞き間違い。そう思った。
けれど、続けて別の言葉が脳裏に浮かぶ。
『ずっと私のものよ。誰にも渡さない』
「う……」
この声は⋯⋯
次の瞬間、猛烈な頭痛が襲ってきた。
「う、ううっ……!」
僕は両手で頭を抱えた。
「えっ!? ピーマンさん!?」
「す、すみません……急に……頭が……」
頭の中が割れるように痛い。
目の前が歪む。
「大丈夫ですか?」
アサクラさんが心配そうに顔を覗き込む。
「……はい。すみません」
やがて痛みは少しずつ引いていった。
アサクラさんは、どこか寂しそうな表情を浮かべている。
「……体調が悪いのね」
「……」
「夜遅くに、ごめんなさい」
彼女はそう言って立ち上がると、僕をゆっくりベッドへ寝かせようとした。
「あ、あの……!」
「無理しないでください。今日はゆっくり休みましょう」
その声には、ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。
僕は慌てて口を開く。
「違うんです」
「……?」
「その……僕には、相手を癒やす能力があって」
「癒やす……?」
「はい」
FPS勢との戦闘でレベルが上がったとき、いつの間にか身についていた能力。
その名は――。
『ヒーリングタッチ』
優しく触れることで、対象の肉体的・精神的な疲労を軽減する。僕はまだ、この能力を一度も試していなかった。
だからこそ――。
「少しだけ、触れてみてもいいですか?」
アサクラさんは目を丸くした。
「え……?」
「その……僕にできることが、それくらいしかないので」
しばらく考えたあと、彼女は小さく頷いた。
「え……ええ」
僕はなるべく彼女の姿を意識しないようにしながら、そっと手を伸ばした。
手のひらが少し汗ばんでいる。
こんな状態で触れたら、不快に思われるかもしれない。
それでも、アサクラさんの肩へ指先を触れさせる。
「ん⋯⋯!」
手がアサクラさんのなめらかな肩に触れた瞬間。
身体が小さく震え、甘い声が漏れた。
そう。マンピースのこの技は副次効果として快感を伴うのだ。
(き、効いているのか?)
僕の手のひらから、何か温かなものが流れ込んでいくような感覚があった。
ゲームのスキルなのに、まるで生き物同士の間で何かが循環しているようだった。
アサクラさんは目を伏せ、静かに息を吐く。そして斜め下に視線を流して動かなくなった。
しかしなんて柔らかくてスベスベした質感だろう。
これが女性の肌なのか⋯⋯。
数年ぶりに触れた張りのある綺麗な素肌に感動しつつ、僕はヒーリングタッチを続ける。
アサクラさんの息は何かを耐えるように、荒くなっていく。肌も少し汗ばんでいるようだ。
「もう少しです」
という僕の声にビクンとカラダが反応し、目をギュッとつむった。
ヒーリングタッチのフィナーレは生命エネルギーを一気に供給することで対象の活力も上げる。その分、副次効果も高かった。
最後の仕上げに差し掛かった時
「んっ……!あっ……はぁん!」
アサクラさんは押し殺していた声にならない声を上げてから、カラダを大きくのけぞった。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ」
手を離しても余韻は止まらず、目をつむって口が半開きのまま、しばらくの間ビクンビクンとカラダを痙攣させていた。
「ど、どうでした?」
「⋯⋯え?」
息はまだ粗く、少し虚ろな涙目になってこちらを見ているアサクラさんはまだ会話が成立しないほど放心していた。
そしてハッと我に返った。
「えっ……あ!ご、ごめんなさい!」
「いえ」
「私ったら……」
彼女は恥ずかしそうに頬へ手を当てる。
「……どうしちゃったのかしら」
「いろいろ回復できました?」
「え、ええ。すごく⋯⋯良かったです⋯⋯」
「それは良かった」
「私が癒やしに来たのに、逆にして頂いちゃってすみません⋯⋯」
アサクラさんは恥ずかしさから逃れるように立ち上がると、そそくさと玄関のほうへ向かった。
そして少しだけ振りかえり、軽く会釈した。
「ありがとう、ピーマンさん」
その笑顔は、夕食のときとは少し違っていた。
どこか気恥ずかしそうで、それでいて嬉しそうだった。
「……それじゃあ、おやすみなさい」
「お、おやすみなさい」
彼女はそのまま足早をに去っていった。
扉が閉まる。
家の中に、再び静寂が戻った。
「…………」
僕はしばらく、その場から動けなかった。
そしてようやく寝室へ戻る。
ベッドには、先ほどまでアサクラさんが座っていた跡が残っている。
ほんの少しだけ温もりが残っており、
そして――湿っていて妖美な香りがした。