ブルアカ少女ノ魔女裁判   作:すーぱーりっかちゃん

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ホシノ『そこは覚えとこう、って言ったでしょ』

ミカは、扉のところで足を止めたまま、返事をしなかった。

 

返事を探す必要が、なかった。

 

ミカ「知ってる」

 

ユウカ「知っていますか」

 

ミカ「四日ぶん、あなたの数字を見た」

 

ミカ「一回も合わなかったことがない」

 

ユウカは、十三脚の椅子を左から右へ見た。

 

ユウカ「では、聖園さん」

 

ユウカ「私の計算を、信じますか」

 

ミカ「信じる」

 

ユウカ「根拠は」

 

ミカ「ない」

 

ミカ「でも、あなたが自分の魔法を最初に疑ったの、私は聞いてた」

 

ミカ「あれ、疑ってる人の言い方じゃないんだよ」

 

ミカ「あれは、間違ってたら困る人の言い方」

 

ユウカが、そこでようやく振り向いた。

 

目のまわりが、一度濡れたあとの乾き方をしていた。

 

ユウカ「私は、名前を出せません」

 

ミカ「うん。名前は使わない」

 

ミカ「使うのは、数の方」

 

ミカ「人が九なら、九じゃない一人ぶんの場所が、どこかにあるじゃんね」

 

ミカ「その場所って、たぶん人の形じゃないと思うの」

 

ユウカ「……場所」

 

ミカ「登録される場所」

 

ミカ「数えてある場所に、一つだけ何も入ってないところがあったら」

 

ユウカの息が、そこで一度止まって、すぐに戻った。

 

ユウカ「保管庫です」

 

ミカ「うん」

 

ユウカ「十三人分の預かり品です。中は誰も見ていません」

 

ミカ「開けるよ」

 

ユウカの目が、数を受け取るときの目に戻っていた。

 

ユウカ「あの扉は外壁と同じ材質です。殴れば、返ってきます」

 

ミカ「殴らない」

 

ミカが夜に声をかけたのは、四人だった。

 

ユウカ。ヒナ。シロコ。サオリ。

 

ミカ「保管庫を開けたい。理由は着いてから言う」

 

ヒナだけが、それに一つ返した。

 

ヒナ「五つ目に触れるわね。私が承認したことにするわ」

 

ミカ「……ずるいじゃんね」

 

保管庫は、収容棟の裏の行き止まりにあった。

 

扉は外壁と同じ灰色で、継ぎ目が見えないほど平らだった。

 

その表面に、十三の名前が刻まれていた。

 

一つだけ、刻みの縁が新しかった。

 

ミカは、その一つを見ないようにして、扉の中央を見た。

 

中央に、掌ほどの錠があった。

 

錠だけが、居室の扉のものと同じ黒い鉄だった。

 

ミカ「じゃあ、順番を決める」

 

ミカ「私の魔法は、私が壊した物だけを、壊れる直前に戻せる」

 

ミカ「生き物には効かない。二度は効かない」

 

ミカ「逆に言うと、私が壊した物なら、壊す直前まで戻る」

 

ヒナ「……開けて、見て、戻す」

 

ミカ「そう」

 

ヒナ「戻ったら、開けた形跡が消えるのね」

 

ミカ「消える。見た人だけが、見たことになる」

 

ヒナは、黙ってからシロコを見た。

 

シロコ「道の跡を見た」

 

シロコ「四日目の三人の線。そのあと、誰も来てない」

 

シロコ「今日も、私たちだけ」

 

ユウカが、扉の前に立った。

 

扉に手を近づけ、触れる直前で止めた。

 

ユウカ「聖園さん。返ってくるのは、何に対してですか」

 

ミカ「力じゃないの」

 

ユウカ「力だと、私は思っていました。でも、名前が反響障壁です」

 

ユウカ「反響は、鳴ったものに対して起きます」

 

ユウカは、手のひらを扉にゆっくり置いた。

 

置いて、体重をかけた。

 

肩が入るところまで、押した。

 

何も起きなかった。

 

ユウカ「押しても、返りません」

 

ユウカ「外殻に、かなりの力を加えています」

 

ユウカは手を離し、人差し指の関節で扉を一度だけ叩いた。

 

小さい音がした。

 

ユウカの左手首が、一度跳ねた。

 

ユウカは、その手首を反対の手で押さえて、息を吐いた。

 

ユウカ「叩くと、返ります。今の分だけ、返りました」

 

ヒナ「音ね」

 

ユウカ「はい。壁が鳴った分だけ返ります」

 

ユウカ「収容者が加えた力、という言い方は正しくありませんでした」

 

ユウカ「正しくは、収容者が鳴らした分、です」

 

ミカは、錠を見た。

 

座金が灰色の扉に埋まっていて、境目に髪一本ぶんの隙間があった。

 

ミカ「じゃあ、鳴らさないで壊すやつを探す」

 

ミカ「錠は扉と別の材質。居室の扉と同じ」

 

サオリ「一日目に壊したな」

 

ミカ「壊した。殴ってない」

 

ミカ「かんぬきのところに指を入れて、内側へ曲げた」

 

ミカ「音は、外れるときのカチって音だけ」

 

ヒナ「その手が、ここで使えるの」

 

ミカ「隙間が細い。指が入らない」

 

ユウカが、錠の前に膝をついて、目を閉じた。

 

閉じている時間が、匙のときより長かった。

 

ユウカ「錠の中の部品は、七つです」

 

ユウカ「かんぬきは一本。隙間は、上に三、横に一」

 

ユウカ「単位は言えません。比だけ言います」

 

ユウカ「上の隙間が、横の三倍あります」

 

ミカ「上から入る」

 

ユウカ「細いものなら通ります。指は通りません」

 

サオリが、外していた右手の手袋を裏返した。

 

裂け目のところに、細い金具の留め具が縫い込まれていた。

 

サオリは、それを歯で噛んで引き抜いた。

 

サオリ「使え」

 

ミカ「あなた、それ、手袋が閉まらなくなるじゃん」

 

サオリ「閉まらなくていい」

 

ミカ「……借りる」

 

ミカは、金具を上の隙間から差し込んで、指先だけで奥を探った。

 

当たった場所を、指の腹で確かめた。

 

ミカ「かんぬきの背中に当たってる」

 

ミカ「これを内側へ押して曲げる。曲げれば受けから外れる」

 

ヒナ「押す方向は」

 

ミカ「扉と平行。扉の面を押さない。錠の中だけを押す」

 

ユウカ「それなら、外殻は鳴りません」

 

ユウカ「ただし、一度でも滑って扉に当たれば鳴ります」

 

ミカ「滑らないよ」

 

ユウカ「滑ります」

 

ユウカ「人の手は、力を入れると震えます」

 

ユウカ「震える幅は、力の量に比例します」

 

ユウカ「ですから、力を一度にかけないでください。私が数を言います」

 

ユウカ「一つで、髪の毛一本ぶんだけ押してください」

 

ミカ「何回」

 

ユウカ「四十一」

 

ヒナが、ミカの後ろに立って両手を上げた。

 

ヒナ「盾を張ったわ。あなたの側にだけ」

 

ミカ「これ、返しは止められるの」

 

ヒナ「止められない。二日目に試したもの」

 

ヒナ「返しは、外から来ないの。内側から出るのよ」

 

ミカ「じゃあ何のため」

 

ヒナ「錠が外へ飛んだときのため」

 

ヒナ「そういうものは、外から来るわ」

サオリが、ミカの左肩に手を置いた。

 

サオリ「触れている」

 

ミカ「肩代わり」

 

サオリ「そうだ」

 

ミカ「あなた、昨日の火傷まだ治ってないじゃんね」

 

サオリ「関係ない」

 

サオリ「ミカ」

 

サオリ「私は、間に合わなかった回数を三回覚えている」

 

サオリ「四回目を覚えたくない」

 

ミカは、それに返す言葉を持たなかった。

 

持たないので、金具を握り直した。

 

握って、指の先まで一度開いて、また握った。

 

ミカ「ユウカちゃん。数えて」

 

ユウカ「一」

 

ミカは、髪の毛一本ぶんだと思う量を押した。

 

ユウカ「二」

 

金具の先が、かんぬきの背中を滑らずに保っていた。

 

保つために固定した手首が、十を越えたところから震え始めた。

 

ユウカ「十一」

 

ユウカ「聖園さん。息を止めないでください」

 

ユウカ「止めると、次の数で大きく震えます」

 

ミカ「うん」

 

シロコが、ミカの手元を見て、何も言わなかった。

 

言わないことが、シロコの手伝い方だった。

 

ユウカ「二十一」

 

二十一で、金具の奥に抵抗が生まれた。

 

曲がり始めると、力が一気に通りやすくなる。

 

ミカは、そこで指を緩めた。

 

ミカ「待って。今から通る」

 

ミカ「通るから、押しすぎる」

 

ユウカ「では、残りの二十を、四十に割ります」

 

ユウカ「一つで、半分ぶん」

 

ミカ「それ、数えられるの」

 

ユウカ「数えられます。私は、間違えません」

 

ユウカの声が、そこで少し変わった。

 

朝の食堂で椀を置いたときと、同じ変わり方だった。

 

同じなのに、向きが逆だった。

 

ユウカ「一」

 

ミカは、半分ぶんを押した。

 

三十を越えたあたりで、指先の感覚が消えた。

 

消えても、金具の位置は手が覚えていた。

 

ユウカ「三十九」

 

ユウカ「四十」

 

鉄が、受けの縁から離れた。

 

音は、二つした。

 

一つは、かんぬきが曲がりきる音。

 

もう一つは、扉が自分の重みで内側へ動く音。

 

どちらも、外殻を鳴らさなかった。

 

ミカの左手首は、熱くならなかった。

 

サオリの手が、肩から離れた。

 

サオリ「来なかった」

 

ミカ「来なかった」

 

ヒナ「開ける」

 

ヒナが押すと、扉は開いた。

 

中は暗く、埃と油の匂いがした。

 

シロコが、厨房から持ってきた灯りを掲げた。

 

壁の三面が棚で、縦に十三の区画に割られていた。

 

区画ごとに、下の縁に名札があった。

 

金属の板に文字を打ったもので、扉の刻みと同じ字だった。

 

手前の区画に、黒い箱と銃と、端末が二つ。

 

名札には、鬼方カヨコと打たれていた。

 

次に、伊草ハルカ。銃と、たたんだ布と、小さな守り袋。

 

次に、棗イロハ。銃と、菓子の箱と、髪を結ぶ紐。

 

菓子の箱は、封が切られていなかった。

 

ミカは、そこで一度立ち止まった。

 

立ち止まったことを、誰にも言わなかった。

 

次の区画の名札を、ミカは読まなかった。

 

読まなくても、誰の名前かは分かっていた。

 

サオリが、そこで動かなくなった。

 

ミカは、灯りを少しずらした。

 

ずらしたのは、見せないためだった。

 

ヒナが、区画の名札を順に読んでいった。

 

声を使わず、唇だけが動いていた。

 

最後の区画に、灯りが当たった。

 

名札があった。

 

金属の板に、生塩ノアと打たれていた。

 

打ち方も、字の大きさも、他と同じだった。

 

棚板の上に、何もなかった。

 

空だった。

 

風は入らなかった。入る場所がなかった。

 

ユウカ「……回収漏れです」

 

ユウカ「持ち込みがなければ、預かり品はありません」

 

ユウカ「私物を何も持っていなかった人は、空になります。それだけの話です」

 

ユウカは区画に近づいて、棚板に指を伸ばし、途中で止めた。

 

ユウカ「聖園さん。他の区画の棚板を、見てください」

 

ミカは、隣の区画を見た。

 

棗イロハの区画だった。

 

箱を持ち上げると、その下に埃のない四角が残っていた。

 

紐のところにも、細い線の形で跡があった。

 

棚板の埃は、物の形に沿って途切れていた。

 

生塩ノアの区画の埃は、均一だった。

 

縁から縁まで、同じ厚さで、同じ色だった。

 

途切れているところが、一つもなかった。

 

ユウカ「置いてあった物をあとで持ち出したなら、跡が残ります」

 

ユウカ「この棚板には、一度も、何も置かれていません」

 

ユウカは、自分の胸のあたりで手を握った。

 

震えないように、力を入れていた。

 

ユウカ「入所したら、私物は預かられます。銃も端末も全部です」

 

ユウカ「私は、一日目に取り上げられました。私の区画に、あります」

 

ユウカは、そこで言葉を切った。

 

ユウカ「聖園さん。私は今、名前を言いそうになりました」

 

ミカ「言わないで」

 

ユウカ「言いません。言いませんが、私は数えました」

 

ユウカ「棚が十三。物が入っている区画が十二」

 

ユウカ「人が、九」

 

ミカは、棚の一番端に手を置いた。

 

触れた埃の均一な面が、冷たかった。

 

ヒナ「聖園ミカ。戻して」

 

ヒナ「戻す前に、見たものを口に出して」

 

ヒナ「同じ物を見たという記録は、四人で持つ」

 

シロコ「棚は十三。空は一つ」

 

サオリ「空の区画に、名札がある」

 

ユウカ「空の区画の埃だけ、均一です」

 

ヒナ「私は、名札の文字が他と同じ打ち方だと見た」

 

ミカ「……私は、そこに一度も物が置かれてないと見た」

 

ヒナ「いいわ。出て」

 

ミカが最後に出て、扉を引いて閉めた。

 

閉めた扉に、両手を置いた。

 

手のひらの下に、曲がったかんぬきの感触はなかった。

 

だから、覚えている方を使った。

 

自分が壊した。

 

自分が、四十一と四十で押した。

 

押した最後の半分ぶんを、まだ手が覚えている。

 

ミカは、目を閉じなかった。

 

鉄の音がした。

 

外れる音の逆の音だった。

 

かんぬきが受けに入って、七つの部品が元の並びに戻った。

 

扉は、鳴らなかった。

 

ミカは、手を離した。

 

離した手が、扉の表面から二寸ほどのところで止まって、下りなかった。

 

左手首が、熱かった。

 

袖をずらした。

 

黒い線が、十三本あった。

 

昼の廊下で、十本だった。

 

三本、増えていた。

 

ミカの右手が、震え始めた。

 

震えが、手首から肘まで来た。

 

拳を握ろうとして、握れなかった。

 

ミカ「あ、これ」

ミカ「ちょっと、やば」

 

ヒナの手が、ミカの右腕を掴んで、自分の脇に挟んだ。

 

ヒナ「吸ってから吐いて。私が数えるから」

 

ミカ「あなたが数えるの、下手じゃんね」

 

ヒナ「うるさい」

 

ヒナは、数えなかった。

 

数えずに、ただ挟んだままにしていた。

 

挟まれている腕の震えが小さくなるまで、五十くらいかかった。

 

サオリが、ミカの手首の輪の上に指を二本置いた。

 

何も起きなかった。

 

起きないことを、確かめたのだと分かった。

 

ヒナ「聖園ミカ。あなた、名前を言わないのね」

 

ミカ「言わない」

 

ヒナ「なぜ」

 

ミカ「四人で見たものは、四人ぶんの根拠でしょ」

 

ミカ「それで名前を言うと、四人が票を持つことになる」

 

ミカ「票を入れた人は、あとで自分を責める」

 

ミカ「私は、それを二日前に見たの」

 

ヒナが、ミカの腕を離した。

 

ヒナ「明日の朝、全員に見せるわ」

 

ミカ「開けるの、私だけど」

 

ヒナ「そうよ。あなたに、もう一度払わせる」

 

ヒナ「承認する立場で言っているの。嫌なら断って」

 

ミカ「断らないよ」

 

ヒナ「……そう」

 

ヒナ「朝食のあと。話す順番は、私が決める」

 

ヒナ「あなたが決めると、あなたの結論から始まるから」

 

ミカ「それ、正しいじゃんね」

 

ヒナ「正しくないわ。でも、順番は誰かが決めないといけないの」

 

石の壁を回り込んで、収容棟の廊下に戻った。

 

夜の当番は二組で、北側の外周がホシノとシロコだった。

 

シロコは、保管庫に来ていた。

 

だから、この時間、外周にはホシノが一人でいた。

 

ミカが気づいたときには、シロコが先に走り出していた。

 

外周に近い廊下は、片側が外壁で、窓がなかった。

 

継ぎ目に、細い銀の線が入っていた。

 

その線の前に、ユウカが立っていた。

 

立ったまま、動いていなかった。

 

ミカが名前を呼ぶより先に、ユウカの左手首が光った。

 

銀の輪が、内側から白く光った。

 

光りながら、熱を持った。

 

熱を持ったことは、離れていたのに分かった。

 

空気の匂いが変わったからだった。

 

ユウカが、自分の手首を見た。

 

見た顔が、驚いていなかった。

 

驚くより先に、数えようとした顔だった。

 

ユウカ「……七」

 

ユウカ「違います。今、七じゃない」

 

ミカは、走った。

 

走った距離は、十歩もなかった。

 

その十歩の間に、外壁が鳴った。

 

鳴ったのは、誰も触っていない壁だった。

 

鳴り方が、内側から鳴らされたようだった。

 

ユウカの体が、その音に合わせて傾いた。

 

押されたのでも引かれたのでもなかった。

 

位置が、少しずれた。

 

ずれた場所に、ユウカの形の輪郭だけが遅れて残った。

 

ミカは、そこで理解を諦めた。

 

理解より先に、手を伸ばした。

 

届かなかった。

 

届く前に、別の手が届いた。

 

ホシノの手だった。

 

ホシノは、ユウカの襟のあたりを掴んでいた。

 

掴んだ手を、そのままユウカの首の後ろに当てた。

 

ホシノ「早瀬ちゃん。おやすみ」

 

ユウカの膝が、抜けた。

 

抜けた瞬間に、ホシノがもう片方の手でユウカを突き飛ばした。

 

突き飛ばした方向は、外壁から離れる方だった。

 

力の入れ方が、乱暴だった。

 

乱暴でなければ、間に合わなかった。

 

ユウカの体が、廊下の内側の床を滑った。

 

滑って、ミカの足に当たって止まった。

 

当たったユウカは、目を閉じていた。

 

眠っている顔から、痛みの形が消えていた。

 

消えていることに、ミカは一瞬だけ安心した。

 

安心した直後に、音がした。

 

外壁が、二度目に鳴った。

 

一度目より、短かった。

 

短いのに、大きかった。

 

鳴ったのは壁で、返ったのは壁ではなかった。

 

ホシノが、床に膝をついた。

 

膝から先に落ちて、肩が壁に触れないように体を捻った。

 

捻ったのは、たぶん癖だった。

 

床の石についた両手が、動かなかった。

 

ホシノの頭の上で、ヘイローの光が揺れた。

 

揺れて、片側が薄くなった。

 

薄くなった側から、輪の形が消えていった。

 

消え方が、灯りを絞るときと同じだった。

 

速くなかった。

 

速くないことが、いちばん悪かった。

 

シロコ「ホシノ先輩」

 

シロコの声が、廊下の端から来た。

 

来てから、シロコ本人が来た。

 

膝をついて、背中に手を置いた。

 

シロコ「先輩」

 

ホシノ「うへ〜」

 

ホシノ「シロコちゃん、前を歩いてって言ったのに」

 

シロコ「戻った」

 

ホシノ「戻っちゃったねえ」

 

ホシノ「早瀬ちゃん、寝てる?」

 

ミカ「寝てる」

 

ホシノ「そっか。じゃあ、いいや」

 

ミカは、ホシノの横に膝をついた。

 

つく前に、拳を握っていた。

 

握った拳が、開かなかった。

 

ミカ「ホシノちゃん」

 

ホシノ「ミカちゃん」

 

ミカ「そんなの頼んでない」

 

ホシノ「うん。頼まれてないよ」

 

ホシノ「頼まれたら、やってないもん」

 

ホシノ「頼まれたら、それ、順番になっちゃうでしょ」

 

ホシノ「次は誰の番、みたいになるの。それは、やだなあ」

 

ホシノは、そこで少し笑った。

 

笑い方が、いつもと同じだった。

 

ホシノ「一日目に、おじさん言ったんだけどさ」

 

ホシノ「事件が起きなきゃ裁判もない。そこは覚えとこう、って」

 

ホシノ「言ったのに」

 

ホシノ「誰も、覚えててくれなかったねえ」

 

誰も、それに返事をしなかった。

 

返事をする資格が、その場の誰にもなかった。

 

ホシノ「シロコちゃん」

 

シロコ「うん」

 

ホシノ「四日目にね、先に帰る準備しときなさいって言ったでしょ」

 

シロコ「言った」

 

ホシノ「あのとき、頷かなかったよね」

 

シロコ「うん」

 

ホシノ「今は」

 

シロコ「頷かない」

 

ホシノ「……そっか」

 

ホシノ「頑固だなあ」

 

シロコは、泣かなかった。

 

顔も歪めなかった。

 

背中に置いた手だけ、位置を変えなかった。

 

変えないために、腕が固くなっていた。

 

ホシノ「シロコちゃん。線、見ないでね」

 

ホシノ「おじさんが今日どこ通ったか、ぜんぶ見えちゃうもんね」

 

ホシノ「見ないでいいよ。あんまり、面白い道じゃないから」

 

ヘイローの光が、片側だけになった。

 

長いあいだ、誰も動かなかった。

 

ホシノ「ミカちゃん。順番、決めた?」

 

ミカ「決めた」

ホシノ「じゃあ、やって」

 

ホシノ「間違えても、いいよ」

 

ミカ「間違えない」

 

ホシノ「うへ〜。かっこいいねえ」

 

それが、最後だった。

 

最後の一言が、いつもの相槌だった。

 

光が消えた。

 

消える音はしなかった。

 

床の石が、灯りを返さなくなった。

 

それで、消えたことが分かった。

 

シロコが、ホシノの背中から手を離して、床の上に置いた。

 

置いて、それ以上動かさなかった。

 

ヒナが、廊下の端から声を出した。

 

低かった。怒っているときの、ヒナの声だった。

 

ヒナ「錠前サオリ。砂狼シロコ。聖園ミカ」

 

ヒナ「私が四人目」

 

ヒナ「現場を確認する」

 

ヒナ「小鳥遊ホシノの死亡を、確認する」

 

ヒナは、そこで一度言葉を止めた。

 

ヒナ「これを言うのは、私の仕事よ」

 

ヒナ「誰にもやらせない」

 

告知が鳴るまでに、二十ほど数える間があった。

 

ゴクチョー「死亡発見告知」

 

ゴクチョー「収容者、小鳥遊ホシノ」

 

ゴクチョー「生存者三名以上による現場確認を、確認しました」

 

脚の音が、一定の間隔で廊下の奥から来た。

 

ゴクチョー「調査時間を設定しません」

 

ミカ「……なに」

 

ゴクチョー「規定により、これを最終の魔女裁判とします」

 

ゴクチョー「開廷は、六日目の午前八時。礼拝堂地下」

 

ゴクチョー「議題は、死亡を引き起こした魔女の特定です」

 

ヒナ「なぜ最終なの」

 

ゴクチョー「残余の審査未完了者が、規定数を下回りました」

 

コハル「……え」

 

コハルの声だった。いつ来たのか、分からなかった。

 

ナギサが、その後ろに立っていた。

 

二人とも、廊下の角で止まっていた。

 

ゴクチョー「補足します」

 

ゴクチョー「現在、審査未完了の収容者は、八名です」

 

ミカは、その数を聞いて、口の中で数えた。

 

ミカ。サオリ。ヒナ。シロコ。ナギサ。コハル。ハルカ。ユウカ。ノア。

 

九だった。

 

コハル「あの、八って言った?」

 

ゴクチョー「現在、審査未完了の収容者は、八名です」

 

コハル「同じこと言われた」

 

コハル「けど、あの、九人いるんだけど」

 

ゴクチョー「回答は用意されていません」

 

脚の音が、来たときと同じ速さで遠ざかった。

 

コハルは、その場に座り込んだ。

 

座り込んで、ホシノの方を見ないようにしていた。

 

見ないようにしながら、喋り続けていた。

 

コハル「私、数えるの得意じゃないけど、でも九だよ」

 

ナギサは、答えなかった。

 

答えずに、ホシノの傍まで歩いて、膝をついた。

 

手を合わせなかった。

 

合わせる代わりに、名前を言った。

 

ナギサ「小鳥遊ホシノさん」

 

ナギサ「……それだけです」

 

ナギサ「私は、これ以上、何も言いません」

 

ナギサ「言えば、重くなりますから」

 

コハルが、喋るのをやめなかった。

 

やめないことが、コハルの手だった。

 

ホシノの怖いものが、静かになることだったのを、ミカは覚えていた。

 

コハルも、覚えていた。

 

ハルカが来たのは、少しあとだった。

 

来て、廊下の途中で止まって、そこから先へ進まなかった。

 

ハルカ「ご、ごめんなさい」

 

ハルカ「わ、私が、怖いって言えてたら」

 

ハルカ「みんなの怖いのが、少し私に来て」

 

ヒナ「伊草ハルカ」

 

ハルカ「はい」

 

ヒナ「今のは、あとで私に言って」

 

ヒナ「ここで言うと、あなたの言葉が誰かの理由になるわ」

 

ハルカ「……はい」

 

サオリは、ホシノに触らなかった。

 

触ろうとして、手を止めて、下ろした。

 

下ろしてから、ミカにだけ聞こえる声で言った。

 

サオリ「四回目だ」

 

ミカ「……」

 

サオリ「触っても、何も移らない」

 

サオリ「移るものが、もう無い」

 

ノアが来たのは、いちばん最後だった。

 

控室から、記録の束を抱えて来た。

 

崩れないように、下から支える持ち方だった。

 

ノアは、廊下の手前で足を止めて、床の上のホシノを見た。

 

それから、眠っているユウカを、少し長く見た。

 

ノア「早瀬さんは、眠っているだけですね」

 

ミカ「……眠ってる」

 

ノア「よかったです」

 

ノアは、記録の束を胸の前で持ち直した。

 

ノア「記録しますか」

 

ミカは、その言葉を、二回聞いた気がした。

 

実際は一回だった。

 

ノア「三つ目の項目に沿って、見たことと思ったことを分けます」

 

誰も答えなかった。

 

答えないので、ノアは待った。

 

急かす気配が、一つもなかった。

 

ヒナ「……記録して。全部書いて」

 

ノア「はい。空崎さんに確認していただきます」

 

ノアは、廊下の壁際に膝をついた。

 

鉛筆が、紙の上を動いた。

 

字は、読みやすく、整っていた。

 

ミカは、その手元を見ながら、拳を握っていた。

 

開いたら、何をするか分からなかった。

 

六日目の朝は、鳥の声がしなかった。

 

島に鳥がいないことを、ミカはその朝に初めて意識した。

 

ユウカが目を覚ましたのは、六時だった。

 

医務室の寝台の上だった。

 

ミカは、その横に座って、何も言わずに待った。

 

ユウカは、天井を見た。

 

それから、自分の左手首を見た。

 

輪は、そこにあった。熱くなかった。

 

ユウカ「……聖園さん」

 

ミカ「うん」

 

ユウカ「私は、生きています」

 

ミカ「生きてる」

 

ユウカ「そうですか」

 

ユウカは、寝台の上で体を起こした。

 

足を床に下ろして、着いたことを二度確かめた。

 

ユウカ「聖園さん。数を言ってください」

 

ミカ「ユウカちゃん」

 

ユウカ「数なら、私が受け取れます」

 

ミカは、答えなかった。

 

答える前に、ユウカが目を閉じて、すぐに開けた。

 

ユウカ「八」

 

ユウカ「この建物の中に、八です」

 

ユウカ「昨日は、九でした」

 

ユウカは、寝台の縁を掴んだ。

 

掴んだ指が、白くなった。

 

ユウカ「小鳥遊さんですか」

 

ミカ「……うん」

 

ユウカ「私を突き飛ばして、眠らせたのは」

 

ミカ「ホシノちゃん」

 

ユウカ「あれは、痛い人のための魔法です」

 

ユウカ「私は、痛くありませんでした」

 

ユウカ「痛くない人に、逆向きに使ったんです」

 

ユウカは、泣かなかった。

 

泣かない代わりに、数え直した。

 

ユウカ「私の魔法は、人を一つ少なく返します」

 

ユウカ「実際は、九人います」

ユウカ「ゴクチョーは、審査未完了が八名だと言いました」

 

ミカ「……あなた、寝てたじゃんね」

 

ユウカ「下江さんが、廊下で言っていました」

 

ユウカ「私の数と、施設の数が、合いました」

 

ユウカ「合ってはいけない方で、合いました」

 

ミカは、立ち上がった。

 

ミカ「ユウカちゃん。歩ける?」

 

ユウカ「歩けます」

 

ミカ「じゃあ、行こ。見せるものがあるの」

 

朝食は、誰も作らなかった。

 

配膳口から出てきた台車は、そのままにされた。

 

ヒナが全員を集めたのは、七時だった。

 

九人が並ぶと、行き止まりが狭かった。

 

ノアは、いちばん後ろに立っていた。

 

ヒナ「これから、聖園ミカが扉を開けるわ」

 

ヒナ「方法は、あとで説明する。先に見て」

 

コハル「……開くんですか、それ」

 

ヒナ「開くの。昨日の夜、四人で開けて、閉めた」

 

ミカは、扉の前に立った。

 

サオリが、何も言わずに後ろから肩に手を置いた。

 

ユウカが、錠の前に膝をついて、数え始めた。

 

ユウカ「四十一」

 

ユウカ「一」

 

二度目は、一度目より早かった。手が覚えていたからだった。

 

覚えていることは、いいことではなかった。

 

四十で、鉄が受けから離れた。

 

扉が開いた。

 

シロコが灯りを持って前に出て、棚に灯りを当てた。

 

誰も、声を出さなかった。

 

コハルが、自分の名札の前で足を止めた。

 

区画の中の小さな鞄に手を伸ばして、引っ込めた。

 

コハル「……私の、ある」

 

コハル「ちゃんと、ある」

 

ハルカが、鬼方カヨコの区画の前で動けなくなった。

 

ナギサが、ハルカの背中に手を置いた。

 

置いて、何も言わなかった。

 

言わないことを、ナギサは選んでいた。

 

灯りが、最後の区画に届いた。

 

名札に、生塩ノアと打たれていた。

 

棚板は、空だった。

 

埃が、縁から縁まで均一だった。

 

九人が、それを見た。

 

自分の目で、見た。

 

誰も、名前を口に出さなかった。

 

出す前に、全員が同じ方を向いてしまったからだった。

 

向いた先に、ノアが立っていた。

 

記録の束の持ち方も、顔色も、息の速さも、いつもと同じだった。

 

ノアは、棚を見た。

 

見て、自分の名札を確かめるように、少し首を傾けて、戻した。

 

それから、鉛筆を持ち直した。

 

ノア「記録しますか」

 

誰も、答えなかった。

 

海の音が、石の壁の向こうで一度大きくなった。

 

風は吹いていた。

 

風見鶏の尾羽は、動かなかった。

 

ノア「見たこと」

 

ノア「保管庫の棚に十三の区画があり、そのうち一つが空である」

 

ノア「空の区画の名札には、生塩ノアと打たれている」

 

ノア「棚板の埃が均一で、物が置かれた跡がない」

 

ノア「どなたに書いていただきますか」

 

ミカは、ノアの顔を見た。

 

見て、目を離せなかった。

 

怖がっている人の顔ではなかった。

 

怖がっていない人の顔でもなかった。

 

顔の後ろに、探す場所がなかった。

 

コハルが二日前に言った言い方が、そのまま合っていた。

 

机の上に、何も置いてない。

 

ヒナ「……記録して」

 

ノア「はい」

 

ヒナ「あなたが書いて。見たことも、思ったことも」

 

ノア「はい」

 

ノア「思ったことも、書きます」

 

ノアは、膝をついた。

 

鉛筆が、紙の上を動いた。

 

速さは、いつもと同じだった。

 

書き終えて、ノアはその一枚をヒナに差し出した。

 

ノア「私が書いたものを、私が持っていてはいけません」

 

ノア「そう決めましたよね」

 

ヒナは、それを受け取って、読まなかった。

 

読まずに、二つに折って、上着の内側に入れた。

 

ヒナ「八時に、法廷で読むわ」

 

ミカは、そこで膝をついた。

 

それから、上着の内側から、四つに畳んだ白い布を取り出した。

 

一日目に、イロハから交換用だと言われて渡されたものだった。

 

返す相手が、もういなかった。

 

三日目に洗って、五日目に乾いて、それからずっと持っていた。

 

ミカは、その布を広げずに掌の上に載せて、上から包んだ。

 

包んだ手に力を入れて、抜いて、指の先まで、開いた。

 

開いた手の上に、白い布があった。

 

ミカは、立ち上がった。

 

立ち上がるときに膝が鳴って、その音を九人が聞いた。

 

右手に白い布。

 

左手に、四人の署名が入った紙と、埃の写しを取った紙片。

 

どちらも、軽かった。

 

軽いのに、持ち替えられなかった。

 

ミカは、拳を握らなかった。

 

握らずに、開いたままの手で、後ろを向いた。

 

後ろに、九人がいた。

 

そのうちの一人を、まっすぐ見た。

 

ミカ「……ノアちゃん。次は、あなたの番」

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