礼拝堂へ向かう途中で、風が吹いた。
海へ向いた風見鶏の尾羽は、動かなかった。
六日目の朝も、それだけは同じだった。
扉の天秤の模様は、朝の光の下でも冷たかった。
地下へ下りる階段で、誰も喋らなかった。
八時。
十三席の円は、初日と同じ場所にあった。
空いている席が、四つあった。
棗イロハ。鬼方カヨコ。白洲アズサ。小鳥遊ホシノ。
背もたれの高さも、脚の角度も、他の席と何も違わなかった。
同じであることが、いちばん悪かった。
ミカは自分の席に座り、膝の上に白い布を置いた。
布の隣に、四人の署名の入った紙を重ねた。
ゴクチョーが、細い脚の音を立てて円の中央に立った。
ゴクチョー「開廷します」
ゴクチョー「議題は、収容者・小鳥遊ホシノの死亡を引き起こした魔女の特定です」
ゴクチョー「審査未完了者は、八名です」
その数を、九人が聞いた。
昨日も聞いた。
昨日は、意味が分からなかった。
ミカは立ち上がった。
ミカ「ゴクチョー。順番のことだけ、聞いていい?」
ゴクチョー「議事の進行に関する権限は、収容者に付与されていません」
ゴクチョー「順序の調整のみが認められています」
ミカ「じゃあ、調整する」
ミカは、円をひとまわり見た。
ミカ「私が一人で喋るのは、やめる」
ミカ「見た人が、見たことだけ言うの。七つある」
ミカ「私は、束ねるだけ」
ミカ「一個でも順番を飛ばしたら、そこで止めて」
コハル「……止めていいんですか」
ミカ「止めて。三日前に、そう決めたじゃんね」
コハルが、椅子の縁を握った。
握ったまま、頷いた。
ナギサ「先に、一つだけ申し上げます」
ナギサ「私は今日、魔法を使いません」
ナギサ「使えば、私の言葉が本来より重くなります」
ナギサ「重くなった言葉で決めたことは、あとで誰も持ち直せません」
サオリ「私は、最初に疑われた人間だ」
サオリ「だから、最後に喋る」
ノアは、いちばん端の席で鉛筆を持っていた。
記録の束を膝に載せ、背を伸ばして座っていた。
いつもと、何も違わなかった。
ミカ「一つ目。ユウカちゃん」
ユウカが立って、紙をめくった。
ユウカ「一日目、十五時十分。食堂で棗さんと生塩が別れました」
ユウカ「一日目、十五時十九分。錠前さんが温室に着き、棗さんの死亡を確認しました」
ユウカ「空白は九分です」
ユウカ「私は二日目に、この九分で温室まで行き、人を害し、立ち去れるかを実地で確かめました」
ユウカ「可能でした。ですが痕跡が残らなさすぎました」
ユウカ「そのとき私は、犯人が痕跡を消したのだと考えました」
ユウカ「今は、違う考えを持っています」
ユウカ「この九分は、誰かが害するために必要な時間ではありません」
ユウカ「誰かが疑われるために必要な時間です」
ユウカ「九分という空白は、片方の端が証言でできています」
ユウカ「十五時十分という起点は、生塩の口から出たものだけです」
ユウカ「食堂の時計を見たのは生塩で、それを一緒に見た者はいません」
ユウカ「私はそれを、六日間、一度も確認しませんでした」
ヒナ「誰も聞かなかったのね」
ユウカ「はい。記録係の証言だからです」
ミカ「二つ目。ヒナちゃん」
ヒナが、座ったまま口を開いた。
声は、いつもより低かった。
ヒナ「四日目の夕方、死亡発見告知が出たわ。砂狼シロコ」
ヒナ「そのとき砂狼シロコは灯台にいて、私の隣を歩いていた」
ヒナ「私たちは走って、法廷に来た。彼女は自分の足で入ってきた」
ヒナ「ゴクチョー。あのときの言葉を、もう一度言って」
ゴクチョー「告知の撤回を確認しました」
ヒナ「もう一度」
ゴクチョー「告知の撤回を確認しました」
一字も、変わらなかった。
ヒナ「訂正じゃないの。撤回なの」
ヒナ「間違いを直したなら、訂正と言うわ。この機械は言葉を選ばない」
ヒナ「一度正しく登録されたものが、取り下げられた。それが撤回よ」
ヒナ「つまり、あの告知は誤報じゃない」
ヒナ「砂狼シロコは、あの瞬間だけ、死んだことになっていた」
シロコ「私は、生きてた」
ヒナ「ええ。だから、登録の側が動いたの」
ヒナ「私はあのとき、システムは嘘をつく、と言ったわ」
ヒナ「あれは間違いだった。システムは嘘をつかない」
ヒナ「入れ替えられただけよ」
ヒナ「そしてそれは、私たちに見せるためにやられた」
ヒナ「誰も死んでいないのに、告知だけが出た。あれは、実演だったのね」
ハルカが、両手を膝の上で重ねた。
重ねた手が、少し震えていた。
ミカ「三つ目。もう一回ユウカちゃん」
ユウカ「四日目の午前、保管庫の扉を調べました」
ユウカ「扉には十三の名前が刻まれています。私は刻みを数えました。十三でした」
ユウカ「そのうち一つだけ、刻みの縁が新しかったです」
ユウカ「生塩ノアの刻みです」
ユウカ「意味が分からなかったので、記録に残すだけにしました」
ユウカ「昨日の朝、聖園さんが扉を開けました」
ユウカ「棚には十三の区画があり、十二の区画に預かり品がありました」
ユウカ「生塩ノアの区画だけ、空でした」
ユウカ「棚板の埃が、縁から縁まで均一でした」
ユウカ「物を置いて、取り出した跡ではありません」
ユウカ「一度も、置かれていません」
コハル「……私の鞄は、ありました」
コハル「ちゃんと、ありました」
ミカ「四つ目。シロコちゃん」
シロコが立った。
立ってから、床を見た。
シロコ「五日目に、北の搬入路を見た」
シロコ「カヨコが死んだ場所」
シロコ「私の魔法は、一度通った人の道筋が線で見える」
シロコ「線が、なかった」
シロコ「カヨコの線だけがあって、そこで終わってた」
シロコ「誰も通ってない。でも、カヨコはそこで死んだ」
シロコ「三日目の温室も、同じ」
シロコ「私は、犯人の線を探してた」
シロコ「ん、……探し方が違った」
シロコ「動かないで殺せる人が、いる」
シロコは、それだけ言って座った。
座る音が、円の中でよく響いた。
ミカ「五つ目。コハルちゃん」
コハルが立った。
立つのに、少し時間がかかった。
コハル「私の魔法は、その人が今いちばん怖がってるものが、輪郭で見えます」
コハル「四日目の灯台で、みんなの分を見ました」
コハル「ホシノ先輩は、静かになること」
コハル「シロコさんは、置いていかれること」
コハル「ミカ先輩は、見せないでって言いました」
コハル「そのあとで、私、ノアさんのを見ようとしたんです」
コハルの喉が、一度鳴った。
コハル「何も、見えませんでした」
コハル「輪郭がないんじゃなくて、輪郭を探す場所がないんです」
コハル「机の上に、何も置いてないみたいな感じで」
コハル「私、そのとき、ノアさんは強い人なんだって思いました」
コハル「だから、報告しませんでした」
コハル「五日目に、ミカ先輩に謝りました」
コハル「今、みんなに謝ります」
コハル「二日、黙ってました。ごめんなさい」
ヒナ「コハル」
コハル「はい」
ヒナ「黙ったのはあなただけじゃないわ」
ミカ「六つ目。ユウカちゃん」
ユウカは、立ったままだった。
紙をめくる手が、そこで一度止まった。
ユウカ「三日目の朝、この魔法を申告しました」
ユウカ「そのとき食堂に十二人いました。私は十一と受け取りました」
ユウカ「五日目の朝、十人いました。私は九と受け取りました」
ユウカ「昨日の朝、九人いました。私は八と受け取りました」
ユウカ「六日間、一度も外れませんでした」
ユウカ「常に、一つ少なく返ります」
ユウカ「私はこれを、私の魔法の欠陥だと考えていました」
ユウカ「欠陥なら、日によって振れます。振れませんでした」
ユウカ「ゴクチョーは今朝、審査未完了者は八名だと言いました」
ユウカ「私の数と、施設の数が、合いました」
ユウカ「合ってはいけない方で、合いました」
誰も、何も言わなかった。
ミカは、七つ目を言う前に、一度息を吸った。
吸って、ハルカを見た。
ミカ「七つ目。ハルカちゃん」
ハルカが、立った。
立ったとき、椅子が半歩後ろへずれた。
ハルカ「す、すみません。順番が来るとは思ってなくて」
ミカ「ハルカちゃんが持ってきたんじゃん」
ハルカ「……はい」
ハルカは、上着の内側から四つ折りの紙を出した。
紙の縁が、濡れて色を変えていた。
ハルカ「今朝、五時に温室へ行きました」
ハルカ「水をやろうと思って。カヨコさんが、仕事は続けろって言ってたので」
ハルカ「水盤の底の紙が、濡れていました」
ハルカ「三日目は、乾いていました。指が通りました」
ハルカ「今朝は、通りませんでした」
ハルカ「掴めました。掴めたのが、怖かったです」
ミカは、その紙を受け取って、円の中央の床に置いた。
置いて、指で四つ折りを開いた。
罫の入った、日誌の頁だった。
左の綴じ目に、切り取られた側のぎざぎざが残っていた。
日付が、上から下へ並んでいた。
どの行にも、水やり済み、とだけ書いてあった。
書き手の名前は、どこにもなかった。
上から七行目までは、同じ字だった。
八行目から、字が変わっていた。
変わったあとの字は、まっすぐで、読みやすかった。
途中で止まらない字だった。
コハル「……この字、知ってます」
コハル「私、褒めたことあります」
コハル「三日目に、ルールを清書してもらったとき」
コハルは、それ以上言わなかった。
言わなくても、円の全員が同じ場所を見ていた。
ユウカ「日付を読みます」
ユウカ「一行目から七行目までの日付は、私たちが入島した日より前です」
ユウカ「八行目以降も、入島より前です」
ユウカ「つまり、この島は前から動いています」
ユウカ「そして、途中で、水をやる人が入れ替わっています」
ナギサ「記録者が、交代したということですね」
ユウカ「はい。名前が書かれていないので、交代が見えないようになっています」
ヒナ「一日目の朝、この頁はもう切られていたわ」
ヒナ「棗イロハが見つけて、聖園ミカと下江コハルが見ている」
ヒナ「切ったのは、棗イロハじゃない」
ミカ「うん」
ミカ「切ったのは、見せたくなかった人」
ミカ「見つけたのが、イロハちゃん」
ミカは、床に置いた頁の縁に指を添えた。
添えて、離した。
ミカ「三日目に、カヨコちゃんが植木棚の脚に触ったの」
ミカ「最後に触ったのは棗イロハ、って言った」
ミカ「サオリはその日の朝に同じ場所を触ってて、跡はもっと古かった」
ミカ「順番でいうと、サオリの後にイロハちゃんが触ってる」
ミカ「サオリが温室に着いたのは十五時十九分」
ミカ「イロハちゃんが最後に棚を触ったのは、その前の九分の中」
サオリ「棚は、ぐらついていた」
サオリ「私が朝に手をかけて、そのまま動かした」
ミカ「そう。だから、下に隙間ができた」
ミカ「イロハちゃんは、そこにあったものを見つけたんだよ」
ミカ「備品の在り処を気にする人だったから」
ミカは、一度言葉を切った。
切ったところで、誰も割り込まなかった。
ミカ「イロハちゃんの魔法は、停滞」
ミカ「触ったものの進行を、遅らせる」
ミカ「これ、五日と半日、遅れてたの」
ミカ「濡れる進行が、止まってた」
ミカ「三日目は乾いてて、指が通った。今朝は濡れて、掴めた」
ミカ「時間切れ」
ハルカ「……時間切れ」
ミカ「うん」
ミカ「イロハちゃんは、あの九分で、自分の分も遅らせたと思う」
ミカ「死ぬのを、少しだけ後ろにずらして」
ミカ「その間に、これを水に沈めた」
ミカ「沈めるだけで、名前も書かなかった」
ミカは、そこで顔を上げなかった。
顔を上げないまま、続けた。
ミカ「これね、誰の手柄でもないの」
ミカ「私が戻したんじゃない。ハルカちゃんが見つけたんでもない」
ミカ「死んだ人が、ひとりで、最後にやった仕事」
ミカ「五日待って、今朝、届いたの」
ハルカが、両手で口を押さえた。
押さえた手の下から、息の音だけが出ていた。
ナギサが、ハルカの背に手を置いた。
置いて、何も言わなかった。
言わないことを、また選んでいた。
ミカは、七つ目までを、床の上に並べ終えた。
並べ終えて、初めて端の席を見た。
ミカ「以上」
ミカ「ノアちゃん。反論して」
ノアは、鉛筆を置いた。
置いて、記録の束を膝の上で揃えた。
ノア「はい」
ノア「順番に、お答えしますね」
ノア「一つ目。食堂の時計を見たのは、私です」
ノア「一緒に見た人はいません。おっしゃるとおりです」
ノア「ですが、あの時刻を言わなければ、九分は生まれませんでした」
ノア「私が黙っていれば、錠前さんは疑われずに済みました」
ノア「私は、自分の証言で人が疑われることを知っていて、言いました」
ノア「言わない方が、楽でした」
サオリが、そこで初めて顔を動かした。
動かしただけで、何も言わなかった。
ノア「二つ目。撤回という言葉は、ゴクチョーのものです」
ノア「私が選んだ言葉ではありません」
ノア「空崎さんの読み方は、正しいと思います。ですが、読み方です」
ノア「登録が動いたことと、私が動かしたことは、別のことです」
ノア「三つ目。保管庫の刻みが新しい理由を、私は知りません」
ノア「区画が空である理由も、知りません」
ノア「私の預かり品は、入島のときに受け取られませんでした」
ノア「鞄を渡そうとして、渡す場所がありませんでした」
ノア「私は、それを誰にも言いませんでした」
ノア「言えば、疑われるからです」
ノア「その判断は、私が悪いです。謝ります」
コハルが、椅子の上で身を縮めた。
ノア「四つ目。砂狼さんの線が見えないことは、私が動かなかった証明にはなりません」
ノア「誰も動かなかった、という証明です」
ノア「そこに私の名前を入れるのは、砂狼さんの魔法ではなく、皆さんです」
シロコ「……」
ノア「五つ目。下江さん」
コハル「は、はい」
ノア「怖いものが見えないことを、罪の証拠にできますか」
コハル「……」
ノア「あなたは、私の恐怖を探せませんでした」
ノア「見えなかったのではなく、探せなかったのだと思います」
ノア「私は、あなたに見せていませんでした。ごめんなさい」
コハル「……ノアさん」
ノア「六つ目。早瀬さんの数は、一度も検算されていません」
ノア「数を検算できるのは、同じ魔法を持つ人だけです」
ノア「この島に、二人はいません」
ノア「私が数に入っていないと言われたとき、私は何を見せればいいんですか」
ノア「手を挙げれば、数えてもらえますか」
ノアは、片手を、肩の高さまで挙げた。
挙げて、下ろした。
ノア「七つ目。字が似ていることを、私は否定しません」
ノア「私の字は読みやすいです。読みやすい字は、似ます」
ノア「罫の上を、まっすぐ書けば、誰でもこうなります」
ノア「私は、この日誌を書いた覚えがありません」
ノア「覚えていないことを、覚えていないとしか言えません」
ノア「以上です」
ノア「記録に、そのまま入れてください」
円が、静かになった。
静かさの質が、悪かった。
ミカは、七つのどれも崩されていないことを知っていた。
知っていて、全員が揺れていることも分かった。
ヒナの手が、膝の上で止まっていた。
シロコが、床の一点から目を離せなくなっていた。
コハルは、もう一度謝りそうな顔をしていた。
ミカの左手首の輪が、熱かった。
黒い線が、十五本になっていた。
輪の端までは、まだ間があった。
まだ間があることが、慰めにならなかった。
ナギサ「私から、一つ」
ナギサが立った。
立ってから、息を吸った。
吸った息が、口の中で形になるのが、ミカには分かった。
言葉が重くなる寸前の形だった。
ナギサは、その息を吐いた。
吐いて、言い直した。
ナギサ「今の言い方は、使いません」
ナギサ「もっと弱い言葉で言います」
ナギサ「生塩さん。私はあなたの反論に、一つも穴を見つけられません」
ノア「はい」
ナギサ「全部、筋が通っています」
ナギサ「六日間、あなたは一度も破綻しませんでした」
ナギサ「私たちは全員、どこかで破綻しました」
ナギサ「空崎さんは仕切って、仕切ったことを悔いました」
ナギサ「下江さんは黙って、黙ったことを言いました」
ナギサ「早瀬さんは記録を捨てようとしました」
ナギサ「伊草さんは、言ってはいけないことを言いました」
ナギサ「ミカさんは、死んだ人を指名しました」
ナギサ「私は、それに最後に賛成しました」
ナギサ「破綻しないことは、強さです」
ナギサ「ですが、私は『ちゃんとして見せている』人間です」
ナギサ「だから、分かります」
ナギサ「整いすぎているものは、整えている人がいます」
ナギサ「これは証拠ではありません。ただの印象です」
ナギサ「私は、印象で人を指名しません」
ナギサ「ですので、指名の代わりに、質問だけ置きます」
ナギサ「生塩さん。あなたは、この六日間で、一度でも怖かったですか」
ノアは、少し首を傾けた。
答える速さは、いつもと同じだった。
ノア「怖かったですよ」
ナギサ「……そうですか」
ナギサ「ありがとうございます。以上です」
ナギサは座った。
座るとき、ミカの方を見なかった。
見なかったのが、ナギサの守り方だった。
円が、また止まった。
止まった空気の中で、ハルカが立った。
誰も、立てと言っていなかった。
ハルカ「あ、あの」
ハルカ「私、五日目から、ずっと言えなかったことがあって」
ハルカ「言うと、みんなが楽になるって知ってて、言えなかったです」
ハルカ「カヨコさんがいなくなってから、言ったら、ずるいと思って」
ハルカの膝が、震えていた。
震えたままで、立っていた。
ハルカ「でも、今、ちゃんと言います」
ハルカ「怖い、です」
言葉が、法廷の高い天井へ上がって、返ってこなかった。
ミカの胸の奥が、一段ゆるんだ。
肩が下りた。
息が、深く入った。
入ってしまったことが、悪かった。
円のあちこちで、同じことが起きていた。
コハルの手が、椅子の縁から離れた。
シロコが、床から目を上げた。
ヒナの指が、膝の上で動いた。
軽くなった分は、全部、ハルカのところへ行っていた。
ミカ「ハルカちゃん」
ハルカ「大丈夫です」
ハルカ「これ、私の仕事ですから」
ハルカ「カヨコさんが、怖いときに逃げないで立ってろって言いました」
ハルカ「立ってます」
ミカは、拳を握っていた。
握って、指の先まで開いた。
開いた手を、膝の上の白い布に置いた。
ユウカ「聖園さん」
ユウカが、立ったままだった。
ずっと、座っていなかった。
ユウカ「最後に、私が言います」
ミカ「うん」
ユウカ「数え直します」
ユウカは目を閉じた。
閉じている時間は、短かった。
ユウカ「八」
ユウカ「この部屋に、八です」
ユウカ「ここには、九人います」
紙を持つユウカの手が、震えていた。
顔は、動かなかった。
ユウカ「私は、魔法が一つ少なく返すと言いました」
ユウカ「訂正します」
ユウカ「私の魔法は、一つも少なく返していません」
ユウカ「私の魔法は、人を数えます」
ユウカ「数えられなかったものが、この部屋に一つあります」
ユウカ「六日間ずっと、同じ一つです」
ユウカ「私は計算を間違えたことが、一度もありません」
ユウカ「……訂正します。一度あります」
ユウカ「五日目に、私は自分の数を疑って、相談する相手を選びました」
ユウカ「あれが、私の唯一の計算違いです」
ユウカは、紙を胸の前で持ち直した。
持ち直した手は、まだ震えていた。
ユウカは、それ以上、何も言わなかった。
円の全員が、端の席を見た。
ノアは、鉛筆を持ち上げた。
持ち上げて、記録の束の上に置いた。
ノア「早瀬さんの数は、正確です」
声は、同じだった。
高さも、速さも、語尾の下がり方も、六日間と同じだった。
ノア「訂正の必要はありません。八で合っています」
ノア「私は、数えられる側にいません」
ユウカの手の震えが、そこで止まった。
止まった方が、悪かった。
ノア「では、ここから私が読み上げます」
ノア「観測期間、六日。観測対象、十二名」
ノア「試行の内容、閉鎖環境における選別手続きの反復」
ノア「死亡、四名。うち処刑、一名」
ノア「置換の実施、三件。うち実演を目的とするもの、一件」
ノア「所見。手続きは、想定より早く受け入れられました」
言葉の並べ方が、変わっていた。
声は変わっていなかった。
変わっていないことが、いちばん怖かった。
ユウカ「……ノア」
ノア「その名前は、私のものではありません」
ノア「生塩ノアは、キヴォトスにいます」
ノア「無事です。この島に来ていません」
ノア「十三人目の席は、最初から私のものでした」
ノア「あなたが六日間見ていたのは、席です」
ノア「私は、テムラー」
ノア「ゲマトリアの一人です」
誰も、立たなかった。
立てなかったのではなく、立つ意味が消えていた。
ユウカが、紙を膝の上に置いた。
置いて、鉛筆を持った。
ユウカ「綴りを、教えてください」
テムラー「テムラー。置換、または交換を意味します」
ユウカ「ありがとうございます」
ユウカは、記録の上の名前を消さなかった。
消さずに、その横に、新しい名前を書いた。
書き終えて、顔を上げた。
ユウカ「一つだけ、確認させてください」
テムラー「はい」
ユウカ「四日目の夜、私が記録を捨てようとしたとき」
ユウカ「あなたは、私を止めました」
ユウカ「五日目に、私が泣いたとき、背中に手を置きました」
ユウカ「あれは、誰の手ですか」
テムラー「置換されたものは、元と同じ振る舞いをします」
ユウカは、少しの間、そのまま立っていた。
泣かなかった。
目のまわりも、動かなかった。
ユウカ「……そうですか」
ユウカ「では、そのように書いておきます」
ユウカは座った。
座って、紙の罫の上に、まっすぐ字を書いた。
書く手は、震えていなかった。
ミカは、その手を見ていられなかった。
ヒナ「目的を聞くわ」
テムラー「観測です」
テムラー「主題は一つです」
テムラー「置換されたものは、元と同じ振る舞いをするか」
テムラー「席を入れ替えても、手続きは同じ順番で進むか」
テムラー「進みました」
テムラー「四日目の告知は、そのための実演です」
テムラー「登録が嘘をつけると知ったあと、皆さんは外を疑うのをやめて、内側を疑いました」
テムラー「二日目に、皆さんは死者を指名しました」
テムラー「あれは、私が用意した選択肢ではありません」
テムラー「皆さんが、自分で見つけたものです」
テムラー「所見に、そう書いてあります」
ヒナ「……」
テムラー「そして、本当の観測対象は、一人です」
テムラーは、席を立った。
立ち方も、歩き方も、六日間と同じだった。
円の内側をまわって、ミカの席の横で止まった。
テムラー「聖園ミカさん」
テムラー「あなたは、一度、置き換えられました」
テムラー「言葉を、です」
テムラー「あなたの言葉を、あなたより先に言う声に」
テムラー「置き換えられたあと、あなたは選びました」
テムラー「今回も同じかを、見に来ました」
テムラーは、身をかがめた。
声を、落とした。
落とした声は、法廷の誰にも届かない高さになった。
テムラー「――こんなの、早く終わらせた方がいいじゃんね」
テムラー「どうせ誰か死ぬんだから、私が決めた方が、まだ優しいでしょ」
テムラー「泣くのは後でいいの。今は、順番」
テムラー「私、間違えないから」
テムラー「あなたは、また同じことをします」
ミカの右手が、上がった。
肩の高さより、上まで上がった。
円の何人かが、息を止めた。
ミカは、その手を握らなかった。
握らずに、指の先まで開いた。
開いた手を、そのまま下ろした。
膝の上の白い布に、指の腹が触れた。
ミカ「あなた、私の言葉で話すんだね」
テムラー「はい」
ミカ「……でも、それ、今の私の言葉じゃない」
ミカは、顔を上げた。
ミカ「それ、六日前の私の言葉なの」
ミカ「六日前の私なら、たしかにそう言った」
ミカ「早く終わらせようって言って、順番を飛ばして、いちばん傷つかない人を選んだ」
ミカ「選んだよ。イロハちゃんの名前を、私が言った」
ミカ「それは、消えない」
ミカ「でもね」
ミカ「今日、私、一人で喋ってないじゃんね」
ミカ「七つ、他の人に言ってもらったの」
ミカ「それ、六日前の私には、できなかったこと」
テムラーは、身を起こした。
起こして、少し首を傾けた。
答える速さは、変わらなかった。
テムラー「記録します」
ゴクチョー「投票を行います。棄権は可能です」
ゴクチョー「意思表示のない投票は、棄権として処理します」
ミカは、立ったままだった。
ミカ「私は、誰も指名しません」
ゴクチョー「そのように記録します」
ミカ「理由も言うね」
ミカ「あなたを指名したら、過半数が集まって、処刑になる」
ミカ「それって、あなたが作った書式に、あなたの名前を書くだけじゃん」
ミカ「書式が正しいことになる」
ミカ「二日目に、私はそれをやったの」
ミカ「今度は、疑う順番を間違えない、って言ったんだよね、私」
ミカ「順番は、間違えなかった」
ミカ「だから、最後の一つも間違えない」
ミカ「私は、この仕組みで人を選ばない」
ヒナ「棄権するわ」
ヒナ「仕切ってきた人間が言うことじゃないけれど、聖園ミカが正しいわ」
シロコ「棄権」
コハル「私も……棄権です」
コハル「怖いけど、棄権します」
ハルカ「棄権、します」
ナギサ「棄権します」
ナギサ「印象で指名しない、と申し上げました」
サオリ「棄権する」
サオリ「理由は、ミカが言った」
サオリは、そこで一度、端の席を見た。
サオリ「一つだけ言う」
サオリ「アズサは、疑われる形を自分で選んだ」
サオリ「お前は、疑われない形を選び続けた」
サオリ「同じ島で、逆のことをした」
サオリ「私は、そっちの方が許せない」
テムラー「記録します」
ユウカ「……棄権します」
ユウカ「私は、数える人です」
ユウカ「選ぶ人ではありません」
ゴクチョー「有効票、零」
ゴクチョー「過半数に達していません。審理を継続します」
ゴクチョー「居住区への帰還は許可されません」
誰も、驚かなかった。
驚く体力が、残っていなかった。
ミカは、円の中央へ歩いた。
歩いて、床の上の日誌の頁を拾い、折り目に沿って畳んだ。
ミカ「ゴクチョー。聞きたいことがあるの」
ゴクチョー「規定にあるものは、お答えします」
ミカ「個別審査資料の回答って、どこに出すの」
ゴクチョー「提出の場所および時刻に関する規定はありません」
ミカ「審理中でも出せる?」
ゴクチョー「妨げる規定はありません」
ミカ「全員の審査が完了したら、どうなるの」
ゴクチョー「全収容者の審査完了をもって、退所を許可します」
ミカ「今、未完了は八名だよね」
ゴクチョー「そのとおりです」
ミカ「八人しかいないんだよ、この島に」
ゴクチョー「条件は満たされています」
ミカは、そこで一度、息を吐いた。
吐いた息が、少し笑いの形になった。
笑ったのは、他の顔を選ぶより簡単だったからではなかった。
ミカ「聞いた?」
ミカ「裁判、終わらないの。ずっと終わらない」
ミカ「でも、出るのに必要なのは、裁判じゃないんだって」
ヒナ「……最初から、そう言っていたわね」
ミカ「一日目に言ってた。私たち、聞いてたのに使わなかった」
ユウカ「六日、使いませんでした」
ミカ「うん」
ミカ「使うのは、今」
ミカは、制服の内側から封筒を出した。
一日目から、そこに入れたままだった。
折り目が四本ついていた。
封を開けて、中身を出した。
壊れた壁。瓦礫。こちらへ向けられた銃口。
写真の隅に重ねてあった、白い小さなカード。
『あなたは、次に誰を憎みますか』
ミカは、そのカードを裏返した。
裏は、白かった。
サオリ「ミカ」
ミカ「なに」
サオリ「見せろとは言わない」
ミカ「言わないの」
サオリ「言わない」
ミカ「……ずるいじゃんね、そういうの」
ミカは、床に膝をついた。
膝の上に白い布を敷いて、その上にカードを置いた。
鉛筆は、ユウカが黙って渡してきたものだった。
ミカは、一行だけ書いた。
書く時間は、短かった。
六日かけて考えていたからだった。
書いたものを、誰にも見せなかった。
見せずに、二つに折った。
折り目を、指の腹で二度なでた。
それから立ち上がって、ゴクチョーの前に立った。
ミカは、カードを差し出した。
差し出した手は、開いていた。
ゴクチョーの細い脚が、石の床で一度鳴った。
白い仮面の縦長の穴が、紙の上を通った。
ゴクチョー「――受理しました」