ブルアカ少女ノ魔女裁判   作:すーぱーりっかちゃん

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ナギサ『使えば、勝てます。だから使いません』

二十時まで、あと四十分あった。

 

ハルカの居室の扉は、開いたままにしてあった。

 

閉めれば閉じ込めることになると、誰かが言ったからだ。

 

中で、ハルカは寝台の縁に座っていた。

 

膝の上に両手を置いて、床の一点を見ている。

 

ハルカ「すみません」

 

コハル「な、なんで謝るの。私、まだ何も言ってないよ」

 

ハルカ「……すみません」

 

コハルは廊下へ出てきて、扉の横の壁に背をつけた。

 

コハル「だめだ。私の声、届いてない」

 

ヒナ「届いてはいるわ。返す形が、それしか残っていないだけ」

 

ヒナは腕を組んだまま、扉の中を見ていなかった。

 

見ないようにしている、という見え方だった。

 

コハル「ヒナ先輩。ハルカ先輩、置いていってあげようよ」

 

コハル「あの部屋にいてもらって、私たちだけで行けばいい」

 

コハル「行っても、何も言えないよ。言えない人を座らせて、何になるの」

 

ヒナ「私も、そうしたい」

 

コハル「じゃあ」

 

ヒナ「できるかどうかを、まだ確かめていない」

 

ユウカが廊下の角から戻ってきた。

 

その後ろに、細い脚の音がついてきていた。

 

ユウカ「確かめました。二回、言い方を変えて聞いています」

 

ユウカ「ゴクチョー。もう一度、全員の前で答えてください」

 

ゴクチョー「収容者は、開廷時刻に法廷の自席へ着席していなければなりません」

 

ユウカ「欠席者が出た場合は」

 

ゴクチョー「開廷しません。開廷しない限り、審理は終わりません」

 

ユウカ「審理が終わらない場合は」

 

ゴクチョー「居住区への帰還は許可されません」

 

ホシノ「うへ~……」

 

ホシノ「置いてったら、全員そこで止まる、ってことだねえ」

 

ゴクチョー「そのとおりです」

 

ユウカ「では、退廷について。審理の途中で、体調を崩した者が出たら」

 

ゴクチョー「審理中の退廷は認められません」

 

ユウカ「医務室へ運ぶこともですか」

 

ゴクチョー「認められません」

 

ユウカ「……回答は用意されていない、とは言わないんですね」

 

ゴクチョー「規定にあるものは、お答えします」

 

脚の音が、廊下を叩いて遠ざかった。

 

誰も、すぐには動かなかった。

 

ナギサ「連れて行くしか、ありません」

 

ナギサの声は、いつもより短かった。

 

ナギサ「それ以外の選び方が、私たちの側にありません」

 

コハル「でも、連れて行ったら、途中で出られないんでしょ」

 

ナギサ「はい」

 

コハル「じゃあ、どっちも同じじゃない」

 

ナギサ「同じではありません。連れて行けば、審理は始まります」

 

ナギサ「始まったものは、終わる可能性があります」

 

コハル「……ナギサ先輩は、それでいいの」

 

ナギサ「よくありません」

 

ナギサ「よくないことを、よくないまま選ぶ場面が、ここには多すぎます」

 

ナギサは、それ以上、言葉を足さなかった。

 

足せば重くなると、この人は知っている。

 

知っているから、いちばん重い場面で、いちばん短く喋る。

 

ミカは、扉の枠に手をかけた。

 

白い床に、ハルカの上履きの先が見えている。

 

置いていけば、全員が動けない。

 

連れて行けば、この子が動けない。

 

どちらを選んでも、この子は同じ場所へ行く。

 

選ばせる形が、最初からそうなっていた。

 

ミカ「……よくできてるね」

 

ホシノ「うん。おじさん、今ちょっと感心しちゃった」

 

ホシノ「感心したくないのに、感心の形になるんだよねえ」

 

コハルが、壁から背中を離した。

 

コハル「ハルカ先輩が、行く理由が」

 

そこで、コハルの口が止まった。

 

続きの形を、コハルは知っていた。

 

知っていたのに、出てこなかった。

 

その言い方をしていた人は、今日の夕方まで、この廊下を歩いていた。

 

誰も、あとを引き取らなかった。

 

ミカ「ハルカちゃん」

 

ハルカ「……すみません」

 

ミカ「行こっか」

 

ハルカ「はい」

 

ミカ「歩ける?」

 

ハルカ「歩けます」

 

ハルカは立ち上がって、二歩目で壁に手をついた。

 

ミカは、その腕を取った。

 

軽かった。

 

朝から、この子は何も食べていない。

 

ハルカ「すみません」

 

ミカ「うん」

 

謝る理由がないでしょ、とは言わなかった。

 

その言葉が効かないことを、今日の夕方、この口で確かめている。

 

礼拝堂の地下は、一昨日より冷えていた。

 

円形の法廷に、十三の椅子が等間隔に並んでいる。

 

背もたれの銀の帯に、名前が浮かんでいた。

 

棗イロハ。

 

鬼方カヨコ。

 

空いた椅子が、二つになっていた。

 

二つは、隣り合っていなかった。

 

離れているぶん、円のどこを見ても、どちらかが目に入った。

 

ハルカの席は、その片方の隣だった。

 

座らせるまでに、ミカは一度、息を止めた。

 

ゴクチョー「開廷します」

 

ゴクチョー「議題は、収容者・鬼方カヨコの死亡を引き起こした魔女の特定です」

 

ナギサ「手順は、前回と同じにします」

 

ナギサ「事実の確認。所在の確認。質問。推測は、推測だと断ってから」

 

ナギサ「発言中に、遮らないこと」

 

それだけ言って、ナギサは座った。

 

一昨日は、そのあとに一言あった。

 

今日は、なかった。

 

ユウカ「事実を読みます」

 

ユウカ「鬼方さんの発見は、十七時三十一分。温室裏の搬入路、角を折れた先です」

 

ユウカ「外傷なし。争った跡なし。ヘイローなし」

 

ユウカ「最後に姿を見たのは、聖園さんです。十六時三十八分、収容棟の廊下」

 

ユウカ「それ以降、誰も見ていません。空白は五十三分」

 

ノア「所在を読み上げます。十六時三十八分から、十七時二十二分まで」

 

ノア「食堂に、私、早瀬さん、静山さん、空崎さん、白洲さん、伊草さん」

 

ノア「厨房に、小鳥遊さんと砂狼さんと下江さん。三人で、明日の分を数えていました」

 

ノア「聖園さんは、十六時四十分に食堂へ入っています」

 

ノア「錠前さんは、十六時五十分に食堂を出ました。戻られたのは、十七時五分です」

 

ユウカ「行き先を、確認します」

 

サオリ「北の廊下だ」

 

ユウカ「一人で、ですか」

 

サオリ「そうだ」

 

ユウカ「北の廊下は、搬入路の出口に繋がっています」

 

サオリ「繋がっている」

 

ユウカ「取り決めの一つ目に、違反しています」

 

サオリ「している」

 

弁解が来ると思って、ミカは待った。

 

来なかった。

 

ヒナ「質問に移る前に、一つ確かめさせて」

 

ヒナが、円をひと巡り見た。

 

ヒナ「今この部屋で、錠前サオリの名前を思い浮かべていない人はいる?」

 

誰も、手を挙げなかった。

 

ヒナ「なら、抱えているより、出した方がいい」

 

ヒナ「出せば、反論の機会がある。黙っていれば、機会のないまま票になる」

 

ユウカ「……私から言います。数の話だけをします」

 

ユウカ「一度目。棗さんの傍にいたのは錠前さんです。三人が見ています」

 

ユウカ「二度目。現場の出口へ繋がる廊下に、一人でいた時間が十五分あります」

 

ユウカ「二度とも、というのは、偶然として起こりにくい形です」

 

ユウカ「起こりにくい、というだけです。起こらない、とは言っていません」

 

ユウカは、紙を見ていなかった。

 

見なくても、数は全部そこにあるのだと思った。

 

ユウカ「私は、これを言いたくありませんでした」

 

ユウカ「ですが、言わずに数え続ける方が、もっとよくないので」

 

コハル「……私も、いい?」

 

コハルは膝の上で両手を握っていた。

 

コハル「私、サオリさんのこと、嫌いじゃないよ。ほんとに」

 

コハル「でも、どこにいるか、いつも分かんないの」

 

コハル「みんなで動いてても、気づいたら端っこにいて、気づいたらいなくて」

 

コハル「怖いのはサオリさんじゃなくて、分かんないところなんだけど」

 

コハル「でも、それ、私の中だと、同じ棚に入っちゃう」

 

コハル「……ごめんなさい。今の、推測です」

 

ノア「推測として、記録します」

 

ヒナ「三つ目は、私が言うわ」

 

ヒナ「錠前サオリは、自分の魔法を申告していない。この部屋で、ただ一人」

 

ヒナ「取り決めの三つ目は、詳細の申告を義務にしていない。そう決めたのは私よ」

 

ヒナ「だから、これはあの人の違反じゃない。私が空けた穴」

 

ヒナ「穴だと分かった以上、塞ぐ話を、私がしないわけにいかない」

 

ミカ「……ヒナちゃん」

 

ヒナ「聖園ミカ。庇うつもりなら、あとにして」

 

ヒナ「今は、理由を全部外に出す時間よ」

 

ミカは口を閉じた。

 

この人は、仕切ることが暴力になると知っていて、それでも仕切る。

 

知らずにやる人より、たぶん、ずっと痛い。

 

そこで、円が静かになった。

 

四つ目があることを、全員が知っていた。

 

知っていて、誰も触らなかった。

 

ホシノ「……じゃ、おじさんが言うね」

 

ホシノ「言いたくないよ。ほんとに」

 

ホシノ「でも、誰も言わないと、それって、みんなの頭の中にだけ残るでしょ」

 

ホシノ「頭の中に残ったやつって、紙の上にしか出てこないからねえ」

 

ホシノ「一昨日、サオリちゃんは自分で言った。前に、人を殺すための場所にいたって」

 

ホシノ「それが四つ目。これで、全部外に出た」

 

ホシノ「あ、先に言っとくけどね」

 

ホシノ「おじさんは、これが四つの中でいちばん弱い理由だと思ってる」

 

ホシノ「昔どこにいたかで人を選ぶなら、この島は、最初から全員そうだから」

 

アズサ「その場所には、私もいた」

 

声が短すぎて、一拍遅れて意味が届いた。

 

アズサ「同じ理由が成り立つなら、私も条件を満たす。数に入れてくれ」

 

サオリ「アズサ」

 

アズサ「何だ」

 

サオリ「やめろ」

 

アズサ「断る」

 

サオリが今夜、初めて名前で呼んだ相手だった。

 

呼ばれた方は、視線を落とさなかった。

 

ヒナ「四つ、出たわ。錠前サオリ。反論の機会は、四回ある」

 

サオリ「一つ目は、事実だ」

 

サオリ「二つ目も、事実だ」

 

サオリ「三つ目も、事実だ」

 

サオリ「四つ目も、事実だ」

 

ユウカ「否定する部分は、ないんですか」

 

サオリ「ない」

 

ミカ「じゃあ、説明は」

 

サオリ「……確かでないことは、言えない」

 

ミカ「それ、一昨日も聞いた」

 

サオリ「同じ質問だからだ」

 

ナギサ「錠前さん。一つだけ、形を変えて聞きます」

 

ナギサ「あなたが黙っているのは、あなた自身のためですか」

 

ナギサ「それとも、誰かのためですか」

 

サオリは、少しだけ間を置いた。

 

サオリ「……確かでないことは、言えない」

 

ナギサは頷いて、それ以上は聞かなかった。

 

ミカには、分かっていた。

 

この人は、嘘をつかないために黙っている。

 

黙っているあいだ、差し出せるものが何もなくなる。

 

誰も、この人を陥れようとしていない。

 

受け取れるものが、ないだけだ。

 

受け取れなかったものは、疑いの形のまま、そこに残る。

 

ゴクチョー「投票を行います。棄権は可能です」

 

小さな四角い紙と、短い鉛筆が回ってきた。

 

ミカは、自分の紙を折らずに置いた。

 

ゴクチョー「有効票、四。錠前サオリ、四」

 

ゴクチョー「過半数に達していません。審理を継続します」

 

ユウカ「棄権は、七です」

 

ノア「票の流れを、整理しておきますね」

 

ノア「一回目。錠前さんに四。棄権が七」

 

ノア「どなたが入れたかは、記録していません。数だけです」

 

ノア「次に動いたところが分かるように、並べておきます」

 

ユウカ「助かります」

 

ノア「はい」

 

ノアの鉛筆が、迷わずに動いた。

 

読みやすい字が、四という数字の形を作った。

 

そこから、同じ話が二巡した。

 

廊下。棚。九分。過去。

 

二巡目には、質問の形だけが少しずつ変わっていった。

 

ユウカ「錠前さん。北の廊下で、何をしていたんですか」

 

サオリ「歩いていた」

 

ユウカ「目的は」

 

サオリ「……確かでないことは、言えない」

 

ユウカ「目的は、あなたの中にあるものです。確かも不確かもないでしょう」

 

サオリ「ある」

 

ユウカ「では、言ってください」

 

サオリ「言えば、それが誰かの根拠になる」

 

ユウカ「なりません。私は、根拠の扱いを間違えません」

 

サオリ「お前は間違えない。ここにいるのは、お前だけではない」

 

ユウカが、言葉を止めた。

 

止めたまま、しばらく座り直さなかった。

 

コハル「……あのさ」

 

コハル「私、さっき入れたよ」

 

誰も、それを咎めなかった。

 

コハル「無記名なのは知ってる。知ってるけど、黙ってるのが怖くなった」

 

コハル「ごめんなさい、サオリさん」

 

サオリ「謝るな」

 

コハル「え」

 

サオリ「入れた人間が謝ると、入れなかった人間が言えなくなる」

 

コハルは、口を開けたまま、二度まばたきをした。

 

この人は、いつもそうだ。

 

言い方が硬いのに、向いている先だけが、いつも人の側にある。

 

新しい材料は、それでも一つも出なかった。

 

ゴクチョー「投票を行います」

 

ゴクチョー「有効票、五。錠前サオリ、五」

 

ユウカ「棄権、六」

 

ユウカ「あと一票で、過半数です」

 

言ってから、ユウカは口を閉じた。

 

言わなくてもいい数字だった。

 

言ってしまったことに、この人はもう気づいている。

 

誰も、次の言葉を出さなかった。

 

出せば、それが六つ目になるかもしれなかった。

 

円の端で、椅子が鳴った。

 

ハルカが、両手で自分の膝を掴んでいた。

 

手の甲が、白かった。

 

ハルカ「……サオリさんだったら、いいのに」

 

小さい声だった。

 

小さいのに、円のどこにいても届いた。

 

ハルカの口が、まだ開いたままだった。

 

自分の声を、あとから聞いたような顔をしていた。

 

ハルカ「あ」

 

ハルカ「今の」

 

ハルカ「わ、私、今」

 

ハルカは両手で口を覆った。

 

覆っても、間に合っていない。

 

ハルカ「ごめんなさい」

 

ハルカ「ごめんなさい、サオリさん、ごめんなさい」

 

誰も動かなかった。

 

動けば、その言葉に形を与えてしまう。

 

コハル「……今のは、聞かなかったことにしよ」

 

コハル「ね。誰も聞いてない。私も聞いてない」

 

コハル「そういうことにしよ」

 

コハルは必死だった。

 

必死な人の言うことは、たいてい優しい。

 

ハルカ「いやです」

 

ハルカの声が、初めてはっきりした形をした。

 

ハルカ「聞いてください」

 

ハルカ「私が、言いました」

 

コハル「で、でも」

 

ハルカ「なかったことにしたら」

 

ハルカ「私、また、同じことを考えます」

 

ハルカ「考えて、今度は、紙に書きます」

 

その先を、ハルカは言わなかった。

 

言わなくても、全員に届いていた。

 

ノア「記録しますか」

 

ハルカ「……してください」

 

ハルカ「全部、そのまま」

 

ノア「はい」

 

ノアの鉛筆が動いた。

 

途中で止まらない字だった。

 

ミカは、その紙を見ていた。

 

紙の上で、この子の言葉が、いちばん確かなものになっていく。

 

この子は、悪くない。

 

悪くない人の言葉が、いちばん重く残る。

 

この部屋は、そういうふうにできている。

 

サオリ「伊草ハルカ」

 

ハルカ「……はい」

 

サオリ「今のは、正しい」

 

ハルカ「え」

 

サオリ「私がお前の席にいたら、同じことを思う」

 

サオリ「思ったものが、そのまま口から出た。それだけだ」

 

慰めの形をしていなかった。

 

していないから、ハルカの肩から、少しだけ力が抜けた。

 

ヒナ「錠前サオリ。今のは、あなたに不利よ」

 

サオリ「知っている」

 

ミカ「待って」

 

ミカは、立たなかった。

 

立てば、声が大きくなると分かっていた。

 

ミカ「先に言っとくね」

 

ミカ「私は、この人を信じてない。でも、足りない」

 

サオリが、こちらを見た。

 

ミカは、見返さなかった。

 

ミカ「一昨日から、ずっと疑ってる。今も疑ってる」

 

ミカ「その上で言うけど、足りない」

 

ユウカ「何が、足りないんですか」

 

ミカ「材料」

 

ミカ「今、理由が四つ出た。私、全部ちゃんと聞いてたよ」

 

ミカ「四つとも、あの人がどういう人かって話だった」

 

ミカ「カヨコちゃんがどうやって死んだか、って話は、一個もなかった」

 

誰も、すぐには言い返さなかった。

 

ヒナ「……続けて」

 

ミカ「ユウカちゃん」

 

ユウカ「はい」

 

ミカ「並べ直して」

 

ユウカ「何を、どの順番で」

 

ミカ「今まで出た証言、全部。時刻順じゃなくて、確かさの順で」

 

ミカ「確かなものから並べて、どこで途切れるかを見たい」

 

ユウカは一度だけ目を閉じて、それから話し始めた。

 

ユウカ「一つ目。九分」

 

ユウカ「一度目の死亡のとき、生塩ノアが棗さんと別れたのが十五時十分」

 

ユウカ「錠前さんが温室へ着いたのが、十五時十九分」

 

ユウカ「この九分は、いまも空いたままです」

 

ユウカ「ただし、十五時十分は生塩ノアの申告だけが根拠です」

 

ユウカ「十五時十九分も、錠前さんの申告だけが根拠です」

 

ユウカ「確かさは、同じです」

 

ノア「はい。そう記録してあります」

 

ノアは、表情を変えなかった。

 

自分の名前が並べられることを、この子はいつも受け入れる。

 

一昨日、ミカはそれを、できることではないと思った。

 

今夜も同じことを思った。

 

思ったのに、思い方が、少しだけ違っていた。

 

ユウカ「二つ目。告知の嘘」

 

ユウカ「昨日、死亡発見告知が出て、撤回されました」

 

ユウカ「あれ以降、この島の記録は、無条件には信用できません」

 

ユウカ「システムが嘘をつくのか、システムを騙せる者がいるのか。どちらかです」

 

ユウカ「どちらであっても、現場で確認したという事実の重さが、一段下がります」

 

ユウカ「三つ目。保管庫の扉の刻み」

 

ユウカ「十三人の名前のうち、生塩ノアの刻みだけが新しい。理由は不明のままです」

 

ヒナ「意味の分からないものに意味をつけない。そう決めたはずよ」

 

ミカ「つけないよ。並べるだけ」

 

ユウカ「未解決として、並べます」

 

ユウカ「四つ目。温室の植木棚」

 

ユウカ「鬼方さんの力で、脚に残った跡の順序が分かりました」

 

ユウカ「最後に触れたのは棗さん。その下に、錠前さん」

 

ユウカ「錠前さんの方が、古い」

 

ユウカ「錠前さんが棚に細工をして、棗さんがそれに触れた、という筋は成り立ちません」

 

ミカは、そこで片手を挙げた。

 

ミカ「その筋、私が持ってた」

 

ミカ「三日間、口に出さずに持ってた」

 

ミカ「今、自分で捨てる」

 

誰も、それを褒めなかった。

 

褒めるようなことではなかった。

 

ミカ「四つ並んだ。確かさの高い順に、九分、告知、刻み、棚」

 

ミカ「上の三つは、誰のことも指してない」

 

ミカ「いちばん下の一つは、あの人を外す方に効いてる」

 

ミカ「この状態で名前を書くのは、順番が違う」

 

ミカ「私たちは今、確かなものから選んでない。言いやすいものから選んでる」

 

アズサ「聖園ミカ」

 

ミカ「何」

 

アズサ「その並べ方だと、いつまでも誰も選べない」

 

ミカ「そうだよ」

 

アズサ「分かって言っているのか」

 

ミカ「分かってる」

 

ミカ「選べないうちは、誰も減らない」

 

アズサ「……そうか」

 

アズサは、それ以上聞かなかった。

 

いつもの返事だった。

 

いつもの返事のはずだった。

 

言い終えて、ミカは、口の中に一つ残っているのを感じた。

 

今度は、疑う順番を間違えない。

 

一昨日の夕方、温室の入口で、自分でそう言った。

 

ここで言えば、この部屋は静かになる。

 

黙らせるための言葉ではなかった。

 

言えば、それは正しさの形をして、ここに残る。

 

残ったものは、消えない。

 

一昨日、この部屋で、それを見た。

 

ミカは、袖の中で拳を握って、指の先まで開いた。

 

開いた掌の上に、その言葉を置いたままにした。

 

サオリ「ミカ」

 

ミカ「庇ってないから」

 

サオリ「分かっている」

 

ミカ「分かってるなら、黙ってて」

 

サオリ「……ああ」

 

サオリの手が、膝の上で位置を変えた。

 

右の手袋の裂け目が、ちょうど隠れる置き方だった。

 

隠したことに、たぶん、ミカだけが気づいた。

 

ゴクチョー「投票を行います」

 

鉛筆の音が、十一人分。

 

そのうち八つは、動かなかった。

 

ゴクチョー「有効票、三。錠前サオリ、三」

 

ゴクチョー「過半数に達していません。審理を継続します」

 

ユウカ「棄権、八」

 

ノア「三回目です。四、五、三と動きました」

 

ノア「増えたのが二つ、減ったのが四つ」

 

ノア「減ったのは、聖園さんが話したあとです」

 

ミカ「……そういうの、いちいち言うんだ」

 

ノア「言った方がいいと思いました」

 

ノア「同じ話をもう一度されると、また同じだけ動きますから」

 

ノア「動いた理由までは、私には分かりません。数だけです」

 

ミカは、それ以上聞かなかった。

 

聞く理由が、思いつかなかった。

 

そこから先は、時間の方が長くなった。

 

同じ話が、三度繰り返された。

 

三度目には、言葉の角が取れていた。

 

四度目には、誰も新しい言い方をしなくなった。

 

法廷の照明は、一度も落ちなかった。

 

高さの変わらない白い光が、十三の椅子を等しく照らしている。

 

影が伸びないから、時間が動いている感じがしない。

 

ホシノが帽子のつばを下げた。

 

シロコが、その袖を掴んだ。

 

コハルが咳をした。

 

乾いた咳が、二度続いた。

 

二度目のあと、コハルは自分の口を手で押さえた。

 

押さえても、しばらく肩が動いていた。

 

ホシノ「ゴクチョーさん。水は」

 

ゴクチョー「審理中の給水は行いません」

 

ホシノ「うへ~。……知ってた」

 

ミカの腹が、痛みではない形で鳴った。

 

朝から食べたのは、パンの半分だけだった。

 

ミカは、円の向こうのシロコを見た。

 

昨日の夕方から、この子は一言も喋っていない。

 

ミカ「シロコちゃん」

 

シロコ「ん」

 

ミカ「あの道のこと。もう、言える?」

 

シロコは、しばらく黙っていた。

 

シロコ「まだ」

 

ミカ「まだなんだ」

 

シロコ「確かめてから言う」

 

シロコ「今言うと、たぶん、みんなが動く」

 

ミカは、頷いた。

 

同じことを言う人が、この部屋に二人いる。

 

二人とも、口を閉じることで、誰かを守っているつもりでいる。

 

守られている側は、そのぶん、誰かを疑い続ける。

 

それが親切なのか、そうでないのか、ミカにはまだ決められなかった。

 

ユウカ「四時十二分です」

 

コハル「え」

 

ユウカ「今、四時十二分。開廷から八時間十二分です」

 

コハル「な、なんで分かるの。時計、ないのに」

 

ユウカ「分かるんです」

 

ユウカ「数えていません。ただ、そこにあります」

 

地下には、窓がなかった。

 

夜が明けたことを、誰も見ていない。

 

見ていないから、誰も、そうだとは言わなかった。

 

言わないまま、全員が知っていた。

 

ハルカの隣の椅子は、まだ空いたままだった。

 

誰も、そこへ荷物を置かなかった。

 

ミカは、椅子の背にもたれて、腕を組み替えた。

 

袖がずれて、左手首が見えた。

 

銀の輪の内側に、黒い線が七本あった。

 

昨日の夜は、六本だった。

 

この部屋に入ってから、魔法は一度も使っていない。

 

使わなくても、増える。

 

増える理由の方には、心当たりが多すぎた。

 

ミカは、袖を戻した。

 

ナギサは、円の反対側に座っていた。

 

手順を決めたあと、この人は一度も発言していない。

 

ミカは、その姿勢が二度、崩れかけたのを見ていた。

 

一度目は、コハルが理由を言ったとき。

 

二度目は、ハルカが謝ったとき。

 

どちらも腰が浮きかけて、そのまま座り直した。

 

隣のヒナが、そちらを見た。

 

ヒナ「静山ナギサ」

 

ナギサ「はい」

 

ヒナ「使わないのね」

 

ナギサの指が、膝の上で一度だけ動いた。

 

ナギサ「……気づいていましたか」

 

ヒナ「二回、立ちかけたでしょう」

 

ヒナ「あなたが今ここで話せば、この部屋は五分で決まる」

 

ヒナ「決まるように、聞こえてしまうから」

 

ナギサ「はい」

 

ナギサ「使えば、勝てます」

 

ナギサ「だから、使いません」

 

ヒナは、しばらく黙っていた。

 

ヒナ「そう」

 

ヒナ「……その分だけ、ここが長くなるわね」

 

慰めでも、褒め言葉でもなかった。

 

ナギサは、それを受け取って、頷いた。

 

ナギサ「はい。長くします」

 

ミカは、そのやり取りを半分だけ聞いていた。

 

全部聞いたら、自分が何かを言ってしまいそうだった。

 

五時を過ぎたころ、ゴクチョーがもう一度、投票を告げた。

 

四回目の数字は、三回目と同じだった。

 

同じ数字を聞いても、誰も反応しなかった。

 

反応する体力が、円の中に残っていなかった。

 

ユウカ「九時間半です」

 

ユウカ「前回の審理は、四時間で終わりました」

 

ユウカ「今回は、その二倍を超えました」

 

ヒナ「終わらせ方が、一つしか用意されていないからよ」

 

ヒナは、そこで言葉を切った。

 

切った先を、全員が持っていた。

 

椅子が鳴った。

 

これまでとは、鳴り方が違った。

 

滑るような音がして、円の端で、ハルカの体が傾いた。

 

コハル「ハルカ先輩」

 

コハルが先に動いた。

 

ミカも動いた。

 

二人で受け止めて、床へ下ろした。

 

軽かった。

 

支えたときより、下ろすときの方が軽く感じた。

 

ヒナ「伊草ハルカ。聞こえる?」

 

返事はなかった。

 

息はしていた。

 

浅くて、速かった。

 

ホシノ「脈は」

 

ヒナ「ある。速いわ」

 

ホシノ「顔、白いねえ。……水も飯もなしで、九時間だもん」

 

ホシノがハルカの額に手を当てた。

 

当てて、少しのあいだ、そのままでいた。

 

ホシノ「起こさない方がいいね。少しだけ、眠らせとくよ」

 

ホシノ「痛いのは、止まるから」

 

ヒナ「使ったと、あとで言いなさい」

 

ホシノ「うん。ちゃんと言う」

 

ハルカの呼吸が、少しだけ深くなった。

 

深くなっただけで、顔の色は戻らなかった。

 

ミカ「医務室」

 

ミカ「運ぶよ。誰か、足持って」

 

ゴクチョー「審理中の退廷は認められません」

 

ミカは、ゴクチョーを見た。

 

ミカ「この子、死ぬよ」

 

ゴクチョー「回答は用意されていません」

 

ミカ「規定を聞いてない。人が倒れてるって言ってる」

 

ゴクチョー「審理中の退廷は認められません」

 

同じ文が、同じ高さで返ってきた。

 

壊しても命令した者は痛くない、という言い方を、ミカは思い出した。

 

思い出したところで、殴る先がない。

 

ミカは、上着の内側から白い布を出した。

 

一昨日から、ずっと持っていたものだ。

 

畳んで、ハルカの頭の下へ入れた。

 

床が、少しだけ遠くなった。

 

今できることは、それで全部だった。

 

ナギサ「ゴクチョー。規定の確認を、もう一つ」

 

ナギサ「この状態で伊草さんが死亡した場合、それは、審査完了として処理されますか」

 

ゴクチョー「そのとおりです」

 

ナギサ「……分かりました」

 

ナギサは、そこで初めて、両手を握った。

 

握った手を、膝の上へ置き直した。

 

置き直す動きが、丁寧すぎた。

 

照明は、落ちなかった。

 

落ちる気配もなかった。

 

誰も、帰れなかった。

 

円の向こうで、椅子が一つ鳴った。

 

立ったのは、誰も見ていなかった席だった。

 

アズサ「私を指名しろ」

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