ブルアカ少女ノ魔女裁判   作:すーぱーりっかちゃん

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アズサ『私を指名しろ』

立ったのは、いちばん動かない席だった。

 

円の中で、アズサの椅子だけは、一度も鳴ったことがなかった。

 

ミカは床に膝をついたまま、そちらを見上げた。

 

ハルカの頭の下の布が、少しずれていた。

 

直そうとした手が、途中で止まった。

 

アズサ「聞こえなかったなら、もう一度言う」

 

アズサ「私を指名しろ」

 

ヒナ「白洲アズサ。座って」

 

アズサ「断る」

 

ヒナ「発言は認めるわ。立っている必要はない」

 

アズサ「ある」

 

アズサ「座ると、聞かなくてよくなる」

 

ヒナが、口を閉じた。

 

閉じたあとで、腕を組み直した。

 

組み直す動きが、いつもより遅かった。

 

アズサ「条件を並べる。四つある」

 

アズサ「一つ。私は昔、錠前サオリと同じ場所にいた」

 

アズサ「さっき出た四つ目の理由は、私にもそのまま成り立つ」

 

アズサ「二つ。私は魔法を申告している。消える、と言った」

 

アズサ「内容を、誰も確かめていない」

 

アズサ「三つ。所在の証言で、私の名前は必ず他人の口から出ている」

 

アズサ「私が自分で言った時刻は、一つもない」

 

アズサ「四つ。私は、二度の死亡のどちらでも、質問されていない」

 

アズサ「一度も疑われていない者が、この部屋に一人だけいるのは、形として不自然だ」

 

言い終わって、アズサは息を吸い直さなかった。

 

最初から、それだけの息で足りる長さに切ってある。

 

ユウカ「……数を、訂正します」

 

ユウカが立った。

 

紙を持っていなかった。

 

ユウカ「三つ目は、成り立ちません」

 

ユウカ「昨日の十六時三十八分から十七時二十二分まで、あなたは食堂にいます」

 

ユウカ「証言したのは、生塩ノアです。私も、その場にいました」

 

アズサ「六人いた」

 

ユウカ「はい。六人です」

 

アズサ「六人が、同じ方向を向いていた時間は、どれだけある」

 

ユウカが、答えなかった。

 

答えられないのではなく、答えが分かっていて、言いたくない顔だった。

 

アズサ「私は、席にいた。それは本当だ」

 

アズサ「だが、いた、と言えるのは、見ていた人間の記憶だけだ」

 

アズサ「記憶は、昨日、一度嘘をついた」

 

ユウカ「あれは、記憶ではありません。システムです」

 

アズサ「同じだ。ここでは、どちらも証言として扱われている」

 

ユウカ「……扱いは、同じです」

 

ユウカ「ですが、白洲さん。あなたの並べ方には、順番の誤りがあります」

 

ユウカ「あなたは、疑われる条件を数えています」

 

ユウカ「鬼方さんがどうやって死んだかを、一つも数えていません」

 

ユウカ「それは、さっき聖園さんが指摘した誤りと、まったく同じ形です」

 

アズサ「知っている」

 

アズサ「私は、聖園ミカの話を聞いていた」

 

アズサ「聞いた上で、こうしている」

 

ミカは、床から立ち上がった。

 

立ち上がる途中で、膝が鳴った。

 

九時間、同じ姿勢でいた膝だった。

 

ミカ「アズサちゃん」

 

アズサ「何だ」

 

ミカ「じゃあ、なんで」

 

アズサ「終わらないからだ」

 

アズサ「四回、数えた。四、五、三、三」

 

アズサ「動いていない。動く材料が、この部屋にない」

 

アズサ「材料が出るまで待つ、というのが聖園ミカの案だ」

 

アズサ「正しい。だが、待つ場所に、水も食事もない」

 

アズサ「伊草ハルカは、床にいる」

 

アズサ「次に倒れる人間の順番も、たぶん決まっている」

 

アズサ「誰かが死なないと終わらないなら、選べる形で死ぬ方がいい」

 

アズサ「私が最も条件を満たす。それだけの話だ」

 

誰も、すぐには何も言わなかった。

 

言えなかったのだと、ミカには分かった。

 

この子の並べ方には、隙がない。

 

隙がないのは、正しいからではない。

 

自分の値段を、何度も数え直した人の並べ方だからだ。

 

ヒナ「議長として言うわ」

 

ヒナ「この提案を、議題から外す」

 

ゴクチョー「収容者は、自身を指名の対象として推挙することができます」

 

ゴクチョー「妨げる規定はありません」

 

ヒナ「私が妨げると言っている」

 

ゴクチョー「議事の進行に関する権限は、収容者に付与されていません」

 

ゴクチョー「順序の調整のみが認められています」

 

ヒナ「……順序を調整するわ。この提案は、最後に回す」

 

ゴクチョー「そのように記録します」

 

ヒナは座らなかった。

 

立ったまま、円の反対側を見た。

 

ヒナ「錠前サオリ。あなたが言うべきよ」

 

サオリ「分かっている」

 

サオリの声は、低かった。

 

低いのに、震えていなかった。

 

震えていないことが、いちばん嫌な感じだった。

 

サオリ「アズサ」

 

アズサ「何だ」

 

サオリ「お前は、そこにいろ」

 

アズサ「理由を言え」

 

サオリ「……」

 

アズサ「言えないなら、私は続ける」

 

サオリの手が、膝の上から離れた。

 

離れた手が、行き先を見つけられずに、椅子の縁を掴んだ。

 

ミカは、その人が息を吸うところを見た。

 

この人が、話す前に息を吸うのを、ミカは初めて見た。

 

サオリ「私たちのいた場所には、名前を呼ぶ習慣がなかった」

 

サオリ「番号で足りた。足りるように作られていた」

 

サオリ「呼ばれないと、自分がどこにいるか分からなくなる」

 

サオリ「分からなくなった方が、都合がよかったからだ」

 

サオリ「お前は、そこから出た」

 

サオリ「出た先で、名前で呼ばれている」

 

サオリ「呼んでいる人間の顔を、私は知らない」

 

サオリ「だが、呼ばれていることは知っている」

 

サオリ「お前が、名前で返事をするようになったからだ」

 

アズサは、動かなかった。

 

瞬きの間隔だけが、少し変わった。

 

サオリ「ここで死ぬと、その名前を呼ぶ場所が、呼ぶ相手をなくす」

 

サオリ「呼ぶ相手をなくした場所は、そのあと、番号に戻る」

 

サオリ「戻るのを、私は一度見た」

 

サオリ「二度は、見ない」

 

円の中が、静かだった。

 

ミカは、数えた。

 

この人が、これだけ続けて喋ったことは、一度もない。

 

理由を後から言う癖のある人が、今、理由だけを喋っている。

 

喋っているあいだ、この人は誰の顔も見ていない。

 

それが、この人にとっての異常事態の形だった。

 

アズサ「サオリ」

 

サオリ「何だ」

 

アズサ「それは、私が死んだ後の話だ」

 

アズサ「私の話をしていない」

 

サオリ「……」

 

アズサ「私は、私の使い道の話をしている」

 

サオリの手が、椅子の縁を握り直した。

 

手袋の裂け目が、開いた。

 

サオリ「使い道と言うな」

 

アズサ「他に言い方がない」

 

サオリ「私にも、ない」

 

サオリ「ないから、こういう言い方になる」

 

サオリ「……お前を、そういうふうに使うな」

 

サオリ「他の誰にも使わせない。お前にも、使わせない」

 

言い方が、まるで下手だった。

 

命令形で、理由がなかった。

 

いつものこの人の喋り方に、そこだけ戻っていた。

 

戻ったところが、いちばん本気だった。

 

アズサ「……そうか」

 

アズサ「だが、断る」

 

サオリは、それ以上言わなかった。

 

言葉を持っていなかったのだと思う。

 

持っていないものは、出せない。

 

ミカは、自分の掌を見た。

 

それから、円の中央を見た。

 

ミカ「アズサちゃん」

 

アズサ「何だ」

 

ミカ「それ、私が一番嫌いなやり方」

 

アズサ「理由を」

 

ミカ「聞かれると思った」

 

ミカ「あのね。もう痛くない人を選ぶのって、いちばん楽なんだよ」

 

ミカ「痛くない人は、文句を言わないから」

 

ミカ「あんたは、今から痛くなくなる予定の人でしょ」

 

ミカ「予定で選ぶのも、同じだから」

 

言い終わって、ミカは口の中で舌を止めた。

 

止めたのに、遅かった。

 

もう痛くない人を選ぶ。

 

その言い方を、この部屋で最初に使ったのは誰だったか。

 

一昨日の夜だ。

 

この床の、同じ場所だ。

 

私たちは犯人じゃなくて魔女を選べって言われてる。だったら、もう傷つかない人を選ぶ。

 

あれは、自分の声だった。

 

自分の声で、自分の言葉で、この部屋にその形を置いた。

 

置いたものは、消えない。

 

消えないから、こうして誰かが同じ形を持ってくる。

 

ミカ「……あ」

 

コハル「ミカ先輩?」

 

ミカ「これ、私だ」

 

声が、思ったより小さく出た。

 

ミカ「私が最初にやったやつだ」

 

ミカ「一昨日、私が同じこと言った」

 

ミカ「イロハちゃんは、もう傷つかないから、って」

 

ミカ「あんたのは、順番が一つ前なだけで、中身、おんなじじゃんね」

 

誰も、否定しなかった。

 

否定できるだけの記憶が、全員にあった。

 

アズサ「聖園ミカ」

 

ミカ「何」

 

アズサ「お前の案の方が正しかった」

 

ミカ「……は」

 

アズサ「棗イロハは、選ばれても何も失わない」

 

アズサ「私は、まだ生きている。だから、私の方が高い」

 

アズサ「高い方を出すのが、順番として正しい」

 

ミカは、二歩、前に出た。

 

出たところで、拳を握った。

 

握って、指の先まで開いた。

 

開いた掌の中には、何もなかった。

 

殴る相手が、この部屋には一人もいない。

 

ミカ「あんた、それ」

 

ミカ「自分のこと、値段で言ってるって、気づいてる?」

 

アズサ「気づいている」

 

アズサ「他の数え方を、教わったことがない」

 

ホシノ「うへ~……」

 

ホシノが、帽子のつばを上げた。

 

上げた下の顔は、笑っていなかった。

 

ホシノ「アズサちゃん。おじさんの話、ちょっとだけ聞いてくれる?」

 

アズサ「聞く」

 

ホシノ「うん、いい子だねえ」

 

ホシノ「おじさんね、たぶんこの部屋でいちばん、そういう考え方に近いところにいた人間なんだ」

 

ホシノ「だから、言い方が分かる」

 

ホシノ「アズサちゃんの言ってることは、間違ってない。おじさんもそう数える」

 

ホシノ「でもね、いちばんきついのは、そこじゃないんだよ」

 

ホシノ「残った方が、明日からそれを使うことになるの」

 

アズサ「意味が分からない」

 

ホシノ「アズサちゃんの決め方が、明日の物差しになるってこと」

 

ホシノ「次に誰かが倒れたときにね、絶対、誰かが思うんだよ」

 

ホシノ「――あのときは、選べる形で終わらせたよねって」

 

ホシノ「思ったやつは、口に出さないよ。出さないまま、紙に書く」

 

ホシノ「そういうの、おじさん、もう見たくないんだよねえ」

 

アズサ「構わない」

 

ホシノ「構ってよ」

 

ホシノ「そこだけは、構ってほしいなあ」

 

アズサ「……小鳥遊ホシノ」

 

ホシノ「うん」

 

アズサ「お前の言い方は、他の全員より正確だ」

 

ホシノ「褒められてる感じがしないねえ」

 

アズサ「褒めていない」

 

アズサ「正確なだけで、私の順番は変わらない」

 

ホシノ「うん。変わらないって顔してる」

 

ホシノ「……おじさん、こういうとき、あと一枚だけ持ってるんだけどね」

 

ホシノ「使うと、たぶん、アズサちゃんを騙すことになるから、置いとくよ」

 

ホシノは、膝の上で両手を組んだ。

 

組んだ手を、それきり動かさなかった。

 

この人は、いちばん早い判断をする人だ。

 

その人が、使える手を置いたままにしている。

 

置いたままにする方が難しいことを、ミカは今夜、初めて知った。

 

アズサは、答えなかった。

 

答えないのは、返す言葉がないときのこの子の癖だった。

 

癖だと分かったのは、この四日で三度目だからだ。

 

ヒナ「……一つ、私の話をさせて」

 

ヒナ「昨日の夜、私は、理由を全部外に出そうと言ったわ」

 

ヒナ「抱えているより、出した方がいいと」

 

ヒナ「あれは、錠前サオリのためだと思って言った」

 

ヒナ「違ったのね」

 

ヒナ「四つ並べた棚を、私が作った」

 

ヒナ「白洲アズサは、その棚に自分を載せただけよ」

 

ユウカ「空崎さん。それは、飛躍です」

 

ヒナ「飛躍じゃないわ。順番の話よ」

 

ヒナ「並べ方を決める人間がいると、並べられる側は、その形に合わせる」

 

ヒナ「合わせられる子が、この部屋には多すぎた」

 

ミカ「ヒナちゃん」

 

ヒナ「聖園ミカ。庇うつもりなら、あとにして」

 

ミカ「庇ってないよ」

 

ミカ「それ、昨日の夜、あんたが私に言ったやつ」

 

ヒナ「……そうだったわね」

 

ヒナは、そこで初めて声を落とした。

 

この人の怒りは、声が低くなる形で出る。

 

今の低さは、たぶん、自分に向いていた。

 

ヒナ「静山ナギサ」

 

ナギサ「はい」

 

ヒナ「今、あなたが話せば、止まる」

 

ナギサ「はい」

 

ナギサ「止まります」

 

ナギサ「ですから、使いません」

 

ヒナ「……そう」

 

ヒナ「聞いておきたかっただけよ」

 

ナギサは、膝の上で手を組んだ。

 

組んだ手の指が、白かった。

 

ナギサ「空崎さん。一つ、申し上げます」

 

ナギサ「今、私は無力です」

 

ナギサ「言葉を積むことしかできません。積んだ分は、たぶん足りません」

 

ナギサ「足りないと分かっていて積むのは、初めてです」

 

ヒナ「それでも積むのね」

 

ナギサ「はい」

 

ナギサ「白洲さん。あなたの四つの条件には、共通点があります」

 

ナギサ「すべて、他人があなたをどう見るかの話です」

 

ナギサ「あなたが何をしたかの話が、一つもありません」

 

ナギサ「疑われる形をしていることと、やったことは、別です」

 

アズサ「別だ」

 

ナギサ「では、あなたはやっていないのですね」

 

アズサ「やっていない」

 

ナギサ「記録しました」

 

ナギサ「……ノアさん。今の一行を、消さないでください」

 

ノア「消しません。そのまま残します」

 

ノアの鉛筆が動いた。

 

いつもと同じ速さだった。

 

コハル「……あの」

 

コハルが立った。

 

立ってから、両手を胸の前で握った。

 

コハル「私、やっていい? 嫌だったら、やらない」

 

アズサ「何をだ」

 

コハル「見るの」

 

コハル「怖いものの、形」

 

円の中が、少し動いた。

 

誰かが、椅子の上で座り直した。

 

アズサ「好きにしろ」

 

アズサ「何も出ない」

 

コハル「……分かった」

 

コハルは、二度深呼吸をした。

 

二度目のあとで、目を細めた。

 

細めたまま、しばらく動かなかった。

 

それから、口が半分開いた。

 

コハル「見えた」

 

コハル「見えたけど」

 

コハル「……変なの」

 

ヒナ「コハル。落ち着いて言いなさい」

 

コハル「うん」

 

コハル「小さいの」

 

コハル「今まで見たやつの中で、いちばん小さい」

 

コハル「ホシノ先輩のときは、部屋いっぱいだった」

 

コハル「アズサさんの、手のひらくらいしかない」

 

コハル「小さいのに、輪郭がすごくはっきりしてる」

 

ユウカ「小さい、というのは。……薄いということですか」

 

コハル「ちがう」

 

コハル「濃いよ。ずっと同じ形でそこにあった、みたいな濃さ」

 

コハルの目が、少しだけ上を向いた。

 

見ているものを、探しているような動きだった。

 

コハル「……食堂だ」

 

コハル「朝の、食堂」

 

コハル「みんないる。ヒナ先輩も、ユウカ先輩も、ミカ先輩も」

 

コハル「配膳口が開いて、お皿が出てくるの」

 

コハル「数えたら、十枚あるの」

 

コハル「アズサさんの分が、ないの」

 

コハル「ないのに、誰も、変な顔しないの」

 

コハルの声が、そこで一度切れた。

 

コハル「誰も、困ってないの」

 

コハル「アズサさんがいなくても、そのまま朝ごはんが始まるの」

 

コハル「……それが、いちばん怖いやつだった」

 

アズサの返事が、一拍遅れた。

 

この四日で、この子の返事が遅れたのは、初めてだった。

 

アズサ「……見るな」

 

声の高さが、変わっていた。

 

変わったのは、ほんの少しだった。

 

ほんの少しで、全員が気づいた。

 

コハル「アズサさん」

 

アズサ「見るな」

 

コハル「アズサさん、怖いんじゃん」

 

コハルの目から、水が落ちた。

 

落ちてから、コハルは自分の頬を手の甲で押さえた。

 

コハル「ごめん、私、泣くつもりなかった」

 

コハル「でも、これ」

 

コハル「これ、ひどいよ」

 

コハル「アズサさん、死ぬのが怖くないって言ったんじゃないじゃん」

 

コハル「自分がいなくても何も変わらないのが、怖いんじゃん」

 

コハル「怖いから、変わる方を選ぼうとしてるんじゃん」

 

コハル「そんなの」

 

コハル「そんなの、選び方じゃないよ」

 

コハル「いなくても平気だって思われるのが怖いなら」

 

コハル「いなくならない方で、確かめたらいいじゃん」

 

コハル「明日の朝、お皿、十一枚あるよ」

 

コハル「私、数えるから」

 

アズサは、コハルを見なかった。

 

円の中央の床を見ていた。

 

その視線が、いちばん長く止まったのは、床にいるハルカの上だった。

 

サオリ「アズサ」

 

アズサ「もういい」

 

サオリ「よくない」

 

アズサ「サオリ。手続きに入る」

 

アズサが、目を閉じた。

 

それだけだった。

 

音も、光もなかった。

 

なかったのに、円の中の空気が、一段軽くなった。

 

軽くなるという言い方は正しくない。

 

そこに人が座っている感じが、抜けた。

 

ユウカ「……待って」

 

ユウカ「待ってください。数が」

 

ユウカ「今、この部屋に、十一人います」

 

ユウカ「私が把握できているのは、十人です」

 

ユウカ「一人分、足りません」

 

ユウカ「見えているのに、数に入りません」

 

ゴクチョー「照会します」

 

細い脚が、床を二度叩いた。

 

ゴクチョー「収容者・白洲アズサの所在登録に、欠落が生じました」

 

ゴクチョー「本審理の対象時刻について、当該収容者の所在は確認できません」

 

ゴクチョー「照合の結果、本件において所在の裏づけを最も欠く収容者は、白洲アズサです」

 

ゴクチョー「記録を更新しました」

 

ヒナ「取り消させて」

 

ゴクチョー「更新の取り消しに関する規定はありません」

 

ヒナ「本人がやったことよ。本人が戻せるでしょう」

 

ゴクチョー「そのように解釈することも可能です」

 

ゴクチョー「ただし、当該収容者からの申し出はありません」

 

アズサが、目を開けた。

 

アズサ「これで、条件は満たされた」

 

アズサ「一番上にいる。並べても、確かさの順で一番上だ」

 

アズサ「聖園ミカ。お前の順番で選んでいい」

 

ミカは、動けなかった。

 

動けなかったのは、体ではなかった。

 

この子は、四日かけて聞いていた。

 

誰が何を大事にしているかを、全部聞いていた。

 

聞いた上で、こちらの理屈の中でいちばん通る形に、自分を置いた。

 

こちらが正しさとして立てたものを、そのまま踏み台にした。

 

ミカ「……ずるい」

 

アズサ「そうだ」

 

ミカ「じゃあ、私を」

 

言いかけて、ミカは口を閉じた。

 

閉じたのは、怖かったからではなかった。

 

同じ形だと、途中で気づいたからだった。

 

私を指名しろ。

 

言った瞬間に、この部屋には二枚目の見本ができる。

 

二枚目ができたら、三枚目が出るまでの間隔は短くなる。」

 

この子がやったことの、ちょうど半分を、自分が引き受けることになる。

 

ミカ「……やめた」

 

アズサ「賢明だ」

 

ミカ「褒めないで」

 

ミカ「今のは、賢いんじゃない。怖くて言えなかっただけの可能性もあるから」

 

ミカ「どっちなのか、私、まだ分かってないの」

 

アズサ「分からないものは、置いておけ」

 

アズサ「置いたものは、あとで取れる」

 

ミカ「それ、あんたが言うんだ」

 

アズサ「私は、置き場所がなくなっただけだ」

 

ゴクチョー「投票を行います。棄権は可能です」

 

ユウカ「一つ確認します。伊草さんは、意思を示せません」

 

ゴクチョー「意思表示のない投票は、棄権として処理します」

 

ユウカ「……分かりました」

 

紙が回ってきた。

 

ミカは、自分の紙を折らずに置いた。

 

置いた指が、しばらく紙の上に残った。

 

残しても、書く言葉は増えなかった。

 

鉛筆の音が、六つ聞こえた。

 

六つ目の音が止まるまで、誰も顔を上げなかった。

 

ノア「読み上げます」

 

ノア「有効票、六」

 

ノア「白洲さん、六」

 

ノア「棄権、五」

 

ノア「収容者数は十一。過半数は、六です」

 

ノア「どなたが入れたかは、記録していません」

 

ノア「これまでと、同じ扱いにしてあります」

 

数字を読む声だけが、平らだった。

 

平らなのは、たぶん、そう読むのが正しいからだった。

 

誰も、そこを指摘しなかった。

 

ゴクチョー「過半数に達しました」

 

ゴクチョー「白洲アズサを、処刑対象として認定します」

 

ゴクチョー「正誤の判定は行いません」

 

コハル「やめて」

 

コハル「やめてよ、まだ」

 

サオリ「待て」

 

サオリが立った。

 

立った勢いで、椅子が後ろへ滑った。

 

サオリ「認定を、私に移せ」

 

ゴクチョー「対象の変更に関する規定はありません」

 

サオリ「私が票を集める。もう一度やれ」

 

ゴクチョー「審理は終了しています」

 

アズサ「サオリ」

 

サオリが、止まった。

 

止まったのは、名前を呼ばれたからだった。

 

アズサ「私は、番号じゃなかった」

 

アズサ「お前が、そう呼んだからだ」

 

アズサ「だから、いい」

 

サオリ「よくない」

 

アズサ「そうか」

 

アズサ「……ちゃんと、帰れ」

 

光は、上から来た。

 

落ちてくる形ではなく、部屋の白さが一段濃くなるだけの光だった。

 

音が、一つした。

 

留め具のない金具が、留め具から外れるような、乾いた音だった。

 

銀の輪が、床に落ちる音だった。

 

跳ねて、二度、床を鳴らした。

 

二度目の音が、いちばん高かった。

 

それから、静かになった。

 

円の中に、椅子が一つ増えていた。

 

増えたのではない。

 

背もたれの銀の帯から、名前が消えていた。

 

空いた椅子は、三つになった。

 

三つは、どれも隣り合っていなかった。

 

床の上に、輪だけが残っていた。

 

内側の黒い線が、上を向いていた。

 

何本あるのか、ミカは数えなかった。

 

数えたら、それを覚えてしまうと思った。

 

サオリは、立ったままだった。

 

二歩、前に出た。

 

三歩目が出なかった。

 

足の位置が、そこで固まっていた。

 

輪までは、あと四歩くらいだった。

 

四歩の距離で、この人は動けなくなっていた。

 

声は、出していなかった。

 

膝も、折れていなかった。

 

手が、前に出たまま、行き先を探していた。

 

触れれば移せる、という顔だった。

 

移せるものが、もう何も残っていない、という顔でもあった。

 

ミカは、それを見ていた。

 

見ていることしかできなかった。

 

肩に手を置くこともできた。

 

置けば、この人は動けるようになるかもしれなかった。

 

動けるようになった人が、そのあとどこへ行くのかを、ミカは知らなかった。

 

知らないことをしてはいけない、と、初めて思った。

 

だから、ミカは何もしなかった。

 

何もしないことが、こんなに長い時間だとは思っていなかった。

 

ミカ「サオリ」

 

返事はなかった。

 

名前で呼んだのに、返事がなかった。

 

この人は、名前で呼ばれると必ず何か返す人だった。

 

昨日の夜も、一昨日の夜も、返していた。

 

ミカは、もう一度呼ぶかどうかを考えて、やめた。

 

呼べば、返さなければならなくなる。

 

返せない人に、返す仕事を渡すことになる。

 

サオリの手が、ようやく下りた。

 

下りた先は、自分の膝でも、輪でもなかった。

 

右の手袋の、裂け目のところだった。

 

そこを親指で押さえて、それきり動かなかった。

 

ゴクチョー「審理は終了しました」

 

ゴクチョー「居住区への帰還を許可します」

 

ゴクチョー「次回の食事配給は、七時からです」

 

細い脚が、硬い音を立てて、階段の方へ去った。

 

扉が開いた。

 

開いた先の廊下が、明るくなっていた。

 

外は、朝だった。

 

誰も、立たなかった。

 

ホシノは、帽子を膝に置いていた。

 

シロコが、その袖を掴んだままだった。

 

ユウカは、紙を持たない手で、机の縁を押さえていた。

 

押さえた指が、数を数えるように四回動いて、止まった。

 

ユウカは、その数を口に出さなかった。

 

口に出せば記録になると、この人はもう知っている。

 

ヒナは、座ったまま、円をひと巡り見た。

 

見終わって、もう一巡した。

 

二巡目の途中で、目を閉じた。

 

ナギサは、まだ手を組んでいた。

 

組んだ手を、一度もほどかなかった。

 

コハルは、床にいるハルカの傍に座り込んでいた。

 

ハルカの息は、まだ浅かった。

 

運べるようになったのに、誰も、まだ運んでいなかった。

 

コハル「……誰か」

 

コハル「誰か、足、持って」

 

コハルの声は、掠れていた。

 

掠れた声で、それでも順番を作ろうとしていた。

 

ミカは、頷いた。

 

頷いてから、床の輪の方を見た。

 

誰かが拾わなければ、あれはずっとそこにある。

 

拾えば、持っている人になる。

 

持っている人は、誰かに渡す先を探すことになる。

 

渡す先が、この島には一つもない。

 

ミカは、伸ばしかけた手を戻した。

 

戻した手で、ハルカの膝の下を支えた。

 

シロコ「私が、頭」

 

シロコが、先に位置を決めた。

 

決めてから、ホシノの袖を離した。

 

離すとき、一度だけ握り直した。

 

最後まで反対した人間が、この部屋に四人いた。

 

四人とも、票を書かなかった。

 

書かなかったことで、何も止まらなかった。

 

立派なことは、何も起きていない。

 

誰かが自分を選び、それを六人が受け取った。

 

受け取り方は、たぶん全員違った。

 

違ったまま、数字は六になった。

 

ミカは、袖をずらした。

 

左手首の、銀の輪の内側を見た。

 

黒い線が、八本あった。

 

昨日の夜は、七本だった。

 

この部屋で、魔法は一度も使っていない。

 

増える理由の方は、もう数えるのをやめていた。

 

やめても、線は増える。

 

ミカは、輪から目を上げて、床の輪を見た。

 

それから、名前の消えた椅子を見た。

 

拳を握った。

 

指の先まで、開いた。

 

ミカ「……私、この裁判を壊す」

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