日々、才女なギャルと魔法オタクは教え合う 作:宮原ワタル
ガラララ
教室の引き戸を開ける音が、やけに大きく響いた気がした。
数人がその音に反応してこちらを振り返ったが、向けられる視線はどれも他愛ないものばかり。
平静を装いながら、自分の席に戻る。
椅子を引いて腰を下ろした途端、背中に張り付いていた緊張がほんの少しだけ緩んだ。
それと同時に、後ろの席からチョンチョン、とペンで突かれる。
「長くね?腹だいじょぶなん?」
反射的に口角を上げ、笑顔を作る。
「おー、なんとかね~」
数分前の光景を思い出して視線が宙を泳ぐも、それを悟られないように親指を立てて軽くおどけてみせた。
前に向き直り、黒板の文字をなぞり始めたところで、佐々山先生がチョークを置いて口を開く。
「はい、ではここから班になって話し合いの時間です。いつも通り机を動かして、〝この作品における主人公の行動と、その問題点〟を話し合ってください」
先生の指示に、「うーい」と気の抜けた返事がいくつか返る。
机を引きづる音が重なり、教室のあちこちで会話が始まった。
─「やっぱ合理性を言い訳にして、人間関係を完全に無視してるとこが問題だろ」
─「だろーなー」
真面目な声。
─「この主人公に友達がいないのが問題にゃ!」
─「それだ!」
笑い声。
魔力がぶつかり合っていた光景と比べると、嘘みたいに日常的で、平和な教室。
その平和の中で、僕だけが、ほんの少しだけ浮いている気がする。
ほんの十数分前。
僕の目には向こうの学校の運動場を埋め尽くすほどの魔力の歪みが見えていた。──その歪みは、間違いなく先輩が魔法を使うときの前兆で。
その時のことを思い出して、思わずチラリと窓の向こうに視線を動かす。
「……」
「……おいそこの魔法オタク。いくら向こうが魔法実践やってるからって覗くなよ。キモいぞ?」
しかし今は話し合いの時間。僕の目線を追った先に魔法があることを確認したクラスメイトが、呆れた声で僕に釘を刺す。
「あっ……いや、でも気にならない?」
「ならんわ」
ウチの学校と向こうの学校の運動場は、一応魔道具の結界で区切られてはいるが、地続きだ。遠目ながら、向こうの様子は確認できる。
視線を机に戻し、シャーペンを持った右手を見下ろす。
当然、そこに魔法の残滓は残っていない。でも、心の中には迷いが残っている。
──邪魔して良かったのか、と。
止めなければ、きっと誰かが怪我をしていた。客観的に見たら、多分間違っていないはずだ。
でも同時に。あの瞬間、先輩の魔力に宿っていた感情を、僕が無理やり断ち切ったことも事実だった。
選択肢を奪った自覚が、胸に沈んでくる。
救ったのか、踏み込んだのか──その線引きは、どうしても曖昧だった。
この教室に、そのことを知る人は誰もいない。
あの瞬間の重みを抱えたまま、放課後までの時間は、静かに過ぎていく。
***
改札を抜けると、既に先輩は到着していたようで、人の流れの端で手を振りながらこちらへ歩いてきた。
「……やっほ」
「ど、どうも」
それだけで会話は途切れ、そのまま並んで公園へ向かって歩き出す。
夕方の駅前はまだ人通りが多く、話し声や客寄せの声が重なり合っている。そのざわめきの中で、互いの沈黙だけが、妙に浮き上がっていた。
「お待たせして、すいません」
「ん、ぜんぜーん。部活でしょ?」
「は、はい……。ネコマルも、さっきまでいたんですけど……」
「見たよ~。……私の顔見た瞬間そっこー帰ってったね、逃げられちゃった」
そう言って軽く笑うが、すぐに口角は下がってしまう。
並んで歩く足音は少し重く、心の奥底には教室で抱えた疑問が、言葉にならないまま小さく蠢いていた。
先輩は、いつも通り明るく振る舞っている。
それでも、仕草の端々に、ほんのわずかな迷いが滲む。
横目で盗み見ると、金色に染めた毛先を指先で弄び、視線を逸らしている。
何かを言いかけて、やめる──そんな沈黙が、ずっと続いていた。
結局、言葉は口にされないまま、2人で無言の道を進む。
「座ろ?」
「は、はい」
公園に着くと先輩は迷いなくベンチに腰を下ろし、隣をポンポンと叩いて僕を促した。
言われるまま鞄を足元に置いて座るが、まるで卒業式のときみたいに背筋を伸ばしたまま、正面だけを見続けてしまう。
肩が触れそうで、触れない。そんな微妙に空いた距離が、やけに遠かった。
「あの魔法は、全部るっきーが一人で?」
「……はい」
「やっぱり、すごいね~。私が知ってるの【
「あ、はい。【重々寝】っていう魔法ですね。……そこまで分かる先輩も、大概ですよ」
「……ありがと」
淡々と魔法の名前を挙げる先輩に、改めて驚かされる。
一体どれだけ、勉強したのだろうか。魔法オタクの自分でさえ想像がつかない、〝魔法が使えない〟という環境から脱するための努力が、きっとあったのだろう。
でも、だからこそ。先輩が【炎槍】という危険な部類に入る火属性の魔法を、あの場に展開したことに、どうしても違和感を感じざるを得なかった。
「……あの」
「ん?」
「なんと言うか……無理矢理、邪魔しちゃって、すいませんでした」
言い終えた途端、隣から軽く息を吐く音が聞こえた。
それだけで、思わず肩が跳ねる。
「……るっきー、多分さ。本当にごめんって思ってないでしょ?」
「……っ!……それは……いえ、そうですね」
図星だったからこそ、何も言えなかった。
魔法の成功失敗に関係なく、間違いなくあのままだと怪我する人は大勢いた。だから、止めた。
「…………なんで、止めたの?」
「そ、れは……」
隣から聞こえてきた問いは、静かだった。
淡々と返答してきた先輩の顔は、見れない。
口を開こうとしたが、言葉が喉につかえる。
掌に、じわりと汗がにじんだ。
「どうやって私たちが喧嘩してるって知ったのかは分かんない。でも……」
先輩はそこで言葉を切り、僕の腕を掴んだ。
思わず顔を向ける。
すぐ隣にあったその瞳には、いつもの明るさがなかった。
「るっきーも、私は〝これからも魔法を使えない〟って、思う?」
「……え?」
その言葉は、落ちる音すら立てなかった。
夕方の空気に溶け込み、じわじわと胸に沈んでくる。
「……ごめん。こんなこと言いたい訳じゃない……るっきーがそんなこと思ってないのは分かってる、知ってるの……」
そう言葉を零すと、掴んでいた僕の腕から手を離し、先輩はベンチの上で膝を抱え、顔を埋めてしまった。
「頭では、分かってる。止めてくれてありがとう、って言わないといけないのも。ただ、どうしても──」
そのまま顔は上がらず、小さく息を吸う音が鳴る。
「なんで、余計なことしたの、って、思っちゃう私も、いるの」
絞り出すように言い終えると、先輩の体が小さく強張った。
膝を抱える腕に、ぎゅっと力が入っている。
顔は膝に埋められたままで、表情は見えない。
それでも、その声だけで十分に伝わってくる。
「……そう、ですね」
空を見上げる。
夕焼けに照らされて、妖精が飛んでいる光景が滲んで見える。
「なんでか、って聞かれたら……わかりません。衝動的に、です」
「…………」
「魔力って、感情で動きが変わるんですよ。それで、先輩が怒ってるって分かって……これは止めなきゃ、って」
「……そっか」
短く、それだけ。肯定でも否定でもない。ただ、受け取ったという合図。
それ以上、先輩は何も言わなかった。
───何を言うのが、正解なのかな……。
古の伝記に出てくる勇者なら、こんなときでもサラッとカッコいい言葉を、心に響く台詞を、口にできるのだろうか。
でも僕は、ただの魔法オタクで、先輩みたいな〝夢〟もない、普通の男子高校生だ。誰かを救うような言葉を、スッと出せる人間じゃない。
何か言おうとして何度も思考を組み立てては、あっけなく崩れていく。そうして積み重ねられた言葉の残骸を、飲み込むことしかできなかった。
「何が、あったんですか?」
結果、声に出た言葉は、ただの確認だった。
小さく、頼りない誤魔化しの言葉。
「…………先週、駅で会った子のこと、覚えてる?」
先輩は俯いたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
──深く、痛い話だ。
要するに、先週一緒にいたあのお友達さんと、大喧嘩したらしい。
ネコマルから「ミーが知ってることは割と話しちゃったにゃ……」と聞かされていたから、何かあるかもしれないとは思っていたが、想像していた以上だった。
「……嫌だったの」
先輩の声は、微かに震えている。
「否定されちゃうのが、嫌だった。魔法のことも。〝夢〟のことも……もちろん、るっきーのことも」
その一言で、胸の裏側が強く軋む。
「それで私、我慢できなくて……証明しなくちゃ、って」
「だから、あんなことに……」
先輩の心情を、完全には理解できない。魔法を使えない焦りも、心配される痛みも、僕は本当の意味では分からない。
ただ。あのとき、あれほど膨大な範囲に先輩の魔力が浸透し、歪んでいた理由だけは、はっきりと腑に落ちた。その原因が──僕だと言うことも。
だからこそやっぱり、どんな言葉をかけるべきか、答えは出せなかった。
「いつか絶対に使えるようになりますよ」なんて、言うのは簡単だ。
出会って、大体二週間。成功したとは言えなくても、以前より大きく前進しているのは明らかだった。魔法オタクとしても、〝絶対に魔法を使わせる〟という、身勝手なプライドさえある。
それでも、今目の前で固まっている先輩を軽い調子で励ますことは、できなかった。
先輩は、ゆっくりと顔を上げる。
「しばらく、魔法の練習はできなそうかなぁ」
「え?」
「……正直、心の中ぐちゃぐちゃだから……」
自嘲するように、小さく笑う。
「今は全然、魔力をちゃんと動かせる気がしないの」
どう見ても、無理をしている顔だった。
「もちろん、勉強は教えるから安心して。……来週の予定、だよね」
「は、はい」
そこからしばらく、何を言うべきかを悩んでいる間に、先輩が口を開く。
「じゃ、そゆことだから……今日は、帰るねー」
不意に、先輩が立ち上がる。
「え、あっ……」
慌てて立ち上がる。
何か言わなきゃ、と思うのに、自分の中で答えは出ないまま、喉の奥で言葉が絡まって何も出てこない。
「るっきーのこと巻き込んで、ごめん」
そう言って小さく手を振ると、そのまま公園の出口へと歩き出してしまう。
引き留めることは、できなかった。
夕暮れの光に溶けるように、背中は遠ざかっていく。
ハッ、と思い出して眼鏡を外して、その姿を目に収める。
──しかし、その直後。見えたモノに関して考える暇も無く。
ザッ、と背後で、靴底が地面を踏みしめる音がした。
心臓がどきりと跳ね、そのまま後ろを振り向く。
「や!この前ぶりだね!」
軽快な声だった。
腕を組んだまま、片手だけひらりと上げる。
そのまま肩に掛けていた鞄を腕から滑らせ、無造作に地面へ落とした。
立っていたのは、先ほどまで話題に出ていた、当事者。
「……あなた、は」
「あ、名前教えてなかったっけ?私、赤枝キララ。よろしく……は、しなくていっか」
視界に映っている魔力の動きとは真逆の表情に、強烈な違和感を覚える。
なぜ、この公園に?
「……姫道先輩なら、帰り、ましたよ……?」
そう言うと、赤枝先輩は一瞬だけ眉を上げるも、すぐに表情を戻した。
「いや」
数歩、こちらに近づいてきて、人二人分ほどあけて、立ち止まった。
「今用事があるのは……君なんだよね」
「……僕、ですか?」
「聞きたいことあってさー」
まさか、今日のことを?
また、「なぜ止めたのか」と言われるのかと思い、背筋に冷たい汗が流れる。
でも、そんな訳がない。魔力を残すようなヘマはしてないし、【念話】も先輩にしかつなげていない。
───じゃあ多分、この人が聞きたいのは、先輩との……?
「君にとって、魔法ってなに?」
赤枝先輩の目元は、変わらず笑っている。
対して、予想していなかった質問に、僕は少しだけ眉をひそめていた。
しかし、その質問に対する答えは、簡単だ。
「……好きな、ものです」
左目を閉じて、口を丸くしながら「へー」と長く声を伸ばす。
腕を組み直すと、すぐに言葉を続けてくる。
「自分のこと、魔法の天才だと思う?」
「…………はい」
「ウケる!正直だね!」
カラカラと笑う赤枝先輩。
その姿に形容し難い不気味さを感じ、一歩後ずさる。
「あ、あの……結局、何が知りたいん、ですか……?」
「…………」
赤枝先輩は答えない。
代わりに、また質問を投げかけてくる。
「君にとって、ヒマちゃんって、なに?」
「…………なに、と言われても……」
「ありゃ?……じゃ、質問変えるね」
目を細めた赤枝先輩は視線を外し、沈みかけた夕日を見る。そのまま小さく息を吐き、吸った。
「魔法が使えないヒマちゃんに、天才の君が魔法を教えるのは……なんで?」
「…………姫道先輩に、『教えて』と。そう、頼まれたから、です」
その返答に、今度は「そっかー」と軽く頷き、小さく何かを呟いた。
すると顔を少しだけこちらに戻し、視線を再度僕と合わせる。
「ネコマル君に聞いたけど……君、魔法に関しては本っ当に天才なんだってね」
「そう、ですね……?」
質問ではない言葉に、何を返せば良いのかわからなくなり、簡単な同意の言葉を返す。
こちらの戸惑いは気にせず、そのまま赤枝先輩は言葉を続ける。
「気になった魔法や魔学理論は片っ端から調べて。他を削ってでも、それを自分のモノにして」
大きく足を進め、僕の方に近づいてきた。
思わず後ずさり、距離を取ろうとする。
だが次の瞬間、赤枝先輩は僕の肩に手を乗せ、体重をぐっとかけてくる。
「だから、思うんだけど……もしかして」
そのまま僕の耳元で、呟く。
「君の知識欲を満たすために、ヒマちゃんに魔法を教えてるの?」
その言葉に、息が詰まった。
胸がぎゅっと押された感覚に、視線が揺れる。
「…………ッ」
「当たり?」
すぐに腕を押しのけてさらに後ずさる。
しかしその顔を見た瞬間、今度は喉がひゅっと鳴った。
視線から逃れるために少し目線を下げると、赤枝先輩の手が固く握られているのが見えた。
「……君は、何か高尚な理由で魔法を教えようと思ったわけじゃない」
「そんな、ことは……」
否定の言葉は、最後まで出せなかった。
だって、原因不明な〝魔法が使えない〟人に、自身の魔法の知識や技術が通じるかどうか、気になったのは事実で。
〝女の子〟を助けられるかもしれない、と高尚とは真逆な感情を持ったのも事実で。
何も言わない僕を見て、赤枝先輩はくるりと踵を返した。
「やっぱり」
振り返らないまま言う。
「魔法の〝化け物〟だよ、君は」
そう言い残すと、鞄を拾い、スタスタと帰っていく。
太陽はすでに沈み、さっきまで飛んでいた妖精も、どこかに消えていた。