え、何この能力 作:闇次元の解放
「——そこまでじゃ!!!」
森全体を揺るがす厳格な一喝が響き渡り、空間の空気が一瞬で凍りついた。
巨大化した腕に集束していたベエルゼの黒炎が、不意に勢いを失い、苛立ち混じりに闇の瘴気を揺らした。視線の先には、怒りと痛心の色を露わにしたマスター・マカロフが立っている。
「……ハッ……ハァ……っ」
荒い息を吐き出し、口内に溜まった血の味のする唾を足元へ吐き捨てた。
ベエルゼの負荷と、正面から受け止めた滅竜奥義のダメージが過熱した鉄のように全身の神経を焼き切っていく。強烈な痺れに膝が折れそうになるのを、泥を踏みしめてどうにか踏みとどまる。
視線の先には、両足を『魔界の足枷』で砕かれ、逃げ場を失ったまま愕然とこちらを見上げるラクサス。
(……チッ、あり得ねえぜ……。ここで終わりだと……?俺が……勝ってたのに……っ)
胸中で、黒い不満と不快感が泥のようにドロドロと渦巻く。
あと一歩だった。あと一瞬、その拳を叩き込んでいれば、見下してきたこの男のプライドごと物理的に息の根を止めて、完全な勝利を手にできていたはずなのだ。
俺には、マカロフの介入が「激化する喧嘩を止めた」などとは到底映らなかった。追いつめられ、無様に殺されかけた身内の孫をギリギリの土壇場で救い出した——単なる老害の「都合のいい親バカ」にしか見えなかった。
(ふざけんなよ、ジジイ……。美味しいところだけ掠め取りやがって……)
「ハルト君……っ!」
駆け寄ってきたミラの悲鳴のような声も、不快な雑音にしか聞こえない。
マカロフは血を流す二人と、崩壊した森林の凄惨な光景を交互に見やった後、胃を焼かれるような苦痛に顔を歪めた。
「二人とも……そこまでじゃ。事情がどうあれ、これ以上の愚行は許さん。……両者とも、当面のあいだ謹慎処分とする。異論は一切認めん」
マカロフの苦渋に満ちた声が森に響く。
「……謹慎だと……!? ふざけ……っ」
ラクサスが血反吐を吐きながら叫ぼうとしたが、全身の打撃と屈辱、そしてマカロフの鋭い一瞥に気圧され、言葉を詰まらせた。新人相手に滅竜奥義まで切っておきながら完封されかけたという惨状を、一番見られたくない老人に目撃されたのだ。その精神的ダメージは、肉体の傷以上に彼を苛んでいた。
ハルトは漆黒の爪をゆっくりと収めると、うつむいたまま深く息を吐き捨てた。
「……分かりました、マスター……」
しおらしく絞り出した声。だが、俺の中では垂れ下げた前髪の陰で確実にラクサスのみならず、介入してきたマカロフにまで向けられた冷ややかな殺気と不満が、深く暗く渦巻く。
巫山戯るな……! 巫山戯るな! なんで今なんだ……っ! 許せねえ……巫山戯たタイミングで入ってきやがって……!
溢れ出そうになる激怒を歯の奥で力任せに噛み殺す。喉の奥からせり上がる血の味と、内側から吹き荒れる毒気が思考を汚染していく。
あと一歩だった。あと一瞬、その拳を叩き込んでいれば、見下してきたあの男のプライドごと物理的に息の根を止められた。それなのに、あの老害は自分に都合のいいタイミングで割り込んできて、追い詰められた身内の孫をまんまと掠め取っていきやがったのだ。
ふざけるな。俺の勝ちだ。俺が勝っていたんだ。
勝ちを奪われた不完全燃焼感が、ドロドロとした泥のように全身を支配していく。
「ガハッ……っ……、おい……待て……っ」
視線の先で、膝をついたラクサスが俺を睨みつけながら立ち上がろうとしていた。だが、両足の骨を噛み砕かれた肉体は悲鳴を上げ、凄まじい音を立ててそのまま無様に土下座のような格好で倒れ込む。滅竜奥義まで切っておきながら新人に完封されかけたという屈辱と絶望が、男の顔を激しく歪ませていた。
マカロフは苦痛に満ちた顔で、倒れたラクサスへと静かに歩み寄っていく。
「ハルト君……行こう」
不意に、少し震えた声が耳元で響いた。
肩を軽く叩かれ、そのまま重みのある手が俺の肩に添えられる。ミラが俺の歩調に合わせて、横に並んで歩き出していた。
「ハルト君……いつの間に……あんなに強く……なったんだね……びっくり……したよ」
言葉を慎重に選ぶような、どこか探るようなぎこちない声音。
魔人——かつてそう呼ばれ、ギルド中の人間から恐れられていたはずの彼女の瞳の奥。そこに揺れているのは、単なる心配だけじゃない。俺という存在に対する嫌悪感、恐怖、そして拭いきれない警戒心だ。俺にはそれが痛いほど伝わってきた。
「ギルドの仕事……完璧にこなした時から……気になってたけど……うん……影で頑張ってたんだね……悪い事じゃないと思うよ……」
「……」
俺は何も答えなかった。答えられるはずがなかった。
(……無理して声かけてんじゃねえよ……っ!)
その気遣うような態度が、無性に不快で、反吐が出るほど嫌だった。
煩い。煩い煩い煩い! お前だって本当は、あのラクサスと同じように俺のことを見下して、ムシケラ以下に思ってる癖に! 哀れな新人を慰める優しい私、に酔ってるだけだろ!
脳内で噴き出すどす黒い感情を、必死で押さえつける。ここで暴走すればすべてが台無しになる。平静を保たなければいけない。頭ではそう分かっているのに、一度芽生えた激しい被害妄想と猜疑心は、毒のように俺の心を蝕み続けて消えてくれなかった。
「今日は……真っ直ぐ帰りましょう……私もついて行くから……」
ミラの言葉には、優しさの裏に決定的な意図が含まれていた。——監視だ。これ以上、俺に余計な真似をさせないための。
俺は頷くことすら拒絶し、ただ一点、前だけを見据えて泥を踏みしめた。
絶対にミラの方を見ない。今顔を合わせれば、自分でも抑えきれない黒い感情が、そのまま言葉と力になって噴き出してしまうからだ。俺は固く唇を噛み締めながら、冷たい沈黙の中で歩き続けるしかなかった。
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その夜、俺は一睡もできなかった。
薄暗いアパートの部屋。床の上に仰向けになり、染みのついた天井をただひたすらに睨みつけていた。
身体が重い。鉛でも流し込まれたかのように動かない。滅竜奥義という異常な高負荷の衝撃を真っ向から受け止め、ベエルゼの力で無理やり殴り返した代償が、深夜になって一気に押し寄せてきていた。全身の皮膚が焦げるように熱く、筋肉がズキズキと苛烈な疼きを上げる。息を吸うたびに肋骨の奥が軋み、喉の奥には血の味が残っていた。
身体が悲鳴を上げている。だが、肉体の痛みなど、胸の奥で荒れ狂う泥のような激情に比べれば何の苦にもならなかった。
……許せねえ……!
歯が砕け散るほどの力で奥歯を噛み締める。
せっかく痛みに耐えたんだ。あの大技を喰らい、肉体を削り、爪に限界以上の破壊力を充填させて、完璧な詰みの盤面を作り上げた。あそこまでお膳立てして、手に入はずだった「完全な勝利」と「ラクサスという男の崩壊」。
それを、あのジジイはいとも易々と掠め取っていきやがった。
「そこまでじゃ」だと? 巫山戯るな。どの口が言ってやがる。
追いつめられた自分の大切な孫を助けるために割り込んできた癖に、さもマスターらしく公平を装って「両者謹慎」などと吐き捨てやがって。
あの土壇場での介入は、俺からすればラクサスへの救済以外の何物でもなかった。あと一瞬、コンマ数秒遅ければ、俺の爪があいつの首骨を砕いて魔道士生命を刈り取っていたはずなのだ。
(俺が勝ちかけてたんだ……俺が……っ!)
悔しさと不完全燃焼感が、黒い毒となって脳を汚染していく。
今の俺では勝ちきれなかった。途中で邪魔が入る程度の「甘い手」しか打てなかった。その事実が、何よりも惨めだった。
「次」が出来てしまったのだ。
もしあの場でラクサスを再起不能に叩き潰せていれば、ギルドの連中への見せしめになり、俺の脅威を決定づけられた。だが途中で立ち消えになった以上、あいつらはまた俺を警戒し、牙を研ぎ、今度は完璧に俺を潰しに来るだろう。
負けられない。絶対に負けられない。
あんな風に見下され、害虫扱いされ、挙句の果てに「可哀想な新人」として扱われて終わるなんて、俺のプライドが絶対に許さなかった。
潰す潰す潰す潰す……! ラクサスも、あの取り巻きのフリードも……俺をあざ笑った奴ら全員、骨の髄まで叩き潰してやる……っ!
暗闇の中で、腕を動かそうとした。だが、ズキンと激痛が走り、右腕が痙攣して床に落ちる。
……俺は、弱いのか……?
唐突に浮かんだ思考に、激しい寒気が走った。
いくらベエルゼの力でダメージを攻撃力に変換できると言っても、俺自身の素の肉体はまだ圧倒的に脆い。ラクサスの滅竜奥義の一撃で、俺の身体は限界ギリギリまで削られていたのだ。もしあの時、マカロフの介入がなくても、俺の攻撃が届く前に俺の命が尽きていたとしたら——?
そんな弱気な考えが頭をよぎるたび、苛立ちで頭がおかしくなりそうだった。
弱さは罪だ。弱ければ踏みつけられ、笑われ、マカロフのような権力者に都合よく勝負を反故にされる。
(強くならなきゃ意味がない……圧倒的に、誰も手出しできない怪物にならなきゃ……!)
狂気的なまでの強さへの執着と、消えない被害妄想。
昼間のミラの顔が脳裏にちらつく。
「言葉を選ぶような声」「触れるのを躊躇う手」「気遣うふりをした監視」。
あいつだってそうだ。かつて魔人と呼ばれた過去があるからこそ、俺の中にある異質な闇を察知して、心の中では俺を気味悪がり、警戒しているに決まっている。「可哀想なハルト君を救う私」を演じている自分に酔っているだけだ。俺を救おうなんて本気で思っているはずがない。
誰も信用できない。このギルドの奴らは全員、俺を心のどこかで見下している。
眠れるはずがなかった。
痛みと、悔しさと、黒い憎悪が体内をぐるぐると駆け巡り、ベッドの上で何度も身悶えした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
やがて、カーテンの隙間から薄白い朝の光が差し込み始める。
鳥のさえずりが聞こえてくるのが、心底不快だった。
俺は重い身体を無理やり起こし、泥のように重い足を引いて洗面所へ向かった。
鏡に映った自分の顔を見る。
顔色は青白く、目の下には酷いクマができ、瞳の奥には血走った殺気が渦巻いていた。あまりにも酷い、怪物の素顔。
「……ハッ」
俺は洗面台の水をすくい、冷たさに身体を震わせながら顔を洗った。
そしてタオルで顔を拭うと、ゆっくりと表情を作っていく。
殺気を殺せ。毒を隠せ。
口角をほんの少しだけ下げ、頼りなげに瞳を揺らし、傷ついた気弱な青年の顔を作る。
(謹慎……結構じゃないか)
鏡の中の「弱々しい新人」が、歪んだ笑みを浮かべた。
表立って動けないなら、裏で力を蓄えればいい。ベエルゼの力をさらに引き上げる方法を模索し、ラクサスやフリードたちの弱みを握り、ギルドのシステムそのものを利用して奴らを追い詰める準備を整える。
謹慎期間は、俺にとっての充電期間だ。
その時、ドアを控えめに叩く音が響いた。
「ハルト君……入っても大丈夫? 朝ご飯、持って来たんだけど……」
ドア越しに聞こえる、ミラの探るような、申し訳なさそうな声。
俺は一瞬だけ鏡の中の自分と目を合わせると、深い溜め息を吐き出し、力なくドアへと歩き出した。
「……はい、今開けます……ミラさん……」
声のトーンを落とし、弱々しい声を作って扉のノブに手をかける。
仮面を被れ。どれだけ内側でドロドロとした黒い感情が渦巻いていようと、このギルドで生き残り、奴らを根こそぎ喰らい尽くすまでは——完璧な被害者を演じ切ってみせる。