箱入り聖女は劣等異端審問官に不貞を囁く 〜許嫁がいると告白を断ったら、聖女さまの表情が曇って倫理崩壊した〜 作:全部オレのモノォ!!
俺は、エルシー様ほどの善人は見たことがなかった。
白神様の加護を受け、類まれな神聖魔術の才能を持って生まれた。あらゆる怪我や病を治す力があって、教会のバックアップで生活に困ることもない。
……でも。たぶんそれは、エルシー様にとっては嬉しいことじゃなかったと思う。
加護持ちと分かってすぐに親元を離されて、聖女としての厳しい教育を受けて、自由に外も出歩けない。常に誰かの目があり、癒しの力が欲しいときだけ周囲の都合で連れまわされて。
きっと、大聖堂の窓から見下ろす街の営みを、何度も羨ましいと思っただろうな。
そんな、普通の人ならきっと酷い人生だと思うような目に遭ってなお…………エルシー様は善人だった。少なくとも善人であろうとしてた。
「――正しい人なんていないと思ってた教会の中枢で。俺と同じ地獄にいながら、唯一光を失っていなかった……救いだったと! そう、思ってたのに……ッ」
「あぁあ、ぁあ……っ。ちがうんです、わたくし……っ! ううううう!」
なぁ、エルシー様。あなたはあの教会の豚どもとは違うと、そう言ってくれよ。いつまでも俺の光で、憧れで…………たった一つのよすがなんだって。
なぁ、エルシー様………………なぁ――!
「ぁ、ぁ……ぅ……。い、イヤ、そんな目で……。そんな目で、見ないで、ぇ……――っ」
「ダメだ、それは。こんなの、俺のエルシー様じゃ――」
頭がうまく回らない。
正しくないなら、どんなに嫌でも正さなきゃ。……けど、ほんとにそうなのか? あのエルシー様が? いやでも、戦争の終結を遅らせるなんて、それは。
「――……おいロコ、なんだあいつらは? こんなところで仲間割れか?」
「うーん、わかんない。ちょっと変だなー?」
「いやちょっとどころではなかろう。主人が泣いて護衛に縋り、護衛はなにやら物騒な気配を主人に向けている。意味が分からんぞ! ……やはり『鬼面』、あの男が我らの障害かッ!? 今のうちに……いやしかし、ロコがやられるような相手、そう上手くいくとも思えん」
外野がうるさい。クソ、お前たちのせいでこんなことになってるんだぞ。俺はただ、エルシー様を守っていられればそれで良かったのに――
「――おい。今度は僕の方へとてつもない威圧感が! もはやこれは怨念のレベルだぞ」
「謝ったらー?」
「王太子が簡単に頭を下げられるか……! しかしまあ、なんとも情緒不安定な男だッ。聖女殿め、理想のために己を危険に晒すだけでは飽き足らず、一の護衛として獅子身中の虫を飼っているのか?」
……理想のために、己を危険に晒す?
王太子のセリフに、いくらか頭が冷える。
もしかして、エルシー様の行動は俺が思ってるような理由じゃなく、誰かを思っての行動だった? ……これはやっぱり、一度エルシー様に詳しい話を、と。
そう思って、俺に縋りついて何ごとかを繰り返し呟いてるエルシー様に視線を向ける。一度落ち着いて話を……お、落ち着いて、詳しく…………いやこれ、こんな状態じゃエルシー様が冷静に話せるとはとても……。
「ぁ、ぁぁ。ちがうちがうちがう、わたくし、ぁ、あぁぁぁ――」
表情が抜け落ちて、光が消えた目から涙だけ流してる。とにかく一度落ち着かせないと……。
そう、思った時だった。
執務室の奥、テーブルの後ろで立ちあがる細身の男――王太子グリード・カルガリー。彼は難しそうに眉間にしわを寄せながら、俺たちに向かって言うのだ。
「あぁもうよい、僕から説明する! いま聖女殿を失うわけないはいかないのだ。この世界の平和のためにも、僕自身のためにも……」
厳しい表情で首を振る王太子。
彼は俺たちを順番に見てから、語り始めた――
「――少し前のことだ。ずっと書類上でやり取りしていたそこの聖女殿から、頭を抱える提案が来たのは」
そう言って。王太子は語り始めた。
「内容は『終戦調停の合意を遅らせて、その間に魔国内の意思決定統一を図らないか』、だ。要は、魔国の穏健派筆頭の僕と、過激派筆頭の弟、第二王子で仲直りしろと言っているのだ」
……。それで?
「表向きの理由は、一部勢力が納得できない形だけの調停ではなく、関係者全員が受け入れられるものにすること。確かに、我ら穏健派と過激派は未だ相容れず、僕が終戦を半ば強引に進めている。このまま進めたとて、魔国内で意見が割れるのは避けられんだろうな」
その話はなんとなく聞いてる。……じゃあエルシー様は、終戦をより良い形にすべく、必要な期間を取ろうとしてるだけなのか? 俺の心配は杞憂?
そう考えた瞬間だった。王太子は鋭い視線を僕達に向けて、「しかし」と続けるのだ。
「魔国一の頭脳と呼ばれるこの僕には分かるぞ。聖女殿の普段の行動、利害関係……そういった情報と繋ぎ合わせれば見えてくる――」
そして。王太子は、その細く滑らかな指をビシッと俺たちに向けて言った。
「――――聖女殿は……この僕に、恋をしている!! 間違いない!」
え。はっ?
「考えてみれば簡単なことだった。聖女殿にとってこの王城は敵地。調停が遅れるほど命の危険は増す。……確かに穏健派と過激派の意思を揃えた方がいいのは間違いないが、それは調停後に聖女殿が帰ってからできないことでもない」
王太子は「だというのにッ」と、なぜか熱くなった様子で続ける。
「聖女殿は危険を承知でここに残る決断を下した! それは何故だ!? 本当に理想的な調停を成すためだけか!? ……否! そこには――――魔国を去って僕と離れることを厭った、愛があったのだッ!」
ええ? でもエルシー様は俺に告白してくれて……。
「エルシー様、王太子は真実を言っているので……?」
思わず、ぐずぐずと泣いているエルシー様に問いかける。返事があるとは期待してなかったけど、すぐ反応があった。
「――ちがいます……! わたくしが好きなのは、サイガさまだけ! っ信じて、くださいぃ……!」
おぉ、もう、そんな泣かなくても。ああもう分かったから、涙拭いてほら、鼻水も。
「んっ、グズ、……あ、ありがとうございます、ぅ……」
ごめんね俺のハンカチなんかで。
で? 頓珍漢な王太子よ、なんか反論は? というか、それでなんで俺のこと狙ったんだよ。
「あちゃあ……ボス、おバカモードだったなー。いつもは頭良いのに、美人に目がないんだもん。あんまり気にしないでねえサイガ」
「……ただの色ボケか? 俺を狙ったのも私怨――」
「――私怨ではないッ! 僕には分かるぞ! お前は、お前も……ッ聖女殿のことを好きなのだろう! だからこそ、そうまで狂った忠誠を捧げられるのだ!」
「なんッ……」
「襲いくる過激派の刺客を千切っては投げ、千切っては投げ……しかも、打ち倒した後に命を奪う責任も果たさない! これでは彼らもコケにされたと意固地になり、我が穏健派の主張から遠ざかるばかりだッ。聖女殿の意思にも反していよう!」
なに? わざと殺さず帰してたけど、逆効果だったって!? どんな戦闘民族だよッ。
とにかく誤解を解いてほしい……とエルシー様に視線を向けるも、ずっと俺に縋って泣いてるし。さっきみたいに本能が受け付けない話でも聞かない限りこうなん? ……可愛いけど、今はそれじゃ困るって!
俺はなんとかエルシー様に話を取りなしてもらうべく声を掛けようとする。
しかし…………その時だった。
視線を逸らしていた俺の正面から――――濃密な魔力が、勢いよく立ち昇った。
「構えろ、鬼面。聖女殿を泣かせるその悪辣さ……もう我慢ならんッ」
そして。王太子は俺を鋭く睨み、言うのだ。
「聖女殿を賭けて――決闘だ……!」
もう、いろいろメチャクチャなんだけどッ?
実は主人公、聖女様の厄介オタクだったりする。