時に国境も時代も世界すらも超えた別人を体験する。
そういう常軌を逸した喜びに魅せられた人間が役者だとしたら……私はどこにでもいる
「ももちー、今日ってこのあと暇ぁ?」
「うん、大丈夫」
「じゃ、帰りに
「ほんと
私、百城千世子は都内にある私立の高校に通うどこにでもいる高校2年生だ。
まあ強いて言うとすれば、小さいときの私は昆虫と他人の横顔を見るのが好きな変な子だった。
学校の授業のとき、黒板を眺めたりノートを書いたり睡魔と戦って先生から怒られたり……一つとして同じものなんてない、誰かから見られているなんて思いもしないクラスメイトの無意識の表情を盗み見るのが大好きだった。いわゆる人間観察というものだ。
「えっ、千世子ちゃんあたしのことそんなふうに見てたの?」
そのことを小学生のときに流行っていたプロフィール帳の“好きなもの”のところに書いたら、一番仲の良かった友達は気味悪がった。
考えてみれば自分を自分の知らないところで誰かからずっと見られ続けるなんて、そんなの嫌に決まっている。
「…ごめん。もうしない」
友達から“嫌”と言われた私は、人間観察をやめた。
そんなふうに思うんだったら、逆に自分の横顔はどう見られているんだろう?……なんて考えたら気になりだして止まらなくなって、トラウマになった。
もうあんな思いはしたくないからと、私はみんなに合わせて
「えっ!?千世子ちゃん
「うん。お母さんが虫好きだから」
人間観察をやめて周りに波長を合わせるようになったら、気味悪がられることはなくなって一緒に話したり遊んだりする友達も前より増えた。好きだった虫の話題も女の子らしくないって理由で徹底的に避けて、友達が家に遊びにくることになったときは飼っていた虫たちを“お母さんの趣味”ということにしていた。
勉強は元から得意なほうで、スポーツもお母さんから勧められて習っていたバレエで体幹がついたおかげもあってそれなりに出来ていたから、対人関係で嫌な思いをすることはなくなってこれはこれで楽しかった。
でも同時に、自分を全く曝け出せないことに子供心ながらの生きづらさも感じた。
「宿題終わったら映画一本観ていい?」
「うん、いいよ。でも宿題はちゃんとやってね?」
「わかった」
それが直接の理由になったのかは分からないが、この頃から私は映画やドラマを好んで観るようになって、時には学校からの宿題も忘れるぐらい
ここならどんなに目の前にいる人の表情を見ていても怒られることはないし、画面の向こうにいる人たちは誰かから見られているなんて気にも留めずに、自分じゃない誰かの人生を生きている。
そんな自由な世界に
「百城さんって部活どこ入るか決めた~?」
「んー、とりあえず写真部に仮入部しようって考えてる」
「写真部…それはまた意外な」
「想像できないから楽しそうって思ってさ」
「へぇ~……じゃあうちも入ろっかな」
中学に上がり、私は共通の趣味を持つ友達と一緒に写真部に入部した。
入部した理由は写真が好きだからというわけではなく、新しいことをしようと思ったのとカメラを持っていれば気味悪がられることもなく他人の表情を見れると思ったから。もちろんそういう写真を撮るとなったらひと声掛ける必要はあったけれど、唯菜という本当の自分を受け入れてくれる友達と出会えたことで自分の居場所が出来て、生きづらかった世界に色がついた。
「ももちってさあ、実は結構綺麗な顔してるよね~」
「そう?」
「特に横顔。ほらこれ、さっきうちがこっそり撮ったやつ」
「うわ恥ずかしっ」
映画みたいに、ドラマチックなことなんか何一つとして起こることのないありふれた
やっと私は、自分のことを偽らないで笑うことができるって思った。
「前からずっと思ってること言っていい?」
「うん」
「やっぱりももちって綺麗な顔してるよね」
他愛のない話をしながらの道草の途中、隣から聞こえてきた唯菜の軽めな声と視線。
「それはもう唯菜の口から散々聞いてるよ」
「いや。割とマジでももちって自分のこと過小評価し過ぎてるって思う」
「外見より中身が大事でしょ人は」
「それはそうだけどさあ」
初めて会って話したときからもう何回もあることだからと、いつものノリだと私は解釈して軽く受け流す。
自慢じゃないけれど、綺麗だとか可愛いみたいなことを言われるのは唯菜が初めてじゃなくて、実は幼稚園のときからちょくちょく周りからは言われてきた。
「でも告られたことあるじゃん」
「あー伊地知くんね。断っちゃったけど」
「ももちって恋愛とか興味ないの?」
「あんまりないかな。別にしたいとも思わないし」
何なら中3のとき、同じクラスだった男子から告白されたこともある。もちろん自分の中身より外側を見て好きになったらしいから、丁重にお断りした。
「唯菜は?」
「うちもあんまり」
「だと思った」
そういうことがあったせいなのか、私は世の中の普通と比べたら容姿が恵まれている部類なのかもしれないなんて気持ちも、言葉にはしないけど心のどこかにずっとある。
授業中に堂々とクラスメイトの顔色を盗み見るという奇行に走っても“不思議ちゃん”程度で済まされたのがこの顔のおかげだとしたら、全くのゼロとは言い切れない部分は無きにしも非ずかもしれない。
「だいたい……顔の良し悪しって生きてく上でそんなに重要なことなのかな?」
でも私は、あくまで自分のことを“可愛い”と思ったことは一度もない。
「そうだ。試しに芸能事務所のオーディション受けてみるとか」
「話聞いてた?」
そんな心境なんて知らんがなと、唯菜は自分のペースで話を勝手に進める。もちろん唯菜のマイペースがたまに暴走するところは、友達としてとっくに受け入れている私にとってこれもまた慣れっこだから特に何とも思わない。
「ていうか、どんな文脈?」
ただ、さすがに芸能事務所のオーディション受けてみたら?は話の文脈があまりに突飛過ぎるし、まさか人生の中で冗談とはいえ友達からこんなことを言われるとは夢にも思わなかった。
「ももちならワンチャン行けるって。可愛いし特技もたくさんあるし」
「あのね唯菜。芸能事務所のオーディションに呼ばれるような人は最初から普通の人とは違うものを持ち合わせてる特別な人だけで、それ以外の人には縁のない別世界の話なんだよ」
小さいときに時間も忘れて夢中になった、現実よりもドラマチックでキラキラしている色鮮やかな架空の世界。
世界を覗くのは今も同じくらい好きで、自分らしく生きられる場所を手に入れることが出来たのも、今まで見てきた幾つもの世界のおかげ。
だからと言って、現実の憂鬱な部分を忘れさせてくれた世界に自分も飛び込みたいとは一度も思わなかった。
「だから、私みたいなどこにでもいる
窮屈で生きづらい現実から逃げてきた私は、スクリーンの向こうで自由に生きる人たちにはなれやしない。向こうに広がっていた世界は、目で見ることは出来ても手で触れることは出来ない。
「ももちならなれるよ。うちが神に誓って保証する」
「どこから湧いてくるのその自信?」
未だいつもの冗談だと思い切っている私に、唯菜は自信満々な口ぶりで言い切る。思った以上に向ける視線と言葉が本気でつい心の中で動揺みたいなものが走ったのが、謎に悔しい。
「スターズってあるじゃん。なんか今年も“俳優発掘オーディション”やるんだって」
「へぇ~…って、めちゃくちゃ有名なところだよそこ」
「あ、噂をすれば」
好きな俳優さんはいるけれど芸能界にはさほど興味がない私でも名前を知っている大手芸能事務所が毎年開催しているオーディションの話が始まったところで、唯菜が立ち止まって上のほうを見上げる。
「やっぱりさあ……これはもう神様がももちに“オーディション受けてください”って言ってるようにしか思えないんだよねえ」
釣られて同じ方角を見上げた私の隣で、唯菜が小さく呟く。視線の先に映るビルのサイネージには、その大手芸能事務所の看板女優がイヤホンを耳にかけ街ゆく人たちを涼しげな眼差しで見ている。
「…いやいや無理だって」
“役を生きている”と称されるほどの圧倒的な演技力と、私と同じ学年の人とは思えないほど綺麗でいてどこか儚げな美しさを兼ね備えた、国民的と言っていいくらいの人気とカリスマ性を誇る若手トップ女優。
彼女みたいな老若男女の誰もが知るスターがいる華やかな世界なんて、普通の人生を歩んできた私には無縁もいいところで想像さえつかない。
「……」
いま私が見ているのは、全く違う世界で生きている人の輝き。そこに自分が立つことなんて、ありえない話。
「“思い出作り”ってことで応募するだけしてみるのはどう?友達から騙されたと思ってさ」
と、身の程をちゃんと弁えている隣で、唯菜は容赦なく悪魔のような言葉を掛け続ける。いやもう、ここまで来たらいよいよ唯菜のことが悪魔としか思えなくなってくる。
「…唯菜はどうしてそこまで私にオーディション受けてほしいの?」
「だって映画を観てるときのももち、本当に幸せそうだから」
「そこは可愛いとか綺麗じゃないんだ」
「ももちが綺麗なのはいつものことじゃん」
「普段から言われ過ぎてもう何も感じないのだが」
理由を聞いた。聞けば何十回も観た映画ってくらい聞いてる常套句かと思ったら、違う角度で返ってきた。
「好きなのと“なる”のは違くない?」
「って言う割にはずっと
映画は好き。映画に出ている役者が魅せてくれる表情も好き。でも別に、向こう側の人になろうと思ったことはない。ただ観客の1人になって、その人が魅せる表情や一挙手一投足に酔いしれる。これだけで私は至福。
「だって
ただ一回、本当にたった一回だけ、普通の日々から一歩はみ出して
「…
「やっぱり満更でもないじゃん」
「それより早く行くよ。山野上花子の本買うんでしょ?」
「ごめん怒んないでももち~」
「あともし受けることになっても絶対誰にも言わないでね」
「わかってるって~」
友達相手だとしてもこれ以上しつこく言われるのは癪に感じそうだからと、私は半ば折れる恰好で応募すると保険の言い訳と一緒に唯菜へ伝えた。
興味本位と言っても芸能事務所のオーディションを受けるとなれば親には一言ぐらいは言っておかないと、という建前と本音が半々な気持ちと、親から“NO”と言われたら唯菜も諦めてくれるだろうという、純度100の本音。
両親が2人揃って“子供の意見を尊重するタイプ”の放任主義者なのが懸念材料とはいえ、さすがに“芸能事務所のオーディションを受けたい”なんて私が言ってきたら一旦は止めてくれると信じたい。そこで
「あのさ。私、スターズのオーディション受けてみようと思う」
夕飯どき。食卓に並ぶご飯がいい感じに減ってきたタイミングで、両親に打ち明けた。
「いいんじゃない?」「いいんじゃないか?」
「そこでユニゾンすることある?」
二つ返事どころか一発で“OK”が出てしまった。何なら余裕で、私よりも乗り気だ。
「いや、でも、ほんとにいいの?」
「千世子が自分で決めたことでしょ?だったら法律に触れるようなこと以外だったらお母さんは反対しないわ」
「法律なんか破ろうとも思わないよ」
「こういうことに挑戦出来るのは若いうちだけだから、結果はどうなろうと受けることに意味はあるってもんさ」
「そうなの?」
「しかし千世子のことをホームビデオではなく仕事で撮る日が来るかもしれないなんて、感慨深いものがあるな」
「いくらなんでも飛躍し過ぎだよお父さん」
放任主義で自由にさせてもらってきた身分と言えども、少しは心配しないのかとつい言いたくなる気分。特に撮影技師の仕事をしているお父さんは芸能界のこともある程度は知っているはずなのに、本当に反対なんかしなくて大丈夫なの?
まあ、この余裕はきっと“スターズほどの大手芸能事務所のオーディションなんてこの私が受かるわけがない”と2人とも内心で思っているだけだ。絶対そうだ……と信じたい。
「言っとくけどオーディションは友達から“やってみてもいいんじゃない”って言われただけで私の意思じゃないんだよ」
それよりもこのままじゃオーディションへ向かって一直線になりそうだと、これは自分の意思じゃないってことを2人に伝える。
「友達から言われたことでもこうやって家に持ち帰って私とお父さんに話したってことは、千世子の中に“やってみてもいい”って気持ちがあったからなんじゃない?」
全く違うとは言い切れない心の内側を突かれ、いよいよ断る理由を失くしてしまった。やっぱり唯菜は友達の格好をした悪魔だと、たったいま確信した。
「少しでもその気持ちがあるんだったら、やってみたら?」
端から私は、オーディションに受かるなんて思っていない。未来の
ほんのちょっとだけ、何のドラマもない日々の中で魔が差したというだけ。いっそのこと“思い出作り”だと割り切ってみたら、一気に気分がラクになった。
「…うん。受けてみる」
私は昆虫と映画と他人の横顔を見るのが好きな、どこにでもいる
もし仮にいま生きている現実が誰かが主人公の映画の中だとしたら、観客からは全く見向きもされない通りすがりの通行人程度のちっぽけな存在。好きな俳優さんが主人公の世界だとしたら、視界に映り込むことすら叶わぬ存在。
芸能界なんて煌びやかな世界には、一生かけても手なんて届くはずもない。
「12番。百城千世子です」
何かの間違いが起きたのか、気が付けば5次審査まで私は進んでいた。
もし千世子と景の関係が逆の世界線があったら、アクタージュはどうなっていくのか。ふと思い立ったので見切り発車ながら書くことにしました。
あくまで気分転換として書いているので投稿頻度は不安定になりますが、その分少しでも楽しんでもらえるよう心を込めて書いていこうと思います。
最後に補足になりますが、原作の千世子は誕生日の関係で学年が景の1学年上となっていますが、拙作では先の展開を考えて景と同学年(※原作の千世子よりちょうど1歳分年下)にしています。それ千世子やない、おはじきや……と思った方がいましたら、あくまで原作とは別の世界線の話だということでご了承していただけると幸いです。