“俳優発掘オーディション”。大手芸能事務所・スターズが開催するこのオーディションには例年、未来の
「12番。百城千世子です」
そんな超が付くほどの大手芸能事務所の俳優発掘オーディションで、友達に半ば騙されただけの“思い出作り”で応募したはずの私は、どういう訳か5次審査まで進んでいた。
「先ずは本日ここに呼ばれた12名の応募者の皆さん。4次審査通過おめでとうございます」
審査員席の真ん中に座る只ならぬオーラを放つ妙齢の女の人が、顔色一つ変えずにこの審査まで進んだ私を含む12人を労う。
「(星アリサ……実在したんだ)」
5次審査で初めて応募者の前に姿を見せたその人を前に、緊張どころか私の心はミーハーになりかける。
私が生まれる前に女優を引退してもなお未だにその偉大さが語り継がれている伝説的な女優で、この芸能事務所を作った
なにより私にとって、夜凪景と並んで好きな女優さん。
「(…あ、ウルトラ仮面もいる)」
そして隣には、面影強めな二世のイケメン俳優。そういえば最近この人がウルトラ仮面に出ていることもあって、“ウルトラの母”なんて呼ばれていたっけ。
「それでは挨拶はこのぐらいにして、今から第5次演技審査の課題を発表します」
課題を告げようとする声が審査会場のスタジオに響き、我に返る。かつては舞台もやっていたからなのか、そこまで大きな声を出しているわけではないのにやたらとよく通る低めの声。
なんだかまるで、星アリサの舞台を観ているみたいな迫力。って、グランプリを獲る気がないからってリラックスしすぎている気がしなくもない。
「審査の課題は“悲しみ”。今から12人で横一列に並んで一斉に各々の“悲しみ”を表現してもらいます。制限時間は問わず、私の合図で演技を始め私の合図で演技を止めること」
少しだけ気を引き締めて、課題の内容を耳に入れる。告げられた課題は“悲しみ”。
演技なんてこのオーディションを受けるまでやったことすらない素人には、あまりに難しい内容。まず悲しむ演技って何なんだろうか。というかなんで私は5次審査まで進んでしまったのか。
顔写真と街に遊びに行くときに着ている服を着て撮った全身の写真に嘘偽りない特技と自己PRを書いたら、1次審査を通過した。
「つまり百城ちゃんは、友達に勧められたから応募したと?」
「はい。勧められたというより半分騙されたって感じですが」
「アハハ、ということは別に
「そうかもしれないですね。ちょっと魔が差しただけで、はっきり言って思い出作りみたいなものです」
映画監督だというサングラスの人が印象的だった面接で、映画に救われていた小学生のときのエピソードと友達に騙された形でこのオーディションを受けたことを正直に言ったら、2次審査を通過した。
「小さいときの私は、とにかく他人の横顔を見るのが好きな変わった子でした_」
2分間の自己PR。特技の披露。“喜び”の表現。当然自分より自己表現が上手い人なんて幾らでもいたし、さすがに落とされるだろうって思っていたら3次、4次と審査を通過して、ここまで来てしまった。
私は普通に生きてきた女の子なのに。
「では皆さん、私たちの前に横一列で並んでください」
目の前から聞こえてきた通る声に合わせ、本気でスターになることを夢見ている人たちに混ざって横一列の一番端に並んで立つ。
友達に良いように乗せられて応募したただの高2女子がこんな場違いなところに紛れ込んでごめんなさいって気持ちと、もう一生目にすることがないと思っていた人が視線の先にいて、私のことを見てくれる夢みたいな光景。
きっとこれ以上の
「……」
私を含めた12人全員が、一定の間隔を保ち所定の位置に着く。
だだっ広いスタジオに流れる無言の沈黙。
沈黙から生まれる重い空気が酸素を微かに薄くして、緊張感を生む。
一瞬だけ隣の人の横顔を見る。やっぱり緊張が顔に出ている。
無理はない。私なんかと違って隣の人は本気でこのオーディションに臨んでいる。
中には自分の人生すら賭けてこの場所に立っている人だっている。だから緊張する。
だけど私には、そういう
「始め」
静かに響いた合図で、“悲しみ”の演技審査が始まる。
「…うっ」
「ぐすっ」
合図の直後、視線の左から聞こえてくるすすり泣くような複数の声。
誰も隣の人の横顔なんか見ない。見ている余裕もない。自分のことだけで精一杯。
「……」
私も見ない。目の前から向けられる視線を意識から飛ばして、“悲しみ”を曝け出す。
「なんでっ…どうしてっ…」
どこからか聞こえてくる、これでもかってほど泣いている悲しみ。
みんながみんな泣いてばかりだから、声を出さず俯いているだけの私が可笑しいみたい。
だいたい、どうして“悲しい”と思ったらその瞬間にみんな泣こうとするんだろう。悲しいからと言って、涙が出てくるとは限らないのに。
「……」
そもそも私は、両親からも“全然泣かないね”って言われるくらいには小さい時から泣いた記憶があんまりない。
「……っ」
そんな私にも、忘れることのできない“悲しみ”の感情はある。
「ひいばあ、もう起きないの?」
6歳の夏。ひいおばあちゃんが老衰で息を引き取った。
夏休みとお正月。逗子にある母方のおばあちゃんの実家へ両親と一緒に会いに行くと、必ず私を出迎えてくれて昔の遊びとかを教えたりしてくれた“ひいばあ”。
そのひいばあが、白い布団に包まれて穏やかな顔で目を閉じていた。特に病気を患っていたわけでもなく、昼下がりにお気に入りの椅子の上で目を閉じたら、そのまま目を覚さなかったという。
あの日は学校の授業があったから、私はひいばあの最期には立ち会えなかった。
「ひいばあの顔、冷たいね」
「うん……そうね」
白い布団の上で眠るひいばあの頬は、白くてとても冷たかった。頬が白く冷たい理由が私には分からなかった。
「ねえ、ひいばあはいつになったら起きるの?」
悲しさはなかった。ひいばあがあまりに穏やかな表情で眠っているから、明日の朝になったら普通に起きているんじゃないかって本気で思っていた。
「…千世子。ひいおばあちゃんはこれから天国というところに行くの」
「天国?」
「そう。でも天国まで行くのは本当に大変だから、ひいおばあちゃんが途中で疲れないように今は静かに眠らせてあげようね」
「…うん。わかった」
お母さんからは“天国というところに行く”と言われた。まだ“死”というものを理解できていない私の為に、相当言葉を選んでくれたんだろうなとこのときのことを振り返るたびに思う。
「本当に大丈夫なの?千世子?」
「うん。だってこれからひいばあ旅に出るんでしょ?だからちゃんとお見送りしたいの」
通夜と葬儀を経て、私は両親たち親族と一緒にひいばあの火葬に立ち会った。
いつも私たちが帰るときにひいばあがお見送りしていたように、これから天国という場所へ旅に出るひいばあをどうしても見送りたかった。
「ひいばあまたね~」
私はいつもみたいに、ひいばあが眠る棺に手を振った。死というものに直面したことがない故の無邪気さが微笑ましく映ったのか、おばあちゃんが私を見てクスリと笑って、それが連鎖した。
一瞬だけ明るくなった空気に、少しの違和感を覚えた。みんな私を見て微笑んでいるのに重いままの空気。
「千世子。ちょっとでもしんどくなったら、目を瞑って私のところに抱きついてね」
暫くすると控室に火葬場の人がやってきて、私はお母さんと手を繋いで拾骨室へ足を進めた。
拾骨室に入る手前で、お母さんは穏やかな口調で私に言った。言葉の意味はよく分からなかったけど、見上げたお母さんの横顔はどこか悲し気だった。
横顔を見て、心に残っていた予感が強まった。
「……」
どうしてみんなひいばあが眠ってからずっと悲しい顔をしていたのか、やっと私は理解した。
「今までありがとうね。あっちの世界でもどうか元気で」
喪主を務めた母方のおじいちゃんとおばあちゃんが、声を掛けて
火葬されて、骨だけになったひいおばあちゃん。
「千世子。大丈夫?」
信じられなかった。でも横たわる骨の大きさがちょうど同じくらいだったから、すぐに分かってしまった。
旅から帰ってくれば、また遊んだりひいばあが子どもだったときのおもしろい話を聞かせてくれると本気で思っていた。お正月になったら、みんなで揃ってかるたをしていると本気で思っていた。
「……っ」
生まれて初めて体験する人の死。
ずっといると思っていた人が居なくなる寂しさ。
もう二度と会えない悲しみ。
天国へ行くことがどういうことか、意味を受け入れるしかなくなった。
「お母さん……ギュってして」
「…うん。思う存分泣いていいよ」
死を受け入れた瞬間、一筋の涙が右眼から流れた。私はお母さんに抱きついて、溢れ出した涙が止まるまで
「そこまで」
声が聞こえて、下に向けていた視線を目の前の審査員席へ上げる。
一番悲しい記憶を掘り起こしたせいで目の内側は熱く、右眼からは一筋の涙。
「ひとまず私から言うことは何もありません。みなさんそれぞれが自分なりの“悲しみ”を表現してくれた。これだけで十分です。他に応募者へ質問がある人は?」
真ん中に座る星アリサさんが、私たちを見て手短に淡々と評価を下して周りの審査員へ質問を投げる。
これといって見込みがないとも、見ただけで全部分かったとも汲み取れる表情と言葉。
ひとつ確かなのは、自分が思っていた以上に上手く泣けたこと。
「じゃあ俺から1つ。“12番の子”に聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
すると私から見て席の一番右側に座るラフな服装をした顎に無精ひげを生やした男の人が、気怠そうに手を挙げて私に聞きたいことがあると言い出した。
手を挙げた審査員の名前は一般的にはあまり有名じゃないけれど、私も知っていて何度も作品を観たことがある映画監督。
「どうぞ」
表情ひとつ変えずに、星アリサさんはそれを受け入れる。
私の
お前さあ、ただ突っ立ってるだけってそんなの演技じゃねえんだよ_
私の悲しみは、そう言われてもおかしくないかもしれない。泣き声を上げたわけではなく、両手で溢れる涙を拭ったわけでもなく、ただ無言で俯いて、最後のタイミングで涙が流れただけ。
「百城。
微かに身構える私に、無精ひげの映画監督はひとつの質問を投げかける。
今ごろになって、他の
板挟みするかのように、映画監督から飛んでくる“嘘を見抜く”視線。
「はい。“悲しみを表現してください”と言われて“悲しむ”ことが演技なら、そうです」
視線を逸らさず、嘘もつかず正直に答える。演技かどうかなんて、やったことがないから自分ではジャッジなんて出来ない。
だから、人から言われた課題の通りにやってみることが正解ならこれは演技……というのが私なりの答え。
「そうか。分かった」
数秒ほど私を凝視して、
気怠い口ぶりとは裏腹に、眼は笑んでいるように見えた。
「では以上を持って、俳優発掘オーディション5次審査を終わりにします」
こうして5次審査は私への質問を最後に終わった。
“最終審査”の案内が家に届いたのは、それから3日後のことだった。
数日後。スターズ・社長室_
「まさか同類を毛嫌いしているあんたが5次審査を通すなんざどういう風の吹き回しだよ?」
「現時点では落とす理由がなかったからよ」
表舞台から降りても朽ちないままの美貌で、デスクのチェアに座るアリサは百城千世子の履歴書を片手で眺めながら理由を明かす。
とはいえ引退から20年。ガキだった俺が小遣いでチケットを買って客席でその姿を観ていた頃と比べると、相応に時が流れたのは互いに否めない。
「ひと目で分かったわ。百城千世子はメソッド演技を身につけている。それも無自覚……初めて会ったときの景を見ているようで懐かしいわね」
送られていた履歴書を置いて、アリサは呟くように付け加える。
アリサは百城千世子を最終審査に進めた。この手のタイプの人間は手塩にかけて育てているただ一人を除いて認めていない彼女としては意外な選択だと、俺は思った。
「だったら」
「だから最終審査で落とすわ」
一瞬心変わりしてくれたと僅かに期待したが、それを遮る一言をデスクに腰掛ける俺へ突き付ける。
この芸能事務所を立ち上げてからの星アリサがこういう人間だということは4年前に短編を撮ったときから知っていたことで、だろうなとしか思わない。
「最終で落とすくらいならなぜ5次審査を通した?」
「だから言ってるでしょ。
食い下がる俺に、アリサは顔色一つ変えず“現時点”を強調して改めて理由を告げる。
「独学でメソッド演技を身につけた
「やる前から決めつけるのか?“俳優発掘オーディション”だろ」
「役者になることであの子が今より幸せになるの?」
「…またそういう話かよ」
俺が何を言おうとしてもアリサは持論を振りかざしこちらの主張を聞く素振りすら見せず、半ば口論と化している話し合いは平行線のまま続く。
もうこっちもそれなりの大人になったのだが、こういう大人にだけはなりたくないものだ。
「あなた達演出家は作品のためなら役者の人生を考えない。それが普通の幸せをこれからも送るはずだった人の人生を壊すことだってあるのよ」
「いつか心を壊すと?女優時代の自分のように」
反面、アリサの言い分については俺も一定の理解を得ているつもりだ。
女優時代の彼女が極めていたメソッド演技は、自ら体験した過去を元に感情を掘り下げ追体験し、それを演じる役柄に直接落とし込む文字通り“自分以外の誰かになる”異能だ。カメラの前や壇上で、時にその
やがてその負担は大きくなれば大きくなるほど自らの生活を侵食していく。そうならないために役者は様々な形で“役抜き”をして、傷を負った心を修復して次の人生を演じる。
「“俳優は大衆のために在れ”。私の“スターズ”は誰も不幸にさせない。そして私の下で幸せになれる
だが女優として映画やドラマに舞台と多忙を極めていた彼女の心は、
「…夜凪みたいな
まるで“スターは作り上げるもの”と言いたげな馬鹿げた持論へ、避けられない図星を突いて仕返す。
「景は
臆することなく、迷いのない瞳でアリサは言い切る。そこに嘘も駆け引きも一切ないのが、尚更タチが悪い。
「夜凪を受け入れてんなら百城も入れてやりゃいいじゃねえかよ。演技はもとより素質も4人の中じゃ頭一つ以上抜けてるぜ
「ビジネスで物事を決めるのはあなたが一番嫌うことでしょ?」
「“スターズ”として考えると悪い話ではないだろ?」
「悪いけどあなたが何を言おうと決定権が私にある以上は無駄よ」
「ったく、夢追っかけてる奴らが人生賭けて目指してる芸能事務所の社長がこれじゃあやってらんねえよ…」
芝居によって心を壊した自分と同じ道に進まぬよう“幸せになる役者”しか育てない環境の中で唯一メソッド演技をすることが許されたスターズの看板女優にして、アリサ自身が自らに課した“アンチメソッド”の掟を破ってまで手に入れた
誰が言い出したのか、またの名を“スターズの
「百城が入ってくれたら夜凪は喜ぶと思うけどな俺は」
「あなたが景の何を知っているのよ?」
「一度短編を撮らせてもらってるから知らない仲じゃねえ」
4年前。中学生の家出をテーマに一本の短編映画を撮った。
そのとき“逆オファー”という形で主人公の少女を演じたのが、芝居の世界へ飛び込んでまだ1年も経ってない頃の夜凪だった。
「黒山さん。いま家出してきたからこのまま私を撮って」
まだ世間ではさほど名前が知られていなかった
「_これ以上あなたに構っている暇はないから今日はもう帰ってくれる?私は暇じゃないのよ」
「…へいへい分かりましたよ」
アリサとの話し合いは平行線のまま時間切れを迎え、俺は俺でこの後に自分の
「あー、そうだ。どうせ百城を次で落とすってんなら、俺からひとつ
無論なんの収穫もなしに手ぶらで帰るつもりなんざ毛頭ない俺は、帰り際にアリサへひとつの提案を持ちかけた。
原作の千世子もメソッド演技を“使わない”だけで技術的にモノにしている辺り役者としての素質自体は普通に作中トップレベルだろうとのことで、こちらの千世子はアリサの英才教育を受けていない分、本人も知らないうちに素質の部分が研ぎ澄まされ鍛えられたという解釈となっております。
ちなみにこの回で書くのが一番大変だったのは景の“異名”でした。いかに“スターズの天使”というネーミングが秀逸だったか、痛いくらい思い知りました。