「俺にくれよ。百城」
5次審査の結果が決まった日の帰り際、俺はアリサにひとつの提案を持ちかけた。
「…まさかあなた」
「そのまさかだよ。あんたが面倒見ねえなら、俺が代わりに芝居を教えてやるまでだ」
返ってくる言葉を遮り、動揺が見え隠れする大きく開いた瞳に意思を告げた。
映像の世界へ飛び込んだときから幾つかの短編と中編を撮ってきた片隅で、ずっと構想し続けていた
その映画に必要な“もうひとつのピース”が、ようやく姿を見せた。
「あの子がこの世界に足を踏み入れたら間違いなく不幸になるわ」
「なぜ言い切れる?」
「景がいる限りあの子は常に“本物”と比較され続けることになる。それなり以上の実力や素質があっても、人知を超えた産物を目の当たりにして自身の無力さに苛まれ潰れていった人たちを私はこれまでに嫌と言うほど見てきた」
「まるで百城が“偽物”みたいな言い方だな?」
「
当然だが、アリサは良い顔をしなかった。おまけに百城しか持ち得ていない“素質”を自分も見抜ていながら、俺たちの前に現れたそれを“半端な才能”と言い切った。
「…そういう
誰もが羨み憧れを抱く偉大な女優だった
「見せてやるよ。捨てられた原石の“輝きと幸福”を」
一度芝居の喜びを垣間見た人間は、もう止まらないということを。
「…敢えて目的は問わないでおくけれど、後悔することになるわよ」
「ハッ、上等だよ」
「俺は黒山墨字、映画監督だ。お前は?」
「…百城千世子。ただの高校生です」
生活指導の先生から“親戚の人が私に忘れ物を届けに来た”と言われて仕方なく唯菜たちと一旦別れて玄関口に来てみたら、親戚ではなく限りなく不審者に近い映画監督がいた。
「あの……“忘れ物”ってどういうことですか?」
「そのままの意味だ」
「いや、ごめんなさい。ちょっと意味が分からないです」
オーディションの5次審査と最終審査で審査員をしていた、映画監督の黒山墨字さん。
この人の
「まあそうだよな。なんでついこないだ落ちたばっかのオーディションで審査してた
「あの、とりあえずあなたが黒山墨字さんだという証拠を見せてくれますか?このままだと“親戚を名乗る不審者”になり兼ねないので」
「人を不審者呼ばわりとはいい度胸だな?」
「シンプルに恐いだけです」
9割9分で本人なのは顔と声を覚えているから分かるとはいえ、本当に万が一のことを考えて証明になるものを出させてみる。
知ってはいるけどちゃんと話したことがない人がこんなふうにいきなり現れたりしたら普通に恐いし、言ったら悪いけどこの
「安心しろよ。俺は本物だ」
じゃあ逆に偽物は誰?と心の中でツッコむ私に、黒山さんは得意げに名刺を差し出し手渡す。
“スタジオ大黒天映画監督・黒山墨字”と、白一色の小さな紙に黒一色の文字で会社の名前と自分の名前が書かれたシンプルな名刺。
「すみません。疑ってました」
「やっと信じてくれたみたいだな」
「会社の名前は初耳ですが」
「まだ立てて1年経ってねえ小さな
会社の名前は初めて見るとして、ひとまず私は目の前にいるひげの人がオーディションのときにいた審査員と同じ“黒山墨字監督”だと信じることにする。
「それで、私に何か用ですか?」
「単刀直入に聞く。人生変えてみないか?」
「…人生、ですか」
信じたはいいものの状況が飲み込めないままだからと理由を聞いたら、いきなり壮大すぎる問いを投げられた。
ますますこの人がわざわざ学校を訪ねてまで私を探しに来た理由が読めなくなって、頭が困惑している。
「いや、変えようとは思わないですね」
「それは今の幸せで満足しているってことか?」
「はい。満足してます」
「オーディションで最終まで進んで落ちて、それで満足か?」
「はい。いい思い出作りになったので悔いはないです」
「本当に心からそう思っているか?」
「私は女優になりたくてスターズのオーディションを受けたわけじゃないので」
学校の玄関口で始まる、オーディションに落ちた応募者と審査していた映画監督の2人によるよく分からない質疑応答。
“人生変えてみないか?”……なんて聞かれても、私は昨日まで続いている普通の幸せに満足しているから、何を言われようが変えたいなんて思わない。
「そうか…」
私が女優になる人生は、あの最終審査でもうとっくに閉ざされて、二度とその扉が開くことはない。
「…そう言ってる割には随分と楽しそうだったぜ?人前で演じているときのお前は」
黒山さんの視線と声が、スッと心の内側へ突き刺さる。
自分でも自覚していない、まだ気づいていない気持ちを突かれたような感覚が巡って、少し居心地が悪い。
「…確かに、やってる間は楽しかったです」
「じゃあ出てんじゃねえかよ。
口から出てきた言葉を遮るように、黒山さんが言い放つ。
またしても謎に図星を食らった気分。別に私は向こう側の世界に行きたいわけでも、行きたかったわけでもないのに。
「知ってるか?一度“芝居の喜び”を垣間見た人間はもう止まらないらしい」
「知らないです。私は女優じゃないので」
「知らないなら俺が教えてやるよ。芝居ってやつを」
よく分からないうちに、映画監督から芝居を教えられる流れに傾き始めている。
私は煌びやかとは無縁な普通の一日がずっと続けばそれだけで十分すぎるくらい幸せなのに、どうしてこの人はオーディションに落ちた私にここまで芝居を教えたがるのか。
なんかもう、好きな映画がしばらく嫌いになりそうな勢いでめんどくさい。
「…私は落とされたんですよ。向こうに立つ資格がないって」
「相性が悪かっただけだ。まだ高2のお前じゃピンと来ないだろうが
「まず私にはスクリーンの中に立てる才能なんてありません」
「あるさ。俺が証明してやる」
めんどくさいっていう気持ちと同じくらい、なぜか私の心はいま、オーディションで演技をしたときの高揚感が混ざり合っている。
「どうやって?」
「だから俺が、お前に芝居ってやつを一から教える」
もしここで私が首を縦に振れば、スクリーンの向こうへ手を伸ばそうとするほどに焦がれた
だけど普通の世界しか知らない私なんかに、あの人のような生き方が出来るのだろうか。
「…どうして黒山さんは私を役者にしたいんですか?」
こんな
「どうしても撮りたい映画が一本あってな。そのために必要な“もうひとつのピース”を俺はずっと探していた……待ってたんだよ。
理由を聞いた私に、黒山さんはほくそ笑んで自信満々に言い切る。
自分が役者になるために生まれてきたなんて、好きな映画を撮った映画監督に言われても信じられない。
本気で夢を追いかけている人だったら迷わずこの機会に飛び込んでいくだろうけど、私はそうじゃない。
「明日の8時半、その名刺の裏に書いてある場所に来いよ。学校の授業より100倍面白いものを見せてやる」
こっちの事情なんて知ったことかと言いたげに、話は進んでいく。念のために裏に書かれた住所に一旦目を通すと、書かれていたのはスタジオ大黒天の住所。
私が住んでいる
そんなことはともかく……
「あの、明日は普通に学校が」
「そんなの適当な理由つけて欠席すりゃいい。一日休んだくらいで世界なんざ滅びねえよ」
「まだ何も言ってないんですけど」
即答どころか途中で言い返されてしまった。
別に皆勤賞なんて狙ってないけど、何も病気してないのに欠席するのはさすがにちょっと気が引ける。
というか……
「というか、もし仮に明日学校じゃなく黒山さんのスタジオに行くとして親にはどう説明すればいいんですか?」
「お前の母さんにはお前が学校へ行ったあとに家寄って事情は話した。とりあえず帰ったところで本人に意思確認してどうするかは決めるってよ」
と頭に浮かんだ懸念は、知らないところで勝手に解決していた。
「…本当に家に行って話してきたんですか?」
「あぁ。何なら帰った後に直接聞けばいい。ついでに父さんは
「それ知ってるってことはほんとに話したんだ…」
「俺が嘘ついてどうすんだ?」
それにしても、向こう側にいる人はみんなこういう感じなのだろうか。
上手く説明できないけれど、明らかに普通の会社で働いている普通の
良くも悪くも昨日まで植え付けられてきた一般常識がまるで通用しそうにない、この感じ。
「なんか、私の知らないところで話がどんどん進んでますね」
「こうでもしないとお前みたいに大した目標も持たず普通に生きてきた奴は靡かねえだろ」
口にしたわけでもないのに勝手に進んでいく物事への苛立ちを遠回しにぶつけてみたら、思いっきり図星を突かれた。
「いや……さすがに今のは言い過ぎか」
「大丈夫です。事実なので」
「眼が怒ってんぞ?」
「まあ、ちょっとムッてなってます」
言い返そうにも大した目標がないのは事実だから、ムッとした気持ちを相手に伝えるのが精一杯。
いくら好きな映画を撮った人がその相手でも、こんなふうに触れられたくない部分を暴かれたら不愉快な気持ちが勝つ。シンプルに自分を否定された気分になる。
「黒山さんの言う通り、普通に生きてきた私にはこれっていう目標はありません……でも、
目標とは違うけれど……私にだって
「やっとボロが出たな。百城」
相手が世界的にも高く評価されている映画監督であることを忘れて苛立ちを表に出した私を見て、黒山さんが嬉しそうに笑った。
「じゃあ。また明日な」
返答を待たずに、名刺を置き土産に黒山さんは背を向けて出口へ足を進めようとする。
「あのっ」
少し猫背気味に歩く背中を、私は呼び止める。
両親が私の意思を尊重することは分かっていて、私が“NO”と言えば“ごめんなさい”と断ることができた。
オーディションを受ける前まで続いていた普通の日々に、戻ることができた。
「黒山さんのところに行けば、私は今より“幸せ”になれますか?」
全部分かっていたのに、私はその背中を呼び止めた。
「“幸せ”になれるかどうかはお前次第だ。でも、お前がこっち側に来たら最善は尽くすさ」
振り向きざまにそう言って、黒山さんは玄関口を出て行った。
あれだけお前を幸せにするみたいなことを言っておいて、最後は自分次第。
「…無茶苦茶だ」
頭の中で浮かんだ言葉が、独り言になって口から出る。
一番仲が良い友達の言葉にまんまと乗せられて、
よく分からないまま最終審査まで進んで、
一瞬だけついその気になって、
実力不足で落ちた。
これでまた普通の日々に戻れると思いつつ、
初めて体感した芝居の感覚が忘れられなくて、
そしたら忘れ物を取りに来た映画監督が目の前に現れて、
その
“事実は小説より奇なり”なんてことわざがあるけれど、そんなもんじゃない。
本当に無茶苦茶だ。
「……」
何気なくスマホのカメラを開いて、鏡代わりに自分の顔を見た。
「…なんでそんなに嬉しそうな顔してんのよ」
カメラに映る
同日。スターズ・専用ジム_
「やっぱり私、納得できないわ」
ベンチプレスを上げる隣で、床に敷いたマットの上で片手倒立の体勢を保ったまま景君が僕に話しかける。
昨日と今日で、もう
「またその話かい?もう決まったことだから君が何を言おうと覆らないよ」
「アキラ君が何を言おうとアリサさんが折れるまで私は言い続けるわ」
「その前に母さんとの板挟みになる僕の気持ちも考えて欲しいのだが…」
俳優発掘オーディションが終わってから2日。景君はずっとこの調子で事あるごとに母さんに対する不満を吐き出し続けている。
「だいたい、どうして景君はそこまで百城君に拘るんだ?」
「だってどう考えてもグランプリは千世子ちゃんだったでしょ。あ、でもそうするとせっかくグランプリを獲った和歌月さんが可哀想ね……そうだ、2人とも合格にすれば良かったんだわ!」
「それじゃあたった1人を決めるオーディションの意味がないよ(和歌月君のことは苗字呼びなんだ…)」
理由は言うまでもなく、オーディションの最終結果についてだ。
「スターズで役者になるっていうのは
「役者になりたいわけではないのに演技審査に通したんですか?」
「だって盛り上がるでしょ。そういう子が1人くらい紛れ込んでいたほうが」
2次審査で彼女を面接した手塚さん曰く、他の子たちと違いそれっぽい理由で誤魔化すことは一切せず堂々と“友達に騙された”、“役者になれなければなれなかったでいい”と応募動機を言い放った物怖じのなさが面白く演技審査に通したという、高校2年生の応募者。
話を聞いたときは、なんで役者になりたいわけでもないのに2次審査の時点で落とさなかったのかと本気で思った。
「百城。
だがそれは、勉強も兼ねて審査員として参加した5次審査で、完全に覆された。
他11人の応募者が上手いか下手かはともかく全員が声を上げたり泣き出しそうな表情を作り分かりやすく悲しんでいる演技をする中、“12番の彼女”はただ斜め下の一点を見つめながら俯いていた。
突っ立っているようにしか見えない感情が消えた瞳。だけどそれが無感情ではなく“目の前の現実を受け入れられないが故の虚無”だと言うことは、すぐに気付いた。
そして最後に右眼から流れた涙で、彼女の
「アキラはどう思うよ?百城は?」
「スター性は感じました。ただ、メソッド演技に手を出したのが運の尽きですね」
ふわりとした白銀のような色の髪。大きく綺麗な形をした琥珀の瞳。可憐な顔をしているのに
そして一番端にいるのに演技未経験とは到底信じられないほど繊細かつ没入度の高い芝居で、演技を始めた瞬間に他の11人を一瞬にして喰ってしまうほどの存在感で他を圧倒する。
「もし目の前に現れたのが“天使”であれば母さんは
ごく普通の人生を歩んできた彼女に確かな才能を感じたのと同時に、“もったいない”と僕は思った。
併せ持った外見だけを頼れば母さんから認められるほどの素質があるのに、よりによって母さんが一番嫌う
「じゃあ夜凪はお前らからすると悪魔ってことか?」
「…いや、彼女は_」
それが許されているのは、
「俳優発掘オーディション。グランプリ受賞者は………剣崎アクションクラブ所属、和歌月千さん」
結局、最終審査はまたしても彼女の独壇場になりかけたところをグランプリに選ばれた和歌月君が最後に見せ場を作って場を沸かせたことでどうにか俳優発掘オーディションとしての形はしっかりと守られたまま、約3万人が挑んだオーディションは幕を閉じた。
「アリサさん……どうして千世子ちゃんを選ばなかったの?」
ただし、母さんにも内緒でスタッフに扮して最終審査を見届けていた景君は、アリサさんの決定には納得しなかった。
「…ねえアキラ君」
「今度は何だい?」
10秒ほどの沈黙を挟み、景君が僕の名前を呼ぶ。
いつの間にか倒立をやめて仰向けになった僕を見下ろす景君を見て、僕もベンチから起き上がる。
「メソッド演技じゃなかったらアリサさんは千世子ちゃんを認めてたのかしら?」
僕へ話しかける声のトーンが少し低くなる。
怒っているわけではなく、例えるなら4,5歳くらいの子どもが純粋な眼差しで物事の核心を突いてくるそれのように、鮮やかな紫色の瞳が僕を見ている。
彼女が時折見せる、純粋であるが故の恐さ。
「僕にだって分からないよ。あの人がどんな選択をしたかなんて」
恐いくらい真っ直ぐな瞳に、僕も演技ではなく素の感情で答える。
メソッド演技を使わなければ母さんも認めてくれた……なんて、そんなものは僕自身の勝手な憶測に過ぎなくて、実際のところ母さんの考えていることは僕だって全部は分からない。
「でも……
「どうして?」
ただひとつ、これだけは確信を持って言えることがある。
「“捨てる神あれば拾う神あり”。ということだよ」
「俺としては好都合だぜ。お前のママが天使を地上に落としてくれたこと」
「…ふ~ん。そっか」
一昨日からずっと不機嫌気味だった瞳が、ようやく笑った。
「じゃあこれで私は友達になれるってことね」
「景君は百城君と友達になりたいのかい?」
「千世子ちゃんと友達になれたら、きっと私はまだ知らない新しい自分に出逢える気がする……野犬に怯える
“友達になれる”と、景君は意気揚々とした様子で百城君のことを話す。
もちろん彼女が口にする“友達”が何を意味しているのかは、聞かずとも知っている。
「そうだったね。君にとって周りのものは全て
この世界でしか生きることができない
「友達になりたいと思っているなら、泣かせるような真似だけはしないでくれよ?」
「と、当然よっ!私は家族と友達を傷つける人が世界で一番嫌いなんだから!」
ひとまず
「…ここまで役を増やしても純粋さを失わない君が羨ましいよ」
「?何か言った?」
「何でもない。ただの独り言だよ」
そんな予感が頭の中で渦巻いた。
こっちの世界の景とアキラ、初登場です。