「多分だけど、あいつ俺のこと好きなんだと思う」
レイヴンクロフト精神病院の重犯罪者収容棟、第三面会室。
強化防弾ガラスを挟んだ向こう側で、取材対象のヴィランである〈スコーピオン〉は開口一番そう言った。
本名マック=ガーガン、年齢は四十二歳。
ニューヨークを中心に活動する殺し屋で、主な罪状は恐喝、傷害、強盗、違法武器所持、殺人未遂、その他いろいろ。金さえ積まれれば用心棒から運び屋、ギャング同士の抗争への加勢まで、大抵の汚れ仕事を引き受けている筋金入りのろくでなしである。
そのスコーピオンの言葉に、私は思わず聞き返した。
「……すみません、もう一度お願いします」
「聞こえなかったのか?」
「一応確認です」
スコーピオンは椅子の背もたれへどっかりと巨体を預け、さも当然のことを説明するみたいな口調で言った。
「もう一度言うぞ。〈
残念ながら聞き間違いではなかったらしい。少し思考を整理する。
今回レイヴンクロフトまで足を運んだ理由は、ここ数年ニューヨークで話題となっている正体不明のロボットヒーロー〈
SP//dr。赤を基調とした装甲に身を包んだ、身長数メートルほどの人型ロボット。人間より遥かに長く伸びた腕と脚、細身ながらも力強いそのシルエットは名前の通りどこか
今やニューヨークじゃ知らない奴の方が少ないくらいの有名ロボットヒーロー、SP//dr。実際に会話をしたという証言もあることから「中に人間が入って操縦しているのだろう」と推測されているが、その正体については謎に包まれている。
誰が操縦しているのか。男なのか、女なのか。若いのか、年寄りなのか。軍人なのか、科学者なのか、それとも単なる物好きなのか。どんな顔をして、どんな性格をして、どうしてわざわざあんなロボットに乗り込んで街中の犯罪者を捕まえて回っているのか……?
もっともこの広いニューヨークの街中で狙ってSP//drに出会うのは困難を極めるし、当人もそういった扱いを受けることは避けている節がある。もし仮に出会えたとしても、私のような記者が取材をすることは不可能に近いだろう。
そこで私は考えた。本人と接触できない以上は『SP//drと一番長く接触していた連中』、つまりSP//drと実際に戦ったヴィラン連中に聞けばいいじゃないか、と。
そんなわけで私が最初の取材相手に選んだのが、現在レイヴンクロフト精神病院に収容されているヴィランたち、その一人目がスコーピオンである。
そして取材を始めておよそ三十秒、冒頭のセリフに至る。私はさらに訊ねた。
「好きだと思う、ということはSP//drの正体は女性だと?」
「ああ、SP//drの中身は若い女だ」
いきなり有益そうな証言が出てきた。ノートの端に〈女性・若い?〉と書き込み、さらに追及する。
「そう思う根拠は? 素顔を見たとか?」
「いや、顔は知らねえ」
「ならなぜ若い女性だと?」
スコーピオンは自信たっぷりに答えた。
「わかるんだよ、何度もやり合ってるとな。ボイスチェンジャーで声を変えているし喋り方は男っぽくしようとしているところもあるが、俺の耳は誤魔化せねぇ」
……要するに明白な根拠はないようだ。
だが、まあ実際に会ったときの印象は重要だろう。別に男でなければならない理由もないし。
メモを取りながら私はスコーピオンに質問をぶつけてゆく。
「年齢は?」
「そこまでは知らねえ。だがあの喋り方は女だ。それも相当若い」
「性格はどう思いますか?」
「凄いお喋りだ。きっと戦いにビビってるから、一生懸命気分を盛り上げようとして喋りまくってるんだろうな」
戦闘中の恐怖を軽口で紛らわせている、ということか。人物像を探る上では面白い証言だ。真偽はともかく、実際に何度も交戦した人間の印象として記録する価値はある。
「それで、そのSP//drがあなたに好意を持っているという根拠は?」
私の問いに、スコーピオンはにやりと笑いながら言った。
「あいつ、俺と戦う時だけ本気なんだ。つまり、俺に本当の気持ちをぶつけてきているってことだろう? つまり惚れているってことじゃないか」
なるほど、わからない。
いや、言っている言葉自体はわかるが、わからないのはそこからどうやったら「SP//drは自分に惚れている」という結論まで辿り着けるのかという部分である。
より深堀りして訊ねると、スコーピオンは楽しげに答えた。
「初めてやり合った時なんかわかりやすかったぜ。あれは二年くらい前だったか。ブルックリンでちょっとした揉め事があってな」
ここでスコーピオンが言っている『ちょっとした揉め事』というのは、マフィアの抗争である。記録によるとマフィア二組が違法兵器の取引を巡って市街地で銃撃戦を起こし、スコーピオンは片方から金を貰って用心棒として参加。装甲車三台を破壊し、警官十一名を負傷させ、道路一本をほぼ丸ごと封鎖する騒ぎに発展した。ヴィランにとっての「ちょっと」がどの程度なのか、よくわかる話だ。
スコーピオンはさらに続けた。
「そこにあいつが来たんだ、SP//drがな」
当時の事件映像は私も見たことがある。
雨が降りしきる夜のブルックリンで、ひしゃげた乗用車、割れたショーウィンドウ、路上へ撒き散らされた無数の薬莢。
そこへ、ビルとビルの谷間を縫うようにして巨体が降ってきた。
着地したSP//drは同時にアスファルトを砕き、ギャングたちの銃弾を装甲で弾き返しながら、瞬く間に武装を奪っていった。
そして最後に残ったのが、スコーピオンだった。
「俺がパワードスーツの尻尾を振り抜いたら、あいつ真正面から受け止めやがった。他の奴にはそんなことしねえ。避けるだろ、普通は」
だが、とスコーピオンは言った。
「だが、あいつは正面から来た。俺の一撃を受け止めて、真正面から殴り返して、俺を叩きのめしたんだ」
「医療記録にもありますね。肋骨二本、左肩脱臼、脳震盪、全身打撲。全治三ヶ月」
私がノートを確認しながら補足すると、スコーピオンは嬉しそうに口角を吊り上げた。
「もっと簡単に片づけたり、あるいは無視することも出来たはずだ。でもしなかった。あいつは俺との戦いを楽しんでいる、つまり俺のことが好きなのさ」
それだけあなたが危険な存在だからでは?
それを言うと、スコーピオンはなにやら哀れむような目つきで私を見てきた。
「お前、女心をわかってねえだろ」
……心外だ。たしかにプライベートでは恋人から袖にされたばかりだが、よりにもよってヴィランに女心を説かれるとは。
スコーピオンは続けた。
「いいか、興味のねえ相手にそこまで本気になれるか?」
「犯罪者相手ならなるでしょう」
「俺の動きも全部覚えてやがる」
「何度も戦っているからでしょう」
「普通、興味のねえ男のことをそこまで覚えるか? 三回目に俺が銀行を襲った時なんか、あいつはわざわざ俺の名前を呼んで声まで掛けてきたんだぜ、『やめて、マック!』ってな」
「目の前で銀行を襲ってたからでは?」
「女ってのはな、好きな男には素直になれねえもんなんだ」
そういうものなのだろうか。いや、違う気がする。
私が困惑しているとスコーピオンは笑って言った。
「なあ記者さんよ、ちゃんと書いとけよ。俺とSP//drは特別な関係、SP//drはこの俺、スコーピオンことマック=ガーガンに惚れてるんだって」
そうやってスコーピオンは愉快そうに笑い、私はその笑顔を眺めながら静かに取材ノートを閉じた。
スコーピオンはSP//drに何度も叩きのめされた結果、自分は彼女から特別な感情を向けられていると思い込んでいるらしい。
イカレてるとしか言い様がない。
……まあ、こいつヴィランだしな。異常者というのは実に都合よく物事を解釈するものだし。
そう思うことにした。
スコーピオンへの取材後、次に通されたのは重犯罪者収容棟の第五面会室だった。
今度の取材相手は〈ミステリオ〉。本名クエンティン=ベック、年齢は三十九歳。
元々は映画業界で特殊効果や映像技術に携わっていた技術者で、ホログラム投影装置、立体音響、催眠性ガス、各種ドローンなどを組み合わせ、人間の五感を欺くことを得意とする犯罪者だ。
つまり簡単に言うとペテン師のヴィランであるが、本人に言わせれば違うらしい。
「ペテンではない。芸術だ」
強化防弾ガラスの向こうで、ミステリオは堂々と言い放った。
今日は例の金魚鉢みたいなヘルメットを外しており、レイヴンクロフト指定の灰色の収容服姿で椅子に腰掛けているだけなのに、なぜか本人だけは舞台の中央に立ってスポットライトでも浴びているような顔をしていた。
「映画とは虚構だ。舞台も、映像も、物語もそうだ。観客は騙されていると知りながら、その幻想に金を払う。ならば私がしていることも本質的には同じだろう?」
「銀行強盗に催眠ガスを使うのも?」
「些細な応用例だ」
「ドローンの大群を巨大なドラゴンに見せかけてパニックを起こした件も?」
「前衛的な都市芸術だ」
「負傷者が三十七人出ています」
「優れた芸術というものは、時として大衆に衝撃を与える」
なるほど、こいつも面倒臭そうだ。
私はヴィランのイカレた芸術論へ付き合うことは早々に諦め、今日の本題へ移ることにした。
「SP//drについて聞かせてください」
「ああ、彼女か」
まただ。スコーピオンに続いて二人目、ミステリオもSP//drの中の人が女性だと思っているらしい。
ミステリオの表情は緩んでいた。
「あなたもSP//drの正体は女性だと?」
「当然だ。それもかなり若い」
私はノートに書かれた〈女性・若い?〉に、強調するための赤い丸を書き加えた。
たった二人の証言で結論を出すわけにはいかないが、SP//drの正体が女性である可能性は少し高くなったと言っていいかもしれない。
「根拠は?」
「話していればわかる。言葉の選び方、反応、感情の出し方、それに彼女は私の技術を理解している」
ミステリオがSP//drと初めて戦ったのは、三年半ほど前。
ホログラムとドローンと音響装置、それに認識能力へ作用する特殊ガスを組み合わせて、マンハッタン一帯に巨大なエレメンタルの怪物を模した大規模な幻影を作り出し、その騒ぎに紛れてミステリオは美術館から数千万ドル相当の美術品を盗み出そうとしていた。とんでもない技術力の無駄遣いである。
「私の幻影は完璧だった。警察も市民も騙された。だが彼女だけは途中で仕組みに気付いた」
「どうやって?」
「影だ。投影物の影に僅かな不自然さがあったらしい。それを見抜いたんだろう」
どうやらSP//drの中の人はかなり観察力が高いらしい。これもメモしておこう。
「しかも彼女は私のドローンを捕まえて、戦闘中に構造まで調べ始めた」
「そんなことを?」
「ああ。そしてこう言った。『これすごい! このサイズで立体映像出してるの!?』とな」
私はノートに書き込む。『SP//drは機械や工学に詳しく、好奇心が強い。ギークか?』
ミステリオは得意げに胸を張りながら続ける。
「二度目に戦った時なんか、改良した装置を見てすぐに気付いた。『前より良くなってる!』とまで言ったんだぞ」
「ふむ、前回の装置を覚えていたと……それで?」
私の言葉に、なにやら呆れた様子でミステリオは言った。
「わからないのか? 彼女は私の才能を理解している。私の作品を覚え、改善点を見抜き、しかも褒める。センスが優れている、つまり私と波長が合うんだよ」
意味不明な理屈である。なのにミステリオ本人は、それがまるでこの世の真理であるかのような態度で答えていた。
「その場面は警察官の証言にもありましたね。『悪事に使わなければいいのに』とも言われていたようですが」
「そこは重要ではない」
「かなり重要では?」
「重要なのは、彼女が私の才能を惜しんでいるということだ。嫌いな男の将来を心配する女がいると思うか?」
「犯罪者に更生してもらいたいだけでは?」
「ここまで状況が揃っていて、まだわからないのか?」
「何がです?」
ミステリオは、理解の遅い生徒へ答えを教えてやる教師のような顔をして言った。
「彼女は私に惹かれている、ということだよ」
そう語るミステリオは自信満々だった。どうやらこの男も、結論だけはスコーピオンと同じらしい。
それからミステリオは滔々と語り続ける。
「記事にはこう書いてくれ。SP//drとミステリオ、互いの才能を認め合う二人、宿命によって引き裂かれた二人の天才……」
ナルシスト全開の意味不明な世迷言を聞き流しつつ、私は取材ノートを閉じた。
……少なくとも収穫はあった。SP//drの正体は若い女性で、機械技術への理解が深いギークである可能性が高い。敵の発明でも優れていれば素直に褒め、犯罪者に対しても「才能を別のことに使えばいいのに」と考える程度にはお人好しらしい。
そしてスコーピオンと同様、ミステリオは自分がSP//drから惚れられていると本気で思っている。
……SP//drは、普段こいつらにいったいどんな接し方をしているのだろう。
ほんの少しだけ気になった。
次の取材相手は、クレア=キャサディ。
スコーピオンやミステリオのような派手な名前はないし、特殊なパワードスーツもなければ幻覚を作り出す装置を操るわけでもないただの人間だ。
ただしその正体は、全米を震撼させた女殺人鬼である。
ニューヨーク州内で複数の殺人事件を起こしてSP//drに捕らえられ、その残虐性と再犯の危険性からレイヴンクロフトへ収容されている。今回取材する連中の中でも、特に厳重な監視下に置かれている危険人物だ。
私とキャサディの間には分厚い強化ガラスが張られ、さらに向こう側のキャサディは椅子へ拘束され、両手には手錠が掛けられている。
なのに本人はまるで自宅の居間にでもいるみたいにくつろいでいた。
「あなたを捕らえた、SP//drについて聞きたいんですが」
「ええ、あの娘ね」
キャサディはにたりと笑った。
「あなたもSP//drの正体は女性だと思っている?」
「まあね。実際に会えばわかるけれど、あれは女、それもまだ若い方でしょうね。感情を隠すのが下手だもの」
スコーピオンもミステリオも、証言の細部は違うが〈若い女性〉という部分だけは一致していた。女性であるキャサディも同じらしいとなると、いよいよSP//dr=女性説は確定か?
「それで、感情を隠すのが下手というのは?」
「怒るのよ、私を見ると」
そう答えたキャサディは、なぜか嬉しそうだった。
「初めて会った時なんか最高だったわ。あの娘、それまでずーっと喋ってたの。『はいそこまで、ナイフ置いてくださーい。大丈夫大丈夫、置いてくれたら痛くしないんで。わたしこう見えて優しいんですよ、割と評判いいんですよ』とか、まあずーっとね」
「……それで?」
「私が何人殺したか教えてあげたらね、あの娘、一瞬だけ止まって、それからまた喋ろうとしたのよ。『……えっと、』って。そこで止まっちゃった」
「……」
「続きが出てこないの。あんなに喋ってたのに」
そこでキャサディ自身も口を閉じた。ほんの数秒、その時のSP//drを再現しているつもりなのかもしれない。
やがて口を開く。
「それから、私のことをじっと見て言ったのよ。『あんたみたいな奴、許せない』って。いいよねえ」
「……何がです?」
「許せないって」
意味がわからない。そんな私の顔が面白かったのか、キャサディは喉の奥でくつくつと笑った。
「勘違いしないで頂戴、あの娘は本当に私のことを軽蔑しているの。私みたいな殺人鬼は本当に許せないし、私が誰かを傷つければもっと怒る。たぶん私がこの世から消えたら、ちょっとだけ安心するんじゃないかしら?」
妙に冷静だ。少なくとも自分が好かれていないという事実については、今までの二人より遥かに正確に理解している。
だったらなぜそんなに嬉しそうなのか。私がいぶかしんでいる中、キャサディは拘束された両手を膝の上で組みながら、ゆっくりこちらへ顔を近づけた。
「でもね、あの娘は私を殺さなかったの」
「SP//drは基本的に犯罪者を殺していませんよ」
「知ってる。でも面白いでしょう? 私があの娘なら、邪魔な奴は殺すわ。嫌いで嫌いで仕方ない、放っておけばまた誰かを殺す、それが気に食わないというのなら今ここで首でもへし折ってしまえばいい」
だけど、とキャサディは言う。
「あの娘はやらなかった。戦って、『二度と誰も傷つけさせない』なんて言いながら、それでも最後にはちゃんと生かしたまま警察へ渡す。変な娘よねえ」
それは違う。多分、SP//drがまともで、こいつがおかしいだけだ。黙って私が耳を傾けているとキャサディは微笑んだ。
「一度なんか警察から逃げてる最中に建物が崩れたことがあって、私は瓦礫の下敷き。あの娘はもう外まで逃げてた。私を置いていけば、そのまま全部終わってたかもしれない」
でも、とキャサディはそこで一度言葉を切った。
「それでも彼女は戻ってきた。わざわざ瓦礫をどかして、怪我をして動けない私を担いで外まで運んでくれたの。私が『心配してくれたの?』って聞いたら、あの娘、すっごい嫌そうな声で『違います。仕事なんで。あと今のナシ、聞かなかったことにしてください』って。まるでツンデレの常套句じゃない」
それはおそらく本当に死人を出したくなかっただけで、キャサディに特別な感情があって助けたわけではないのでは。
そんなことを思う私を見ながら、キャサディはにっこり笑った。
「だからあの娘は私のことを特別に想っているのよ。私も好き」
なんだ、それ。
ヴィランたちの意味不明な主張には慣れたつもりだったが、キャサディの言い分はひときわ意味不明だ。どう見ても嫌われているのに好かれていると言い張っている。
「……今の話のどこに、相互の好意が?」
戸惑いつつも訊ねると、キャサディは恋する乙女のような表情を浮かべて言った。
「愛とか憎しみとか、そんな細かいことどうでもいいでしょう? 大事なのは、私があの娘を忘れないってことと、あの娘も私を忘れられないってこと。つまり私の存在は、あの娘の中にちゃんと居るってことでしょう? お互いにお互いのことがずっと頭にあって忘れられない、それが愛でなくて何だというの?」
……なるほど、そういう理屈か。
スコーピオンやミステリオは自分に特別な好意を持っていると思っていて、キャサディは嫌われていること自体が特別に関心を持っていることの表れだという。先の二人のようにSP//drに好かれていると思い込んでいるわけではないが、キャサディは好かれていようが嫌われていようが、自分が相手の心の中に居座っているという事実だけで満足しているのだ。まるでタチの悪いかまってちゃんみたいな、異常者の発想である。
インタビュー終了時、キャサディは言った。
「記事に書くなら、一つだけ伝えてよ」
「何を?」
「私も大好きだって。多分だけど、あの子は私のこと好きだと思う。私はずっと待ってるって伝えてほしいの。ずっとね」
キャサディはそう言って、にっこり笑った。
私は何も答えず、取材ノートを閉じた。
クレア=キャサディとの取材を終えたあと、私は一度休憩を挟んだ。
レイヴンクロフトの自販機で買ったあまり美味くないコーヒーを一本飲み干し、気を取り直して次の面会室へ向かう。
今度の取材相手は〈ヴァルチャー〉ことエイドリアン=トゥームス。年齢は五十歳。元航空技術者で、自ら開発した飛行用パワードスーツを使って強盗を繰り返していたヴィランである。
巨大な金属翼に高出力の推進装置、さらに高高度での活動を可能にする生命維持機構まで搭載したその飛行装備は、軍用兵器として見てもかなり高度な代物らしい。
「最初に言っておくがな、俺はあの娘に惚れてなんかいないぞ」
面会室へ入るなりヴァルチャーはそう切り出したが、私はまだ何も訊いていなかった。
「……そうですか」
「ああ」
「それは何よりです」
思わず素直な感想が出た。これまで話を聞いたヴィランは三人続けてSP//drとの関係について妙なことを言い出したものだから、正直なところ少し身構えていたのだ。
ようやくまともな話が聞けるかもしれない。そんな期待を込めて私はノートを開いた。
「では、SP//drについてあなたが知っていることを教えてください」
「まず、中にいるのは女だ」
「やはり?」
「それもガキだ」
ペンが止まる。
「……ガキ?」
「ああ。若いなんてもんじゃねえ。ありゃまだティーンエイジャー、小娘だよ」
SP//drの中の人はティーンエイジャー。
これまで三人ともSP//drの正体を若い女性だと証言していたが、ここまで年齢を限定した証言は初めてだ。
「根拠は?」
「わかるんだよ。それに声だけじゃねえ。戦い方だ。あれは経験を積んだ大人の戦い方じゃない」
即答だった。ヴァルチャーはそこで一度言葉を切り、呆れたように首を振った。
「とにかく無茶をする。相手が何を持ってるかもわからねえのに突っ込む。自分が傷つくことを考えない。人が落ちりゃ飛び込む。建物が崩れりゃ下に潜る。敵が逃げても怪我人がいればそっちを優先する。若い奴ってのは、自分が死ぬと思ってねえからな」
私はノートへ書き込む。〈正体はティーンエイジャーの可能性?〉〈自己犠牲的。市民救助を優先する〉。
「あなた自身、SP//drとは何度も戦っていますね。印象に残っていることは?」
そう訊くと、ヴァルチャーは腕を組んだ。
「三年前のクイーンズだな」
当時の事件記録なら私も知っている。ダメージコントロール局が輸送中の軍用部品をヴァルチャーが襲撃、強奪し、追跡してきた警察を振り切って市街地上空へ逃走。
そこへSP//drが現れて空中戦になった。
「最初はいつも通りだ。俺が飛ぶ。あいつが追ってくる。ビルの間を飛び回って、何度か撃ち合ってな」
「SP//drは飛べないのでは?」
「飛んでるようなもんだ。発射した化学繊維の糸を引っ掛けて、振り子みたいにスイングする要領でビルからビルへと飛び移る。あの長え手足でな」
確かに映像で見たことがある。
数メートルある巨体が、赤の残像を引きながら高層ビルの谷間を飛び回る姿は、ロボットというより巨大な蜘蛛に近い。
ヴァルチャーは不愉快そうに眉を寄せた。
「それで途中で俺の羽根が一枚やられた。推進装置も故障してな。そのまま高度を落として墜落しかけた」
そこで妙な間があった。
「……つまりSP//drに助けられたんですか?」
「そうだ」
明らかに面白くなさそうだった。
「俺が墜ちているのを見て、あいつは追い打ちを掛けるどころか自分から飛び込んできやがった。糸を俺の装備に引っ掛けて、自分のボディをビルの壁に叩きつけながら無理やり速度を殺した」
「それで助かった、と?」
「まあな」
敵を助けた。キャサディからも似たような証言を聞いたばかりだ。どうやらSP//drは、本当に敵であろうと死にかけているときには助けようとするらしい。
ヴァルチャーは露骨に嫌そうな顔をした。
「俺が『何の真似だ』って聞いたら、あいつ何て言ったと思う? 『死なれたら後味悪いでしょ』だとよ」
少し想像した。確かに若者らしいセリフである。
「それから俺の装備を見て、『これ飛行制御おかしくなってるよ、修理した方がいいって』ってな」
「敵にアドバイスしてきたんですか?」
「ああ、敵にだ」
ヴァルチャーは吐き捨てるように言った。
「敵を助けて、その敵の装備の心配までして、自分は腕の装甲を半分吹っ飛ばしてんだぞ。『親愛なる隣人』だかなんだか知らねえが、あれを馬鹿と言わず何と言う」
……言い方はともかく、心配しているらしい。
深い溜息をついたヴァルチャーを見ながら、私はペンを止めた。そんな私の様子を見て、おもむろにヴァルチャーが口を開く。
「……記者さん、あんた子供は?」
いません、と答えると、ヴァルチャーは続けた。
「俺には娘がいた。離婚して、向こうについていった。もう何年も会ってない」
彼は自分の手を見た。
「俺が墜落しかけたとき『大丈夫?』って、何度も聞いてきたんだ……そのときの声でわかった。あれは、女の子だ。俺が別れたときの娘と、そう変わらない歳の」
どこか切なげな表情をしたのを見て、私もようやく腑に落ちた。
今までのヴィランとは少し違うが、やはり根底は同じものだ。スコーピオンやミステリオ、キャサディはSP//drに特別な感情を向けられていると思い込んでいるが、このヴァルチャーは逆にSP//drに特別な感情を向けている。つまり父親のような気分になっているのである。
やがてヴァルチャーが言った。
「記事にするなら、ついでに書いとけ。あいつに無茶するなってな。飯を食え。夜は寝ろ。怪我したら休め。あと――」
そこで妙に真剣な顔になる。
「男には気をつけろ」
「……なぜ急に?」
「ああいう娘は、ろくでもねえ男に引っ掛かる」
「あなたが言うんですか?」
「俺みたいなのがいるから言ってるんだ」
それについては、妙な説得力があった。
ヴァルチャーとの取材を終えたところで、私は一度ここまでの情報を整理することにした。
SP//drの中にいるのはおそらく女性、それもかなり若い。スコーピオンとミステリオは「若い女」と言い、キャサディは「女、まだ若い方」、ヴァルチャーに至っては「ティーンエイジャーの小娘」とまで断言した。
性格についても、証言を並べてみるとかなり具体的な像が浮かび上がってくる。
まずお喋りで、感情表現が素直。機械や工学に詳しいギークで、珍しい装置を見ると戦闘中でも興味を示す。敵の作った技術であっても優れていれば素直に褒める。殺人を強く嫌悪する一方で、たとえそれが殺人鬼であっても死にそうであれば見捨てられない正義感を持っている。
……こうして書き並べてみると、正体不明のロボットヒーローというより、ずいぶん人間臭い人物像になってきた。
そしてもう一つ。これはSP//dr本人の特徴と言っていいのかわからないが、今回の取材を始めてから妙に気になることがある。
SP//drと何度も戦ったヴィランたちは、なぜか揃いも揃って彼女へ特別な感情を抱くのだ。スコーピオンやミステリオは自分が好かれていると思い込んでいるし、キャサディは特別な感情を向けられていると喜んでいて、ヴァルチャーに至っては父親気取りだ。
……どうしてそうなるのか、そこら辺の疑問も含めて、最後の取材相手にはぜひ訊いてみたいところだった。
最後の相手は〈ドクター・オクトパス〉、通称ドック・オク。
本名、オットー=オクタビアス。年齢は六十歳。物理学、機械工学、ロボティクス。その界隈では知らぬ者の方が少ないほどの天才科学者で、研究者として残した功績だけ見ればミステリオやヴァルチャーの技術力ですら霞む人物である。
もっともその後は四本の機械アームを取り付けたことでアームの制御AIに意思を乗っ取られ、警察相手に大立ち回りを演じ、SP//drとも激闘の末に敗れて、現在はレイヴンクロフトの重犯罪者収容棟へ収容されている。人生、どこでどう踏み外すかわからないものである。
「……なるほどね」
私がこれまでの取材内容を一通り話すと、強化防弾ガラスの向こうに座るドック・オクは興味深そうに頷いた。
さすがに例の四本腕は外されていて、レイヴンクロフト指定の収容服を着て、眼鏡を掛け、静かに椅子へ座っているだけなら、どこにでもいる大学教授にしか見えない。
その大学教授みたいな男は、私がノートへ書き出したSP//drの人物像を一項目ずつ読み上げるように口にした。
「若い女性、おそらくティーンエイジャー。感情表現が豊かで、好奇心旺盛。機械工学への理解が深く、敵味方にかかわらず人命を優先する。自分自身の安全については、少々無頓着……ふむ」
そこで一度言葉を切る。
「ずいぶん近いところまで来たじゃないか。君の取材は、概ね正確だ」
私は思わず顔を上げた。
「SP//drの素性を知ってるんですか?」
「さて、どうだろう」
「名前も知っている?」
「知らない、と言ったら信じるかね?」
「たぶん信じません」
「なら訊く意味がないじゃないか」
あっさりかわされた。ドック・オクはそんな私を見透かしたように続けた。
怪しい。ものすごく怪しい。私はノートの端に〈SP//drとドック・オク、過去に何らかの関係?〉と書き加える。
「仮に私が彼女の素性を知っていたとして、それを記者へ話すと思うかね?」
「こちらとしては話していただけると非常に助かります」
「記者としてはそうだろうな。だが、本人が隠したがっているものを、本人の許可なく他人へ言いふらす趣味はない」
そう言ってドック・オクは苦笑した。新聞記者の私がヴィランにプライバシーの倫理を説かれている。
けれどここで引き下がっていては取材にならない。私はなおも食い下がった。
「なら人物像だけでも。ここまで聞いた話について、何か間違っているところは?」
私が訊ねると、ドック・オクは肩をすくめながら言った。
「SP//drがヴィランたちを好き、というのはまず違うだろうな」
「しかし、SP//drはときにヴィランをも助ける行動をとっています。なぜなのでしょうか? ヒーローとしての正義や倫理感?」
「それは違うだろう」
と、ドック・オクは首を振る。
「SP//drはヴィランたちのことが好きではないだろうが、単なるヒロイックな正義や倫理で助けたわけでもないだろう」
「では、なぜ助けたんです?」
「嫌いな人間なら死んでも構わない、なんてことを思っていないからだ」
ドック・オクは答えた。
「ヴィランたちの悪行は嫌いだし、仲良くしたいわけでもない。しかし目の前で困っていたなら手を差し伸べる。SP//drの中でそれらは何一つ矛盾していないのだ」
それがSP//drの活動の根幹にあるのだろうな、とドック・オクは言う。
「目の前で困っている人を見捨てられない。あるいは、目の前で困っている人を見捨てたことについて何か特別な負い目やトラウマがあるのだろう。だから悪に脅かされる市民たちの平和を守ろうとするわけだ、時に自らを犠牲にしてでもな」
実に奇妙な心理である。
普通の人間なら嫌いな奴や敵対した相手が困っていたらまず見捨てるだろう。というか、こんな凄いロボットを操れるような技術があるなら、そもそもこんな匿名のヒーロー活動なんてしない。ヴィランたちは間違いなく異常者だろうが、それを言うならSP//drも大概おかしい。
「つまりSP//drは普通の市民へ親しく接するのと同じように、ヴィランたちに接していると?」
「そうだ」
ドック・オクは頷く。
「ミステリオについても同じだよ。ことわざにもあるだろう、『罪を憎んで人を憎まず』。彼が犯罪者であることと、彼の技術が優れているのを認めることは別問題だ」
「スコーピオンの名前を覚えていたのも?」
「何度も会えば名前くらい覚える」
「キャサディやヴァルチャーを助けたのも?」
「そうだ。目の前で困っている人を見捨てられない、たとえそれがヴィランであろうともな」
目の前で困っている人を見捨てられない、たとえヴィランであろうとも。そういう心理があるのだとすると、ヴィランを助けるのもむしろ当然の行為のように見える。
しかしヴィランたちからすると違って見えているようでもある。私は言った。
「スコーピオンもミステリオも、自分だけ特別に扱われていると思っている。キャサディも似たようなものだし、ヴァルチャーなんか恋愛じゃないだけであれはあれで相当SP//drに入れ込んでいる。どうしてSP//drと関わった連中は、こうも彼女から特別に思われていると思うのでしょう?」
少し考えてから、ドック・オクは答えた。
「彼ら自身がSP//drのことを特別に思っているからだろう。投影の心理だな。自分がSP//drのことが好きだから、SP//drからも自分が好かれていると思っている」
「ではなぜヴィランたちはSP//drに惹かれるんです? 自分の野望を挫いて捕まえた張本人なのに?」
「それは……」
私の問いに、ドック・オクはしばらく黙った。さっきまで質問に流暢に答えていた男が、今度は少し考えるように視線を落とす。
やがて、ぽつりと言った。
「……時に、記者君。君は、どういう人間がヴィランになると思う? 生まれた時から悪人だったと思うか?」
ドック・オクはさらに続けた。
「道を踏み外す人間の多くは、その前に何かを失っている。家族、仕事、金、居場所、名誉、夢、自尊心、努力しても報われなかった者、才能を認めてもらえなかった者、誰かに裏切られた者、大切なものを奪われた者、社会から必要とされなくなったと思い込んだ者……追い詰められて、怒って、絶望して、その果てに悪事へ手を染めることになる」
「でも、同じ目に遭っても犯罪者にならない人間はいますよ」
「もちろんいるとも。不幸な目に遭ったから犯罪をしていいという話ではない。そんなものは理由にはなっても免罪符にはならない。人を傷つけたなら責任は負うべきだし、奪ったなら償うべき、それは当然だ。だが……」
ドック・オクは少しだけ目を細めた。
「一度ヴィランになってしまった人間は、その瞬間からヴィランとしてしか見られなくなる」
私は黙って聞いていた。
「犯罪者。危険人物。異常者。怪物。ヴィラン……そういう言葉は大衆にとって便利だ。一度そう呼んでしまえば、その相手が何を考えているのか、何に絶望したのか、何を欲しがっているのかなんて考えなくて済む」
……少し耳が痛い。ついさっきまで私自身、取材の中で「異常者というのは都合よく物事を解釈するものだ」なんて思っていたからである。
いや、実際彼らの認知は相当に歪んでいると思うが、ただ、そうやって一括りにして見ていたら『そもそもヴィランたちがどうしてこうなってしまったのか』という部分まで見えなくなってしまうかもしれない。
「スコーピオンは粗暴な殺し屋だ。ミステリオは自己陶酔の塊。キャサディは救いようのない殺人鬼。ヴァルチャーは頑固で偏屈な強盗で、この私ドクター・オクトパスはマッドサイエンティストだ」
しかしそれだけでもない、とドック・オクは眼鏡を押し上げながら言う。
「スコーピオンにも誇りはある。ミステリオは誰かに自分の才能を認めてほしいと望んでいる。キャサディは誰かの中に自分の存在を残したがっているし、ヴァルチャーだって家族への未練がある。人間なんだからそんなものはあって当然だ」
そして、とドック・オクは言った。
「彼女、SP//drはそこを見る。ヴィランであることの向こう側にある、その者の人間性を見るんだ。彼女は彼らを善人だと思っているわけじゃない。悪いことをすれば止めるし、必要なら力づくで止めて警察にも突き出す。この私がいい証拠だろう?」
ドック・オクはガラスの向こうで、収容服の袖をつまんでみせた。
「しかし、だからといって、それで相手の人間性まで全部無かったことにはしない。当たり前のように親密な軽口を叩き、抱え込んだ絶望を見抜き、時にはそれに寄り添おうとさえする。まさに“親愛なる隣人”だ、私たちヴィランにとってもな」
……ああ。そこで何となくわかった。
スコーピオン、ミステリオ、キャサディ、ヴァルチャー。人の道を踏み外してヴィランに成り果ててしまった連中は、世の中から一人の人間として接してもらえないことに絶望を覚えていたのかもしれない。自業自得だ、人の道を外れたのだから。きっと私を含めた世間の一般市民という奴は、皆そう言って彼らを見捨てるのだろう。
だがSP//drは違った。彼女だけは彼らを見捨てなかった。悪人だから名前を覚えないということはないし、悪人だから褒めないということもなければ、悪人だから死んでもいいということもない。
ドック・オクはガラス越しにこちらを見る。
「世界からヴィランとしか呼ばれなくなった人間にとって、自分を一人の人間として扱ってくれる相手が現れたら、その相手はどうしたって特別になるものさ」
「救われた、と感じる?」
「そういう者もいるだろう」
「それが、好意になる?」
「十分あり得る……まあ、だからといってスコーピオンの『本気で相手してもらえるから惚れられている』だの、キャサディの『嫌われているからこそ特別だ』だのという異常な理屈まで正当化するつもりはないがね」
「ですよね」
私はヴィランたちの妙な認識を聞きながらずっと「こいつらは何を言ってるんだ」と思っていた。
実際何を言っているんだとは今でも思っているが、ただその根っこにあるものまで全部馬鹿にしていいのかと言われると少し違うのかもしれない。
「では、あなた自身は? あなたもSP//drには好意を?」
「ああ。持っているよ」
あっさり認めた。
「……あなたもですか」
「その言い方はやめたまえ」
ドック・オクは心底不愉快そうに眉を寄せた。
「他の奴らと一緒にするんじゃない、私はあんな子供に恋愛感情を向けるほど恥知らずではないよ。私が彼女に抱いているのは、優秀な若者に対する純粋な親愛だ」
ドック・オクはそう言ってから、少し考えるように目を伏せた。
「未熟だ。無鉄砲。思い込みも激しい。自分で何でも背負おうとするし、失敗すれば必要以上に責任を感じる。頭は良いくせに、肝心なところで人に助けを求めるのが下手だ」
ずいぶん言う。
「だが才能がある。学ぼうとする姿勢もある。何より、自分の力を自分のためだけに使おうとはしない。若い身空で大いなる力を手に入れ、大いなる責任を背負っている……そういう若者は、ものを教える人間ならどうしたって気に掛けるものだよ」
ものを教える人間。今度は私も聞き逃さなかった。
「SP//drはあなたの大学の教え子なんですか?」
私の追及に、ドック・オクはかぶりを振る。
「そうは言っていない」
「でも、さっきから教師みたいな言い方をしてるじゃないですか。SP//drの正体は、あなたが教えていた大学の学部生?」
ドック・オクは少し面倒そうに眼鏡を押し上げた。
「私は大学にいた頃、学部生だけを教えていたわけじゃない。中高生向けの特別講習や研究体験プログラムにも何度か関わっていたよ。ニューヨーク中から理数系の学生を集めて、夏休みに大学の研究室を使わせるようなものだ」
「中高生を?」
「ああ。中には大学生顔負けの子もいた。妙に機械いじりが好きで、こちらが出した課題を勝手に改良して提出してくるような子もね」
そこでドック・オクはほんの少しだけ笑った。
「……それ、誰の話です?」
「昔の教え子の話さ」
「名前は?」
「記者君、君は本当にしつこいな」
「仕事なので」
ドック・オクは呆れたように肩を竦めた。
ドック・オクが他の四人より明らかにSP//drをよく知っているのは間違いなさそうだが、これ以上訊いても本人に繋がるような情報は何も教えてくれなさそうだ。
「まあ、彼女も私のことは尊敬してくれているし、きちんとしないとな」
ドック・オクが何気なく付け加えたので、思わず私は顔を上げた。
「……何です?」
「聞こえなかったかね。彼女は私を尊敬していると言ったんだ」
「本人からそう言われた?」
「ああ、戦いの中で言われたとも。知性は特権ではなく、授かり物だ。そしてそれを人類のために使うべきだという私の言葉を彼女は覚えていてくれて、それを私に思い出させてくれた。これは、私のことを尊敬してくれているということではないのかね?」
……。
「何だね、その顔は」
「いや、結局あなたも、SP//drから特別に思われてると思ってるんだなって」
苦笑交じりの私の言葉に、ドック・オクは憤慨した。
「失礼な。私の場合は事実だ」
「スコーピオンやミステリオも似たようなこと言ってました。キャサディやヴァルチャーも」
「一緒にするな」
「根拠は?」
「わかるんだよ」
まあドック・オクがSP//drのことを気にかけているのは間違いなさそうだ、と察したちょうどそのタイミングで面会時間の終了を知らせるランプが点灯した。
「時間か。もう少し話したかったのだがね」
「こちらもです……最後に一つ、いいですか」
「どうぞ」
「もし彼女本人に取材できたとして、何か助言はありますか」
「そうだな……」
ドック・オクは眼鏡の奥で少し目を細めた。
「君が今まで聞いてきた連中の話を、そのまま本人に聞かせないことだ」
「どうして?」
私が訊ねると、ドック・オクは少し考えたあと笑った。
「ものすごく嫌な顔をするだろうからね」
その顔は少し見てみたい気もした。
レイヴンクロフトでの一連の取材を終えた翌日、私は社へ戻っていた。
結局、SP//drの正体そのものはわからなかったが、収穫が無かったわけではない。むしろここまでヴィランたちの証言を聞いてきて、ようやく少しSP//drという人物が見えてきた気がする。
若い少女。賢く、機械好きで、よく喋る。無鉄砲なくらい正義感が強く、犯罪者相手でも一人の人間として接する。そしてそんなふうに振る舞うことを当たり前としているからこそ、本人が思っている以上に誰かを救ってしまう。
……もっとも、その結果として「俺に惚れている」「私と波長が合う」「嫌われてるからこそ私は特別」「娘みたいなものだ」「私だけは本当に尊敬されている」などというおかしな連中が五人も出来上がっているわけだが、SP//dr本人にその自覚があるのかどうか。
まあ、最後の部分についてだけは記事に書くのはやめておくべきか。何しろ情報源が、SP//drとの関係を妙に特別視している重犯罪者たちだし。
編集部へ戻った私は、デスクの上に積まれていた書類を端へ追いやり、レイヴンクロフトで書き取った取材ノートを広げた。
さて、ここからが記者の仕事だ。
ヴィランどもの世迷言を片っ端から削り、証言として使える部分だけを拾い出し、SP//drというニューヨーク最大級の謎について一本の記事に仕立てる。
問題はタイトルをどうするか。
『謎のロボットヒーローSP//dr、その正体は若い女性か?』
……弱いな。
『ヴィランたちが語るSP//drの素顔』
こっちの方がまだマシか。
そんなことを考えながらキーボードを叩いていると、
「……すみませーん!」
不意に、すぐ横から声を掛けられた。
「デイリー・ビューグルの編集部ってこっちですよね?」
顔を上げる。
そこにいたのは、見覚えのない女の子だった。
日系人で、歳はかなり若い。高校生……いや、それより少し上くらいだろうか。
小柄な身体にカメラバッグを斜め掛けし、首からは一眼レフ。少し癖のある黒のショートヘアに、片手には写真の入った封筒を抱えている。服装もラフだ。少なくとも、新聞社へ仕事を持ち込みに来た人間の格好にはあまり見えない。
「そうだけど」
「よかった!」
私の答えに女の子はぱっと顔を明るくした。
「受付の人に『写真を売りたいなら編集部に行け』って言われたんですけど、誰に話しかければいいのか全然わからなくて」
初対面の人間相手にずいぶん気安いな。というか写真、ってなんのだろうか。
それを訊ねると、彼女は嬉しそうに封筒を差し出した。
「SP//drの写真。最近撮り始めたんです。よかったら見てもらえません?」
受け取って中身を見る。
そして驚いた。
一枚目は夜のマンハッタン。ビルとビルの谷間を、赤の巨体が糸一本で飛び抜けている。
二枚目は、警察車両の上を飛び越えながら、空中で身体を捻るSP//dr。
三枚目は戦闘中らしい。爆発を背に、倒れかけた街灯を片腕で支えながら、もう一本の腕で市民を庇っている。
どれも構図がよいし、とても近くで撮れていて画質も良い。
「……これ、君が撮ったの?」
「はい!」
「全部?」
「もちろん!」
かなり上手い。素人が偶然撮れた写真ではない。SP//drがどこを通るのか、あらかじめわかっていたような構図だ。
「どうやってこんな近くから?」
「勘とセンス……というのは冗談で、AI使ってるんです」
「AI?」
女の子はニコニコしながら答えた。
「撮影自体は自動です。SP//drがよく通るルート沿いのお店とかビルにお願いして、窓際や屋上に何台かオレンジパイ*1につないだ小型カメラを置かせてもらってるんですよ。AIにSP//drらしい動きだけ検出させて、自動で連写するようにしてて。SP//drって動きが速いから、人間がファインダー覗いて追っかけても間に合わないし」
「へえ、コンピュータ詳しいんだね」
「機械弄るの好きなんで。SP//drの写真撮ってるってお店の人にお願いしたら、面白がって何軒か置かせてくれたんです。あ、もちろんカメラは上向きにして、人通りはなるべく映らないようにしてますよ」
私はもう一度写真を見る。AIを使ったのか、それにしても確かによく撮れている。
「写真、勉強してたの?」
「高校でちょっと。理数系のコースだったんですけど、写真部に入ってて。高校も今年卒業して大学に入ったばっかりです」
「じゃあバイト?」
「ええ、お小遣い稼ぎです。まだ仕事って呼べるほど仕事してません」
そう言って笑った。
「だから今、あちこちに写真持ち込んでるんです。ほら、ビューグルって今SP//drを批判するキャンペーンを打ってるし、SP//drの写真ならビューグルが一番高く買ってくれそうかなって」
「それはどうだろうな」
「え、買ってくれないんですか?」
「交渉次第だ。ウチの編集長のジェイムソンはケチだからな」
「うわ、せちがらーい」
私が少し笑うと、彼女も楽しそうに笑った。
距離が近い。初対面とは思えないくらい自然に話す。イマドキの女子は私のような成人男性に対してもこうなのだろうか。
突然、彼女は私の机の上を見た。私が開いたままの取材ノートを見ている。
「あっ、それ、SP//drの記事? ヴィランに取材したんですか?」
「よくわかったな」
「スコーピオン、ミステリオ、クレア=キャサディ……えっ、ヴァルチャーにドクター・オクトパスまで? こんなに話聞いたんですか?」
驚いたように目を丸くする女の子に私はちょっと得意げになりそうになるものの、ぐっと堪えて社会人の表情を取り繕う。
「まあ、仕事だからな」
「いやいや、それでもすごいですよ! あのおかしな人たち……じゃなくてヴィランたちから話を聞くなんてなかなか出来ることじゃないです」
彼女は妙に感心した様子でノートを覗き込んだ。肩が触れそうなくらい近い。私はさりげなく姿勢を正した。
やがて彼女は、机に貼られたスクラップに気づく。
「……わたし、前にあなたの記事読んだことあるかも」
「俺の?」
「たぶん。ほら、机に貼ってあるこのライフ財団の汚職に関する記事」
「ああ……」
覚えている。割と苦労した記事だ。ライフ財団がホームレスを集めて人体実験をしていた疑惑についての連載記事で、警察は口が重いし、関係者は取材を嫌がるし、財団の連中には露骨に脅され、挙句の果てには恋人から振られる原因にもなった。結局真相には行き着けず取材終了となったものの、この女の子はそれを読んでいたのだという。
「面白かったです。事件そのものより、社会の弱者たちが巨大な陰謀にどう巻き込まれていったのか、そういう人たちに寄り添うような形で書いてたのが」
「よく覚えてるなあ」
「文章が好きだったから」
さらっと言ったが、本人はそれが何か特別な発言だとも思っていないらしい。
写真を覗き込んでいる彼女の横顔を、私は少しだけ見た。よく笑う子だ。話している相手の顔をきちんと見て、人の仕事について興味を持ち、しかも記事まで覚えている。
「そういえば、名前聞いてなかったな」
「あ、そうでした」
彼女はようやく気付いたように顔を上げた。
「ペニーです。ペニー=パーカー。よろしくお願いします。それで記者さんは?」
私は名刺入れを探した。机の上にはなく、ジャケットの内ポケットを探ると出てきた。
名刺を両手で受け取ったペニーは、そこに書かれた名前を読んだ。
「エドワード=ブロックさん……エディさんでいいですか?」
「好きに呼んでいいよ」
「じゃ、エディさんで」
早いな。初対面からファーストネームか。まあ若いし、こういうこともあるのかもしれない。
「エディさん、この記事、完成したら読ませてもらってもいいです?」
新聞に載れば嫌でも読めるだろう。
それを言うと、ペニーは首を振った。
「そうじゃなくて、一番最初に読みたいんです」
「……なんで?」
「だって面白そうじゃないですか。SP//drのことをこんなにちゃんと調べてる人あんまりいないし、わたしエディさんの文章好きですし」
そう言って、私の名刺を大事そうにカメラバッグへしまう。
「じゃあ、編集長に写真の話をしてきますね。またあとで!」
「ああ」
「エディさんも記事頑張ってください!」
ペニーは手を振りながら、編集部の奥へ小走りで去っていった。
私も軽く手を挙げて返し、それからしばらくその背中を眺めた。
「……エディさん、ねえ」
人懐っこい少女だった。初対面なのにずいぶんとあっさり懐かれたものだ。
それに私の記事を前から読んでいたらしい。ライフ財団の記事なんて、社内でもそれほど話題になったわけじゃないのに、内容まで覚えていた。
不意に、さっきの言葉を思い出す。
『文章が好きだったから』
私は書きかけの記事へ目を落とした。数行打ってみるが、どうにも集中できない。
しばらくして、ふと顔を上げると、編集部の奥で写真を広げていたペニーと目が合った。向こうもこちらに気づいたらしい。ニコリと笑ってまた小さく手を振ってきたので、私も手を挙げて返す。
……ははーん、なるほど。私は理解した。
考えてみれば妙な話だ。編集部には十数人の記者がいるのだから、写真を売りに来ただけなら手近な誰かに声を掛ければ済む話である。単に写真を高く売りたいだけ? 記者の機嫌を取って、口利きでもしてもらうつもりか? ならば最初から編集長のデスクに行けばいいだけだろう。
なのにペニーはわざわざ私の机の前で足を止めた。あるいは写真の件は口実で、もっと違う理由があったのかもしれない。
それになにより、ペニーは私の記事を覚えていた。なら顔や名前だって最初から知ってたっておかしくはないじゃないか。
これらの事柄が指し示す結論はただ一つ。
つまり、ペニーは俺のこと好
おわり。スパイダーバース原作とはだいぶ設定が違うんだけど、まあいいじゃないですか。