幼女転生〜異世界でも神なぞ信じない〜 作:Isshinfuran
グレイラット家の双子は、手のかからない子供だった。
少なくとも、ゼニスはそう言っていた。
「二人ともいい子で助かるわ。もっと大変になると思っていたのに」
「……そうでございますね」
洗濯物を畳みながら、リーリャは答えた。
間違ってはいない。
食事も睡眠も比較的規則正しく、理由もなく長時間泣き続けることはない。姉弟で玩具を奪い合うこともなければ、片方が泣いたからといって、もう片方まで泣き出すこともなかった。
大人にとってはありがたい。
ありがたい、はずだった。
それでもリーリャは、二人きりでいる双子の部屋へ入る前、必ず一度、足を止めてしまう。
中から声が聞こえない。
子供のいる部屋というのは、これほど静かなものだっただろうか。
……
姉のターニャは、おとなしい子供だった。
何かをじっと見ていることが多い。
リーリャが寝具を替えていると、その手元を見ている。窓を開ければ窓へ顔を向け、食事を運べば盆の上へ視線を移す。
初めは、動くものが珍しいのだろうと思っていた。
だが、どうも違う。
ターニャは、リーリャが部屋を出入りするたびに戸口を見る。パウロが帰宅すると、その声が聞こえた瞬間に顔を上げる。ゼニスとリーリャが話しているときには、話者が替わるたび、そちらへ視線を動かした。
まるで、話を聞いているように、
ある日、リーリャは畳みかけの布を一枚落とした。
拾おうと腰をかがめるより早く、ターニャの小さな手が伸びる。
布を持ち上げた少女は、こちらを見て動きを止めた。
そして、急に布を振り始めた。
「あー」
楽しそうな声だった。
つい今しがたまで、何かを考えるように黙っていたのに。
「ありがとうございます、ターニャ様」
差し出した手へ、布が置かれると少女はにこりと笑った。
︎リーリャも微笑み返したが、胸の奥に引っかかるものが残った。
︎︎今の笑顔は、いつ浮かんだのだろう。
褒められて嬉しくなったのか。
それとも、褒められたから笑ったのか。
その違いを考え始めると、妙に落ち着かなくなった。
ただ、ターニャは呼べば振り向き、危ないと止めれば手を引く。抱き上げられるのを嫌がることもない。
不思議な子ではある。
しかし、何をしてほしいのかは伝わる。
弟のルーデウスは、そうはいかなかった。
……
「ルーデウス様?」
返事がない。
少し前まで敷物の上にいたはずだった。
リーリャは廊下を見て、卓の下を覗き、椅子の陰を確かめた。名前を呼びながら部屋を移る。
ようやく見つけたのは、物置の隅だった。
ルーデウスは棚に並ぶ品々を見上げていた。
手を伸ばしているわけではない。遊んでいる様子もない。ただ一つずつ、順番に確かめている。
口が動いていた。
リーリャには聞き取れない短い音が、何度も繰り返される。
「こんなところにいらしたのですね」
声をかけると、ルーデウスは振り返った。
その顔を見て、リーリャの足が止まる。
驚いた顔ではなかった。
見つけてもらって喜ぶ顔でもない。
ほんの一瞬、面倒なところを見られたとでも言いたげに、眉が寄った。
次の瞬間には笑っていた。
両手を伸ばし、抱いてほしいと求めてくる。
リーリャは身をかがめ、言われるままに抱き上げた。
軽い。
まだ何もできない、小さな子供の重さだった。
それなのに、肩越しに物置を見直している顔が気になった。
何を確かめていたのだろう。
あの声は何だったのだろう。
問うても答えられる年齢ではない。そう自分に言い聞かせながら、リーリャは物置の戸を閉めた。
似たことは何度もあった。
誰もいない部屋から、低い笑い声が聞こえる。
覗けば、ルーデウスが一人で何かを見ている。
こちらに気づくまでの顔と、気づいてからの顔が違っている。
ターニャにも、そうしたところはあった。
けれど姉は、周囲を見てから静かに振る舞いを合わせる。
弟は、自分だけの考えに深く入り込み、突然こちらへ戻ってくる。
リーリャには、その戻ってくる瞬間が怖かった。
目の前の顔へ、誰かが慌てて子供の表情をかぶせたように見えた。
もちろん、そんなはずはない。
二人とも、リーリャ自身が世話をしてきた子供なのだから。
……
ある晩、リーリャは双子の寝床のそばに、小さな魔除けを置いた。
故郷で見慣れた、糸を結んだだけのものだ。
何かがいると決めつけたわけではない。
ただ、悪い夢を遠ざけるものなら、子供のそばに置いても損はないと思った。
翌朝、ターニャがそれを見ていた。
手に取ることもせず、枕元の結び目をじっと眺めている。
「よく眠れるように、お守りでございます」
説明すると、少女はこちらを見た。
次いで、隣で眠るルーデウスへ目を向ける。
最後にもう一度、魔除けを見た。
リーリャは、なぜか言い訳をしたくなった。
「お二人とも、元気に育たれますように」
ターニャは小さく頷いた。
それだけだった。
叱られたわけでもないのに、リーリャはそそくさと部屋を出た。
翌日から魔除けを増やすことはやめた。
……
魔よけが効いたのかさだかではないが、やがて、ルーデウスの居場所は探しやすくなった。二階の書斎、といっても本が五冊置かれているだけの簡素な部屋だった。
ルーデウスはそこで本を開き、長い時間を過ごすようになった。相変わらず時折何かを呟いていたが、以前のように家中を動き回ることは少なくなった。
ある午後、リーリャが様子を見に行くと、ターニャもいた。
二人は床に並んで座っていた。
一冊の本が、二人の膝の間に置かれている。
「これは?」
ターニャが頁を指す。
「くにの、なまえ」
「こっちは?」
「……わかんない」
ルーデウスが首をかしげる。
姉も同じように首をかしげた。
しばらく二人でそこを見つめた後、ルーデウスが次の頁をめくった。
リーリャは戸口に立ったまま、しばらく眺めていた。
文字を読んでいるのだろうか。
いや、パウロが読み聞かせた内容を覚えているだけかもしれない。
そう考えるには、二人のやり取りはあまりにも滑らかだった。けれど、だからといって何だというのだろう。
ルーデウスが本を自分の方へ寄せすぎると、ターニャが端を引く。
弟は姉を見て、少しだけ本を戻す。
次の頁では、姉が弟の指をどけようとして、逆に手を押さえられた。
「まだ」
ルーデウスが言う。
ターニャは手を引っ込め、待った。
リーリャは、知らず肩の力を抜いていた。
何を考えているのかわからない子供たちだった。
それでも、二人でいる姿は、確かに姉弟に見えた。
「リーリャ?」
先に気づいたのはターニャだった。
ルーデウスも顔を上げる。開いていた本の上へ、とっさに手を置いた。
「そろそろ、おやつにいたしましょう」
「うん」
ターニャが立ち上がる。
ルーデウスは少し残念そうに頁を見下ろした後、本を閉じた。
リーリャは二人が廊下へ出るのを待ち、後ろからついていった。
階段の手前で、ターニャが立ち止まる。
続いてルーデウスも止まった。
二人とも、リーリャを見上げている。
一人ずつ連れて下りてほしいのだ。
こういうところは、まだ小さな子供だった。
「はい。順番でございますよ」
リーリャは先にルーデウスへ手を差し出した。
小さな指が、その指を握る。
今度はためらわず、握り返すことができた。