——ああ、イライラする。
ある日の夜、あたしは一人ベッドで寝転がっていた。夜になって何かを食べたくなってイライラすることは良くある。でもそれはいい。なんとしても食べるだけだ。
「なんなんだよ……訳分かんないこと言いやがって……」
心臓の高鳴りがイライラを加速させる。事の発端はそう……屋上でいつものようにファミリーのみんなと過ごしていた時だった。
「紅葉は胡桃さんのを揉んでいる時が一番落ち着くのです」
「は?」
流れもへったくれもない不意の一言だった。
「一番って……恋太郎先輩はどうなんだよ」
「恋太郎さんのを揉んでいる時は一番興奮するのです……!」
「なんだよそれ」
しかも会話はこれで終わりだ。何を伝えたかったんだあいつは……。不思議ちゃんと言うか……気まぐれな所があるから、今回のも多分そうなんだろう。そう、思い込もうとしてどれくらい経ったんだ。
「それじゃまるで紅葉にとってあたしは恋太郎先輩と同じくらい……」
——ああ、いつまで経っても堂々巡りだ。どうしてこうなっちまったんだ。ファミリーに入ってくる前はいつもなんか揉んでる変なやつだったのに。いや……だからか。段々と紅葉のことが分かってきたんだ。一緒に登山した時、パン屋を開いた時、大福を買いに並んだ時……。恋太郎先輩と出会う前は悪癖と信じ込んでいた食欲に駆られてイライラする体質。迷惑をかけてるのはあたしの方なのに、あいつは譲歩して……色々考えてくれて……向き合ってくれた。惚れちまったんだ。そんなところに。
「だからどうしろってんだあたしに……」
ただでさえあたし達は恋太郎先輩と付き合ってるってのに、その上同性のことを好きになるなんて。もし……紅葉の方もそういうつもりだとしたら、どうすりゃいいんだ。結局答えなんて出ないまま、あいつのことを考え続けている。
「はぁ……紅葉まんじゅう食いたくなってきた……」
食べたらイライラは少し収まった。……今の今まで紅葉のことばかり考えてて気付かなかったけど、なんで今日に限って恋太郎先輩はこいつを渡してくれたんだ。タイミングが良すぎるだろ。
「昨日の? 紅葉ちゃんが渡して欲しいって」
「紅葉が……?」
翌日。聞きに行ったら思いもよらない返事が返ってきた。意味分かんねえ……。
「何かあったなら相談に乗るよ」
「……! ……お願いしてもいいかな」
お詫びの品か何かだと思ったんだろう。先輩が心配そうに覗き込んできた。こんなこと相談できるのは先輩しかいなかった……。言葉を紡ぐ間、いや言葉に詰まっても、先輩は待ち続けてくれた。おかげで少し頭の中が整理できた。
「……そっか。気付けなくてごめんね」
「そ、そんな! あたしの方こそ先輩以外の人を好きになっちゃって……」
「えっ。いや……それは構わないよ。俺自身みんなが許容してくれているから、こんな形でみんなを愛せてるんだし。それに……」
「……それに?」
「好きって気持ちは理屈とか運命じゃなく、心で想うものだから」
「心で……」
確かにあたしは女性同士とかそんなことより先に好きって気持ちが湧いてきた……。
「伝えておいで。紅葉ちゃんに」
「で、でも……」
「振られるのは世界から自分がいらないって言われてるみたいで怖いよ。それでも……言葉にしないと伝わらないことがあるから」
「あ……!」
昨日の会話……本当は紅葉は待っていたのかもしれない。あたしの言葉を。
「……行ってくる!」
「行ってらっしゃい」
後押しを受けてあたしは紅葉を呼び出した。
「どうしたのですか急に。どこも凝ってはいないようですが……」
「あの……さ! あたし……紅葉のこと、好きだ!」
「え……」
すぐに伝えないと口が開かないような気がして、勢いで放ってしまった。紅葉は唖然としている。そりゃそうだよな……。沈黙が場を満たした。その代わりに心臓の高鳴りがうるさいくらい響いていた。
「どうして……」
「……!?」
心臓が一際跳ね上がった。紅葉の目から涙が溢れていく。
「なんでですか……全然分からないのです……」
「う……急にこんなこと言われても、だよな」
「そうじゃないのです。嬉しいのです……」
「えっ!?」
「昨日のプロポーズの反応見るにてっきり脈無しかと……」
「プロポーズ!? 無茶言うなよ……分かりづらいんだよ」
「にぶちんなんだと思って紅葉まんじゅうで考えさせたのが効いたのですか……?」
「馬鹿……そんなことしなくても紅葉のことばっか考えてたよ」
「えっ……!?」
見る見るうちに顔が赤くなっていく。普段の無表情振りからは考えられないくらい色っぽくて、可愛い……。
「好きだから。嫌われたくないから。そうかもと思ってもすぐに返事できなかったんだよ。……悪かったな」
「いえ……紅葉も好きなのです。胡桃さんのこと」
「あたしだけが好きなんだと思ってたよ……。だって好かれるようなことした覚えなかったし」
嬉しいのに素直な言葉が出てこない。そんな自分が恨めしい。
「そんなことないのです。胡桃さんは優しいのです。紅葉のパンも美味しそうに食べてくれるのです。好きがいっぱい集まって大好きなのです……」
「あたしも……」
それ以上は言葉にしなくても伝わってきた。心と心が想いで繋がっていた。
「ん……」
唇と唇が重なり合った。抱いていたイライラが溶けて……全部好きに変わっていく。これが紅葉の味……。
「胡桃さんの感触……やっぱり落ち着くのです」
「なんだよそれ。……ははっ」
「ふふ……」
相変わらず心臓は高鳴りを続けている。今はそれが不思議と心地良かった。