いつもと変わらないファミリーの皆と歩む通学路。メイドの家系に生まれた
「おや。君の無垢なメイド服にほつれ糸が紛れ込んでいるよ」
「へっ? 身だしなみは整えてきたんですけど……どこですか?」
「ほら、ここ——」
すると
「今日も可愛いね」
他の誰にも聞こえないような小声で囁かれました。
「はひっ!? な、なにを……糸は?」
「すまないね。君とボクを結ぶ赤い糸だったようだよ」
「なあっ……!?」
まただ。今日もからかわれてしまった。警戒しているつもりでも、すっと懐に入ってきてしまう。顔を赤くする妹を見て、満足したように上品な微笑みを浮かべると、マントを翻して先に行ってしまった。一体どういうつもりなんでしょうか。おかげで最近詩人さんのことばかり考えています。まあその……イケメンにイタズラされる感じは割と妹の好みというか。違う! そんなこと思ってない!
「おんぎゃーっ!?」
「大丈夫ですか、妹?」
「お、お姉様……! ありがとうございます」
石につまづいてド派手にすっ転んだところをお姉様が颯爽と助けてくれました。今日も素敵です……! と、見惚れていた時でした。こちらに振り向いた詩人さんの顔が……寂しそうに映ったのは。すぐに前を向いて見えなくなり、やけに胸が締め付けられます。なんなんですか……一体。
「そりゃー妬いてるんじゃーん?」
学校に到着し、いつものように散らかった百八さんのテントの片付けをするついでに相談すると、お気楽な返事が返ってきました。
「何を馬鹿なことを……。別に妹と詩人さんはそこまで親密なわけじゃないですし」
「えー? あたしと妹も知らない仲だったけど、こんなに親密じゃーん」
「べ、別にあなたとも親密なわけじゃありません!」
当然のように片手で抱き寄せられて、こちらは両手で引き剥がしました。あなたって人は……ッ。
「そうだなー。実際妹は詩人のことどう思ってる?」
「え……そりゃ顔が良いですし、男子の制服も似合っていましたから少しは妄想したりもしますが……」
まあ少しというか、かなりしていて、たまに視線に気づかれたりもしますが……
「エッチなやつ?」
「あなたと一緒にしないでください!」
「あっはっは! じゃあ二人で話したりは?」
「そこまでは……。淹れた紅茶を褒めてくれたりはしますけど。あとは妹が転びそうになった時に支えてくれたりとか?」
こうして纏めてみると、意外と気遣いができる人なんだなと思いました。お姉様とはまた違って、隙あらばお節介を焼いてくれるタイプというか。「本当妹はしょうがないね」とか言ってくれそう……ああ、いやそれはもう言われ——!?
「どっしぇー!?」
「おっと。妹は妄想してる時はぼーっとしちゃうんだよなー」
「う……それは面目ないです」
バナナの皮で滑って盛大に転んだところを抱き止められる。うう……詩人さんのことが気になるようになってからというものの、ドジが二割増しで増えた気がします。
「普段しっかりしてるからいーんだよ。それより詩人と話してみれば?」
「お話ですか……。またからかわれそうな気もしますけど」
「かもなー。けど話してみないと分からないこともあるからさ」
「……まあ。それはそうかもしれませんね」
私生活のだらしなさとは裏腹に、やはりこの人は倫理教師だなと感じました。妹の中から、自覚のなかった印象を引き出し、コミュニケーションを取ることを促してくる。おかげで妹も気持ちの整理がつきました。
小気味のいい足音が響く。いつもは誰かと一緒に屋上に向かうから、話し声で聞こえていませんでした。それがなんだか心臓の鼓動と同期しているようで緊張してしまいます。扉を開く前に一度深呼吸を挟み——
『お話があります。屋上に来てください』
『奇遇だね。僕も会いたいと思っていたところだよ』
——呼び出しの際のやり取りが過ったせいで、心臓の高鳴りは止まりませんでした。仕方なくこのまま扉を開くと、オカリナの音が聞こえてきます。お世辞にも上手いとは言えませんが、たまに聞かないと落ち着かないくらいには聞き慣れてしまいました。すると詩人さんは演奏に夢中で、こちらに気づいていないようでした。
「わっ」
「ひゃあ!?」
その隙を見逃す妹ではありませんでした。背後から近づいて驚かすと、詩人さんの素のリアクションを引き出してみせました。
「ふふん。普段の仕返しです!」
これで詩人さんも思い知ったことでしょう。
「……君は本当にボクの心をくすぐるのが得意だね」
「へっ?」
赤面しながら口元に手を添える詩人さんにドヤ顔を見せつけていると、一転して怪しい笑みを浮かべてきます。そこにはこれまで妹が妄想してきたいずれにも当てはまらないような、妖艶さが含まれていました。
「い、言っておきますけど妹の好みは年下じゃなくて、お姉さん系ですからねっ!」
開いてはいけない扉を開けてしまったような気がして、慌てて後ずさりを始める。
「なんだ、そんなことか。そんなもの楠莉にお願いして、19歳になる薬を作ってもらえばいいだけの話だろう?」
「なっ……! そ、そういう問題じゃありませんッ!」
「どうして? 君にとって姉とは年齢なんだろう?」
「違いますよ!
「なら年下のボクが姉になっても問題ない——とも言えるね」
けれど、じりじりと追い詰められてしまう。思えばレスバの鬼のような詩人さん相手に言い負かそうなんて無謀だったのかもしれない……そんな後悔も時すでに遅し。妹なりに抵抗してみせます!
「……い、いやあるでしょう! 勝手に他人の姉を名乗るなんて!」
「ふふ、わざとかい? 君は実際に血縁関係のない芽衣の妹を名乗っているじゃないか」
「あれっ!?」
あっさりやり込められると、背に壁が触れて下がれなくなる。すかさず詩人さんが壁に手をついた。上目遣いでの壁ドン……!? こんなの、妹のデータにはないですよ!?
「はひ……はひ……」
「それに君がいけないんだよ。ボクのことをいけない目で見ていたよね」
「うう……ちょっとだけ見てました……」
「前に薬でイケメンの心になった時もね。君は追い払ったけれど、本当はあと一押しだったことも分かっていたんだ」
「バレていたんですか……ならどうして?」
「決まっているだろう? ……薬の力なんかじゃなくて、ボクの魅力で君を落としたかったのさ」
見なくても分かってしまう。妹は今顔が真っ赤になってしまっていると。それを詩人さんにまじまじと見つめられるのが、嫌じゃない。気づくのが遅かった。詩人さんになら身を委ねてもいいと、心のどこかで思っていたんです。惚れた弱みというやつなのかもしれません。
「ほら、妹」
「ああ……」
顎クイで引き寄せられてしまう。もはや妹に抵抗する気力なんかありませんでした。それもこれも詩人さんが悪いんです。目を閉じて全ての責任を彼女に押しつけることにしました。するとすぐにその時は訪れました。
「……えっ。お、おでこに!?」
思わず目を見開きました。おでこに短くキスをした詩人さんはしてやったりと言わんばかりの表情を浮かべてきます。
「ボクと妹は姉妹だからね。恋人のようなキスはしないのさ。ただ——上書きはしておきたくてね」
ゾク……っとする感覚が身体中を駆け巡りました。何を言わんとしているのかはすぐに分かりました。例のイケメンの心騒動の際に、お姉様がおでこにしてくれた事故チューのことを指しているのだと。
「ボクたちは恋太郎ファミリーだからね。愛がいくつあってもいい。だから独占するつもりはないんだ。それでも、君にとって大きな存在でありたいとも思ってしまうんだ」
「そんなの……矛盾してます」
「二律背反——というやつかもしれないね」
「お姉様は妹にとって今でも憧れの存在です。たとえ恋太郎さんでも、詩人さんでも、それより大きいなんて……感じたくありません」
「妹……」
——ああ。どうして詩人さんが、からかうことしかしなかったのか。これ以上進んでしまったら、お姉様よりも愛されたいと願ってしまうから。けれどそれは妹が望むことではないから……。でももう後戻りはできません。
「だから……ッ!」
「ひゃむ!?」
前に出て詩人さんの唇を奪ってやりました。言い訳できないよう長く、目も逸らさずに。やがてゆっくりと離れると、お互い話せるようになるまで少し時間がかかるほど呼吸が荒くなっていました。
「……ふぅ。残念でしたね! キスした以上はもう姉じゃいられません。恋人です!」
「それだと今度は恋太郎と……」
「まだ恋太郎さんのこと認めたつもりはないですし! ……妹も別に好きな人のことを素直に愛せるわけじゃありません。嫉妬に荒れ狂うことだってザラにあります。誰であってもお姉様より上になろうとするのなんて嫌いです。でもそれ以上に妹に大好きだって思わせてくれたらいいんです」
唇を閉ざしていた蓋が外れたから、心の奥底から言葉が出てきてしまいました。これも詩人さんのせいです。妹は悪くありません! 対して詩人さんはキョトンとした顔をしてから、吹き出しました。
「……ふふ。本当に困った
「だ、だから! あなたは姉じゃなくて……!?」
反論を封じるようにまた唇で閉じられてしまいました。短く、それでいて強く押しつけられるようなキス……。離れた唇から糸が引くのがまるで官能小説のワンシーンのようで、心臓が跳ね上がってしまう。
「いつか呼ばせてみせるよ。ボクのことを、お姉様——とね」
「ぜ、絶対に呼んでなんかあげませんから……」
せめてもの反証も尻すぼみになってしまう。だって最後に詩人さんが見せてくれた顔は妄想の何倍も愛おしくて、心が大好きだと叫んでしまっていたから——違う! そんなこと思ってない!
該当話、妹のイケメンヒロインパラダイスにおいて、凪乃・姫歌・詩人が追い払われる時に、詩人だけ仕方なさそうに溜め息をついてるのを、これでもかと拡大解釈しました!!!