真王ガノンドロフ 作:ミスターソード
刃を持って向かい合う敵ほど、分かりやすいものはない。
振り下ろされる剣には速さがあり、突き出される槍には届く長さがあり、放たれた矢には風によって曲げられる軌道がある。どれほど卓越した使い手であろうと、その身を動かすより先に殺意を消すことはできず、目を見て、肩を見て、足が踏み締める地面を見れば、次に何をするつもりであるかは自ずと知れる。
だが、言葉には形がない。
忠誠を口にしながら裏切ることも、相手を憎みながら正しい言葉を選ぶこともでき、一度耳へ入ったものは剣のように叩き落とすこともできず、時に己の内から生まれた考えと見分けがつかぬまま、長く心の奥へ残り続ける。
故にガノンドロフは、言葉よりも力を信じた。
誰が何を語ろうと、その全てを打ち砕く力があればよい。
その考えが自分だけのものであったのか、それとも遥かな過去から流れ込んだ何者かの言葉であったのかを、疑う必要すらなかった頃までは。
−−−−
ハイラル王へ臣従を誓った翌朝、ガノンドロフは客室の卓へ幾つもの小石を並べていた。
白い石はラウル、その隣に置いた二つはソニアと未来から来たゼルダ、離れた場所へ置いた五つの赤い石はアルディと四人のゲルド近衛であり、その背後に広げた砂色の布は、ここから遠く離れた同胞と、乾いた大地そのものを表している。そして卓の中央には、どちらの側へも属さぬ黒い石が一つあった。
自分自身である。
ラウルを殺すのであれば、まずソニアとゼルダを引き離し、城内に潜む兵の目を逸らした上で、光を放つ暇を与えず首を落とさねばならない。その後に三人の秘石を奪い、ゲルドの近衛と合流して王城を脱出するまで、ハイラルの兵が動き出すより僅かでも早く事を進める必要がある。
その一部は、未来で既に成功させたことでもあり、ソニアを欺き、殺し、秘石を奪ったところまでは覚えているが、その先にあるのは、光に身を縛られた長い封印と、自我を失った龍としての死であった。黒い石を白い石へ近づけると、胸の内から、今ならばできるという確信が湧き上がった。
未来で敗れたのは、ラウルの力を見誤り、封印を許したからに過ぎず、既に結果を知る自分が同じ失敗を繰り返すはずはない。先にラウルを殺し、光さえ奪えば、秘石によって増幅された闇を御し、勇者が生まれるより先に脅威を除き、その手へ渡るはずの退魔の剣も、再び力を取り戻す前に滅ぼせる。
あまりにも正しく、心地よい考えであった。
だからこそ、ガノンドロフは黒い石を元の場所へ戻した。
秘石は、持ち主が元より備える力を増幅するだけのもの。ラウルを殺して石を奪ったところで、自分の身へ光が宿るわけではない。その事実を昨夜は確かに理解したはずであるのに、光が消えて一夜が過ぎただけで、思考は再び、奪えば全てを手にできるという結論へ塗り替えられていた。
黒い石を、今度は赤い石の側へ置き、ゲルドへ戻って兵を整え、別の方法でハイラルを攻める道を考えてみても、その先は最後には白い石を砕き、秘石を奪う場所へ繋がっており、戦わずラウルの傍らへ留まる道を選んだところで、それさえ、いずれ隙を見て殺せという考えに変わる。
卓の上に幾つ道を作ろうと、黒い石は白い石へ向かう。
まるで、自分の意思によって動かしているのではなく、目に見えぬ糸で引かれているように。
「随分と駒の少ない戦をしておられますな」
窓辺から声を飛ばしたアルディは、外に置かれた兵の位置を確かめ終えたらしく、壁へ背を預け、卓の上を眺めていた。
「敵が一人であるなら、駒の数など関係ない」
ガノンドロフは黒い石を握り潰し、細かな欠片を卓へ落とした。
その手を見たアルディの目が僅かに細められたが、何も問うことなく、城内を歩く許しが出たことと、当然ながら監視が付くことだけを報告する。
ガノンドロフは、兵の数でも、王城から逃れる道でもなく、城内を巡る水路と、石を組む技術を調べるよう命じた。
「敵地へ来て最初に盗むものが、水の流れる溝とは」
「盗めとは言っておらぬ。どこから入り、どこへ流れ、どれだけ捨てられているのかを見てこい」
何に使うのかと問う目へ答えを与えぬまま、ガノンドロフは掌に残った黒い石の粉を払い、窓の外へ視線を向けた。
王城の庭を巡る水が朝日を受け、遠目にも白く輝いている。
あの流れを砂漠へ運ぶことはできず、土地を奪い、民を移せばよいという考えが胸へ浮かんだものの、その先に見えたのは、誰もいないゲルドの街と、砂に半ば埋もれた小さな玉座であった。
未来の最後に触れた風が、何を伝えようとしていたのか。
答えは未だ、形を持たなかった。
−−−−
二夜目、約束の刻より僅かに早く庭へ入ったガノンドロフを、ラウルは昨夜と同じ水路の傍らで待っていたが、その手に光はなかった。
「見せろ」
「断る」
あまりにも迷いのない返答に、ガノンドロフの眉が動いた。
昨夜は求めるより先に光を見せておきながら、今日は何を惜しむのかと問えば、ラウルは、昨夜あの力を使ったのは自分が望んだからであり、今宵も同じように命じられる理由はないと、極めて当然のことを告げる。
「対価が欲しいのか」
「話が早くて助かるよ」
ガノンドロフが差し出せるものとして最初に挙げたのは、既に広間で誓ったゲルドの臣従であったが、ラウルは一つのものを二度受け取る趣味はないと退け、土地も、兵も、宝も求めず、光へ触れている間に何を感じたのか、偽らず話すことだけを求めた。
敵へ己の内を明かすことは、城門を開き、兵の数を教えることに等しく、まして、そこには自分でさえ知らぬものが潜んでいたが、何も知らぬまま力に呑まれ、同じ未来へ至ることは、それ以上に耐え難かった。
「よかろう。ただし、俺が答える価値のない問いまで口にすれば、その舌を引き抜く」
ラウルは、それでは対価を決める者が違うのではないかと笑ったが、それ以上条件を重ねることなく右手を上げた。
浮かんだ光は、昨夜より僅かに強い。
皮膚の下へ熱が入り込み、骨と肉の隙間を探るように全身を巡る。胸の奥に潜むものは、近づく光へ牙を剥き、逃げろ、殺せ、先にその腕を引き千切れと、ガノンドロフ自身の声を使って叫び始めた。
右手へ黒い魔力が集まったが、ラウルは動かず、ガノンドロフもまた、拳を握るだけで、その力を放とうとはしなかった。
やがて熱が胸の中心へ届くと、怒号は遠ざかり、後には昨夜と同じ静けさが残った。
痛みを問われたガノンドロフは、全身を内から焼かれていると答え、その状態で魔力を使えるか試すよう求められると、右手を開き、掌の上へ黒い炎を浮かべた。
光に触れても、炎は弱まっていない。
色も、熱も、これまでと変わらず、意のままに形を変える。ラウルが焼いているのは、ガノンドロフの闇でも、魔力そのものでもなく、その力へ絡みつき、思考を一つの方向へ引こうとする何かだけであるらしい。
「静かになった。それだけだ」
ラウルは頷いて光を消したが、それが対価に見合う答えであったのかは語らず、ガノンドロフの掌に残った黒い炎と、再び熱を取り戻し始めた胸の間へ、長い視線を置いていた。
−−−−
三日目、ガノンドロフは監視の兵を従え、王城の内を歩いた。
城壁の高さ、兵の交代、武器庫へ続く道を意識して見ずとも、戦を生業とする者の目はそれらを拾い上げ、記憶の中へ正確に置いてゆく。
だが、彼の足を最も長く止めたのは、庭から庭へ水を運ぶ細い水路であった。
高地から引かれた水は城の上部へ蓄えられ、飲み水として使われた後、幾つもの庭を巡り、石床の熱を奪い、最後には城壁の外へ流されている。花を育てるために使われる量だけでも、ゲルドの街ならば多くの者が一日を生きることができるだろう。
水路へ手を入れると、冷たい水が、砂漠の熱を知る指の間を流れた。
奪え。
胸の奥から湧いた声は、この土地を奪い、水も、緑も、風も、全てをゲルドのものとせよ、持ちながら無駄にする者から、力ある者が取り上げることの何が悪いと、答えを求めることすら許さぬ強さで訴えた。
昨日までならば、疑うことなく自らの考えとして受け入れていただろう。
今も、奪いたいという望みが己の内にないとは言わないが、土地は荷のように砂漠へ持ち帰ることができず、水は流れる場所を離れればいずれ尽き、ハイラルの民を追い出した豊かな大地へゲルドの全てを移したところで、そこはゲルドではない。
未来の自分は、眼下に広がる緑を手に入れようとし、最後には何一つ持たぬ龍となったのだから、奪った先に何があるのかと問いを向けた途端、胸の声は答える代わりに、別の熱をガノンドロフへ送り込んだ。
水路の向こうを、ゼルダが歩いている。
腕には幾つかの書板を抱え、隣にいるハイリアの女へ何事かを伝えながら、こちらへ近づいてくる。
殺せ。
水を奪えと叫んでいたものが、何の繋がりもなく形を変えた。
あの女の首を折れ。
秘石を抉り取れ。
いつか退魔の剣を勇者へ届ける前に、その血をここで絶やせ。
ガノンドロフの指が、水路の縁へ食い込んだ。
ゼルダも彼の視線に気づき、足を止める。
その目へ浮かんだ警戒を見た瞬間、白龍の背に立つ勇者と、眉間へ突き立てられた剣の感触が蘇ったが、目の前の女は未だ龍ではなく、退魔の剣も持たず、ガノンドロフへ何一つ刃を向けてはいない。
未来を知っているから殺したいのか。
違う。
水を求めていたはずの思考を押し退け、理由もなく現れた殺意を、ガノンドロフは自らの望みとして認めることができなかった。
立ち上がり、ゼルダへ背を向ける。
監視の兵が何事かと身構えたが、ガノンドロフは振り返らず、その場を去った。
背中へ向けられたゼルダの視線は、姿が見えなくなるまで離れなかった。
−−−−
三夜目、ラウルはガノンドロフが城内の水路を調べていたことへ触れた。
監視を付けている以上、何を見たかまで報告されることに驚きはなく、ガノンドロフは、使い切れぬ水を石の汚れと共に捨てる国に、王を名乗る資格があるのかと吐き捨てた。
ラウルは怒らず、ハイラルに水と緑があるのは、王である自分の力によって生み出したものではなく、初めからこの土地へ与えられていた恵みであり、持つ者にはそれを守るだけでなく、届かぬ場所へ渡す責任もあると考えているらしい。
「施しなど要らぬ」
「誰が無償で与えると言ったのかな」
ラウルは、ゲルドが持つ砂漠を渡る知識と、乾いた土地へ水を留める技術を求めた。代わりにハイラルは、固い岩盤を穿ち、崩れぬ水路を組むための石工と道具を出す。どちらか一方が恵むのではなく、互いに持たぬものを差し出すのであれば、それは臣下へ与える褒美ではなく、二人の王が交わす取引となる。
「俺が欲したのは、貴様の首だ」
「それは私も差し出せない。別のものにしてくれ」
ガノンドロフは鼻を鳴らして返事をしなかったが、光を浴び、胸の内が静まった後も、その提案だけは消えずに残り、客室へ戻った彼は、アルディが持ち帰った水路の図を、捨てることなく卓の上へ広げた。
−−−−
四日目、ガノンドロフはゼルダへ近づかず、廊下の先に姿を見つければ別の道を選び、食事の席では最も離れた場所へ座り、その手が秘石へ触れる度に湧き上がる衝動を、目に入れぬことで抑えた。恐れて避けているのではないと自らへ言い聞かせる度に、ならば今すぐ殺せという声が返ってきた。
四夜目、ラウルは光を灯した後、昼間のガノンドロフが随分と慎ましかったようだと、王の口から出たとは思えぬ皮肉を向けた。
「貴様の客人は、歩く道まで許しを得ねばならぬのか」
「君が避けていたのは、私ではないだろう」
庭の空気が僅かに張り詰めた。
ラウルの光は弱いままであったが、その右手はいつでも力を増せる位置へ上げられ、姿を隠している兵たちの気配も、柱の陰で僅かに動いている。
ラウルはゼルダへ何をするつもりであるのかと問い、何もせぬというガノンドロフの答えを、すぐには信じようとしなかった。
ガノンドロフは、光の中で静まり返った胸へ意識を向けた。
今ならば、ゼルダの姿を思い浮かべても殺意は湧かない。未来から来た女として警戒し、秘石を持つ者として奪う価値を測る考えはあるが、その首を今すぐ折らねばならないという焦りだけが消えている。
「俺はあの女を見ると、殺したくなる」
隠れていた兵が一歩を踏み出した。
ラウルは左手を僅かに上げ、それを止める。
「殺すと告げているのではない。理由もなく、その考えが湧くと言っている」
それを聞いたラウルは、ゼルダの秘石を求めているのか、彼女の力を恐れているのか、それとも彼女自身を以前から知っているのかと、ガノンドロフの表情を探った。
最後の問いにだけ、黒龍となった自分を見下ろすゼルダの姿が浮かんだが、記憶は白い鱗と金の髪を残して靄へ沈み、ガノンドロフは知らぬと答えた。
「分からぬ。故に殺さなかった」
ラウルの長い耳が僅かに動く。
殺さなかったことを善行として誇る者の言葉ではない。自らの殺意さえ疑い、正体を確かめ終えるまで刃を収めた者の言葉であることを、同じ夜を重ねた王は理解し始めていた。
−−−−
五日目の朝、アルディはガノンドロフの右腕に残った赤い痕を見つけた。
光を受ける時間が少しずつ長くなり、表面に傷はなくとも皮膚の下には焼けたような痛みが残っており、袖で隠れる場所ではあったが、幼い頃より彼の身体に付いた傷の数を知る女の目を欺くことはできなかった。
「ハイラル王は、客人を夜ごと焼く趣味をお持ちで?」
「くだらぬことを聞く暇があるなら、命じたものを出せ」
アルディは追及せず、調べた水路と石組みについて記した書付を卓へ広げた。
ハイラルの石工は、ゲルドでは刃の立たぬ岩へ穴を穿ち、水が漏れぬよう僅かな隙間で石を組む。一方で、豊かな土地に住む彼らは、雨が一度に降った際、その水を砂へ逃がさず留める術を知らず、砂漠の奥へ道を延ばすのであれば、どちらか一方の技術だけでは足りないという。
街道へ幾つかの給水所を設ければ、ハイラルから穀物を運ぶ荷車も、ゲルドから鉱石を運ぶ隊商も、積荷の多くを水へ割く必要がなくなる。
「敵から盗むには、随分と大きなものを選ばれましたな」
「盗むのではない。奴に造らせる」
アルディは、臣従した王の言葉とは到底思えないと口元を緩めたが、ガノンドロフが右腕を庇うように動かしたことへは笑わず、書付を纏めた後も、その顔を暫く見つめていた。
何があったのかと問われても答えるつもりはなかったが、彼女は、知らぬ間に誰かから傷を受けて黙っている男ではないことも知っており、今宵も同じ庭へ行くのかとだけ確かめた。
ガノンドロフが頷いてもアルディは止めず、ただ、明日の朝までに戻らなければ、近衛を率いて王城の門を破ると告げた。
「五人でか」
「内側から王が暴れれば、十分でございましょう」
冗談であるのか本気であるのかを見定めるより先に、アルディは部屋を出た。
五夜目、ラウルは光の対価として、なぜゲルドの民をハイラルへ移さないのかと問うた。
豊かな土地を欲するのであれば、臣従を利用し、民が住む場所を王国の内へ求めることもできる。剣を交えず、水と緑を得る道があるにもかかわらず、なぜ砂漠そのものへ拘るのか。
ガノンドロフは、愚問だと切り捨てた。
灼けた砂も、夜ごと街を呑もうとする砂嵐も、地下より汲み上げなければ得られぬ水も、ゲルドの民を苦しめていることに違いはない。されど、その苛烈さの中で生きたからこそ得た強さがあり、砂へ埋めた者の骨があり、遥かな昔から守り続けた街と玉座がある。
「捨てればよいと申すか」
「そうは言っていない。君が何を守ろうとしているのか、確かめたかっただけだ」
「ならば覚えておけ。俺が欲するのは、ハイラル人として生きることではない。ゲルドがゲルドのまま、誰にも頭を垂れず生きるだけの力だ」
豊かな土地を奪おうとしながら、乾いた故郷を捨てられないというガノンドロフの有り様を、ラウルは矛盾とは呼ばず、民が望むものと、民が失ってはならぬものが同じであるとは限らない以上、その間で答えを探し続けることも、王が背負うものなのだろうと告げた。
ガノンドロフは甘い考えだと笑ったが、その夜、光が消えた後に戻ってきた殺意よりも、ラウルの言葉の方が長く胸へ残った。
−−−−
六日目の夕刻、庭へ向かう途中で、ガノンドロフは古びた石板を抱えたソニアとすれ違った。
彼女の傍らには二人の書記がおり、積み上げた巻物の隙間からは、建国以前に使われていたらしい崩れた文字が覗いていたが、ソニアはガノンドロフの姿を認めると足を止め、客人へ向けるものとして不足のない礼をした。
ガノンドロフの胸に、殺意が湧く。
ゼルダへ向けられたものと同じく、理由を持たず、それでいて長く抱き続けてきた仇敵へ向けるような憎悪であったが、何度も光へ触れたことで、その熱が自分の感情へ入り込む瞬間を以前より明瞭に見分けられる。
拳を握り、礼だけを返したガノンドロフへ、ソニアは僅かに目を細めたが、何を調べていたのかを語ることなく、書記を伴って廊下の奥へ去った。
六夜目のラウルは、初めから光を灯していた。
白い花の幾つかは、毎夜流れ出す二人の力に当てられ、花弁の端を黒く焦がしている。ラウルはそれを避けるように水路の反対側へ立ち、今宵はこれまでより強く光を当てたいと告げた。
「何を見つけた」
「答えではない。古い神話の一節だよ」
建国より遥かに古く、天と地の境すら定まらなかった時代、地の底より現れた災いが女神へ戦を挑み、女神に選ばれた者によって討たれたという。災いは消滅の間際、自らの憎悪が時を越え、女神の血と勇者の魂を持つ者を追い続けると告げた。
終焉の者。
古い石板には、災いがそう記されていた。
「ソニアが、残された神話を調べてくれた。ただし、それが君の内にあるものと同じだという証拠はない」
ガノンドロフは鼻で笑った。名も知らぬ死者の怨念が自分を選び、心を操っているなどという話は、己の弱さを認められぬ者が、犯した罪を他者へ押し付けるために作る言い訳としか思えず、ハイラルを欲したのも、ラウルを越えたいと願うのも、力なき者を見下し、従わぬ者を踏み潰そうとするのも、全てガノンドロフという男の内から生まれた感情であるはずだった。
それを否定すれば、王として積み上げたものまで、名も知らぬ化け物へ明け渡すことになる。
「俺の内に何があろうと、俺の力であることに変わりはない」
「そうかもしれない。だが君の力ならば、君の命に従うはずだ」
ラウルの言葉に、ガノンドロフは答えなかった。
ゼルダを殺さなかった日のことを思い返す。
命じてもいない殺意が湧き、水を求めていた思考が別のものへ塗り替えられ、正体を確かめようとすれば、心地よい確信によって問いそのものを消される。
力と呼ぶには、あまりにも主へ従わない。
「焼き出せるのか」
「試してみなければ分からない」
「ならばやれ」
ラウルは一度だけ、止めるならば今だと確かめた。
ガノンドロフが睨み返すと、光が強まった。
最初の痛みは、これまでと変わらない。
熱が皮膚を抜け、肉と骨の間へ入り込み、胸の奥へ絡みついたものを焼いてゆく。殺意が遠のき、怒りが消え、長く聞こえていた声が一つずつ沈黙する。
やがて光は、その沈黙の更に奥へ手を伸ばした。
何かが、ガノンドロフの内側で身を捩った。それは声でも言葉でもなく、遥かな昔から積み重なった憎悪そのものが光によって掴まれ、宿主の身体から引き剥がされまいと、根を張るように魔力へ食い込んだ感触であった。
胸が裂けた。
実際に刃を受けたわけではない。それでも心臓から腹へ向けて身体を割られ、血も、魔力も、記憶すらも纏めて引き抜かれるような痛みに、ガノンドロフの膝が初めて地面へ落ちた。
黒い力が全身から噴き出す。
白い花が一斉に焼け、水路の石へ亀裂が走り、庭を囲む柱の陰から兵たちが飛び出した。
ガノンドロフは地を蹴った。
誰よりも近くにいたラウルの首を右手で掴み、その巨体を水路の向こうへ押し倒す。
光を止めろ。その腕を千切れ。秘石を奪え。
内側から溢れた幾つもの衝動が、ラウルの首を握った指へ力を送る。
ラウルは苦痛に顔を歪めながらも、反撃しなかった。
駆け寄ろうとする兵たちを左手で制し、右手の光を消す。
胸を裂いていた痛みが止まり、代わりに、押し退けられていた憎悪が一息に戻った。
今ならば、自分を焼き、弱みを知った男を、ここで確実に殺すことができる。
ガノンドロフの指が、ラウルの喉へ沈む。
未来でも同じ首へ指を食い込ませたらしい感触が、前後を失った断片となって重なった。
笑っている自分の声。
胸へ触れる白い腕。
今度こそ勝者となり、やがて再び蘇るのだと告げた言葉。
それらが秘石を奪った直後のものであるのか、戦の只中であったのか、それとも封印へ至る最後の瞬間であったのか、記憶は掴もうとするほど濃い靄へ沈み、ラウルの顔さえ、今まさに首を掴んでいる男のものと混ざり合って形を失った。
ただ、そのときの自分が最後まで勝者であると信じ、その先に待つものを何一つ見ようとしなかったことだけは分かる。
その先に待っていたものを、今のガノンドロフは知っている。
手を離した。
光は既に消え、ラウルに命じられたのでもなく、胸を満たす憎悪も、秘石を奪えと叫ぶ渇望も残っている。
それでも、ガノンドロフは自らの意思で指を開いた。
立ち上がったラウルは咳き込みながら兵を退かせ、再び光を向けることも、ガノンドロフを捕らえるよう命じることもしなかった。なおも剣へ手をかけたまま動こうとしない兵たちには、今宵のことは自らが望んで行った試みの失敗であり、許しなくガノンドロフを追うことも、この庭にいなかった者へ口外することも認めないと、掠れた声ながら王命であることを違えようのない強さで告げた。
「今のは、失敗だった」
「見れば分かる」
膝を折ったことへの怒りよりも、身体の内側を他者に掴まれたような不快さが勝り、ガノンドロフは胸を押さえたまま立ち上がった。
怨念だけを焼き出すことはできない。
それは既に、彼の魔力と、記憶と、怒りの全てへ根を張り、無理に引き剥がせば宿主であるガノンドロフ自身まで引き裂く。
されど、最後にラウルの首から手を離したものは、光でも、神話に語られた女神でもない。
ガノンドロフ自身であった。
−−−−
客室へ戻ったガノンドロフを、アルディは眠らず待っていた。
右腕にあった薄い痕は全身へ広がり、胸元の衣には、内側から滲んだ血が黒く染みを作っている。
アルディは何があったのかと問わなかった。
代わりに水と布を用意し、傷の場所を確かめようと伸ばした手を、ガノンドロフは振り払った。
「明日、ゲルドへ戻る」
彼女は一礼したが、部屋を出ようとはせず、王が寝台へ腰を下ろし、呼吸を整えるまで扉の傍らへ立ち続けていた。
何者に傷つけられ、なぜ報復を命じず、夜ごと敵王のもとへ通って傷を増やしながら、それでも自ら足を運ぶのか、その全てを問いたいはずでありながら、アルディは口を閉ざしている。
「言いたいことがあるなら言え」
「明日の朝までに、歩ける程度には戻しておいてくださいませ。王を荷車へ載せて帰れば、わたくしが先代族長に殺されます」
それだけを告げ、アルディはようやく部屋を出た。
ガノンドロフは一人になると、血に濡れた右手を見つめた。
ラウルの首を折ることはできた。
光が消え、誰にも止められていないにもかかわらず、自分は手を離した。
それが何を意味するのかを考えようとすると、胸の奥から、弱くなったからだという声が返る。
敵を殺せぬ王に価値はなく、情を抱けば、いずれ同じように裏切られるのだから、次こそ迷わず殺せ。
ガノンドロフは寝台へ横たわらず、夜が明けるまで、その声を聞き続けた。
−−−−
七日目、ガノンドロフは庭へ行かなかった。
荷を纏めさせ、馬を用意し、夜明けと共に王城を発てるよう近衛へ命じる。
ラウルから呼び出しはなく、廊下で顔を合わせることも、昨夜の襲撃について兵が問いに来ることもなく、王命を受けた者たちが庭の外で沈黙を守るまま、王城は何事もなかったかのように一日を終え、約束の刻が近づくと、ガノンドロフは客室の窓から庭の方角を見た。
行く理由はなく、光によって内側のものを焼き出すことはできず、ラウルにも正体を見抜くことはできなかった以上、これ以上同じ場所へ通ったところで身体を傷つけ、敵へ弱みを晒すだけであり、明日の朝にはゲルドへ戻るのだから、今宵だけ約束を違えたところで失うものなどないはずであった。
城門を出れば、再び兵を整え、ハイラルを越える別の方法を探すこともできる。
それが王として正しい選択であるはずだった。
胸の内からも、行くなという声が聞こえる。
光へ近づくな。
ラウルの言葉を聞くな。
あの男を殺せぬのならば、二度と会うな。
その声があまりにも強く止めようとするからこそ、ガノンドロフは立ち上がった。
武器を持たず、アルディにも告げず、夜の王城を歩く。
庭へ着いたとき、水路へ落ちる最後の一滴が時を告げ、ガノンドロフは六夜と違わぬ刻にその場所へ足を踏み入れた。
ラウルは待っていた。
昨夜掴まれた首には赤黒い痕が残り、焼けた花と、亀裂の入った水路の間に一人で立っており、辺りに兵の気配はなかった。
「来たな」
「待てとは命じておらぬ」
「君が私を待たせるなと言ったのだろう。私だけが守るのは不公平ではないか」
ラウルは光を灯さず、ガノンドロフも求めなかった。
暫くの間、二人は壊れた庭を挟んで立ち、夜風が焦げた花弁を水路へ落とす音だけを聞いていた。
「神話の災いが、君の中にあるとは限らない」
先に口を開いたラウルは、終焉の者という名だけで答えを得たつもりはないと告げた。似た現象へ古い物語を重ねれば、全てを分かったような気になることはできるが、名を付けることと、正体を知ることは同じではない。
ガノンドロフは、学者のような物言いだと吐き捨てた。
「君は、どう思う」
問われたガノンドロフは、すぐには答えなかった。
未来を話し、ソニアを殺して秘石を奪い、魔王となり、ラウルによって封じられたことまで告げれば、目の前の男は今度こそ自分を敵として討つかもしれない。
それは避けるべき未来を、自ら招くことに等しい。
「俺の声で語る。俺の望みを使い、俺が選んだように思わせる」
未来のことには触れず、それだけを告げた。
「俺の野心も、怒りも、力を求める心も消えはせぬ。だが奴は、その中から都合のよいものだけを選び、他の全てが見えなくなるまで膨らませる」
ラウルは否定も、慰めもせず、ガノンドロフが次の言葉を選ぶまで黙って待っていた。
「いずれ、俺と奴の境が分からなくなる」
黒龍となった自分が空を覆う。
自我を失い、憎悪だけを抱えて飛び続け、最後には退魔の剣によって討ち滅ぼされる。
あれを、王と呼ぶことはできない。
力だけを残し、民も、国も、己の名さえ忘れたものは、ガノンドロフではない。
「もし俺が俺でなくなったならば、その時は貴様が俺を殺せ」
口にした瞬間、胸の内に残っていた声が怒号を上げた。
王が他者へ己の死を委ねるな。
弱さを見せるな。
今すぐ目の前の男を殺し、その言葉を聞いた者を消せ。
ガノンドロフは動かなかった。
ラウルの答えを待つ。
「断る」
二夜目と同じ、迷いのない言葉であった。
「君を殺すために、私は七夜もここで待っていたのではない」
「俺を救えるとでも思っているのか」
「思ってはいない。今の私には、君の中にあるものを引き剥がすことも、その正体を知ることもできない」
ラウルは昨夜ガノンドロフに掴まれた首へ触れ、自分が判断を誤れば、次は本当に殺されるだろうと認めた。
それでも、ハイラルへ再び兵を向けるなら王として戦い、ソニアやゼルダへ手を伸ばすなら敵として打ち倒すが、自分ではないものへ呑まれようとする王を、初めから殺すためだけに光を使うつもりはないと告げる。
「君が君でなくなるというのなら、その前に止める。王として抗うつもりがあるのなら、私も王として手を貸そう」
「甘い男だ」
「よく言われる」
誰に言われるのかを問う必要はなかった。
ガノンドロフは右手を差し出した。
握手を求めたのではない。
ラウルもその意味を取り違えることなく、差し出された掌の上へ、昨夜よりも遥かに弱い光を灯した。
熱が皮膚から入り込み、痛みは消えず、胸の声も完全には静まらなかったが、それでもガノンドロフは手を引かず、ラウルも怨念を引き剥がそうとはせず、どこまでならば宿主を傷つけずに光を届かせられるのか、互いの顔ではなく、重なり合う二つの力を見つめながら、僅かずつ強さと距離を測った。
どちらか一方が相手を救うための光ではない。
一人では届かぬ場所へ、二人で手を伸ばすための、最初の試みであった。
やがて光が消えた後も、ガノンドロフはすぐには手を戻さなかった。
ラウルは、今宵ガノンドロフから託された言葉だけは、古い神話を探したソニアへ伝え、王家の記録として残すつもりであると告げた。光を用いて何を試み、そこで何が起きたのか、その全てを他者へ明かすつもりはなかったが、二人だけの胸へ収めたまま、どちらかが先に倒れれば、この夜に一人の王が自らの内にあるものへ抗おうとした事実まで失われるためであり、ガノンドロフは、それを救いを求めた弱者の願いとして書くのであれば、記録を刻んだ石ごと砕くと睨んだが、ラウルは、砂漠の王が己を失う前に討てと命じ、光の王がその命令を拒んだと記すならば、偽りにはならないだろうと答えた。
「夜が明ければ、ゲルドへ戻る」
「そうか。ならば水路と街道について、改めて使者を送ろう」
「施しであれば、使者ごと砂へ埋める」
「取引だよ。君がそう望んだのだろう」
望んだ覚えはないと答えながら、ガノンドロフは手を下ろし、庭の出口へ向かった。
六夜目まで、ガノンドロフは庭を去る際にも、回廊の影へ身体を隠すまでラウルから目を離さず、背後へ光や兵の気配を感じれば、即座に振り返れるよう歩いていた。敵の前で背中を晒すことは、刃を首へ添えさせることと同じであり、光によって胸の内が静まっている間でさえ、その警戒だけは手放さなかった。
だが七度目の夜、ガノンドロフは振り返らずに庭を去った。
背後で光が灯ることも、兵が動くこともない。
ラウルもまた、遠ざかる王の背へ何も向けなかった。
友となったわけではない。
臣下となったわけでもない。
互いの国を求めれば、再び戦う敵であることにも変わりはない。
それでもガノンドロフは、長い廊下を歩きながら、一度も背後を確かめようとはしなかった。