Dropping Out 〜What if Liko drop out to our world? 作:vic.
青空家の居間で輝美からスマートフォンの画面を見せられたリコは、思わず息を呑んだ。
そこに映し出されていたのは、数年前にネットやテレビを大いに騒がせたという一卵性の双子――トウヤとトウコの記事だった。画面の中の二人は、頭部にイッシュ地方の伝説のポケモンに酷似した白と黒の美しい折れ曲がった耳をそれぞれ生やし、腰からはしなやかな尾を伸ばしている。
彼らもまた、リコと同じようにある日突然現実世界に「降臨」し、その圧倒的な存在感と美しさから瞬く間に「メディアの寵児」として世界中で爆発的に流行したのだという。SNSやニュース番組では彼らの特集が連日組まれ、ファッション誌の表紙やCM、ドキュメンタリー番組にまで引っ張り出されることになった。しかし、メディアの加熱した狂騒が一段落した現在は、都内の静かな住宅街で二人ひっそりと暮らしているらしい。
輝美
「この二人なら、世界を越えてきたあなたの苦しみや、これからの生き方について理解してくれるはずよ」
輝美の勧めを受け、リコは青空家をあとにし、輝美に教えてもらった住所を頼りにトウヤとトウコの邸宅へと足を運ぶことにした。
都心から少し離れた閑静な住宅街。大きな洋館のインターホンを鳴らすと、扉を開けたのはニュースや動画で見覚えのある二人だった。二人の頭上に並ぶ白と黒の折れ曲がった耳が、リコの姿を認めると興味深そうにピクピクと揺れる。
トウヤ
「君が……最近ニュースで話題になっているニャオハの少女だね? 入っておいで」
トウヤが優しく微笑み、リコを応接室へと招き入れた。トウコも手際よく温かい紅茶を淹れてテーブルに置く。
リコ
「あの……お二人も、あの世界から『回収』されてここに……?」
トウコ
「ええ。私たちは『678番』のニャオニクスとして、この世界に落とされたの。最初は本当にパニックで、メディアに追いかけ回されて生きた心地がしなかったわ。でもね、時が経つにつれて、この世界での『自分たちの役目』が見えてきたのよ」
トウヤ
「僕たちが『メディア』として流行したのも、決して偶然じゃない。突然やってきた異形の存在を世間に周知させ、次にやってくる仲間のための『受け皿』を作るための現象だったんだと思う」
二人の言葉に、リコは胸が熱くなるのを感じた。先人たちがこの現実世界で居場所を築いてくれたからこそ、自分もこうして輝美や彼らに巡り会えたのだ。
しかし、安堵したのも束の間、リコの脳裏に鋭い焦燥感が走り抜ける。
ロイが現実世界へ落とされる『48時間』の刻限まで、残された時間はもう20時間を切っていた。
リコ
「トウヤさん、トウコさん……! 実は、あと一日もしないうちに、私の大切な友達の『ロイ』がこの世界に落ちてくるんです! ロイはアチゲータの特徴を持ってここに来るはずなんですけど……彼が日本の、どこに落ちてくるのかが全然わからなくて……!」
リコは必死に訴え、膝の上でフワフワとした短く小さな尻尾を強く握りしめた。
トウコとトウヤは顔を見合わせ、重々しい表情で首を横に振った。
トウコ
「……ごめんなさい、リコちゃん。実はね、落ちてくる『場所』を特定する術は、私たちにも全く分からないの」
トウヤ
「僕たち双子も、落ちてきた場所はそれぞれ別の都道府県だったんだ。僕は北海道の雪山に、トウコは沖縄の海岸に……。空間の歪み(穴)が現実世界のどこに繋がるかは、完全にランダムなんだよ」
「そんな……」と、リコの顔から血の気が引いていく。
日本全国どころか、世界中のどこに落ちてくるかも分からない。もし海の上や、誰もいない山奥、あるいは海外の過酷な環境にロイが一人で落とされたら――。考えただけで、胸が押し潰されそうになる。
トウヤ
「手がかりがない以上、緯度や経度からの予測は不可能だ。物理的なレーダーやGPSも、空間移動の瞬間には意味をなさない……」
手詰まりの絶望感が部屋を包み込む。
ロイの降臨まで、刻一刻と時計の針が進んでいく中、リコは手がかりゼロの広大な現実世界の地図を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
どこに落ちてくるかも分からない広大な現実世界。
もし警察や容赦のないメディアの前に突然落とされてしまったら、ロイはパニックになってしまうかもしれない。
手元に残された唯一の情報は、「48時間後」という時間制限のみ。
焦りと不安が募る中、リコはロイを無事に保護するための新たな方法を模索しなければならないという現実を突きつけられた。
【青空家・2階の子供部屋】
トウヤとトウコの家を後にしたリコは、手がかりが得られなかった重い足取りのまま青空家へと戻ってきた。
午後の日差しが差し込む静かな部屋で、身体を包む疲労感に抗えずベッドに横になると、リコは吸い込まれるように深い昼寝へと落ちていった。
緑色の猫耳が弱々しく伏せられ、フワフワとした短い尻尾が布団の隙間からこぼれ落ちる。
夢のまどろみの中で、リコの意識は過去の時間軸――トウヤとトウコがこの現実世界へと引き摺り込まれた「その日」の光景へとダイブしていった。
【夢の中・イッシュ地方の路地裏(過去の仮想世界)】
夢の背景に映し出されたのは、仮想世界におけるイッシュ地方の街並みだった。
夕闇が迫る路地裏で、トウヤとトウコは並んで立っていた。
その時、二人の足元の空間が突如として歪み始める。
空気が重く澱み、地面から足首を掴むような、目に見えない強烈な重力場(システムの手)が這い出してきた。
トウコ
「キャッ……!? なにこれ、足が……抜けな……っ!」
トウヤ
「トウコ! 手を掴め……っ! うわああああっ!?」
二人がどれほど抗おうとしても、世界を支えるコードが足元から解体されていく。
逃れられない力によって、二人の肉体はブラックホールのような漆黒の亀裂へと強引に引き摺り込まれていった。
耳を刺すような高周波のノイズと、空間が破裂する轟音。
次元の裂け目に飲み込まれる瞬間、二人の頭部にはニャオニクスの耳が、腰元にはしなやかな尾が、まるで「存在のラベル」のように無理やり定着させられていく。
二人は叫び声を上げる間もなく、虚無の渦へと消失した。
【夢の中・現実世界・雨の路地裏(過去の現実世界)】
場面が一転し、冷たい雨が降り頻る現実世界のコンクリートの上へと切り替わる。
ドスンという鈍い音とともに、空間の歪みから打ち捨てられるように吐き出されたトウヤとトウコ。
体中に泥をつけ、激しい次元酔いと身体の異変に喘ぐ二人の周りには、すぐに不穏な気配が立ち込め始めた。
スマートフォンのカメラを掲げた野次馬たち、そして威嚇するように距離を詰める警察車両。
「なんだあの耳は」「怪物が落ちてきたぞ」「カメラ回せ!」という容赦のないフラッシュと奇声の嵐。
パニックに陥り、身を寄せ合って震える二人。
その狂乱の渦を切り裂くように、一両の黒い大型ワゴン車が雨の路地裏に滑り込んできた。
助手席のドアが勢いよく開き、雨合羽を着た初老の男性が飛び出してくる。
輝美ではない、見知らぬその男性――元警察官で現在は身元不明者の私的保護を行う支援団体の代表者・「大滝(おおたき)」だった。
大滝
「おい、乗れ! 早く! メディアや警察に囲まれたら最後、人体実験の標的にされるぞ!!」
大滝は二人を庇うようにコートを被せると、傘も差さずに野次馬の群れを押し返し、トウヤとトウコを強引に車内へと押し込んだ。
大滝
「大丈夫だ、落ち着け。ワシのところに来れば安全だ。世間の『見世物』にはさせん……!」
追っ手のフラッシュを振り切り、黒いワゴン車は雨の夜の街へと走り去っていく。
輝美のような天文学者ではなく、世間の狂乱から逃れるための「匿い手」となった男の手によって、二人は社会の裏側へと保護されたのだった。
【青空家・2階の子供部屋】
「はっ……! ポケモンの……っ!」
リコは跳ね起きるように目を覚ました。
全身に嫌な汗をかき、胸が激しく上下している。
夢の中でまざまざと見た、あの引き摺り込まれるような強制的な落下の恐怖。
そして、輝美とは違う人々の手によって「潜伏」せざるを得なかった二人の過酷な過去。
リコ
「ロイも……あんな風に急に引き摺り込まれて……冷たい地面に落とされちゃうの……?」
額の汗を拭いながら、リコは自分の手を強く握りしめた。
ロイが落ちてくるまで、もう猶予はない。
メディアや野次馬、あるいは警察に捕まる前に、自分が一番にロイを見つけ出し、彼の手を握らなければならない――夢から醒めたリコの瞳に、強い悲壮感と覚悟が宿る。
リコが、乱れた呼吸を整えようとベッドの脇に足を下ろしたその時ーー
カサリ、と頭上から乾いた紙の音が響いた。
「きゃっ……!?」
天井の空間がわずかに歪んだかと思うと、一冊の薄い冊子が吸い込まれるように落下し、リコの顔面を直撃した。
勢いよく鼻頭を打たれたリコは、思わず目元を押さえて「ううっ……」とうめく。
膝の上に滑り落ちたのは、市販の本とは異なる、ホチキス留めされた特異な装丁の冊子――誰かが描いた『二次創作の同人漫画』だった。
表紙の隅には小さく「PG10:小学生低学年が読む場合は保護者の助言が必要」という警告のマークが印字されている。
不審に思いながらもリコがページをめくると、そこには不気味なほどの精密さで、この世界の裏側と「予言」の真実が描き込まれていた。
漫画のクライマックスコマ。
漆黒の背景の中に浮かび上がるのは、1996年に没したとされる「預言者エクス」の素顔だった。
『預言者エクス――その正体は、1996年にこの仮想世界(ポケモンワールド)の根幹プログラムを構築した際、システムのバグと世界の拡張限界を最初に見抜いた【最初期のメインプログラマーの概念体】である』
漫画内の描写によれば、エクスとは特定の人間個人ではなく、世界を創り出した創世記の人間たちが残した「プログラムの自己修復・解体用プロトコル」そのものだった。
世界の容量が1025組という限界値に達した時、仮想世界を安全に初期化(フォーマット)し、住民のデータを現実世界の肉体へと転送して保護するために組まれた、絶対的な「世界の終末プログラム」。それが預言者エクスの真実だと、作中のキャラクターたちが解説していた。
あまりの衝撃に、リコは息をのんだまま言葉を失う。
そのま
「ねえ、何読んでるの?」
不意に部屋のドアが開き、ひょっこりと顔を出したのは、輝美の娘であり、リコよりひとつ年上の女子高生――青空そのま(あおぞら そのま)だった。
学校から帰ってきたばかりのそのまは、リコの頭上でピクピクと動く緑色の猫耳と、布団の横で揺れるフワフワとした短い尻尾を一瞬だけ愛おしそうに見つめると、リコが食い入るように開いている同人誌へと視線を移した。
リコ
「あ……そ、そのまさん……! これ、突然空から落ちてきて……」
そのま
「同人誌……? 『PG10』って書いてあるけど……どれどれ?」
そのまはリコの隣に腰掛け、覗き込むようにして誌面に目を通した。
作中に描かれた「2027年の世界消去」や「1025組の回収計画」、そして「預言者エクス=初期システムの自動プログラム」という真相を追うにつれ、そのまの表情も少しずつ真剣なものへと変わっていく。
そのま
「これ……お母さんが研究している『太陽フレアによる空間歪曲』や『別次元の地球』の話と、完全に合致してる……。リコちゃん、これが現実世界に落ちてきたってことは……これ自体が、向こうの世界からの『警告メッセージ』なんじゃない?」
予言者エクスの正体が「世界の破滅」をもたらす悪意ではなく、世界をリセットして人々を救うための「絶対システム」であること。
しかし、そのシステムが稼働するプロセスで、ロイやドット、そして多くのトレーナーたちが容赦なく現実世界へと「引き摺り込まれて」しまうこと。
同人誌を握りしめるリコの手が、かすかに震えた。
予言の真実を知ったリコと、それを冷静に分析するそのま。
ロイが落とされるまで、残り時間は32時間。もう時間はたっぷりと残されていない。
そのまが部屋を後にし、夕闇が部屋を押し包む頃、同人誌の衝撃的な内容と迫り来るタイムリミットの緊張に耐えかねたリコは、再び浅い微睡みの中へと落ちていった。
緑の猫耳が重そうに横へ伏せられ、短いフワフワの尻尾がベッドのシーツを擦る。
夢の意識は、再びトウヤとトウコの過酷な「過去の記憶」の残像を映し出し始めた。
【夢の中・雨の路地裏〜匿い先のアトリエ(過去)】
大滝の運転する黒い大型ワゴン車に滑り込み、警察や野次馬の追撃を振り切った直後の光景。
車内は重苦しい息遣いと、雨音が屋根を叩く嫌な金属音に包まれていた。
大滝「ふぅ……追撃は巻いたようだな。二人とも、もう安全だぞ」
大滝がバックミラー越しに優しく声をかけた、その瞬間だった。
突如、車の前方に野良猫が飛び出し、大滝は咄嗟に急ブレーキを踏み込んだ。
大滝・トウコ・トウヤ「「「ッ――!?」」」
激しい制動音と衝撃。
予期せぬ揺れに酷く驚いたトウヤとトウコの頭上で、普段は内側に深く折れ曲がっていたニャオニクスの耳が、バチッと弾けるように上に向かって跳ね上がった。
トウコ
「きゃああっ!?」
トウヤ
「うわあああっ!?」
耳が跳ね上がると同時に、折りたたまれていた耳の内側に隠されていた「鮮烈な目形の模様」が露わになる。
次の瞬間、制御を失った二人から、狂おしいほどのサイコパワーの波動が爆発的に解放された。
ゴオオオオオッ――!
ワゴン車の窓ガラスが空間の歪みによって激しく振動し、車内の電装系からバリバリと青白い火花が飛び散る。
二人の肉体に定着したニャオニクスの特性――極度の恐怖や驚愕に直面し、耳の模様が開放された際、意図せず周囲の空間ごと圧迫してしまうという、制御不能の超能力が暴走を起こしてしまったのだ。
トウヤ
「ダメだ……! 止まらない……っ! 身体の奥から力が……!」
トウコ
「大滝さん、逃げて……っ! 私たち、自分を抑えられない……!」
大滝は飛び散る火花と重圧に顔を歪めながらも、決して二人を見捨てず、必死にハンドルを握りしめて二人の肩を強く抱きしめた。
大滝
「慌てるな……っ! ワシは逃げん! 自分の身体の変化に恐怖するのは当然だ……! だが、絶対に暴走なんかに負けるんじゃない!!」
保護者の温かい叫びと包容に包まれ、二人の激しい動悸が徐々に収まっていく。
跳ね上がっていた耳がゆっくりと元の折りたたまれた状態に戻ると、目形の模様は再び隠され、車内を乱反射していたサイコパワーの圧迫感も嘘のように霧散していった。
【青空家・2階の子供部屋】
「はっ……! ん、うう……っ!」
リコは胸を押さえながらガバッと布団の上に起き上がった。
夢から覚めてもなお、肌を刺すような強力なサイコパワーの余波と、二人が抱えていた恐ろしい暴走への恐怖が、リコの感覚に生々しく残っていた。
リコ
「ニャオニクスの耳の内側にある……目形の模様……。驚いて耳が跳ね上がると、抑えきれないサイコパワーが解放されちゃうんだ……」
自分の頭上にある緑の猫耳をそっと触る。
自分自身も、嬉しさや安心感で喉が「ゴロゴロ」と鳴ってしまう特性を持っている。
だが、トウヤとトウコの持つ特徴は、一歩間違えれば現実世界の人々を巻き込んで大きな被害を出してしまうほどの凄まじい「能力(力)」そのものだった。
もし、48時間後にやってくるロイも、ホゲータやアチゲータの特性に由来する「制御できない力」を抱えたまま、パニック状態で現実世界に投げ出されてしまったら――。
手遅れになる前にロイを見つけ出し、暴走させないように受け止めなければならない。
リコはフワフワとした短い尻尾をキュッと緊張させ、暗くなり始めた部屋の中で、改めて覚悟の固さを心に刻み込んだ。
それだけではなく、リコはさらなる謎の予感も心に刻み込み…