Dropping Out 〜What if Liko drop out to our world? 作:vic.
ベッドの奥、カイの冷たい身体を抱きしめていたリコの視線が、さらにその影の空間へと注がれた。
暗がりの中でひっそりと膝を抱えて座っていたのは、13歳ほどの小さな少女――ナルセだった。
驚くべきことに、彼女の頭上と腰元にも、カイと同じグレイシアの耳と尻尾が生えていた。
しかし、その色はカイのそれとは全く異なっていた。
カイの耳と尾が鮮やかな氷の青であるのに対し、ナルセの耳と尾は深く気品のある「ロイヤルブルー」と純白のツートンカラー――そう、本来なら滅多に出会うことのできない「色違い(色ちがい)」のグレイシアの色彩そのものだった。
「ナルセちゃん……? その耳と尻尾の色……」
リコは驚きに目を丸くした。
なぜ同じグレイシアの属性を持ちながら、このような特別な色彩を身に宿してこの世界に落とされたのか。
『神』の気まぐれ――1025組という膨大なデータと魂をこの現実世界へ移送する際、原種の姿だけでなく、「色違い」や「地域特有の姿(リージョンフォーム)」という個性の差異すらも余すことなく完璧に回収し、再配置しなければ気が済まないというプログラマーとしての狂信的なこだわり。
それがナルセに色違いの属性が刻まれた本当の理由だったが、もちろんリコやカイ、そしてナルセ自身もその真実を知る由はなかった。
だが、ナルセ自身は、自分の身に起きたこの奇妙な変化を嫌がってはいなかった。
ロイヤルブルーのしなやかな尾を指先で愛おしそうになぞりながら、ナルセはどこか誇らしげに、けれど静かに微笑んだ。
ナルセ
「私……今のこの姿、すごく気に入ってるの。仮想世界で普通の人間の少女だった頃の自分よりも……このロイヤルブルーの耳と尻尾がある今の私の方が、よっぽど自分らしくて……素敵だって思えるから」
過酷な「回収」によって日常を奪われ、恐ろしい異界へと叩き落とされた現実。
けれど、その絶望の淵に立たされてなお、自分だけの特別な姿に救われ、新たな自分を受け入れようとする少女の強さがそこにはあった。
カイもまた、涙を拭った瞳でナルセのロイヤルブルーの耳を見つめ、静かに温かい息を吐いた。
リコは自分の頭上の緑の猫耳をぴくぴくと揺らし、短い尻尾をパタパタと動かした。
リコ
「そうだね……! どんな姿でやってきても、どんな色をしていても……みんな、大事な仲間だもんね!」
その瞬間から、冷たい恐怖に包まれていた部屋に、少しずつ、だが確実にあたたかな絆のぬくもりが広がっていく。
48時間後のロイの到着に向けて、現実世界での「集い」は、思いもよらぬ彩りを添えながら、着実にその輪を広げ始めている。
リコたちがそんなことをしているうちに、時間はあっという間に過ぎてしまった。
刻一刻と刻まれる秒針の音だけが、部屋の静寂を削り取っていく。
ロイがこの世界へと零れ落ちてくるタイムリミットまで、すでに**21分**を切っていた。
焦燥感に苛まれるリコが胸を押さえていると、先ほど床に落ちた古びた紙切れが、風もないのにふわりと翻った。そこには、預言者エクスが遺した謎の文字と記号が、より鮮明な輪郭をもって浮かび上がっていた。
906:[35.6595, 139.7005 / Ground](リコ/ニャオハ)
910:[35.6661, 139.7492 / 45F Gallery C](ロイ/アチゲータ)
全国図鑑番号の横に添えられた不揃いな数値。そして、地面を意味する「Ground」や、高層建築のフロアを示す「45F Gallery C」といった英数字の羅列。
もし彼女たちがこの文字列を地図アプリや建築データと照合していれば、それが「いつ・どこに・どの高度で落とされるか」を完璧に示す絶対座標であると見抜けたはずだった。
906番のリコが落ちてきた場所は、渋谷スクランブル交差点の冷たいアスファルトの上(Ground)。
そして、910番――アチゲータの熱い炎と頑丈な特徴を背負わされたロイが引き摺り込まれる先は、同じ東京23区内でありながら、リコたちがいる渋谷区から遥か東に離れた港区・虎ノ門。最新の高層ビル『TOKYO NODE』の最上層、45階ギャラリーCの真っ只中だった。
しかし、地図や建物の構造データと結びつける発想のないリコたちは、その決定的事実に気づくことすらできなかった。
リコ
「この『45F』って何だろう……何かのコード……? 『Ground』って……土地のこと……?」
ナルセ
「図鑑番号とセットになっているってことは、何か意味があるはずだけど……私にも全然わからないや……」
カイ
「ガラルにもヒスイにも、こんな『階数』を示すような数字の並びはなかったな……。悔しいけれど、解読している時間がないよ」
リコは手帳をギュッと握りしめた。
頭上の緑の猫耳が不安でぺたりと伏せられ、フワフワとした短い尻尾がパタパタと焦りを映すように揺れる。
リコ
「ううん、大丈夫……! 906番の私が渋谷に落ちてきたんだから、きっとロイもこの近く……渋谷のどこかに落ちてくるはず……!」
自分が辿った記憶だけを頼りに、ロイもまた近くの路上に現れるのだと信じて疑わないリコ。
だが、運命のカウントダウンはあまりにも容赦なく、そしてすれ違いを孕んだまま進んでいく。
あと20分。
アチゲータの特性を身に宿し、混乱と恐怖に包まれるであろう少年・ロイは、地上数百メートルのガラス張りの空中空間――TOKYO NODE 45階ギャラリーCの冷たい床の上へと、唐突に投げ出されようとしていた。
しかしその21分もあっという間に過ぎるには十分過ぎたのだろうか、ロイはついにこの瞬間を迎えることになる。
【仮想世界・ブレイブアサギ号・デッキ】
虚しく刻まれた21分のタイムリミットは、容赦なくゼロへと到達した。
ブレイブアサギ号の甲板の上。風を切りながら立ち尽くしていたロイの足元で、突如として空間が歪み始めた。
まるで泥沼のように、あるいは底なしの底無しのブラックホールのように、デッキのアスファルトや木目がグニャリと形を変え、異様な吸着力でロイの足首を絡め取る。
ロイ
「え……なに……これ……っ!? 足が……動かない……!?」
足元から全身へと伝わる、冷たく不気味な感触。
重力が逆転したかのような激しい引きずり込みの力が、ロイの小さな身体を容赦なく下層の虚無へと引っ張り落とそうとする。
真っ先に異変に気づいて飛び出してきたのは、フリードだった。
フリード
「ロイ!!」
フリードはなりふり構わず腕を伸ばし、デッキを蹴って全力で駆け寄る。
続いて船内から躍り出たキャプテンピカチュウとホゲータも、必死の様相で小さな前足を伸ばした。
キャップ
「ピカッ!! ピカチュウ!!」
ホゲータ
「ホゲーッ!!」
必死に差し出された彼らの手。しかし、空間の歪みは二人を隔てる不可視の壁となり、どれほど指先を伸ばしても、互いの肌が触れ合うことは叶わない。すんでのところで空気だけを掴まされ、手は空を切った。
モリー
「ロイ! 今行くわよ!!」
救急箱を抱えたモリーが悲鳴のような叫び声を上げて甲板を疾走してくるが、時すでに遅く――空間の崩壊スピードは人間の足の速さを遥かに凌駕していた。
ロイの足が、腰が、そして胸が、次元の亀裂へと沈み込んでいく。
ロイ
(………。)
完全な引きずり込みの力に全身が呑み込まれた瞬間、ロイの視界は漆黒の闇によって遮られ、意識と感覚は途絶えた。
思考さえも完全に途切れ、言葉にならない静寂だけが彼の脳裏を支配する。
そして、その漆黒の沈黙の中で――世界のシステムコードが奔流となってロイの存在を書き換えていく。
肉体のデータが解体され、再構築され、彼の見た目は一瞬にして不可逆の変貌を遂げていった。
「ロイ―――――ッ!!」
フリードの痛切な叫び声がブレイブアサギ号の空に虚しく響き渡る中、そこにはもう、少年の姿は影も形も残されていなかった。
ただ暗く歪んだ空間の余韻だけが、残された者たちの前に冷たく漂う。
【港区・TOKYO NODE 45階 ギャラリーC】
静寂と静電気の匂いが漂う、冷たい床の上。
ロイ「う……ううん……っ」
途切れていた意識が、頭の奥を突く鋭い痛みに押し上げられるようにして浮上した。
重い目蓋を開けると、視界に飛び込んできたのは、見たこともない無機質で巨大な天井と、広大なガラス窓の向こうに広がる煌びやかな夜景だった。
ロイは眩ましさに目を細めながら、ゆっくりと上半身を起こした。
ロイ
「ここ……どこ……? ブレイブアサギ号の……倉庫……じゃない……?」
喉がカラカラに干からびている。最後に記憶にあるのは、足元の甲板がグニャリと歪み、フリードやキャップ、ホゲータの手が届かずにそのまま闇の中へ引き摺り込まれた恐ろしい感触だけだった。
ロイ
「フリード……! キャップ……! ホゲータ……!」
夢中で仲間たちの名前を呼びながら立ち上がろうとしたその時、頭部に強い違和感を覚えた。
普段の自分の髪型とは明らかに違う、ドシリとした重みと熱気が頭頂部から伝わってくる。
ロイ
「え……なに、これ……?」
おそるおそる自分の頭へと手を伸ばしたロイは、指先に触れたその質感に思わず息をのんだ。
そこにあったのは、柔らかい人間の髪の毛ではない。アチゲータの頭頂部を思わせる、赤と白のゴツゴツとした、まるで小さな卵や炎の結晶のような形状をした硬い頭髪だった。触れるとほのかに熱を帯びており、体温とは明らかに異なる熱源がそこにあるのが分かった。
ロイ
「ひっ……!? な、なにこれ……頭に何か乗ってる……!?」
パニックに陥りそうになりながら、ロイは後ろへと一歩後退した。
その拍子に、お尻のあたりで『ズン』と重い何かが冷たい床を打つ感覚が走った。
ロイ
「うわっ……!?」
振り返ると、腰の後ろから太く頑丈な、アチゲータそのものの鱗に覆われた尻尾が生え伸びていた。
鮮やかな赤と黄色、そして腹側の白い皮膚の質感。それはまぎれもなく、仮想世界で共に旅をした相棒・アチゲータの体の一部そのものだった。自分の意志で動かそうとすると、まるで長年連れ添った手足のように、キュッと筋肉が収縮して床を力強く叩く。
ロイ
「尻尾……!? 頭も……アチゲータの……っ!?」
服や手足、体つきはまだ12歳の少年のままだ。だが、頭髪と腰から生えた巨大な尾だけが、明確に「アチゲータ」の姿へと書き換えられてしまっていた。
ロイは震える手で己の頭の硬い突起と、足元で蠢く重い尻尾を何度も交互に触った。
ロイ
「どうしよう……僕、どうなっちゃったの……!? ホゲータ……助けてよ……フリード……ッ!!」
自分の身に起きた恐ろしい変貌と、誰一人として知る者のいない静寂の超高層空間。
ガラス越しに広がる東京の夜景を見下ろしながら、ロイは足元で重くうねるアチゲータの尾を抱え込み、たった一人で激しい動悸と恐怖に震え上がっていた。
ロイが放り込まれた広大なギャラリーCでは、運悪く『KNOWING YOUR FATES(汝の運命を知れ)』という、現代アートと幾何学オブジェを扱った最先端の企画展が開催中だった。
暗がりの中に配置された、精密な強化ガラスと金属で構成された幾何学的オブジェ群。
その中央で、アチゲータの頑丈な頭髪と赤く重厚な尻尾を生やした異様な姿の少年が、震えながら立ち尽くしていた。
警備員
「おい……ッ!? 誰だ、そこにいるのは!!」
不意にギャラリーの重厚な搬入口が開き、懐中電灯の鋭い光軸線を引いて警備員が入ってきた。
巡回中の警備員が目撃したのは、閉館後の展示室内に侵入した不審者の影――そして、人間の頭部に不気味に生え揃う赤と黄色の硬い突起物だった。
ロイ
「ひっ……!? 警備員……!?」
突然の光と怒声に驚愕したロイは、あまりの恐怖に思わず身体を跳ね上がらせた。
その瞬間――!
驚愕と恐怖による全身の過剰な収縮に連動し、腰の後ろから生えたアチゲータの頑丈で重厚な尻尾が、ロイの意思とは無関係に『バチンッ!!』と強烈な弧を描いて払われた。
ガシャアアンッ――――――!!!!
ロイ
「うわあああっ!?」
警備員
「な、なんだと……ッ!?」
アチゲータ特有の超重量級の打撃力を秘めた尾は、すぐ背後に展示されていた『KNOWING YOUR FATES』の目玉である大型アクリルガラス構造体と金属オブジェを正面から激打。
巨大な展示物はひとたまりもなく粉砕され、無数の鋭い破片となって静寂なフロア一面へと派手に飛散した。
次の瞬間、衝撃センサーと静止区域侵入センサーが同時に作動した。
ウーッ! ウーッ! ウーッ!
『緊急警報。45階ギャラリーCにて破損および異常事態を検知しました。警備員は直ちに現場へ赴いてください』
赤く禍々しいパトランプが45階の天井を乱反射しながら高速回転を始め、超高層ビル全体を揺るがすようなけたたましい非常ベルの音が、耳を刺すほどの音量で鳴り響き始めた。
警備員
「な……なんだその姿は!? モンスターか!? 展示物を破壊したな! 動くな、警察を呼ぶぞ!!」
ロイ
「ち、ちがう……! 違うんだ!! 僕、わざとじゃ……っ! 助けて、フリード……!!」
アチゲータの頭髪からほのかに熱気が立ち上り、パニックを起こしたロイの尻尾が再び危険な音を立てて床を叩く。
鳴り止まない非常警報の嵐の中、見知らぬ巨大なビルの最上階で、ロイの孤独で危険な失走劇が幕を開けようとしている。
**【渋谷区・青空家 2階の子供部屋】**
その頃、ロイはけたたましいサイレンが響き渡る中、緊急エレベーターの籠の中で膝を抱えていた。
ガタガタと高速で下降するエレベーターの中、頭の上の硬い炎の卵と、腰から生えた巨大な尾が恐怖で震える。
「ハァ……ハァ……! 僕、どうなっちゃうの……!? 助けて……誰か……っ!」
一方、渋谷の青空家では、突如としてスマートフォンの画面が一斉に赤く点滅し、エリアメールのけたたましい警告音が部屋に響き渡っていた。
『緊急情報:港区虎ノ門2丁目付近にて、建造物侵入および大規模な器物破損事件が発生。犯人は謎の突起物と尾を持つ不審者とみられ、現在警察が包囲網を形成中――』
「え……港区……!?」
リコはテレビのニュースチャンネルへ咄嗟に切り替えた。
画面には「港区・虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」の速報映像が映し出され、ヘリコプターからの空撮が45階の『TOKYO NODE』周辺を眩しく照らし出していた。
ニュースアナウンサー
『ただいま入った情報によりますと、45階の展示会場にて、頭部に赤と白の異質な突起、腰部に巨大な尾を持った「正体不明の人物」が暴れて展示物を破壊。現在、館内の緊急エレベーター等を利用して地上方面へ逃走中とのことです!』
「赤と白の突起……巨大な尾……!?」
画面に一瞬だけ映し出された防犯カメラの静止画。そこに映っていたのは、恐怖に顔を歪ませながら、アチゲータの頭髪と強力な尻尾を振り回して逃げ惑う――紛れもないロイの姿だった。
リコ
「ロイ……! ロイだ!! ロイが……港区に落とされたんだ!!」
リコは衝撃で息を呑んだ。
さきほど見つけた預言者エクスの紙切れ――「910:35.6661, 139.7492 / 45F Gallery C」という数字の羅列。あれはまさに、ロイが落ちてくる「港区・TOKYO NODE 45階」の絶対座標を示していたのだ。
カイ
「港区……!? ここ(渋谷)から離れた場所なのか! 警察に追われているなんて……あの子、パニックになっているんじゃ……!」
ナルセ
「この姿で外に出たら、私たちだって警察や人々に捕まっちゃう……! でも、急がないとあの子が危険だよ!」
リコは頭上の緑の猫耳を固くピンと立たせ、短い尻尾をぎゅっと緊張させた。
リコ
「行こう……! 港区へ! ロイがこれ以上追い詰められて、アチゲータの力を暴走させちゃう前に……私たちが助け出さなきゃ!!」
現実世界で孤立し、パニックの渦中に叩き落とされたロイを救うため、リコたちは部屋を飛び出し、夜の街へと駆け出していく。ロイの運命は…