百合園セイア、旅の途中にて   作:桂木ヤコ

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山海經中央街・夜市 #この調味料 #あっちの茶葉 #こっちの紙細工

 

 ナギサが茶葉の店へ。

 

 ミカが紙細工の見える方へ。

 

 セイアは二人を見送り、道具屋の通りへ入った。

 

     ◇

 

 狭い通りでは、頭上にも品物が並んでいた。

 

 ざる。

 

 小さな蒸籠。

 

 長い柄のついた道具。

 

 丸い鍋の蓋が、いくつも重なって光っている。

 

 セイアは足を止め、一つの蒸籠を見た。

 

 昼食で見たものより、小さい。

 

「それは、一人分だよ」

 

 店番の犬が言った。

 

「こちらは?」

 

「三人か四人。入れるものによるけどね」

 

 セイアは二つを見比べた。

 

 小さい方は、片手でも持てる。

 

 大きい方には、底へ渡された竹の形がよく見えた。

 

 午前中に話していた、展示する道具のことを思い出す。

 

 机の上では、大きさを数字で見ていた。

 

 ここでは、持った手と、食べる人数が一緒に分かる。

 

「使い方も、一緒に見られると面白そうだね」

 

「蓋を開けた時が一番だよ。あそこに湯気がないと、何をするものか分かりにくいから」

 

 店番は笑った。

 

 セイアも頷く。

 

 買いはしなかったが、断ってから小さな方を持たせてもらった。

 

 竹は軽い。

 

 それなのに、昼にはずいぶん美味しいものが載っていた。

 

     ◇

 

 その先には、乾物を扱う店があった。

 

 袋の中に、きのこや、細く切られた何かが並んでいる。

 

 瓶に入った皮のようなものもあった。

 

 近づくと、乾いた香りがした。

 

 甘いもの。

 

 土に近いもの。

 

 鼻の奥を少しくすぐるもの。

 

 セイアは、店員の生徒へ一つ尋ねた。

 

「これは、何に使うんだい」

 

「煮込みにも使いますし、お茶に少し入れる方もいますよ」

 

 乾かした柑橘の皮だという。

 

 見せてもらったかけらは、表と裏で色が違った。

 

 香りを確かめる。

 

 生の果物とは、少し違う匂いがする。

 

「今日、友人が茶葉を買っているはずなのでね」

 

 セイアが言うと、店員は笑った。

 

「では、相談してからの方がいいかもしれません」

 

「そうしよう。勝手に足して、驚かせるのもよくない」

 

 店員は頷き、別の小瓶を示した。

 

「こちらなら、料理に少し振るものです。胡麻と塩と、香辛料を合わせています」

 

 店先には、味を見るための小さな豆腐が用意されていた。

 

 ひとつ勧められ、食べる。

 

 最初は胡麻の香りだった。

 

 そのあと、塩気と、少しだけ温かいような香りが残る。

 

 辛いだけではない。

 

 セイアは、もう一度瓶を見た。

 

「ご飯にも合いそうだね」

 

「はい。卵にも」

 

「……では、小さいものを一つ」

 

 

     ◇

 

 路地を抜けると、小さな中庭があった。

 

 店の裏口が幾つか面している。

 

 木箱を積んだ台車があり、その横に、休憩用らしい腰掛けが置かれていた。

 

 腰を下ろしてもよいかと尋ねると、店の奥から構わないという返事が来る。

 

 セイアは座り、水を飲んだ。

 

 見上げると、空は建物に囲まれて四角く見えた。

 

 人の声は聞こえる。

 

 けれど、通りの真ん中にいる時より少し遠い。

 

 足元には、細かな紙片が落ちていた。

 

 紙袋を作る時に切り落とした端のようだった。

 

 奥から出てきた生徒が、それを箒で集める。

 

 セイアは足を引いた。

 

「ああ、ありがとう」

 

「いや。こちらこそ、休ませてもらっているので」

 

 生徒は、集めたものを捨ててから、台車の箱を数え始めた。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 途中で扉の向こうから呼ばれ、顔を上げる。

 

 短い返事をし、また数え直す。

 

 セイアは、その様子を少し見ていた。

 

 旅へ来た自分の午後と、店で働く生徒の午後が、ここで短く重なっていた。

 

     ◇

 

 モモトークを開くと、三人の連絡欄に写真が届いていた。

 

 ミカからだった。

 

 紙で作られた、小さな鳥が並んでいる。

 

 赤。

 

 青。

 

 黄色。

 

 羽の形が少しずつ違った。

 

『これ、動くんだって』

 

 ナギサからは、すぐに返事が来ていた。

 

『どのようにですか?』

 

 セイアはそのやり取りを見て、少し笑った。

 

 以前なら、何を買うつもりなのか、持って帰れる大きさなのか、と確かめていたかもしれない。

 

 今日はまず、動くところが気になったらしい。

 

 ほどなく短い動画が届く。

 

 紙の鳥が、紐を引くと羽を動かした。

 

 机の上で、小さく羽ばたく。

 

 セイアも返信した。

 

『飛んでいかないのなら、安心だね』

 

 ミカから、すぐに返ってくる。

 

『ミレニアムじゃないんだから』

 

 セイアは、声を出して笑ってしまった。

 

 中庭の生徒がこちらを見る。

 

 セイアは軽く会釈し、端末をしまった。

 

     ◇

 

 待ち合わせの門へ戻った時、ミカが先に来ていた。

 

 手にしている袋は、一つだけだった。

 

 しかも、大きくはない。

 

「早かったね」

 

「さっき来たところ」

 

 セイアは隣へ立った。

 

 ミカが、こちらの小さな包みを見る。

 

「それ何?」

 

「料理に使うものだよ」

 

「セイアちゃん、作る側にも行くんだ」

 

「振りかけるところまでは、私にもできそうだった」

 

「そこからなんだね」

 

 二人で笑う。

 

 ミカは自分の袋を、少しだけ開いた。

 

 中には、小さな紙の鳥があった。

 

 色は、見せてくれたものよりも淡い。

 

 羽に、細い模様が描かれている。

 

「これにした」

 

「一つだけ?」

 

「うん。いっぱいあると、どれ動かすか迷うし」

 

 ミカは、壊さないよう袋を閉じた。

 

「あと、作ってるところ見せてもらってた。思ったより、ずっと細かいんだよ」

 

「楽しかった?」

 

「うん」

 

 返事に、迷いはなかった。

 

 買ったものの数を増やす代わりに、見ていた時間が長くなったらしい。

 

 セイアは、それ以上、確かめなかった。

 

     ◇

 

 ナギサは、約束の時刻の少し前に戻ってきた。

 

 手には細長い箱と、小さな茶葉の袋。

 

 二人を見つけると、少し足を速めた。

 

「お待たせしました」

 

「私たちも、今、何を買ったか話していたところだよ」

 

「ナギちゃんは?」

 

 ナギサは茶葉の袋を持ち上げた。

 

「先ほどとは、別のお茶です。試してみたら、気に入ってしまって」

 

「二回目のお茶、してきたんだ」

 

 ミカが言った。

 

「……試飲です」

 

「美味しかった?」

 

「ええ」

 

 ナギサは、否定を続けなかった。

 

 代わりに、箱を少し開ける。

 

 中には、薄い焼き菓子が並んでいた。

 

「こちらも。お茶と合わせて出していただいたものが、とてもよくて」

 

 ミカが覗き込む。

 

「ナギちゃんも、お菓子買ってる」

 

「私も、食べますので」

 

 セイアは小さく笑った。

 

 それから、それぞれの袋を一度見た。

 

 同じ町で過ごしてきたのに、戻ってきたものは三人とも違っている。

 

 それを順番に聞くだけで、まだ少し時間が欲しくなった。

 

     ◇

 

 駅へ向かう道を確かめようとして、ナギサが端末を開いた。

 

 セイアも、帰りの時刻を思い出す。

 

 今から歩けば、余裕を持って予定の列車に乗れる。

 

 朝に決めた通りだった。

 

 ミカは鞄から、店の写真が載った紙を出した。

 

 一度開き、また閉じる。

 

「……あっちの通り、もう準備してるね」

 

 夕方からの店が、台を外へ出し始めていた。

 

 薄い生地を重ねた盆。

 

 大きな鉄板。

 

 まだ火の入っていない鍋。

 

 ナギサは端末を見たまま、しばらく動かなかった。

 

 セイアが声をかける前に、彼女が顔を上げる。

 

「帰りの列車を、一本遅らせませんか」

 

 ミカが止まった。

 

 セイアも、ナギサを見た。

 

「後の便も、三人で座れそうです。戻りは少し遅くなりますが、今夜の予定は調整できます」

 

「……ナギちゃんが言うんだ」

 

 ミカの声が、少し弾んだ。

 

 ナギサは視線を逸らしかけ、やめた。

 

「朝の写真が、気になっていたので」

 

「葱のやつ?」

 

「はい。それと、暗くなってからの通りも、少し見てみたいです」

 

 セイアは頷いた。

 

「私も、まだ歩けるよ」

 

「私も!」

 

 ミカが、すぐに続く。

 

 ナギサは二人の返事を聞いてから、変更の画面へ指を置いた。

 

 そこまでの間に、長い相談は必要なかった。

 

     ◇

 

 切符の変更を済ませ、帰宅時刻も連絡した。

 

 それが終わると、三人は駅とは反対へ歩き出した。

 

 少し前まで、帰るために見ていた通りだった。

 

 今は、これから店が開く道になった。

 

 ミカが紙を広げる。

 

「これがあそこで、こっちは向こう。でも、全部は食べなくていいよね」

 

「ああ。気になったものを、少しずつにしよう」

 

 セイアが答える。

 

 ナギサも頷いた。

 

「まずは、座れる場所を確かめておきましょうか」

 

「それ、いいね」

 

 三人は通りの端へ寄った。

 

 もう、昼食を選ぶ時ほど空腹ではない。

 

 けれど、焼かれ始めた生地の匂いには、揃って顔を上げた。

 

     ◇

 

 目当ての店では、丸く伸ばした生地へ葱を散らしていた。

 

 折り畳み、また伸ばす。

 

 熱い鉄板へ置くと、すぐに小さな音がした。

 

 表面に細かな膨らみができる。

 

 店員の生徒がひっくり返すと、焼き色のついた面が現れた。

 

 ミカが、思わず一歩近づく。

 

 ナギサも見ていた。

 

 セイアは二人の間から、鉄板を覗く。

 

 品書きの写真より、ずっと動きが多かった。

 

 焼ける。

 

 膨らむ。

 

 少し沈む。

 

 端が、きつね色になっていく。

 

「一つ、切ってもらえますか」

 

 ナギサが注文した。

 

「はい。三つに?」

 

「お願いします」

 

 焼き上がったものが、紙の皿へ載る。

 

 切り分ける音がした。

 

 受け取ると、皿の底から温かさが伝わってきた。

 

     ◇

 

 通りの端の、小さな卓へ座った。

 

 ナギサが皿を中央へ置く。

 

 ミカは飲み物を買ってきた。

 

 セイアは、荷物が邪魔にならないよう椅子の下へ収める。

 

 誰に頼まれたわけでもなく、それぞれ一つずつ仕事をした。

 

 葱餅の端を持ち上げる。

 

 熱いので、少し待つ。

 

 ひと口かじると、外側は薄くぱりっとしていた。

 

 その下に、幾重もの柔らかな生地がある。

 

 葱の香りと、油の旨み。

 

 少しだけ効いた塩気。

 

 セイアは、口に入れたものをゆっくり噛んだ。

 

 隣では、ナギサが同じように食べている。

 

 ミカが二人を見た。

 

「待ってよかったね」

 

 ナギサは頷いた。

 

 飲み込んでから、答える。

 

「ええ」

 

 それ以上、理由を重ねなかった。

 

 待った時間にも、遅らせた列車にも、いま食べているものにも、その一言で十分だった。

 

     ◇

 

 空が暗くなるにつれて、吊られた灯りが目立ち始めた。

 

 昼間からそこにあったものも、点いてみると場所が分かる。

 

 赤い提灯。

 

 店先の白い光。

 

 調理台を照らす、小さな灯り。

 

 その間に、湯気が上がる。

 

 午前中に通った時には、店の名前ばかり読んでいた。

 

 今は、前に立っている人や、手渡されていく皿の方へ目が向いた。

 

 ミカが足を止める。

 

「少し待って。撮っていい?」

 

 セイアとナギサが、通りの端で待つ。

 

 ミカはすぐには端末を構えなかった。

 

 人が前を通るのを見送り、少し位置を変える。

 

 シャッターの音がした。

 

「撮れた?」

 

 セイアが尋ねる。

 

「うん」

 

 見せられた写真には、灯りのある通りと、その手前で待っている二人が写っていた。

 

 ナギサは少し横を向き、セイアはミカの方を見ている。

 

「私たちも入っていたんだね」

 

「入れたかったから」

 

 ミカが答えた。

 

 セイアは、その写真をもう一度見た。

 

 今度も、自分は旅先で何かを待っていた。

 

 けれど、隣にナギサがいる。

 

 写真の外には、ミカがいる。

 

 それが、画面を見ただけでも分かる気がした。

 

     ◇

 

 最後に、温かい甘味を一つずつ頼んだ。

 

 小さな椀に、白い団子が入っている。

 

 一つを割ると、黒胡麻の餡が見えた。

 

 中が熱いと教えられ、ミカは珍しく、しっかり待った。

 

「学習したね」

 

 セイアが言う。

 

「ナギちゃんのグラタン、忘れてないから」

 

 ナギサが、少し笑った。

 

 湖畔の洋食屋。

 

 三人で皿を分け、熱いと分かっているのにミカが食べてしまった、あの夜。

 

 セイアにも、すぐに思い出せた。

 

「今日は、誰も水を寄せなくて済みそうですね」

 

「寄せる準備してた?」

 

「……少しだけ」

 

 ミカが笑う。

 

 そのあと、冷ました団子を口へ運んだ。

 

 餡の甘さが広がったのか、目が細くなる。

 

 セイアも食べた。

 

 柔らかな皮と、胡麻の濃い香り。

 

 昼の茶菓子とは違う、夜にゆっくり食べたい味だった。

 

 椀を持つ手が、温まっていた。

 

     ◇

 

 店を出たところで、セイアは足を止めた。

 

 道の端に、少し座れる場所がある。

 

 ナギサとミカが振り返る。

 

「少し休んでから、駅へ向かわないかい」

 

 セイアが言った。

 

「よく歩いたのでね」

 

「うん。私も、ちょっと足に来た」

 

 ミカがすぐに座る。

 

 ナギサは時刻を見た。

 

「まだ余裕があります」

 

 そう言って、隣へ腰を下ろした。

 

 三人分の荷物を、足元へまとめる。

 

 セイアも座った。

 

 眠ってしまうほどではない。

 

 ただ、歩くのをやめると、身体が少しずつ落ち着いていく。

 

 ミカは紙袋の中を確かめた。

 

 鳥は、無事だった。

 

 ナギサは茶葉の袋を鞄の内側へ移す。

 

 セイアは、二人が片づけ終わるまで、黙って通りを眺めた。

 

 帰る前に、もう一つ何かを見つける必要はなかった。

 

 今日の分は、十分にあった。

 

     ◇

 

「今日、長かったね」

 

 ミカが言った。

 

 セイアは頷いた。

 

「朝の会議が、ずいぶん前に感じる」

 

「同じ日なのが、ちょっと変」

 

 ナギサが、自分の鞄へ目を落とした。

 

 中には、午前中の資料がある。

 

 その隣に、茶葉と菓子。

 

 丁寧に分けて入れてあるのに、帰り道は一緒だった。

 

「私は、あのあとすぐに帰らなくてよかったと思います」

 

 ナギサが言った。

 

 ミカは黙って聞いていた。

 

「仕事が終わると、それで一日の用事が済んだように思ってしまうことがあるので」

 

 セイアは、隣の顔を見た。

 

 ナギサは通りへ目を向けたまま、少し笑う。

 

「今日は、そのあとにも、いろいろありましたね」

 

「うん」

 

 ミカが答える。

 

「ナギちゃんが帰るの遅らせてくれたし」

 

「お二人とも、付き合ってくださいましたから」

 

「付き合ったっていうか、私も食べたかったもん」

 

 ミカの返事に、セイアも頷いた。

 

「私も、自分の分を食べたよ」

 

 ナギサは二人を見た。

 

 それから、声を立てずに笑った。

 

「そうでしたね」

 

     ◇

 

 駅へ向かう時、道はミカが確かめた。

 

 ナギサは切符を出す準備をし、セイアは途中の曲がり角で地図を見た。

 

 誰か一人が、全部を持って歩くことはなかった。

 

 途中でナギサの荷物が持ちにくそうになり、ミカが菓子の箱を受け取った。

 

 セイアも、自分の鞄の空いたところへ、小さな茶葉の袋を預かった。

 

 荷物が分かれると、三人の歩く速さが揃った。

 

 駅前で振り返る。

 

 通りの奥には、まだ灯りが続いていた。

 

 今から街へ入っていく生徒もいる。

 

 三人は、その流れとすれ違って改札を抜けた。

 

     ◇

 

 帰りの列車では、ナギサが先に窓際へ座った。

 

 ミカは向かい。

 

 セイアはナギサの隣だった。

 

 荷物を棚と足元へ収める。

 

 菓子の箱だけは、つぶれない場所へ置いた。

 

 列車が動き出す。

 

 窓の外の灯りが、一本ずつ後ろへ流れた。

 

 ミカが、鞄から紙の鳥を出す。

 

 膝の上へそっと置き、紐を少し引いた。

 

 羽が動く。

 

 ナギサが顔を寄せた。

 

「その部分が、繋がっているのですね」

 

「うん。ここ、折り方が大事なんだって」

 

 もう一度、動かす。

 

 セイアも見た。

 

 大きな仕掛けではない。

 

 けれど、紙の端が少し動くだけで、本当に羽ばたいているように見えた。

 

 ミカは二人が見終えるまで待ち、それから大切そうに袋へ戻した。

 

     ◇

 

 しばらくして、ナギサの返事が少し遅くなった。

 

 ミカが今日の写真を見せる。

 

 ナギサは頷く。

 

 次の写真へ進むまでに、瞬きが長くなる。

 

「……少し、目を閉じてもよろしいでしょうか」

 

 本人が言った。

 

 セイアは頷いた。

 

「着く前に起こすよ」

 

「ありがとうございます」

 

 ナギサは鞄を膝から下ろし、背もたれへ身体を預けた。

 

 ミカが、まだ見せていなかった写真の画面を消す。

 

「あとで、送るね」

 

「ええ。楽しみにしています」

 

 それが、その時の最後の返事になった。

 

 数分すると、呼吸が少し落ち着いた。

 

 セイアは窓に映るナギサの横顔を見た。

 

 眠ることを隠さなかった。

 

 無理に話を聞こうとも、降りる駅を自分だけで見張ろうともしなかった。

 

 ミカも、声を小さくしただけだった。

 

     ◇

 

「セイアちゃん」

 

 ミカが囁く。

 

「何だい」

 

「今日、来てよかったね」

 

「ああ」

 

「三人で」

 

 セイアは向かいを見た。

 

 ミカは、写真の入った端末を両手で持っていた。

 

 紙の鳥の袋は、横へ倒れないよう鞄の間に置いてある。

 

 少し眠そうでもあった。

 

「そうだね」

 

 セイアは答えた。

 

 窓の外を、知らない駅の灯りが流れていく。

 

 一人で来ていたら、道具屋でもう少し長く話したかもしれない。

 

 夜の店が開くまで待たず、帰ったかもしれない。

 

 逆に、全く別の道へ入っていたかもしれない。

 

 けれど今日は、魚を選んだナギサがいた。

 

 紙の鳥を見せてくれるミカがいた。

 

 二人がいたから、という理由だけではない。

 

 自分もその中で選び、食べ、休みたいと言った。

 

 それらを、誰も大げさなことにしなかった。

 

 セイアは、足元の鞄へ少し手を伸ばし、預かっている茶葉の袋が潰れていないことを確かめた。

 

     ◇

 

 トリニティへ戻る前に、ナギサを起こした。

 

 彼女は一度目を開け、窓の外を見てから、姿勢を戻した。

 

「……眠ってしまいましたね」

 

「少しだけだよ」

 

 セイアが言う。

 

 ミカが、端末の時刻を見せた。

 

「ちゃんと間に合ってるから、大丈夫」

 

 ナギサは二人を見て、頷いた。

 

「助かりました」

 

 以前なら、そのあとに、申し訳ありません、が続いたかもしれない。

 

 今日は、それで終わった。

 

 荷物を下ろす。

 

 切符を確かめる。

 

 ミカが先に立ち、セイアが菓子の箱を持つ。

 

 ナギサは、席に忘れ物がないかを三人分見た。

 

 扉が開く。

 

 夜の空気が、車内へ入ってきた。

 

     ◇

 

 帰り着くと、三人は談話室で荷物を分けた。

 

 ミカの紙の鳥。

 

 ナギサの茶葉と菓子。

 

 セイアの調味料。

 

 それから、午前中の資料。

 

 ナギサが書類を机へ置くと、ミカがその隣へ、小さな鳥を並べた。

 

 羽を一度、動かす。

 

 書類の端が、かすかに揺れた。

 

「そこへ置いておくのですか?」

 

 ナギサが尋ねる。

 

「今日は、ちょっとだけ」

 

 ミカが答える。

 

 ナギサは、片づけるようには言わなかった。

 

 セイアは上着を脱ぎ、椅子へ座った。

 

 靴の中で、足がよく歩いたことを伝えている。

 

 温泉のあととは違う疲れ方だった。

 

 けれど、今夜はすぐに一人の部屋へ戻るのが、少し惜しかった。

 

     ◇

 

「お茶、どうしましょうか」

 

 ナギサが言った。

 

 買ってきた茶葉を見ている。

 

「今から?」

 

 ミカが尋ねる。

 

「味を覚えているうちに、少しだけ淹れてみたくて」

 

 言ってから、二人を見る。

 

「ただ、お疲れでしたら、明日に」

 

「私は飲みたいよ」

 

 セイアが答えた。

 

「私も。お菓子は、明日でもいいけど」

 

「ええ。お茶だけにしましょう」

 

 湯を用意する。

 

 カップは、いつものものを出した。

 

 湖畔の工房から届いた、少し不揃いな三つ。

 

 ナギサは茶葉の袋を開き、まず香りを確かめた。

 

 ミカが椅子を寄せる。

 

 セイアも、少し顔を近づけた。

 

 知らない街で選んできた香りが、見慣れた部屋へ広がる。

 

 紙の鳥は、卓の端に座っていた。

 

     ◇

 

 お茶を飲みながら、午前中の話を少しだけした。

 

 確認しておきたいことは、明日、あらためてまとめる。

 

 その約束をしたところで、ナギサは資料を閉じた。

 

 ミカが、今日の写真を送った。

 

 夜の通り。

 

 昼食の蒸籠。

 

 茶楼の窓。

 

 最後に、紙の鳥を覗き込むナギサとセイアの写真がある。

 

「いつ撮ったんだい」

 

「さっき。電車で」

 

 セイアは画面を見た。

 

 二人とも、少しだけ身を屈めている。

 

 ナギサの顔は、午前中の会談の時よりずっと近い。

 

 セイア自身も、何かを考え込んでいるというより、小さな仕掛けをただ面白がっている顔だった。

 

「これも、よい記録だね」

 

 セイアが言うと、ミカは嬉しそうに笑った。

 

     ◇

 

 ナギサがカップを置いた。

 

「ミカさん。午後、その鳥を作っているところを見たとおっしゃいましたね」

 

「うん」

 

「どのように作るのですか?」

 

 ミカは鳥を手に取った。

 

「えっとね。最初は、ここが別々なんだって。それを、こう……」

 

 説明しようとして、少し手が止まる。

 

「……紙、ある?」

 

 ナギサが机の引き出しから、書き損じの紙を一枚出した。

 

 白い裏面を上にして、卓へ置く。

 

 ミカが、その端を折った。

 

 もう一度、折る。

 

 途中で首を傾げた。

 

「違う。これだと羽が逆になるかも」

 

「一度、広げてみようか」

 

 セイアが言う。

 

 ナギサが紙の反対側を押さえた。

 

 三人の手が、卓の真ん中へ集まる。

 

 すぐに同じものが作れるわけではなかった。

 

 折り目を一つ戻し、向きを変え、また確かめる。

 

 湯気は少しずつ薄くなっていった。

 

 

 午前中、同じ三人が向かい合っていた卓には、別の図が広がっていた。

 

 今、紙の上に引かれているのは、小さな鳥の羽を動かすための線だった。

 

「ねえ、これ、もう一枚使っていい?」

 

 ミカが言った。

 

「もちろん」

 

 ナギサが答えた。

 

 セイアは、自分のカップを少し端へ寄せた。

 

 それから、まっさらな紙を二人の方へ押し出した。

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