百合園セイアの一人(?)旅   作:桂木ヤコ

2 / 3
3泊4日ティーパーティーの旅
登山鉄道 #三人 #旅立ち #キヴォトスの車窓から


百合園セイアの一人旅から、一週間が過ぎた。

 

 お土産の団子はその日のうちになくなり、焼き菓子も残り少なくなった。ナギサから受けた「外出時の連絡について」の話は、セイアが想定していたより少々長かったけれど、それも今となっては旅の後日談の一つである。

 

 午後の談話室には、いつものように紅茶の香りが漂っていた。

 

 違っていたのは、ミカが菓子皿ではなく、セイアの携帯端末を独占していたことだ。

 

「……セイアちゃん」

 

「何だい」

 

「海の写真、ないの?」

 

「あるだろう。先ほどから見ているはずだが」

 

「これ、海鮮丼」

 

「海の恵みだね」

 

「こっちは?」

 

「焼きホタテ」

 

「その次」

 

「海の見える喫茶店のプリンだ」

 

「海、ちょっとしか写ってないじゃん!」

 

 ミカが端末を掲げる。

 

 確かに画面の大部分を占めているのは、黄色いプリンと、その上に乗ったさくらんぼだった。海は窓の向こうに細く収まっている。

 

 ナギサがカップの陰で小さく笑った。

 

「随分と充実したご旅行だったようですね」

 

「その言い方だと、私が食べることしかしていなかったように聞こえるが」

 

「違うんですか?」

 

「……歩いたよ」

 

「食べ物のお店まで?」

 

 セイアは紅茶を飲んだ。

 

 反論するには、写真という証拠があまりにも不利だった。

 

 もちろん、海も見た。

 

 知らない道を歩き、風の匂いが変わるのを感じた。旅館の部屋で、誰の声もしない時間を過ごした。

 

 けれど、それらは写真に残すよりも先に、自分の中へ入ってきてしまったのだ。

 

 一方、料理は運ばれてきた時点で、撮るべきものとして目の前にあった。

 

 そう説明すると、ミカは少し考えたあとで、端末をテーブルに置いた。

 

「じゃあさ、次は私が撮ってあげる」

 

「何を?」

 

「海も。街も。セイアちゃんも」

 

 ごく当たり前のことのように言ってから、ミカはナギサの方を向いた。

 

「ナギちゃんも来るでしょ?」

 

 ナギサの手が止まった。

 

「……まだ、次の旅行があるとも伺っていませんが」

 

「今、できたの」

 

「そのような決め方をされても困ります」

 

「でも、行きたくないわけじゃないでしょ?」

 

 返事までに、わずかな間があった。

 

 セイアは、その間を見逃さなかった。

 

「ナギサ。日程の問題なら、調整の余地はあると思うよ」

 

「簡単におっしゃいますが、三人揃って留守にするとなれば、それなりに準備が必要です。引き継ぎもありますし、連絡体制も――」

 

「それを済ませれば、行けるということだね」

 

「……セイアさん」

 

 ミカが、ぱっと顔を輝かせた。

 

「決まり!」

 

「まだです」

 

「じゃあ、決まりそう!」

 

 その表現には、ナギサもすぐには訂正を入れられなかった。

 

 窓の外で、庭木の葉が揺れている。

 

 セイアは、先日の帰りの列車を思い出した。

 

 紙袋の中のクリームパンと、窓に映る自分の顔。

 

 帰ったら何を話そうかと考えていた、あの時間。

 

 今度は、話を持ち帰る相手が隣にいる。

 

 その場合、旅はどのような形をするのだろう。

 

「……そうだね」

 

 セイアはカップを置いた。

 

「今度は、三人で行ってみようか」

 

     ◇

 

 準備には、二週間ほどかかった。

 

 ミカが持ってきた旅行雑誌には、いくつもの付箋が貼られていた。

 

 山の展望台。

 

 湖上遊覧船。

 

 古い街並み。

 

 ガラス細工。

 

 温泉。

 

 なぜか大きなパフェ。

 

 ナギサはそれらを眺め、移動時間を調べ、同じ日に回ることのできない場所を丁寧に分けた。

 

 セイアは横から、

 

「何も決めない時間も欲しいね」

 

 と言って、ナギサに見つめられた。

 

「何も決めない時間を、あらかじめ決めておくということですか?」

 

「少々、言葉が込み入ってきたね」

 

「セイアちゃん、難しいこと言ってナギちゃんの予定表に空欄作ろうとしてる?」

 

「理解が早くて助かるよ」

 

 行き先は、キヴォトスの外れにある湖畔の保養区に決まった。

 

 湖の周囲には古い商店街があり、山へ向かう小さな登山鉄道が走っている。湖岸の宿には温泉があって、近くには資料館や工房もあるらしい。

 

 三泊四日。

 

 同じ宿に泊まり、そこを拠点に出かける。

 

「毎日荷物をまとめなくていいの、いいね」

 

「移動ばかりでは、休みに来た意味がありませんから」

 

「おや。ナギサにしては余裕のある計画だ」

 

「どなたかが、余白も必要だとおっしゃいましたので」

 

 ナギサはそう言って、印刷した旅程表を三部、テーブルに並べた。

 

 宿の住所、列車の時刻、現地の連絡先。

 

 整った文字の間に、鉛筆で書き込める程度の空白が残されている。

 

 ミカは早速、その一角に小さな星を描いた。

 

「ここ、二日目の夕方。遊覧船!」

 

「ええ。予約も取れました」

 

「ほんと?」

 

「三人分です」

 

 ミカは旅程表を両手で持ち直した。

 

 その顔を見て、セイアは思った。

 

 まだ出発していないのに。

 

 もう、前の旅とは随分違っている。

 

     ◇

 

 出発当日の朝、駅で最初に待っていたのはナギサだった。

 

 時間の十分前に到着したセイアを見て、彼女は腕時計から顔を上げる。

 

「おはようございます、セイアさん」

 

「おはよう。随分早いね」

 

「乗り換えの確認をしていました」

 

 ナギサの旅行鞄は落ち着いた色合いで、持ち手には小さな名札がついている。普段より歩きやすそうな靴を履き、上着も外出向きのものだった。

 

 ただし、手にした書類挟みだけは、いつもの執務中とほとんど変わらない。

 

「それも持っていくのかい?」

 

「旅程表と予約票です。仕事の書類ではありません」

 

「中を見せてほしいとは言っていないが」

 

「……そのようなお顔をなさったので」

 

 そこへ、ミカがやってきた。

 

「おっはよー! 二人とも早い!」

 

 大きく手を振っているが、走ってはいない。

 

 旅行鞄のほかに、小さな紙袋を提げていた。

 

「遅刻するかと心配しました」

 

「ちゃんと起きたもん。あと、朝ご飯も買ってきた」

 

 袋の中には、三角形のサンドイッチが並んでいた。

 

 卵、ハムとチーズ、野菜。

 

 三種類が一つずつ。

 

「前、セイアちゃん朝ご飯忘れたんでしょ?」

 

「よく覚えているね」

 

「今回は忘れさせません、ってナギちゃんに先に言われそうだったから」

 

「実際、そのつもりでした」

 

「ほらね」

 

 セイアは二人を見比べ、それから紙袋を覗き込んだ。

 

「なるほど。今回は出発前から、ずいぶん面倒を見てもらえるらしい」

 

「嫌?」

 

「いや。卵のものをもらってもいいかな」

 

「そこは早いんだね!」

 

     ◇

 

 列車の座席は、向かい合わせにできる四人掛けだった。

 

 窓側が二つ。

 

 三人いる。

 

 ミカは荷物を棚へ上げたあと、その単純な事実に向き合った。

 

「……どうする?」

 

「何がですか?」

 

「窓側」

 

「私は通路側で構いませんよ」

 

 ナギサが答えると、ミカは少し不満そうな顔をした。

 

「そうじゃなくて。せっかくだから、ナギちゃんも景色見ようよ」

 

「通路側からでも見えますから」

 

「私が前に乗り出したら見えなくなるかも」

 

「乗り出さなければよいのでは?」

 

「確かに!」

 

 結局、一時間ごとに席を替えることになった。

 

 セイアは最初の窓際に座り、ミカはその向かい、ナギサは隣。

 

 発車のベルが鳴り、ホームがゆっくり後ろへ動き出す。

 

 ミカが小さく手を振った。

 

 そこには、見送りの誰かがいるわけではない。

 

「何に手を振っているんだい」

 

「出発する時って、振りたくならない?」

 

「……少し分かる気もするね」

 

 セイアも、窓の下で指先だけを動かした。

 

 やがて建物が低くなり、窓の向こうに広い空が現れた。

 

 ミカがサンドイッチの包みを開き、ナギサが飲み物を配る。紙ナプキンまで出てきた。

 

「準備がいいね」

 

「飲食物を車内でいただくのでしたら、必要でしょう」

 

「ナギちゃん、おしぼりもある?」

 

「あります」

 

「すごい。小さなホテルみたい」

 

「褒めているのですか、それは」

 

 卵のサンドイッチは、パンの端まで具が詰まっていた。

 

 口に入れると、柔らかな卵の甘みに、からしのわずかな辛さが続く。

 

 列車が分岐を通るたび、紙袋がかすかに揺れた。

 

 セイアが二口目を食べたところで、ミカが自分のサンドイッチを眺めながら言った。

 

「それ、美味しそう」

 

「君が選んだものだろう」

 

「でも、そっちもよかったなって」

 

「半分にしましょうか」

 

 ナギサが、自分のハムとチーズのサンドイッチを包みの上で分けた。

 

 するとミカも野菜の方を分け、セイアも卵の方を分けることになった。

 

 結果、三人の膝の上には、少しずつ違う大きさのサンドイッチが並んだ。

 

「三種類食べられるね」

 

 満足そうなミカを見て、セイアは小さく笑った。

 

 一人の時には、自分が選んだものだけが食事になる。

 

 三人なら、誰かの「そっちも」が増えるらしい。

 

     ◇

 

 最初の席替えは、ミカが忘れた。

 

 二度目は、ナギサが忘れた。

 

 ナギサは窓の外を見ていたのである。

 

 列車は山裾へ入り、川に沿って走っていた。

 

 水の浅いところは明るく、深い淵は緑が濃い。鉄橋に差しかかると車輪の音が変わり、そのたびにナギサは、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「……ナギちゃん?」

 

「はい?」

 

「席替えの時間、過ぎてる」

 

「あ……失礼しました」

 

 慌てて立とうとする彼女を、ミカが止める。

 

「ううん。今、景色見てたから」

 

「ええ。川が、思ったより近くて」

 

「もうちょっとそこにいていいよ」

 

 ナギサは意外そうにミカを見た。

 

 ミカは自分の席に座り直し、セイアの方へ少し身体を寄せた。

 

「こっちからでも見えるし」

 

「私が乗り出すと、見えなくなるかもしれないよ」

 

「じゃあ、ちょっとだけにして」

 

 セイアは本を閉じた。

 

 持ってきた本は、まだ十二ページしか進んでいない。

 

 前の一人旅なら、とっくに一章は読み終えていただろう。

 

 けれど今朝は、橋が見えるたび、面白い看板が現れるたび、誰かが声を上げた。そのたびに視線が上がり、ページをめくる手が止まった。

 

 栞を挟み、鞄へしまう。

 

「読まないの?」

 

「後にするよ」

 

 窓の外に、大きく空が開けた。

 

 山と山の間に、光を抱いた湖が見えた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。