百合園セイア、旅の途中にて   作:桂木ヤコ

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19.トリニティ郊外・クローバー通り #助手席 #二人で寄り道 #もう一軒

 

「三つ...だったかな」

 

 百合園セイアが言うと、ミカは手元の紙を見た。

 

「うん。三つ」

 

「丸は、五つあるようだが」

 

「こっちは、通り道にあったら、っていうやつ」

 

 同じ色のペンで、同じ大きさに囲まれていた。

 

 セイアは紙の上へ指を置き、道をたどる。

 

 一つは、確かに途中にある。

 

 もう一つは、少し横へ外れていた。

 

「こちらは、通り道ではなさそうだね」

 

「だから、小さく丸したの」

 

「そうかな」

 

 ミカが紙を持ち上げ、少し遠くから見た。

 

「……気持ちだけ?」

 

 セイアは笑い、車のドアを開けた。

 

     ◇

 

 誘ったのは、ミカだった。

 

 トリニティの郊外に、気になる店を見つけたらしい。

 

 畑の向こうにあるパン屋。

 

 古い街道沿いの、石窯を使う店。

 

 もう少し丘へ上がったところには、牧場の売店もある。

 

 どれも同じ方面だが、歩いて回るには離れていた。

 

 地図を見ながら、ミカが言った。

 

「セイアちゃんと車で行ったら、全部回れるかな」

 

 セイアも、店の写真を覗いた。

 

 天板の上に、焼き色の付いたパイが並んでいる。

 

 断面の写真まであった。

 

「この順番なら、無理はなさそうだ」

 

 そう答えた時には、自分も、最初の店へ行く気になっていた。

 

     ◇

 

 ミカが助手席へ乗り込むと、いつもは鞄を置く場所が埋まった。

 

 地図の紙を畳み、小さな鞄と一緒に膝へ載せる。

 

「今日はよろしくね、セイアちゃん」

 

「うん。道の方は、君に頼もうかな」

 

「任せて。最初のお店は、ちゃんと調べたから」

 

「二軒目は?」

 

「最初のお店で食べてから、もう一回見る」

 

 少なくとも、順番ははっきりしていた。

 

 セイアはベルトを締め、キーを回す。

 

 白いボンネットの下で、低い音が目を覚ました。

 

 隣で、ミカのベルトが留まる音がする。

 

 鏡を確かめ、車を外へ出した。

 

 朝の光が、二人の膝の上を横切っていった。

 

     ◇

 

 トリニティの建物がまばらになるにつれ、道の両側が開けてきた。

 

 低い生垣の向こうに、畑が続いている。

 

 遠くには、同じ向きに並ぶ白い屋根。その手前を、荷台に箱を積んだ小さな車が走っていた。

 

 ミカは窓の外を見て、それから紙を開いた。

 

「この先の橋を渡って、二つ目を左だって」

 

「二つ目だね」

 

「うん。大きい道の方。手前にも曲がるところがあるけど、そっちは違うみたい」

 

 セイアは頷いた。

 

 小さな水路を渡り、一つ目の道を通り過ぎる。

 

 次の角には、麦の穂を描いた看板があった。

 

「あ、あれ!」

 

「見えたよ」

 

 速度を落とし、曲がる。

 

 道の先に、赤茶色の屋根が現れた。

 

 まだ遠いのに、ミカはもう、地図を畳んでいた。

 

     ◇

 

 店の隣の駐車場には、先客の車が二台あった。

 

 セイアがエンジンを止めるより先に、ミカが窓の向こうを覗く。

 

「外でも食べられるんだね」

 

 軒の下に、木のテーブルが並んでいた。

 

 店先の黒板には、焼き上がる時刻が幾つか書かれている。

 

 車を降りたミカは、その前で足を止めた。

 

「ねえ、ミートパイのほかにも――」

 

 声の続きより先に、店の扉が開いた。

 

 エプロンを着けた店員が、天板を運んでいる。

 

 表面がつやつやした、小さな長方形のパイだった。

 

 セイアの足が、そちらへ向いた。

 

「今、焼けたところかな」

 

「はい。こちら、ミートパイです」

 

「では、二つお願いするよ」

 

「セイアちゃん、早くない?」

 

 ミカが隣へ来た。

 

「君も、これを食べたかったのでは?」

 

「そうだけど。私、まだ看板見てたんだけど」

 

 セイアは天板を見た。

 

 ミカも見た。

 

 端の一つから、細い湯気が上がっている。

 

「……うん。二つで」

 

 ミカが、店員へ笑いかけた。

 

     ◇

 

 会計までに、皿がもう一枚増えた。

 

 ミカが見つけた、シナモンの渦を巻いたパンだった。

 

「こっちも、おいしそうじゃない?」

 

「そうだね」

 

「一個、半分にしよ」

 

 セイアは、焼き色の濃い縁を見た。

 

 断る理由は、特になかった。

 

 温かい飲み物と一緒に受け取り、外のテーブルへ運ぶ。

 

 ミカが先に椅子へ腰を下ろした。

 

 セイアは向かいに座り、包み紙を広げる。

 

 パイの表面に、薄い層が重なっていた。

 

 端を割ると、乾いた音がした。

 

 中からは、炒めた肉と玉ねぎの匂いが上がる。

 

「わ、いい匂い」

 

 ミカが自分のパイを持ち上げた。

 

 ひと息吹き掛け、それから一口食べる。

 

 口元を隠すように紙を上げ、何度か頷いた。

 

 セイアも、割った端から食べた。

 

 外側は軽く崩れるのに、中の生地には、肉の汁が染みている。

 

 玉ねぎの甘さのあとに、胡椒の香りが残った。

 

 もう一口。

 

 さっきより中身の多いところへ入ると、思ったより熱かった。

 

 セイアはパイを下ろし、お茶の方へ手を伸ばしかけた。

 

 そちらも、湯気を立てている。

 

 手を止めると、ミカが笑った。

 

「そっちも熱いよ」

 

「……分かっているよ」

 

「今、分かったでしょ」

 

 セイアは答えず、割れたところへ、もう一度息を吹き掛けた。

 

     ◇

 

 シナモンのパンは、真ん中で切ってもらってあった。

 

 ミカが片方を、セイアの方へ寄せる。

 

「私、こっち。真ん中、いっぱいあるから」

 

「こちらにも、あるけれど」

 

「でも、こっちの方がちょっと多そう」

 

 セイアは、自分の半分を持ち上げた。

 

 外側の焼けたところに、砂糖が薄く固まっている。

 

「私は、こちらがよさそうだ」

 

「じゃあ、ちょうどいいね」

 

 ミカが嬉しそうに、渦の端をちぎった。

 

 甘い香りが、さっきまでの肉の匂いへ重なる。

 

 セイアは、焼けた縁から食べた。

 

 砂糖が歯に当たり、そのあとで、生地がほどける。

 

 お茶を飲むと、口の中が温かくなった。

 

 軒の向こうでは、畑の上を鳥が一羽飛んでいた。

 

 ミカがそれを目で追う。

 

「こういうところで食べると、ゆっくりになるね」

 

「君は、もう半分なくなっているようだが」

 

「気分の話!」

 

 ミカは残りを見て、それからセイアの皿を見た。

 

「セイアちゃんだって、同じくらいじゃん」

 

 確かに、そうだった。

 

     ◇

 

 片づけを終えると、ミカは店の中をもう一度覗いた。

 

 棚には、袋に入った焼き菓子も並んでいる。

 

「これ、ナギちゃんにどうかな」

 

 小さな丸いサブレだった。

 

 表面に細い模様があり、袋の口を紐で結んである。

 

「紅茶には、合いそうだね」

 

「じゃあ、一袋買ってくる」

 

「私の分も、お願いできるかな」

 

「一緒に食べればいいじゃん」

 

「帰ってからの分とは、別に」

 

 ミカが振り向いた。

 

「セイアちゃん、今日は私より買ってない?」

 

「まだ、一軒目だよ」

 

「それ、私が言うと思ってた」

 

 セイアは笑い、財布を取り出した。

 

 サブレの袋を二つ受け取ってから、車へ戻る。

 

 セイアは荷室を開け、二つの袋を、ほかの荷物に押されないところへ収めた。

 

 食べ終わったあとの地図には、最初の丸の横へ、小さな印が増えた。

 

 ミカが、ペンの蓋を閉める。

 

「次は、お昼だね」

 

「その前に、少し走ろうか」

 

「うん。ちゃんとお腹すかせていこう」

 

「座っているだけで、そうなるかな」

 

「お店の写真見てたら、なると思う」

 

 ミカは、そう言いながら助手席へ乗り込んだ。

 

     ◇

 

 次の店までは、畑の間を抜ける道が続いていた。

 

 建物が途切れると、空が広い。

 

 ミカは畳んだ地図を膝に置き、窓の外へ顔を向けていた。

 

「あそこの、何だろ。白いの並んでる」

 

「畑の覆いかな」

 

「近くで見ると、大きいね」

 

 道が緩く右へ曲がる。

 

 セイアは手前で速度を整え、ハンドルを送った。

 

 ミカの話は、そのまま続いていた。

 

 遠くに見える小屋のこと。

 

 さっきのパン屋で、もう一つ気になったもののこと。

 

 坂を上りきったところで、一度、言葉が止まった。

 

「……ねえ、セイアちゃん」

 

「何だい」

 

「運転、おとなしくなった?」

 

 セイアは、前の道を見たまま、目を瞬かせた。

 

「そうかい?」

 

「うん。前に乗った時、曲がるところとか、もっと忙しかった気がする」

 

 ミカが、膝の上の地図を指で押さえた。

 

「さっき、ちょっと身構えちゃった。でも、全然がくってならないから」

 

「身構えるほどだったかな」

 

「少なくとも、私の記憶ではね」

 

 そこは、はっきりと言われた。

 

 セイアは小さく笑い、次の直線でレバーを動かした。

 

「最近は、よくドライブに出ているからね。少しは、慣れたのかもしれない」

 

「車に?」

 

「車で出かけて、一日過ごす方にかな」

 

 朝に出て、どこかで停める。

 

 歩いて、食べて、また乗る。

 

 次の場所へ急いで着かなくても、その間に見つけるものはあった。

 

「それに、ゲームも知ったしね」

 

「……ゲーム?」

 

 ミカの声が、一段上がった。

 

     ◇

 

「前に見せてくれた、車のやつ?」

 

「ああ」

 

「あれで、おとなしくなるの?」

 

 セイアは、思わず笑った。

 

「君は、逆だと思うかい」

 

「うん。むしろ、もっと走りたくなりそう」

 

「思い切り走りたい時には、あちらでも走れるのでね」

 

 道路の先に、緩やかな下りが見えた。

 

 セイアはアクセルを戻す。

 

「ぶつけても、次には元に戻っている。あれは、随分と気が楽だった」

 

「動画、楽しそうだったもんね」

 

「うん。また行きたいと思っているよ」

 

 ミカが、声を立てて笑った。

 

「そっか。あっちで、いっぱい走れるんだ」

 

「今日は、次の店まで着ければ十分だしね」

 

「その次もあるよ」

 

「承知しているよ」

 

 下り坂の途中で、木の影が車内を横切った。

 

 ミカは、押さえていた紙から手を離す。

 

「でも、今の方が、いっぱい話せるね」

 

「さっきから、よく話していたじゃないか」

 

「まだ、話すことあるから」

 

「では、聞こうかな」

 

 セイアが答えると、ミカは早速、次の店の写真を開いた。

 

「このピザなんだけど」

 

 やはり、そこへ戻った。

 

     ◇

 

 古い街道には、背の高い木が並んでいた。

 

 その切れ目に、小さな店がある。

 

 入口のそばで、薪が乾かしてあった。

 

 駐車場へ車を入れると、店の奥から煙が細く上がっているのが見えた。

 

 ミカが端末をしまう。

 

「着いた?」

 

「ここだね」

 

 今度はミカが、先に店の前へ向かった。

 

 扉の脇で立ち止まり、振り返る。

 

「二人、入れるって!」

 

 セイアは車の鍵を鞄へ収め、そちらへ歩いた。

 

 入口へ近づくほど、薪の匂いに、焼けた生地の匂いが混じってきた。

 

     ◇

 

 奥の壁に、丸い窯の口があった。

 

 中が、赤く見える。

 

 長い柄の道具が入り、一枚のピザが向きを変えた。

 

 ミカは席へ着いてからも、そちらを見ていた。

 

「すぐ焼けるんだね」

 

「ああ。あの中は、かなり熱そうだ」

 

「さっき見た時、まだ白かったのに」

 

 店員が水を置くと、ミカはようやく献立へ顔を戻した。

 

 トマトとチーズのピザ。

 

 きのことベーコンの、白いソースのピザ。

 

 その下には、野菜を載せたものや、辛いソーセージを使ったものもあった。

 

「やっぱり、最初に見てた赤いのかなあ」

 

 ミカが指で写真を示す。

 

「君がそうするなら、私は、こちらにしよう」

 

 セイアは、きのこの方を指した。

 

 ミカが顔を上げる。

 

「それ、私も気になってた」

 

「では、半分ずつにするかい」

 

「うん!」

 

 返事が早かった。

 

 店員を呼び、二枚頼む。

 

 ミカは注文が終わる前に、献立の端へもう一度目を向けた。

 

「あと、このサラダもお願いします」

 

 店員が頷く。

 

 去ってから、セイアがミカを見た。

 

「それも、決めていたのかな」

 

「今、見た。上に焼いたチーズが載ってるんだって」

 

「なるほど」

 

 セイアも写真を確かめた。

 

 それなら、食べてみたかった。

 

     ◇

 

 サラダは、二人の真ん中へ置かれた。

 

 葉の上に、焼き目の付いたチーズが載っている。

 

 フォークで切ると、表面には薄い抵抗があり、中はやわらかかった。

 

 ミカが、葉と一緒に口へ運ぶ。

 

「あ、これ好き」

 

 セイアも、自分の皿へ取り分けた。

 

 チーズの塩気に、葉の苦みが合っている。

 

 口に残る酸味は、掛かっていたソースのものだった。

 

「ピザにもチーズがあるのに、違うものだね」

 

「じゃあ、頼んでよかった?」

 

「うん」

 

 ミカが満足そうに頷き、もう一切れ取った。

 

 その向こうで、窯の道具が動く。

 

 皿へ移されたピザが、こちらへ運ばれてきた。

 

     ◇

 

 先に来たのは、赤いピザだった。

 

 縁が大きく膨らみ、ところどころに濃い焼き色が付いている。

 

 真ん中のチーズは、まだ小さく泡立っていた。

 

 緑の葉を避けて、一切れを持ち上げる。

 

 先が、下へたわんだ。

 

「わ、待って」

 

 ミカは小皿を近づけ、伸びたチーズを巻き取るようにした。

 

 セイアは自分の皿へ一切れ移し、先の方を折る。

 

 ひと息冷ましてから、口へ運んだ。

 

 トマトの酸味が、熱いチーズと一緒に広がる。

 

 生地は薄いところでも、噛むと弾力があった。

 

 縁へ近づくと、今度は、焼けた香りが強くなる。

 

「おいしいね」

 

 ミカは、一口目を飲み込んでから言った。

 

 嬉しさは、十分に分かった。

 

「ああ」

 

 セイアは頷き、もう一口食べた。

 

 熱いうちに、次も食べたい。

 

 そう思う間に、白い方のピザが来た。

 

     ◇

 

 二枚目には、薄く切ったきのことベーコンが載っていた。

 

 焼けたきのこの端が、くるりと上を向いている。

 

 セイアが一切れ取ると、白いソースの甘い匂いに、ベーコンの香ばしさが混じった。

 

 口に入れる。

 

 きのこを噛んだところで、汁が出た。

 

 トマトの方より丸い味なのに、噛むたびに香りが変わる。

 

 ミカが、セイアの顔を見ていた。

 

「どう?」

 

「君も、早く食べた方がいい」

 

「その言い方、ずるい」

 

 ミカも手を伸ばした。

 

 しばらく、二人とも話さなかった。

 

 同じテーブルに、赤いものと白いものが並んでいる。

 

 片方を食べ終えると、もう片方が気になった。

 

 ミカが、二枚の皿の位置を少しずつ動かす。

 

「こっち、セイアちゃんから遠い」

 

「君の方も、取りにくくないかい」

 

「うん。これなら大丈夫」

 

 皿が、真ん中で斜めに並んだ。

 

 空いたところへ、サラダの器を寄せる。

 

 セイアは、近くなった赤いピザへ手を伸ばした。

 

     ◇

 

「二枚って、ちょっと多いかなと思ったんだけど」

 

 ミカが言った時には、どちらも残りが少なくなっていた。

 

「今になって言うのかい」

 

「でも、半分ずつだと、次が食べたくなるね」

 

「それは、分かるよ」

 

 セイアは水を飲んだ。

 

 ミカが残った一切れを持ち上げる。

 

「この、端の焦げたところも好き」

 

「私は、真ん中の、ソースを吸ったところかな」

 

「朝も、端っこの話してなかった?」

 

「朝は、砂糖の付いた方を選んだね」

 

「食べるものによって、ちゃんと違うんだ」

 

 ミカはそう言って、最後の縁を食べた。

 

 セイアも残っていた一切れを取り、皿の上のきのこを載せ直した。

 

 ナプキンで指を拭いた時には、窯の前に次の生地が運ばれていた。

 

 ミカが、自分の前の皿へ目を落とす。

 

「……食べちゃったね」

 

「うん」

 

「写真、撮ろうと思ってたのに」

 

 セイアも、空になった皿を見た。

 

 赤いソースと、焼けた生地の小さな欠片が残っている。

 

「おいしかったことは、伝わりそうだが」

 

「それはそうだけど!」

 

 ミカは笑い、端末を取り出した。

 

 結局、二枚の空いた皿を一枚撮った。

 

     ◇

 

 店を出て、すぐには車へ戻らなかった。

 

 建物の脇から、畑を見渡せる場所がある。

 

 ミカがそちらへ歩き、セイアも並んだ。

 

 低い柵の向こうに、真っすぐな畝が続いている。

 

 遠くで作業をしている住民の姿が、小さく動いた。

 

「おいしかったねえ」

 

 ミカが、もう一度言った。

 

「うん。二種類にして、よかった」

 

「サラダも」

 

「あれも、よかったね」

 

 風が通り、店の入口に掛かった札が揺れた。

 

 ミカは鞄から地図を出す。

 

 紙の角に、薄い染みが付いていた。

 

「あ。これ、朝のだ」

 

 セイアが覗く。

 

「パイかな」

 

「たぶん。ここ、ちょっと透けてる」

 

 ミカは指でその端を持ち、光へかざした。

 

 最初の店の丸の、すぐ隣だった。

 

「分かりやすくなったね」

 

「印を付けなくてもよかったかもしれない」

 

「そういう印じゃないんだけど」

 

 笑いながら、ミカは次の丸へ指を移した。

 

「牧場のお店、まだ行けるよね」

 

「時間は、十分にあるよ」

 

「じゃあ、行こう」

 

 ミカは紙を畳み、今度は、自分から車の方へ歩き出した。

 

     ◇

 

 街道を外れると、道は緩やかに上り始めた。

 

 畑の間に、草地が増えてくる。

 

 柵が、道路と並んで長く続いていた。

 

 ミカは窓を少し開けた。

 

「いい風」

 

 髪が頬へ掛かり、それを指で耳のそばへ寄せる。

 

 セイアは窓の外の草を見てから、道へ目を戻した。

 

 穏やかな坂では、車の音も一定だった。

 

 ミカはしばらく黙って、流れていく柵を見ていた。

 

 先ほどまでの食事の話が途切れても、静かすぎるとは感じなかった。

 

 坂の途中で、遠くに白い牛が見えた。

 

 ミカが身を起こす。

 

「あ、いた」

 

「売店も、近そうだね」

 

「あの牛のミルクかな」

 

「そこまでは、尋ねてみないと分からないね」

 

 ミカが笑う。

 

「じゃあ、聞いてみようかな」

 

 道の先で、屋根に牛の絵を載せた看板が見えた。

 

 駐車場の入口は、そのすぐ横だった。

 

     ◇

 

 売店の外には、日よけを掛けたベンチとテーブルがあった。

 

 木陰を選んで座る客もいる。

 

 紙のカップを持った生徒が、匙の先を舐めてから、隣の生徒へ何か言っていた。

 

 ミカの足が、入口へ向かう。

 

 中へ入ると、冷たい空気が頬に触れた。

 

 正面に、アイスの入ったケースが並んでいる。

 

「ミルクと、いちごと……あ、蜂蜜のもある」

 

 ミカが、一つずつ札を読む。

 

 セイアも覗いた。

 

 白いアイスの隣に、淡い桃色。その向こうには、細かな欠片の混じった茶色いものがある。

 

 ミカは、いちごの前へ顔を寄せた。

 

「二種類にできるんだって」

 

「うん」

 

「ミルクは食べたいよね。でも、もう一個が――」

 

 ミカの目が、ケースの端まで動いていく。

 

 その間に、セイアは横の冷蔵棚を見つけた。

 

 ガラスの器が、二段に並んでいる。

 

 黄色い表面の上に、うっすらと焼き色が付いていた。

 

 札には、焼きプリン、とある。

 

「こちらも、外でいただけるのかな」

 

 店員へ尋ねる。

 

「はい。器は、食べ終わりましたら返却口へお願いします」

 

「では、一つ」

 

 ミカが振り向いた。

 

「……セイアちゃん?」

 

「何だい」

 

「もう決まったの?」

 

「こちらが、おいしそうだったのでね」

 

 ミカも冷蔵棚を見た。

 

 しばらく、動かなかった。

 

「それもあるの、今言う?」

 

     ◇

 

 結局、ミカはミルクといちごを選んだ。

 

 プリンも味を見たいと言うので、セイアは頷いた。

 

「私も、アイスを少しいただいていいかな」

 

「もちろん。じゃあ、両方食べられるね」

 

 会計を済ませる時、ミカが思い出したように窓の方を指した。

 

「あの、ここで使ってるミルクって、外にいる牛のですか?」

 

 店員は、ミカの指した方を見た。

 

「ここの牧場のものですよ。あそこに出ている子だけではありませんけど」

 

「そうなんだ。ありがとう」

 

 ミカが、受け取ったカップを見た。

 

 白い山と、桃色の山が、隣り合っている。

 

「先にこっちから食べよう」

 

 もう、匙はミルクの方を向いていた。

 

     ◇

 

 日よけの下のテーブルへ、二人で座った。

 

 ミカが早速、白いアイスをすくう。

 

 口へ入れてから、目を細めた。

 

「冷たい」

 

「アイスだからね」

 

「うん。さっきまで、熱いものばっかりだったから」

 

 ミカは笑い、もう一口すくった。

 

 セイアはプリンへ匙を入れる。

 

 表面に、わずかな手応えがあった。

 

 中はなめらかで、持ち上げてもすぐには崩れない。

 

 一口食べると、卵の味が先にした。

 

 あとから、ミルクの甘い香りが残る。

 

 底へ匙を入れ、今度はカラメルも一緒に持ち上げた。

 

 薄い茶色が、黄色いところへ流れる。

 

「そっち、どう?」

 

 ミカが尋ねた。

 

「気に入ったよ。底のところも、一緒に食べてみるといい」

 

 器を真ん中へ寄せる。

 

 ミカもカップを寄せた。

 

 セイアは、自分の匙で白い方を少しすくった。

 

 舌に触れると、すぐにやわらかくなる。

 

 冷たさがほどけたあとに、プリンとは違う、まっすぐなミルクの味が残った。

 

 ミカはプリンを食べ、匙を見た。

 

「ああ、これもいいね」

 

「君の方も、おいしい」

 

「いちごも食べてみて。こっちは、ちょっと酸っぱいの」

 

 もう一口ずつ交換してから、器を戻す。

 

 ミカのいちごのアイスは、縁のところから溶け始めていた。

 

 ミカは、それを内側へすくい直す。

 

 セイアは、カラメルを少しずつ付けながら、プリンの残りを食べた。

 

     ◇

 

「セイアちゃんさ」

 

 ミカが、匙を持ったまま言った。

 

「車はゆっくりになったのに、お店だと早いよね」

 

 セイアは顔を上げた。

 

「パイと、これのことかな」

 

「うん。私が選んでるうちに、もう注文してる」

 

「食べたいものが、先に見つかったのでね」

 

「なんか、私ばっかり食べようって言ってる気がしてたんだけど」

 

「私も、食べるつもりで来ているよ」

 

 ミカは一度黙った。

 

 それから、口元へ手を当てて笑った。

 

「そうだよね。そうだった」

 

 セイアも笑い、器の底へ匙を入れる。

 

 カラメルが、まだ少し残っていた。

 

「君が店を見つけてくれたおかげで、今日は迷う時間が少なかった」

 

「私は、来てからも迷ったけど」

 

「それはそれで、楽しそうだったよ」

 

「楽しかった」

 

 ミカは、すぐに認めた。

 

 最後のいちごをすくい、口へ運ぶ。

 

 食べ終えたカップを、テーブルへ置いた。

 

「いっぱい食べたね」

 

「うん」

 

「あとは……さすがに、また今度かな」

 

 地図の、まだ行っていない二つの店を見ていた。

 

 セイアはその横へ目を向け、頷いた。

 

「そうしよう。今日は、よく食べた」

 

     ◇

 

 器を返してから、売店の脇の道を少し歩いた。

 

 柵の向こうでは、牛が草を食べている。

 

 近くに来ると思っていたミカは、しばらく待ち、それから笑った。

 

「ずっと食べてるね」

 

「私たちが見ていることは、気にならないらしい」

 

「おいしいのかな」

 

「そうだといいね」

 

 ミカは柵へ寄り掛からず、その手前で立ち止まった。

 

 風が草を揺らす。

 

 遠くの木の下にも、何頭か、白い背中が見えた。

 

 セイアは、売店の屋根の向こうへ目を向けた。

 

 空はまだ明るい。

 

 もう少しここにいてから帰っても、急ぐ必要はなさそうだった。

 

     ◇

 

 帰る前に、セイアは端末を取り出した。

 

 ナギサへ、これから戻ることと、土産があることを送る。

 

 隣でミカが、鞄の中を覗いた。

 

「サブレ、大丈夫かな」

 

「車へ置いた袋の方だよ」

 

「あ、そっか。私、今探しちゃった」

 

 セイアは笑い、鍵を取り出した。

 

 車へ戻り、セイアが荷室を開けると、ミカも隣から覗いた。

 

 二つの袋は、朝に置いたまま、並んでいた。

 

「あった。ちゃんと二つ」

 

 ミカは袋の外からそっと確かめ、それから元の場所へ戻した。

 

 助手席へ座り、地図を開く。

 

「帰りは、最初の大きい道まで戻ればいいんだよね」

 

「うん。そこからは、分かるよ」

 

 ミカが、三つ目の丸の横へ印を付けた。

 

 紙を畳む音がする。

 

 そのあとに、ベルトの留まる音が続いた。

 

     ◇

 

 帰り道では、ミカが、今日食べたものを順番に挙げていた。

 

 ミートパイ。

 

 シナモンのパン。

 

 赤いピザと、白いピザ。

 

「サラダもあったね」

 

 セイアが付け加える。

 

「うん。あのチーズもおいしかった」

 

 ミカは指を折りかけ、途中でやめた。

 

「あと、アイスとプリン」

 

「三軒で、随分食べたものだ」

 

「次、どれをもう一回食べたい?」

 

 セイアは、すぐには答えられなかった。

 

 熱いパイの中身も、きのこの香りも、まだ思い出せる。

 

「……今、決めるのは難しいね」

 

「だよね。私も」

 

 ミカは満足そうに頷いた。

 

 道が緩やかに下り、畑と同じ高さへ戻っていく。

 

 セイアは速度を整えた。

 

 ミカは膝へ地図を置いたまま、話を続けていた。

 

     ◇

 

 トリニティの見慣れた建物が現れるころ、窓から入る光が横へ傾いていた。

 

 交差点で止まる。

 

 ミカは、朝に写真を見せた店の名前を、地図の余白へ書き足していた。

 

 紙の端には、まだ小さな染みが残っている。

 

 信号が変わると、ペンの蓋を閉めた。

 

「今日、乗ってる時間も楽しかったよ」

 

 ミカが言った。

 

「食べている時間は?」

 

「それは、言わなくても分かるでしょ」

 

 セイアは笑い、前の車に続いて発進した。

 

 ミカの地図は、もう畳まれていた。

 

     ◇

 

 いつもの場所へ車を収め、エンジンを止める。

 

 ミカがベルトを外し、外へ出た。

 

 セイアも降り、荷物を取り出す。

 

 サブレの袋は、それぞれの手へ渡った。

 

 ミカが持つのが、三人で食べる方。

 

 セイアが持つのは、自分で選んだもう一袋だった。

 

「ナギちゃんには、何から話そうかな」

 

 ミカが、袋の口を確かめながら言った。

 

「運転の話から始めてもらえると、ありがたいね」

 

 ミカがこちらを見る。

 

 すぐに、笑った。

 

「あ、それは私が話す。ちゃんと、前より乗りやすかったって」

 

「うん。頼むよ」

 

「でも、パイを買うのが早かった話もするからね」

 

「あれは、焼きたてだったのでね」

 

「分かってる。私も、二つでって言ったもん」

 

 車の鍵をしまい、セイアはミカの隣へ並んだ。

 

 建物へ入ると、外より空気が静かだった。

 

 それでも、話は途切れない。

 

 廊下の角を曲がるまでに、ミカはもう、ピザの縁の話をしていた。

 

 セイアも、きのこの方を忘れずに付け加えた。

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