第十五章 演壇の作り方
ジュネーブ 一九三三年(昭和八年)三月十七日〜二十四日
地図も条約集もない会議だった。
代表部の奥の部屋に、三人がいた。松岡と、次席全権の佐藤尚武と、末席の黒瀬。卓の上には紙が二枚だけあった。一枚は、四点の提案の最終稿。もう一枚は、東京から届いた電報の写しだった。
電報は事務的だった。脱退の詔書の渙発は二十七日の予定。渙発と同時に、連盟事務総長宛の通告文を発送する。全権は追って帰国の途に就かれたし。
佐藤は、四点の提案をこの夜、初めて読んだ。
黒瀬の意見書に、中身は書かれていなかった。読み終えるのに、佐藤は長い時間をかけた。二枚目——樺太の頁で老眼鏡を直し、もう一度、最初から読んだ。
読み終えて、紙を卓に置いた。
「率直に言います。腰を抜かしました」と佐藤は言った。「三十年この商売をやっていますが、こういう紙は初めて見る」
それから、松岡を見た。
「その上で、全権。ひとつだけ、先に片付けたい」
「言え」
「我々がやろうとしているのは、閣議の決定を、外地から覆すことです」佐藤の声は穏やかなままだった。穏やかなまま、一語ずつ重くなった。「私は満洲事変からこちら、軍が政府の頭越しに動くのを憎んできた。既成事実を作って、追認させる。あのやり口の後始末を、二年間、連盟の廊下で頭を下げて回ったのは私です。——今夜、我々が図面を引いているものは、それと、どこが違うのですか」
部屋が静かになった。
黒瀬は末席で、手の中の鉛筆を見ていた。この問いに答える資格は、原稿を書いた男にはない——そう思った。
「違いは二つある」と松岡はやがて言った。歩きながらではなかった。立ち止まって、言った。
「一つ。軍は銃で既成事実を作る。撃たれた者は、選び直せない。我々が作るのは提案だ。東京は蹴れる。連盟も蹴れる。蹴れるものを卓に置くことを、私は越権とは呼ばん」
「二つ目は」
「負けたときに、消えるのが我々だけだ——という形にしておくことだ」と松岡は言った。「辞表を書け。私も書く。黒瀬も書く。日付だけ空けてな。覆すのではない。賭けて、負ければ、こちらが払う。軍の連中の帳面に一度も無いのは、その払いの欄だ」
資格はない、と思ったまま、口が動いていた。
「佐藤次席。私も上海で、軍が紙より早く既成事実を作るのを見てきました。紙の速さでは、追いつけません。追いつけないなら、追いかけるのではなく——軍が進む先に、別の事実を置くしかない。この提案は、誰の血も流さずに置ける既成事実となります。銃の代わりに紙しか持たない外交官が軍と同じ土俵に立てる手段を、私は他に知りません」
佐藤はしばらく黙っていた。
それから、老眼鏡をかけ直した。
「では、乗る前に値踏みをします」と佐藤は言った。「三十年ぶんの相場観です。外れたら、笑ってください」
佐藤は四枚の紙を、卓に横へ並べた。
「第一点、ハワイ。アメリカは乗りません。少なくとも十年は。しかし、断るにも十年かかる案です。太平洋を話し合いの卓に留めておく道具として、これは使える。第二点、樺太。正直に言えば、五分五分より悪い。前例がない。——ただし、前例のないものには、否決の前例もない。ソ連との緩衝という理屈は、この町の廊下でなら通る理屈です。第三点、南洋の監視受け入れ」
佐藤はそこで、初めて紙から目を上げた。
「これは、私が十年前から言いたかったことです。委任統治の透明性は、連盟の建物に勤めた人間なら誰でも知っている、日本の急所だ。これだけは、明日にでも通る。そして、第四点」
少し、間があった。
「これが読まれた瞬間、日本は被告席から降りる。誰もまだ座ったことのない席に移る。通るかどうかの話ではない。議場の意味が変わる」
佐藤は老眼鏡を外さないまま、松岡を見た。
「私は連盟の建物に十年勤めた男です。日本が、最初に出て行く大国になるのを、廊下で見送る係は御免こうむる。——結構。四点、乗りましょう」
乗る、と言ってから、佐藤は付け加えた。
「ただし、条件がひとつ。文言に一行、足しなさい。四点は一括の取引ではなく、各点、独立に討議し得る——と。一括なら、四つまとめて葬られる。切り離してあれば、どれかが生き残る。提案というものは、生き残った一点から芽を出すものです」
黒瀬は、その夜のうちに一行を足した。
「手続きの問題です」と佐藤が言った。「二月二十四日に勧告が通った時点で、東京の機械は動き始めている。閣議は済んだ。枢密院への諮詢が残っている。詔書の文案は、もう清書に回っているでしょう」
佐藤は老眼鏡を外した。
「詔書というものはね、黒瀬君。出てしまえば、誰にも引っ込められない。大臣にも、首相にも、書いた本人にもだ。だから止めるなら、出る前しかない。そして出る前の詔書には、日程という物差しだけが残っている」
「内閣に諮りますか」と黒瀬は聞いた。
「諮れば、二十七日が二十五日になるだけです」と佐藤は言った。穏やかな声のままだった。「外務大臣は、国を焦土にしても譲らぬと言った人だ。閣議には陸軍が座っている。提案の文言が東京の卓に載った瞬間、電報一本で我々は全員解任される。合法的に。三十分で」
松岡が、歩くのをやめた。
「では、誰と握る」
「首相とだけ」と佐藤は言った。「斎藤さんは海軍の人です。老提督は、出港前の艦なら止められることを知っている。それに、首相には日程を動かす権限だけは、誰に諮らなくてもある」
*
「演壇はどうする」と松岡は言った。「二月二十四日に、俺は退場した。次の総会は、もうない」
「特別総会は、閉会していません」と佐藤は言った。「休会しているだけです。幕を下ろす日を、事務局が決めかねている。再開を求めることはできる。——議長はハイマンス。ベルギーの外相です。私の任国の」
松岡が佐藤を見た。
「取れるか」
「名目次第です。『勧告に対する帝国政府の態度の表明』。連盟はそれを、脱退の正式な口上だと読むでしょう。葬式だと思えば、席は用意される。花輪つきで」
誰も笑わなかった。佐藤も笑っていなかった。技術の話をしているだけだった。
問題は、東京に何を、いつ知らせるかだった。
全部を事前に知らせれば、潰される。何も知らせなければ、発言の三十分後に解任の電報が来て、提案は資格を失った男の私語になる。
「発言の直前に、首相親展で一本」と松岡が言った。「中身は書かない。重大な発言を行う。渙発の手続きは、反響の到着まで待たれたし——それだけだ」
「賭けですな」と佐藤が言った。
「賭けだ」と松岡は言った。「だが斎藤さんは、電報を二日、握っていられる人だ」
黒瀬は末席で聞くだけだった。
二人の老練が、全世界に向けた演壇を部品から組み立てていくのを、黒瀬は初めて間近で見た。原稿は書けても、演壇は書けない。演壇は、手続きと、人脈と、日付でできていた。
*
佐藤が一度だけ、黒瀬の方を向いた。
「原稿は、何分です」
「英語で二十二分。仏語版なら二十五分」
「十八分にしなさい」と佐藤は言った。「葬式に来た客は、長い弔辞を許さない。弔辞でないと分かった瞬間から、客の時計は動き始める。四点目が読まれる前に席を立たれたら、この提案は三点になる」
黒瀬はその夜、原稿から四分を削った。
文言を削るのではなかった。時間を削るのだった。同じ論理を、より短い道で運ぶ。修辞をひとつ落とすたびに、ミリアムの声がした。条文に比喩は要りません。面積と、人数と、期日。
強烈な誘惑が小瓶に手を伸ばした。だめだ。今はだめだ。
朝までに、原稿は十八分になった。
*
二十日、ブリュッセル経由の返事が来た。
議長は再開に応じる。発言は二十五日午前。議題は、勧告に対する日本政府の態度の表明。
事務局の通知が各国代表部に回ると、ジュネーブの空気が一日で変わった。ホテルの食堂で、廊下で、日本人を見る目に同じものが浮かんだ。気の毒そうな、しかし安堵の混じった目だった。厄介な葬式が、ようやく日取りを決めた——そう読んだ目だった。
東京の新聞は、二十五日を「決別の日」と書いた。二十七日の詔書の段取りも、紙面はすでに組み込んでいた。祝祭の準備は、揃いすぎるほど揃っていた。
二十四日の夜、黒瀬は旧市街に短い紙を届けさせた。
二十五日です、とだけ書いた。
署名はしなかった。要らなかった。
代表部の灯は、遅くまで点いていた。卓の上の原稿は十八分になり、電報の文面は決まり、演壇は組み上がっていた。
あとは、読むだけだった。
*
同じ夜、松岡洋右は眠らなかった。
ホテルの部屋に、紙が三種類あった。十八分になった原稿。東京からの電報——脱退の詔書は二十七日の予定、全権は帰国の途に就かれたし。そして封筒がひとつ。中に、日付の空いた辞表が三通入っている。
松岡は原稿を三度読んだ。三度目は、声に出さずに唇だけで読んだ。十八分。演壇に立てば、自分の声でこれを読む。
去年の十二月、この町の演壇で、松岡は日本を十字架に掛けた。世界が日本を裁こうとしている、と言った。ナザレの人のように、と言った。議場は静まり、東京の紙面は沸いた。掛けられる側に立って拍手を取る味を、松岡はあの日、覚えた。
二十七日に詔書が出て、帰国すれば、桟橋は万歳で埋まる。確実な景色だった。松岡はそれを、値段として正確に見積もった。ひと月の英雄。長くても三月。新聞は、次の英雄を見つけるのも早い。
その先に何があるかも、見積もれた。
十三の年に、松岡はオレゴンにいた。ポートランドの親類の家で皿を洗い、庭を掃き、大学まで通った。あの国の広さを、地図ではなく足で知っている。汽車で三日走っても、まだ同じ国だった。孤立した日本がいずれあの国と向き合えば、結果は見積もるまでもない。そのとき歴史は、脱退の日の全権の名を、最初の一行に書く。日本を連盟から連れ出した男、として。
万歳の桟橋は、その一行への切符だった。
もう一方の賭けを、松岡は同じ帳面で見積もった。この原稿を読めば、桟橋には罵声が混じる。しかし提案が半分でも実ったとき、歴史は別の一行を書く。太平洋の秩序を最初に口にした男。原稿を書いた書記官の名は、そこには残らない。演壇で読んだ男の名が残る。それが演壇というものの、昔からの仕組みだった。
一瞬の拍手と、教科書の一行と。
秤は、思ったより早く傾いた。
辞表の封筒を、松岡は手に取った。三通。負ければ三人で払う——そう佐藤に言ったのは本当だった。ただし三人で払えば、一人当たりの払いは三分の一になる。それも本当だった。松岡は、その種の計算を自分に隠さない主義だった。
鞄を開け、東京の電報を底に入れた。その上に、封筒を置いた。一番上に、十八分の原稿を置いた。
鞄の中に、別の提案があった。
鞄を閉め、松岡は窓の外を見た。レマン湖は黒く、明けるまでには、まだ何時間もあった。眠れなかったのは、迷っていたからではなかった。