第七章 ナンセン旅券
上海 一九三一年(昭和六年)春〜夏
ソフィアの下宿は、霞飛路の裏通りにあった。
石造りの三階の、いちばん安い最上階だった。窓から屋根と電線と、遠くに教会の丸屋根が見えた。部屋にはベッドと、湯沸かしと、鍵のかかる小さなトランクがあった。
楽団は五人だった。ドラムを叩くのは元近衛連隊の士官で、バイオリンは神学校を二年で出た男だった。全員が、以前は別の何かだった。以前の話は、しなかった。上海の白系ロシア人は、履歴書を燃やして生きている。燃やし残した部分だけが、酒の席で時々、火の粉のように飛んだ。
黒瀬は週に二度か三度、店に通うようになっていた。
ソフィアは政治の話をしなかった。
「政治には興味がないの」と一度だけ言った。「政治のほうは私に興味があったけど。家を三度、替えさせられたことでもう十分」
音楽と食べ物の話をした。それから、たまに黒瀬の話をした。その順番が正確だと黒瀬は思っていたし、その順番が心地よかった。
一度だけ、下宿でボルシチを作ってくれた。
小さな湯沸かしで、時間をかけて作った。ビーツの赤が鍋の中で深くなっていくのを、彼女はずっと見ていた。
「オデッサの味とは違う」と食べる前に言った。「オデッサの材料が、ここにはないから。でも作り方は同じ。味は覚えているの」
匙を持ったまま、付け足した。
「覚えている味は、奪われないから」
黒瀬は黙って食べた。
同じ港から出た別の女が、ジュネーブで同じ文法の言葉を言ったことを、彼は言わなかった。
楽団の男たちの、燃やし残した履歴が飛ぶ夜もあった。ドラム叩きの元士官は、酔うと必ず一度だけ、クリミアの最後の船の話をした。岸壁に馬を残して乗った、という話だった。馬の名前まで話して、そこで必ず止めた。誰も先を聞かなかった。全員が、自分の馬にあたる何かを、どこかの岸壁に残してきていた。
*
五月に、彼女の旅券を見た。
仏租界警察の滞在許可の更新に、書類の書き方が分からないと言うので付き合ったのだった。窓口の列に並びながら、彼女は灰緑色の小冊子を出した。
ナンセン旅券。
国籍という欄に、国の名前がなかった。「元ロシア国籍」とだけ、フランス語で刷ってあった。
革命で国を追われたロシア人は、百万を超えた。ソヴィエトの政府は彼らの国籍を紙一枚で取り上げ、世界は突然、どこの国民でもない人間の群れを抱えることになった。それを見かねた北極探検家のナンセンが、国際連盟の難民高等弁務官として作らせた身分証だった。国家が保証しない人間を、国際機関が紙一枚で保証する。
保証は、薄かった。この旅券で入れる国は少なく、入れても働く許可は別だった。査証なしで人間を呑み込むのは、世界でほとんど上海だけだった。
「あなたの役所が作った紙よ」とソフィアは言った。
黒瀬は小冊子を返した。国際連盟。ジュネーブの、あの灰色の建物。会議室では軍縮の幽霊が痩せていき、廊下の端では、この紙が百万人の命綱になっている。同じ建物の仕事だった。
「更新は、いくら掛かるのですか」
「お金じゃないの」とソフィアは言った。「並ぶ時間。それと、係官の機嫌」
列は、午後いっぱい動かなかった。
列には、あらゆる種類の元・何かが並んでいた。前に立った老人は、袖口の擦り切れた外套の下に、時計を三つ着けていた。売るための時計だった。元は大学で数学を教えていた、と誰に聞かせるでもなく言った。列の中では、誰もが少しずつ喋った。並ぶことしかできない時間は、人を喋らせる。
ミリアムの言う「土地」の意味が、書類の列の中で、もうひとつ具体的になった。
*
彼女の来歴は、断片で聞いた。
父はオデッサの税関吏だった。帝政の官服を着て、港で三十年、貨物の帳簿をつけた。内戦が来て、白軍が崩れ、一家は港から船に乗った。乗れたのは、父と娘だけだった。母と弟は、母の実家のある内陸の町にいて、間に合わなかった。
父はハルビンで発疹チフスで死んだ。十九の娘が一人になり、南へ流れて、上海に着いた。
「母と弟は、まだオデッサに」と彼女は言った。「手紙は来るわ。年に二度か三度。検閲の判子を押されて」
それだけだった。声に湿り気はなかった。事実を言う声だった。事実だけで十分に重いとき、人は声を平らにする。
家族の半分が、地図の向こう側にいる。
黒瀬はミリアムの言葉を思い出した。手紙が来なくなりました、と彼女は言った。ソフィアの手紙は、まだ来ている。来ていることと、来なくなることの間に、どれだけの距離があるのか。あるいは、ないのか。
聞かなかった。
*
六月、租界がひとつの事件で騒がしくなった。
工部局警察が、四川路の商店の二階でベルギー人夫妻を逮捕した。ヌーランという名前だった。名前は他に六つあった。旅券は三カ国分出てきた。
コミンテルンの極東機関の、金庫番だった。
部屋からは帳簿が押収された。極東中の共産党の活動資金が、あの商店の二階から出ていた——と、英字紙が連日書き立てた。モスクワは無関係を主張した。誰も信じなかった。
帳簿は、具体的だった。
白系ロシア人の社会に、細かい緊張が走った。
亡命者の街には、あらゆる種類の耳があった。ソヴィエトを憎む者たちの集会に、ソヴィエトの耳がある。それを各国の機関が買いに来る。金で動く者もいた。金ではないもので動かされる者もいた。地図の向こう側に家族が残っている人間は、この街にいくらでもいた。
その週、キャバレーの客は薄かった。
ドラム叩きの元士官が、二日、店に出てこなかった。三日目に戻ってきたとき、誰も何も聞かなかった。工部局に呼ばれた者は、その週の租界に何人もいた。呼ばれて、帰ってきた者は、帰ってきたというだけで少し疑われた。
ソフィアはいつもより長く、注文のない曲を弾いた。
黒瀬は聞きながら、彼女が月に一度、フランス書店で楽譜を買うことを、なぜか思い出していた。譜面台に譜面を置かない女が、楽譜を買う。
思い出しただけだった。考えは、しなかった。
*
夏の間に、北の導火線が短くなった。
六月の末、満洲の草原で日本の陸軍大尉が中国の兵に殺された。地図を作るための旅だと日本側は言い、軍の密偵だと中国側は言った。陸軍は事件を八月まで伏せ、伏せた分だけ、公表のときに大きく爆ぜた。
七月の初め、長春の郊外の万宝山で、水路をめぐって朝鮮人の入植農民と中国人の農民が衝突した。死者は出なかった。しかし号外は出た。朝鮮の新聞が「同胞迫害」と書き、朝鮮の町で中国人の商店が襲われ、百人を超える華僑が殺された。その報せが今度は中国の新聞に載り、排日の火に油を注いだ。
水路一本の喧嘩が、二つの国の紙面を往復するたびに大きくなった。
上海では、日本商品の不買運動が広がった。
南京路の日本商店の何軒かが、戸板に紙を貼られた。学生の隊列が旗を立てて歩き、日本製の石鹸や布を積んで焼く集会が開かれた。焼かれる商品の山を、黒瀬は一度、遠くから見た。
領事館への投書が増えた。黒瀬は情勢報告を書いて東京に送った。関東軍の周辺で何かが準備されている、という趣旨を、書ける範囲の言葉で書いた。
返電は、なかった。
*
八月の終わりの夜、店がはねた後で、ソフィアが言った。
「ジュネーブへは、いつ戻るの」
黒瀬は、ジュネーブの話を彼女にした記憶がなかった。
外交官がジュネーブと縁を持つのは、当てずっぽうでも当たる程度には、ありふれたことだった。酔った夜に自分で話したのかもしれなかった。話していないのかもしれなかった。確かめる方法はなかった。
確かめないことにした。
「分かりません」と黒瀬は言った。「辞令は、理由を書かない紙なので」
ソフィアは笑って、それきりだった。
帰り道、川の方から汽笛が聞こえた。
九月が、もう近かった。