北に、弔う   作:埴輪庭

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骨の青年

 ◆

 

 ルードヴィヒの視線は地の底から()め上げるようにラカニシュへ向けられていた。そこには仇敵に向ける陰湿な怒気が多分に込められている。姿形こそ生前のそれであったが、放散する陰の気はまさしく死者のものだ。それはまさしく怨霊と呼ぶに相応しい妖気であった。

 

 雪煙を上げて吹き飛んだラカニシュは、骨体の至る所を欠けさせながらも自身の放った圧縮空気弾に耐え抜く。術師も魔力で自身の肉体……ラカニシュの場合は骨体を強化できる。腹筋に力を込めて打たれるのと脱力して打たれるのとの差だ。

 

 単純な反射ではない所がいやらしい、とポーは思う。あくまでも等量の威力を持つ“罰”なのだ。連盟術師ルードヴィヒの術式圏内では彼が定めた法に反する行動を取った時、“被告人”の行動を触媒として罰が与えられる。所謂法の下の平等で、術者自身が反しても罰が与えられる。

 

「エルファルリさんという前衛剣士がいる状態での“これ”は辛いでしょうね」

 

 ポーは他人事のようにいいながら、両眼から滴る血涙を拭取った。これは代償だ。彼は今、死痛とも言うべき苦痛を全身に感じている。ルードヴィヒにしてもキャスリアンにしても、従う相手は他ならぬ自分自身だけだ。そんな彼等が他者の走狗(そうく)となるというのは、どれ程の理不尽で、どれ程の苦痛を伴うのか。

 

 ポーが今行使している術……応報の権能。これはその者に降りかかった不幸、理不尽をそれを与えたものへ返すという力であり、一時的に仮初の命、肉体を与え、自身の手でその者へ応報させるという事も出来る。理不尽とそれに伴う苦痛、苦悩が術の起動条件だが、当然起動をするならば支払うべきものを支払わねばならない。代償だ。

 

 その代償とは苦痛、苦悩への完全共感である。あなたの気持ちはわかりますよ、などという薄っぺらい言葉で“共感してもらえている”と感じる間抜けがどこにいるのだろうか。ポーは対象が死した時と等量の苦痛を、術を起動している間ずっと肩代わりする。それにより掌中の死者達は狂するほどの苦痛から解放され、澄んだ思考で適切な復讐ができる。度を超した苦痛はポー自身を殺めもするだろうが、命を、魂を使うなら、代金が自身の命や魂であるというのは至極当然のことだ。

 

 ◆

 

「見事だ、連盟の術師!」

 

 エルファルリが叫ぶなり、大剣を突き出し、身を低くしたままラカニシュに向かって駆け出した。齢六十を超える身でありながら、全身を覆う筋肉は躍動し、そこから生まれる膨大な運動エネルギーは彼女の両の脚に爆発的推進力を与える。雪に覆われた大地を踏み砕く音はまるで爆発音の様で、彼我の距離、約十五メトルを瞬きの間に縮めた。東域の草原に棲む“風喰い”という黄色に黒斑の肉食獣は駆け出して三つ数える間に最高速へ達するが、走り比べをしたならば短距離はエルファルリに軍配があがるだろう。

 

 ◆

 

 一瞬にして詰められた距離……その勢いがそのまま貫通力として乗算された渾身の突き。それがラカニシュの白い胸部へと吸い込まれ、剣先が少し埋まり、そして弾かれた。大剣の剣身にラカニシュの手があてがわれ、その白い骨の指が剣に食い込む。天地から流れ込む膨大な魔力が、ラカニシュの五体をこれ以上ないというほど強靭なものにしていた。二人の魂こそ剥離させられたが、人一人が抗える存在ではない。

 

 エルファルリは少し目を見開き、そして歯を食いしばり、亡き夫の遺品でもある邪祓いの大剣に入った(ひび)が広がっていくのも構わず、柄を握る腕に力を込めた。

 

 ◆

 

 憎い、憎い、憎い。愛する夫を奪った外道が憎い。エルファルリの両眼と思考が憎悪に染まる。彼女が見た夫の、オルド騎士コーエンの姿は無残なものだった。四肢が断裂し、達磨のような姿となったコーエンは股間部から頭頂部までもを骨の槍で貫かれ、それでもまた死ぬ事を許されずに幸せそうに笑っていたのだ。

 

 無数のオルド騎士、そして当時共闘した無数の帝国軍兵士、彼等が命を懸けてラカニシュの術の無駄打ちを誘った。再生には魔力が要り、魔力は有限だ。ゆえの人海戦術であった。命を的に魔力を削り、ついにラカニシュが息切れした時、オルド騎士ラドゥの烈怒に震える雷刀がラカニシュを真っ二つにした。そして帝国の精鋭術師達が自身らの命を触媒とし、果ての大陸の縛鎖(ばくさ)と同質の強大な封印を施し、当時は勝利を収める事が出来たのだ。

 

 ラカニシュの封印と共に術が解け、コーエンは正しく死を迎える事が出来たものの、エルファルリは愛する夫の尊厳を陵辱(りょうじょく)された事を決して忘れはしない。憎悪していてもエルファルリの頭は冷たく冷えていた。脳裏にポーから掛けられた言葉が蘇る。

 

 ──必要な事なのですよ

 

 ◆

 

 自身の全身の力を総動員して繰り出した突きが、せいぜい胸部の骨を削るだけであった事にエルファルリが動揺する事はなかった。だがその場から一旦離れて態勢を整える事もしなかった。そこは絶対致死圏内だ。腕の薙ぎ払いでも受けたなら上半身が引き千切れてしまったとしても不思議ではない。そして、不思議ではない事は当たり前のように起こる。

 

 ラカニシュが握る大剣がぐいっと引き寄せられ、エルファルリの体が揺らぐ。そしてラカニシュが無造作に腕を薙ぐと、幾重にも骨が絡み合った不気味な骨腕はエルファルリの上腕部から胸の半ばまで深々と食い込んだ。ラカニシュの手指がエルファルリの、正しく体内でぐちゃぐちゃ音を立てて(うごめ)く。そして指の先端が彼女の心臓に触れ、それを握りしめようとした時。

 

 ぽんっとラカニシュの肩に手が置かれた。まるで旧友に声を掛けるときの気安さで。

 

 ──よォ、久しぶりだな。家族面して俺を殺った時の気分を教えてくれよ。ところで話は変わるが何が人の本質だと思う? 俺は骨だと思っている。本質ってのは最期まで残るもンなんだ。なんたって一番硬いからな。何より硬いのさ。そう、ラカニシュ、お前よりも……

 

『糾う骨』キャスリアンが皮肉気な笑みを浮かべて立っていた。

 

 ・

 

 バキバキと。エルファルリの上腕骨、肋骨、胸骨が、体内に潜り込んでいたラカニシュの腕へと絡み付いていく。エルファルリの意識は深刻な肉体の破壊、激痛、出血によるショックで既に失われていた。しかし彼女の骨はまるで生きているように蠢き、ラカニシュの骨の表面の無数の欠損痕……ルードヴィヒの法に反した罰の痕から内部へもぐりこもうとしていた。

 

 ラカニシュは自身に異物が入り込んでくるのを感得していた。刃物が潜り込む様なそれではなく、己の肉体が段々と他人のものになっていくような(おぞ)ましい感覚であった。エルファルリの骨……彼女の中で一番硬い部分、彼女の本質をラカニシュのそれと同化させ、内部より損ねてしまおうという狂気的な作戦だった。

 

 ◆

 

 ポーは既にキャスリアンをエルファルリに憑けていた。骨を愛するキャスリアンだからこそ骨は応えるのであって、忌み嫌うラカニシュの骨には応えない。忌み嫌うからこそ相争うというのに、相手へ最低でも好感を抱いていなければ術が及ばない。彼が純戦闘向きではないとされる理由だ。ただラカニシュとの相性は非常に良い。彼は生きとし生ける者を皆愛している故に。

 

 ◆

 

 ポーは自身がこれまで以上に急速に消耗していっているのを感じていた。五体をバラバラに引き裂かれているような痛み。ルードヴィヒが、キャスリアンが味わってきた苦痛だ。誰かの理不尽な死の鎖を解きほぐす時、彼はいつも理不尽な苦しみに(さいな)まされる。

 

 しかし彼の精神世界に暗雲が広がり、苦くて黒い雨が降りしきる中、もう辛いと膝が折れそうになった時。ポーは決まって雲の切れ目に蜂蜜色の髪の毛と蒼の瞳をもった少女の姿を視るのだ。

 

 ──ファシルナミエ……

 

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