◆
真っ白い空間に、ぽつんと黒い箱が置かれている。箱は所々
「やあ」
中年男性……マルケェスはかつて“ここ”で逢った時のように気さくに挨拶をしてきた。ポーも軽く頭を下げて返礼する。
(無茶をして、と叱られるかな)
そんな事をポーは思うが、マルケェスからはポーを責める様子はない。
「あの箱はそろそろ壊れてしまうからね。腰掛けるには少し憚られる。ほら、君も座ってくれ。お茶も出そう」
マルケェスが軽く指を鳴らすと、目の前にテーブルと椅子が現れた。マルケェスとポーは暫し黙って茶を
「それで、後悔はないのだね」
その問いに、ポーは頷いて答えた。
「ええ。しかし……“彼”もあなたが連れてきたのでしょう? 勘弁してくださいよ」
ポーの口調はややなじるようだった。そう、ラカニシュは元連盟の術師だ。そして、彼はマルケェスが連れてきた。マルケェスはふふっと笑い、肯定する。
「そうだ。でも私はそれに対して特に思う所はない。彼は彼で、彼なりの理屈でもって君達を想っている。まあそれは君達にとっては厄災でしかないのだろうけれど、私には……『余り関係のない事さ』」
ポーは目の前に座るマルケェスの影がぶわりと広がり、人ではない何かの姿をとったのを見た。声もどこか遠く、ここではないどこでもない、深い深い地の底から響いてきたような声だった。
「“君達”は、私が特に面白いと思った人間達だ。面白いというのは、業が深いとも言う。そして君達はいずれも……一部の例外はあるが、絶望し、渇望し、精神の死に瀕していた。このまま果てさせるには惜しい……そう思った私は君達が君達自身の“面白さ”に気付いて、そこから力を引き出せるように少し弄ったのさ」
ふう、とマルケェスが
「私はそれを見てきたんだ。長い長い間。私はこう見えて結構長く生きている。私は君達人間よりは心が強いけれど、不滅不朽では無い。知っているかね? 私達が滅びる一番の理由を。他者から滅ぼされる事もあるが、それより多い理由。それは自殺さ。私達は退屈なんだ。退屈だから面白い君達を好む……。だからね、面白い君達で何をどう争おうと、それはそれで私にとっては心を慰撫してくれる見世物なのだよ」
お前達の人生は自分の退屈しのぎだ、そう言われてもポーは腹を立てなかった。
「そうですか。悪趣味ですね。でも……その悪趣味な貴方に僕は、僕等は救われてきたのは事実です。ありがとう、マルケェス。貴方を父と呼びたくはありませんが、僕の実父よりは随分マシだと評価しましょう」
ろくでもない評価だね、といいつつマルケェスは煙管を消した。そろそろ時間だからだ。
「一応聞くが、君は自身の容量を超えた術を行使しようとしている。君の肉体も魂も、術の代償を支払いきる事は出来ないぞ。君は死ぬ。逃げるつもりはないのかね? 確かに“彼”は厄介だろうが、ここは一旦退いて態勢を立て直すという事も出来るのでは?」
ポーは苦笑して言った。
「それでは間に合わない、と僕の霊感が囁いています。そしてね、僕は……寒いんです。酷く寒い。あの日から寒くて寒くてたまらないのです。ファシルナミエの骸に最期の口付けをした時から。この寒さを忘れたくて、僕のような寒さを感じる者を減らす為に、僕はこれまで旅をしてきたのですが……少し疲れました。そろそろ休みたい。これは良い切っ掛けでしょう」
マルケェスはうんうんと頷いた。それなら仕方ないな、とばかりに。
「あの子はまだ彼岸で君を待っているよ、逢ったなら、待たせた事を謝る事だ」
マルケェスの言葉にポーは破顔した。それでは、とマルケェスは気取った様子で一礼をして……ぱっと、まるで魔法の様に消えてしまった。真っ白い空間に声だけが残響する。
──お疲れ様でした、ゆっくり休んで下さいね
◆
それはほんの僅かな時間の白昼夢だったのだろう。ポーは自身の意識が“戻ってきた”事を理解して、口の端に笑みを浮かべた。ポーは組んだ手を天に掲げる。それは魔術行使の身振りというよりは、祈りのような仕草に見えた。
片腕のラカニシュは暗い
ラカニシュが残った腕をポーへ向けた。
──大気揺らめきて我が掌に集う
──紫電の怒気立ち昇り、是に宿る
ラカニシュの掌の中心部に白銀色のエネルギーが収束していく。それは世界中の雷をぎゅうっと集めて固めたような破壊的で破滅的な光だった。協会式魔術でも最高峰に位置する“極光”の術だ。固体、液体、気体に続く第四の状態、膨大な熱を孕むそれを投射して周辺ごと焼き払う大魔術。勿論禁呪指定である。
魔導協会というのはその勢力を大陸中に広げている一大魔術組織であり、政治とも宗教とも繋がりまくっている非常に俗な組織である。理念は言ってしまえば“集合知”で、皆で知恵を持ち寄って協会を限りなく大きくしていきましょうという真っ当すぎるほど真っ当な理念が、協会にどれ程の力を与えてきたか。帝国が帝国魔導という新体系を広めようとしているのも、協会ばかりに力を集中させる事を良しとしなかったからである。“極光”もその集合知の産物だ。禁呪とはいえ秘匿されてはおらず、その辺の木っ端魔術師でも原理は知れる。形を成す事が出来るかは話が別だが……。
・
──極光よ、在……
ラカニシュの術が完成し、今にも撃ち放たれようとした時。
──想いが果たされ、心が安寧で満たされます様に。次に生まれ来る時は、幸せで、ありますよう、に……
ポーの術が先んじて完成した。詠唱というよりは彼自身の個人的な願いであるような文言だった。だが術とは願いを形としたものだ。支障はない。
◆
ラカニシュの伸ばされた腕が、大剣の一振りで斬り飛ばされる。両の腕を失ったラカニシュの眼前に居たのは、エルファルリ。そして魔軍の中心で憎悪と困惑の叫び。死したはずの冒険者達が生前の姿で思い思いの業を振るっていた。そして。
「……どういう事だ? お前は、お前達は死んだ筈。そこにお前達の死体がある。ならばお前達は何者だ。……そうか、冥府から戻ったか。それでこそ我々の宿敵か」
ヒルダの眼前にはヌラが立っていた。それだけではない。左には先程死んだ筈の女剣士ケイ、右には女術師マハリが立っている。
◆
生と死が入り乱れる混沌の坩堝で、偽りの生を与えられた者達が正真正銘最期のダンスを踊る。想いが果たされない限り、例え術者が死んだとしても彼等は消えず、五体を引き千切られても速やかに生前の姿を取り戻すだろう。他の如何なる術体系にも模倣できぬ奇跡。ポーは優れた術師なのだ。
いや、優れた術師だった。
連盟術師ポーの心の臓は既に鼓動を停止している。一度に多くの苦痛を受け入れすぎた代償だ。この世ではないどこかで、今度こそ二人は一緒になれたのだろう。
そして、戦いの終わりも近づいていた。