フランが札を掲げた。
札に刻まれた魔方陣が、紅く輝いた。
フランの背後へ、幾重もの魔方陣が広がる。
そこへ膨大な魔力が流れ込んでいった。
空気が震える。
放たれた光が、水龍へ直撃した。
爆音とともに、水の竜が内側から弾け飛ぶ。
大量の水が、雨のように庭へ降り注いだ。
その向こうに、無数の光が浮かんでいる。
何十、何百。
数え切れないほどの魔弾が、空を埋め尽くしていた。
「これはどうするの?」
フランが再び笑った。
「全部なくせるかな?」
「やめなさい、フラン!」
レミリアが飛び上がる。
その直後、魔弾の雨が降り注いだ。
「来るな!」
俺は両腕を前へ突き出した。
一度なら、神羅天征で押し返せる。
だが、天道を使えない間にも、後続の弾は降り続ける。
俺は餓鬼道の力を開いた。
最初の魔弾が掌へ触れ、吸収される。
続いて二発、三発。
正面から来る光が、次々に魔力へ戻って消えていった。
光の向こうで、レミリアが進路を変える。
降り注ぐ魔弾の外側を回り、フランへ向かっていた。
その姿も、すぐに見えなくなった。
数が多すぎる。
吸収するたび、腕の内側へ熱が溜まっていく。
視界が白く染まり、轟音が耳を塞いだ。
「ぐっ……!」
吸収しきれなかった魔弾が肩を掠める。
上着が裂け、その下の皮膚が焼けた。
続いて、脇腹。
脚。
衝撃を受けるたび、身体が揺れる。
両手の向きを変え、迫る光を受け止める。
足をずらし、吸収の及ばない弾を避ける。
それでも、すべては防げなかった。
餓鬼道も万能ではない。
このまま受け続ければ、流れ込む魔力に身体が耐えきれなくなる。
「どうして?」
フランの声が聞こえた。
「どうして、まだ立ってるの?」
俺は答えない。
答える余裕もなかった。
腕の内側を走る熱が、鋭い痛みへ変わっていく。
やがて、魔弾の数が減り始めた。
最後の数発を吸収すると、空を覆っていた光が消える。
俺は両腕を下ろした。
指先が微かに震えている。
肩と脇腹から流れた血が、黒い衣服へ染み込んでいた。
「フラン、もう終わりよ!」
レミリアが妹へ手を伸ばす。
フランはその手をするりとかわし、俺の頭上へ飛んだ。
「まだ終わってないよ!」
既に、その指には二枚目の札が挟まれていた。
新たな術式が空へ広がる。
紅い魔方陣の中心から、一匹のコウモリが現れた。
それに続き、二匹、四匹、八匹。
黒い影が瞬く間に数を増やした。
追いかけてきたレミリアの前にも群れが広がり、その姿を覆い隠す。
翼が空気を叩く音が、庭を満たしていった。
牙。
爪。
一匹ごとに、確かな重さと実体がある。
魔力の塊を撃ち出しているのとは違う。
餓鬼道では吸収できない。
コウモリの群れが、四方から俺を取り囲んだ。
「いっけー!」
フランが腕を振り下ろす。
無数のコウモリが、一斉に突撃してきた。
俺は両手を左右へ突き出した。
「――神羅天征!」
見えない斥力が、俺を中心に広がる。
迫ったコウモリが弾かれ、互いにぶつかりながら吹き飛んだ。
だが、押し寄せる群れを押し返しきる前に、目の奥へ激痛が走った。
膝が折れかける。
斥力が途切れた。
弾かれた群れの向こうから、後続の影が迫る。
一匹が肩へ激突した。
牙が肉へ食い込む。
続いて背中。
脇腹。
腕で振り払い、黒棒を生成して一匹を叩き落とす。
だが、数が多すぎた。
視界が黒い翼に覆われる。
神羅天征は、すぐには使えない。
地上にいれば、このまま囲まれる。
俺は地面を蹴った。
同時に、周囲へ満ちる外の魔力へ意識を伸ばす。
――自分で浮こうとするな。
魔理沙の声が、頭の奥に蘇った。
――魔力に、自分を預けるんだ。
身体の重さを、周囲の流れへ預ける。
足が地面から離れた。
落下しない。
身体が、上へ昇っていく。
「ナガトが……飛んだ?」
レミリアの声が聞こえた。
驚いている暇はない。
左右から迫るコウモリを避けようと、身体を傾ける。
途端に姿勢が崩れた。
思うようには動けない。
飛ぶというより、空中で流されているだけだった。
それでも、地上で囲まれるよりは動ける方向が多い。
俺は黒棒を振るいながら上昇した。
肩へ激突され、脚へ食らいつかれる。
痛みに意識が乱れるたびに高度が落ち、その都度、外の魔力を捉え直した。
コウモリの群れは逃がすまいと、俺を追って空へ昇ってくる。
黒い影が、一つの大きな渦となって迫っていた。
このまま逃げ続けることはできない。
俺は空中で身体を捻り、群れへ向き直る。
黒棒を手放し、胸の奥でチャクラを練った。
印を結ぶ間にも、コウモリは距離を詰めてくる。
「火遁・豪火球の術!」
吐き出した炎が巨大な球となり、迫る群れへ正面から衝突した。
黒い影が炎に呑まれる。
コウモリたちは焼かれながら黒い霧へ戻り、次々と消えていった。
上空で炎が大きく爆ぜる。
その衝撃に、不安定な身体が押し流された。
外の魔力との繋がりが途切れる。
「――っ」
身体を支えていた感覚が消えた。
俺は炎の残光とともに、地面へ落下する。
風遁で衝撃を和らげようとしたが、印を結ぶ指に力が入らない。
地面が迫る。
身体を捻り、辛うじて頭からの落下だけは避けた。
直後、背中へ衝撃が突き抜けた。
肺からすべての空気が押し出される。
視界が白く染まり、しばらく呼吸すらできなかった。
やがて、遠くで翼の音が聞こえた。
豪火球を逃れた数匹も、術式の消失とともに黒い霧へ戻っていく。
二枚目の魔方陣が消えた。
何とか、凌いだ。
だが、身体はもう限界だった。
魔弾に焼かれた肩と脇腹。
コウモリの牙と爪によって裂かれた腕や背中。
目の奥には鈍い痛みが残り、左腕は指先まで痺れている。
起き上がろうと地面へ手をついたが、肘が折れ、再び崩れた。
「長門!」
咲夜の声が聞こえた。
どうやら戻ってきたらしい。
その傍らにはパチュリーもいる。
咲夜が息を呑み、パチュリーが手元の本を開いた。
「ナガト!」
レミリアが俺へ向かってくる。
そのとき、フランがゆっくりと地上へ降りてきた。
もう、魔弾は浮かんでいない。
先ほどまでの無邪気な笑みも消えていた。
「……すごいね」
フランの靴が、地面へ触れる。
「こんなに遊べたの、初めて」
先ほどまでの弾むような声ではなかった。
フランは倒れた俺を、不思議そうに見つめている。
その身体には、大きな傷も見当たらない。
俺は右手を地面へつき直した。
震える腕を伸ばし、どうにか片膝を立てる。
「もういいわ、ナガト」
近づいてきたレミリアが言った。
「約束でしょう。ここからは私が――」
「どうして?」
フランの声が、その言葉を遮った。
「どうして、まだ立とうとするの?」
俺は顔を上げた。
「お前を止めるためだ」
「でも、もう動けないでしょう?」
「まだだ」
脚へ力を込める。
視界が大きく揺れた。
片膝をついたまま、それ以上は立ち上がれない。
レミリアの手が、俺の肩へ伸びた。
「待ってくれ」
俺はフランを見たまま言った。
「話をさせてくれ」
レミリアが妹へ目を向ける。
フランは武器を出すこともなく、俺の返事を待っていた。
僅かな沈黙の後、レミリアの手が止まる。
咲夜もその傍らへ来たが、二人とも、それ以上は口を挟まなかった。
「普通の人間なら、もっと早く壊れてたのに」
「俺も、普通の人間だ」
「嘘」
フランは小さく首を横へ振った。
「普通の人間は、あんな目をしてないもの」
その視線が、俺の輪廻眼へ向けられる。
「押したり、引っ張ったり。魔弾を消したり、身体から棒や武器を出したり。火も水も風も使えた」
フランは指を折りながら、俺が見せた力を数えていった。
「それに、何度壊そうとしても立ち上がってくる」
「……だから、面白かったのか?」
「うん」
フランは素直に頷いた。
「お姉様も、咲夜も、パチュリーも、あなたのことを気にしてた。どうしてなのか、ずっと知りたかったの」
その声には、僅かな寂しさが混じっていた。
「だから遊んでみたら、やっぱり面白かった」
「これは遊びではない」
「どうして?」
「これ以上続ければ、俺が死ぬと分かっているはずだ」
フランは、不思議そうに首を傾げた。
「死んだら、遊べなくなるだけでしょう?」
悪びれる様子はない。
本当に、それだけだと思っている。
「それが分かっていて、なぜ続ける?」
俺が尋ねると、フランは目を伏せた。
「だって――」
僅かな沈黙。
「そうやって遊んできたもの」
傍らで、レミリアが息を呑んだ。
咲夜とパチュリーも、何も言わない。
フランはすぐに顔を上げた。
「でも、あなたは今までと違った」
深紅の瞳が、再び俺を捉える。
「だから最後に、とっておきを見せてあげる」
差し出された右手。
その掌へ、赤い光が現れた。
同時に、胸の奥を何かに掴まれたような感覚が走る。
「――っ」
息が詰まった。
フランは俺に触れていない。
それでも何かが、肉体の奥深くへ入り込もうとしている。
「フラン!」
レミリアが動いた。
「それだけは駄目!」
輪廻眼に、細い魔力の流れが映る。
フランの手から伸びたそれは、俺の身体の一点を探るように揺れていた。
掌の光も、一つにまとまりかけては崩れている。
「あれ? あなたの“目”、変なの」
何を見ているのかは分からない。
だが、あの手を握らせてはいけない。
「きゅっとして――」
フランの指が動く。
レミリアの手が、その腕へ伸びた。
咲夜も踏み込み、パチュリーの前に魔方陣が開く。
俺は右手を持ち上げた。
あの光が何であれ、俺へ繋がっているのは魔力だ。
この経路を断てば――。
餓鬼道の力を開く。
「ドカーン!」
フランが拳を握り締めた。
何も起こらなかった。
轟音も、爆発もない。
俺へ伸びていた魔力は、拳が閉じる直前に掌へ吸い込まれていた。
「……あれ?」
フランが、自分の拳を見つめる。
レミリアの手が、その手首を掴んだ。
「何をするつもりだったの!」
だが、フランは姉を見ていなかった。
空いた手で自分の拳に触れ、恐る恐る開いている。
「どうして壊れないの?」
驚き。
戸惑い。
これまで通じていた力が、通じなかったことへの恐れ。
フランの視線が、ようやく俺へ戻った。
俺は、その目を見返した。
「レミリア。手を離してくれ」
「ナガト……?」
右腕を上げる。
腕の内側が焼けるように痛む。
それでも、もう一度だけ、輪廻眼へ力を込めた。
レミリアの指が緩む。
「――万象天引」
引力がフランの身体を捉えた。
「えっ?」
小さな身体が、俺の前へ引き寄せられる。
手の届くところで力を緩め、その足を地面へ下ろした。
右の拳を振り上げる。
フランが反射的に目を閉じた。
「――っ!」
こつん。
拳骨が、金色の頭へ落ちた。
「……痛い」
フランが頭を押さえ、目を開く。
その顔にあるのは、怒りでも恐怖でもない。
ただ、何が起きたのか分からないという困惑だった。
「力は、そんなことに使うものではない」
「……どうして怒るの?」
「今のは遊びではない。俺でなければ、とうに死んでいた」
「でも、壊れたら終わりでしょう?」
「そうだ」
一度、言葉を止める。
脳裏に、遠い日の光景が浮かんだ。
瓦礫に埋もれた里。
炎。
叫び声。
倒れた人々。
あの日、俺も力を振るった。
痛みを知らぬ者へ、痛みを教えるために。
平和を求めながら、自らの手で多くのものを壊した。
家を。
家族を。
人々が積み重ねてきた日々を。
輪廻天生によって命を戻すことはできた。
それでも、すべてが元通りになったわけではない。
与えた恐怖も、失われた時間も、消えることはなかった。
「壊したものは、元には戻らない」
それはフランへ向けた言葉だった。
同時に、かつての自分へ向けた言葉でもある。
力を持つ者が、それを振るう意味を知らなければどうなるのか。
俺は、知っている。
「遊びたいのなら、相手を壊さずに遊ぶ方法を覚えろ」
フランは頭を押さえたまま、俺を見つめていた。
深紅の瞳が、僅かに揺れる。
「壊さずに、遊ぶ……?」
「ああ」
「そんなこと、できるの?」
「できる」
「どうやって?」
「それを考えるところから始めろ」
フランは黙り込んだ。
今まで、誰にも教えられなかったのだろう。
遊びとは何か。
なぜ、壊してはいけないのか。
知らないのなら、教える者が必要だった。
やがて、フランが恐る恐る尋ねる。
「……あなたも、一緒に考えてくれる?」
「ああ」
「本当に?」
「お前が、今のような真似をしないのならな」
フランは、しばらく俺を見つめた。
そして、頭へ手を置いたまま、小さく頷く。
「分かった」
その返事を聞き、全身から力が抜けた。
戦いは終わった。
咲夜が俺の傍らへ膝をつき、傷の様子を確かめる。
パチュリーも本を手に近づいてきた。
レミリアはフランの顔を見つめていたが、やがて俺へ向き直った。
何か言おうとして、唇が僅かに動く。
「ナガト、貴方……」
「レミリア」
俺は、その言葉を遮った。
「な、何よ」
「妹を大切にするのはいいが、しつけはしっかりとした方がいいぞ」
「……え?」
「今回は俺だったからよかった。相手が違えば、取り返しのつかないことになっていた」
レミリアが目を瞬かせる。
隣では、フランがまだ拳骨を落とされた頭を押さえていた。
吸血鬼の姉妹が、揃って俺を見ている。
「力の使い方を知らないのなら、教えるのはお前の役目だ」
「私は……」
レミリアの表情が強張った。
「フランを守りたかったのよ」
「ああ」
それが間違いだったとは思わない。
フランを守るため、レミリアにも多くの事情があったのだろう。
それでも、フランは人を壊すことと遊びの区別を知らないままだった。
「守ることと、何も教えないことは違う」
レミリアは何も言い返さなかった。
フランへ目を向ける。
フランもまた、姉の顔を見上げていた。
やがてレミリアは、肩を落とした。
「……ええ。分かったわ」
随分と素直な返事だった。
俺は小さく息を吐き、立ち上がろうと膝へ力を入れる。
「動かないで、長門」
咲夜の声が聞こえた。
その瞬間、視界が揺れた。
地面が、大きく傾く。
力の入らなくなった身体が、前へ倒れた。
誰かの腕が、俺を受け止める。
漆黒の布。
微かな紅茶の香り。
「ナガト、しっかりしなさい!」
レミリアの声だった。
視界の端に、こちらを覗き込む深紅の瞳が見える。
その奥の光が、今までに見たことがないほど大きく揺れていた。
「死んだら許さないって言ったでしょう!」
声が、僅かに震えている。
「……善処はした」
「馬鹿!」
その言葉を最後に、俺の意識は暗闇へ沈んでいった。