東方輪廻談 ~ナガト幻想郷忍伝~   作:Takuma218

12 / 15
第十一話 フランドールという妹

昔のフランは、よく笑う子だったわ。

 

庭で珍しい虫を見つけたときも、私より高く跳べたときも、何かあるたびに振り返るの。

 

「お姉様、見て!」

 

はいはい、見ているわよ。

 

そんなふうに返事をしながら、結局は手を止めて妹を見る。

 

だって、見てあげないといつまでも呼ぶんだもの。あの子、そういうところは昔から変わらないのよね。

 

父と母がいて、領民たちも私たちを恐れていなかった頃。

 

妹の笑い声を聞いていれば、それだけでよかった。

 

その声を怖いと思う日が来るなんて、考えもしなかったわ。

 

◇

 

屋敷が焼かれた夜、母はフランの手を私へ預けた。

 

逃げなさい。

 

振り返ってはいけない。

 

妹を守りなさい。

 

それが、母から聞いた最後の言葉だった。

 

森へ逃げても、追手は諦めなかった。

 

木々の間に松明が揺れ、猟犬の声が近づいてくる。

 

「お姉様……怖いよ」

 

握った手が震えていた。

 

私だって怖かったわ。

 

でも、姉まで泣き出したら、この子は誰を頼ればいいの。

 

だから、笑ってみせた。

 

「大丈夫よ、フラン。これは鬼ごっこなの」

 

「おにごっこ?」

 

「ええ。捕まらないように逃げるのよ」

 

剣を持った男が、木々の間から飛び出した。

 

フランが悲鳴を上げる。

 

小さな手が握られ、男の身体が弾けた。

 

私は足を止めた。

 

フランは震えながら、私の顔を窺っていた。

 

「……私、勝った?」

 

後ろからは、まだ追手の声が聞こえる。

 

「ええ。よくできたわ」

 

頭を撫でると、妹の震えが少しだけ収まった。

 

あのとき、ほかに何と言えばよかったのかしら。

 

フランが力を使わなければ、二人とも捕まっていたかもしれない。

 

だから、あの夜の自分を間違っていたとは思わない。

 

でも、その後は?

 

安全な場所へ辿り着いてからなら、話せたはずなのよ。

 

もう追ってくる者はいない。

 

誰かを壊さなくてもいい。

 

それを教える時間は、いくらでもあった。

 

私は妹が欲しがるものを与え、危険が近づかないようにした。

 

フランが誰かを傷つけるようになると、妹を地下へ遠ざけた。

 

あそこなら誰にも傷つけられない。この子が誰かを傷つけることもない。

 

よく考えたつもりだったわ。

 

少なくとも、あの頃の私はね。

 

◇

 

「私とは遊んでくれないのに」

 

荒れた庭で、フランはそう言った。

 

……それを、今ここで言うのね。

 

妹の手には紅い大鎌がある。

 

その前に立つナガトも、既に傷を負っていた。

 

早く二人を引き離さなければ。

 

そう思っているのに、肝心の言葉が出てこなかった。

 

欲しがるものは与えてきた。

 

会いに行かなかったわけでもない。

 

でも、この子が言っているのは、そういうことではないのでしょうね。

 

咲夜が一歩前へ出た。

 

それをナガトが制する。

 

「手助けは要らない」

 

自分がフランを止めるのだと言う。

 

何を言い出すの、この男は。

 

貴方は人間で、それも今は本来の力が出せないのでしょう?

 

相手が誰なのか、分かっているのかしら。

 

「俺が止める」

 

ナガトは退かなかった。

 

フランも、彼から目を離さない。

 

いつもなら、私が誰かを呼んだ時点で不満そうな顔をするのに。

 

今はナガトが次に何を言うのか、待っているようだった。

 

「……分かったわ」

 

自分で言っておいて、どうかしていると思ったわ。

 

でも、ここで皆がかりで取り押さえたら、フランはまた私をあの目で見るのでしょうね。

 

私の話は聞いてくれないくせに、と。

 

紅い霧を広げたとき、私はフランに館に残るよう言った。

 

霊夢が来ても、妹を勝負へは出さなかった。

 

あの子を守るためだった。それは今でも間違いではないと思う。

 

でも、守ると言いながら、私はまたフランを置いていこうとしていたのね。

 

「ただし、あなたが戦えなくなったら、私が止める。これは譲らないわ」

 

ナガトが頷く。

 

咲夜にはパチェを呼びに行かせた。

 

何かあれば私が止める。パチェが来れば、取れる手も増える。

 

そこまで考えて、ようやく少し息がつけた。

 

「それから、ナガト。死んだら許さないからね」

 

「善処しよう」

 

「善処じゃなくて、絶対よ!」

 

まったく。

 

もう少し、主を安心させる返事というものがあるでしょうに。

 

どうして戦う本人より、私の方が気を揉まなければならないのよ。

 

◇

 

戦いが始まると、フランはよく笑った。

 

ナガトが何かするたびに驚いて、目を輝かせて、また近づいていく。

 

そんなに楽しいの?

 

尋ねるまでもなかったわ。

 

新しい玩具を渡したときだって、あんな顔はしなかったもの。

 

でも、相手は玩具ではない。

 

フランの傷はすぐに塞がるけど、ナガトの傷は残る。

 

人間なのだから当たり前だと、私も分かっていたわ。

 

でも、ナガトは倒れても起き上がるのよ。

 

そのたびにフランは喜んで、私は踏み出しかけた足を止める。

 

少しは、見ている方の身にもなってほしいものね。

 

館へ来て間もない使用人に、こんなに振り回されるなんて。

 

真面目に働くし、妙な力で家事を片づけるし、退屈しない男なのは認めるわ。

 

だからって、ここまで気にかける理由にはならないはずでしょう?

 

そう思っていた。

 

彼の左腕を覆っていた装甲が崩れるまでは。

 

「ナガト! フランに流水を当てなさい! 流れる水は、吸血鬼の魔力を乱すわ!」

 

考えるより先に、声が出た。

 

……言ってしまった。

 

それ、私の弱点でもあるのだけれど。

 

「お姉様! 教えちゃ駄目でしょう!」

 

「これ以上続ける方が悪いのよ!」

 

そうよ。私の言うことを聞かないから悪いの。

 

少しくらい困らせたって、罰は当たらないでしょう?

 

妹への仕返し。

 

そう思うことにしたわ。

 

水龍に追い回されるフランを見ながら、私はナガトの様子を確かめた。

 

ようやく息を整えている。

 

それを見て、胸の奥が緩んだ。

 

……仕返しなら、妹の方を見ていなさいよ、私。

 

その余裕も、フランが札を取り出すまでだった。

 

止めに入っても手をかわされ、今度こそと思えば、コウモリの群れに行く手を塞がれる。

 

妹の名を呼ぶ自分の声が、だんだん余裕を失っていく。

 

やがて空で炎が広がり、その中からナガトが落ちた。

 

私は彼のもとへ急いだ。

 

もう十分。

 

これ以上は、本人が何と言おうと終わりにする。

 

咲夜がパチェを連れて戻ってきたのも、そのときだった。

 

フランは攻撃をやめ、ナガトの前へ降りてくる。

 

「……すごいね。こんなに遊べたの、初めて」

 

さっきまでとは違う声だった。

 

私は二人のそばに立ったまま、妹を見つめた。

 

◇

 

「どうして、まだ立とうとするの?」

 

「お前を止めるためだ」

 

ナガトは片膝をついたまま答えた。

 

まだ妹と話すつもりらしい。

 

頑固にもほどがあるわね。

 

でも、フランも彼の言葉を待っている。

 

次に手を出したら、すぐに止める。

 

今だけは、私もこの子の話を聞こうと思った。

 

フランはナガトが見せた力を指折り数えた。

 

それから、少し声を落とす。

 

「お姉様も、咲夜も、パチュリーも、あなたのことを気にしてた。どうしてなのか、ずっと知りたかったの」

 

胸の奥が痛んだ。

 

この子は、見ていたのね。

 

私たちがナガトと話しているところを。

 

彼が何かするたびに驚いたり、呆れたり、笑ったりするところを。

 

自分も話しかけてみたい。

 

一緒に遊んでみたい。

 

それくらい、当たり前のことじゃない。

 

どうして私は、妹が欲しがるものを部屋へ運ばせるだけで、十分だと思っていたのかしら。

 

「死んだら、遊べなくなるだけでしょう?」

 

ナガトが、それでもなぜ続けるのかと尋ねる。

 

フランは目を伏せた。

 

「だって――そうやって遊んできたもの」

 

あの夜の森が蘇った。

 

――これは鬼ごっこなの。

 

――ええ。よくできたわ。

 

私が言ったことだ。

 

妹は、ちゃんと覚えていた。

 

叱ろうとするたび、私は怖かったのだと思う。

 

あのときは褒めてくれたのに。

 

そう言われたら、何と答えればいいのか分からなかった。

 

だから、誰も傷つかない場所へ遠ざけた。

 

それなら、難しい話をしなくても済むものね。

 

……本当に、よくできた姉だこと。

 

フランが知らないのは、私が教えなかったからだ。

 

そんな簡単なことを、いつまで認めずにいたのだろう。

 

「でも、あなたは今までと違った」

 

妹の掌に赤い光が浮かんだ。

 

「フラン! それだけは駄目!」

 

手を伸ばす。

 

間に合わない。

 

ナガトを失いたくない。

 

その思いが、はっきりと胸に浮かんだ。

 

興味を持って拾った人間だった。

 

でも、今はもう、それだけではなかった。

 

あの男が館からいなくなるなんて、嫌だった。

 

フランの拳が閉じる。

 

何も起こらない。

 

ナガトは、そこにいた。

 

私は息をつくことさえ忘れて、彼を見つめた。

 

妹も自分の拳を見ている。

 

その身体がナガトのもとへ引き寄せられ、彼が拳を振り上げた。

 

何をするつもり?

 

思わず身構えた、その目の前で。

 

こつん。

 

「……痛い」

 

金色の頭に、拳骨が落ちた。

 

私は、まばたきをした。

 

あれだけの力を使って、最後はそれなの?

 

フランまで、ぽかんとした顔をしている。

 

「力は、そんなことに使うものではない」

 

ナガトは妹の前にいた。

 

叱った後も、離れていかない。

 

フランが尋ねれば答え、分からなければ、また言葉を重ねる。

 

この子も、黙って聞いていた。

 

私は、叱れば傷つけると思っていたわ。

 

嫌われるのも怖かった。

 

でもナガトは、叱ったくらいでこの子との関わりが終わるなんて、考えてもいないようだった。

 

「壊したものは、元には戻らない」

 

その声を聞きながら、フランの顔を見た。

 

逃げ出そうとも、耳を塞ごうともしていない。

 

私がちゃんと話していたら、この子は私の言葉も聞いてくれたのかしら。

 

やがて、妹が小さな声で尋ねた。

 

「……あなたも、一緒に考えてくれる?」

 

壊さずに遊ぶ方法を。

 

ナガトが頷く。

 

フランの表情が、少しだけ緩んだ。

 

叱られても、また一緒にいていい。

 

この子は今、それを教えてもらったのね。

 

姉である私の目の前で。

 

嬉しかったわ。

 

悔しくもあったけれど。

 

だって、それを教えるのは、本当なら私の役目だったじゃない。

 

◇

 

「ナガト、貴方……」

 

礼を言わなければ。

 

無茶をしたことも、きちんと叱っておかなければ。

 

そう思って近づいたのに、先に口を開いたのは彼だった。

 

「妹を大切にするのはいいが、しつけはしっかりとした方がいいぞ」

 

「……え?」

 

ちょっと待ちなさい。

 

次は私なの?

 

姉妹揃って叱るなんて、随分と偉くなったものね。

 

そう言い返しかけて、すぐそばのフランを見た。

 

妹は頭を押さえたまま、私の返事を待っている。

 

「守ることと、何も教えないことは違う」

 

……分かっているわよ。

 

今なら、そのくらい。

 

「……ええ。分かったわ」

 

声にすると、思っていたより素直な返事になった。

 

ナガトが引き受けてくれたからといって、また任せてしまってはいけない。

 

私もフランと話さなければ。

 

そう考えていたら、立ち上がりかけた彼の身体が傾いた。

 

「ナガト!」

 

咄嗟に抱き留める。

 

衣服は裂け、血と土に汚れていた。

 

さっきまで私を叱っていたくせに。

 

こんな身体で、最後まで人の心配ばかりして。

 

「死んだら許さないって言ったでしょう!」

 

声が震えた。

 

妹の前なのに、もう取り繕えなかった。

 

ただ、生きていてほしい。

 

「……善処はした」

 

「馬鹿!」

 

ナガトの眼が閉じる。

 

私は彼を支える腕に力を込めた。

 

咲夜がすぐにそばへ屈み、パチェも近づいてくる。

 

その向こうで、フランが立ち尽くしていた。

 

さっきまであれほど話しかけていた相手を、黙って見つめている。

 

「フラン」

 

名を呼ぶと、妹が顔を上げた。

 

また地下へ戻れと言われると思っているのかしら。

 

それとも、ナガトのことが心配なの?

 

分からない。

 

今までの私は、そんなことまで分かったつもりでいたのね。

 

「ナガトを部屋へ運ぶわ。貴方も来なさい」

 

フランは私を見たまま、少し遅れて頷いた。

 

「……うん」

 

まずは、この大馬鹿者を休ませる。

 

それから、妹と話そう。

 

うまく説明できなくても、途中でやめたりしない。

 

私だって、あんなふうに妹と話せるはずよ。

 

だって、この子の姉は私なのだから。

 

母に託されたあの日、私はフランの手を引いて逃げた。

 

もう逃げなくていいところまで来たのだと。

 

今度こそ、私の言葉で伝えよう。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。