東方輪廻談 ~ナガト幻想郷忍伝~   作:Takuma218

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第十三話 壊すためではなく

目を覚ましてから、数日が過ぎた。

 

傷はほとんど残っていない。

 

身体の奥にはまだ僅かな重さがあったが、館の仕事へ戻るには問題のない程度まで回復していた。

 

咲夜からは、もう少し休んでいても良いと言われた。

 

しかし、寝台の上で天井を眺め続けることには、とうに飽きていた。

 

それに、確かめておきたいこともあった。

 

中庭を覆う朝霧の中で、俺は右手を前へ伸ばす。

 

少し離れた場所に置いた木製のボールが、ゆっくりと地面を離れた。

 

そのまま引き寄せ、手元へ収まる直前で弱い斥力を働かせる。

 

ボールが霧の中へ飛んでいく。

 

今度は引力で勢いを殺し、地面へ落ちる前に呼び戻した。

 

行きと帰り。

 

まずは、それだけを繰り返す。

 

強い力で天道の能力を使えば、次に使えるまで間が空く。

 

だが、ボールを一つ動かす程度なら、こうして続けても支障はなかった。

 

問題は、力加減だ。

 

僅かに強めすぎれば、ボールは狙った場所を通り過ぎる。

 

逆に弱めすぎると、戻ってくる前に地面へ落ちた。

 

以前と同じ感覚で使えば、思ったようには動かない。

 

今の身体で、どれだけの力を、どこまで扱えるのか。

 

もう一度、確かめ直す必要があった。

 

少し前、パチュリーから言われた言葉を思い出す。

 

「今の貴方に必要なのは、無理に力を引き出すことじゃないわ。もっと気軽に使いなさい」

 

「気軽に?」

 

「そう。日常の呼吸みたいにね。今の理に馴染ませるには、実際に使うのが一番よ」

 

それから、俺の顔を見て付け加えた。

 

「ただし、また倒れるまで使うのはやめてちょうだいね」

 

「分かっている」

 

「本当かしら」

 

随分と信用を失ったものだ。

 

もっとも、三日も眠り続けた後では、強く言い返すこともできなかったが。

 

「壊さない程度の力加減を覚えるのも、立派な修行でしょう?」

 

その言葉に従い、こうして輪廻眼の力を使っている。

 

ボールが手元へ戻ってきた。

 

今度は少し横へ逸らし、庭木の幹を回り込ませる。

 

途中で軌道が膨らみ、低い枝へぶつかりかけた。

 

慌てて引き戻す。

 

なかなか、思うようにはいかない。

 

敵を吹き飛ばすだけなら、多少狙いがずれても問題はなかった。

 

だが、今は違う。

 

壊さず、落とさず、狙った場所を通さなくてはならない。

 

小さなボール一つに、これほど神経を使うことになるとは思わなかった。

 

俺は呼吸を整え、もう一度手を伸ばした。

 

そのとき、庭へ続く扉の辺りに気配を感じた。

 

振り返ると、扉の陰から金色の髪が僅かに覗いている。

 

「フラン」

 

髪が引っ込んだ。

 

しばらく待っていると、今度は顔だけが現れた。

 

深紅の瞳が、俺と宙に浮かぶボールを交互に見ている。

 

「……何をしているの?」

 

「訓練だ」

 

「それ、遊んでるんじゃないの?」

 

「遊んでいるわけではない」

 

「でも、楽しそう」

 

そう見えるのだろうか。

 

俺は手元のボールへ目を落とした。

 

あの戦い以来、フランが俺へ襲いかかってくることはなかった。

 

目を覚ました日に謝りに来てからは、廊下で会えば挨拶をする。

 

ただ、その後も何かを言いたそうに、こちらを見ていることがあった。

 

今もそうだった。

 

扉の陰から出てきたフランは、少し離れたところで足を止める。

 

「ねえ」

 

「何だ?」

 

「それ、私もやっていい?」

 

フランがボールを指さした。

 

「これをか?」

 

「うん。見てるだけじゃ、つまんないもん」

 

俺は宙に浮かぶボールを見た。

 

決まった軌道で動かすだけなら、一人でもできる。

 

だが、追ってくる相手をかわすとなれば、その動きに合わせて力を調整しなければならない。

 

訓練にはなるだろう。

 

それに、壊さずに遊ぶ方法を一緒に考えると、約束したのだった。

 

「いいだろう」

 

「本当?」

 

フランの顔が明るくなる。

 

「ただし、約束がある」

 

「約束?」

 

俺はボールを手元へ引き寄せた。

 

「俺がこれを動かす。お前は、それを捕まえれば勝ちだ」

 

「捕まえるだけ?」

 

「ああ。ただし、壊した場合は負けとする」

 

フランはボールを覗き込んだ。

 

両手を伸ばしかけ、途中で止める。

 

「……壊さなければいいの?」

 

「ああ」

 

「捕まえた後も?」

 

「当然だ」

 

フランは少し考えた後、強く頷いた。

 

「分かった!」

 

俺が手を離すと、ボールがゆっくりと浮かび上がる。

 

初めは、フランの目の高さで止めた。

 

「始めるぞ」

 

「いつでもいいよ!」

 

フランが腰を落とす。

 

俺は指先を動かし、ボールを横へ滑らせた。

 

同時にフランが地面を蹴る。

 

金色の髪をなびかせ、その後を追った。

 

思ったより速い。

 

伸ばされた手が触れる寸前、俺はボールを引き戻した。

 

「あっ!」

 

フランの指が空を掴む。

 

ボールは彼女の脇を抜け、反対側へ飛んでいった。

 

「待って!」

 

フランが翼を広げる。

 

今度は地面から足を離し、低く飛びながら追いかけ始めた。

 

庭木の間を抜けたボールへ、迷わず手を伸ばす。

 

俺は弱い斥力で軌道を変えた。

 

「ああっ、もう!」

 

ボールは上へ。

 

フランもその後を追う。

 

追いつかれそうになったところで、今度は地面すれすれまで引き下ろした。

 

「ずるい!」

 

「俺から奪う遊びだ。簡単に捕まえられては意味がないだろう」

 

「絶対に捕まえるんだから!」

 

フランが勢いよく身体を傾ける。

 

その速さに、先日の戦いを思い出した。

 

だが、今はその手に大鎌はない。

 

魔弾が降ってくることもなければ、庭木が薙ぎ倒されることもなかった。

 

フランは枝へぶつからないように身を縮め、ボールだけを追っている。

 

俺も、その動きを見ながら次の軌道を考えた。

 

右へ逃がす。

 

フランが先回りしようとする。

 

それを見て左へ戻すと、今度はすぐに追わず、こちらの手元へ目を向けた。

 

動かす方向を読もうとしているらしい。

 

ならば、とボールを頭上へ引き上げた。

 

「そっち!」

 

フランが飛びつく。

 

思わず力を強めかけ、抑えた。

 

ここで大きく弾いては、庭の外まで飛んでいってしまう。

 

ぎりぎりのところで手をかわし、彼女の頭上を通す。

 

「惜しかったな」

 

「今の、絶対に捕まえられたのに!」

 

「捕まってはいない」

 

「次は捕まえる!」

 

休むつもりはないらしい。

 

俺もボールから意識を逸らせなくなっていた。

 

フランの動きは速い。

 

しかも、同じかわし方をすれば、次はその先へ回り込んでくる。

 

単に遠くへ飛ばせば良いというものでもない。

 

追いつけそうで、手が届かない。

 

その距離を保とうとするだけで、力加減は何度も変わった。

 

いつの間にか、俺も目の前の遊びに集中していた。

 

◇

 

「今度こそ!」

 

フランが真下から迫る。

 

俺はボールを高く弾き上げた。

 

先ほどよりも速く、霧の上へ抜けるほど高く。

 

フランも一気に上昇する。

 

七色の結晶が淡い光を受け、金色の髪が風に広がった。

 

ボールを横へ逃がそうとする。

 

だが、その前に小さな両手が届いた。

 

「捕まえた!」

 

頭上から、得意そうな声が響く。

 

フランはボールを胸へ抱え、そのままこちらを見下ろした。

 

「ほら!」

 

「ああ。分かったから、落とすなよ」

 

「落とさないよ!」

 

そう言った直後、フランの身体が下がった。

 

ボールを見せることに気を取られたのか、翼から力が抜けている。

 

俺は咄嗟に右手を向けた。

 

弱く広げた斥力で、その身体を受け止める。

 

「わっ」

 

落下が止まり、フランの髪がふわりと浮いた。

 

そのまま、少しだけ押し返す。

 

小さな身体が再び宙へ舞い上がった。

 

「きゃははっ!」

 

フランが笑う。

 

「すごい! もう一回!」

 

ボールを抱えたまま、こちらへ足を向けて降りてくる。

 

今度は、自分からだった。

 

俺は手を上げ、再びその身体を受け止めた。

 

先ほどよりも、少し高く押し上げる。

 

七色の翼が霧の中へ遠ざかる。

 

その瞬間、別の光景が脳裏をよぎった。

 

砕けた地面。

 

崩れた建物。

 

その中で、一人の少女を宙へ放り上げた。

 

そして、その身体を地面へ叩きつけた。

 

右手に、僅かな震えが走る。

 

俺は、この力を何度も人へ向けてきた。

 

近づく者を弾き飛ばし、逃げる者を引き寄せる。

 

痛みを与え、抵抗する力を奪うために。

 

「もっと高く!」

 

霧の上から、フランの声が聞こえた。

 

顔を上げる。

 

ボールを抱えた少女が、こちらを見て笑っていた。

 

次も受け止めてもらえると、疑っていない顔だった。

 

俺は息を整えた。

 

今は、落とすためではない。

 

降りてくる身体へ、ゆっくりと力を添える。

 

急に止めてしまわないように。

 

抱えているボールを、取り落とさないように。

 

フランの身体が穏やかに浮き上がった。

 

「そう、それ!」

 

楽しそうな声が、頭上で弾む。

 

同じ力だった。

 

俺が、多くのものを壊すために使ってきた力。

 

それでも今、フランは笑っている。

 

俺はその姿を見上げたまま、右手の震えが収まるのを感じていた。

 

もう一度だけ、ゆっくりと押し上げる。

 

それから力を弱め、フランを地面の近くまで降ろした。

 

彼女は翼を一度動かし、俺の前へ降り立った。

 

「楽しかった!」

 

満足そうに笑い、両手のボールを掲げる。

 

「それに、ほら。壊してないよ!」

 

木製の表面に傷はない。

 

俺は受け取り、ひと通り確かめてから頷いた。

 

「ああ。お前の勝ちだ」

 

「やった!」

 

フランが嬉しそうに飛び跳ねた。

 

その様子を見て、俺も僅かに口元を緩める。

 

「ちゃんと、壊さずに遊べただろう」

 

「うん!」

 

返事と同時に、フランの手が俺の袖を掴んだ。

 

「もう一回!」

 

「まだやるのか?」

 

「今度はもっと速くして!」

 

どうやら、物足りないという心配は要らなかったらしい。

 

俺は肩を軽く動かした。

 

痛みはない。

 

目の奥にも、あの戦いのときのような重さはなかった。

 

「もう少しだけだぞ」

 

「うん!」

 

「壊さないという約束も忘れるなよ」

 

「分かってるよ!」

 

俺が手を離すと、ボールは再び宙へ浮かんだ。

 

フランが構える。

 

その視線がボールへ定まるのを待ち、先ほどとは逆へ飛ばした。

 

「あっ、そっち!?」

 

慌てて振り返るフランを見て、思わず息が漏れた。

 

「よく見ていろ」

 

「見てるよ!」

 

フランが翼を広げる。

 

逃げるボールを追い、再び霧の中へ飛び込んでいった。

 

俺も右手を動かした。

 

庭木を回り込み、低く滑らせ、それから少しだけ高く。

 

先ほどよりも細かく軌道を変えたが、フランは離れなかった。

 

一度捕まえたことで、自信がついたらしい。

 

曲がるたびに距離を詰め、とうとう両手を伸ばした。

 

「今度こそ!」

 

ボールが、小さな手の間へ収まる。

 

「捕まえ――」

 

ぱきり。

 

乾いた音がした。

 

フランの笑顔が止まる。

 

両手の間から、木片が一つ落ちた。

 

俺は手を下ろした。

 

フランはボールと俺の顔を交互に見て、それから、そっと両手を背中へ回した。

 

「……捕まえたよ?」

 

「音がしたぞ」

 

「ちょっとだけ」

 

「見せてみろ」

 

恐る恐る差し出されたボールは、見事に割れていた。

 

勢いよく捕まえたまま、握り締めてしまったらしい。

 

「……今のは、負け?」

 

「ああ」

 

フランが肩を落とす。

 

先ほどまで庭中を飛び回っていた翼まで、心なしか下がって見えた。

 

「さっきは、壊さなかったのに」

 

「それなら、次もできるだろう」

 

フランが顔を上げた。

 

「またやっていいの?」

 

「新しいボールを用意してからだ。まずは、散らばった欠片を拾うぞ」

 

「うん!」

 

フランはしゃがみ込み、落ちた木片へ手を伸ばした。

 

今度は潰さないように、指先でそっと摘まんでいる。

 

俺もその隣へ膝をついた。

 

力加減の修行は、まだまだ続きそうだった。

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