「弾幕勝負に行くわよ!」
紫が現れた翌日の午後。
廊下を歩いていた俺の前に現れるなり、レミリアはそう宣言した。
「……弾幕勝負?」
聞き覚えのない言葉ではない。
以前、パチュリーからスペルカードについて教わったときにも、その名前は聞いている。
だが、なぜ突然そんな話になったのかが分からなかった。
首を傾げる俺を見て、レミリアは腰へ手を当てる。
「何よ、その反応は。もっと喜びなさい」
「そう言われても、俺は何も聞いていない」
「今、教えたじゃない」
「行くことしか聞いていないが」
「十分でしょう?」
どうやら、レミリアには詳しく説明するつもりがないらしい。
助けを求めて隣を見ると、咲夜が小さくため息をついた。
「今夜、正式な弾幕勝負が行われるのよ」
「正式な?」
「ええ。以前、パチュリー様からスペルカードについて教わったでしょう?」
「ああ。魔法陣を記した札だったな」
複雑な魔法を、あらかじめ札へ仕込んでおく。
それを発動させることで、術者は大規模な魔法を瞬時に展開できる。
忍が巻物へ術を封じておく方法にも似ているが、スペルカードに込められているのは、空を覆うほどの魔弾を規則的に放つための魔法だと聞いていた。
「弾幕勝負は、そのスペルカードを使って行う正式な決闘よ。参加者は自分の名前と、使用するスペルカードの枚数を宣言し、定められた規則に従って勝敗を決めるの」
「決闘ということは、誰かが争っているのか?」
俺が尋ねると、咲夜は僅かに苦笑した。
「争っていると言えば、争っているのだけれど……」
「人里で行われる豊穣祭を、どちらの神社が取り仕切るかで揉めているのよ」
レミリアが横から答えた。
「神社?」
「博麗神社と守矢神社よ」
博麗神社。
その名前には聞き覚えがあった。
「霊夢の神社か」
「そうよ。相手は守矢神社の風祝、東風谷早苗。今夜は霊夢と早苗が戦うの」
「祭りの役目を決めるために、巫女同士が戦うのか?」
「そういうことね」
「話し合いでは決められないのか?」
俺の疑問に、レミリアは呆れたように肩をすくめた。
「話し合って決まらなかったから、弾幕勝負をするのでしょう?」
それはそうなのだが。
祭りの役目を巡って決闘するという発想が、俺にはまだ理解できなかった。
向こうでも、領地や役目を巡る争いはあった。
しかし、それが戦いにまで発展すれば、当人同士の決着だけでは終わらない。
里や一族の対立へ広がり、やがて無関係な者まで巻き込んでいく。
少なくとも、俺が知る争いとはそういうものだった。
「心配しなくても、殺し合いではないわ」
考えを見透かしたように、咲夜が言った。
「弾幕勝負は、相手を傷つけるためのものではないの。通常の弾でもスペルカードでも、先に有効な被弾を与えた方が勝ち、受けた方が負け。勝負が終われば、敗者はそこで決まった結果を受け入れる。それでおしまいよ」
「……それだけで済むのか?」
「済むから、決闘として成り立っているのよ」
咲夜の答えに迷いはなかった。
「勝者が敗者へ報復することも禁じられているわ。負けた側がすぐに再戦を求めることもできない。決着がつけば、争いはそこで終わるの」
戦って決着をつけながら、遺恨を残さない。
規則として定めるだけなら簡単だ。
だが、実際に誰もがそれへ従っているというのなら、俺の知る決闘とは根本から異なる。
「それに、弾幕勝負は揉め事へ決着をつけるためだけのものではないわ」
「ほかにも何かあるのか?」
「それは、実際に見た方が早いわね」
咲夜は僅かに笑った。
その言葉に合わせるように、レミリアが大きく頷く。
「そういうこと。ナガトには一度、幻想郷の弾幕勝負を見せておきたかったのよ」
その言葉を聞いたとき、昨夜の会話が脳裏をよぎった。
――近いうちに、ちょっとした催しがあるわ。
――この幻想郷がどんな場所なのか、自分の目で見てきなさい。
八雲紫が言っていた催しとは、今夜の弾幕勝負だったらしい。
偶然とは思えない。
あの女は、レミリアが俺を誘うことまで予想していたのだろうか。
「どうしたの?」
「いや。何でもない」
レミリアに紫の訪問を話すべきかとも考えたが、今はやめておいた。
まずは、その弾幕勝負とやらを自分の目で確かめてみよう。
「分かった。俺も行く」
「初めからそのつもりで準備させているわ」
「断るとは考えなかったのか?」
「私が誘っているのよ?」
レミリアは、さも当然のように胸を張った。
「ナガトが断るわけないでしょう?」
どこから来る自信なのだろう。
だが、実際に断らなかった以上、何も言い返せなかった。
◇
日が傾き、紅魔館を包む霧が薄紫色へ変わり始めた頃。
俺たちは玄関広間へ集まっていた。
今回出かけるのは、レミリア、咲夜、パチュリー、そして俺の四人だ。
美鈴は門番として館へ残り、小悪魔も図書館を管理するため留守番をする。
レミリアは普段の漆黒のドレスの上から、肩を覆う黒いマントを羽織っていた。
日没は近いが、外にはまだ陽光が残っている。
咲夜の手には、黒いレースの日傘も用意されていた。
「少し早いけれど、そろそろ出発しましょう」
咲夜が広間の時計を確認する。
「会場までは、どれくらいかかる?」
「空を飛べば、それほど遠くはないわ。余裕を持って着けるはずよ」
「夜には屋台も出るわよ」
パチュリーが本を閉じながら付け加えた。
外出するときまで本を読んでいるのか。
「屋台?」
「弾幕勝負の日には、幻想郷中から見物人が集まるの。人間も妖怪も関係なくね。会場の下では、勝負が始まる前から宴会をしているわ」
「決闘の下で宴会をするのか?」
「そうよ」
パチュリーは当然のように答える。
「弾幕を見ながら飲むお酒は格別なんですって。私は騒がしい場所が苦手だから、よく分からないけれど」
「その割には、今日は行くのだな」
「貴方が初めて弾幕勝負を見るのでしょう? 説明する者が必要だと思っただけよ」
そう言うと、パチュリーは俺から顔を背けた。
口では何と言っていても、俺を気遣って同行してくれるらしい。
「それじゃあ、行くわよ」
レミリアが玄関へ向かおうとする。
そのときだった。
「待って!」
階段の上から声が響いた。
全員が振り返る。
そこには、フランが立っていた。
いつから聞いていたのか、こちらを見つめる深紅の瞳には強い意志が宿っている。
「フラン?」
レミリアの声が僅かに硬くなった。
フランは階段を駆け下りると、そのまま俺たちの前までやってきた。
「みんな、どこに行くの?」
「少し出かけるだけよ」
「弾幕勝負を見に行くんでしょ?」
どうやら、話は聞かれていたらしい。
レミリアと咲夜が顔を見合わせる。
「私も行く」
「駄目よ」
レミリアは即座に答えた。
フランの表情が曇る。
「どうして?」
「今夜は、大勢の人間や妖怪が集まるの。貴方にはまだ早いわ」
「お庭ではチルノたちとも遊んでるよ」
「それとは違うの」
「何が違うの?」
「何って……」
レミリアが言葉に詰まる。
俺にも、彼女がフランを連れていきたくない理由は分かった。
フランは以前よりも力を抑えられるようになった。
チルノたちとも遊び、誰かと過ごすことにも少しずつ慣れてきている。
だが、今夜の会場には数え切れないほどの者が集まるという。
長い間、紅魔館の中で暮らしていたフランを、いきなりそのような場所へ連れていくことが正しいのか。
レミリアにも判断できないのだろう。
「今日は、お留守番をしていなさい」
それでも、レミリアは姉として言い聞かせた。
「嫌」
「フラン」
「嫌ったら嫌!」
フランが強く首を振る。
「お兄さまも行くんでしょ?」
「ああ」
「だったら私も行く!」
フランは俺の腕へ抱きついた。
そのまま、レミリアを睨むように見つめる。
「お兄さまと一緒なら、何もしないもん。勝手にどこかへ行ったりしないし、誰かを壊したりもしない」
「そういう問題ではないのよ」
「じゃあ、どういう問題なの?」
「それは……」
「あの赤い霧のときも、お姉さまは私に待っててって言ったよね」
再びレミリアが言葉を失う。
「どうして私だけ、いつもお留守番なの?」
フランの声から、先ほどまでの勢いが消えた。
俺の腕を掴む手へ、僅かに力が入る。
「私だって、外に行ってみたい」
広間が静かになった。
レミリアは何も言わず、妹の顔を見つめている。
フランを守るために館へ残すのか。
それとも、外へ出る機会を与えるのか。
どちらも、姉として妹を思ってのことだろう。
だからこそ、簡単には決められない。
「俺が見ていよう」
俺が言うと、レミリアがこちらへ顔を向けた。
「ナガト?」
「フランが俺から離れないと言うなら、俺が傍にいる。何かあれば、すぐに連れて帰る」
「でも……」
「咲夜とパチュリーもいる。それに、レミリアもいるだろう」
レミリアはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かったわ」
「本当!?」
フランの顔が明るくなる。
「ただし、条件があるわ」
レミリアは指を一本立てた。
「勝手に私たちから離れないこと。会場で力を使わないこと。それから、ナガトか咲夜に帰ると言われたら、素直に従うこと」
「うん!」
「まだあるわ。知らない人に勝手についていかないこと。人のものを壊さないこと。喧嘩を売られても買わないこと。それから――」
「レミー」
パチュリーが口を挟んだ。
「全部言っていたら、勝負が終わるわよ」
レミリアは広間の時計を見る。
その顔が固まった。
「……咲夜。あとどれくらい?」
「予定していた出発時刻は、少し前に過ぎたわね」
「どうして教えなかったのよ!」
「お嬢様が妹様を説得している途中でしたので」
咲夜は平然としている。
「今からなら、まだ間に合うでしょう?」
「開始には間に合うと思うけれど、会場の近くはもう見物人で埋まっているでしょうね」
レミリアは広間の時計を見つめた後、何かを思いついたように咲夜へ顔を向けた。
「咲夜。時間を止めて、私たちを会場まで運べない?」
「無理です」
「即答なのね」
「停止した時間の中では、他の人に触れられません。私一人なら先に行けますが、皆様を運ぶことはできませんよ」
その言葉に、俺は咲夜を見る。
「……時間を止められるのか?」
「あら。言っていなかったかしら?」
「初耳だ」
「私の能力よ。時間を止めたり、進み方を変えたりできるわ」
これまでにも、咲夜の姿を一瞬見失うことはあった。
単に動きが速いのだと思っていたが、実際には俺の時間だけが取り残されていたらしい。
「随分と強力な能力だな」
「便利ではあるけれど、何でもできるわけではないわ。今みたいにね」
咲夜は広間の時計へ目を向けた。
「私の能力について話すのは後にしましょう。これ以上遅れると、本当に開始へ間に合わなくなるわ」
「とにかく、急いで支度をしなさい!」
レミリアがフランへ向き直る。
「はーい!」
フランは元気よく答えると、階段を駆け上がっていった。
しばらくして、外出用の服を抱えた妖精メイドたちが、その後を慌ただしく追っていく。
その様子を見送り、パチュリーが呟いた。
「さらに遅くなりそうね」
レミリアは聞こえなかったふりをした。
◇
空が完全に暗くなった頃、俺たちはようやく紅魔館を出発した。
案の定、フランの支度には時間がかかった。
初めはすぐに着替えると言っていたのだが、外套の色が気に入らない、帽子が服に合わないと、途中からレミリアまで加わって騒ぎ始めた。
最終的にフランは、黒を基調とした外套を羽織り、赤いリボンの付いた帽子を被っていた。
「似合ってる?」
隣を飛ぶフランが尋ねてくる。
「ああ。似合っている」
「えへへ」
満足そうに笑い、俺のすぐ傍を飛ぶ。
レミリアは少し前を進みながら、何度も後ろを振り返っていた。
口では厳しいことを言っていたが、フランを初めて大勢の者がいる場所へ連れていくことが、やはり心配なのだろう。
「もう少し急ぐわよ!」
「レミリアがフランの帽子を選び直さなければ、もう少し早く出られたと思うが」
「初めて大勢の前に出るのよ。姉として、変な格好をさせるわけにはいかないでしょう?」
「お姉さまが選んだ帽子、最初のとほとんど同じだったよ」
「全然違うわ!」
前を飛ぶ咲夜が、声を立てずに笑っている。
パチュリーは我関せずといった様子で、その隣を飛んでいた。
やがて、霧の向こうに幾つもの明かりが見えてきた。
初めは、人里の灯かと思った。
だが、近づくにつれて、その数が尋常ではないことに気づく。
地上には無数の提灯が並び、その間を多くの者が行き交っていた。
人間だけではない。
翼を持つ者。
獣の耳を持つ者。
頭に角を生やした者。
姿も種族も異なる者たちが、同じ場所へ集まっている。
遠く離れた空にまで、笑い声や呼び込みの声が届いていた。
「……本当に祭りだな」
「言ったでしょう?」
レミリアは得意そうに笑った。
「あそこにいる全員が、弾幕勝負を見に来たのか?」
「ええ。もっとも、勝負より宴会を楽しみにしている者も多いでしょうけど」
咲夜が答える。
会場の上空には、薄く光る巨大な結界が広がり始めていた。
その周囲には既に大勢の見物人が集まり、空にも地上にも入り込めそうな場所はほとんど残されていない。
「やっぱり遅かったわね」
パチュリーが淡々と言う。
「まだ始まってはいないでしょう!」
「今からあの中へ入っても、落ち着いて見られないわ」
レミリアは悔しそうに会場を見つめた。
そのとき、パチュリーが会場から離れた方角へ目を向ける。
「あちらの丘へ行きましょう」
「丘?」
「ここから少し離れているけれど、空を見るには十分よ。それに、あそこなら静かに見られるわ」
パチュリーの指した先には、なだらかな丘があった。
会場の明かりもほとんど届かない、暗い場所だ。
俺たちは進路を変え、宴会場を大きく迂回して丘へ向かった。
会場から離れるにつれ、地上の喧騒が遠ざかっていく。
やがて喧騒は小さくなり、草を揺らす夜風と、虫の声だけになった。
丘の上には誰の姿もなかった。
パチュリーが言った通り、静かに見るには適した場所らしい。
俺たちは柔らかな草の上へ降り立った。
振り返ると、遠くに宴会場の灯が見える。
無数の提灯が集まり、夜の地上へ小さな光の街を作っていた。
そこからさらに上空へ目を向ける。
薄く輝く巨大な結界の中に、三つの人影が浮かんでいる。
一人は、赤と白の衣装を身に着けた霊夢。
その向かいには、青と白の衣装をまとい、緑色の髪をした少女がいた。
「あれが、東風谷早苗よ」
パチュリーが教えてくれる。
守矢神社の風祝。
霊夢と同じく、神に仕える者だという。
二人の間には、金色の髪と九本の尾を持つ女が立っていた。
その手には、複雑な紋様の刻まれた魔道具が握られている。
「見届け人の八雲藍よ」
「八雲……」
昨夜会った女と同じ名だった。
「幻想郷の管理者である八雲紫。彼女はその式神ね。大抵彼女が見届け人を務めているわ」
紫本人は姿を見せないか。
昨夜の言葉を思い返せば、この場のどこかから俺の反応を眺めていても不思議ではなかった。
藍が魔道具を頭上へ掲げる。
遠くに見える宴会場のざわめきが、少しずつ収まっていく。
丘にいる俺たちの間にも、自然と沈黙が訪れた。
フランは俺の隣へ腰を下ろし、膝を抱えながら空を見上げている。
レミリアもその反対側に立ち、期待に満ちた目を結界へ向けていた。
やがて、藍の声が魔道具を通じて夜空へ広がった。
遠く離れたこの丘にも、一言一句、明瞭に届く。
「これより、人里の豊穣祭における主祭の座を懸け――」
どうにか、間に合ったらしい。
俺は草の上へ腰を下ろし、空に浮かぶ二人へ目を向けた。
博麗霊夢と、東風谷早苗。
二人の巫女による弾幕勝負が、今まさに始まろうとしていた。