東方輪廻談 ~ナガト幻想郷忍伝~   作:Takuma218

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第十八話 宴の中の平和

勝負が終わった後も、夜空には弾幕の残光が漂っていた。

 

七色の光は少しずつ薄れ、やがて星明かりの中へ溶けていく。

 

丘の下からは、先ほどまで以上に賑やかな声が聞こえていた。

 

「さて、私たちも行くわよ」

 

レミリアが満足そうに立ち上がる。

 

「行くって、どこへだ?」

 

「あら。弾幕勝負は終わっても、催しはまだ終わっていないわ」

 

レミリアは丘の向こうに広がる明かりを指した。

 

「これからが宴会よ」

 

◇

 

丘を下り、宴会場へ向かう。

 

近づくにつれて、笛や太鼓の音、人々の笑い声が大きくなっていった。

 

会場にはいくつもの提灯が吊るされ、その下には長机が所狭しと並べられている。

 

人間、妖怪、天狗、河童――種族など関係なく、誰もが酒や料理を囲んでいた。

 

先ほどまで空で競い合っていた者たちを肴にしているのか、あちこちから勝負の感想が聞こえてくる。

 

霊夢の最後の攻撃について身振りを交えて語る者。

 

早苗の弾幕を紙へ描き留めている絵師。

 

勝敗を賭けていたらしく、肩を落として財布を差し出す妖怪。

 

それを受け取って大笑いする人間。

 

向こうで戦っていた者と、それを応援していた者たちが、今では同じ卓を囲んでいる。

 

その光景を眺めていると、宴会場の奥から見覚えのある白黒の帽子が近づいてきた。

 

「よう! 遅かったな!」

 

魔理沙が片手を上げ、俺たちを迎えた。

 

「勝負はとっくに終わったぜ。良い場所も料理も、早い者勝ちだぞ」

 

「誰のせいで遅れたと思っているのかしら」

 

レミリアが横目でフランを見る。

 

フランは俺の服の裾をつかんだまま、悪びれる様子もなく首を傾げた。

 

「でも、ちゃんと見られたよ?」

 

「そういう問題では――」

 

レミリアが言いかけたところで、周囲の喧騒が僅かに弱まった。

 

何人もの視線が、俺たちへ向けられている。

 

いや、正確には――フランへ。

 

「あれが、紅魔館の妹か……?」

 

「地下にいたっていう……」

 

「紅霧異変のときにも、姿を見せなかったらしいじゃないか」

 

押し殺した声が耳へ届く。

 

先ほどまで楽しそうにしていたフランの表情が曇った。

 

俺の服をつかむ指に、少し力がこもる。

 

魔理沙からも笑みが消えている。

 

レミリアが周囲を睨みつけようとした、そのときだった。

 

「フラーン!」

 

甲高い声と共に、青い影が人混みから飛び出した。

 

チルノだった。

 

その後ろから大妖精も慌てて追いかけてくる。

 

「来たんだな! あたい、先に料理を取っておいたぞ!」

 

「フランちゃん、こんばんは」

 

二人は周囲の視線など気にも留めず、フランの前へ降り立った。

 

フランが目を瞬かせる。

 

「チルノ、大ちゃん……」

 

「向こうに甘いものがいっぱいあるぞ! 早くしないとなくなるからな!」

 

「チルノちゃんが食べなければ、そんなに早くなくならないと思うけど……」

 

「何だとー!」

 

いつものように言い合う二人を見て、フランの顔に笑みが戻った。

 

「お兄さま、行ってもいい?」

 

「ああ。ただし、遠くへ行きすぎるな」

 

「うん!」

 

フランは俺の服から手を離し、二人と共に料理の並ぶ卓へ駆けていった。

 

三人の背を見送るうちに、張り詰めていた空気も少しずつ緩んでいく。

 

全員が警戒を解いたわけではない。

 

それでも、先ほどのような露骨な囁きは聞こえなくなった。

 

「……助かったわね」

 

咲夜が小さく息を吐く。

 

「あの氷精も、たまには役に立つじゃない」

 

レミリアはそう言いながらも、どこか嬉しそうに妹を見ていた。

 

「まさか妹まで来ているなんてね」

 

声をかけられ、振り返る。

 

そこには先ほどの勝者――霊夢が立っていた。

 

「珍しいじゃない。どんな風の吹き回し?」

 

「フランにも、そろそろ世界を見せてあげなくちゃね」

 

レミリアは、さも初めから自分が決めていたかのように胸を張った。

 

「いつまでも館の中に置いておくつもりはないわ。今日は、その第一歩というところかしら」

 

出かける直前まで反対していたはずだが、黙っておくことにした。

 

咲夜も何も言わず、僅かに口元を緩めている。

 

「ふうん」

 

霊夢はレミリアの言葉をどこまで信じたのか、料理の並ぶ卓へ駆けていくフランへ目を向けた。

 

フランはチルノたちに囲まれ、先ほどまで自分へ集まっていた視線など忘れたように笑っている。

 

「まあ、本人が楽しそうならいいんじゃない?」

 

「当然でしょう。私の妹なのよ」

 

レミリアは得意そうに答えた。

 

霊夢は小さく肩をすくめる。

 

「霊夢。先ほどの戦い、見事だった」

 

俺が声をかけると、霊夢はこちらへ顔を向けた。

 

「……何よ、急に」

 

「特に最後の攻撃だ。相手の逃げ道を一つずつ塞ぎ、避ける方向そのものを限定していた。あれほどの数の攻撃を放ちながら、一つとして無意味なものがなかった」

 

霊夢は僅かに目を見開いた。

 

それから、ふいと顔を背ける。

 

「……まあ、博麗の巫女だもの。あれくらいは当然よ」

 

口調は平然としていたが、口元までは隠せていなかった。

 

「霊夢、嬉しそうだな」

 

魔理沙が横から口を挟んだ。

 

「うるさいわね」

 

「人から褒められるのは好きなくせに、素直じゃないんだよ」

 

「余計なことを言うなら、あんたの分の料理も食べるわよ」

 

「それは卑怯だぞ!」

 

二人が言い争いを始める。

 

先ほどまで空で見せていた姿からは、随分と印象が違う。

 

だが、この気安さもまた、二人の関係なのだろう。

 

「そうだ、長門。紹介しておくぜ」

 

魔理沙が近くにいた金髪の少女を手招きした。

 

青い服を着た少女の周囲には、何体もの人形が浮かんでいる。

 

「こいつはアリス。魔法の森に住んでる魔法使いだ」

 

「アリス・マーガトロイドよ」

 

アリスは俺を一瞥すると、素っ気なく頭を下げた。

 

「長門だ。紅魔館で使用人をしている」

 

「そう。噂は聞いているわ」

 

それだけ答えると、アリスはすぐに魔理沙へ向き直った。

 

「それより魔理沙。さっきから飲みすぎじゃない?」

 

「宴会なんだから、飲まなきゃ損だろ」

 

「限度というものがあるでしょう」

 

「あなたが言っても無駄よ」

 

いつの間にかパチュリーも加わり、三人で同じ卓を囲み始める。

 

口では言い合っているが、互いに遠慮はないらしい。

 

初対面の俺には素っ気なかったアリスも、二人と話すときには僅かに表情を和らげていた。

 

どうやら、随分と気心の知れた間柄のようだ。

 

「これはこれは良いところに!」

 

今度は背後から声をかけられた。

 

振り返ると、黒い翼を生やした少女がカメラを手に立っていた。

 

「文々。新聞の射命丸文です。貴方が紅魔館に加わったという長門さんですね?」

 

「ああ。そうだが」

 

「では、一枚よろしいでしょうか?」

 

文は俺の返事を待つより先に、カメラを構えた。

 

「待て。何に使うつもりだ?」

 

「もちろん新聞です。紅魔館の新しい使用人となれば、読者の皆さんも興味を持つでしょうから」

 

文は楽しそうに俺の輪廻眼を見つめている。

 

あまり信用できる笑顔には見えない。

 

「妙なことを書くつもりなら断る」

 

「ご安心を。私はいつでも清く正しい取材を心がけていますから」

 

「その言葉が既に怪しいわね」

 

咲夜が横から冷ややかな視線を向ける。

 

「いやいや、咲夜さん。私は事実をありのままお伝えするだけですよ」

 

文はそう答えると、俺と咲夜をカメラへ収めた。

 

眩い光が一瞬だけ弾ける。

 

「では、次の新聞をお楽しみに!」

 

「まだ許可した覚えはないぞ」

 

「細かいことはお気になさらず!」

 

文はそのまま次の取材相手を探し、人混みへ消えていった。

 

「あれが清く正しい記者なのか?」

 

「本人はそう言っているわ」

 

咲夜は諦めたように息を吐いた。

 

文が去った後、人里から来たという男が声をかけてきた。

 

「その眼……あんたが紅魔館の新しい使用人か?」

 

「ああ。長門だ」

 

「俺は里で八百屋をやってる。紅魔館にも野菜を卸してるから、咲夜さんには世話になってるよ」

 

男は輪廻眼を珍しそうに見ていたが、やがて気さくに笑った。

 

「噂を聞いたときは、どんな恐ろしい奴かと思ったが……話してみれば普通だな」

 

「普通と言われたのは初めてかもしれない」

 

「そりゃ良かった。今度、里へ来たら店に寄りな。少しくらいおまけしてやるよ」

 

その後も、何人かの人里の住人から声をかけられた。

 

紅魔館では何をしているのか。

 

どこから来たのか。

 

幻想郷での暮らしには、もう慣れたのか。

 

すべてを話すことはできなかったが、答えられる範囲で言葉を返した。

 

初めは俺の眼を警戒していた者も、言葉を交わすうちに少しずつ表情を和らげていった。

 

「近いうちに、納品と買い出しへ行ってもらうこともあるでしょうね」

 

隣にいた咲夜が言う。

 

「そのときは、俺も人里を見て回ってみたい」

 

「なら、うちにも顔を出してくれ!」

 

八百屋の男が俺の肩を叩く。

 

次に人里を訪れたときには、少なくとも話し相手には困らなそうだった。

 

周囲へ目を向けると、宴の喧騒から少し離れた場所で、一人の少女が黙々と筆を走らせていた。

 

紙には、今夜使われたスペルカードの名や、勝負の流れが細かく記されている。

 

「あれは?」

 

「稗田の御阿礼の子よ。幻想郷の歴史を記録しているの」

 

俺の視線に気づいたのか、少女が顔を上げた。

 

その目が輪廻眼へ向けられる。

 

筆先が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

しかし、少女は何も言わずに記録へ戻った。

 

別の卓では、桃色の髪をした女が恐ろしい勢いで料理を食べ続け、その隣で剣を携えた少女が何度も周囲へ頭を下げている。

 

「幽々子様、少しは加減してください!」

 

「妖夢、宴会で遠慮する方が失礼よ」

 

「その理屈で何皿食べるつもりですか!?」

 

積み上がった皿は、今にも崩れそうなほど高い。

 

「あれも有名な者なのか?」

 

「ええ。知らない方が幸せなこともあるわ」

 

咲夜の答えに、俺はそれ以上尋ねるのをやめた。

 

◇

 

宴も半ばを過ぎた頃、先ほどまで霊夢と戦っていた少女が俺たちのもとへやって来た。

 

「東風谷早苗です。先ほどの勝負、いかがでしたか?」

 

「長門だ。見事な弾幕だった」

 

「ありがとうございます。負けてしまいましたけどね」

 

早苗は少しだけ悔しそうに笑った。

 

「特に、海を割るように弾幕を左右へ広げた術が印象に残った。あれだけ大きく展開しながら、次に通るべき道まで計算されていた」

 

「開海『海が割れる日』ですね。あそこから押し切れると思ったのですが、霊夢さんには通じませんでした」

 

早苗は霊夢のいる方を見る。

 

当の霊夢は、既に勝負のことなど忘れたように料理を食べていた。

 

「あの人、本当に規格外なんですよ」

 

「だが、お前も最後まで見事に戦った」

 

「そう言っていただけると嬉しいです」

 

早苗は笑顔を見せた後、不意に俺の顔を見つめた。

 

正確には、輪廻眼を見ているようだ。

 

「長門さんって、以前は“忍”だったんですよね?」

 

「ああ」

 

「それって、もしかして忍者のことですか?」

 

「その呼び方をする者もいる」

 

早苗の目が輝いた。

 

「では、黒い装束を着て屋根裏へ忍び込んだり、煙玉で姿を消したりするんですか?」

 

「しないこともないが、それだけが忍の仕事ではない」

 

「水の中では、竹筒をくわえて息をするとか」

 

「状況によっては、そのような道具も使うだろう」

 

「分身して相手を混乱させたりは?」

 

「分身の術はある」

 

「本当にあるんですか!?」

 

早苗が身を乗り出す。

 

「では、水や火を出すという噂も本当なんですか? 人里では、長門さんが眼から光線を出すとか、山を一撃で吹き飛ばせるとか、色々な話が広まっていましたけど」

 

「話が随分と大きくなっているな。眼から光線は出さない」

 

「山の方は否定しないんですね……」

 

「術によっては、地形を変えることもできる」

 

早苗が言葉を失った。

 

「忍術では、火、水、風、雷、土の五つを基本的な性質として扱う。それぞれを火遁、水遁、風遁、雷遁、土遁と呼ぶ」

 

「本当に五種類もあるんですか?」

 

「ああ。火を放つ術もあれば、水を生み出して操る術もある。風は物を切り裂き、雷は肉体を貫き、土は地形や足場を変えるためにも使われる」

 

「では、長門さんはどれを使えるんですか?」

 

「一通りは使える」

 

「全部!?」

 

早苗の声に、近くで飲んでいた者たちまで振り返った。

 

「普通の忍者も、皆さん五つとも使えるんですか?」

 

「いや。通常は本人の性質に合ったものを中心に修得する。五つすべてを扱える者は多くない」

 

「長門さんが特別なんですね……」

 

「輪廻眼の力によるところが大きい」

 

「他には、どのような術があるんですか?」

 

「口寄せによって動物を呼び出す術や、姿を別のものへ変える術もある。家ごと身を隠すような、大規模なものも存在する」

 

「私の知っている忍者より、ずっと何でもありですね……」

 

早苗は半ば呆然と呟いた。

 

「何か、ここでも見せられる術はありますか?」

 

「危険のないものならな」

 

俺は卓上に置かれた空の杯へ手を向けた。

 

「万象天引」

 

杯が浮かび上がり、人の間を縫って俺の手へ収まる。

 

早苗は驚いたように目を見開いた。

 

「今のは、どうやったんですか?」

 

「引力を操り、こちらへ引き寄せた」

 

「引力まで操れるんですか!?」

 

早苗は俺と杯を交互に見る。

 

「火や水を操って、分身して、動物を呼び出して、その上、引力まで……」

 

しばらく考え込んだ後、再び目を輝かせた。

 

「まるで漫画みたいです!」

 

「まんが?」

 

「外の世界にある、絵と台詞で物語を描いた本です。忍者が活躍したり、凄い力で戦ったりするものもあるんですよ」

 

「向こうにも絵巻物はあったが、それとは違うのか?」

 

「少し似ていますけど、もっと細かく場面を分けて描くんです。長門さんの術を見たら、外の人たちもきっと驚きますよ」

 

早苗は楽しそうに話していたが、やがて少し迷うように尋ねた。

 

「長門さんは、向こうではどんなことをしていたんですか?」

 

俺はすぐには答えられなかった。

 

脳裏に浮かんだのは、争いの中で失われた命と、雨に濡れた故郷だった。

 

早苗も俺の沈黙から何かを察したらしい。

 

「あ……すみません。聞かない方がよかったですね」

 

「いや。隠しても仕方のないことだ」

 

俺は手の中の杯へ目を落とした。

 

「忍は兵士だ。任務を受け、必要ならば敵と戦う。俺も多くの戦いを経験し、仲間を失った。そして、敵の命も奪った」

 

先ほどまで輝いていた早苗の目が、静かなものへ変わる。

 

「俺はやがて、誰もが同じ痛みを知れば、争いを恐れるようになると考えた。圧倒的な力を前に、互いが破滅を恐れて武器を取れなくなれば、平和になるとな」

 

早苗はしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「外の世界にも、似たような平和がありました」

 

「どのようなものだ?」

 

「大国同士が、相手の国を滅ぼせるほど強力な兵器を持って、睨み合っていたんです。片方が攻撃すれば、もう片方も攻撃する。そうなれば、どちらも滅びてしまう。だから、怖くて手を出せない」

 

「それで争いはなくなったのか?」

 

「少なくとも、その大国同士が正面から戦うことは避けられました。でも、その陰で別の国の争いへ介入したり、いつ戦争が始まるかと人々が怯えたりもしました。争いが完全になくなったわけではありません」

 

早苗は宴会場を見渡した。

 

「だから、それを平和と呼べるかは難しいと思います。戦争を避ける力にはなったけれど、恐怖そのものが消えたわけではありませんから」

 

俺も彼女の視線を追った。

 

弾幕勝負に勝った霊夢と、敗れた早苗。

 

それぞれを応援していた人間と妖怪。

 

誰もが今は同じ明かりの下で、料理と酒を囲んでいる。

 

痛みへの恐怖によって保たれる静けさと、争いを終えた者たちの笑い声。

 

その二つは、同じ平和という言葉で呼ばれていても、まるで違うものに思えた。

 

「あまり難しい顔をしない方がいいよ」

 

不意に、横から瓢箪が差し出された。

 

小柄な少女が、酔ったような笑みを浮かべて立っている。

 

額からは二本の角が伸びていた。

 

「誰だ?」

 

「伊吹萃香。見ての通り、鬼さ」

 

萃香は瓢箪を揺らし、そのまま酒を一口あおる。

 

「平和が何かなんて、酒の席で考えても答えは出ないよ」

 

「では、お前は何が平和だと思う?」

 

「難しいことは知らないね」

 

萃香は宴会場を見渡した。

 

「昨日まで睨み合っていた奴らが、今日は一緒に酒を飲んでる。今はそれでいいんじゃない?」

 

それだけ言うと、萃香は俺の肩を軽く叩いた。

 

「それでも考えたいなら、まず飲みな。素面で考えるより、楽しい答えが出るかもしれないよ」

 

「それでは答えを忘れるのではないか?」

 

「あははっ! それなら、また飲んで考えればいいさ!」

 

大声で笑いながら、萃香は別の卓へ去っていった。

 

早苗も小さく笑っている。

 

「早苗が、随分と楽しそうに話しているね」

 

そのとき、背後から二人分の気配が近づいてきた。

 

振り返ると、注連縄を背負った女と、風変わりな帽子をかぶった小柄な少女が立っている。

 

「神奈子様、諏訪子様」

 

早苗が二人を見て声を上げる。

 

「私は八坂神奈子。こっちは洩矢諏訪子。早苗が世話になったね」

 

「いや。俺の方こそ、興味深い話を聞かせてもらった」

 

俺が頭を下げると、諏訪子は面白そうに俺の周囲を回った。

 

「礼儀正しいね」

 

「落ち着いているし、実力もあるらしい」

 

神奈子が腕を組む。

 

「紅魔館ではよく働いているそうじゃないか」

 

「仕事を与えられている以上、当然だ」

 

「掃除も洗濯もできるんだって?」

 

諏訪子に尋ねられ、俺は僅かに眉をひそめた。

 

「なぜ知っている?」

 

「幻想郷では、噂が広がるのが早いのさ」

 

二人が顔を見合わせる。

 

「強い」

 

「真面目」

 

「働き者」

 

「家事もできる」

 

「それに、早苗とは外の話もできる」

 

二人は何やら納得したように頷き合っている。

 

隣では、早苗の顔から少しずつ血の気が引いていた。

 

「神奈子様、諏訪子様。まさかとは思いますけど……」

 

「長門」

 

神奈子が一歩前へ出た。

 

「守矢神社へ来る気はないか?」

 

「参拝か?」

 

「いや」

 

神奈子は実に真剣な顔で答えた。

 

「早苗の婿として」

 

一瞬、周囲の音が消えたように感じた。

 

「えええええっ!?」

 

早苗の叫びが宴会場へ響き渡る。

 

「な、何を言っているんですか、神奈子様!」

 

「何って、早苗の将来を考えているんだよ」

 

「私、そんなこと一言も頼んでいません!」

 

「でも、こんなに楽しそうに男と話している早苗は久しぶりだったしねえ」

 

諏訪子が面白そうに笑う。

 

「歳は少し離れていそうだけど、気が合うなら悪くないだろ?」

 

「大問題です!」

 

「待て。俺はまだ何も――」

 

「却下よ!」

 

今度は別の声が宴会場を貫いた。

 

見ると、レミリアが怒りに満ちた顔で立っていた。

 

その後ろでは、咲夜が額へ手を当てている。

 

「ナガトは紅魔館の使用人よ! 勝手に婿へ勧誘しないでもらえるかしら!」

 

「使用人なら、本人が働く場所を変えるのは自由だろう?」

 

神奈子が挑発するように笑う。

 

「守矢神社なら相応の待遇を用意するよ。住み込みで、食事もつけよう」

 

「こっちだって住み込みで食事つきよ!」

 

「でも、給金は安そうだねえ」

 

「何ですって!?」

 

諏訪子の言葉に、レミリアのこめかみが引きつった。

 

「それに、早苗と長門は気が合っているようだ」

 

「今会ったばかりでしょう!」

 

「出会った時間の長さは、縁の深さとは関係ないさ」

 

「ナガト!」

 

レミリアが俺を睨みつける。

 

「あなた、まさか行くなんて言わないでしょうね?」

 

「行くとは言っていない」

 

「では、断りなさい。今すぐ、はっきりと!」

 

「本人の意思を無視するのは良くないんじゃないかい?」

 

「そもそも早苗の意思を無視しているのは、そちらでしょう!」

 

言われた神奈子と諏訪子が、同時に早苗を見る。

 

早苗は顔を真っ赤にして震えていた。

 

「わ、私は……長門さんのお話には興味がありますけど、そういう意味ではありません!」

 

「だそうだが」

 

俺が告げると、二柱は揃って肩をすくめた。

 

「残念だね」

 

「いい候補だと思ったんだけどなあ」

 

「候補にしないでください!」

 

騒ぎを聞きつけた魔理沙が腹を抱えて笑っている。

 

霊夢も呆れた顔をしながら、こちらへ歩いてきた。

 

「何を騒いでいるのよ」

 

「長門が守矢神社に婿入りするところだったんだ」

 

魔理沙が答える。

 

「していない」

 

「へえ。じゃあ祝儀は出さなくて済みそうね」

 

「最初から出すつもりなかっただろ、霊夢」

 

「当たり前でしょう。うちは貧乏なのよ」

 

霊夢は平然と言い切った。

 

話が妙な方向へ進んでいる。

 

「お兄さま、お婿さんになるの?」

 

いつの間に戻ってきたのか、フランが俺の袖を引いた。

 

「いや、ならない」

 

「じゃあ、ずっと紅魔館にいる?」

 

「ああ。少なくとも、今すぐ出ていくつもりはない」

 

「よかった!」

 

フランが嬉しそうに俺の腕へ抱きつく。

 

それを見たレミリアは、満足そうに胸を張った。

 

「聞いたでしょう? 長門は紅魔館にいるのよ」

 

「今すぐ出ないと言っただけだと思うけどね」

 

神奈子がからかうと、再びレミリアが食ってかかる。

 

その騒ぎを見ながら、俺はふと夜空を見上げた。

 

弾幕の残光は既に消え、そこには静かな月と星だけが浮かんでいる。

 

それでも地上では、人間も妖怪も神も関係なく、同じ卓を囲んで笑っていた。

 

争いをなくすのではない。

 

争いが憎しみへ変わらないように形を与え、終われば互いに酒を酌み交わす。

 

これが正しい答えなのかは、まだ分からない。

 

だが、かつて自来也先生が語った言葉を思い出す。

 

――人が本当の意味で理解し合える時代が来ると、わしは信じとる。

 

あの頃の俺には、信じることができなかった。

 

人は決して分かり合えない。

 

同じ痛みを知らなければ、互いを理解することなどできない。

 

そう思っていた。

 

だが今、目の前には、異なる者たちが笑い合う光景がある。

 

――自来也先生。

 

――あなたが思い描いていたものを、俺も少しだけ分かったような気がします。

 

続いて思い浮かんだのは、共に育った弥彦と小南だった。

 

雨の中で身を寄せ合い、腹を空かせながらも、いつか戦争のない世界を作ろうと語り合った日々。

 

もし、あの二人と共にこの場所へ来ていたなら。

 

弥彦は誰とでも意気投合し、宴の中心で騒いでいたかもしれない。

 

小南は呆れながらも、その隣で笑っていただろう。

 

自来也先生なら、酒と女に浮かれて、咲夜に追い出されていそうだ。

 

そんな光景を想像すると、胸の奥が僅かに痛んだ。

 

それでも、不思議と悲しいだけではなかった。

 

――こんな世界なら、俺たち三人も幸せに暮らせたのだろうか。

 

答えは返ってこない。

 

ただ、夜風が静かに頬を撫でていった。

 

「どうしたの? 上なんか向いて」

 

隣から声をかけられる。

 

見ると、レミリアが不思議そうに俺を見上げていた。

 

「いや。少し、昔のことを思い出していただけだ」

 

「そう」

 

レミリアはそれ以上尋ねず、自分の杯を差し出した。

 

俺は卓にあった酒瓶を手に取り、その杯へ注ぐ。

 

「さあ、今は飲もう」

 

「あら。ようやく宴会の楽しみ方が分かってきたじゃない」

 

レミリアが満足そうに笑った。

 

俺も杯を手に取り、軽く掲げる。

 

過ぎ去った者たちを忘れることはない。

 

だが、いつまでも過去の雨の中に立ち尽くしている必要もないのだ。

 

今の俺には帰る場所があり、同じ卓を囲む者たちがいる。

 

杯を合わせる小さな音が、賑やかな宴の中へ溶けていった。

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