勝負が終わった後も、夜空には弾幕の残光が漂っていた。
七色の光は少しずつ薄れ、やがて星明かりの中へ溶けていく。
丘の下からは、先ほどまで以上に賑やかな声が聞こえていた。
「さて、私たちも行くわよ」
レミリアが満足そうに立ち上がる。
「行くって、どこへだ?」
「あら。弾幕勝負は終わっても、催しはまだ終わっていないわ」
レミリアは丘の向こうに広がる明かりを指した。
「これからが宴会よ」
◇
丘を下り、宴会場へ向かう。
近づくにつれて、笛や太鼓の音、人々の笑い声が大きくなっていった。
会場にはいくつもの提灯が吊るされ、その下には長机が所狭しと並べられている。
人間、妖怪、天狗、河童――種族など関係なく、誰もが酒や料理を囲んでいた。
先ほどまで空で競い合っていた者たちを肴にしているのか、あちこちから勝負の感想が聞こえてくる。
霊夢の最後の攻撃について身振りを交えて語る者。
早苗の弾幕を紙へ描き留めている絵師。
勝敗を賭けていたらしく、肩を落として財布を差し出す妖怪。
それを受け取って大笑いする人間。
向こうで戦っていた者と、それを応援していた者たちが、今では同じ卓を囲んでいる。
その光景を眺めていると、宴会場の奥から見覚えのある白黒の帽子が近づいてきた。
「よう! 遅かったな!」
魔理沙が片手を上げ、俺たちを迎えた。
「勝負はとっくに終わったぜ。良い場所も料理も、早い者勝ちだぞ」
「誰のせいで遅れたと思っているのかしら」
レミリアが横目でフランを見る。
フランは俺の服の裾をつかんだまま、悪びれる様子もなく首を傾げた。
「でも、ちゃんと見られたよ?」
「そういう問題では――」
レミリアが言いかけたところで、周囲の喧騒が僅かに弱まった。
何人もの視線が、俺たちへ向けられている。
いや、正確には――フランへ。
「あれが、紅魔館の妹か……?」
「地下にいたっていう……」
「紅霧異変のときにも、姿を見せなかったらしいじゃないか」
押し殺した声が耳へ届く。
先ほどまで楽しそうにしていたフランの表情が曇った。
俺の服をつかむ指に、少し力がこもる。
魔理沙からも笑みが消えている。
レミリアが周囲を睨みつけようとした、そのときだった。
「フラーン!」
甲高い声と共に、青い影が人混みから飛び出した。
チルノだった。
その後ろから大妖精も慌てて追いかけてくる。
「来たんだな! あたい、先に料理を取っておいたぞ!」
「フランちゃん、こんばんは」
二人は周囲の視線など気にも留めず、フランの前へ降り立った。
フランが目を瞬かせる。
「チルノ、大ちゃん……」
「向こうに甘いものがいっぱいあるぞ! 早くしないとなくなるからな!」
「チルノちゃんが食べなければ、そんなに早くなくならないと思うけど……」
「何だとー!」
いつものように言い合う二人を見て、フランの顔に笑みが戻った。
「お兄さま、行ってもいい?」
「ああ。ただし、遠くへ行きすぎるな」
「うん!」
フランは俺の服から手を離し、二人と共に料理の並ぶ卓へ駆けていった。
三人の背を見送るうちに、張り詰めていた空気も少しずつ緩んでいく。
全員が警戒を解いたわけではない。
それでも、先ほどのような露骨な囁きは聞こえなくなった。
「……助かったわね」
咲夜が小さく息を吐く。
「あの氷精も、たまには役に立つじゃない」
レミリアはそう言いながらも、どこか嬉しそうに妹を見ていた。
「まさか妹まで来ているなんてね」
声をかけられ、振り返る。
そこには先ほどの勝者――霊夢が立っていた。
「珍しいじゃない。どんな風の吹き回し?」
「フランにも、そろそろ世界を見せてあげなくちゃね」
レミリアは、さも初めから自分が決めていたかのように胸を張った。
「いつまでも館の中に置いておくつもりはないわ。今日は、その第一歩というところかしら」
出かける直前まで反対していたはずだが、黙っておくことにした。
咲夜も何も言わず、僅かに口元を緩めている。
「ふうん」
霊夢はレミリアの言葉をどこまで信じたのか、料理の並ぶ卓へ駆けていくフランへ目を向けた。
フランはチルノたちに囲まれ、先ほどまで自分へ集まっていた視線など忘れたように笑っている。
「まあ、本人が楽しそうならいいんじゃない?」
「当然でしょう。私の妹なのよ」
レミリアは得意そうに答えた。
霊夢は小さく肩をすくめる。
「霊夢。先ほどの戦い、見事だった」
俺が声をかけると、霊夢はこちらへ顔を向けた。
「……何よ、急に」
「特に最後の攻撃だ。相手の逃げ道を一つずつ塞ぎ、避ける方向そのものを限定していた。あれほどの数の攻撃を放ちながら、一つとして無意味なものがなかった」
霊夢は僅かに目を見開いた。
それから、ふいと顔を背ける。
「……まあ、博麗の巫女だもの。あれくらいは当然よ」
口調は平然としていたが、口元までは隠せていなかった。
「霊夢、嬉しそうだな」
魔理沙が横から口を挟んだ。
「うるさいわね」
「人から褒められるのは好きなくせに、素直じゃないんだよ」
「余計なことを言うなら、あんたの分の料理も食べるわよ」
「それは卑怯だぞ!」
二人が言い争いを始める。
先ほどまで空で見せていた姿からは、随分と印象が違う。
だが、この気安さもまた、二人の関係なのだろう。
「そうだ、長門。紹介しておくぜ」
魔理沙が近くにいた金髪の少女を手招きした。
青い服を着た少女の周囲には、何体もの人形が浮かんでいる。
「こいつはアリス。魔法の森に住んでる魔法使いだ」
「アリス・マーガトロイドよ」
アリスは俺を一瞥すると、素っ気なく頭を下げた。
「長門だ。紅魔館で使用人をしている」
「そう。噂は聞いているわ」
それだけ答えると、アリスはすぐに魔理沙へ向き直った。
「それより魔理沙。さっきから飲みすぎじゃない?」
「宴会なんだから、飲まなきゃ損だろ」
「限度というものがあるでしょう」
「あなたが言っても無駄よ」
いつの間にかパチュリーも加わり、三人で同じ卓を囲み始める。
口では言い合っているが、互いに遠慮はないらしい。
初対面の俺には素っ気なかったアリスも、二人と話すときには僅かに表情を和らげていた。
どうやら、随分と気心の知れた間柄のようだ。
「これはこれは良いところに!」
今度は背後から声をかけられた。
振り返ると、黒い翼を生やした少女がカメラを手に立っていた。
「文々。新聞の射命丸文です。貴方が紅魔館に加わったという長門さんですね?」
「ああ。そうだが」
「では、一枚よろしいでしょうか?」
文は俺の返事を待つより先に、カメラを構えた。
「待て。何に使うつもりだ?」
「もちろん新聞です。紅魔館の新しい使用人となれば、読者の皆さんも興味を持つでしょうから」
文は楽しそうに俺の輪廻眼を見つめている。
あまり信用できる笑顔には見えない。
「妙なことを書くつもりなら断る」
「ご安心を。私はいつでも清く正しい取材を心がけていますから」
「その言葉が既に怪しいわね」
咲夜が横から冷ややかな視線を向ける。
「いやいや、咲夜さん。私は事実をありのままお伝えするだけですよ」
文はそう答えると、俺と咲夜をカメラへ収めた。
眩い光が一瞬だけ弾ける。
「では、次の新聞をお楽しみに!」
「まだ許可した覚えはないぞ」
「細かいことはお気になさらず!」
文はそのまま次の取材相手を探し、人混みへ消えていった。
「あれが清く正しい記者なのか?」
「本人はそう言っているわ」
咲夜は諦めたように息を吐いた。
文が去った後、人里から来たという男が声をかけてきた。
「その眼……あんたが紅魔館の新しい使用人か?」
「ああ。長門だ」
「俺は里で八百屋をやってる。紅魔館にも野菜を卸してるから、咲夜さんには世話になってるよ」
男は輪廻眼を珍しそうに見ていたが、やがて気さくに笑った。
「噂を聞いたときは、どんな恐ろしい奴かと思ったが……話してみれば普通だな」
「普通と言われたのは初めてかもしれない」
「そりゃ良かった。今度、里へ来たら店に寄りな。少しくらいおまけしてやるよ」
その後も、何人かの人里の住人から声をかけられた。
紅魔館では何をしているのか。
どこから来たのか。
幻想郷での暮らしには、もう慣れたのか。
すべてを話すことはできなかったが、答えられる範囲で言葉を返した。
初めは俺の眼を警戒していた者も、言葉を交わすうちに少しずつ表情を和らげていった。
「近いうちに、納品と買い出しへ行ってもらうこともあるでしょうね」
隣にいた咲夜が言う。
「そのときは、俺も人里を見て回ってみたい」
「なら、うちにも顔を出してくれ!」
八百屋の男が俺の肩を叩く。
次に人里を訪れたときには、少なくとも話し相手には困らなそうだった。
周囲へ目を向けると、宴の喧騒から少し離れた場所で、一人の少女が黙々と筆を走らせていた。
紙には、今夜使われたスペルカードの名や、勝負の流れが細かく記されている。
「あれは?」
「稗田の御阿礼の子よ。幻想郷の歴史を記録しているの」
俺の視線に気づいたのか、少女が顔を上げた。
その目が輪廻眼へ向けられる。
筆先が、ほんの一瞬だけ止まった。
しかし、少女は何も言わずに記録へ戻った。
別の卓では、桃色の髪をした女が恐ろしい勢いで料理を食べ続け、その隣で剣を携えた少女が何度も周囲へ頭を下げている。
「幽々子様、少しは加減してください!」
「妖夢、宴会で遠慮する方が失礼よ」
「その理屈で何皿食べるつもりですか!?」
積み上がった皿は、今にも崩れそうなほど高い。
「あれも有名な者なのか?」
「ええ。知らない方が幸せなこともあるわ」
咲夜の答えに、俺はそれ以上尋ねるのをやめた。
◇
宴も半ばを過ぎた頃、先ほどまで霊夢と戦っていた少女が俺たちのもとへやって来た。
「東風谷早苗です。先ほどの勝負、いかがでしたか?」
「長門だ。見事な弾幕だった」
「ありがとうございます。負けてしまいましたけどね」
早苗は少しだけ悔しそうに笑った。
「特に、海を割るように弾幕を左右へ広げた術が印象に残った。あれだけ大きく展開しながら、次に通るべき道まで計算されていた」
「開海『海が割れる日』ですね。あそこから押し切れると思ったのですが、霊夢さんには通じませんでした」
早苗は霊夢のいる方を見る。
当の霊夢は、既に勝負のことなど忘れたように料理を食べていた。
「あの人、本当に規格外なんですよ」
「だが、お前も最後まで見事に戦った」
「そう言っていただけると嬉しいです」
早苗は笑顔を見せた後、不意に俺の顔を見つめた。
正確には、輪廻眼を見ているようだ。
「長門さんって、以前は“忍”だったんですよね?」
「ああ」
「それって、もしかして忍者のことですか?」
「その呼び方をする者もいる」
早苗の目が輝いた。
「では、黒い装束を着て屋根裏へ忍び込んだり、煙玉で姿を消したりするんですか?」
「しないこともないが、それだけが忍の仕事ではない」
「水の中では、竹筒をくわえて息をするとか」
「状況によっては、そのような道具も使うだろう」
「分身して相手を混乱させたりは?」
「分身の術はある」
「本当にあるんですか!?」
早苗が身を乗り出す。
「では、水や火を出すという噂も本当なんですか? 人里では、長門さんが眼から光線を出すとか、山を一撃で吹き飛ばせるとか、色々な話が広まっていましたけど」
「話が随分と大きくなっているな。眼から光線は出さない」
「山の方は否定しないんですね……」
「術によっては、地形を変えることもできる」
早苗が言葉を失った。
「忍術では、火、水、風、雷、土の五つを基本的な性質として扱う。それぞれを火遁、水遁、風遁、雷遁、土遁と呼ぶ」
「本当に五種類もあるんですか?」
「ああ。火を放つ術もあれば、水を生み出して操る術もある。風は物を切り裂き、雷は肉体を貫き、土は地形や足場を変えるためにも使われる」
「では、長門さんはどれを使えるんですか?」
「一通りは使える」
「全部!?」
早苗の声に、近くで飲んでいた者たちまで振り返った。
「普通の忍者も、皆さん五つとも使えるんですか?」
「いや。通常は本人の性質に合ったものを中心に修得する。五つすべてを扱える者は多くない」
「長門さんが特別なんですね……」
「輪廻眼の力によるところが大きい」
「他には、どのような術があるんですか?」
「口寄せによって動物を呼び出す術や、姿を別のものへ変える術もある。家ごと身を隠すような、大規模なものも存在する」
「私の知っている忍者より、ずっと何でもありですね……」
早苗は半ば呆然と呟いた。
「何か、ここでも見せられる術はありますか?」
「危険のないものならな」
俺は卓上に置かれた空の杯へ手を向けた。
「万象天引」
杯が浮かび上がり、人の間を縫って俺の手へ収まる。
早苗は驚いたように目を見開いた。
「今のは、どうやったんですか?」
「引力を操り、こちらへ引き寄せた」
「引力まで操れるんですか!?」
早苗は俺と杯を交互に見る。
「火や水を操って、分身して、動物を呼び出して、その上、引力まで……」
しばらく考え込んだ後、再び目を輝かせた。
「まるで漫画みたいです!」
「まんが?」
「外の世界にある、絵と台詞で物語を描いた本です。忍者が活躍したり、凄い力で戦ったりするものもあるんですよ」
「向こうにも絵巻物はあったが、それとは違うのか?」
「少し似ていますけど、もっと細かく場面を分けて描くんです。長門さんの術を見たら、外の人たちもきっと驚きますよ」
早苗は楽しそうに話していたが、やがて少し迷うように尋ねた。
「長門さんは、向こうではどんなことをしていたんですか?」
俺はすぐには答えられなかった。
脳裏に浮かんだのは、争いの中で失われた命と、雨に濡れた故郷だった。
早苗も俺の沈黙から何かを察したらしい。
「あ……すみません。聞かない方がよかったですね」
「いや。隠しても仕方のないことだ」
俺は手の中の杯へ目を落とした。
「忍は兵士だ。任務を受け、必要ならば敵と戦う。俺も多くの戦いを経験し、仲間を失った。そして、敵の命も奪った」
先ほどまで輝いていた早苗の目が、静かなものへ変わる。
「俺はやがて、誰もが同じ痛みを知れば、争いを恐れるようになると考えた。圧倒的な力を前に、互いが破滅を恐れて武器を取れなくなれば、平和になるとな」
早苗はしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「外の世界にも、似たような平和がありました」
「どのようなものだ?」
「大国同士が、相手の国を滅ぼせるほど強力な兵器を持って、睨み合っていたんです。片方が攻撃すれば、もう片方も攻撃する。そうなれば、どちらも滅びてしまう。だから、怖くて手を出せない」
「それで争いはなくなったのか?」
「少なくとも、その大国同士が正面から戦うことは避けられました。でも、その陰で別の国の争いへ介入したり、いつ戦争が始まるかと人々が怯えたりもしました。争いが完全になくなったわけではありません」
早苗は宴会場を見渡した。
「だから、それを平和と呼べるかは難しいと思います。戦争を避ける力にはなったけれど、恐怖そのものが消えたわけではありませんから」
俺も彼女の視線を追った。
弾幕勝負に勝った霊夢と、敗れた早苗。
それぞれを応援していた人間と妖怪。
誰もが今は同じ明かりの下で、料理と酒を囲んでいる。
痛みへの恐怖によって保たれる静けさと、争いを終えた者たちの笑い声。
その二つは、同じ平和という言葉で呼ばれていても、まるで違うものに思えた。
「あまり難しい顔をしない方がいいよ」
不意に、横から瓢箪が差し出された。
小柄な少女が、酔ったような笑みを浮かべて立っている。
額からは二本の角が伸びていた。
「誰だ?」
「伊吹萃香。見ての通り、鬼さ」
萃香は瓢箪を揺らし、そのまま酒を一口あおる。
「平和が何かなんて、酒の席で考えても答えは出ないよ」
「では、お前は何が平和だと思う?」
「難しいことは知らないね」
萃香は宴会場を見渡した。
「昨日まで睨み合っていた奴らが、今日は一緒に酒を飲んでる。今はそれでいいんじゃない?」
それだけ言うと、萃香は俺の肩を軽く叩いた。
「それでも考えたいなら、まず飲みな。素面で考えるより、楽しい答えが出るかもしれないよ」
「それでは答えを忘れるのではないか?」
「あははっ! それなら、また飲んで考えればいいさ!」
大声で笑いながら、萃香は別の卓へ去っていった。
早苗も小さく笑っている。
「早苗が、随分と楽しそうに話しているね」
そのとき、背後から二人分の気配が近づいてきた。
振り返ると、注連縄を背負った女と、風変わりな帽子をかぶった小柄な少女が立っている。
「神奈子様、諏訪子様」
早苗が二人を見て声を上げる。
「私は八坂神奈子。こっちは洩矢諏訪子。早苗が世話になったね」
「いや。俺の方こそ、興味深い話を聞かせてもらった」
俺が頭を下げると、諏訪子は面白そうに俺の周囲を回った。
「礼儀正しいね」
「落ち着いているし、実力もあるらしい」
神奈子が腕を組む。
「紅魔館ではよく働いているそうじゃないか」
「仕事を与えられている以上、当然だ」
「掃除も洗濯もできるんだって?」
諏訪子に尋ねられ、俺は僅かに眉をひそめた。
「なぜ知っている?」
「幻想郷では、噂が広がるのが早いのさ」
二人が顔を見合わせる。
「強い」
「真面目」
「働き者」
「家事もできる」
「それに、早苗とは外の話もできる」
二人は何やら納得したように頷き合っている。
隣では、早苗の顔から少しずつ血の気が引いていた。
「神奈子様、諏訪子様。まさかとは思いますけど……」
「長門」
神奈子が一歩前へ出た。
「守矢神社へ来る気はないか?」
「参拝か?」
「いや」
神奈子は実に真剣な顔で答えた。
「早苗の婿として」
一瞬、周囲の音が消えたように感じた。
「えええええっ!?」
早苗の叫びが宴会場へ響き渡る。
「な、何を言っているんですか、神奈子様!」
「何って、早苗の将来を考えているんだよ」
「私、そんなこと一言も頼んでいません!」
「でも、こんなに楽しそうに男と話している早苗は久しぶりだったしねえ」
諏訪子が面白そうに笑う。
「歳は少し離れていそうだけど、気が合うなら悪くないだろ?」
「大問題です!」
「待て。俺はまだ何も――」
「却下よ!」
今度は別の声が宴会場を貫いた。
見ると、レミリアが怒りに満ちた顔で立っていた。
その後ろでは、咲夜が額へ手を当てている。
「ナガトは紅魔館の使用人よ! 勝手に婿へ勧誘しないでもらえるかしら!」
「使用人なら、本人が働く場所を変えるのは自由だろう?」
神奈子が挑発するように笑う。
「守矢神社なら相応の待遇を用意するよ。住み込みで、食事もつけよう」
「こっちだって住み込みで食事つきよ!」
「でも、給金は安そうだねえ」
「何ですって!?」
諏訪子の言葉に、レミリアのこめかみが引きつった。
「それに、早苗と長門は気が合っているようだ」
「今会ったばかりでしょう!」
「出会った時間の長さは、縁の深さとは関係ないさ」
「ナガト!」
レミリアが俺を睨みつける。
「あなた、まさか行くなんて言わないでしょうね?」
「行くとは言っていない」
「では、断りなさい。今すぐ、はっきりと!」
「本人の意思を無視するのは良くないんじゃないかい?」
「そもそも早苗の意思を無視しているのは、そちらでしょう!」
言われた神奈子と諏訪子が、同時に早苗を見る。
早苗は顔を真っ赤にして震えていた。
「わ、私は……長門さんのお話には興味がありますけど、そういう意味ではありません!」
「だそうだが」
俺が告げると、二柱は揃って肩をすくめた。
「残念だね」
「いい候補だと思ったんだけどなあ」
「候補にしないでください!」
騒ぎを聞きつけた魔理沙が腹を抱えて笑っている。
霊夢も呆れた顔をしながら、こちらへ歩いてきた。
「何を騒いでいるのよ」
「長門が守矢神社に婿入りするところだったんだ」
魔理沙が答える。
「していない」
「へえ。じゃあ祝儀は出さなくて済みそうね」
「最初から出すつもりなかっただろ、霊夢」
「当たり前でしょう。うちは貧乏なのよ」
霊夢は平然と言い切った。
話が妙な方向へ進んでいる。
「お兄さま、お婿さんになるの?」
いつの間に戻ってきたのか、フランが俺の袖を引いた。
「いや、ならない」
「じゃあ、ずっと紅魔館にいる?」
「ああ。少なくとも、今すぐ出ていくつもりはない」
「よかった!」
フランが嬉しそうに俺の腕へ抱きつく。
それを見たレミリアは、満足そうに胸を張った。
「聞いたでしょう? 長門は紅魔館にいるのよ」
「今すぐ出ないと言っただけだと思うけどね」
神奈子がからかうと、再びレミリアが食ってかかる。
その騒ぎを見ながら、俺はふと夜空を見上げた。
弾幕の残光は既に消え、そこには静かな月と星だけが浮かんでいる。
それでも地上では、人間も妖怪も神も関係なく、同じ卓を囲んで笑っていた。
争いをなくすのではない。
争いが憎しみへ変わらないように形を与え、終われば互いに酒を酌み交わす。
これが正しい答えなのかは、まだ分からない。
だが、かつて自来也先生が語った言葉を思い出す。
――人が本当の意味で理解し合える時代が来ると、わしは信じとる。
あの頃の俺には、信じることができなかった。
人は決して分かり合えない。
同じ痛みを知らなければ、互いを理解することなどできない。
そう思っていた。
だが今、目の前には、異なる者たちが笑い合う光景がある。
――自来也先生。
――あなたが思い描いていたものを、俺も少しだけ分かったような気がします。
続いて思い浮かんだのは、共に育った弥彦と小南だった。
雨の中で身を寄せ合い、腹を空かせながらも、いつか戦争のない世界を作ろうと語り合った日々。
もし、あの二人と共にこの場所へ来ていたなら。
弥彦は誰とでも意気投合し、宴の中心で騒いでいたかもしれない。
小南は呆れながらも、その隣で笑っていただろう。
自来也先生なら、酒と女に浮かれて、咲夜に追い出されていそうだ。
そんな光景を想像すると、胸の奥が僅かに痛んだ。
それでも、不思議と悲しいだけではなかった。
――こんな世界なら、俺たち三人も幸せに暮らせたのだろうか。
答えは返ってこない。
ただ、夜風が静かに頬を撫でていった。
「どうしたの? 上なんか向いて」
隣から声をかけられる。
見ると、レミリアが不思議そうに俺を見上げていた。
「いや。少し、昔のことを思い出していただけだ」
「そう」
レミリアはそれ以上尋ねず、自分の杯を差し出した。
俺は卓にあった酒瓶を手に取り、その杯へ注ぐ。
「さあ、今は飲もう」
「あら。ようやく宴会の楽しみ方が分かってきたじゃない」
レミリアが満足そうに笑った。
俺も杯を手に取り、軽く掲げる。
過ぎ去った者たちを忘れることはない。
だが、いつまでも過去の雨の中に立ち尽くしている必要もないのだ。
今の俺には帰る場所があり、同じ卓を囲む者たちがいる。
杯を合わせる小さな音が、賑やかな宴の中へ溶けていった。