レミリアに勧められた翌日。
その日の仕事を終えた俺は、咲夜の案内で紅魔館の地下へ向かっていた。
「図書館はまだ先なのか?」
「もうすぐよ。地下は空間が少し複雑になっているから、最初は一人で歩かない方がいいわ」
先を歩く咲夜は、迷う素振りもなく薄暗い廊下を進んでいく。
幾つもの角を曲がり、長い階段を下りた先に、両開きの重厚な扉が現れた。
「ここが大図書館よ」
咲夜が扉へ手をかける。
蝶番が低い音を立て、扉がゆっくりと開いていく。
その先に広がっていたのは、本の海だった。
天井まで届く巨大な本棚が、どこまでも果てしなく並んでいる。棚へ収まりきらなかった本は、机の上から床に至るまで、要塞のように積み上げられていた。
これほどの蔵書を目にしたことはない。
一体、何年かければすべてを読み終えられるのだろう。
余りの光景に圧倒されていると、図書館の奥から、一人の少女が慌てた様子で駆け寄ってきた。
紅い長髪を持ち、頭と背中には蝙蝠のような小さな翼を生やしている。
「咲夜さーん、大変でーす!」
「落ち着きなさい。何があったの?」
咲夜に制され、少女は俺の前で足を止めた。
その視線が俺の顔へ向き、輪廻眼を捉えた途端、大きく見開かれる。
咲夜は、そんな少女を俺へ示した。
「彼女は小悪魔。パチュリー様の助手で、この図書館の管理を手伝っているわ」
続いて、俺の方を示す。
「小悪魔、こちらが長門。話には聞いていると思うけれど、新しく入った執事よ」
小悪魔は輪廻眼を気にしながら、僅かに身を引いた。
「よ、よろしくお願いします……」
「長門だ。よろしく頼む」
「はい。私は小悪魔と――って、そんなことより大変なんです!」
我に返った小悪魔が声を上げる。
「今朝からパチュリー様の姿が見えないんです! 図書館中を探しても、どこにもいなくて……!」
小悪魔がまくし立てた、そのときだった。
彼女の後ろに積み上げられていた本の山が、ゆっくりと傾いた。
次の瞬間、轟音を立てて倒壊する。
「きゃ――っ!」
悲鳴とともに本が床へなだれ落ち、辺りに埃が舞い上がった。
俺たちは思わず顔を見合わせる。
そして――。
「パチュリーさまーっ!」
本の山の下から僅かに覗いた紫色の髪を見つけ、小悪魔が飛びついた。
どうやら、探し人は初めから図書館の中にいたらしい。
呆れている場合ではない。
咲夜と小悪魔が次々に本を退かし、俺も右手を伸ばす。
「――万象天引」
見えない力で上に積み重なった本を数冊ずつ浮かせ、離れた床へ移していく。
一度にすべてを動かせれば早いが、ここは慎重な操作が必要だ。
ふと横を見ると、小悪魔が手を止め、不思議そうに俺を見ていた。
「い、今のは何ですか?」
「俺の術だ」
「へえ、便利ですね」
感心している場合なのだろうか。
案外、呑気な奴らしい。
そうしてすべての本を取り除くと、その下から紫色の髪をした少女が現れた。
目を回し、床へ力なく横たわっている。
「むきゅ~……」
◇
「……コホン。恥ずかしいところを見せたわね」
しばらくして意識を取り戻した少女は、服についた埃を払った。
その頬は、まだ僅かに赤い。
「私はパチュリー・ノーレッジ。この図書館で魔法の研究をしているわ」
何事もなかったように平静を装っているが、先ほどの姿を見た後では威厳を感じるのは難しかった。
「長門だ」
自己紹介を終えると、咲夜が床に散乱した本を一冊拾い上げ、パチュリーへ差し出した。
「パチュリー様。お話の前に、こちらを片づける必要があるのでは?」
「あとで小悪魔が片づけるわ」
「私がですか!?」
「貴方は図書館の管理を手伝うのが仕事でしょう?」
「そもそも、これを積み上げたのはパチュリー様ですよね!?」
「読み終えた本を元へ戻すのも、図書館を管理する者の仕事よ」
「そんな無茶な……」
二人が言い合う横で、咲夜が小さく息をついた。
どうやら、これもこの図書館では珍しくない光景らしい。
俺は散らばった本へ目を向け、再び右手を伸ばした。
◇
本を片づけた後、俺たちは図書館の中央にある大きな机を囲んでいた。
パチュリーは向かい側の椅子に腰掛け、値踏みするように俺を観察している。
「さて、レミーから簡単には聞いているわ。貴方は、以前いた場所で“忍術”という技術を使っていたそうね」
「ああ」
「魔法とは違うの?」
「俺がいた場所に、魔法と呼ばれる技術はなかった。少なくとも、俺は知らない」
「それなら、実際に見せてもらうのが一番早いわね」
パチュリーは即座に立ち上がった。
先ほど本の下敷きになっていたとは思えないほど、その目が輝いている。
「何か使ってみて」
「ここでか?」
俺は周囲を見渡した。
本棚が密集し、床にもまだ何冊か本が積まれている。
「火を使えば、本まで燃えるぞ」
「この図書館の本には、状態保存と耐火の魔法をかけてあるの。心配しなくても、少しくらいの火では燃えはしないわ」
「それでも狭すぎる」
「それなら問題ないわ。咲夜」
パチュリーに呼ばれ、咲夜が一歩前へ出た。
「空間を広げればよろしいのですね」
「お願い」
咲夜が指を鳴らす。
その瞬間、周囲の景色が歪んだ。
本棚が音もなく遠ざかり、床が四方へ広がっていく。天井も徐々に高くなり、机の周囲に、ちょっとした演習場ほどの空間が生まれた。
俺は思わず周囲へ視線を巡らせる。
壁を壊した様子はない。
空間そのものを操作したのか。
時空間忍術にも似ているが、印を結んだ形跡も、チャクラが動いた気配もなかった。
「これなら問題ないでしょう?」
咲夜が僅かに笑う。
「……大した術だ」
「褒めても何も出ないわよ」
そう言いながらも、その表情は少しだけ得意そうだった。
パチュリーは既に紙と筆記具を用意している。
「さあ、始めて」
「分かった。ただし、何を見せるかはこちらで選ぶ」
「構わないわ。まずは、忍術の基本が分かるものをお願い」
俺はパチュリーたちから距離を取り、広げられた空間の中央へ立った。
「忍術には、火、水、風、土、雷の五つを基本とする“性質変化”がある」
「五つの属性ということ?」
「そう考えて構わない。その中から、まずは火を見せよう」
手を胸の前へ運び、印を結ぶ。
巳、未、申。
久しぶりの感覚だった。
亥、午、寅。
指は考えるより先に動く。
暁を組織してから、俺は六道の術を使うことが多くなった。自ら印を結び、こうして純粋な忍術を放つ機会は、いつの間にかほとんどなくなっていた。
胸の奥でチャクラを練る。
肉体と精神から生み出された力が、喉元へ集まっていく。
その感覚が、
俺は息を大きく吸い込み、前方へ吐き出す。
「火遁・豪火球の術」
口から放たれた炎が、巨大な球となって空間を進む。
炎は離れた場所で爆ぜ、広がった熱風が図書館の空気を揺らした。
「すごいです!」
小悪魔が歓声を上げる。
咲夜は炎の残光を見つめ、僅かに目を細めた。
「見た目だけなら、炎の魔法と変わらないわね」
「ええ。起きている現象だけなら、よく似ているわ」
パチュリーは素早く筆を走らせながら、先ほどの術を振り返る。
「でも、発動までの仕組みは随分と違うようね。術を使う前に、両手を特定の形に結んでいた」
「あれは“印”と呼ばれる。基本となる形は十二種類あり、術ごとに決められた順番で組み合わせる」
「その印が、術の発動を補助しているのね」
「その理解で間違いない」
「そして、炎は口から出す、と」
妙なところに注目された。
ひとしきり記録すると、パチュリーは筆を止めた。
「ほかの四つも見せられる?」
「ああ」
再び印を結ぶ。
図書館への影響を考え、今度はそれぞれの威力を抑える。
「水遁・水乱波」
口から放たれた水流が床を走る。
「風遁・烈風掌」
両手を打ち合わせ、突き出した掌から風を放つ。
床を流れていた水が巻き上げられ、細かな飛沫となって空中へ散った。
続けて印を結び、足元へ意識を集中する。
「土遁・土流壁」
口から吐き出した土が床を覆い、低い振動とともに壁となってせり上がった。
最後に、掌へ雷の性質を与えたチャクラを集める。
青白い光が指先を走り、乾いた音を立てた。
放出はせず、その場で維持する。
「雷遁はこれで十分だろう」
パチュリーは実演の間も休まず、記録を取り続けていた。
「火は口、水も口、風は掌。土は再び口で、雷は手……」
筆先を止め、結論を書き加える。
「術によって、現象を生み出す場所も違うのね」
「正直、その“どとん”という技は、見ていて少し気持ち悪くなりましたぁ……」
小悪魔が、出来上がった土壁を複雑そうな顔で見つめている。
咲夜も同じものを眺め、静かに頷いた。
「確かに、人の口から出てよい量の土ではないわね」
考えたこともなかった。
術として使うのが当たり前だったため、その光景を外から見た者がどう感じるかなど、意識したこともない。
「喉の奥で、魔力を土へ変えているのかしら?」
パチュリーが首を傾げる。
「魔力ではない。チャクラだ」
俺は軽くチャクラを練り、掲げた掌へ集める。
「チャクラとは、己の細胞から取り出す肉体エネルギーと、経験や鍛錬によって培われた精神エネルギーを、体内で練り合わせたものだ」
「そのチャクラへ土の性質を与えて、物質として吐き出した?」
「大まかには、そういうことになる」
「人の体内で作った力が、これほど異なる現象へ変化するのね……」
パチュリーは土壁へ目を向けた後、記録用紙へ視線を戻した。
「それに、同じ術者が五つの属性を扱っている。誰にでもできることではなさそうね」
「その話は、いずれ必要になれば話そう」
今は忍術と魔法の違いを確かめる場だ。
適性や血継限界まで説明すれば、話が際限なく広がってしまう。
「分かったわ。では、今度はこちらを見せる番ね」
パチュリーは椅子から立ち上がり、袖の中へ手を入れた。
取り出された一枚の札を見て、小悪魔が反射的に数歩下がる。
咲夜も周囲を確認し、俺たちとの距離を取った。
パチュリーの指先に、淡い光が灯る。
「忍術と魔法が、どこまで似ているのか」
札を掲げた彼女の周囲へ、幾何学模様が浮かび始める。
「今度は貴方が確かめてみなさい、長門」
パチュリーが札へ力を流す。
その瞬間、五色の光が放たれた。
赤、青、緑、茶、黄。
それぞれの光が異なる軌跡を描き、宙に五つの幾何学模様を作り上げる。
複雑な線と文字を組み合わせた円。
その一つ一つへ、周囲から力が集まっていく。
チャクラではない。
だが、ここへ来てから何度か感じていたものと同じだった。
空気や大地、この図書館の壁にまで薄く染み込んでいる、正体の分からない力。
それがパチュリーの掲げた札へ呼び寄せられ、幾何学模様を通して別の形へ変わっていく。
五つの円から、異なる現象が同時に生まれた。
炎が舞い上がる。
水が帯となって流れる。
風が渦を巻き、石の弾が規則正しく宙を走る。
その隙間を縫うように、雷光が瞬いた。
どれも互いを妨げない。
炎は水に消されず、風は石弾の軌道を乱さない。
五つの現象が一つの流れを作り、まるで決められた曲を奏でるように空間を巡っている。
それは力任せの攻撃ではない。
細部まで組み立てられた、静謐な制御だった。
俺は思わず息を止める。
忍術でも、複数の性質を組み合わせることはできる。
分身や複数の肉体を使えば、異なる術を同時に発動することも不可能ではない。二つ以上の性質を一つにまとめた術も存在する。
しかし、一人の術者が五つの現象を別々に保ったまま、同時に操る光景は見たことがなかった。
やがてパチュリーが札を下ろす。
炎も、水も、風も、石弾も、雷も、初めから存在しなかったように消えた。
「どう?」
パチュリーが僅かに胸を張る。
「……見事だ」
素直に答えると、彼女は満足そうに目を細めた。
「忍術では難しい?」
「複数の術者や分身を使えば可能だ。だが、一人でこれほど異なる現象を同時に制御するのは容易ではない」
「魔法でも、誰にでもできることではないわ」
パチュリーは得意そうに答えると、先ほど掲げていた札を俺へ見せた。
札の表面には、宙に現れたものとよく似た図形が記されている。
「先ほど見えた図形は、“魔方陣”と呼ばれるものよ。魔法を形にするための術式と考えればいいわ」
「忍術における印のようなものか」
「役割は似ているけれど、使い方が違うわ」
パチュリーが空中へ指を滑らせる。
その軌跡に淡い光が残り、小さな円を作り上げた。
円の中央に、蝋燭ほどの炎が灯る。
「印は、術者の体内にある力を整えるためのものでしょう?」
「ああ」
「それに対して魔方陣は、術者の外側に魔法を制御する仕組みを作るものよ」
パチュリーは指を払って、炎と魔方陣を消した。
「簡単な魔法なら、慣れた術者はその場で術式を組み立てられる。でも、複雑で大規模な魔法になるほど、必要な図形も複雑になるわ」
「戦いの最中に、一から描くのは難しいだろうな」
「ええ。だから、あらかじめ術式を札へ記録しておくの」
パチュリーは手に持った札を、二本の指で挟んで見せる。
「これは“スペルカード”。魔法を発動させる魔方陣が記された札よ。力を流せば、あらかじめ組んでおいた魔法を短時間で展開できる」
「印を結ぶ代わりに、完成した術式を札から呼び出すということか」
「大まかにはそういうことね。理解が早くて助かるわ」
印は、術者自身の体内で力を制御する。
魔方陣は、術者の外側に制御の仕組みを作る。
印は、手順を悟られなければ、どのような術を使うのか相手に知られにくい。魔方陣は光と形が見えるため隠密には向かないが、事前に構築しておけば、複雑な魔法でも素早く発動できる。
目的の違いが、技術の形に表れているようだった。
「戦場で使うなら、印の方が便利な場合もありそうね」
パチュリーが言う。
「魔方陣は目立ちすぎるもの。何をしようとしているのか、相手からも見えてしまう」
「その代わり、準備が整っていれば発動は速い」
「ええ。魔法は即興だけでなく、どれだけ事前に術式を組んでおけるかも重要なのよ」
戦場で生き残るため、内側の力を素早く制御する印。
あらかじめ外側へ仕組みを作り、複雑な現象を安定して引き起こす魔方陣。
似た役割を持ちながら、考え方は対照的だった。
「このスペルカードは、特に“弾幕勝負”で使われるわ」
「弾幕勝負?」
「幻想郷で揉め事を決着させるための、正式な決闘よ。互いに使用するスペルカードの枚数を事前に宣言し、その範囲で勝敗を競うの」
「決闘なら、命を懸けるのか?」
俺が尋ねると、パチュリーは首を横へ振った。
「原則として、相手を殺してはいけない。先に弾幕へ当たった方が負けよ。それに、ただ相手へ当てればよいわけではない。弾幕の美しさや、その技に込められた意味も重視されるの」
「戦いに、美しさを求めるのか」
「少なくとも、幻想郷の弾幕勝負ではね」
勝敗を競う場でありながら、その攻撃に美しさまで求める。
俺の知る戦いとは、余りにも考え方が違っていた。
戦場で必要とされるのは、相手より早く、確実に命を奪うことだ。技の美しさなど、生死を分ける場では何の意味も持たない。
「それで、本当に争いが収まるのか?」
「正式な弾幕勝負で決まった結果は、簡単には覆せないわ。敗者は潔く負けを認め、勝者も決着後に相手を傷つけてはいけない。細かな規則はほかにもあるけれど、今はそれだけ知っていれば十分よ」
殺し合うことなく、勝者と敗者を決める。
そのような制度が本当に成り立つのなら、俺がいた世界にはなかった形の戦いなのだろう。
すぐに理解できるものではない。
だが、僅かに興味を引かれた。
「いずれ、実際に見る機会もあるでしょう」
パチュリーはそう言って、手にしたスペルカードを机へ置いた。
「さて、忍術と魔法の形の違いは見えてきたわ。次は、その力自体を比べてみましょう」
「力自体?」
「貴方の使うチャクラと、私たちの使う魔力よ」
パチュリーは、新たな魔導書を机へ置いた。
その瞳には、未だ研究への熱が宿っている。
「二つの力が本当に別物なのか。それとも、同じものを異なる方法で扱っているのか――確かめる価値はありそうね」
読んでいただきありがとうございます。
この話の魔法の理論やスペルカードの設定はオリジナルです。
パチュリー先生の講義はもう少し続きます。