「では、次は力そのものについて考えましょう」
パチュリーは、机の上に分厚い魔導書を置いた。
「貴方は、チャクラを精神エネルギーと肉体エネルギーから作ると言っていたわね」
「ああ。二つの力を体内で練り合わせ、術へ変える」
「魔法にも、それと似た考え方があるの。私たちは、“内の魔力”と“外の魔力”を使う」
「内と外?」
「内の魔力は、術者の肉体に由来して体内を巡る力。外の魔力は、空気や大地、水、火、光といった、周囲の様々なものに宿る力よ」
パチュリーが魔導書の表紙へ手を置く。
指先に淡い光がまとわりつき、周囲の空気が僅かに揺れた。
「魔法使いは、その二つを体内で混ぜ合わせるのか?」
「少し違うわ。内の魔力を媒介にして、外の魔力へ呼びかけるの。外にある力を自分の意志へ呼応させ、魔方陣を通して現象を制御する。それが魔法よ」
俺は周囲へ意識を向ける。
図書館へ入ったときから感じていた、空気や壁に満ちる力。
パチュリーが魔法を使うたび、それが僅かに揺らいでいる。
「……俺がここへ来てから感じていたものは、その外の魔力か」
「感じ取れるの?」
「ああ。ただし、正体までは分からなかった」
パチュリーは興味深そうに俺を見つめた。
「教わる前から存在を感じ取れたのなら、貴方のチャクラと、こちらの魔力には何らかの共通点があるのかもしれないわ」
「同じ力だというのか?」
「まだ分からない。似ているだけかもしれないし、同じものを異なる方法で扱っている可能性もある」
パチュリーは、机の上の魔導書と俺の手を交互に示した。
「貴方たちは、精神と肉体から生み出した力を、体内で一つの力として完成させる。それを肉体の強化や術の発動に使う」
「ああ」
「私たちは、体内の魔力を媒介として、外に満ちる魔力へ働きかける。忍術が内側で力を組み上げる技術なら、魔法は内側から外側へ働きかける技術といえるでしょうね」
「内向きの力と、外向きの力か」
「その表現は分かりやすいわね」
パチュリーが手を軽く振る。
離れた机に置かれていた本が浮かび上がり、ゆっくりと彼女の手元へ移動した。
魔方陣も、札も使っていない。
「魔方陣は使わないのか?」
「この程度の魔法には必要ないわ。簡単な術式なら、自分の中だけで処理できるもの」
「印も、熟練すれば数を減らせる。術によっては省略することも可能だ」
「あら。そこも似ているのね」
パチュリーは楽しそうに筆を取り、記録へ何かを書き加えた。
印と魔方陣。
チャクラと魔力。
異なる技術の中に、似た構造が幾つも存在している。
「比較すれば、幻想郷で貴方の力に何が起きているのかも分かるかもしれないわ」
「俺の力について、レミリアから何か聞いているのか?」
「レミーからは、ナガトが特殊な力を持っていると聞いたわ。咲夜からも、離れた物を触れずに引き寄せたという話を聞いている。“万象天引”と言ったそうね」
「ああ」
「それを、私にも見せて」
「断ると言ったら?」
「目の前に未知の術があるのに、私が諦めると思う?」
「思わないな」
短い時間ではあるが、彼女がどのような人物なのかは分かり始めていた。
知識への執着という点では、自来也先生とは別の意味で厄介な相手らしい。
俺は僅かに息をつく。
「何を見せ、何を話すかは俺が決める。それでよければ、少しだけ付き合おう」
「十分よ」
パチュリーは満足そうに微笑んだ。
◇
離れた台の上へ、パチュリーが一冊の本を置いた。
机には新しい記録用紙と、魔力の変化を測るためだという小さな器具が並んでいる。
小悪魔はパチュリーの隣で筆を構え、咲夜は少し離れた場所から俺たちを見守っていた。
「準備できたわ。まずは、あの本を引き寄せてみて」
俺は本へ右手を向けた。
「――万象天引」
見えない力が本を捉える。
本は台から浮かび上がり、真っすぐ俺の方へ飛んできた。
片手で受け止める。
パチュリーは計測器と、俺の右手を交互に見た。
「印も魔方陣も必要なく、外の魔力にもほとんど動きがない。先ほどの忍術とは、別の体系に属する力なのね」
「そう考えて構わない」
「どの程度の重さまで動かせるの?」
「以前なら、ここに見える本をまとめて動かすことも難しくはなかった」
小悪魔が、周囲を埋め尽くす本棚を見回す。
「これを全部ですか? それは便利ですね。片づけが一瞬で終わりそうです」
感心するところは、そこなのか。
「“以前なら”ということは、今は違うのね」
パチュリーの指示で、小悪魔が台へ本を重ねていく。
五冊、十冊、二十冊。
そのすべてを、俺は問題なく引き寄せた。
「本では試験にならないわね」
パチュリーが指先を動かすと、広げられた空間の中央へ巨大な鉄塊が現れた。
人の背丈ほどもある、継ぎ目のない黒い金属の塊だった。
「かなり重くしてあるわ。まずは、これで試してみて」
俺は鉄塊へ右手を向けた。
「――万象天引」
鉄塊が床を擦り、重い音を響かせながらこちらへ動き出す。
だが、宙へ浮かせようとした途端、目の奥に鈍い痛みが走った。
鉄塊は僅かに傾いただけで、再び床へ沈む。
俺は力を止め、右手を下ろした。
「ここまでだ」
「動かすことはできても、完全に持ち上げるのは難しいのね」
「以前なら、この程度は問題にならなかった」
「随分と差があるわね……。単純にチャクラが足りないのかしら」
「いや。消費したチャクラは、それほど多くない」
目の奥に残る痛みを確かめる。
「力は残っている。それでも、以前のように現象へ結びつかない。幻想郷そのものに押し戻されているような感覚がある」
身体の衰弱だけが原因なら、回復とともに力も戻るはずだ。
しかし、体調が改善した今も、輪廻眼は本来の力を発揮できていない。
「万象天引は、何を使って本を動かしているの?」
「引力だ」
パチュリーの筆が止まった。
「引力そのものを操っているということ?」
「そうだ」
「その引力も、チャクラから作り出しているのかしら」
俺はすぐには答えなかった。
術の仕組みを、どこまで話すべきか。
「話せる範囲で構わないわ」
「チャクラを使って発動する。それ以上の仕組みは、俺にもすべて分かっているわけではない」
輪廻眼は、俺が理論を学んで作り出した術ではない。
この眼を通して力を働かせれば、結果として現象が起こる。
俺自身、それ以上の原理を考えたことはなかった。
「なら、逆に遠ざけることもできる?」
「ああ」
パチュリーが用意した木製の的へ掌を向ける。
「――神羅天征」
見えない力が放たれ、的を正面から弾き飛ばした。
的は床を滑り、十数歩ほど離れた場所で倒れる。
以前であれば、その背後にある本棚までまとめて吹き飛ばしていただろう。
だが今は、木の的を押し退けるだけで力が途切れた。
「引力と斥力……正反対の現象を、同じように操っているのね」
パチュリーは的へ近づき、その表面を確認する。
「正面に打撃の跡がない。何かをぶつけたのではなく、周囲の空間ごと押し出したように見えるわ」
観察だけで、そこまで見抜いたか。
「この力は、何に由来するの?」
俺は僅かに迷った後、答えた。
「輪廻眼だ」
「やはり、その眼なのね」
「輪廻眼には、六道になぞらえた複数の力がある。今見せた引力と斥力は、その一つだ」
「六道……ほかにも異なる力があるの?」
「ああ。安全に試せるものだけなら、見せても構わない」
◇
パチュリーが、指先に小さな光の球を作った。
「これは攻撃用ではない、ごく弱い魔力弾よ」
「それを、こちらへ飛ばしてくれ」
「何を試すの?」
「術を吸収する力だ」
小悪魔が目を丸くした。
「魔法を吸い込めるんですか?」
「チャクラで作られた術なら吸収できた。魔力にも通用するかは分からない」
パチュリーが手を動かす。
光の球がゆっくりと俺へ向かってきた。
俺は右手を前へ出し、餓鬼道の力を働かせる。
魔力弾が掌へ触れた瞬間、その形が崩れた。
淡い光が糸のように引き延ばされ、渦を巻きながら掌へ吸い込まれていく。
最後には、何も残らなかった。
「消えました!」
身を乗り出す小悪魔の隣で、パチュリーが計測器を確認する。
「消したのではなく、取り込んだのね。身体に異常は?」
俺は掌を開閉した。
僅かな熱は残っているが、痛みはない。
「今の程度なら問題ない」
「もう少しだけ強くしてもいい?」
「ああ。ただし、少しだけだ」
今度は、先ほどより一回り大きな魔力弾が放たれた。
俺は同じように吸収を始める。
だが、光は掌の前で渦を巻いたまま、なかなか消えない。
腕の内側へ鋭い熱が走った。
処理が追いついていない。
俺は即座に吸収を中断し、掌を振って残った魔力弾の軌道を横へ逸らした。
魔力弾は離れた床へ当たり、小さな音を立てて弾ける。
「長門!」
咲夜が一歩踏み出す。
「問題ない」
右手に傷はない。
しかし、チャクラで作られた術を吸収したときにはなかった負担が残っている。
「軽い魔力なら吸収できる。だが、一度に処理できる量には限界があるらしい」
「次からは最初の強さまでにしましょう」
パチュリーから、先ほどまでの興奮が消えていた。
万象天引や神羅天征だけではない。
餓鬼道の力も、以前と全く同じようには働かなくなっていた。
◇
続いて、契約した生物を呼び寄せる口寄せの術を試した。
床へ片膝をつき、血をつけた掌を打ち下ろす。
術式が広がり、白煙が上がった。
しかし、煙が晴れた後には何もいなかった。
「失敗ですか?」
小悪魔が首を傾げる。
「術自体は発動している。だが、以前契約していた生物とのつながりが途切れている」
「ここからでは呼び寄せられないということ?」
「恐らくはな」
完全に力を失ったというより、通じる道そのものが存在しない感覚だった。
幻想郷の生物と新たに契約を結べば、呼び寄せられる可能性はある。
だが、今すぐ確かめられることではない。
「次は?」
パチュリーは、早くも記録用紙を新しいものへ替えている。
「まだ続けるのか?」
「当然でしょう?」
疲れを知らない好奇心だった。
俺は息を整え、修羅道の力を左腕へ集中させる。
腕の皮膚が硬質な装甲へ変わり、掌の内側から黒い筒口が現れた。
小悪魔が筆を止める。
「う、腕が……」
だが、それ以上展開しようとすると、腕に鋭い痛みが走る。
俺は力を解き、左腕を元へ戻した。
「今のは?」
「肉体を武器へ変える力だ。以前なら全身に使えたが、今はこれが限界らしい」
「形は再現できても、完全には維持できないのね」
パチュリーはそう呟き、結果を記録した。
「今日見せられるのは、ここまでだ」
「六道というなら、まだあるのでしょう?」
「ある。だが、この場で試す性質の術ではない」
人の魂や生死へ干渉する術を、興味本位で試すわけにはいかない。
「……分かったわ」
意外にも、パチュリーは素直に引き下がった。
◇
パチュリーは、これまでの記録を机の上へ並べた。
万象天引と神羅天征。
魔力の吸収。
口寄せ。
身体と感覚の一時的な強化。
一つの眼から生じる力でありながら、それぞれの現象にはほとんど共通点がない。
「……妙ね」
「何がだ?」
「貴方が最初に見せた忍術は、チャクラの制御と印の組み合わせによって発動していた。術の理論と印を学べば、ほかの忍にも使えるの?」
「誰でも、というわけではない。忍によって得意な性質が異なり、適性のない術は、理論を理解しても容易には身につかない」
「では、貴方が五つすべてを使える方が特殊なのね」
「ああ。それに、血筋によってのみ受け継がれる“血継限界”という力もある。二つの性質を組み合わせる術や、特殊な眼を持つ一族などがそれに当たる」
パチュリーの視線が、俺の輪廻眼へ移る。
「その眼も、血継限界?」
「そう分類される」
「理論だけでは習得できないのね?」
「必要な血や器官を持たない者には使えない」
「それなら、六道の力は、こちらの“程度の能力”に近いのかもしれないわ」
「程度の能力?」
「幻想郷では、その人物が持つ性質や、得意とする力を“何々する程度の能力”と呼ぶことがあるの」
「随分と曖昧な呼び方だな」
「実際、曖昧な分類よ。小悪魔」
パチュリーに呼ばれ、小悪魔が顔を上げる。
「はい?」
「『精霊契約論・第三版』を持ってきて」
「分かりました」
小悪魔は本棚を見回すこともなく、図書館の奥へ走っていった。
迷う様子はない。
幾つもの本棚の間を抜け、間もなく一冊の本を抱えて戻ってくる。
「こちらですね」
机に置かれた本の表紙には、パチュリーが告げたものと同じ題名が記されていた。
「小悪魔は、“目的の本を瞬時に見つける程度の能力”を持っているの」
「今のも魔法か?」
「いいえ。私が使い魔として契約した際、図書館を管理するために与えた能力よ。今では、小悪魔自身の性質として定着している」
「パチュリー様を探すことはできませんでしたけどね……」
小悪魔が不満そうに呟く。
「貴方が見つけられるのは本だけだもの」
「知っていますけどぉ……」
やはり、あの騒ぎには役立たない能力だったらしい。
「小悪魔が本を探そうとすれば、この図書館にある限り、その場所が分かる。魔方陣も必要なく、同じ理論を学んだからといって、ほかの者に再現できるものでもないわ」
「それが、程度の能力か」
「そう呼ばれるものの一つね。ただし、すべてが同じ仕組みとは限らない。私の“火、水、木、金、土、日、月を操る程度の能力”は、得意とする魔法の系統を示したものよ」
「同じ呼び方でも、成り立ちは違うのか」
「ええ。能力の名前は、その人物に何ができるかを簡潔に示す呼び名でもあるもの」
パチュリーは、万象天引について記録した紙を指先で叩く。
「六道の力も、印や魔方陣を学べば再現できるものではない。輪廻眼という特別な器官を持つ者だけが、世界へ特定の現象を起こせる。その点では、小悪魔の能力に近い分類ができるかもしれないわ」
「血継限界と、程度の能力は同じものだということか?」
「よく似ているけれど、同じとは断定できない。血継限界は、血や肉体に由来する分類。程度の能力は、その者が世界へ何を起こせるかを表した呼び名。見ている方向が違うのよ」
「輪廻眼は肉体に属し、六道の力は、そこから起こる現象を指す……ということか」
「そう考えれば分かりやすいでしょうね」
パチュリーは、俺の輪廻眼を見つめた。
「チャクラは、能力を働かせるための力。輪廻眼は、六道の力を世界へ作用させるための器官――そう仮定すれば、印も魔方陣も必要としない理由は説明できる」
「仮にそうだとして、なぜ幻想郷では弱まる?」
「貴方がいた場所と幻想郷では、世界の理が同じとは限らないからよ」
パチュリーは、万象天引で動かした本を一冊持ち上げる。
「六道の力が、元いた場所の理を前提としていたのなら、その前提が異なる幻想郷では、同じ現象を完全には再現できない可能性がある」
「この場所そのものに、力を押し戻されている感覚とも合うな」
「ええ。ただし、今の段階では仮説にすぎないわ」
パチュリーは記録用紙へ、大きく「要検証」と書き加えた。
「程度の能力についても、すべてが解明されているわけではない。貴方の六道の力が本当に同じ仕組みなのか、それとも似て見えるだけなのか。調べることは山ほどある」
彼女の声が、次第に弾んでいく。
「チャクラと魔力。印と魔方陣。輪廻眼と程度の能力。そして、世界の理が能力へ与える影響……」
「随分と楽しそうだな」
「当然よ。これほど未知の知識が一度に現れることなど、滅多にないもの」
パチュリーの表情には、研究者としての喜びが隠しきれずに表れていた。
「長門。しばらく、私の研究に付き合って」
「命令か?」
「お願いよ」
「俺に何の利点がある?」
「私が貴方に、魔法の理論を教える」
パチュリーは分厚い魔導書へ手を置いた。
「貴方も、幻想郷で自分の力に何が起きているのか知りたいのでしょう? 魔力と世界の理を学べば、その答えへ近づけるかもしれない」
「俺に魔法が使えるとは限らないぞ」
「最初から実践させるつもりはないわ。まずは理論から始める。その代わり、貴方は話せる範囲で忍術について教えて」
俺はしばらく考える。
自分の能力をすべて明かすつもりはない。
だが、パチュリーの知識が必要なのも事実だった。
幻想郷で生きていくなら、魔法と魔力について知らないままではいられない。
「条件がある」
「何?」
「何を見せ、何を話すかは俺が決める。俺の許可なく、身体や眼へ魔法を使わないこと」
「分かったわ。私も、自分の研究をすべて明かすつもりはないもの。お互いに、出せる範囲で情報を交換しましょう」
「それなら構わない」
パチュリーが微笑み、俺へ手を差し出した。
「決まりね。明日から、仕事が終わったらここへ来なさい」
「毎日か?」
「何か問題がある?」
俺が咲夜を見る。
彼女は僅かに考えた後、平然と答えた。
「仕事をきちんと終わらせるなら、私は構わないわ」
逃げ道はないらしい。
今になって、再び誰かから教えを受けることになるとは思わなかった。
自来也先生から忍術を学び、弥彦や小南と共に修業した日々。
遠い昔の記憶が、胸の奥へ静かに蘇る。
あの頃とは、学ぶ理由も、共にいる者も違う。
それでも、未知の知識を前にした感覚は、どこか懐かしかった。
俺はパチュリーの手を取る。
「よろしく頼む、パチュリー」
「ええ。こちらこそ、長門」
こうして俺は、再び教えを受けることになった。
戦うためではなく、幻想郷の理を知るために。
紅魔館における、俺の新たな修業が始まった。
読んでいただきありがとうございます。
パチュリー先生の講義はここまでです。
長門がここ世界で能力を使うに当たり、どう力を対応させるか。その結果こうなりました。
今後は魔法や弾幕など、この理論に対応させていきます。