東方輪廻談 ~ナガト幻想郷忍伝~   作:Takuma218

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第五話 霧の中のお茶会

霧の湖は、その名の通り霧に包まれることの多い湖だ。

 

なぜこれほど霧が発生しやすいのかは、誰にも分からないらしい。

 

今日も湖面は白い霧に覆われ、その畔に建つ紅魔館も、輪郭が霞むほど深い霧に包まれていた。

 

その紅魔館の中庭で、俺は一人、瞑想していた。

 

身体の力を抜いて立ち、軽く目を閉じる。

 

ゆっくりと息を吸うと、冷たく湿り気を帯びた空気が喉を通り、肺へ入っていく。

 

周囲へ意識を広げる。

 

空気の中に、チャクラとどこか似た力が満ちていた。

 

濃さも流れも一定ではない。

 

霧とともに漂い、風に押され、地面や植物の間をゆっくりと巡っている。

 

これが、パチュリーの言っていた“外の魔力”なのだろう。

 

初めの頃は、何かが存在することしか分からなかった。

 

今は目を閉じていても、僅かながら流れを追える。

 

しかし、それへ自分の力を働きかけようとすると、途端に感覚が曖昧になる。

 

チャクラであれば、指先へ集めることも、足裏へ流すことも容易だ。

 

だが、外の魔力は俺の身体に属する力ではない。

 

強く動かそうと意識するほど、指の間から水がこぼれるように感覚が遠のいていく。

 

「……難しいものだな」

 

誰に聞かせるでもなく呟く。

 

俺がこうして外の魔力を感じ取る練習を始めたのは、数日前のことだった。

 

 

「それで、俺はどんな修業をすればいい?」

 

パチュリーから魔法を教わることになった俺は、早速これからの修業について尋ねた。

 

「そうね~。まずは“外の魔力”を感じ取り、操る練習が必要だわ」

 

パチュリーは少し考え、何でもないことのように続けた。

 

「ということで、飛びなさい」

 

隣で聞いていた小悪魔が、小声で「なるほど」と頷く。

 

俺は少し考えてから答えた。

 

「……神羅天征を使えば、飛べないことはない。だが、そういうことではないのだろう?」

 

「お察しの通りよ」

 

パチュリーは椅子から立ち上がった。

 

「私たちは、身体の周囲にある外の魔力を操って宙に浮かんでいるの。きちんと飛ぶには、魔力を感じ取って、身体を支えるように動かさなくてはいけないわ」

 

「飛行そのものが、外の魔力を操る訓練になるということか」

 

「そういうこと。それに、これから幻想郷で生活するなら、空を飛べた方が絶対に便利よ。弾幕勝負にも必要になるしね」

 

ここでの戦いは、俺の常識とはとことん異なるらしい。

 

「それじゃ、実際にやって見せるわ。かなりゆっくり飛ぶから、魔力の動きをよく見ていなさい」

 

パチュリーが静かに呼吸を整える。

 

彼女の体内を巡る力が、少しずつ高まっていく。

 

チャクラと似ているが、流れ方は異なる。

 

内の魔力が満ちるにつれ、パチュリーの身体が淡い青色の光を帯びた。

 

続いて、彼女の周囲にある外の魔力が動き始める。

 

流れは身体を包み込み、下から押し上げるように巡っていく。

 

やがて、パチュリーの靴が床から離れた。

 

衣服の裾を僅かに揺らしながら、その身体が静かに宙へ浮かぶ。

 

跳躍とも、輪廻眼の斥力とも違う。

 

内の力で無理に身体を押し上げているのではない。周囲にある力と呼応し、自らの身体を空間へ預けているように見えた。

 

パチュリーはしばらく浮かんだ後、ゆっくりと床へ降りる。

 

「どう? だいぶ丁寧に飛んでみたけど、魔力の動きは分かったかしら?」

 

「ああ。完全ではないが、内と外の力が連動していたことは分かった」

 

「それだけ分かれば上々よ」

 

パチュリーは満足そうに頷いた。

 

「まずは気を静めて、周囲の魔力を感じること。そうしたら、体内の力――貴方にとってはチャクラかしら。それを外の魔力と連動させる練習をしなさい」

 

「すぐには飛ばないのか?」

 

「歩き方も知らないのに、いきなり走るつもり?」

 

「それもそうだな」

 

 

そうして今に至る。

 

静かに瞑想を続けていると、こちらへ近づいてくる二人分の気配を感じた。

 

だが、周囲に満ちる魔力へ紛れてしまい、誰なのかまでは判別できない。

 

幻想郷の者が持つ力の違いを、俺はまだ正確に見分けられないのだ。

 

目を開けると、霧の中から見慣れた二つの人影が浮かび上がった。

 

咲夜を従えたレミリアが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 

「精が出るわね、ナガト」

 

レミリアが俺の前で立ち止まる。

 

「休憩がてら、お茶にしない?」

 

「いいだろう」

 

俺が答えた瞬間、後ろにいた咲夜の眉が僅かに動いた。

 

「長門。いくらお嬢様のお許しがあるとはいえ、その口の利き方は――」

 

「咲夜」

 

レミリアが視線だけで制する。

 

「……承知しております」

 

咲夜は引き下がったものの、明らかに納得していない。

 

「咲夜、お茶の用意を」

 

「畏まりました」

 

咲夜が銀の盆を僅かに持ち上げる。

 

次の瞬間、何もなかった中庭に、白いテーブルと三脚の椅子が現れていた。

 

テーブルの上には紅茶の入ったポットと三人分のカップ、それに焼き菓子まで並んでいる。

 

俺は一度瞬きをした。

 

咲夜が動いたところを、まったく認識できなかった。

 

空間を操ったのか。

 

それとも、別の術なのか。

 

大図書館で空間を広げたときにも感じたが、咲夜の力は未だに底が知れない。

 

「立ったまま何をしているの?」

 

レミリアは既に椅子へ座っていた。

 

「遠慮せず座りなさい。咲夜のすることを一々考えていたら、日が暮れるわよ」

 

「そういうものか」

 

「そういうものよ」

 

促されるまま、俺も椅子へ腰掛ける。

 

そうして、霧の中のお茶会が始まった。

 

普通、茶を飲むなら、もう少し景色のよい場所を選ぶものではないだろうか。

 

 

「パチェから聞いたわ。あなた、本当に面白い能力を使えるんですってね!」

 

レミリアが目を輝かせ、テーブル越しに身を乗り出してくる。

 

「お嬢様、はしたないですよ」

 

咲夜がたしなめるが、レミリアはまるで聞いていない。

 

「よければ、少し見てみるか?」

 

俺が苦笑しながら尋ねると、レミリアは嬉々として頷いた。

 

「ええ、ぜひ。このレミリア・スカーレットの目で、しっかり確かめてあげるわ」

 

妙に嬉しそうだった。

 

俺は周囲の様子を確かめ、地面に落ちていた小石へ意識を向ける。

 

「――万象天引」

 

右手を向けた瞬間、小石が音もなく浮かび、俺の掌へ吸い寄せられた。

 

続けて、それを指先で軽く弾く。

 

「――神羅天征」

 

小石は見えない力に押し出され、少し離れた別の石へ正確に命中した。

 

乾いた音が一つ、霧の中へ響く。

 

咲夜が僅かに目を見開く。

 

レミリアは紅茶のカップを置き、小石の軌道を興味深そうに目で追っていた。

 

「……見た目は地味ね」

 

「随分な感想だな」

 

「でも、力の流れはとても滑らかだったわ。パチェの言っていた通り、魔法より“程度の能力”に近いのかしら」

 

レミリアは小石の飛んだ先と俺の輪廻眼を、忙しなく見比べている。

 

「パチェが夢中になるのも分かるわね」

 

その後もレミリアの求めに応じ、火遁、水遁、土遁と、幾つかの術を続けて見せた。

 

炎が霧を赤く照らし、水が宙に弧を描く。

 

最後に土遁で小さな壁を作ると、人の口から現れた土を見たレミリアは、露骨に顔をしかめた。

 

どうやら、あれを不気味に思うのは小悪魔だけではないらしい。

 

一通り見終えると、レミリアは満足したように紅茶を一口啜った。

 

「あなたの力、少しは分かったわ。思っていた以上に、いろんなことができるのね」

 

一瞬、過去の光景が脳裏を掠めた。

 

炎に包まれた木ノ葉。

 

崩れ落ちた建物。

 

瓦礫の下に倒れた人々。

 

この力によって成し遂げたことより、そのために失わせたものの方が多い。

 

「そう……だな」

 

俺の声から何かを感じ取ったのか、レミリアがスプーンを止めた。

 

「話したくないなら、今は聞かないわ」

 

銀のスプーンが、カップの縁へ触れる。

 

「ただ、ここであなたは、人のためにその力を使っているのでしょう?」

 

「ああ」

 

「なら、今はそれでいいじゃない」

 

それ以上の意味はないとでもいうような、軽い口調だった。

 

だからこそ、その言葉は不思議と胸に残った。

 

咲夜が俺のカップへ紅茶を注ぎ足す。

 

霧の中に、しばし穏やかな時間が流れた。

 

 

ふと、俺はレミリアの姿へ目を向けた。

 

太陽が出ている時間にもかかわらず、彼女は中庭で平然と紅茶を飲んでいる。

 

もっとも、帽子と漆黒のドレスによって、肌はほとんど隠されていたが。

 

「そういえば、吸血鬼なのに、日の光の下でも平気なのか?」

 

何気なく尋ねると、レミリアは涼しい顔で答えた。

 

「そんなのおとぎ話よ。日の光に当たったからといって、燃えたり灰になったりはしないわ」

 

さらりと返すその口調には、どこか誇りが滲んでいる。

 

俺が聞いていた吸血鬼の伝承とは、まるで違っていた。

 

「だいたいね、吸血鬼が日の下へ出られなかったら、どうやって人の世で生きていけるっていうの? 私たちは普通に夜寝て朝起きるし、人の血以外だって口にするわ。吸血鬼だからといって、偏見が過ぎるのよ!」

 

レミリアは次第に早口になっていく。

 

自分の種族について、言いたいことが溜まっているらしい。

 

その熱弁に、咲夜が小さく息をついた。

 

「ですが、お嬢様が日の光に弱いのは事実ですよね」

 

「うっ……」

 

完璧な切り返しだった。

 

言葉に詰まり、レミリアはぷいと顔を背けた。

 

「はあ……本当はね、私だってもっと景色のよい場所でお茶を飲みたいわよ。なのに、何が悲しくて、こんな殺風景な霧の中でお茶会なんて開かなきゃいけないのかしら」

 

レミリアは霧に霞んだ庭を見回し、肩を落とす。

 

「でも、日の光が強いと、日傘やマントで身体を守らなければならないし、何かと不自由なのよね」

 

その姿は、俺が想像していた恐ろしい吸血鬼とは随分と違っていた。

 

「吸血鬼も大変だな」

 

俺が苦笑すると、咲夜が柔らかく補足する。

 

「お嬢様は、日の光が弱まる霧の中なら比較的自由に動けます。霧の濃い日は、こうしてお庭を散歩されるのよ」

 

「いっそ幻想郷中が真っ暗になれば、私も自由に動けるのに!」

 

「そんなことをしたら、また霊夢に退治されますよ」

 

レミリアはむくれて頬を膨らませた。

 

霧の中で、紅い瞳がかすかに揺れる。

 

その表情を見ていると、この紅魔館も悪くないと思えた。

 

「……思えば懐かしいわね。もう何年前のことかしら?」

 

レミリアは紅茶を一口啜り、霧の向こうをぼんやりと眺めた。

 

「幻想郷へ来たばかりの頃でしたね」

 

「あの時は、幻想郷を乗っ取ってやるつもりでいたのにね」

 

「“紅霧異変”と呼ばれた事件ですね」

 

咲夜が言葉を継ぐ。

 

その声には、懐かしさと僅かな苦笑が混じっていた。

 

「君たちも事件を起こしたのか?」

 

「お嬢様が紅い霧を発生させ、幻想郷全体を覆い尽くしたんです。太陽の光を遮って、昼間でも自由に出歩けるようにしようと――」

 

「だって仕方ないじゃない」

 

レミリアが小さく肩をすくめた。

 

「それに、あの頃は……少し退屈していたの」

 

その一言が、妙に印象に残った。

 

「結局、霊夢に退治されましたけどね」

 

咲夜が苦笑交じりに言う。

 

「ところで、霊夢とは誰だ?」

 

俺が尋ねると、咲夜が答えた。

 

「博麗霊夢。“博麗の巫女”と呼ばれる、幻想郷の均衡を守る巫女よ。何か異変が起きれば、原因を突き止めて、起こした者を退治するの」

 

「紅霧異変では、レミリアたちが退治された側ということか」

 

「そういうことね」

 

咲夜が頷くと、レミリアは楽しそうに笑った。

 

「ふふっ。でも、あれは“退治”というより“説教”に近かったわね」

 

レミリアは当時を思い出すように、紅茶の表面へ目を落とした。

 

「でも、あの巫女……あの頃から、ただ者ではなかったわ。何度考えても、勝てる運命が見えてこないもの。弾幕勝負において、間違いなく幻想郷最強よ」

 

咲夜は軽く微笑み、懐かしむように頷いた。

 

「お嬢様、あの後、すっかり霊夢の虜になっておられましたね」

 

「なってないわよ!」

 

レミリアはむっとして、スプーンをカップへぶつけた。

 

紅い瞳が、きらりと光る。

 

だが、咲夜は少しも動じない。

 

「ですが、あの異変を境に、お嬢様は随分と柔らかくなられました」

 

「幻想郷の緩い空気に毒されただけよ……」

 

レミリアは不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 

その仕草がどこか可笑しく、俺はつい口元を緩める。

 

「ここは……本当に平和だな」

 

故郷の空を思い出しながら、霧の向こうを見上げる。

 

そこに爆炎も煙もない。

 

聞こえてくるのは、風が木々を揺らす音だけだった。

 

レミリアが俺へ視線を戻し、僅かに目を細める。

 

「あなた、随分この館に馴染んだわね」

 

「……そうか?」

 

「ええ。初めて会ったときより、ずっと顔が柔らかくなったもの」

 

自覚はなかった。

 

だが、少なくとも今は、この霧の中で過ごす時間を不快には感じていない。

 

「だから、もう一人、知っておいてほしい子がいるの」

 

「もう一人?」

 

「私の妹よ」

 

レミリアの声が、ほんの少しだけ静かになった。

 

「フランドール・スカーレット。皆からはフランと呼ばれているわ」

 

「この館に、妹も住んでいるのか」

 

「ええ。でも、普段はあまり姿を見せないの」

 

レミリアはカップの中へ視線を落とした。

 

先ほどまでとは違う、僅かに寂しさを帯びた横顔だった。

 

咲夜も何も言わず、静かに目を伏せている。

 

「もし館の中で会ったら、挨拶してあげて」

 

「ああ。分かった」

 

俺が答えると、レミリアは再び小さく笑った。

 

霧が少しずつ濃くなり、中庭の景色を白く覆っていく。

 

紅茶の香りだけが、冷たい空気の中へ溶けていた。

 

 

お茶会が終わり、レミリアが咲夜とともに館へ戻ろうとする。

 

俺も修業を切り上げようと立ち上がった。

 

そのとき、咲夜が何かを思い出したように振り返る。

 

「そうそう、長門」

 

「何だ?」

 

咲夜は、中庭の隅を指した。

 

そこには、先ほど俺が土遁で作った土壁が残されている。

 

「あれ、きちんと片づけておいてね」

 

その言葉に、俺は固まるのであった。




読んでいただきありがとうございます。

吸血鬼の設定などは、この物語のオリジナルです。
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