東方輪廻談 ~ナガト幻想郷忍伝~   作:Takuma218

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第六話 紅い格闘家と白黒の魔法使い

ある日、俺は咲夜に頼まれ、紅魔館の門前を掃除することになった。

 

箒を手に門へ向かうと、紅い長髪の女が門柱へ寄りかかっていた。

 

確か、(ほん) 美鈴(めいりん)といったか。

 

紅魔館の門番を務めていると聞いている。

 

だが――

 

「すぅ……すぅ……」

 

寝ていた。

 

随分と気持ちよさそうだ。

 

門番がこれでよいのだろうか。

 

そう思った次の瞬間、美鈴の頭に二つのこぶができた。

 

「痛ったぁ……!」

 

美鈴が頭を押さえ、その場にしゃがみ込む。

 

いつの間にか、隣には拳を握った咲夜が立っていた。

 

「まったく、少し目を離すとすぐこれなんだから」

 

「ち、違うんですよ、咲夜さん! これは目を閉じて、周りの気の流れをですね……」

 

「寝息まで立てて?」

 

「……少し、集中しすぎまして」

 

「次は三つにする?」

 

「申し訳ありませんでした!」

 

美鈴が勢いよく頭を下げる。

 

咲夜は小さくため息をつくと、俺へ顔を向けた。

 

「長門。掃除をお願いね」

 

「ああ」

 

館へ戻っていく咲夜を、美鈴は頭を押さえながら見送っていた。

 

「……今日は、戻ってくるのが早いですねえ」

 

「毎回こうなのか?」

 

「毎回ではありませんよ」

 

俺が二つのこぶへ目を向けると、美鈴はそっと帽子を被り直した。

 

それ以上は聞かず、俺も掃除を始める。

 

美鈴は背筋を伸ばして門の前に立っていたが、しばらくすると、時折こちらを見るようになった。

 

初めは気にせず箒を動かしていたものの、その視線はなかなか止まない。

 

「……何か用か?」

 

「ああ、すみません。長門さんでしたよね?」

 

「長門でいい」

 

「そうですか? じゃあ、長門」

 

美鈴はあっさりと呼び方を変え、俺の足元から肩までを眺めた。

 

「あなた、相当な使い手ですね」

 

「掃き掃除なら慣れている」

 

「そっちじゃありませんよ。武術です、武術!」

 

美鈴は笑いながら、俺の足元を指した。

 

「足の運びに無駄がないんです。手を動かしていても、重心はちゃんと残しているでしょう? それに、後ろにも気を配ってますよね」

 

そこまで見抜かれていたか。

 

眠っている姿ばかりが印象に残っていたが、よく見ている。

 

「ここへ来る前は、武人だったと聞きましたけど」

 

「忍だ」

 

「ああ、そうでした。忍って聞いたんでしたね」

 

美鈴は思い出したように頷き、それから首を傾げた。

 

「でも、具体的に何をするんです? 武人とは違うんですか?」

 

「戦うこともあるが、それだけではない。潜入や偵察もする」

 

「へえ。それで周りにも気を配っているんですね」

 

美鈴はもう一度、俺の足元へ目を向ける。

 

「まあ、呼び名はともかく。腕が立つのは確かでしょう?」

 

そう言って、少し身を乗り出した。

 

「どうです? 少し手合わせしませんか?」

 

「掃除の途中だぞ」

 

「ほんの少しですよ。身体を動かせば、掃除も捗りますって」

 

箒を動かすのも、身体を動かすうちに入ると思うが。

 

「お前も仕事中だろう」

 

「門の前なら、誰か来ても分かりますし」

 

「こぶが増えるぞ」

 

美鈴は一度だけ館の方を見た。

 

それから、口元へ手を添えた。

 

「……その前に終われば大丈夫です」

 

何一つ懲りていない。

 

俺は箒へ目を戻した。

 

だが、美鈴は引き下がる様子もなく、期待に満ちた顔でこちらを見ている。

 

「一度だけ。ね?」

 

小さく息を吐く。

 

その足運びを見て、俺にも少し興味が湧いていた。

 

「……少しだけだぞ」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

美鈴の顔がぱっと明るくなる。

 

俺は箒を門柱へ立てかけ、門前の開けた場所へ移動した。

 

美鈴が少し離れたところで振り返る。

 

「それじゃ、まずは軽くいきましょう」

 

「ああ」

 

向かい合うと、美鈴が腰を落とし、ゆっくりと構えた。

 

先ほどまでの緩んだ雰囲気が消える。

 

重心は低く、足元は揺らがない。それでいて、全身のどこにも余計な力が入っていなかった。

 

隙がない。

 

俺も箒を握っていた手を開き、構えを取る。

 

「では、いきますよ」

 

美鈴が踏み込んだ。

 

速い。

 

だが、それ以上に滑らかだった。

 

大きく地面を蹴った様子もないまま、流れる水のように間合いへ入ってくる。

 

放たれた掌底を身体をひねってかわし、続く肘を腕で受け流す。

 

美鈴の眉が僅かに上がった。

 

「おお、今のも避けますか」

 

声が弾んでいる。

 

そのまま伸びてきた手を払い、こちらから踏み込んだ。

 

拳が届く寸前、美鈴の掌が俺の腕に触れた。

 

押された力は僅かだった。

 

それなのに、拳は狙いから外れ、その脇を美鈴の肩が抜けていく。

 

足を引く。

 

つい先ほどまで俺の足首があった場所を、美鈴の足先が払った。

 

「……なるほど」

 

「よそ見をしてると、転びますよ?」

 

「していない」

 

「なら、もう少し速くても大丈夫ですね」

 

言い終えるより先に、次の一撃が来た。

 

拳を受け、払う。

 

足払いを跳んでかわし、着地と同時に蹴りを返す。

 

美鈴は上体を反らしてそれを避けると、その勢いのまま身体を回転させた。しなるような蹴りが脇腹へ迫る。

 

腕を挟み込み、衝撃を受け止める。

 

軽く放たれたように見えた一撃が、予想以上に重かった。

 

美鈴の体術は柔らかい。

 

だが、決して軽くはない。

 

力を正面からぶつけるのではなく、全身を淀みなく連動させ、一点へ流し込んでいる。

 

俺の知る体術とは性質が異なる。

 

先ほどと同じように拳を放ち、途中で踏み込む足を変えた。

 

美鈴が笑う。

 

今度は受け流さず、俺の腕を押さえながら懐へ入ってきた。

 

近い。

 

肩をぶつけられる前に身を引き、追ってきた掌を外へ払う。

 

互いに離れ、再び間合いを詰める。

 

一度だけのつもりが、どちらも止まらなかった。

 

美鈴は終始、楽しそうだった。

 

俺も、次にどんな動きが来るのかを考えていた。

 

受けた腕の重さも、踏み込む足の感触も、妙にはっきりと感じられる。

 

いつの間にか、肩から余計な力が抜けていた。

 

そのときだった。

 

「――掃除はどうなったのかしら?」

 

俺と美鈴の動きが、同時に止まった。

 

振り返ると、咲夜が立っている。

 

怒鳴ってはいないが、笑ってもいなかった。

 

美鈴がそっと足を揃えた。

 

「……お帰りなさい、咲夜さん」

 

「ただいま。何をしていたの?」

 

「ええと、長門と少し、身体を動かしていまして」

 

「それは見れば分かるわ」

 

「ですよねえ……」

 

美鈴の視線が、門柱に立てかけた箒へ動く。

 

俺もそちらを見た。

 

落ち葉は集めかけのまま、風に吹かれて少しずつ散っている。

 

「私から誘ったんです。長門は、その……付き合ってくれただけで」

 

「断らなかったのは俺だ」

 

俺が言うと、咲夜はこちらへ目を向けた。

 

「それなら、二人で片づけられるわね」

 

「ああ」

 

「ついでに、門から玄関までの掃除もお願い」

 

美鈴の顔が引きつった。

 

「……全部ですか?」

 

「身体を動かすのが好きなんでしょう?」

 

返す言葉がなかった。

 

 

「いやあ……少しだけのつもりだったんですけどねえ」

 

美鈴は持ってきた箒を動かしながら、館へ続く道を見渡していた。

 

俺も隣で落ち葉を集める。

 

門前だけなら、とっくに終わっていたはずだった。

 

「その前に終われば大丈夫、だったか」

 

「そこを言われると弱いですね」

 

美鈴が苦笑する。

 

だが、すぐにこちらを見て、口元を緩めた。

 

「でも、長門も途中から楽しんでいたでしょう?」

 

「気のせいだ」

 

「またまた。最後の方、そっちから踏み込んできたじゃないですか」

 

「お前が引かなかったからだ」

 

「私が引いたら、終わりにしてました?」

 

箒の先で、小枝を落ち葉の山へ押し込む。

 

少し間が空いた。

 

美鈴がくすりと笑う。

 

「ほら」

 

「……手が止まっているぞ」

 

「はいはい。今度はちゃんと働きますよ」

 

そう言いながら、美鈴はまた箒を動かし始めた。

 

しばらくすると、ふと背後から視線を感じた。

 

振り返り紅魔館を見上げたが、薄暗い窓の向こうには誰もいなかった。

 

「どうしました?」

 

「……いや。今、誰かに見られていた気がしたのだが」

 

美鈴も館を振り返ったが、やがて首を傾げた。

 

「妖精メイドの誰かですかね。さっきも、何人か覗いてましたし」

 

「そうかもしれないな」

 

俺は再び箒を動かし始めた。

 

それでも、先ほど感じた視線だけが、妙に記憶へ残った。

 

 

それから数日後。

 

その日の霧の湖は、珍しく晴れていた。

 

空は青く澄み、草木に残った露が日の光を返している。

 

普段は湖面を覆っている霧も薄く、対岸の森まで見渡せそうだった。

 

日差しが強いためか、レミリアは館の奥から出てこない。

 

俺は静かな庭で、箒を動かしていた。

 

霧に包まれた景色も悪くはないが、やはり青空は気持ちがよい。

 

手を止めて空を見上げた、そのときだった。

 

「待ぁーてー! 泥棒ーっ!!」

 

館の中から、けたたましい叫び声が響いた。

 

穏やかな朝に、妙によく通る声だった。

 

何事かと窓へ目を向けると、小悪魔が何者かを追って廊下を全力疾走している。

 

「へへーん、捕まるもんかよ!」

 

白と黒の衣装をひらめかせ、黒い帽子を押さえながら、金髪の少女が箒に跨がって窓から飛び出してきた。

 

少女は霧の残る空気を切り裂きながら、笑い声とともに遠ざかっていく。

 

小悪魔は窓から身を乗り出し、手を伸ばしたが間に合わない。

 

絶望とも諦めとも取れる顔でうなだれた小悪魔だったが、下にいる俺に気がついた。

 

「長門さーん! そいつを捕まえてー!」

 

小悪魔の声を聞き、俺は逃げていく少女へ静かに手をかざす。

 

「――万象天引」

 

次の瞬間、少女が悲鳴を上げた。

 

「えっ!? な、なんだよコレ――っ!? 止まんねぇぇ!」

 

少女はみるみるうちに引き戻され、俺の手元まで飛んでくる。

 

俺が少女の首根っこを掴んだところで、小悪魔がやってきた。

 

「ありがとうございます! そいつ、魔導書泥棒の常習犯なんです!!」

 

「盗んでんじゃねえ! 死ぬまで借りてるだけだ!!」

 

「それを盗んでいると言うんですよ!!」

 

「ちくしょー!! っていうか何なんだお前ぇぇ!」

 

そんな抗議の声を残し、少女は小悪魔にずるずると連行されていった。

 

どうやら静かな一日とはいかないようだった。

 

 

それから数日後、図書館で本の整理をしていたときのことだ。

 

乱雑に積み重なった本を一冊ずつ確認し、本棚へ戻していく。

 

そのとき、図書館の奥から騒がしい声が聞こえてきた。

 

この前の白黒衣装の少女だ。

 

数冊の本を手に、箒に跨がって飛び去ろうとしている。

 

俺は手をかざす。

 

「――万象天引」

 

「またかよー!」

 

少女を引き寄せ、そのまま小悪魔へ引き渡した。

 

さらに別の日。

 

咲夜とともに廊下を掃除していると、奥の方からまた騒がしい声が聞こえてきた。

 

白黒は俺に気づいたようで、即座に引き返す。

 

「――万象天引」

 

そのまま咲夜に連行されていった。

 

それからというもの、あの白黒は何度も紅魔館に現れた。

 

魔導書を盗もうとしては俺に引き寄せられ、叫びながら連行されていく。

 

「またかよー!」

 

その悲鳴も、今では館の日常の一部になりつつあった。

 

 

そんなことを繰り返したある日、庭で修業の瞑想をしていると、静けさに溶けるように一つの気配が現れた。

 

気になって目を開けると、そこにはあの白黒が立っていた。

 

「よっ! 何やってんだ?」

 

その軽い声に、思わず眉をひそめる。

 

まるで、ずっと前からの知り合いだったかのような態度だ。

 

俺は見なかったことにして、瞑想を続けた。

 

「おいおい、無視すんなよ!」

 

「盗人と話すことなどない」

 

「そう言うなって。今日は本を盗りに来たんじゃねえ。お前に用があって来たんだ」

 

「帰れ」

 

「少しくらい話を聞いてくれてもいいだろ?」

 

帰る気はないらしい。

 

俺は息を吐き、目を開いた。

 

少女は満足そうに笑う。

 

「ようやくこっちを見たか。私は普通の魔法使い、霧雨魔理沙(きりさめまりさ)っていうんだ。よろしくな!」

 

「……長門だ」

 

今までまともに話したこともなかったが、俺もつられるように名乗った。

 

「そうか、長門か!」

 

魔理沙は改めて俺の顔を覗き込む。

 

「へえ。近くで見ると、その目すごい色してるな。全部紫なのか?」

 

「顔が近い」

 

「いいじゃないか、減るもんでもなし」

 

そう言いながらも、魔理沙は少しだけ顔を離した。

 

「それで、俺に用とは何だ?」

 

「あっ、そうそう。お前、いつも私のこと、あの強い力で引っ張ってるだろ? あれがどうなっているのか知りたくてな~」

 

「あれは俺の能力だ。引力を操って、お前を捕まえている」

 

「引力って、重力みたいなもんか?」

 

「ああ。概ねそんなものだ」

 

魔理沙がにこりと笑う。

 

「ちょっと見せてみろよ」

 

「断る」

 

「そんなケチなこと言うなよ~。少しだけでいいからさ~。な!」

 

即座に断ったが、魔理沙はしつこく食い下がってくる。

 

俺はため息をつくと、手近な石を万象天引で引き寄せた。

 

「おー、スゲーな! ホントに引き寄せてる。見たところ魔法でもないようだし、どうなってるんだ?」

 

「パチュリーと調べているが、まだ分からないことが多い」

 

「パチュリーでも分からないのか……。俄然興味が湧いてきたぜ! ほかにもいろいろできるんだろ? 見せてみろよ!」

 

なぜお前に――と思いつつも、俺は神羅天征を使って、引き寄せた石を飛ばした。

 

「引き寄せるだけじゃなく、弾くこともできるのか。ますます面白いな!」

 

その後も魔理沙から根掘り葉掘り聞かれた。

 

すべてを話したわけではないが、気付けば普段より多くのことを答えていた。

 

「うーん。やっぱり、よく分からないな。私も何か分かったら教えてやるよ。その代わり、お前も面白いことが分かったら私に教えてくれ」

 

「勝手に決めるな」

 

「細かいことは気にするなって」

 

随分と一方的な取引だった。

 

 

話に区切りがついたところで、魔理沙は辺りを見回した。

 

「ところで、さっきから何してたんだ?」

 

「魔法の修業をしていた」

 

「あ~、“外の魔力”を感じ取るっていうやつか……。あたしも苦労したわ」

 

魔理沙は腕を組み、俺の周囲をぐるりと歩きながら言った。

 

「で、どこまで出来たんだ?」

 

「魔力は感じられるようになってきた。だが……」

 

俺は肩をすくめた。

 

「どうやって身体を浮かせるのか、さっぱり分からん」

 

「はっはっは、そこが一番つまずくところだな!」

 

魔理沙が箒の柄をトン、と地面に突く。

 

にやりと笑って、子供に秘密を教えるような顔になる。

 

「いいか、長門。浮くってのはな――“魔力に乗る”んじゃなくて、“魔力に自分を預ける”んだ」

 

「……預ける?」

 

「そう。“支える”とか“押す”とかじゃなくて、もっとぼんやりした感覚さ」

 

魔理沙は自分の胸元を指さした。

 

「空気と自分の境目が曖昧になる、みたいな感じ。力むと逆にドスンと落ちる」

 

……力まずに、か。

 

俺の修業とは真逆の発想だった。

 

「試しにさ」

 

魔理沙は顎で俺を促した。

 

「足元に魔力を“敷く”ってイメージを持て。板か雲みたいなやつをだ」

 

「……ふむ」

 

その比喩は分かりやすい。

 

俺は静かに目を閉じ、外の魔力の流れを追った。

 

「そうそう、それでいい。でな――」

 

魔理沙の声がふわりと近づく。

 

「次に、“そいつに軽く押し上げられる”ってイメージを持て。自分で浮くんじゃなくて、“浮かされる”んだよ」

 

押し上げられる……預ける……。

 

輪廻眼で物を操るときの能動的な制御とは、まったく別だ。

 

自分から力を動かすのではなく、その流れに身を任せる感覚に近い。

 

「ほら長門、力みすぎ。眉間に皺が寄ってるぞ」

 

「……黙れ」

 

魔理沙がケラケラ笑う。

 

だが、その軽口が緊張をほどき、呼吸が自然に落ち着く。

 

力が、足元で揺れた。

 

――薄い膜。

 

――雲のような支え。

 

そんなイメージが掴めてくる。

 

「そのまま……そう、そのまま……」

 

魔理沙が、風を読むように囁いた。

 

「――浮いてみろ」

 

魔力が、足元で薄い波紋のように揺れた。

 

意識を落ち着け、身体の重さをその“雲”にそっと預ける。

 

――ふ、と。

 

地面との距離が、僅かに変わった。

 

「……ん?」

 

重心が、普段とは違う位置にある。

 

足裏の感触が薄れ、身体が軽くなる。

 

浮いている――のか?

 

「お、おおおおおっ!? おい、長門!!」

 

目を開けると、魔理沙が目をまん丸にしていた。

 

箒を握りしめ、飛び上がらんばかりの勢いで俺を指さしてくる。

 

「浮いてる! 浮いてるぞ、お前!!」

 

どうやら、本当に浮いているらしい。

 

「なるほど。これが――」

 

そう考えた瞬間、足元の流れが乱れた。

 

身体を支えていた感覚が消える。

 

「おい、待っ――」

 

地面へ落ちた。

 

高さは僅かだったため、転びはしなかった。

 

ただ、着地した拍子に土が小さく跳ねる。

 

「……意識を向けると崩れるな」

 

「最初はそんなもんだ。というか、いきなり浮けたなら上出来だぜ」

 

魔理沙は笑いながら、俺の肩を叩いた。

 

「あたしの初飛行より全然ましだって! あたしなんか、最初は転がりながら飛んでたし!」

 

魔理沙は心底嬉しそうに笑っていた

 

「……転がりながら飛ぶとは、意味が分からないが」

 

「細かいことは気にすんなって! とにかく今の感覚を忘れるなよ。力んだら駄目だ。“魔力に乗る”んじゃなくて――」

 

「“預ける”、だな」

 

「そう、それそれ! 言うじゃないか。吸収早いな、お前」

 

魔理沙は満足げに腕を組み、にかっと笑う。

 

不思議だ。

 

この白黒――近づかれると反射的に警戒してしまうのに、こうして距離を詰められることを不快には感じなかった。

 

「もう一回やってみるか?」

 

「……そうだな」

 

俺はもう一度、深く息を吸い込んだ。

 

外の魔力を感じ、足元に雲を描くように意識を置く。

 

魔理沙が、わくわくした目でこちらを見ていた。

 

まるで――仲間の成長を喜ぶような、そんな目だ。

 

随分と懐かしい感覚だった。

 

「よし、もう一度だ」

 

「おう! 今度は落ちても受け止めてやるよ!」

 

「いや、それは遠慮する」

 

魔理沙はケラケラ笑いながら、箒を肩に担いだ。

 

空気が軽い。

 

空も広い。

 

先ほどより、少しだけ“浮けそう”な気がした。

 

 

しばらく練習しているうちに、少しずつ浮くことにも慣れてきた。

 

「お前、やっぱスゲーな! あたしのとき、こんなにすんなりできなかったぞ! 魔力の操作も安定してるし、この調子ならすぐに飛べるようになるだろうぜ!」

 

にかっと笑う魔理沙。

 

その声には、疑いも打算もなかった。

 

他人の成功を、自分のことのように喜んでいる。

 

その明るさに、何か懐かしいものを感じた。

 

だが、それが誰に似ているのかまでは考えなかった。

 

似ているようで、きっと違う。

 

今、目の前にいるのは魔理沙だ。

 

「……ふっ」

 

「どうした? いきなり笑って」

 

「いや、今日は助かった。お前がいなければ、まだ浮く感覚を掴めていなかっただろう」

 

「おう! どういたしまして! これで盗みも見逃してくれたら助かるんだけどな」

 

「それは断る」

 

 

図書館。

 

本棚の影からパチュリーが顔を上げる。

 

「……浮けた?」

 

「ああ。数センチだが、確かに浮いた」

 

パチュリーは目を瞬かせた。

 

掛けていた眼鏡が僅かにずり落ちる。

 

「もう……? 外の魔力を感じ取れても、浮くまでにはもっと時間がかかるはずなのに……」

 

「魔理沙に少し助言をもらった。“預ける感覚が大事だ”と」

 

パチュリーの肩がぴくりと揺れる。

 

「…………魔理沙?」

 

「……ああ」

 

本を閉じる音が、いつもより強く響いた。

 

「……ふーん。あの子ね。なるほど。分かったわ、長門。次は――」

 

「……?」

 

パチュリーは指先で眼鏡を押し上げ、ふっと目を細めた。

 

「私のところに来なさい。貴方の魔法は、私が最後まで見るわ」




読んでいただきありがとうございます。

飛び去る魔理沙を万象天引で引き戻すというのは、書いてみたい場面でした
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