東方輪廻談 ~ナガト幻想郷忍伝~   作:Takuma218

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第七話 紅白の来訪者

ある日の午後、俺は玄関広間の掃除をしていた。

 

紅魔館の正面玄関は大きい。

 

人が何人も並んで通れるほど幅のある扉に、高い天井。床には深紅の絨毯が敷かれ、その両脇には古めかしい甲冑や絵画が並んでいる。

 

これだけ広ければ、掃除にも相応の時間がかかる。

 

もっとも、以前に比べれば仕事には慣れてきた。

 

箒の扱いはもちろん、館内のどこに埃が溜まりやすいかも分かる。咲夜ほど素早くはできないが、少なくとも妖精メイドよりは役に立っているはずだ。

 

そうして絨毯の端を掃いていたとき、正面の扉が軽く叩かれた。

 

三度。

 

客人だろうか。

 

俺は箒を壁へ立てかけ、扉を開いた。

 

白い霧の向こうに、見覚えのない少女が立っていた。

 

紅と白を基調とした、どこか巫女装束を思わせる服。長い黒髪には、大きな赤いリボンが結ばれている。

 

片手には、先端に紙垂をつけた棒を持っていた。

 

その棒を肩にかけながら、少女は俺の顔を見上げる。

 

訝しげな視線が、髪の間から覗く俺の眼で止まった。

 

「……あなた、誰?」

 

「それはこちらの台詞だ。この館に何か用か?」

 

「用があるから来たのよ」

 

少女は当然のように答えた。

 

俺の顔を眺めながら、僅かに首を傾げる。

 

「もしかして、あなたが新しく入ったっていう使用人?」

 

「俺のことを知っているのか?」

 

「魔理沙から聞いたわ。紅魔館に、妙な眼をした面白い男がいるって」

 

随分な紹介だった。

 

今度会ったとき、訂正させた方がよいかもしれない。

 

「長門だ」

 

「私は博麗霊夢(はくれいれいむ)」

 

その名前には聞き覚えがあった。

 

以前、レミリアと咲夜から聞いたことがある。

 

幻想郷の均衡を守り、異変が起これば解決へ向かう博麗の巫女。そして紅霧異変(こうむいへん)において、レミリアたちを退治した人物。

 

目の前の少女からは、そんな大役を担う者らしい威圧感は感じられない。

 

だが、油断はできなかった。

 

立ち姿には力が入っていない。それにもかかわらず、どこにも隙が見当たらない。

 

身体の動きではなく、もっと別の何かが、少女への接近を拒んでいるように感じる。

 

霊夢もまた、俺を観察していた。

 

輪廻眼だけではない。

 

頭から足元まで、俺という存在そのものを確かめているような視線だった。

 

「……妙ね」

 

霊夢が小さく呟いた。

 

「何がだ?」

 

「よく分からないから妙なのよ」

 

「随分と曖昧だな」

 

「そういうこともあるわ」

 

それ以上説明するつもりはないらしい。

 

俺も玄関先で立ち話を続けるわけにはいかず、扉を広く開いた。

 

「レミリアに用があるのだろう。中で待っていてくれ」

 

「ええ。そうさせてもらうわ」

 

霊夢は俺の横を通り、慣れた様子で館へ入っていった。

 

◇

 

霊夢を客間へ案内すると、ほどなくしてレミリアと咲夜がやってきた。

 

「遅かったじゃない、霊夢」

 

レミリアは霊夢の姿を見るなり、楽しそうに笑った。

 

「別に約束してないでしょう」

 

「私に会いに来るなら、前もって知らせるのが礼儀というものよ」

 

「知らせたら、どうせ無駄に大げさな出迎えを用意するじゃない」

 

「当然でしょう? このレミリア・スカーレットの友人を迎えるのだもの」

 

「だから知らせなかったのよ」

 

言いながら、霊夢は既に椅子へ腰掛けている。

 

レミリアもその向かい側へ座った。

 

以前聞いた紅霧異変の話から、もっと緊張した関係を想像していたが、実際の二人は長く付き合っている友人にしか見えない。

 

「それで、今日は何の用なの?」

 

「魔理沙から妙な話を聞いたから、ついでに見に来たのよ」

 

霊夢の視線が俺へ向く。

 

「この人のこと」

 

「あら。ナガトに興味があるの?」

 

レミリアが僅かに身を乗り出した。

 

声は楽しそうだが、その紅い瞳は霊夢を窺っている。

 

「興味というより、確認ね。紅魔館に正体の分からない者が入ったなら、一度くらい顔を見ておいた方がいいでしょう?」

 

「ナガトは私と咲夜が連れてきたのよ」

 

「だから何よ。あなたが面白がって拾っただけかもしれないじゃない」

 

「失礼ね。私にだって見る目はあるわ」

 

「その見る目で、図書館から本を盗む魔法使いを何年も出入りさせてるじゃない」

 

「あれはパチェの管理の問題よ」

 

二人のやり取りを、咲夜は何も言わずに聞いていた。

 

いつものことなのだろう。

 

やがて咲夜が俺へ銀の盆を渡す。

 

盆には紅茶の入ったポットと二人分のカップ、それに焼き菓子が載せられていた。

 

「長門、給仕をお願い」

 

「ああ」

 

まずレミリアの前へカップを置き、続いて霊夢の前へ置く。

 

霊夢は礼を言うより先に、皿の上の焼き菓子へ目を向けた。

 

幻想郷の守護者にも、甘いものを好む程度の普通らしさはあるようだ。

 

「それで?」

 

霊夢が菓子を一つ手に取り、こちらを見た。

 

「あなたは、どうしてここにいるの?」

 

「魔法の森で倒れていたところを、レミリアと咲夜に助けられた」

 

「外から来たのね」

 

「ああ」

 

「紅魔館で働くことにした理由は?」

 

「受けた恩を返すためだ。それに、俺には他に行く場所もないしな」

 

「ふうん」

 

霊夢は焼き菓子を一口かじった。

 

問い詰めるような口調ではなかったが、その目はこちらの僅かな変化も見逃さないように見えた。

 

「外では何をしていたの?」

 

「忍だ」

 

「忍?」

 

「忍術を使い、戦いや諜報を行う者だ」

 

「ああ。魔理沙が“忍者”とか言っていたのは、それのことね」

 

「そう考えて構わない」

 

「その魔理沙から、変な力で引き寄せられたとも聞いたわ」

 

あいつは一体、どこまで話したのだろうか。

 

「俺の力の一つだ」

 

「その眼の力?」

 

俺はすぐには答えなかった。

 

霊夢も答えを急かさない。

 

沈黙のまま、こちらの反応だけを見ている。

 

「詳しく話すつもりはない」

 

「そう」

 

霊夢は焼き菓子を一つ手に取り、一口かじった。

 

「話したくないなら、それでいいわ」

 

「随分と簡単に諦めるのだな」

 

「知らないことがあるだけで退治していたら、幻想郷から誰もいなくなるもの」

 

霊夢は紅茶へ口をつける。

 

「でも、その力で何か妙なことをしたら、私は止めるわ」

 

先ほどまでと変わらない声だった。

 

それでも、その一言だけは冗談でないと分かる。

 

俺は霊夢の目を見返した。

 

「そのつもりはない」

 

「ならいいわ」

 

霊夢はそれだけ言うと、再び菓子を口に運んだ。

 

「話は終わり?」

 

レミリアが少し不満そうに尋ねる。

 

「ええ。今のところは問題なさそうだもの」

 

「これだけの話で分かるのか?」

 

俺が尋ねると、霊夢はカップを置いた。

 

「勘よ」

 

「……勘?」

 

「博麗の巫女の勘は良く当たるのよ」

 

霊夢は、さも当然のように答えた。

 

「私の見る目も、なかなかのものでしょう?」

 

レミリアが得意そうに笑う。

 

「あなたの見る目を褒めたわけじゃないわよ」

 

「素直じゃないわね」

 

また口論が始まりそうだった。

 

そのとき、客間の外から慌ただしい足音が近づいてきた。

 

一人ではない。何人もの足音と、食器がぶつかり合う音。

 

嫌な予感がした。

 

「待って、押さないで!」

 

「そっちが先に曲がってよ!」

 

「前が見えないー!」

 

扉が勢いよく開く。

 

数人の妖精メイドが、大きな給仕用の台車とともに客間へ飛び込んできた。

 

どうやら廊下の角で互いにぶつかり、そのまま止まれなくなったらしい。

 

「きゃあっ!」

 

先頭の妖精が足を滑らせた。

 

台車が大きく傾き、その上に載せられていた茶器と菓子の皿が、一斉に宙へ舞った。

 

霊夢が咄嗟に手を伸ばし、菓子の載った大皿を両手で掴む。

 

俺も反射的に右手を伸ばした。

 

「――万象天引」

 

見えない力が、散らばった茶器を捉えた。

 

カップ、受け皿、ポット。

 

床へ落ちかけていたものが空中で止まり、俺の方へ引き寄せられる。

 

その中に、一人だけ妙なものが混じっていた。

 

「ちょっと!?」

 

霊夢だった。

 

彼女は両手で大皿を抱えたまま、皿ごと俺の方へ引き寄せられている。

 

「私まで引っ張ってどうするのよ!」

 

「……その皿を離せ」

 

「だったら先に言いなさいよ!」

 

俺は引力を弱め、霊夢を床へ降ろす。

 

その間にも、茶器は次々と手元へ集まってきたが、この数すべてを一人で受け止めるのは難しい。

 

次の瞬間、咲夜が動いた。

 

空中に浮かんでいたカップも受け皿も、何事もなかったように台車の上へ戻っている。

 

幸いにも割れたものは一つもなかった。

 

咲夜が妖精メイドたちへ向き直る。

 

「あなたたちねぇ……」

 

声は穏やかだった。

 

それを聞いた妖精たちの顔が、一斉に青ざめる。

 

「廊下を走ってはいけないと、何度言えば分かるのかしら?」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「わざとじゃないんです!」

 

「ちゃんと片づけますから!」

 

妖精メイドたちは口々に謝りながら、台車を押して逃げるように客間を出ていった。

 

あとで相応の叱責を受けるのだろう。

 

霊夢は守り抜いた大皿をテーブルへ置くと、俺の顔を見た。

 

「……あんた、その眼でいつもこんなことしてるの?」

 

「最近はな」

 

「魔理沙を捕まえたり、洗濯物を集めたり?」

 

「なぜ洗濯物のことまで知っている?」

 

「魔理沙がパチュリーから聞いたらしいわ」

 

話が広まっている。

 

俺の知らないところで、随分と便利な力として認識され始めているようだ。

 

霊夢は俺の輪廻眼と、無事に戻った茶器を見比べる。

 

「もっと物騒な力かと思ってた」

 

「物騒な使い方もできる」

 

「でしょうね」

 

霊夢はすぐに答えた。

 

だが、その声から先ほどまでの警戒は少し薄れていた。

 

「でもそれを今、あなたは妖精の失敗を片づけるために使った」

 

「ああ」

 

「……思っていたより、ずっと平和な使い方ね」

 

それが褒め言葉なのかは分からなかった。

 

ただ、悪い気はしなかった。

 

「君も、思っていた姿とは違った」

 

「私?」

 

「幻想郷を守る巫女と聞いていた。もっと厳格な人物を想像していた」

 

霊夢の手が、菓子へ伸びたところで止まる。

 

「どういう意味よ」

 

「そのままの意味だ」

 

「ナガト、それ以上はいけないわ」

 

レミリアは楽しそうに笑っていた。

 

「霊夢は、自分が思われているほど威厳がないことを気にしているのよ」

 

「気にしてないわよ!」

 

霊夢がレミリアを睨む。

 

レミリアは素知らぬ顔で紅茶を飲んでいる。

 

やはり、この二人は友人なのだろう。

 

少なくとも、俺の知っている敵同士は、このように同じ卓を囲んだりはしない。

 

◇

 

しばらくして、霊夢は帰ることになった。

 

レミリアと咲夜、それに俺も玄関まで見送る。

 

「それじゃ、また来るわ」

 

「次は先に知らせなさいよ」

 

「気が向いたらね」

 

霊夢は玄関前の石段を下りる。

 

その途中で、不意に足を止めた。

 

視線が、紅魔館の上階へ向けられる。

 

俺もつられて見上げた。

 

窓が幾つも並んでいる。

 

その一つで、カーテンが僅かに揺れた気がした。

 

「どうした?」

 

俺が尋ねると、霊夢はすぐに視線を戻した。

 

「別に」

 

それ以上は何も言わなかった。

 

霊夢の身体が、ふわりと地面を離れる。

 

「それじゃあね、長門」

 

「ああ」

 

霊夢は霧の中へ飛んでいく。

 

その姿が見えなくなった後、レミリアが俺の横で笑った。

 

「どうだった? 幻想郷最強の巫女は」

 

「掴みどころのない人物だな」

 

「そうでしょう?」

 

レミリアはどこか嬉しそうだった。

 

「でも、悪い子ではないわ」

 

「それは分かる」

 

霊夢は俺を警戒していた。

 

おそらく、今も完全に信用したわけではない。

 

それでも、事情を話さないというだけで敵と決めつけることはなかった。

 

俺もまた、博麗の巫女という肩書だけで、霊夢を理解したつもりになっていたのかもしれない。

 

館へ戻る前に、もう一度だけ上階の窓を見る。

 

誰もいない。

 

ただ、閉じられたカーテンが、微かに揺れていた。

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