卍解までは転生者の嗜み。 作:点差惨敗
天つ空見上げ 零せ
遡る涙は 雨も抱く
それは八番隊隊舎でのある一幕。
隊舎に併設されている『蔵書室』。ここには資料のほかに、備品なども保管されている。無論『備品室』は他にあるため、ここにあるのはその資料に付随する備品であるが。
棚を見て回り、位置が違えば別の棚へ、破れていれば修復届けの木箱へ。
そういう「整理」を行っているのは、八番隊副隊長鹿取抜雲斎である。
尤も、彼女はその名が意味するところの妖刀を失っている。妖刀「抜雲」。その残骸さえも、零番隊に回収されてしまった。……されてしまった、なんて言えるほどの感傷は無いし、何に悪用されるかもわかったものではないそれを回収してくれたことには感謝しかないのだが、それでもやはり喪失感はあるもので。
これを埋めるためにも違う名前を名乗らなきゃいけないなぁ、なんて思いながら、百年、三百年……と過ぎてしまっているのが現状だ。
そんな思いを抱えながらも、彼女は新たに得た浅打を始解させ、卍解修行に至るほどまで磨き上げた。努力の人だし、「妖刀に振り回されているだけ」なんて言われたことも──無論初期も初期の頃だけなれど──あった彼女には、ちゃんと才能もあったということなのだろう。
とはいえ未だ修行中の身なれば、こういう事務仕事もしっかりやる。
自身が隊長だった頃は副隊長以下に任せきりだったことを、こうして地道にやったり、整理したりするこの時間を、彼女は愛していると言っても良いのかもしれない。
妖刀を帯刀していた時は、その殺意と害意を抑え込むのに必死で必死で。当然会話どころではなかったし──後から判明した話だが、会話になってすらいなかったのだから。当然書類仕事なんか気が散りすぎてできないし、書き物なんてした日には物騒な単語が無意識に混ざってしまうし。
妖刀は妖刀だけあって、害でしかないのだ、ということをほとほと理解させられる日々だった。
それが、ある人のおかげで解消されてから、世界を知るための行動が愛おしくて。
辛味と甘味だけだった食事に華が生まれた。
他者と会話するとはどういうことなのかを知った。
こうして仕事をして、昔を懐かしんだり、誰かの役に立ったり、疲れたり眠くなったり。
そういう変化を感じて、それを生きてるなぁ、なんて感じることが楽しくて楽しくて。
だからこういうお仕事が好きだった。愛していた。
「あぁ鹿取さ……じゃない、鹿取ちゃん、ここにいたんだねぇ」
「ん、京楽隊長。どうかしました?」
「ちょっとね、『鬼道仕様変更要望書』を出してきてほしくて……」
「……自分で行けばいいじゃないですか」
「……えっと、これってどこに出すのかなぁ、なんて」
「ああ……そっか、知らないとずっと知らないことになる人もいるのかぁ」
舌が回る。一つの文節でたくさんの音を喋るたび、なんだかおもしろくなる。口調も随分落ち着いた。
時々……殻の自分と中身の自分が分かれていた頃のような口調も出てしまう、のだけど。あとは丁寧語と気さくな言葉が混ざってしまったり。
なんて。
鹿取の心の中ではこういうことへの反応ばかりで、会話ができるようになったにも拘わらず、自分で自分を面白がるばかりだったりする。
「一緒に行きますか? 毎回毎回誰かに頼っていたら、面倒でしょう」
「お願いできるかい?」
「ええ。じゃ、少し歩きますよ。一番隊の隊舎近くなので」
「一番隊? ……まさか山爺に……」
「いえ、山本さんではないですよ。向かう場所は『鬼道衆第一出張所』。……今更だけど、第二とか第三とか……各隊分作れば歩かなくてよくなるのに」
なんてぼやきを入れながら支度をする鹿取。如何に同じ瀞霊廷内と言えど、各隊の隊舎につき一つの町がある程度には、さらに隊舎を持たない町がこれでもかと集まっている程度には広大だ。また貴族のもの・私有地であるために屋根の上さえ進入禁止、みたいな場所がそこかしこにあるため、直線距離でいけるわけでもない。
何より急ぎの用事でもない以上瞬歩なんて使わないので、それなりの時間を歩くことになる。
そうして隊舎を出た二人。なお、そうなると一番上の指示役として判断を仰がれることになるのが三席になるのだが、八番隊三席はそれはもう敏腕隊士なので問題が無いのだとか。
「……鹿取ちゃんってさぁ、名前……変えないのかい?」
「どうして?」
「どうしてってそりゃ……抜雲斎っていうの、称号の名前で、しかも今はもう違うって話じゃない」
「ああ……知ってるんだっけ。京楽君が護廷に来た時まだわたし隊長だった?」
「丁度……旅禍に襲われて替わった、みたいな時だったかなぁ」
「じゃあ別にわたしがあれを持っている時に見たわけじゃないんだね」
「霊術院時代にちょっと見たよぉ。紫色の鞘の、長めの斬魄刀、だったかな」
「うん。それが昔の刀だね。抜雲っていう妖刀。……だから、まぁ、名前を変えないのか、っていうのは尤もだったりするんだけどさー」
既に丁寧語が抜けてしまっている、なんてことには気付かない鹿取である。
「まぁ、生まれた時から寄り添った刀の名前だし。……あと、誰に名付けてもらっても……なんか、……気があるみたいで、嫌じゃない?」
「周囲は特別視しそうだよねぇ。……あ、ボクは嫌だよ。誰かについての一生分の名付けとか、重いし」
「八番隊隊士230人の命は、重くないの?」
「重いよぉ? けど、それは……背負う事から逃げちゃいけない重みだからね。誰かの一生を背負うこととは、また違うよぉ」
八番隊隊長、京楽春水。
鹿取から見た彼の印象は、うだつが上がらない昼行灯……風に見せかけた、同年代で誰よりも「全体」を見ることのできる子、というもの。ある種尾花弾児郎に近いかもしれない。死神を群れで生きる生き物と捉え、その全てが迷わないよう号令をかけることのできる存在。
とはいえ尾花ほど声が通るわけでもないし、調子乗りでもないのだが。
女物の着物を羽織り、長い髪を三本の簪で止めている姿は、なぜか若い子に人気であることを鹿取は知っている。
「あれ、あそこにいるのは……おーい、千日くーん! なにやってるのー!」
「いやあのね鹿取ちゃん、どう考えても彼お仕事中……」
「別に良いよ。鴉泉のお守りしてただけだし」
「うわぁっ」
「うわぁっ、ってオマエ。目で追えてたの見えてんだよこっちは。おかしなフリすんなっつの」
鹿取が呼びかけた方向から瞬時に二人の隣まで来たのは四楓院千日。四楓院家でありながら四番隊四席を務めている青年だ。ある意味もっとも"四"楓院家らしいのやもしれないが。
「そこまで本気じゃねーのもあるが……それでもオレの瞬歩を追えるあたり、鹿取を差し置いて隊長になっただけあるよなーオマエ」
「あ、あれぇ? これひょっとしてボク絡まれてる?」
「ア? だーれが凶徒だコラ」
「言ってない言ってない言ってないですってぇ……鹿取ちゃん、助けて……」
「ん、さっきから違和感があると思ってたが……鹿取ちゃん……? 鹿取お前、自分より遥かに年下のやつになにを……つか前は普通にさん付けじゃなかったか?」
「だって、京楽君は今隊長なんだから、副隊長のわたしに敬称はおかしいでしょ?」
「……。アー。……京楽、頑張れ。もうわかっちゃいると思うがこいつは天然なんだ」
「はい、それはもう、わかってますよ……」
若干疲れた感じの京楽。
天然。その意味は理解しているけれど、それを己に当てはめるとは失礼な、と鹿取は口を尖らせる。
そして左腕にまで伸びている、斬魄刀の鞘に巻かれている紐を意識する。
これは
妖刀自体は無くなったものの、鹿取が妖刀の棺であった事実が消えたわけではない。その後遺症とでも呼ぶべきものとして、「他者の心の声が聞こえてしまう機能」は未だに健在である。この変換装置が無ければ、またあの轟音と無音を行き来し続ける世界に戻る。
とはいえそれを悲しむことはない……というか、時折機能を外しては悪戯に使ったりなんだりをしているので、嫌っていないというべきだろう。
そして、その機能を持っている鹿取からすれば、彼女と天然という言葉を結び付けるのは難しい。他者の機微が声として聞こえるのだから、天然……つまり「他者の機微に疎く、常識から乖離している」状態にはなり得ないのに、と。
無論それを知らぬ京楽にそれを理解しろ、なんて言うつもりはない鹿取だ。問題はこっちの中性的な青年の方だろう。
色々な情報を共有する仲になったというのに。鹿取の秘密や事情も知っているのに。どうしてそんな見当違いなことを言うんだろう、と。
「拗ねんなよ。……どっか行ってたんだろ。引き留めたな。つかオレも鴉泉を……。……ア!? なんであいつ十一番隊隊舎に殴り込もうとしてんだ!? ちょ、行ってくる! またな!!」
「あ、行っちゃった。……っていうか、鴉泉ちゃん……大胆だなぁ」
「志波家のご令嬢……って感じがしないけど、鴉泉ちゃんも彼も貴族なんだよねぇ。いやボクもなんだけどさ。……貴族らしくない貴族が増えたのは、良いことには思うから、まぁいっかぁ」
「貴族らしい貴族は大分いなくなったからねー」
「あんまりお外でそういうこと言わないの」
執行乃武綱が計画した大掃除。それにより、貴族も、そして四十六室も多少風通しが良くなったという印象を受ける鹿取だ。
ちなみに鹿取家はちゃんと下級貴族だった。その点も……数百年ぶりに家族と会話をし、妖刀から解放されたことを喜びあうことで隔たりが消え、家族仲が良くなった、なんて
「……さて、そろそろ一番隊隊舎に着くけど」
「あ、じゃあ、こっち」
目的地を知らない京楽に代わり、その手を引いて先導する鹿取。
どれほど呼び名呼ばれ名立場が変わっても、子供扱いは中々やめてくれないなぁ、なんていうのは京楽の胸中であった。
さて、ようやくたどり着いたのは、豪邸……と見紛う敷地面積を持つ、『鬼道衆第一出張所』と看板の掲げられた施設。
「こんなところ……あったんだねぇ。一番隊隊舎なんて来ないから、知らなかった」
「この申請書を届ける役を買って出ない限りは来る機会無いかもね。訪問すること自体の益の高さから、隊長・副隊長が自分たちで済ませちゃうって場合がほとんどだし」
「訪問すること自体の益……?」
からからから、と横に引く形式の扉を開けて中に入る二人。
中は……初見では、商品の少ない茶屋、という印象を受ける京楽である。
「おやぁ。……鹿取さんに、京楽隊長です、か。珍し……くもないですねぇ。八番隊でしたっけ、そぉいぇばぁ」
「……キミは? それに、その声、どこかで」
脳裏。豪雨と後悔。感謝、憧憬。
「初めましてぇ。一番隊第七席兼、ここ、鬼道衆第一出張所所長の滑川平良と言います、よ。齋藤さんの時の……納戚堂でお会いして以来です、ね」
「ああ……あの時の。そうか。……そういえば確かに、護廷には、キミみたいな子全然いなかったし……」
「僕は基本ここにこないと会えないですから、ね」
若い頃の記憶だ。忘れてはならない記憶。
顔は見えなかったけれど、その幼さでわかる。声でわかる。
「滑川さん、これ、要望書と。……今日はどれにしようかなぁ。……じゃあ蜂蜜飴十個とー、あと京楽隊長に、八卦飴ください」
「はぁい。……承りましたぁ。蜂蜜飴十個と、八卦飴ですねぇ。お代はぁ、どちらにぃ?」
「わたしでいーよ。一応先輩としての奢りってやつだね」
「やっすい奢りですねぇ。もうちょっと……料亭とか、ありそうですけ、ど」
「美味しいご飯は京楽隊長に奢ってもらうから! ここでの支払いをしてあげた分、って言って!」
「うわぁ、ちょっとの恩を何年も何年も根に持って支払いを迫る妖怪だぁ」
何か……戦慄しているというか、思うところがあるというか。
明らかに言葉数の少ない京楽。その彼に、今しがた買った八卦飴を差し出す鹿取。
「はいこれ」
「え……飴。舐溶飴かい?」
「そ。今日から次ここに来るまでの運勢を占える八卦飴。さ、思い切ってひと口!」
ずずいと推してくる鹿取に負けて、じゃあ、と包み紙を剥がし、それを口に入れる京楽。
舐溶飴。風邪の予防、熱が出た時、お腹が痛い時など、どんな時でも「舐溶飴を舐めておけばいい」と言われる。貴族でも、だ。
実際に効果は覿面で、流行り風邪は予防できるし、熱は引くし、お腹の痛みも治まる。万能ではないし病を治しているわけでもないらしいが、とりあえず腹痛が収まればいい、熱が引けばなんでもいい、という人にとっては懐に常備しているくらい日常に馴染んだ飴。
その、言い回し的に、何味かわからないもの、ということだろう。
よく見れば店内には色んな味の舐溶飴が売っているようで、基本の鼈甲・黒糖味だけでなく、蜜柑味や梅味、"気泡粒味"なんていう名前からでは味の予想のつかない味まで売られている。
甘い飴。舐めていて特におかしな味はしない──なんて思ったその瞬間。
「んむ……す、酸っぱい……」
「疲労回復・緊張緩和味ですねぇ」
「もう、違うってばぁ。"近々胃の痛くなることが発生する"味だよ。みんなはそう言ってる」
「普通にネガキャ……営業妨害です、ね。僕にそんなものを見通す力はありません、よ」
段々と酸味に慣れてきたのか、飴を口の中で転がし始める京楽。酸っぱさ以外は慣れ親しんだ味である。
「八卦飴。当たるも八卦当たらぬも八卦……なんていうのに合わせてぇ、八種類の味のどれかがわからない舐溶飴になりますよぉ。見た目や匂いは通常の舐溶飴と同じですから、判別しようとしたら、砕いて溶かして鬼道なんかで成分を確かめるくらいしかないですか、ね」
「へえ、面白いね。……味の種類は、もしかしてここにあるものがそうかい?」
「はぁい。左から、1.疲労回復・緊張緩和の柑橘味。2.不眠解消・苛立防止の黒糖味。3.頭痛改善・不安防止の塩味。4.胃腸改善・激昂防止の気泡粒味。5.腰痛改善・憂鬱防止の薄荷味。6.貧血予防・眩暈防止の蜂蜜味。7.肌荒防止・美肌効果の梅味。8.霊力増強・魂魄頑健の魂味……となっておりますよぉ」
「最後のだけなんかおかしくないかなぁ?」
「そうですかぁ? 美味しいですよ、魂味」
「虚の気持ちが味わえるとかって噂だねー」
「嫌だよそんなの……」
なお、実際はワサビ味であるらしい。つまるところ唯一の外れ味なのだが、意外にも人気商品であり、八卦飴で味を知ってからそれだけを買うようになった、という人が大勢いるとか。
さらに言えばその効能もあながち嘘ではないとか、なんとか。これは彼の口から出た言葉であり、鹿取が何かを検証したわけではないのだが。
「……でも、八卦飴、十個貰おうかな。食べさせてみたい知り合いがいるんだぁ」
「はぁい」
お代に、その効能を考えれば安い、さりとて駄菓子としてはちょっと張るかな、くらいのものを支払う京楽。そこは奢らないんだ、というのは口に出さない彼であるが、もし鹿取が思念を聞いていたらぷんと拗ねていたことだろう。
折角来たんだし、と、他にも何かないか店内を見回す京楽。いつの間にか記憶に依る口の渇きも解けていて、余裕も出てきた。
「なんだか……怪しげなものがたくさんあるねぇ」
「大抵は鬼道実験の際に生まれた産物ですから、ね。これとか如何ですかぁ?」
そう言って彼が京楽に渡すのは、花のような形状の輪。
その上部を押し込むと、輪の上の霊子が……桜だろうか、花弁を象った色に着色された。
「なんだいこれ」
「『どこでも花舞いの輪』ですねぇ。ふんわりとした空気を演出するのにぴったぁり」
「もう少し実用性が欲しいかな……」
「でしたらこちらぁ、じゃあ鹿取さん、押してみてくださぁい」
言われるがままにへこみを押すと、ぐぎゅるるるるううう……と、お腹が鳴った。
……鹿取のでも京楽のでも、彼のでもない。
「面倒臭いお話とかぁ、さっさと切り上げたい話題の時に押すことでぇ、少量の恥じらいを支払いつつその場から抜け出せる優れものですよぉ。他にもぉ、重い物を持ちたくないなぁ、やだなぁ、という時に、草履に仕込むこちらを踏んで起動させるとぉ、ごき、という人体から鳴ってはいけない音が鳴る装置とかぁ。音の発生源をできるだけ偽装し、まるで近くの草むらやもの陰から聞こえたような感じのする猫の鳴き声発生装置とかぁ」
「……まずい、鹿取ちゃん。全部欲しいかもしれない」
「えぇ……。話題が嫌ならその話題興味ないんだけど、って言えば良いじゃん」
「鹿取ちゃんはそれでいいかもだけど、ボクには色々付き合いがあるからさ。特に貴族周りとか……これ、欲しがる貴族いっぱいいるよぉ」
「まさに、王途川さんが買いに来ては、西紀さんと智さんに後頭部をぶん殴られていますねぇ」
じゃあ買ってないのでは? 鹿取は訝しんだ。
「……お腹が減る音の装置だけ買っちゃおうかなぁ」
「ちゃんと自分の懐から出してねー?」
「それはね……。こんなので八番隊の隊費を使ったなんて山爺に知られたら、」
「──儂が、どうかしたか、春水」
「うわぁぁっ!?」
先程の四楓院千日の近付いてきたそれとは違う。本気の驚きで仰け反り、尻餅をつくにまで至る京楽。
「なんじゃ、弛んどる。この程度のことで腰を抜かすとは。霊圧感知もなっとらん。鹿取と滑川は気付いておったぞ」
「えぇ……!? い、言ってよぉ鹿取ちゃん……」
「京楽
「酷いじゃないか……揃ってさぁ……」
「ふん。この程度のことでひっくり返るおぬしの方が酷いわい。霊術院からやり直すか?」
差し伸べられた鹿取の手を取り、ゆっくりと起き上がる京楽。
「それは勘弁……。で、山爺、何用なのさ」
「おぬしに用など無い。儂が会いに来たのは滑川じゃ」
「あらもっと酷い……。じゃ、ボクらはここらで退散しようか、鹿取ちゃん」
「そうだね。じゃあね、滑川さん。山本さん」
「総隊長と呼ばんか総隊長と。……というか鹿取おぬし、春水より三倍……いや四倍は年上じゃろうに、何を」
「みんなそれ気にしすぎ~。隊長が副隊長をさん付けで呼んでたらおかしいでしょ。さ、行こ、京楽君」
「いや君二言目で矛盾してるけど……」
なんて言い合いをしながら研究所を出る二人。その頃にはもう、舐溶飴も口の中から消えていた。
*
そんなことがあった後、京楽が所用で十番隊の隊舎を訪れる機会に恵まれた。
雨の降りそうな空模様に、早いところ帰らなくてはなぁ、なんて思っていた矢先、同じように空を見上げる男性を見つけた。
池の周囲の一際大きな岩の上で座禅を組み、そこに解放前の斬魄刀を置いている。
「む。ああ、京楽隊長か。どうかなされたか?」
「ああ、申し訳ない。雑念を混ぜてしまいましたか」
「否、構わない。此方に何か用だろうか」
王途川雨緒紀。五大貴族王途川家の当主。
京楽が隊長になる前にあった、
四百年ほどの休隊と、その間にたゆまず行われた訓練により、以前に匹敵する霊圧を取り戻した、五大貴族としての素養、生まれ持った才覚、恐ろしいほどの努力の三つを併せ持つ人物。京楽もまた幼き頃は生前の兄によく「王途川様を見習え」などと言われたものである。その頃はまだ休隊中だったというのにも拘わらず、だ。
「いやぁ、特に用はないんですけどね。空を見上げていて、どうしたのかな、と」
「ああ……。此方の斬魄刀驟霖は、始解の時点から天相従臨を備えている。実際に大雨を降らせるには卍解まで必要であるが、雨の気を読む、というのは驟霖との対話においては必須の技能であってな。こうして、解放前の驟霖を膝に置き、空を見て雨を読むのは、腕を失った時から続けている鍛錬の一つなのだ」
天相従臨。火や水など、元素を扱う斬魄刀の中でも、極めて高い影響力を有する斬魄刀が持ち合わせる力。
読んで字のごとく、気候を従わせるその力は、その副次効果として「天気を読む」ようなことまでできる、と。中々便利そうだねぇ、なんて胸中に吐き捨てる京楽。
「卍解修行の一つ……なんですかね」
「そうなる。此方の卍解には攻撃力と呼べるものが欠如している。それを……とある大恩ある方へ相談しに行ったら、もう少し斬魄刀と話し合ってみるといい、と言われた。始解が心を開いた状態、卍解が心を通わせた状態であるのなら、より深くを知り、高め合い、また新たな形に昇華するところまで行かずに、多くの死神たちは足を止めてしまっているに同じである、と。金言……目から鱗が落ちるような気付きであった」
「なるほど、それは……凄い気付きかもしれない」
「ああ。卍解とは斬魄刀戦闘における究極戦術。その力が強大なものであるからと、そこを最終地点に定めてしまう。そこで斬魄刀との対話を終えてしまう。……此方が腕を失った理由は、此方の力不足に因るところが大きい。次、右腕までも奪われるわけにはいかぬ。妻にも、大いに力になってもらったとあれば、今度は此方が返していかなくてはならぬ」
雨。力不足。奪われる。
残照のような音が京楽の脳裏を満たし始める。
時が経って、受け入れたような面持ちになっているだけで、彼の心は、まだ。
「彼方も」
「え」
「彼方も、時折、己が斬魄刀と深く話し合ってみると良い。己の善き理解者であり、永遠の好敵手であり、そして、己自身。迷いがある時も、何か苦々しい過去を思い出す時も……あるいは斬魄刀自体にそれら記憶が付随する場合でも、対話には益がある。己一人で出した結論も、己一人で出した懺悔も、対話の益に勝るものではない」
「……それは、そうかもしれない。……対話、か」
目を瞑れば脳裏に響く。京楽を叱責する、全く優しくない斬魄刀の姿が。
あの人の姿を彷彿とさせる……けれど、重ねることは、随分と前にやめたその姿が。
先が。
あるのだとすれば。
「時に、京楽隊長。その懐にある紙袋は、舐溶飴のか」
「ん、ああ、これかい。そうですよ、一番隊の近くの駄菓子屋さんで買いましてねぇ。……あれ、駄菓子屋さん……だっけ?」
「一つ頂けぬだろうか」
「え? ああ、問題ないですけど……珍しいとか思っちゃうなぁ。王途川隊長がそういうことを言うの」
「まぁ、確かに此方は誰かにねだる、ということをしてこなかったが……妻に、そういう"ちやめつけ"も大事だと言われてな。少し、取り入れてみているのだ」
ちやめつけ、と言われて一瞬何のことかわからなかった京楽だけど、そのあとすぐに"茶目っ気"であると理解する。
相変わらず真面目すぎる性格だ。とはいえ確かに、そういう茶目っ気があると人間味が増すというか、親しみやすくなる。奥方のする助言としては最高のものだろうねぇ、なんて思いながら、八卦飴のひとつを渡す京楽。
「あ、でもそれ八卦飴だから、味は」
「問題ない。此方はあそこの舐溶飴であれば、すべての味を食べたことがある。……む、"怒られる予感"味か。さて、何から気を付けたものか」
「それ……鹿取ちゃんも言ってましたけど、どういう意味なんですか?」
「ああ、知らぬか。八卦飴は別名占い飴と言ってな。別名といえども、此方らが勝手に呼んでいるだけであるが。……中々どうして当たるものだから、その予感の味と勝手にすり替えているのだ」
「へえ……」
「柑橘味は心労の予感味。黒糖味は大一番の予感味。塩味は思考せねばならぬことが起きる予感味で、気泡粒味は怒られる予感味。薄荷味は責任を果たさねばならない予感味で、蜂蜜味は図星を受ける予感味、梅味はぞっとする予感味、魂味は強敵や壁に当たる予感味、と」
「それは……そんなに当たることが、本当に?」
「はっはっは、あくまで予感だ。未来を定めるものではない。それに、あそこの店主はこうも言うはずだ。その予感は結局、生きている限り、毎瞬のように訪れ続ける全てのことであると。結局占いというのは、そういった細々とした部分部分を、事前に言われていたことで強く意識し、まるでその通りのことが起きたと錯覚してしまうことでしかないのだろう」
笑う王途川。その感想には同意するのだが、それはそれとして気泡粒味というのがどういう味だったのかが分からずに終わって、次はあれを買ってみようと考える。
なお、王途川にしては珍しく「駄菓子屋」という勘違いに訂正を入れず、しかも「店主」という呼称をしたのは、まぁ、あながち間違ってもいないか、と思ったがゆえであるとか。
「怒られる予感、っていうのは──」
「──雨緒紀。今日は予後検査の日だから、寄り道をせずに早く帰ってくるように、って言ったのだけれど……忘れてしまいましたか──?」
「──こういうことだ、京楽隊ちょ、む、痛い、痛い、耳を引っ張るな智!」
「あら、ごめんなさい、京楽隊長。何かお話でしたか?」
「いやぁ、雑談だから、大丈夫ですよ」
「そうですか。それでは、雨緒紀を貰っていきますね。護廷に復帰した後は霊圧が乱れるから、しばらくは定期診断を必要とするというのに……もう、なんでもかんでも修行をしたらいいという話ではないと……」
「わ、わかった、わかったであるから耳を離してくれ……!」
「あ、あはは。お幸せに~」
恐ろしい的中率である。そして即効性。
そういえば確かに、京楽も舐めたその瞬間、ほとんど直後にアレが起きた。
錯覚でしかない、と言ったけれど……まさか? なんて思い始める京楽である。
と……京楽が、王途川、そして妻の智が去っていった方向を眺めていると、同じようなことをしている存在が近くにいることに気付いた。
赤い髪の燃えるような女性、十番隊副隊長の西紀早乙留である。
「西紀副隊長?」
「ン? あぁ、京楽か。……っと、すまねえ、京楽隊長か、今は」
「いや、良いですよ……。ボクにとっては西紀隊長代理、って言葉の方がしっくりくるし……」
腕を失った王途川に代わり、その四百年余りを十番隊隊長として守り続けた女性。
卍解には至らぬままに"状況"だけで隊長の座に座る者、などと揶揄する輩も存在するが──。
「良かったですね、と。そう言って……良いんですかね、王途川隊長のこと」
「何言ってんだテメェコラ。良かったに決まってんだろうが」
「けど……西紀隊長代理、もう見返す機会が」
「アァ? ……ああ、昔の……くだらねえこと言う奴らを見返してやる、みてぇなの、もしかしてまだ覚えてんのか。ケッ、湿っぽいガキだな。気持ち悪ィ」
「ひ、酷い……」
「いーんだよ。アタシの幸せは、あの人がまたこの席に座って、あのカッケー背中を見せてくれることだったわけだし」
遠く遠く、もう見えなくなっても……その背を見送り続けるその姿。
でも、京楽は知っている。彼女が、本当は……既に卍解を修めていて。
正式な十番隊隊長にならないために、それを隠していた、ということを。
「つか、オマエそういや鹿取隊長を副隊長にしてたよな。オ? なんでだ。フツーに鹿取隊長の方がツエーだろテメェなんざより」
「い、いや、鹿取ちゃんが隊長にならなかったのは彼女の意思で」
「ちゃん、だぁ? さんだろうが、ォア!?」
「そう呼べって言われてるんだよぉ~……」
「なんだと。……じゃあオマエ、アタシのこともちゃん付けで呼べ」
「えぇ……。……に、西紀ちゃん?」
「……キメェ」
「酷い!」
理不尽である。……が、この理不尽さが彼女の良さである。
なんだか感傷的なようだったから、本調子に戻ってくれてありがたいなぁ、とか思っていた京楽の背を瞬歩で取って、ドカッと蹴り飛ばす西紀。
「ぎゃあっ」
「気ぃ遣ってんじゃねーよクソガキ。アタシが今この雨模様な気持ちだったのは王途川隊長に対してどうとかじゃなくて逆骨のクソジジイのとこで使った金が痛ェなっつぅのを考えてたからだ。勘違いなんだよ全部」
「逆骨元隊長の……ところで、お金を使う、って? お店とかやってましたっけ……?」
「ン? ──なんだ、知らねえのか。そりゃ──素敵だな。素敵なことだ。よーし京楽、行くか」
「あ、えーっとボク、そろそろ隊舎に戻らないと」
「ああ大丈夫だ京楽。オレが鹿取に伝えといてやるよ。西紀、ほれ。とりあえず二千環は取り戻してやった。また今度組手に付き合え。じゃあな」
突然現れた四楓院千日がそんなことだけ言って、西紀にお金を渡し、そして去っていった。
「さぁすが四楓院さんだ。間が良い。んじゃ行くぜ──賭場に」
嫌な予感のする京楽であるが、残念ながら首根を掴まれている。そのまま瞬歩で運ばれ──。
辿り着いた場所にあったのは、『遊戯盤賭場』というあまりにもそのままな看板のつけられた、それなりに大きな店らしきもの。
中には──それなりの数の大人達が。
それらに囲まれているのは、元十三番隊隊長、逆骨才蔵だ。
「よぉ、クソジジイ。また来たぜ。カモを連れて」
「カカカ、つくづく破滅型だなぁクソガキ。四楓院が取り戻した金、使う気か?」
「たりめーだろ。増やすためにあんだよ金なんて。さらに今は
「酷い呼ばれ方をした気がする……。……っていうか、その……ここって、合法なんですか……?」
「当然であろう。とはいえ、ここでは環そのものを賭けるわけではない。ちっぷ、というここ専用の通貨を環で購入し、それを賭ける。ここで勝つとちっぷが増える。それを、向かいにある『景品交換所』の店主が、偶さかなぜか買い取ってくれるものだから、貴様の手には環が残る」
見事な三店方式である。瀞霊廷においても違法な賭博を、どうしても導入したい、それがなければヒリつかない、という逆骨に対し
頭が痛くなってくる京楽。
「ま、人生を破滅させるような額はかけられぬ。儂が見張っておる故な。だが、今月の飯の階級が三段階くらいは下がる覚悟をせねばならん時もあるし、逆に贅沢のできる場合もある。カカカッ、賭場としての側面以外では、現世と比べても最先端な"ぼぉどげぇむかふぇ"よ。他ではまず見ない遊戯やぱずるがこれでもかと置いてある。遊んでいけ、童」
「い、いや、ボク勤務中でしてねぇ」
「"接待交際費"で落せ、そんなもの。ああ無論だが、賭ける金を隊費から出すんじゃねえぞ。アタシが怒られる」
京楽は悟る。ここには悪い大人しかいないのだと。
「初回は金でなくとも許してやる。……おお、その紙袋は、舐溶飴か。良い良い、ならその一つを賭け金としろ」
「待てよ。物々じゃあ金が稼げねーだろうが」
「カカカッ! 貴様の金は貴様で稼げ、西紀。若造に集るな」
「……ちぇー」
訂正、悪く見られがちな逆骨元隊長であるが、浮竹が懐くだけあって良い部分も兼ね備えているのだな、とほっとする京楽である。
そして……なぜか通貨の代わりにさえなる八卦飴の一つを取り出し、机に置く。
「ほう、しかも八卦飴か。これは面白い。──さて、どれで遊ぶ。なんでもあるぞ。……とはいえ、コレを貴様に遊ばせるほど酷ではないがな」
なんて言いながらそれ……花札をしまおうとする逆骨。その気遣いに感謝しながらも。
「ああいや……それで、遊ばせてもらいますよ」
「……良いのか? 青ざめた顔をしているが」
「いやぁ、それは、この場の空気にアテられただけですって」
卍解修行だけでなく。
そこで足を止めていたものを……さらに深めるために、対話をする。
「カカカッ! 良かろう、では、花札だ。決まり事は、通常と、賭博用と、どちらを好む」
「じゃあ、賭博用で」
「良い、わかっておるの。通常のるぅるの方が運要素が強い。賭博用は親との駆け引きが重要──」
「だけど、イカサマし放題。だったかな」
「ふん、そんなことはせんわ。違法賭博じゃあるまいに」
「おや、そうなのかい? ちなみに子がする分には?」
「……このるぅるに子のイカサマ要素は無いが、まぁ、できるものであれば、良かろう。ただし見抜かれたが最後だぞ」
「大丈夫。昔遊んだことがあるけれど……その時もボクは子でね。でも、十連勝もしたんです」
「ほお……! それは、それは。カカカッ! 楽しみだ」
本当に楽しそうに札を混ぜ始める逆骨を前に……京楽は、少しだけ己に埋没する。
「"……はぁ。本気で言ってんのかい。そんなことのためにわっちを?"」
「"だってキミ、呼んだって滅多に出てきてくれないじゃない。今出てきてくれたってことは……何か、思うところあるんだろ"」
「"わっちをあの女に重ねるのはやめなんしと何度言ったら"」
「"重ねてなんかいないさ。むしろ、重ねているのは君だよ、お花"」
斬魄刀の本体を視界上に持ってきて対話をすること。
卍解修行の内の一つだ。さらにそこには、新しく生まれた子、狂骨もいる。無口なので会話には混ざってこないが。
「"何を……。わっちがわっちにあの女を重ねている、と?"」
「"そうだよ。ここのところずっと……彼の姿を見てからずっと、彼女のことを思い出して、ボクの心をざわめかせていたのは、キミだよ、お花。ボクも……確かに割り切った、なんて言葉を使えるようなやつじゃないけどさ。キミは、ずっと心の中で、心のどこかで……思っていたんじゃないかな。──
「"……"」
「"あの時、彩は……ボクを勝たせてくれた。十連勝、させてくれた。……子供騙しだけどさ。言葉遊びになっちゃうけど……彼女を超える、良い機会だよ。良いのかい? ボクの最高の斬魄刀が、いつまでも……誰かに負けたまま、なんて"」
「"……。……はぁ。
「"ならないように叱ってくれたらいいし、助けてくれたらいい。もしなってしまったら、きっつい張り手でもして引き戻しておくれ"」
「"……良い。十連勝でも二十連勝でもさせてやろう。今日は……この場を借りて、おんしと遊ぶことにする。……任せておけ"」
浮上する。
してみれば──ざわめきは収まっていたし。
「……カカカ。その舐溶飴、蜂蜜味であったか」
「あん? 食う前からわかるもんなのか?」
「若いのぅ西紀。京楽の雰囲気が変わったことに気付けなんだか。これは、これは。十連勝、本当にされるやもしれぬな」
「少なくとも、十一連勝はさせてもらおうかな」
「良い──では、いざ」
お花基準、一割程度なれど、男前が増した、……とか。
その後、お花が逆骨の手を見て、京楽がそれっぽいことを喋りながら手札を理解して宣言する、というとんでもなくしょーもないイカサマをしながら、京楽は三十連勝し、逆骨から高級且つ一点ものであるという雅な柄の刀掛台を物々交換の品として譲り受け、ほくほく顔で帰ったそうな。
なお、西紀は元手の二千環を全てスった挙句、一万五千環負けたそうな。
悪いことを考えるとバチが当たるものである。