卍解までは転生者の嗜み。 作:点差惨敗
話を聞いた。
刳屋敷さん、そして大鬼道長には彼らの想像通り……認識に作用すると思われる霊子異常があったので、封殺した上で除去させてもらった。
まだ鏡花水月かはわからない。逆撫の可能性だってある。
けれどこれでわかった。
僕の卍解で認識系の始解は噛み殺せる。鬼道の認識支配系で何度も試しはしたけど、始解はまだだった。単純に総数が少ないし、僕が卍解を見せるほど信用に足る相手に認識支配使いが居なかった、というのが今まで試せていなかった主な理由だけど、ちゃんと効果があるようで何より。
それはそれとして……もし鏡花水月なら、これはやっぱり、"仕掛けてきた"と判断すべきだろう。
「鋸歯文はここに軟禁するか、滑川」
「それが良いと、思ってしまいますね」
「卯ノ花の治癒力だと言い張るのは難しいか」
「私も精進していますが、この速度で、そして一切の障害を残さず、というのは難しいものかと」
大鬼道長がこんなにも早く恢復したという事実は、こちらの治癒力……あるいはその先の、犠牲鬼道をどうにかして使用できる手段がある、ということの露見に繋がりかねない。となればしばらくは軟禁して……隠密機動の装束などで顔も肌も隠した状態で過ごしてもらうべきだと思う。
なお、刳屋敷さんには事情を話してある。一気に増やしすぎかもしれないという思いはありつつも、その人柄を信じることにした。
「刳屋敷さん。先程ここに入ってきた時、本当にいたな、と発言していましたが……あれは、誰から?」
「それは、ワタシですよ。朦朧とする意識ではありましたが、ナメカワに……頼りました。あなたはワタシが逝くことに……耐えられはするのかもしれませんが、さらに深く心を閉ざしてしまいかねませんので」
「その時、他に誰かに聞かれていたか、などの確認は」
「してねぇ。虚を殺し、こいつをそこへ連れていくことで頭がいっぱいだった。……すまねえ」
そうか。
……なら。
「今回の会議のあと、ここを放棄しましょう。
「良い警戒だ。……成程、数百年間たった一人で戦ってきたんだったな。やるじゃねえか、坊主」
……。
……少し。……いや。
「あそっか、平良君って技術ばっかだもんね、褒めら──」
「鹿取さん。そろそろ思念を勝手に読むのやめないと、恐ろしいことをしますよ」
「ん、んっ? なにそれ? どういうこと?」
「こういうことです」
彼女に対し、心を偽る要領で──爆音を再現する。
「!?!??!??!??!? み、耳が……と、とれれれれ」
「まぁ最近の鹿取はちと無法がすぎた。良い仕置きじゃ。別に読むなとは言わぬし、今回のように益に働く場合がほとんどなんじゃがの……」
「思念で轟音でも発声したって感じか? 意味わかんねーけど。んで、移設ができるなら賛成だ。迅速な行動も評価する」
「しかしそうなると、大鬼道長を匿っておく場所が無くなってしまいますね」
その通りだ。だから隠密機動風に──。
「そのことなのデスガ。……ワタシは、何事も無かったかのように振る舞うつもりでいます。ナメカワは気付いていると思いますが、此度ワタシが自身の身体を繋いだ結界は空間転移にほど近い鬼道。禁術一歩手前……というか、一度禁術になり、それを禁止した四十六室の賢者が亡くなったことで解禁された、という経緯を持つ術です。その使用に加え、以前ナメカワが仰っていた回帰……時に手を掛ける回復技術に近しき治癒量を前にした時、敵はワタシのことも警戒せざるを得ないはずです」
「……成程。滑川だけに向く敵意を引き受ける気か」
「であれば、私もそういう業が使える風な
……。
それは……確かに僕からヘイトが分散するけど、それは。
「もう一度確かめてみる、ってな風に判断されたらどうする気だ。鋸歯文、今度は俺がそばにいるとも限らねえぞ」
「そもそも今回やられたのは油断が原因です。もう少し霊子密度を上げて生活しますよ」
「霊子密度を上げる……。……以前滑川君に教えていただいた鬼併装の概念の基となるものですか。もしやあなたも使用が?」
「フフ、ナメカワのような精度ではありませんがね」
……これも、体重を預ける、ってことか。
そうだよね。そんなリスクは全員に言えることだ。それを……僕が全員について回る、みたいなことはできないわけで。
「わかりました、それで行きましょう。ただ、基本はここにいる人たちで、最低二人組になるよう行動しましょう。孤立するのは敵の思うつぼです」
「そうしましょう。──では、解散でよろしいですか?」
「いえ、もう一つ」
懐から取り出すは、結界で包まれた細い細い霊子の針。
「大鬼道長、これはあなたの魄睡の中に打ち込まれていました。覚えはありますか?」
「……イエ。けれど、滅却師のもの、というカンジはしませんね」
「はい。大鬼道長の体断面も、霊子結合崩壊が起きていただけで、結合阻害はされていませんでした。そうですよね、千日さん」
「おう」
霊子というのは単体だと分解する力の方が強い。何物ともくっつこうとしないのが霊子だ。器子は逆にくっつきたがる。
で、魂魄という入れ物があると、霊子はそこへ自ら集まるようにしてぎゅうぎゅう詰めになる。それが死神の、ひいては霊体存在全ての身体を作っている。
霊子はそうやって押し付けられることでようやくくっつきたがる性質を持つ。『緩衝霊子』と同じ。普段は大気がごとくサラサラだけど、強い攻撃を受けると盾のように硬化する、ってやつね。
だから腕が両断されたり胴が両断されたりした時、そのままくっつけるだけじゃ結合崩壊は免れない。回道でそのくっつきたがる力を無理矢理叩き起こすしかないわけだ。回道のやっていることは基本的にはこの霊子状態を無理矢理活性化させてくっつかせる、って行為ね。
滅却師の結合阻害、及び滅却の力は、このくっつきたがる性質を殺す。虚の超速再生もこのくっつきたがる性質を利用したものであるから、滅却師の力で引き裂かれた霊子は死神・虚ともに治癒し難いものであると言える。
けど、今回はそうじゃなかった。阻害ではなく崩壊の加速に近かったように思う。霊的存在を構成する霊子を自然物に戻そうとする働き、って感じだった。
──それはつまり、急速に
「老い……ですか」
「確か、十刃というのに」
とはいえ、僕の知っている『老い』使いことバラガン・ルイゼンバーンの能力なら、多分治癒なんかできない。あれはもっと絶対の権能……その姿形からしても、遥かな過去にて凝縮した本物の死のカタチとかそんな感じだと思う。
回帰も使わずに治癒ができたこれは、あくまで崩壊を促進する程度のもの。
「……模倣、ですか」
「はい、卯ノ花さん。僕もそう考えました」
模倣。模倣体。
僕らが苦しめられたものの一つ。
たとえばそれが……劣化模倣体が、強大な虚に適用されたら。
今虚圏がどうなっているのか不明だけど、ザエルアポロ・グランツとバラガン・ルイゼンバーンが合流した頃であるとするのならば。そして……史実より力をつけているザエルアポロ・グランツが、バラガン・ルイゼンバーンの軍門に加わらなかったのならば。
バラガン・ルイゼンバーンの力を攻略するために、似た能力を研究していておかしくないんじゃないか、って。
そこへ……さらにオサレ眼鏡が取引なりなんなりを持ちかけていた場合、だ。支配ではなくまだ接触段階であるというのなら、此度の実験に協力していた理由になるんじゃないか、って。
「憶測が多すぎますが、大筋は間違っていないとは思っています。そしてこの針は、その『老い』の劣化模倣体が使う技の基点となるものと推察されます。よって次にまた似たような虚と敵対する場合は大鬼道長のように霊子密度を増幅させるのが最適解です。刳屋敷さんが防いだのに大鬼道長に当たったという話も、それが波のような性質を……回り込む性質を持っていたのだと推測できるでしょう。刳屋敷さんの身体を透過した、なんてことができるなら、普通に刳屋敷さんを殺した方が良いと思うので」
「確かになー。鋸歯文より脅威だよな、刳屋敷は」
「そうか? 俺にそんなつもりはないんだが」
「おぬしは零番隊から尸魂界内での卍解使用を禁止されている、ということを忘れるでない。それほど脅威に見られているということじゃ」
「そこについては忘れちゃいねえが、鋸歯文みてぇに多数の手数があるわけじゃねえから……っと、すまん、遮った。俺の話は良いから、続けてくれ」
「いえ、振った僕も悪いでしょう。……続けます」
まだ崩玉は無いはずだ。だというのにこの動き。……あらゆることが加速していると考えた方が良い。
それでも、だ。
十刃成立前の七刃。過去に蒔いた種。もしザエルアポロ・グランツが藍染惣右介に靡かなかったら、もしバラガン・ルイゼンバーンが藍染惣右介に屈服しなかったら。認識支配に対抗する手段を彼らが備えていて……という場合。
東仙要もいない。市丸ギンと松本乱菊は僕の影を帯びさせる。
徹底的に──藍染惣右介を核とした組織から、存在を剥がすための下準備。
もう護廷で暗躍することは難しいと思ってくれたのだとしたら最高だ。流魂街の事件さえ無くなるかもしれない。
虚側も支配下に置けないとなれば、あるいは、彼一人で王鍵の製造のための暗躍を開始するかもしれない。……けどそれだとイッチーがマズいか?
とはいえ……だとしても、もうどうしようもない。イッチーが生まれなかったら産絹彦禰を作り出すしかない。まぁ、バラガン・ルイゼンバーンとザエルアポロ・グランツがいないだけの十刃になる可能性もあるが。その従属官もか。
此度の事件は、その余波であると考える。犠牲を受け入れるつもりは、さっきまでは、感情を殺して善しとするつもりだった。
けど、その予定を変えるのならば。僕が起こした波は僕が鎮めなければ。
「今から僕と大鬼道長で、皆さんに霊子密度増幅のやり方を伝授します。……正直これは零番隊からの声かけ案件にほど近いため、公開する気はありませんでした。ですが、どうやらそうも言っていられない……というより、皆さんに不義理であると考えます。なので、これを皆さんの……というか、全隊士に伝えることも止めません」
「……滑川」
「……はい」
「それはつまり、助けられる命の選択を、零番隊からの勧誘を恐れ、出し渋っていた、ということかの」
「はい。僕の持つ技術と知識は、ほとんどがそれを壁としてお伝えできていません。僕はその勧誘を……というか、技術が露見し、広い場所で閲覧されかねない、という状況を好ましいと思えないのです」
「……」
「んー、技術か。装置なら庇えたが、純粋な技術となると難しいな」
不義理を言うなら、最初からだ、という話だろう。
死を回避する術を知っていたのに黙っていた、というのは。
「坊主、何落ち込んでんだ。そんなどうでもいいことでいちいち落ち込むな」
「……どうでもいい、と言われましても」
「ん? いやだから、お前はその技術を俺達に教えてくれるんだろう。零番隊からの勧誘があるかもしれないから黙っていた、ってのは、正直俺にはわからないが、何かがあるんだろう。お前が己の保身だけで行動する奴じゃないっていうのはこの短時間で理解できてる。そんで、その行為で救えたはずの命が救えなかった、なんてのはしても意味のない後悔だ。これから助かる命にだけ目を向けろ」
「……そう、ですね」
「あとな、山本総隊長も、今のは聞き方と言葉選びが悪かった。聞いたあとに黙ったのもな。別に総隊長に坊主を糾弾する意思は無いんだろ?」
「うむ? そんなものは無いぞ。黙っていたのは、零番隊からの勧誘、あるいは技術の露呈をどう防ぐか、というのを考えていただけのこと。おぬしが眼前での命の損失を良しとする性格ではないことは、先のやり取りで充分理解したゆえな」
「え……」
「それが悪い。この坊主は数百年間たった一人で戦ってきたんだ。つーことは、やることなすこと自身にしか責任が無いと考えがちになるのも無理はない。山本総隊長含むここにいる全員が前を向き、前に進んでいたとしても、坊主との足並みは揃っちゃいねえんだよ。なんせ坊主は前だけじゃなく過去も現在も、一つ一つ確認しながらじゃねえと進めねえ性格だ。誰よりも臆病だ。そういう性格で、自分が悪いと思っているやつを放って、黙って策を講じる、なんてことの先に待っているのは相互不理解による疎遠だけ。それを考慮しないのは愚策と捉えるぜ、俺は」
「……声色で伝わるか、と。……勝手に思うとったが、それは、傲りじゃったな。……すまぬ、滑川。儂はただ、おぬしの懸念をどう打ち崩してやれるかを検討したかっただけじゃ。糾弾するつもりはないし、四楓院のように庇えるなら庇うつもりでおる」
そう……なのか。
それは。
「時間が惜しい状態でこういうすれ違い行き違いは御免だ。その上で、坊主、今お前に求められているのは後悔じゃなく対策だ。お前の知恵を貸してくれと言っているんだ。未来がどうのとか、技術がどうのとかは、後で一緒に考えてやる。何時間でも話に付き合ってやる。だが、今だけはすまねえ、時間が無い。それはお前が一番わかってるだろ?」
「……はい。その通りです。……ありがとうございます。ちょっと……十一番隊に行きたくなりました」
「ん、ああ、大歓迎だ」
「やらんぞ、刳屋敷」
「冗談です。……大鬼道長、霊力回復はお済ですか?」
「半分と言ったところですかね。それでも霊子密度増幅は教えられますよ」
「なら問題ありません。概要をさらっと講義し、実戦形式で教えます。よろしくお願いいたします」
そうだ。さっきから……大鬼道長の両断されたところを見てから、何をうじうじとしているんだ。
とっくに覚悟は決めていたはずだろう。……絆されたとかそういうことじゃない。結局その覚悟が甘かっただけだ。
気合を入れろ。僕はもう彼に……藍染惣右介に喧嘩を売ったんだ。余計な後悔よりも、有益な知恵を吐き出し続けろ。
……言葉を惜しんだすれ違いや行き違いで、疎遠になるケース。
そうだね。この数人の中でそれが起きるのなんて考えたくもない。その第一例になるところだった。
……刳屋敷さん、僕より年下のはずなんだけど……なんていうか、大人だなぁ。
*
それなりの時間はかかったけど、無事彼らに霊子密度増幅を教えることができた。
この技能は滅却師の
どちらかというと鋼皮に近い技術だ。あれは体表付近に超密度の霊圧を纏うもので、こっちは全身の霊子密度を増幅させる、というもの。
そういう意味では超薄・安全特化の
単純な防御力も3%くらい上がるけど、メインはそれじゃなく、体内へ侵入するタイプの攻撃を防御することにある。特に今回のような鋭利で細いものなどは完全に防ぎ得る。ただし、回道や麻痺といった霊子そのものをどうこうする攻撃にはあまり意味がないから、これだけで良い、というわけではない。
それでも……恐らく達人が修練を続ければ、防御力はさらに跳ね上がる。それこそ鋼皮のように、死神だけが持つ特殊硬化体表装甲、みたいなものになり得るのだ。
3%でさえ結構な数字なんだ。それが、10%、15%になるだけで十二分だろう。名称は『霊鎧』とかかなぁ。
今はみんな各々の隊舎へ帰っている。個人行動厳禁とは言ったけど、隊長同士がずっとそばに居続けるというのは難しいので、一人でいる時は舐溶飴を、また八時間に一回乖霊剥離の膠飴を舐めてもらう、ということで落ち着いた。
既に『全力部屋』は破壊済み。それら素材を一度粉砕・分解し、新たな『全力部屋』を構築中。流石に一日で、とは行かない。
また、行動範囲の広い千日さんはしばらく目を瞑って仕事にあたるらしい。瞬歩も回道も、別に目を開けている必要は無いんだとか。刑軍怖い。
……というわけで、一応、ちょっと落ち着いた。
落ち着いたら……自罰ばかりしていた自分がちょっと恥ずかしくなってきたというか。
そして刳屋敷さんに……死んでほしくないと、考えるようになった、というか。いや、初めから痣城剣八に好き勝手させるつもりはないんだけどね。
さて、いつも通り鬼道の改良を──と思ったら、お客さんを知らせるベルが。
「はぁい、いらっしゃい──」
「──うぅ」
「へ?」
お客さん。それが、扉を開けた瞬間にぶっ倒れた。
……ん、なに? 完全催眠? 始解するけど。
……違う、のか? 卍解で確かめたいけどちょっと今は無理だな。
「どうされましたかぁ?」
「……」
「ええと、四番隊を呼びますねぇ?」
返事は──ぐぎゅごぎゅるぐるぐりごぎゅる、という初めて聞いたレベルの空腹音。
……えっと、つまり行き倒れ人形……じゃない、行き倒れってこと? うちで? 迷惑な。
まぁ……別に、見捨てたりはしないけどさ。四番隊への連絡は……外傷とか無いっぽいし、良いか。
えーと、じゃあなんだ、無理矢理なんかを食べさせると窒息の危険性があるから……いや、胃に直接穿点を……ちょっと危険すぎるか。
鶏がらスープの匂いでも嗅がせて起こして、食べさせればいいかな。
金髪……というかプラチナブロンドの少年。この時期でこの髪色というと、もしや鳳橋楼十郎か? ……あり得なくは……いやいや、貴族だよ彼。あとそうなら六蘭さんに連絡するけど。
なんてことを考えながら自作だしの素を溶かしたスープとか、おかゆとか、消化にいいものを用意すること十数分。
「ぅ……」
「あ、起きましたかぁ?」
「……ここ、は」
「まぁ状況判断は後でしてもらってぇ。お腹空いているなら、これらをどぉぞぉ」
しかし……流魂街ならともかく、一番隊隊舎付近のここで行き倒れ、ねえ。
さすがに何かを疑っちゃうけど……これがオサレ眼鏡の計画なら、あまりにもあまりにもすぎる脚本じゃない?
僕の善性に全BETしたってこと? だとして四番隊にそのままポイの可能性だってフツーにあったと思うけど。
そんな胸中の僕の前で、少年はごくんと生唾を飲んだ後……そぉっとスープに手を伸ばし、匙で掬ってそれを飲んで。
「え、お、美味し……」
「口にあったようでなによりですよぉ。……じゃ、僕はお店の方に戻るのでぇ、ゆーっくりどうぞ~。あとこれ、食後十分くらいになったら舐めてくださいねぇ。弱った胃腸を助ける舐溶飴です~」
鶏がらスープは実は古来……飛鳥時代から日本にある食べ物だ。完全な定着は明治時代のはずだけど。
だから、馴染むだろう。鶏がらスープ苦手な人あんま見たことないな、の精神でチョイスした。コンソメスープも年代的に入ってきてるはずなんだけどね。もうザビエル来てるはずだし。……リアタイを逃したのはちょっと残念だったり。この三百年色々忙しくて現世に行く暇なんてなかったんだよなぁ。
まだまだ胃腸が弱いのだろう、少しずつ少しずつ食べている少年を置いて、全体のセキュリティを向上させた上で店へと戻る。
僕の経験則上、こういうのは天丼が起きるんだ。そう、こうして待っていると、次なる行き倒れが──。
──現れることはなく。
「本当に……本当にありがとうございます……」
「いえいえぇ。ただまぁ、一応お聞かせ願えますか、ね。どうしてこんなところにいたのか。この辺ちょっと……普通にしてたら迷い込まないところなんでぇ」
「ああ……その、……実は迷っていて」
ん。今普通にしてたら迷い込まないって言ったよね僕。
「二番隊隊舎に呼び出された後、真央霊術院に帰っていたはずなんですけどね……」
「……二番隊隊舎から真央霊術院なら、まっすぐ南下すればいいだけですけど……どうやったらそれを東進と間違えるんです、か?」
やはり罠かこれ。結界張って卍解すべき?
「やっぱりそうッスよね……? だから僕も、そうだって思って、二番隊隊舎からまっすぐに南下して」
「ん、もしかして……建物とか全無視して南下した、ってことですかぁ?」
「はい。知識に従うべきだと思って」
うわぁ。……いやね、確かに二番隊隊舎からまっすぐ南に行くと、一番隊隊舎のある道に突き出る。でもそれは建物をガン無視した場合だけだ。
普通に道なりに南下すればすぐなのに。
……と、普通の人なら思うかもしれない。
うーん。……伊達に僕は霊術院で百年を過ごしたわけじゃない。いや半分は統学院だったけど。
だから、その履修課程で何を習うのか、は大体把握している。
地理。特に瀞霊廷は「入ってはいけない場所」が多く存在するため、瀞霊廷内の地理情報の教育は欠かさないはずだ。……それを考えると、ちょっと鵜呑みにはできないかな。
「……申し訳ありません。命の恩人に……嘘を吐きました」
「ですよねぇ?」
そういう思いでじぃっと見つめていたら、吐いてくれた。良心の呵責に耐えきれなかったかな、これは。
「その……実は、もう二番隊への入隊が決定している……というより、初めから決定していた上で、真央霊術院に通わせてもらっていた、っていう状態だったんです」
「あぁ……刑軍関係の話ですかぁ?」
「はい。その、他言無用というか、口外してほしくはないんですけど」
「大丈夫ですよぉ。僕、四楓院家と個人的な繋がりがあるのでぇ、お友達の不利益になるようなことはしませんから、ね」
「し、四楓院家と? そ……それは、逆に僕、終わったかな……」
……確かに。他言無用なことを明かした相手に四楓院家との繋がりが、って、普通に考えたら絶望だな。
まぁ千日さんに要相談か、その辺は。
「えっと……それで、その訓練の一環で、一日一食未満で三十日間を過ごし、当然霊術院にも通う、というのをしていて。朦朧とする頭で歩いて、だから、迷ったっていうのは本当なんです。どこを歩いたかもわかってなくて、その」
「それはぁ、虐待ですねぇ?」
「えっ」
えっ、じゃないよ。虐待だよそれは。
……ほんとにぃ? 『利暁』関係でより一層クリーンになった瀞霊廷内でそんな虐待起こる? なんか勘違い起きてない?
「空腹の極限状態で過ごす鍛錬自体の意味はわかりますよぉ。けど、霊術院での学習中にこうして行き倒れるほど食事が無いのはぁ、普通に非効率ですから、ね。それなら霊術院に通っている意味がないといいますかぁ」
空腹は学習効率を著しく下げる。食後の血糖値スパイクで眠くなったりなんだりの関係上早弁はご法度なんだけど、一日一食未満……つまり二日に一回か三日に一回くらいしか食事をしない、というのは脳の学習効率へ酷い影響を与えることだろう。
もし刑軍のデフォルト訓練がそれだというのなら、僕から口出しするよ。流石にそれは馬鹿デース、って。
「だから言いますねぇ。流石にそれは馬鹿デース」
「はい? ──って」
「おう。いやまぁ刑軍のやってることの全てを把握しているわけじゃねえんだ、オレもう当主じゃねえから。だが、確かに非効率だな。それ以前にちょいと事情がおかしなことになってそうだが」
それでなんとか状況を説明したら、ものの数十秒で現れた、と。どういう瞬歩してるんですか?
「オマエ、名は?」
「あ、はい。浦原喜助と」
──え。
一瞬千日さんが僕を見る。アイコンタクトで否定する。
知らなかった。……いや、いや、わからないって。
だってかなり若い。青年とは言えない、少年くらいだ。
無精ひげも無い。ストライプな帽子も、下駄でもない。当然ではあるんだけどさ。
確かにいると、言っていたか。真央霊術院に。
……すぐには繋げられないって。
「どこの所属だ」
「所属は……現状は、無い、が正しいです」
「まとめ役からは何て言われた?」
「その、極三様からは、夜一様の幼馴染になってくれ、と。今の僕は、そのための訓練を積んでいる次第……です」
っていうか夜一さんもう生まれてるのか。
「……極三の指示か。……んー。口を出そうと思えば出せる。が、オレから言うよりは暮七に言わせるべきだなー。……これが汚職……極三がオレにも暮七にも隠して何かやってる、って可能性もある。その証拠がオマエになるわけだから、そうだな。……平良、すまねーけど七日……十日くらい、こいつを匿ってやってくれないか」
「えっとぉ?」
「家に帰すと消されかねねえんだよ。
「……まぁ、構いません、よ。どうせ数日は動けないわけですし、ね」
「そうか、じゃー頼む。この近辺にはオレの私兵を置いておく。もし刑軍モドキが連れ戻しにきても、店、じゃねえや、出張所の外に出なければ安全だ。死体の三、四体は積み上がるかもしれねーが、朝には掃除が終わってるはずだから安心しろ」
物騒すぎませんか。刑軍こわいよぅ。
「この十日間で健康状態は取り戻しておけ。こいつの作る料理は絶品だし、薬にも信頼が置ける。わかるな? 四楓院千日が信頼を置いているんだぜ」
「はい……」
「よし。……じゃあな、平良。さっきは凄んで悪かった。もしかしたら何かとんでもねえ悪事が芋づる式に割れるやもしれねえ。助かったぜ」
「いえいえぇ。ああまで言ったのにど忘れして伝達入れた僕に非がありますから、ね」
んじゃ、と言って瞬歩で消える千日さん。
……浦原喜助、か。
これ、彼がいる時にオサレ眼鏡来た場合が最悪か? いやこんなところでお互い露呈はさせないだろうけど。
「えっと……よろしくお願いいたします。千日様のご友人の……」
「滑川と言いますよぉ。そう堅くならずにぃ。僕自身は四楓院家の一員とかじゃないですから、ね。あ、でも、一番隊の七席ではあるのでぇ、誰か死神が来ている時は、それなりの敬意を払ったフリをしていただければぁ」
「一番隊の……七席。それに、滑川って……まさか、舐溶飴の考案者の……そして『鬼道の通り道』の著者の……?」
「はぁい。あ、そうかぁ。霊術院で見かけました、か?」
「はい、読んで……世界が広がりました。そこから色んな鬼道に関する本や霊子に関連する書籍を読み漁りましたッスけど、滑川サンは、僕らとは一つ以上違う視座から霊子というものを理解している、と感じました。文章も……まるで、高次の存在が低次の存在のために、自らを低次元に折り畳んであげた上で、そこしか理解できない人達のためにわかりやすい言葉を使ってくれている、みたいな……」
いやぁ。
君達さぁ、そんなに似てて、どうして友達になれないのかねぇ。
「感じ方はどうぞお好きに、ですけどねぇ。まぁ、僕はそんな風には……見下したりはしていませんから、ご安心をぉ」
「あ、いえ、そういうつもりじゃないんス。……そ……それで、その、千日様のお話通り、十日ほど……お世話になる、わけですが」
「はぁい。鬼道を教えてほしいとかそういう話です、か?」
「はい、ッス。無茶苦茶な……図々しいお願いだとは、理解してるんス、けど」
ですますがこっちの調子に変わってくると、ようやく浦原喜助っぽさが出てくるな。
緊張が緩んだか。
「良いですよぉ。ただ、無償だとあなたは気を遣って遠慮してしまいそうなのでぇ。……まぁ、十日間、ここでちょっと働いてもらいましょうか、ね。勿論霊術院には通いながら……なんで、帰ってきてから、少しばかりここの品物の整理とかやった後、霊術院の勉強や、鬼道の勉強をしましょうねぇ」
……ちょっと過密かな、とは思うけど、どうだろうか。
「よろしくお願いいたします、ス」
「はぁい、じゃあそれでぇ」
ということで。
臨時バイト──浦原喜助、である。
*
浦原喜助の朝は早い……はずだった。
早朝四時には目を覚まし、身支度を整え、出張所前の掃き掃除をする。
終わり次第売店の掃除に取り掛かる……つもりだったのだが。
「ああ、大丈夫です、よ。外の掃除も、基本はする必要が無いのでぇ、君はゆっくりしていてくださいねぇ」
「は……はい、ッス」
まだお姿を見たことの無い夜一様の"幼馴染"となるべき積み込まれてきた訓練。
どこにいたとしても彼女に快適を与えられるようにと叩き込まれた家事炊事掃除の──その全てが、先回りされている。
滑川平良。そうきびきびと動く人間ではない。ゆったりのほほん。縁側でお茶でも飲んでいそうな空気の少年。
年の頃は浦原とそう変わらないように見える──なんなら幼く見える──が、『鬼道の通り道』の発刊年数から考えると少なくとも五百歳以上である。
霊圧は正直言って大したことがない。今の浦原とそう変わらないくらいかもしれない。害の無い存在にさえ思えるほど、こう、老齢な死神が持つ重厚感が無いというべきか。
ともすれば、本当は滑川平良というお爺さんがどこかにいて、この子供は身代わりなのではないか、なんて思ってしまうほどに覇気がないのだ。千日にお墨付きを貰っていなければ疑ってしまっていたことだろう。それほどに。
──『鬼道の通り道』。
滑川は「見かけたことがあったか」と言ったが、恐らく霊術院生でこれを読んだことのない存在はほぼいない。
堅苦しい文章の教本と違い、柔らかく分かりやすい文章である、というのが一点。教師に愛読者が多いため、生徒に読書を勧めることが多い、というのが一点。
なにより鬼道を志すのならば、既に「読まなければ始まらない」というほどのことが書いてあるというのが他を占めるだろう。
そして、それだけではない。さらに踏み込んだ者にはわかる。
これはこの世の真理の一つである。この本の内容を知っているのと知らないのとで、恐らく生存率に大きく差が出る。強くなる、あるいは手数を多くするためには必須級の一冊だ。
霊子とは何か。鬼道とは実際に何をしているのか。始解、卍解とはそもそもなんであるのか。
この目に映る世界とは、果たしてどういう世界なのか。
浦原自身、生来より霊子の知覚能力に優れていた。ゆえにこそこの言語化は、彼の進むべき道を固定したと言えるだろう。
また、滑歩というものの在り方も彼にあっていた。滑川や千日に対しては堅い態度の抜けない浦原であるが、霊術院ではのらりくらりと過ごしている。この、ぐにょぐにょうねうねした動きを基本とする歩法は、その過ごし方に合致し、既に日常生活で使うほどにまで昇華されている。
さて、現実に視点を戻そう。
やることなすこと先回りされていてまったくやることのない早朝を乗り越えた後、朝食が出る。
白米。焼き魚。和え物。味噌汁。
献立的に尖ったものは存在しない。だというのになんだろうか、この食欲をそそる匂いは。涎が止まらない浦原。
「どうぞぉ」
「いただきます」
行き倒れの先で食べたものも美味しかったが、これもまた絶品だ。
頭をガツンと殴られたのではないかと思うほどの悦び。適切な栄養素が体内を巡り、脳が活性化する。
「まだ胃腸がだめそうならぁ、この舐溶飴を舐めてくださいねぇ」
頷いて了解を返す浦原。普段はこのような行儀の悪いことはしないが、夢中だったのだ。
医食同源とは言うが、まさに、なのだろう。
「朝ごはんはねぇ、食べた方が良いですよぉ。頭、回りませんからねぇ。空腹だと」
なんてコロコロ笑う滑川。
食べて、食べて食べて。
気付けば、完食していた。時間が飛んだのではないかと思うほど一瞬の出来事だった。
その後、霊術院へ赴き、勉学に励む浦原。
頭の回転が明らかに良い。ひらめきも膨大に湧いてくる。
ただ──同時に、疑念も湧いてくる。
どうして彼は七席なのだろう、と。
仮に戦闘技能に優れないのだとしても、あの知識を副官に欲する隊長は多いはずだ。
鬼道の改良をしているとの話だったが、それを差し置いてもあの場所……出張所に縛り付けておくのは勿体ないのではないか、と。
「滑川について? ……すまんが、住所なんかは教えられんぞ」
「いえ、人柄とかを聞きたくて。ここに在籍していたんスよね?」
「ああ。といっても五百年前とかだがな」
「……先生たちも、長生きスよね」
「おかげさまで、だがな。……少し待っていろ。あいつが『百年浪人』と呼ばれていた頃に使っていた教本と書き取り帳が残っている。後輩たちに有益かもだから、などと言って残してくれたものだ」
「え。……良いんスか、見ちゃっても」
「『鬼道の通り道』の発刊前のあいつの話、なんてのは教員くらいしか知らないからな。こうしてあいつ自身に興味を持ってくれたのは良いことだと思うよ」
思わぬ所でお宝に巡り合ったッスね、とは浦原の胸中。
しばらく待つと、教師がそれを……書き取り帳等を持ってきた。
「と言っても、解読できるかどうかはお前次第だ。頑張れ」
「へ?」
それを開けば。
──明らかに意図的に潰してある字。ギリギリ読み取れるけれど、初見では読み解き難い。そういう字。
暗号でも読んでいるかのような気分だ。
「しばらく貸し出してもらうことって」
「普通なら許可しないが、お前ならば大丈夫だろう。管理は厳重にしてくれ。価値というよりは、俺達にとっても大切なものなんでな」
「勿論ッス。……それで、人となりは」
「ん、ああ。んー。滑川の人となりか。まぁ……俺達を心底舐め腐ったクソガキ……ではありつつも」
「え゜」
「ではありつつも、だ。……死神に向いていない精神性と、なんでもかんでも背負い込む悪癖と、できるのにやらない態度と……ああいや違うんだ、クソガキ要素を列挙しているわけではなく」
「ふむ。私達教師を明らかに下に見た言動……」
「普段の授業の、まぁまぁ、これくらいで平均点ちょい上でしょ、みたいな態度も追加で」
「在籍期間中は今言われている神童みたいな評価じゃなかったのは間違いないなー。と言っても伸び悩んだ院生にぶつけると良い起爆剤になるから、結構重宝していたが」
「あいつ絶対百年に調整してたよな。成績とかぱっと見はどうにかこうにか、って感じだけど、百年間を統計としてみると偏り出るし」
「隠密課程が出てきた時とか明らかな調整してたよな。なんだよ何も無いところで転ぶ、って。オマエが歩法を開発するくらい肉体操作と重心移動に長けてるって知ってんだぞこっちは」
「あ、あのー……?」
集まってきた古株の教師たちにより不平不満の大合唱。
人となりを知るためにはこれ以上ない情報だが、あまりに今の彼と合致しない。
「つまり、非常に不真面目で、舐め腐ってて、嫌な奴、という……こと、ッスか?」
「……難しいんだ、それが。在籍中は大方その通りだった。嫌な奴ってわけじゃなかったし不真面目ってわけでもなかったんだけどな。舐め腐っていて、色々できるくせになぜか成績が低くて。……それでも、なんというか、全体を押し上げようとしていた感じはあったな」
「ああ、それは私達も感じていたよ。どうにかして霊術院生全体の質を押し上げようとしているかのような気概。授業を遅らせることを理解した上で、知識を文字としてしか理解していない院生に理解を与える、とかな」
「あったあった。体術とかまさにそんなんだったな。何が有効で何が有効じゃないのかを、知識ではなく理解として叩き込む。そういう意味ではあいつは、院生時点で教師だった」
「そんで、……卒業してみたら、なんだなんだ。目覚ましい功績しか残さない。滑歩についてを教えにきてくれた時も、なんというか鼻が高いというか、本当にこいつは滑川か、と何度も疑うほどで」
「総合して言うなら──あいつには多分、何か別の目的があったんだろうな、とは……思うかね。百年の留年には何か意味があったと思えてくるんだ。本人に言ったところで、"ぎくぅ"なんてふざけた鳴き声しか発さんだろうが」
何か目的がある。
──それについては、浦原も感じていた。
鬼道の改良。鬼道への理解の普及。
まだ全部を見たわけではないが、あの売店の売り物。舐溶飴。
それと……浦原の勘がおかしくなっていないのなら、先日発表された『様身体』も恐らく。
何か、一つの目的のために、できるだけ多くの準備をした、という痕跡。そう思えて仕方がないのだ。
その目的とは。
「ま、色んな奴に聞いてみるといい。無駄に長生きだからな、色んな奴があれの人となりを知っているだろう。古い死神が狙い目だぞ」
「古い、って……失礼すぎませんか……?」
「ははは、大抵ここの教え子だ。大丈夫大丈夫」
四楓院千日とまで交友関係を持つ少年。
聞き込みはいつかするにしても、まずは与えられたこの十日間を……彼自身から鬼道を教わることのできる十日間を大事にしなければならない。
──世界に色がつき始めた、そんな一日目であった。