卍解までは転生者の嗜み。 作:点差惨敗
夜の闇は ぼくらを癒す
月の光は ぼくらを導く
こんなにも 優しい世界で
ぼくらは 互いの 血を啜る
こんなにも 淋しい世界で
ぼくらは 死骸に 身を窶す
死神。
「よぅ更木、おはようさん。今日はどこも行かねえのか?」
「更木六席、まだ眠いのであれば仮眠室へどうぞ。廊下で寝られても困ります」
「どうした更木。目を瞑って……いや、気配を読んでいるのか?」
強者。
高い霊圧。洗練された、練り込まれた霊圧。
これには、覚えがある。
「……テメェは、
「正しいが、少なくとも職場では狩能三席と呼べ。俺は気にしないが、周囲に示しがつかん」
「そんで……そいつが累で、座ってんのが智久だ」
「どちらも正しいが、智久は斑目五席と呼べ。紗咲はそのままでも良いが」
「はっはっはァっ、別に気にしねぇから良いさ、狩能。こいつは刳屋敷隊長ですら呼び捨てなんだからよ」
「ならば更木は良いにしても斑目、お前は俺を狩能三席と呼べ」
「うげぇっ、こっち来た!?」
強大でない霊圧にも、クセのようなものがある。
生物のいない泉の水面のように、澄んでいて静かで、境目を見分けるのが難しい霊圧。己のものよりもさらに粗くギザギザとしているのに、拡散せずに束ねられている霊圧。
彼──更木にとって「強い奴の霊圧」か「雑魚の霊圧」の二つしかなかった世界に、昔は余計な情報だと切り捨てていた要素が加わっている。
そして奥にいる二人。
静かではあるが──大顎を開いた鰐を彷彿とさせる霊圧の刳屋敷と、強大な角のようなものを持つ牛を思わせる霊圧の久面井。
十一番隊の現隊長現副隊長。
静かに輪を広げていけば……ずっと共にいたからか、自身の放つ霊圧に酷似した霊圧……草鹿やちるの霊圧。その外側に続く隊士たちの霊圧。
わかる。その霊圧とその魄動で、何を得意とし、どんな戦いを好むのかまで。
「更木、暇してんならちと組手に付き合えよ。やったことあるか? 刃物無しの組手」
「ああ……最近は、よくやる。つぅか、ほぼ毎日だ」
「よくやる? 誰と? 一之瀬か?」
「違ぇ。一番隊のやつだ」
「一番隊ィ? そんなところにお前と毎日やれるやつがいんのか。……山本の爺さんに喧嘩売ってねえだろうなてめぇ」
「売るかよ。そこまで身の程知らずじゃねえ。売るなら刳屋敷を下してからだ」
「どっちみち身の程ってモンがわかってねぇように思うが……んじゃあ楽しみにするぜ。俺に勝ったら、そォだなァ、ちょっと高めの酒を奢ってやろう!」
「要らねえ。俺にとっちゃ斬り合いが褒美だ。……俺が勝ったら、始解して俺と戦え。卍解までは要求しねぇからよ」
「できねぇんだよなまず。ま、良いだろう。お前ら、いつも磨いてる回道の腕を存分に発揮してくれよ! 間違っても俺がこの跳ねっかえりを殺しちまっただなんて醜聞を漏らさねえようにな!」
斑目智久。調子に乗った発言は多いが、十一番隊五席の名は伊達ではない。
霊圧はそこまで高くはない。だが、研ぎ澄まされた鋭さが伝わる。
「なんだぁ、目ェ瞑ったままやんのか? その程度でも勝てるってか、こりゃ舐められたモンだな!」
「テメェを……軽く見るつもりはねぇよ。こいつは俺の、今の……修行内容だ」
「修行だぁ? ……あー、成程、一番隊との組手ってのは、稽古かなんかをつけてもらってんのか。……成程ね。これで負けるとちぃとばかし俺の魂ってなモンに罅が入っちまうが、そうなったら斬魄刀戦闘で挽回してやるさ! ……あ、卍解は使えねぇからな?」
「誰も気にしてねェよ、そんなこたぁ」
「私には仕事があるので、手短に終わらせていただきたいものですが。──では、始め!」
十一番隊第七席、紗咲累の掛け声と共に、強く床を踏みしめる音が響く。
霊圧。それは決してヒトの形をしていない。燃え上がる人魂のようなものでしかない。これだけを見て、攻撃を躱す、なんてことは難しい……はずだった。
ふらりと、第一打……腰を入れた、掌底による打ち上げ。顎を狙ったそれを、上半身を後ろに反らすことで避ける更木。
「なんだ──避けるのか! へぇ、無駄に霊圧滾らせて防ぐやり方を変えたかよ!」
「やめたわけじゃねぇが、今じゃねえだけだ。……こうか?」
上半身を引き戻すと同時の、右胸骨を狙った手刀。
それが──肌に触れたその瞬間、斑目が大きく後退する。
「……」
「……んだ、今のは。霊圧で……防御できなかった?」
「ハ……ハハハッ! ああクソ、どっかで楽しくなくなるんじゃねぇかと思っていたが……楽しいじゃねぇか! なんだ、どうなっちまったんだ俺は!」
笑う笑う。哄笑する。
斬っても斬れないものを力任せに斬るのも楽しかったが。
どんな堅いものにも斬り方というものが必ず存在する、という事実を教わって、それを今、実践して。
面白い。楽しい。
理屈はあるのだろうが、知らない。教えられてはいない。あの弱くない男は、更木に対して小難しい理屈を説いたことがない。
体感が先にあり、体験を経て有用性を教え込み、実戦を行わせてその楽しさを理解させる。
どうしてアレが剣八でないのか不思議なくらい、"剣八"というのを知っている。
「来いよ、智久! たかだか組手だろう──楽しくやろうぜ、なァ!」
「うわぁ。……どこのどいつだか知らねえが、こいつに技術を覚えさせるとか根性あるやつだなオイ。その上で大人しくはさせてねぇあたり、相当な猛獣使いと見た。流石は一番隊ってか? ──だったらこっちも、ちぃと見覚えねぇだろう技術を使うぜ、ヒヨっ子」
「そりゃあ良い! なんでもかんでも食ってみてぇ気持ちは久しぶりなんだ──簡単に終わってくれんじゃねえぞ!」
「ほざけ、ってぇ──の!」
ぶつかり合う。
数百年の技巧。霊圧と膂力で劣りながらも十一番隊で五席に名を連ねる流魂街きっての武闘派。
対峙するは、荒削りながらも何かを掴みつつある怪物。霊圧の配置を見る意識と、気流の流れや足音などで敵を観察・解析する無意識を使い分ける求道者。
果たして。
ずしん、と……倒れる巨体と。
その眼前で、壁にもたれかかっている禿頭の男性。
「……引き分けにしておきましょう。これで斬魄刀戦闘は無し。早く終わってくださってありがたい限りです」
「手厳しいなぁ、紗咲……」
「朝のこの
引き分けである。
完全な拮抗勝負。護廷に入って数百年の斑目と、まだ半年も経っていない更木が、だ。
「……そろそろ俺も、引退かね」
「まだお若いでしょうに。働いてください。別に強くなくとも良いので、仕事をしてください」
「強くなくてもいい、か。……確かになァ。……知ってるか、紗咲。十一番隊ってのは最も強き隊じゃなく、どの時代も変わらぬ在り方である隊を指すらしい。前に滑川七席が言ってたんだ」
「その論で言うと、一番隊、三番隊、四番隊、六番隊、十番隊にも同じことが言えてしまいそうですね。五百年は隊長が変わっていないらしいですし。あと二番隊もですか。同じ四楓院家です」
「滑川七席にも厳しいのかよお前……。……それでもやッぱり俺ァ、十一番隊の隊長ってのは最強であってほしいんだ。刳屋敷隊長は正に理想の体現者で……もしあの人に何かあったら……おごふっ!?」
「縁起でもないことを考えないように」
「か、回道使いながら患者の腹に拳とか、良い趣味してやがるな……」
実は意識を失っていない……倒れただけの更木は思う。
どうしてこうも、寝ている──と思っているのだろう──奴の隣で誰も彼もごちゃごちゃと喋るんだ、と。
「更木六席が、次代ですか」
「……ああ。そう感じたね。そんで……俺じゃねえ、次の世代の奴らが……ぎゃーぎゃー騒ぎながら、無駄口嫌いの更木の後ろについてくんだ。そこに……俺の席は、ねぇよ。大人しく隊舎で書類仕事でもして……馬鹿どもの様子を……窓越しに見てるくらいで、良い」
「まぁあなたの未来予想図などどうでもいいのですが、時代の変わり目を覚えたから引退、などする暇があったら降格してでも残ってください」
「……はい」
「万年人手不足は変わりませんし、ただでさえうちの戦死率は他隊に比べて高めなんですから、くだらない感傷で引退されて書類だの途中の手続きだのを探して瀞霊廷じゅう駆け巡るこっちの身にもなれって言ってるんですよね」
「漏れてる漏れてる。紗咲、俺はもう返事をしたぞ。帰ってこい」
「というか回道の重要性に気付くのも遅ければ、その練習で二次的な怪我をして結局私に、とか多くて多くて。最強を名乗るなら"避けるのは男らしくねえと思った"みたいなくだらない理由で怪我をするのやめてくれませんかね。避けてくださいよ避けられるなら。避けられもしない雑魚の話はしてないですよ」
「それで言うなら、更木は良かっただろ」
「更木六席は最初から良いですよ。刳屋敷隊長に噛みついた時から日を追うごとに良くなっていっています。……というか、挨拶は返してこないものの相槌は打ちますし、やれと言ったことはやるしやるなと言ったことはちゃんとやらないし。霊術院上がりの刳屋敷隊長目当ての、自分は他とは違うんだ、って思ってる妙に誇り高い新卒隊士よりよっぽど使えます。知ってますか。誇り高いって恥知らずに言い換えられるって。誇りがちゃんと美しいものであるならまだしも、独りよがりの誇りは恥でしかありませんよ斑目五席」
「なんで俺に言うんだよ……。ま、一番新しい更木がそう在ってくれるなら、自然と隊も引き締まるだろ」
そのあたりで、ようやく理解した。
こいつら、
「剣ちゃんおはよー! ……あれ、なんで寝てるの剣ちゃん」
「……ああ、やちる。昨日遅かったからな。よく眠れたか」
「うん! ……ぺかりんと、るいるい? 剣ちゃん、我慢できなかったの?」
「違ぇよ。その禿が誘ってきたんだ。つまみ食いじゃねぇ」
大きな傷は負っていない。だから、良いかと立ち上がる──上がろうとした更木の後頭部に拳骨が突き刺さり、再び地に沈む更木。
「ってぇな……なにしやがる、累……」
「大して傷は負っていないからもう良いか、と思ったでしょう。流石馬鹿ですね。少し賢くなったからといって馬鹿は馬鹿のままですか」
「んだと……事実だろうが」
「あなたは理屈をこねくり回しても納得しないでしょうから単刀直入に言いますが、傷を負う内はあなたも雑魚側です。雑魚が目に見えるところで怪我も治さないまま"俺はまだやれるんだ"とか言っていても鬱陶しいだけでしょう。邪魔です。とっとと全快になってから並び立てと思うでしょう。私もそれをあなたに思います」
「剣ちゃんは雑魚じゃないもん! それにるいるいは七席なんだから、わ、わっ……剣ちゃん?」
「席次は、関係ねぇよ。……テメェも俺を雑魚と呼ぶか」
「他の誰かにもそう呼ばれたのですか? であればその方は慧眼の持ち主なのでしょうね」
「ああ。……一人は刳屋敷で……もう一人は、俺が唯一憧れている人だ。そんでもう一人は」
「なんだ更木、お前に憧れとかあんのか……ハッ、そうか。そうかそうかそうか! いやなんだよ、言えよ! 水臭ぇやつだな!!」
「少なくともテメェじゃねぇよ智久」
どうにも、この護廷という場所に来てから、更木を弱者と呼ぶ奴が増えた。
やちるがそれを快く思わないことは嬉しくもあり、そしてだからこそ、この幼子にはもっと澄んだ世界を見てほしいとも思う。
「でも……」
「すまねぇな、やちる。今はまだ、お前の言葉が嘘になる。俺が弱く、そいつらが強いからだ。……だが、いつか……遠くねぇ未来では、過去に吐いた言葉まで嘘じゃなくなるんだ。そこまでちぃっと、待っとけ」
「ん。……わかった」
嘘は本当にしなければならない。この幼子を嘘吐きにさせたままで良いわけがない。
「……ふぅん。兄……いえ、父親……というか、群れの長という感じなんですね、そこ」
「更木の背に引っ付いてる姿を見ると、狼の鬣を思い起こすのも追加点だな」
「……はい、傷は癒えました。斑目五席は業務に戻ってください。更木六席は、確か今日もどこかの隊の応援でしたか」
「ああ。……そういうことになってる」
「では、他隊では無礼の無きよう。……それと、草鹿さん」
「なに?」
「これを。刳屋敷隊長からです」
拳大くらいの包み。それがやちるに渡される。
彼女が中を見れば。
「……こんぺーとーだ!」
「一気に全部食うなよ、と。それでは」
「はーい!」
色々ぶつくさ言いながら、時折紗咲に怒られながら出ていく斑目たちを見送って……更木はやちるを見る。
目を輝かせて金平糖を抓んでいる少女を。
「まんまと餌付けされやがって……。……いっぺんに食うなって言われただろうが。そこまでにしておけよ」
「えー」
「えーじゃねぇ。いつもの聞き分けの良さはどこに行きやがったんだ」
「……はぁい。……今日もぺらぺらのトコ行くの?」
「おう」
「じゃあ、あたしはふさふさのトコ行くね!」
「一人で行けんのか」
「大丈夫! 剣ちゃんこそ一人でぺらぺらのトコ行けるの?」
「馬鹿にすんじゃねえよ。……最悪、霊圧目掛けて上空から行きゃいい」
「ぺらぺらの霊圧わかるの?」
「あ? ここ最近は毎日会ってんだ、わからねえわけ……」
霊圧を辿る。──いない。特徴的な霊圧だ。他が「炎のような」と表現できる中で、球体を取っている異質な霊圧。荒々しさは欠片も無く、つるりとした表面のそれが……瀞霊廷のどこにもいない。
虚圏か、断界か。
……普段はやることなどないが、一応できなくはない霊絡の感知をしてみても、結果は同じ。
「剣ちゃんといる時はぺらぺらわかりやすくしてくれてるけど、そうじゃない時はあたしにもわかんないよ。森とか、川とか、そういうのとおんなじ。無いわけじゃないけど、わかんない」
「まぁ……最悪、山本のジイさんの霊圧を目指しゃいいだろ」
「それもそっか! じゃあ、しゅぎょー、頑張ってね剣ちゃん!」
「ああ」
ふさふさ、と彼女が呼んでいる何者か。
滑川の紹介で会ったらしいので問題はないのだろうが、妙に懐いているし、個人的な修行というのも受けているらしい。
今までは庇護するだけの関係だったけれど。
いつか──あの幼子にすら。
「……へっ、らしくもねぇ」
笑う。そうなったら喜ばしいし、悔しいから追い縋るだけだ。
その前にとっとと刳屋敷を下さねばならない。斑目も一之瀬も狩能も久面井も下して、再度あれとぶつからなければ。
そして──あのぺらぺらうねうねとした野郎も斬って……また、彼女との、斬り合いを。
……そう意気込んで、案の定迷って、山本元柳斎の霊圧を辿って突き返されてようやくたどり着いた『鬼道衆第一出張所』に、そいつらはいた。
「あれぇ? 確か……最近十一隊に入った更木六席サンじゃないッスか?」
「知らんやっちゃな。……えらいデカい奴やんけ。まぁほら、そないなとこ突っ立ってへんで閉め。寒いねん」
「違いますよ平子隊長。彼のように肉体を鍛えていれば寒くないのです。平子隊長はすぐに寒いだの腰が痛いだの……嘆かわしいことですね」
「違いますー。冬なんやから誰にしたって寒いですー。……それと、腰が痛いんはオマエがボコスカ蹴るからや。どうすんねんオレの骨盤にオマエの草履の痕ついてたら」
「そこだけ切り取って標本にした上で墓前にお供えいたしますね」
「怖ァ!? なんやねんこいつ怖ァ!! 喜助、そっちの副隊長……は、ひよ里やったな。流石に惣右介の方がエエわ……」
「おや、嬉しいですね。平子隊長がとうとう私の良さをわかってくださったようで」
「ひよ里サンにも良いとこあると思うッスけどねぇ。あ、勿論藍染サンにも長所はあると思いますけど」
「たとえば、どういうところでしょうか、浦原隊長」
「へ? あー……いや、その……ッスね。真面目な……いやでもひよ里サンも真面目だし、だからその……知的な……いやこれも言ったら怒られそう……」
「ほれ見たことか。惣右介、オマエ実は良くない副隊長やねん。下限のひよ里とどっこいどっこいってそうそうない評価やで。見捨てんで付き合ってやっとるオレの奥ゆかしさに感謝し痛ァ!? おま、足袋で足の甲抓んのは反則やろ!? そういうことすんのやったらこっちもやることやんで!?」
「え、うわ、何やってんスか平子隊長、こたつの中で氷雪系の鬼道とか、霊術院の子供じゃないんスから!!」
「見た通りです、浦原隊長。彼は良くない隊長なのです。十三隊の隊士ですらない霊術院の子供と同程度の戦いしかできない方で。彼を見捨てないでいてあげているのは、我々五番隊隊士の辛抱強さ故でしょう」
久しく覚えていなかった頭痛が更木を襲う。なんだここは。なぜ売店の横に畳がある。なぜその真ん中に炬燵がある。
家主の滑川が帳場に座っていて、客であろう三人はなぜ炬燵から動こうとしない。
「……で、なんやねんオマエ。なんで突っ立ってんねん。平良に用やったら今おらへんで」
「あ? ……そこにいるだろうが」
「ア? どういう口の利き方やねんオマエ舐めとんとちゃうぞコラ」
「まぁまぁ、それだけ出来が精巧ってことなんスから、ね? あれはですね、僕の隊、十二番隊が作り出した義骸ってヤツなんスよぉ」
「平子隊長。他隊の若い……護廷に入って一年にも満たないような、右も左も分からない隊士に凄むのは、些か小物がすぎるかと」
「おーぅ惣右介あんまり強い言葉を使うもんやないでぇ? 強い言葉でジブン飾り立てて大きく見せるんはそれこそ小物のすることやねん。ああでも小物の自覚があるんやったら話は別やけどなァ!」
「ええ、私は副隊長ですから。少なくとも平子隊長よりかは小物でしょう」
義骸。言葉は知っているが、実物を見たのは初めてだった。
確かに霊力を感じない。……が、霊圧の一切を隠すのがあの男であるというのなら、判別は付かないだろう。
なにより、あと一分で更木との約束の時間だ。となれば、あの義骸というのが突然動きだすという可能性さえある。
更木は溜息を吐いて、ようやく中へ入り、店の戸を閉める。
「はぁいじゅるり。ちょっと通りますよぉ」
そのほぼ閉めてある引き戸の隙間を通り、それが入ってきた。……最早人の動きではない。戦闘中だけでなく平時からその動きをしているのだろうか。
「っておやぁ? ……どういう面子ですかぁ、これ」
「おう平良。邪魔してんで」
「お邪魔しています、滑川七席」
「あ、滑川サン。義骸、良好そうッスよ。平子隊長も藍染サンも更木サンも見事に騙せたんで」
「それはぁ、良かったですけ、ど。……更木さん以外は、来る予定ありましたっけぇ?」
「いや、突発やな。その平良人形を真っ黒な布で包んで運んどった喜助にオレが声かけたんが始まりで」
「死体搬送ならば手伝いますと申し出たのが私で」
「義骸が見分けられないかも兼ねて、じゃあお願いするッスって言ったのが僕で……ここへ運び込んだ義骸を見て、お二人とも良い反応をしてくれて」
「オレらばっか驚いてんのつまらんから次誰か来るまでそこ置いとき言う提案したんがオレで」
「でしたら冬のお客さん応接用の設備を使っていいって言われてたのを思い出して、この炬燵を出したのが僕で」
「先に帰ろうとした僕の袖が掴まれて炬燵に引き摺り込まれ、しばらくした後更木六席がやってきた、という次第になります」
当然だが、途中から話など聞いていない更木である。
霊圧だ。
目の前にいる三人。強大で深い水底のような霊圧。奥行きが上手く掴めない霊圧。
そして……巧妙に折り畳まれているものの──この場にいる誰よりも、あるいは刳屋敷や山本元柳斎よりも──巨大な霊圧を有しているもの。
「お前……なんだ?」
「僕、ですか?」
「惣右介、答えんでエエ。礼儀なっとらんガキに真面目に付き合ぉてたらオマエまで礼儀知らずになってまうで」
「はは。良いじゃないですか。可愛いものですよ。……僕は藍染惣右介と申します。五番隊の副隊長です」
言葉はほとんど耳に届いていない。今の問いかけも、返答を期待してのものではなく、己の疑問を耳に残すための問いだ。
大海を思わせるほどの霊圧。莫大なる霊力。
死神。
種族としてのそれではなく、真に死を司る者。襤褸布を纏い、大鎌を手にするナニカ。
巨大な霊圧の持つ、斬首の鎌は、けれど……更木の首など目にもくれていない。
その刃をかけているのは、彼の隣にいる、小さな小さな、この場にいる誰にも劣る霊圧の持ち主の首だ。握り潰せば本当に握り潰せてしまいそうな霊圧に、大鎌がかけられている。
気付いていないわけではないのだろう。けれど、どこ吹く風だ。そして大鎌の方も、かけているだけで動く気配がない。
更木の求める殺し合いが……本当の命の奪い合いができそうな二つであるのに、どうして。
強くなれるにつれて、新たな強さを手に入れるにつれて……渇きが、耐えられない程の渇きで欲するそれを。
命の奪い合いを、こいつらは。
「──おやぁ。もう……我慢できなくなっちゃいましたかぁ?」
にっこりと──どこまでも見透かしたように。
「……いや。……なんでもねぇよ。喉の渇きが……限界だっただけだ」
「……なぁ、惣右介。何言うとるんコイツは。平良もやけど」
「おや、ご存知ありませんでしたか? 彼らが話しているのは那芥異言語と言いまして」
「なくたいげん……肉体言語やんけ。無駄な頭つかわすなアホ」
更木剣八は恐れている。
アレを。
あの、最高の殺し合いを、斬り合いを、高め、命を奪う、あの感覚を。
あの人との再戦が叶わなくなることを……何よりも。
であるならば、多少の渇きで涎を垂らしていては、その視界の隅にさえ残り得ないだろう。
互いに野良犬なれど、せめて。
周囲に誰もいなくなるまでは。
「ふぅむ。……今日の訓練はじゃあ、少し趣向を変えましょうかぁ」
「訓練? 平良が面倒見とるんか?」
「はぁい。刳屋敷さんから預けられましてねぇ。……あ、そうだ。よろしければ皆さんで班を組んだっていう
「参加……といいますと」
「刳屋敷さんと虎姫さんが虚圏で遭遇したという超巨大破面の『様身体』が完成したんでぇ、そのお披露目兼試運転ってことで、更木さんを含めた皆さんで撃破してみてほしいんですよぉ」
「それ……報告書読んでんけど、高さ三十六丈*1とかある言うホンマかいなって虚やろ? そないなん『訓練部屋』やって収納できひんやろ」
「いえ、平子隊長。『訓練部屋』の高さは四十丈*2はあったはずですから」
「せやったとしても相手は虚。跳んだり跳ねたりするねんから無理やろ言うてんねんこの頭でっかち」
「最近『訓練部屋』も改装したんですよぉ。四十六室からちょーっと許可を取るのが大変だったんですけどねぇ。耐震工事をどーにかこーにかクリアして、一辺四町*3の超巨大空間にしてみましたぁ」
「デっ」
「デカすぎるやろ……」
地下なのに月の見える空間。足の取られる砂漠。
そして……鎮座するは、超巨大な破面。
「『
「……案山子か?」
「まさかぁ。──はぁい、ぽち」
どくん、と。
魄動が聞こえた。
「《──よく来たネ死神共。正直そこの男の指示に従うのは面白くなかったんだが……死神との交戦データというものを取るのにもってこいだと思ってネェ》」
どこぞより拡大される奇妙な声。しかしそれは最早どうでもいい情報だった。
「涅サン!?」
「《オヤオヤなんという偶然カナ、我らが愛しき浦原喜助隊長ジャアナイカ。ステキなことだよまったく。それで……そう。キミたちの目の前にいるのは、刳屋敷剣八に敗北した虚の『様身体』。それは正しいケレド、その精神はその時の虚とホボ同一と考えてくれてイイヨ》」
「どういう……ことッスか、それ。まさか……破面の培養を?」
「《はぁ。キミは私のことを何だと思っているのかね。虚の培養なんてしないヨ。完全な制御をするには足りないものがありすぎるカラネ。……今言った通り、そいつは『様身体』ダ。そしてその精神には、生まれた瞬間から己をヤミー・リヤルゴという名の破面であると思い込んだ、思い込ませた義魂を使っていル》」
「それ……もしかしないでも、未発表のヤツ……スよね。というか……僕が許可してないやつじゃ」
「《キミが言っているのは戦闘用に改造した魂魄のことダロウ?
「ム……カ、ツクゼ……ムカツクゼ……」
やがて……巨体が、巨怪が、その目を開ける。口を開く。
怒号。咆哮。耳を劈くほどの音圧は、それがそのまま、殺気へと変換される。
殺気だ。偽の魂が出しているとは思えないほどの──それは。
「《これはネ、真実再現でしかナイヨ、浦原喜助。己をヤミー・リヤルゴであると思い込み、そして刳屋敷剣八との戦闘記録を己の記憶であると思い込んだ、憐れなる偽物。偽物の虚圏で偽物の身体を用いて何の意味も持たない戦いをする……そのためだけの存在。安心するとイイ。そいつは学習をしなイ。戦いの中で学ぶことはあるだろうけれど、戦いが終われば最初の時点に再帰されル。壊れる心配モ反逆の心配もなく、永遠に使えるというわけダネ》」
「あ……いつには、倫理とか無いんか……?」
「……」
「ちょ、惣右介、喜助、呆けてる場合とちゃうで! ──虚閃や、避け!!」
霊圧による掻き毟り。
威力に下限は無い。正しく破面の攻撃。
それを、──更木剣八は、割断した。
「なん……やと……!?」
「霊力の隙間に刀を入れた……ように見えましたが、偶然、でしょうか」
「そない偶然に決まっとるやろ! あいつのあのナリでそない繊細なことできるとは思われへん!」
「……いや、どう……スかね」
続く二撃、三撃と虚閃が続くが、その全てを斬り落としていく更木。
霊圧で防いでいるわけではない。むしろ霊圧などほとんど使っていない。
最低量、斬魄刀が折れないようにするための霊力だけを湛えて、少しずつ破面へと近付いていく。
「《マァ私の作品というわけでもないから細かいことを言うつもりはなかったのだがネ。今のは虚閃じゃなくて
「はぁーっ!? なんやねんアイツムカつくやっちゃなァオイ! どないなってんねんオマエんとこの三席!!」
「す、すみません……。でも涅サンは誰に対してもこうッスよ」
「だぁれに対してもこォやったら許される話とちゃうねんつぅか誰に対してもこぉやのぅてちゃんと教育しぃ教育をォ!!」
「《ピーピー騒ぐんじゃないヨみっともない……。藍染惣右介副隊長。もう少し隊長の教育をしっかりしたらどうかネ? 間違いを正してくれた相手には、その相手の階級がどうであれお礼を言うべきだと思うんだがネ》」
「申し訳ありません。キツく言っておきます」
「なんでそこ結託すんねんもう嫌やこの流れもこの副隊長も!! こうなったらオレらも──」
斬りつける。
斬り方は見えている。だから、斬って。
──斬れなかった。
「!?」
「──直撃くらいよった! くそ、一班組め言うてたか!? 喜助、オマエ回道使えたよな! オレと惣右介が時間稼ぐから、あいつ起こしたり!」
「うるせぇ。……邪魔すんじゃねぇ」
声。声を出す。吹き飛ばされはした。避けたつもりだった。完全に避け切れていたのに、吹き飛ばされた。
声。死神。虚。『様身体』。己。
何が違う。
斬れるものと斬れぬもの。避けられる攻撃と避けられぬ攻撃。
「──アホ言うとらんで、避けぇ!!」
頭上。巨大な拳。回避行動は間に合わない。斬ったところで意味は無い。受け止める。受け止めれば折れるだろう。腕か、背骨か。
どうして?
「──どうした。……待ち望んでいた戦いだろうが。ごちゃごちゃ考えるのを……封じ込めて。静かに、楽しく戦える……はずだろうが」
どうして──お前は。
「どうした、おい」
どうしてお前は──そんなにも、弱いのか。
どうしてそんなところで甘んじていられるのか。
どうして毎度毎度に学びがあるほど、浅い理解しか得られないのか。
「──ヒ」
嗤う嗤う。嗤え嗤え。
お前はなぜ、いつまでも、己を閉じ込めたままでいられるのか。
「ヒャ、──ァ!!」
それは回避ではなかった。
それは防御ではなかった。
それは──巨大な拳を、大樹のような腕を、どころか、町という単位で数えられる巨体を──割断するほどの、一撃。
「オオオオオ!?」
声を上げて仰け反る破面。
その双眸は見上げることになるだろう。
先程までは叩き潰すつもりだった蟻が、土煙を突き抜けて──嬉しくて嬉しくて嬉しくて堪らないという顔で、その斬魄刀を振り上げている姿を。
限界まで目を見開き、限界まで口角を上げた悪鬼羅刹が。
「ナメンジャネエ──!!」
「!?」
拳が突き上げられる。
今しがた更木が斬り落としたはずの腕が。
「《何を驚いているんダ。元のヤミー・リヤルゴにできたことができるのは当然にしても、破面という存在がなぜか捨て去っている超速再生という昔の機能くらいは付け足されていて当然ダロウ。過去の幻影とままごとをしたい、という話でアレバ、説明不足を認めるけれど》」
「い、いちいち癪に障るやっちゃな……。……けど、更木は更木でなんで始解もせぇへんねん。あない膂力があるんやったらもっと色々できることありそうやのに」
「平子隊長だって始解しないじゃないですか」
「オレのはあんま人おるとこで使うやつとちゃうねん。……つかオマエもやろ惣右介。流水系の斬魄刀言うてたけど、オレオマエから水が出とるとこ一個も見たことないで」
「いえですから、霧で敵を攪乱する始解であって、水が出る斬魄刀ではないと何度説明させるんですか?」
「《アア成程、それは失念していたヨ。さてはキミたち、護廷に入って半年と経たぬ隊士に劣るほど戦闘経験というものを持っていないんだネ。浦原喜助が研究者であることは知っていたケレド、文官二人でも五番隊は務まるとは、それは知らなかったネ》」
「──じゃあかあしいわ青髪大熊猫!! 始解せんでも隊長副隊長や言うところ見せたるわ!! ──散在する獣の骨! 尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪! 動けば風、止まれば空! 槍討つ音色が虚城に満ちる!! 破道の六十三・雷吼炮!!」
ようやく起き上がらんとしていたヤミー・リヤルゴ。その頬に雷が突き刺さる。
速度や込められた霊力に反し、その威力は非常に高い。
「効くやろ──オレんは、霊力ちょっと多めな代わりに貫通力バリ高やねん。頬なんて肉の薄いところに当たったら、大変やな。鯨楊枝突き出てまう身体になったら謝んで流石に」
「ウザ……てぇ。うざってぇ……痒いんだよぉおぉぉおおおお!!」
──無傷だ。
けれど、その傷の無い顔が。巨大な目が。
平子たちを、捉える。
口に集光していくは、ようやく、これこそが。
「マズ──」
「よそ見すんなよ。悲しくなるじゃねえか」
再度、ヤミーの腕が斬り飛ばされる。
「オオ、オオオっ!?」
「へっ……これが、鋼皮か。ようやく斬り方がわかった。俺の弱さの切り捨て方もだ」
「──無駄ダ、この俺ハ、怒れば、怒るほど──」
「いけねぇな。……つい、いつかの記憶を思い出して、致命傷以外を与えて……楽しもうとしちまうらしい」
霊圧を滾らせ、巨体へ、巨大へとなろうとしたヤミーの、その顔が。
その躯が。
「──つまらねぇ戦いだったが、得るものはあった。礼を言うぜ、破面」
一文字に、両断された。
「《……機能停止した? どういう……どういうことカネ、滑川平良。両断された程度では問題ないと言っていなかったカナ》」
「普通に両断しただけならぁ、そうですねぇ。でも今の、そうじゃなかったでしょぉ? それとも……わかりませんでしたぁかぁ~~?」
「《その不愉快な口調をやめろと言っているんだヨ。私は三席。キミは七席だろう。上の者の命令に従うことすらできんのカネ?》」
「一番隊の三席になってから言っていただけますとぉ、幸いですねぇ。まぁ零番隊であっても聞きませんけどねぇ」
その声に、刀を向ける。
信じられなかったからだ。
「テメェ……なんで、俺の隣にいる」
「ずぅっといましたよぉ。というか僕、装置をポチっとした時から動いていませんよぉ」
「……なんだ? どうして俺は今、テメェを」
「おや。──誰かさんと、間違えました、か?」
そうだ。
まるで……そんなところにいたのかと。
危ないから、今度からはもっと安全なところにいろ、と。
「他人の空似、ですよぉ」
「……まぁいい。……得るものはあった。次があるなら、一撃で沈めてやる」
「戦場に次なんか無いのでぇ、遊ぶ癖をとっとと切り捨てて、雑魚は一撃で殺してくださいねぇ。もうすぐ約束の半年が終わりますけ、ど。……強くなっていることを実感し始めたあたりで、露骨に成長が伸び悩みましたからねぇ。あなたが手加減をしていられるほど護廷も敵も弱くはないんでぇ、しっかりしてください、ね」
「敵。……ってのは、虚か」
「まぁ、そうですねぇ。虚か、あるいは」
「それのてっぺんは、どれくらい強ぇんだ」
「……今の破面は、数字というものを持たない尖兵でしたぁ。それらを取りまとめる八刃というのが居てぇ」
「どうでもいい。アンタに聞いてんだ。わかってるからそういうことを言ってるんだろう。──てっぺんは、どれくらい強い」
遠くで「オマエらがこっちこんかい!」とか騒いでいる平子たちそっちのけで。
更木はそれを問う。この、なんでも知っているようなナニカへ。
「──残念ながら。今の……山本総隊長より、強くなってるみたいです、ね。少なくとも自分で自分を殺して死ぬような存在では──」
「何が残念なんだ? そりゃあ、最高っつぅんだろうが」
「そうですねぇ。あなたはその手加減癖、とっとと直してくださいねぇ。僕に一太刀も入れられないまま停滞とか、あり得ないんでぇ」
「ああ。……もう、やらねぇ。数刻前の俺は、さっきの奴が殺した。もういねえ」
無意識を手懐ける。
無意識に手加減する癖をやめる。
このたった半年の修行は。
「オマエラが来い言うてんねんコラァ!! 疲れとるとか知らんねん別にこっちは付き合うてやる義理ないねんそれをオマエコラコノギザ髪ノッポコラハゲ!」
「滑川サン、ちょっと……あんまり涅サンにおもちゃを与えないでくださいませんかね」
「《聞こえているヨ浦原喜助ェ!!》」
「十一番隊の未来は明るいですね。六席でこの戦果ですか。滑川七席といい更木六席といい、隊長から離れれば離れるほどに優秀な人材が」
「オマエは口開くたびにオレを一回貶さんと気が済まないんか!? せやったら七席にしたるかコラァ!!」
初めから見抜かれたもの。
初めから、この、笑顔の面を被るモノは。
「顔色が悪いですねぇ。──ほら、外で草鹿さんが待っていますよぉ」
「……ああ」
この暗い。
この白い世界では。
別の何かを、見てしまうから。