その迷宮のおくへ 作:迷宮研究学会
ぴちゃん
と水の跳ねる音がする。壁に手をつくと、ぬらりと湿った岩肌の感触がする。
ここは、世界最大のダンジョンだ。
現在、人類が到達できた中でもっとも深い、1000をも超える階層を持つ。しかも、いまなおダンジョンの大きさは更新され続け、ダンジョンの真奥に到達できたものは誰もいない。
カーン
と金属の音が洞窟内に響き、そのあとすぐに金属と岩が擦りついたいやな音が追いかけてくる。
誰かが、奥で戦闘をしている。べつに、当たり前のことではある。探索者の誰かが、ダンジョンのモンスターと戦っているのだろう。もしかしたら“仲間割れ”なんて可能性もあるが、さすがにこんな一階層では、流石にない……と信じたい。入ったばかりでそんな場面に遭遇するのは、やはりいやなことなので遠慮したい。
地図を確認する。目の前にある分かれ道を交互に見つめる。
キーン
と今度は少し甲高い金属音が響いてくる。
地図を信じれば、音とは反対側に行くのが正しいらしい。ならば迷う必要もないので、地図の通りに進む。物語であればこのまま音の方へ歩いていくことで、話が進むのだろうが、あいにくこれは現実である。世の中そんなものである。
ぬるぬる、と湿った岩肌に気をつけながら、奥へと歩く。
どれくらい経っただろうか。時間が経つにつれて洞窟は広がっていき、ついに大きな広間のような場所に出る。腰に吊るした魔道具の光でさえ、奥まで照らすことができないほど広い空間だ。
カチリ、と留め具を引き抜き、魔道具で辺りを照らしてみる。天井は手を伸ばしても届かないほどで、つららのような白い岩が、どこまでも広がっていた。地面はゆるやかな下り坂で、ちゃぷちゃぷ、と水がゆらめいていた。ゆっくりと水に近づけば、10を超える小舟が並んでいた。
事前に調べた通りの光景ではあるが、ダンジョンの中に船が用意されているというのは、なかなか興味深く感じるものである。
光を当てて、一つずつ中をのぞいていく。どれも、同じものにしか見えないほど違いがない。
一番右端まで着いてしまった。
これ以上特に見つかるとも思えないので、手前の船に乗り込む。
ギシリ
と、船板の軋む音が鳴る。
おかれているオールを手に取って、船を岸から離す。そして、ゆっくりと漕ぎ始める。聞こえるのは、オールを漕ぐ音と、水の跳ね散る音だけである。光は、水底まで届き、岩の凹凸までくっきりと見える。
序盤だからか、魔物はとても少なく、またどれも弱い存在でしかない。上でパタパタと飛び回っている蝙蝠と、水の中で群れて泳いでいる魚。すべて魔物なのだが、あえてこちらに攻撃をしようとしてくるものはいない。腰に吊るしている魔物避けのおかげだろう。
だが油断は禁物で、これがわかりやすく効果を発揮してくれるのは最初の十階層程度。あとは、あっても全く意味がないので、過信すると痛い目を見る。信じられないことに、実際、そういう奴もいるらしい。俺も気をつけておかなければ。
「っと」
気がつけば、洞窟は狭まってきており、細く入り組んだ道となっている。だが、曲がり角の先から、一筋の光が見える。慎重に小舟を岩にぶつけないように曲がれば、奥から光が溢れて見える。
ここを通り抜ければ、第二階層だ。
自然と、船を漕ぐ腕にも力が入る。たかが二階層、だが未知の光景に対面する時は、いつも心躍るものである。
「うっ」
洞窟の中とは全く違う光量に、思わず目が眩む。ゆっくりと、瞬きをし、目に入ってきた光景に思わず目を見張る。
どこまでも続く草原。太陽に似た光は、ここがダンジョンの中であることを思わず忘れてしまいそうになる。しかも、風が頬を撫で、草原の中をさわやかな音を立てて吹き抜けていく。遠く彼方にはいくつも岩が立ち並び、さらにその遥か彼方に雄大な山脈が連なっている。
このダンジョンの序盤は、この自然だけのフィールドを最後まで行くことにある。
優しめというか、魔物は弱いものばかり。だが、代わりにこの自然を踏破しなければならない。
第一階層の洞窟。第二階層の草原。第三階層の岩場。第四階層の砂漠。
階層ごとにある転移陣を使えばすぐ入口に戻れるとは言え、多くの人間はこの自然を超えるだけでも大変だ。たとえ、名の知れた冒険者であろうと、ここを楽に切り抜けることは難しい。旅慣れた人物であっても、一日では砂漠を越えられるかどうか、という話だ。
とは言え、先の話はその時に考えればいい。今は目の前の問題を一つずつ解決すればいい。
川の流れがゆるやかになっていき、浅くなっている。ゆっくりと船を岸に近づけて、砂利の上に乗り上げる。このままでは歩いたほうが早くなると判断したためだ。それに、川が浅くなっているため下手をしたら船が川の中で止まるなんていうことも考えられる。加えて、このままだと目的の方向から逸れてしまうというのもある。
とまぁ、諸々の理由から、船を降りて、岩場の三階層を目指す。
草は、腰に届くか届かないかという高さで、歩くのが難しい。本来であれば、ここに小さな魔物も加わるらしい。
……本当に魔物避けがあって良かった。
確認しても、魔物はどれも遠くにおり、近づいてくる様子はない。なんなら、遠巻きにしているし、中には逃げていく個体もいた。
「この調子なら、今日中に岩場を抜けれるか?」
その目論見は、大きく外れることはなく、昼頃に第二階層の草原を抜けることができた。第三階層の岩場も、半日もあれば十分踏破できる。唯一、気をつけるとすれば、この第三階層から、魔物避けの効かない個体が一体だけいるらしいが、数年に一度目撃されるかどうからしいので、頭の片隅に入れておく程度でいいだろう。
聳え立つ岩場の中を、迷わないように地図を確認しながら歩く。これまで目印にできた山脈は、聳え立つ岩の壁で見れない。また、岩の間を縫って歩くため、方向感覚も曖昧となる。
けれど、幸い迷うこともなく最短距離で通れたため、第三階層はそれほど時間をかけずに済んだ。
なので、今日のところはこのまま地上に戻ることにする。今から砂漠を抜けるには、少し時間が足りない。それに、水筒の水も少なくなってきている。
あとは、山の入り口にある転移魔法陣を使えば、入り口にすぐ戻れるし、逆に入り口からここまでひとっ飛びでこれる。
魔法陣の上に立てば、魔法陣が光を放ち、一瞬にして入口についた。
あたりは、ダンジョンからの帰りがけの人で賑わっている。道の端ではいくつか露店が開かれており、またその近くには診療所や冒険者ギルドの支部がある。他にも、宿屋や両替屋、歓楽街などがあり、街といっても過言ではない光景が広がっている。
ダンジョンの前に築かれた建物群を『ダンジョン町』などと言うが、ここまで人が多いと、都市と比べても違いがないようにさえ感じる。
圧倒される光景だが、いつまでも立ち止まっているわけにはいかないので、冒険者ギルドへと向かう。
煉瓦造りの、どっしりとした建物だ。中に入ると、すぐ目の前に大きな石板がある。冒険者ギルドの発行しているプレートをそこにかざすと、登録が完了する。これだけで、今日、持ち主がダンジョンの中でどれだけ活動し、どの階層まで到達したのかが全て無効に記録される。
元々、ダンジョンにあった機能を魔道具で再現したもの、らしい。
手に汗握るような制作秘話があったのかもしれないしなかったのかもしれない。それよりも、だ。明日の準備をしなければいけない。具体的に言うと、砂漠を突破するための服などを揃えないといけない。
冒険者向けの雑貨屋で、全身を隠すローブ、その他買い替えが必要になったものなどを購入。
今日はこれ以上することがないので、宿へ戻ることにした。明日も今日みたいに楽に終わってほしいと思う。